「愛と感謝をこめて」

最近、NOBUYAが旅立って以来初めて人から猛烈に怒られるという体験をした。

我が家の目の前には整然と美しく手入れされた畑が広がっている。それは大屋さんの義理のお兄さんが毎朝ここの山に登ってきて精を出している畑だ。
私達が越して来た4年前からお兄さんはいつも畑で採れた野菜をお裾分けしてくださっていた。畑が広いので収穫も多く彼はそのほとんどを食べきれないので人にあげているとのこと。時にはまだまだ美味しそうになっている野菜をすべて掘り起こし堆肥の場所へ放り、すぐさま違う種を蒔くという感じであり、どうやら食べることよりも作ることがとても好きなのだなということがわかった。

就寝は夕方の5時で起床は夜中の2時、サラリーマンを退職して畑を始めてからの20年はこのサイクルなので妻とも同じ家の中でまったく違うリズムで暮らしているのだと言っていた。私とDONが朝の4時頃に街へ下りて散歩していると自転車に乗ったお兄さんに出くわすことがある。かごの中に何かが山盛りに入っているので「なんだろう?」と覗いてみるとなんとカップラーメンだった。「えっ。これいつも食べてるんですか?」と驚いて聞くと「そうだよ。これがオレの朝飯。365日毎日これ」との返事。「えーっ。毎日これじゃあ体に良くないんじゃないですか?」「大丈夫。そのかわり野菜をたくさん摂ってるから!」

ARTGYPSYツアーに出ていた時はお土産を何にしようかといつも悩んだ。甘いものは嫌いで辛いものも駄目、しょっぱいものも好きではなくお酒は焼酎の「大五郎」しか飲まない。「オレは人から貰うものは口にしないんだよ」とあっさり言ってのける。それじゃあとパリへ個展に行った時にマーケットで野菜の種を買ってお土産にしてみたら「おぉ。これは日本にはない珍しい野菜だな。ありがとう」と初めて嬉しそうな反応が返ってきた。やがてその種を畑に蒔いてくれて「実がなったぞ」と報告してくれた。「そうか、これからお土産は種にしよう!」と私も心底嬉しかった。

そんなお兄さん、当初から「オレがいなくても勝手に畑に入って野菜採っていいぞ」と言ってくださっていたが、そうはいってもあまりにも整えられている畑だけに中々勝手に入る気がせず、呼ばれたら畑へ下りてお野菜を頂いてきた。そして最近アトリエで絵を描いていると「おーい。畑にきてこれ採れよー」という声がしたので下りて行った。これというのは五色のサラダ菜で色とりどりの葉が美しく一列に並んでいる。育ててはいるものの彼はサラダ菜は食べないそうで私はありがたく目の前で採らせてもらった。「今日から毎朝食べる分だけ採りにきたらいいじゃないか。その方が新鮮だしな」「じゃあそうさせてもらいますね。」「あぁ。オレがいなくても勝手にいいから」「ありがとうございます」

そうして翌朝、前日のように私は畑へ下りて行ったが姿が見えない。「あれ、まだ来てないのかな?」と思ったが、でも昨日の今日なので「じゃ、頂いていこう」とその朝に食べる分だけを頂戴し、家に戻った。ところがその日の夕方、突然電話がかかってきて「オレが居たのに何も言わず畑から勝手に採ってっただろ!」とカンカンに怒っているのだ。「えっ。姿が見えなかったんで居ないかと思ってそのまま頂戴したんですけど…」「オレは居たんだよ!」「そうだったんですね。気づかずにすみません!」「いや、もう許さない。もう二度とオレの畑には入るな!」そう言ってプツッと電話を切られてしまったのだ。ガツンと一撃を食らったように頭が真っ白になった。「もっとよく畑を見回し確認するべきだった…」自分の浅はかさを思い知ったがもう事は起きてしまったのだ。

翌朝私はとにかく直接顔を見て謝罪しようといるのを確認し声をかけた。「あの、昨日は本当にごめんなさい。」すると「あのな、オレを一旦怒らせたらもう終わりなんだよ。どんないい訳も許されない。そうやってオレは生きてきたんだ。オレを怒らせたばっかりに、もう40年も50年も口を聞いてもらえない連中が沢山いて近所でも有名なんだよ。とにかくそういう訳だからもう二度と畑には入るな。あんたとも口をきくことはもうないから」そう言ったきり背を向けて何も反応しなくなってしまった。「うわぁー。これは筋金入りだ…」そして初めて見た別人のような人格に衝撃を覚えた。すべては100%自分の責任でこうなったのだし、もう二度と口をきかないと決めたのならばそれは仕方ない。だが私はお兄さんに対して感謝の気持ちしかないのでそのことだけはきちんと伝えておきたい。そんな思いがこみ上げてきて「そうだ、最後に手紙を書こう」と、したためることにした。そして早速自転車の籠に入れたのである。たとえその手紙が読まれなかったとしても、これで私はやれるだけのことはやったのだからもう悔いは無いと思った。ちょっぴり淋しさは残ったが…。

翌日、朝の散歩から帰ってきてポストを開くとなんと昨日の手紙が入っているではないか!「これはどういうことなんだろう?」と想像してみたがさっぱりわからない。でも私はたとえ無視され続けたとしても畑にいるのを見かけたら必ず声をかけようと決めていた。そしてアトリエから畑を見下ろすとその姿があったので私は迷わず窓を開け「おはようございます!」と声をかけた。すると彼は何も言わずただ頭をペコッと下げたのだ。「おおぉーっ!」たったそれだけのことなのに自分でも驚くほど心揺さぶられていた。「人間て、こんなささいなことで感動するんだな。反応が返ってくるだけでこんなに嬉しいんだな」と、しみじみ自分を知る事ができた。

そしてまた次の日、アトリエの窓を開けると畑に姿があったので「おはようございまーす!」と声をかけた。すると、なんと今度は「おはよう!」と声が返ってきたのだ。とてつもない喜びに胸がジーンとして立ちすくんでいると「あのな、」「は、はいっ」「それを取れ」「それ?」「サラダ菜だよ!」「・・・・」こんな、たったひとことの言葉で、言葉では言い表せないほどの感動を味わせてもらった。私はこの貴重な体験をさせてくれたお兄さんに心から感謝した。「ありがとうございます」

そしてふと「NOBUYAはこの一部始終をただ笑って見ていたのかもしれないな。」と、そんな風にも思えたある夏の日の出来事でした。