「イトナミダイセン芸術祭」

鳥取県大山で10年前より開催されている「イトナミダイセン芸術祭」に参加してきた。

NOBUYAとかつてはARTGYPSY TOURと称して日本全国を縦断していたが、なぜか鳥取県には一度も足を踏み入れたことがなかったので私には全くの未知の土地だった。
今回のご縁は、3月に横浜金沢文庫のアサバアートスクエアで個展を開催した後に、個展にいらしてアートショーを見て下さっていたお客様の1人であるホメオパシーの「今井」先生から、芸術祭の実行委員のメンバーでもある「hoshifune」の「なおか」さんにぜひとも紹介させて欲しいと直々にメールを頂き、そのなおかさんからアートディレクターの「志穂」さんに繋いで頂くと、その志穂さんはアサバとつながっていてオーナーの「和子」さんや娘の「はるちゃん」が個展の様子をSNSにあげてくれていたのを興味深く見ていてくださり「この絵を生で見てみたい!」と思ってくれていたそうで「その願いがこんなにも早く実現するとは!」と、とても喜んでくださったことがきっかけで、あれよあれよという間になんと和子さんとはるちゃんと3人で鳥取大山へ、ともに旅をするということになったのだった。不思議といえば不思議だが必然といえば必然としか思えない神様の計らいのような自然な流れだった。着いてみると、そこはなんとも美しい土地。150人の心優しい人々が暮らす豊かな大地だった。空が広くあちこちにおいしいお水が湧き出ている。初めて拝む大山の山は紅葉に彩られ、まるで「ようこそ、いらっしゃい」と歓迎されているような気持ちになった。

この芸術祭のメインイベントは12本の巨大ウッドサークルの建立だった。それは志穂さんと、お仲間の大工の頭領「ヒロ」さんが同時に見たビジョンがきっかけだったそうだ。そのサークルの中で人々が唄い踊り祈る、という縄文人がかつておこなってきたかもしれない情景が目に浮かんだのだという。建立前の12個の穴が掘られた土地を訪れた時、思わず「ハッ」と息を飲んだ。そこはまるで私の故郷である北海道の余市のストーンサークルのある土地の風景にそっくりだったのだ。小高い丘から見下ろす一面の日本海、左側に見える山並みは故郷のシリパ山のようだった。この偶然の一致に1人で鳥肌が立っていた。しかもなんと、志穂さんは私が余市出身だとは知らず今回の芸術祭のプログラムの冊子の表紙の説明を始めたのだが、そこにはあえて余市のフゴッペ洞窟に描かれている「鳥人間」を入れたんですと話し出したのだ。「私はその洞窟のある余市の生まれです」と言うと「えええっ!」とまた驚かれ…。

さらに、志穂さんはロックという野犬の保護犬と暮らしているのだがそのロックが我が家のオオカミ犬DONの母親であるnociwにそっくりだったのだ。それには志穂さんも驚いていて私に出会う前から私のHPに載っていたnociwの写真をプリントアウトして持っていたとのことだった。ロックは3本足で前右足がないのだが、左前足の先が白く黒い点々が入っているのだがnociwも左前足の先だけが白く黒い点々が入っているところまでそっくりだった。「この出会いは運命ですね」と彼女は言っていたが、まさに私もただならぬご縁を感じずにはいられなかった。

滞在した日々のすべてが濃くて深い時間だったが、やはりウッドサークル建立の日の朝に立ち会わせていただいたセレモニーと、一日にしてすべてが建ったその風景にはただただ唖然としてしまい言葉がなかった。その場に居合わせたすべての方々と思い思いに祈り、手をつなぎ、ひとつになった感覚は何ものにも代え難く、魂の奥底から喜びが沸き上がってきた。「いのち」を持つものとしての日々の営みとアートとは決して切り離すことのできない大切な命の根源であると常に感じてきた私にとって、この芸術祭との出会いはアーティストとしての勇気を奮い立たせてくれた。このご縁とお導きに心から感謝している。出会ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。

そして改めて今思う。この物語は始まったばかりなのだ…..。