ありがとう

我が家のオオカミ犬DONが倒れてから2ヶ月が経つが、あの頃がまるで嘘のように、かつての食いしん坊で甘えん坊のDONに今は戻っている。

DONが元気になってくれたお陰で、私もホッと一安心しやっと制作に向かう気分が戻ってきた。それにしても、歩ける、食べられる、という生きるうえで、あたりまえのように思っていたことが本当に「できる」ということが、こんなにもありがたいことなのだと毎日DONを見て感じている。そして、今日はそうでも明日は違うかもしれないということも、あたりまえのように起こりえることなのだということ。そう思うと、つくづく今に感謝して生きることの大切さを痛感するのだった。今回のことがきっかけで私はこの気持ちをもう、決して忘れまいと心に誓った。だから以前からそうではあったが、前にも増して「ありがとう」という言霊を発する機会が増えた。DONに対しては彼のすべての行いに対して、彼の生きている証に対して、常に「ありがとう」と声をかけ、同じく生かされている自分と、生かしてくれている自分の肉体に対しても「ありがとう」と声をかけ、住まわせてくれている家と、家を取り巻く環境に対しても声をかけ、掃除をする時も、料理を作る時も、絵を描く時も、生まれてくる絵に対しても「ありがとう」と声をかけ、出会う人達や去って行く人達にも声をかけ続ける。

DONは言葉を発することはないが、そんな彼とも、前にも増して魂の交流が深まっていくのを感じている。以前からテレパシーが通じることは度々実感してはいた。アトリエで制作していて「DONちょっとこっちへ来て」と心で思うと、寝ていた寝室からサッとやってくるというように。人間との間でも、こうであったら楽なのになと、昔からそう思っていた。そこに嘘は存在することができず、ただ真実のみが伝わっていくだけのシンプルな関係。私にとってはそんな世界が一番居心地がいい。それはこの世とあの世の間にもあてはまるものだと思う。先日NOBUYAの6度目の命日を迎えたが、久しぶりに彼が夢に現れてくれた。私が上りのエスカレーターに乗っていると、隣にある下りのエスカレーターからNOBUYAが下りて来た。互いにハッと気がつき、目を見つめていると彼がサッと私のエスカレーターに飛び移り、一緒に上へと登っていった。そこにあったカフェでお茶をすることになり私達は会話をすることもなく、ただ微笑み合っていた。すると彼が突然姿を消し「あぁ、もういっちゃったのかな」と思っていると、手に野の花を摘んで私に手渡してくれたのだ。ふと辺りを見渡すと、窓の外は雄大な山々の景色が連なる大自然で、どこかで見覚えのあるような不思議な懐かしさを感じた。よく彼はこうして野の花を摘んでプレゼントしてくれていたことを思い出し、とても嬉しかった。動物病院から言われるほどのDONの奇跡的な回復も、きっと彼がサポートしてくれたに違いないと、その時感じたのだった。

それから数日後に、とても幸せな気持ちになった嬉しいお知らせがメールで届いた。それは私の「MOTHER TREE」というTシャツを着て無事に出産をしました!という方からのメールだった。このTシャツが大好きで診察の時から着用して助産院へ通っていたら、助産院の方が「これはまさに出産の絵よ!」と言ってくださり、当日、妊婦さんも旦那様も助産院の方々も、みんなががこのTシャツを着て出産を迎え、大きな力を貰いましたとのことだった。旅立っていった愛するNOBUYAの「いのち」と、出会ったことのない新しくこの世界に誕生した「いのち」のことを思い、自分がいのちの誕生に少しでもお役に立てたことに感謝し、嬉しくて涙があふれた。やっぱり、私の中の宇宙は「ありがとう」という言霊で埋め尽くされているのだと思う。

ありがとう。ありがとう。ありがとう……。