「アライグマの不思議」

3ヶ月間、我が家はアライグマ親子と二世帯同居の生活を送っていた。

はじまりは今年の3月アトリエで制作をしている時に壁の中からいきなり聞こえてきた物音だった。「なんだろう?」と耳を澄ましてみると「ブルブルッ」という身震いしているような音がする。最初はあまり気にせずに制作を続けていたが次の日もその次の日も毎日音がするようになった。と、ある日音がしなくなったので「あーよかった」と安心していると数日後、今度は寝室の天井裏から音がし出したのである。「これは何かの動物に違いない」と思ったが「さてどうしよう?」と思いあぐねていた。大抵は寝ている間に最も音が頻繁にするのだ。それからというもの夜に物音で目覚めるという日々が始まった。そして、それから間もなくして朝起きた時に布団の上でいつものように瞑想をしていると「キュンキュンキュン….」という、か細い弱々しい鳴き声が聞こえてきたのである。「あ、生まれちゃった….」とっさにそう直感した。赤ちゃんを産んでしまったのだ。「これは益々やっかいなことになるな….」案の定それからというもの、バタバタバタという足音とともにキュンキュンキュンという赤ん坊の鳴き声が重なって天井裏は更に騒がしく、睡眠は度々中断されることになった。大屋さんに話に行ってみたが「ははは、野生動物と暮らしているなんて愉快なことじゃないか」と一向に取り合ってくれない(笑)。「これは自分で何とかするしかないのか」と途方に暮れた。

そんな中、たまたま尋ねて来た上野原に住む友人「りょういち」にこの経緯を話すと「じゃあ見てみよう」と早速天井裏へ登ってくれた。都合良く寝室の押し入れの半分の天井はNOBUYAが作品の化粧箱等を入れるために抜いてあり、登れるようになっていたのだ。ドキドキしながら下で待っていると「あ、いた」との声。「何が?」「タヌキかな?とりあえず写真を撮ったよ」と彼。そして「こんにちわ」と言って彼が近づこうとすると「ウーッ」と威嚇のうなり声。「これ以上は無理だな」と下りて来た。子供達は隠れて見えなかったようだ。写真を見ると「どちら様?」というようなキョトンとした顔。全く人間を恐れていないという表情だった。「今日はひとまずこれで帰るね。どうすればいいのかちょっと考えてみるよ」とりょういち。

翌日電話がきた。「調べてみたら、どうやらあれはタヌキじゃなくアライグマだったよ。似てるんだけど眉間の模様の特徴でわかってさ」とのこと。タヌキに比べアライグマは気性が激しく凶暴で、子供が自立するまでには一年かかるらしくその間、巣にした天井裏などは糞尿の被害を被り、五本の指を器用に使って断熱材を剥がすため家の損害が著しいとのことだった。彼は市役所に行って箱罠を借りてきてくれた。アライグマは日本のものではなく特定外来種にあたるため捕獲した場合には届けなければならないとのことだった。「罠に置く餌は?」「甘いものでいいらしいよ」と、りょういちはバタービスケットを買ってきた。毎日親は食べ物を探しに家を出て帰ってきてる筈だった。そもそも家へ入る穴がなければ住み着けないのだ。りょういちは天井裏から光が射している箇所を突き止めた。それは一カ所で他には見当たらないので、たぶんあそこしかないだろうとのことだった。罠をしかけるのは翌日にしてとりあえずその日はビスケットを寝室の天井裏と外から入る穴の入り口に置いてみることにした。

ところがその日以来寝室からは音がせず、今度は玄関上から音がするようになったのだ。アライグマはどうやら昨日の話を聞いていたらしい。「ここにいてはヤバイ」と寝床の場所を移動したのである。だから寝室天井裏のビスケットはそのままだったが、外の穴の入り口に置いたのは食べていた。そこで罠を穴から外へ毎日出かけているであろうルートに設置したのだが全くかからなかった。かなりの知恵者である。「その手にはのるか」という感じだ。しかも朝方音がしていたのに、りょういちがやって来ると音はピタリと止み、天井裏にあがっても何も見つからないが、彼が帰った途端再び物音がし始めるのである。彼の気配を完全に察知しているのだった。移動した後の寝室天井裏に上がってみた。そこにはねぐらにしていたであろう剥がされた断熱材が敷き詰められ「ここで子供を産んだのかぁ」と何ともいえない感覚になった。そこはまさに私が毎日瞑想で座っている真上に位置していた。下りる時ふと押し入れの壁を見ると、まるでスタンプのように土でかたどられた五本の指の手形がお印のようについていた。

「もう罠には頼らずに出て行ってもらう作戦を考えよう」ということになり、燻煙剤を使ってみることになった。りょういちが天井裏に燻煙剤を3個設置し私は外で穴から出てくるアライグマを確認する。だが一向にその気配がない….。「あの燻煙剤では優し過ぎたのかもしれない」とりょういち。その日もやはり彼が帰ったあとに玄関天井から音がし出したのだった。しかもバリバリと何かを剥がすような大きな音が玄関だけでなくトイレやお風呂場の天井からも聞こえるようになってきたのである。そんな彼の苦労話を聞いていた仕事仲間の「よしゆき」が今度は一緒にやってきた。「もっと、ドカーンとやらなきゃ駄目なんじゃないですか?」と。そこで今度はバルサン、木酢液、爆竹を天井裏の二カ所にしかけることにした。再び私は外の穴からじっと彼らが出て行くのを待った。が、またしてもまったくなんの気配もないのである。この時も2人が来る前の朝には音がしていたのだが。「もうこうなったら、今度は本物の焚き火のオキで天井裏を燻すことにしよう。山火事のように煙くなればさすがにアライグマも出て行くんじゃないか?」とよしゆき。「じゃあその日はみんなで集まってBBQをしながら穴を見ていようよ。楽しい雰囲気に誘われるかもしれないしね」ということになった。「ただ今日は中から穴を板で塞いでいくことにして当日また板をはずしてみよう。そうすればお腹も空いているだろうし、煙に巻かれて穴から一目散に逃げ出すにちがいない」とりょういちが提案した。「もしかしたら気づかぬうちに出て行ったのかもしれないしね。」「それを願うわ」と私。だがその夜、2人が帰った後またしても物音がし出したのである。子供の鳴き声も聞こえた。「やっぱりいたんだ。ただ隠れていただけだったのか…」だが今度は穴が塞がれている状態だ。餌を取りに外へ出ることはできない。その日はねぐらにしているであろう玄関だけでなく、キッチンやアトリエからもバタバタと音がしていた。「塞がれて焦っているのだろうか」すると突然「グルルルーッ」という初めて聞く険しい声を聞いたのだ。まるで何者かと対峙して威嚇しているような恐ろしい声だった。

その次の朝、いつもは散歩から帰って来ると玄関から音がしていたのにやけに静かなことに気づいた。耳を澄まして各部屋を回ったが全くの無音だった。「はてな?」と思いながらも日常の生活を送るうち最終作戦の日がやってきた。前回から5日目が経っていた。りょういちとよしゆきがやって来て「その後どう?」と聞いたので状況を説明する。「実はこの4日間音がしてないのよ。」「考えられる事はふたつ。外に出られずに餓死してしまったか、別の抜け穴があって出て行ったか」「いや、でも隈無く探したけど他に穴はなかった」「ということは…」「とりあえず天井裏に登ってみよう。もし死んでいるとしたら匂いがする筈だからすぐわかるよ」2人が見てくれたがそんな匂いはまったくしなかったと言った。「じゃあまだ隠れている可能性もあるから最終作戦は実行しよう」私達は買い出しに出かけ、りょういちの妻の「かなえ」や友達を誘って帰って来て焚き火の準備を始めた。本物の火のオキを抱え天井裏に設置しに行く2人。BBQをしながら抜け穴を見守る私達。だがアライグマ親子が家から出て行く姿をとうとう誰も見ることはなかった。かなえが言った「私、もういない気がするんだよな」実は私も4日前、家が急に静かになった時から気配を全く感じていなかった。しばらく後、天井裏のオキを片付けに行ったりょういちが「凄いものを見つけたよ!」と言って帰ってきた。その手に乗っていたものは、なんと見事な蛇の抜け殻だった。「オレ、こんなに美しい状態の抜け殻は初めて見たよ…」

それを見た私はハッとした。実はこの家には蛇が住んでいるのだ。私達が越して来てまもなくしたある日、中庭から蛇が現れた。私達はすぐに、これはこの家の先住の主で守り神だろうと思い「これからここに住まわせて頂く者です。どうぞよろしくお願いします」と挨拶をした。それ以来、彼は中庭にのそっと現れて甲羅干しをするようになり、会うたび私達は声をかけた。そして忘れもしない3年前のあの夏の日、NOBUYAが旅立つことになった最後の北海道ツアーに出発する日の朝「おーい。あきこーっ来てみろよー!」と彼に呼ばれて駆けつけた寝室の軒下に見事な抜け殻がぶら下がっていたのである。そのあまりの美しさと荘厳さに「これはきっとこれから始まるツアーへのメッセージに違いない」と直感したが、彼が突然旅立ったあの時「そうか、NOBUYAは脱皮したんだ」と思ったのだった。その話をみんなにすると「まさに、この抜け殻はその寝室の軒下にあったんだ」とりょういちが言った。

あれからひと月が経つが物音はまったくせず、天井裏から匂いがすることもない。アライグマと過ごした3ヶ月が今では不思議な夢のように感じられるのである。