「春がきた」

私の暮らす土地には「桜の街」という看板があるが、辺り一面桜が咲き誇り本当に美しい眺めだ。

越してきて3年が経つが、今まではこの時期にはもうツアーに出ていてここで桜を見ることはできなかったので、こんなにもみごとだったということを初めて知って驚いた。我が家のある山の上にも桜の木がたくさんあって山を降りたら降りたでそこらじゅう桜の木だらけ。アトリエの窓を開け放していると桜のいい香りが漂ってきてまるで桃源郷のようなのだ。1日2回のドンとの散歩がことさら楽しく思えてしまう。この地域に暮らすみんなも同じ気持ちなのだろう。普段はほとんど人がいない早朝もいろんな人々が池のまわりをそぞろ歩いている。桜を見上げうっとりし、顔をほころばせながら挨拶をかわす。桜に酔うとは本当だ。

作業が途中だったNOBUYAのMIIX CDとARTSHOWのために彼が制作した映像の整理を再び始めた。MIX CDは私が絵を描くのと同じくNOBUYAのライフワークでもあったので相当の数が残されている。それを一枚一枚聴いて全体の特徴を書き記し整理していく。あとですべてをデータとして残し私の個展の時などに会場で流していきたいと思う。大切な大切な宝物だ。CDを聴いているとその時の彼の心情が伝わってきてまるですぐそこにいるような気がしてくる。それぞれにタイトルと制作日時がちゃんと記されているので彼にとっては日記のようなものだったのだろう。その中にまさに「春がきた」というタイトルを見つけた。今の時期にぴったりのご機嫌なナンバーが続く。そんなウキウキとした音を聴きながら映像を見てチェックしていたら今までのARTSHOWでは使用されたことのない作品を幾つか見つけた。初めて見るその映像はラブレターをもらった時のように胸がドキドキした。ARTSHOWの映像はすべてが私の絵で構成されているが細部がクローズアップされていたり、一枚の絵がずっと静止していたり、とにかく丁寧に丁寧に絵の世界に入っていけるように作られている。それは彼がいつも意識していたことで「∀KIKOの絵を奇抜にいじろうと思えばいくらでもできるだろうけれど、それはオレの仕事じゃない。オレはただ絵の世界にじっくりと触れてもらいたいんだ」と言っていた。今見ても、こんなものが描かれていたのかと自分にとっても発見だらけだ。これらの作品はNOBUYAの視線であり愛でもあるのだなと改めて気づかされる。

本当に月日が経てば経つほどクリエイターとしての彼に対する感謝と尊敬の念は増すばかりだ。そして肉体がなくとも愛情は深まっていくものなのだということを身を持って感じる今日この頃である。4月7日は彼の誕生日。昨年ツアー先の奈良のギャラリーでサプライズのケーキと歌のプレゼントに照れながら応じていた彼の無邪気な笑顔が蘇る。早起きして長谷寺で見た桜の絶景も忘れられない思い出のひとつだ。

35年ぶりにNOBUYAのいない春を味わっています。いつもありがとう愛をこめて。

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