「4度目の夏」

NOBUYAが旅立って4度目の夏がきた。

毎年8月になると強烈に彼を感じる。それはお盆という時期でもあるからかもしれないが、この時期に旅立ったのは何とも彼らしいといえばらしい気がするのだ。毎年この時期にはツアーがてら故郷の北海道へ帰ってお墓の掃除をすることを大事にしていたNOBUYA。それはご先祖様を彼はとても大切に思っていたからなのだが、彼自身が旅立つほんの一週間前に実家のお墓の掃除をしていたことを何故か鮮明に思い出すのだ。しかもこの年はいつもよりも念入りに掃除に励んでいて、その真剣さに「今年はいつもより特別気合いが入ってるな」と不思議な気迫を感じたものである。

そんなNOBUYAの気持ちを、彼が死を迎えるにあたり、ご先祖様は汲んでくれたに違いないと思っている。何故なら旅立ったその日は札幌の個展会場で昼・夜と2回のARTSHOWがあり、その合間に車を20分走らせ、宿泊先で留守番をしていたDONの午後散歩に1時間ほど出かけ、ご飯を食べさせて会場に帰ってくるという彼自身とてもハードなスケジュールだったのだ。それなのに個展会場の中でもなく、散歩の途中でもなく、その日の終了後会場から宿泊先へ車で移動する途中でもなく、宿に着く前に彼が急遽「なぁ、お風呂に入って帰らないか」と言った銭湯の中でもなく「明日はDONに肉を食べさせてやろう!」と言って入ったスーパーの中でもなく、すべてを終えて「今日のARTSHOWはよかったぞ。特に夜の部がよかったな」と声をかけてくれながら無事宿へ着いた途端に突然倒れたのだから….。それはNOBUYAの優しさでもあり、ご先祖様の計らいに違いないと私は思ったのだった。

倒れる直前にジーッと、熱く真剣に私の目を見つめ続けてくれたことは、私にとって忘れられない宝物だ。死を待つ間、病院の個室にいた時の彼の瞳はもう小さな点となって動かなかったが、ついさっき見つめ合った、あの永遠のような時間が彼からの最高の贈り物だったのだなと思った。そして十代の頃からずっと「オレが死ぬ時は悲しむんじゃなくて、おめでとう!と言って祝福してほしい。新たな旅立ちなんだからな」と言っていたように、死の直後に病院が気をきかせて私達を2人きりにさせてくれた時に「NOBUYAおめでとう」と心からその言葉をかけることができた。聴覚はまだ残っていただろうから、彼はこの言葉を聴いてくれただろう。いつまでも色あせることのない、私にとって特別で神聖なこの時間を愛する人とともに過ごせたことに本当に感謝した。これもやはりNOBUYAの優しさとご先祖様の計らいによるものだろうと思っている。

こうして新たな世界へと旅立って行ったNOBUYAは、もう何にだってなれるのだ。だからこの地球での生活の中で日々、色んなことやものを通して私は彼と出会うことができる。そうして私の心の中で囁く彼の言葉にそっと耳を傾けるのだ。

先日、友人達と沢登りをした後に太陽が照りつく道路に「なんか岩盤浴みたいで気持ちいいーっ」と寝そべってくつろいでいたら、一匹の蝶が現れて車のそばにじっととまって羽ばたきをしだした。その車というのはNOBUYAが乗っていた車で免許がない私に代わって友人が私とDONを乗せて運転してきてくれたものだった。あまりにもずっとそこにいるから私もすぐに気がついたが、みんなも「ねぇ、NOBUYAさんじゃない?」とすぐに反応して話しかけていた。そうしたらまるで何かを語っているかのように、わざと人と人の間を縫うようにみんなの中を通り抜けていくのだ。それも何度も何度もぐるぐる回りながら。「わぁ~っ。す、すごい~!」私達も大興奮。だって「こちら、かなり意識的にこの動きしてますよ~」というのが誰の目から見ても明らかなのだ。それがNOBUYAのいいとこで、いつもサインがとてもシンプルでわかりやすい。これも昔から言っていた彼の言葉そのものなのである。だから私でもすぐにキャッチすることができて一瞬で繋がることができるのである。その蝶は天然記念物になっているという本当に惚れ惚れするほどに美しい蝶だった。大きくて青と紫に光っていて….。「それにしても、もう20分以上は経ってるよね」「確かに。こんなこと、なかなかないよね~」驚きを隠せないみんなの様子。私は「のぶやーっ」と言いながら1人ニヤニヤしていたのだった。(笑)

ただただ、蝶が舞う姿を追い、旅立っていった者達を思う。こんな季節がまた巡ってきました。