9月29日金曜日、母が脳出血で入院したとの知らせをうけた。
父が朝、母の様子がおかしい事に気づき、妹に電話して彼女が駆けつけてくれたおかげで、すぐにCTを撮りに行き、結果、即、隣町にある病院へと入院になったとのこと。左脳の出血だったため、言語に支障をきたしているのであまり会話が通じないという。それを聞いて私はまず、その先週に電話で母と会話できたことが、本当によかったと思った。その日はなぜか朝から母のことが浮かんで、久しぶりにメールをしてみた。するとすぐに電話がかかってきて、声を聞くことができたのだ。いつものように互いの体を気使う親子の会話をして、いつものように「ありがとう!」と感謝の言葉を言って切った電話の、あの時の声の調子や喋り方の余韻を今でもはっきりと思い出すことができる。入院の知らせを聞いて「すぐに会いに行きたい」と思ったが、そのためには我が家のオオカミ犬DONのお世話をしてくれる人が必要になる。DONもおじいちゃんなので側で誰かに甘えていたいのだ。すると2人の友人が互いの仕事の休みを調整して、交代で我が家へ泊まり込みDONを見てくれることになり、そのお陰で母のお見舞いに駆けつけことができて、本当にありがたかった。
右側の目が見えにくいらしく、焦点も合わせずらいようだが、耳は聴こえているようだった。本人は聞かれたことにちゃんと応えているのだが、口をついて出てくる言葉が意味不明の言語になってしまうらしく、それがとてももどかしそうだった。それでも、ところどころ、たまに意味のわかる言葉を言ってくれることもあって、そんな時は意思の疎通がとれた実感があり、嬉しかった。何度も口をついて出てくるのは「大丈夫だから」という言葉。こういう時にも、気丈な母の強さと優しさを感じ「母らしいな」と思った。そして「なってしまったものはしょうがない」と何度も言っていた。「人生はなにが起こるかわからない」とも。まさに、母自身が今、一番強烈にそれを体験している真っ最中なのだ。この今の状態はとても不思議な感覚らしく「不思議だ」という言葉も多くでてくる。そんな母を目の前にしながら、私も私自身の体験としてクリーニングをし続けた。最初に会った時は、今年の年明けに会った時とはまるで別人のような母の姿を見て、やはりとてもショックだったが、毎日お見舞いに行って会う度に、今の母にだんだんと慣れてきて、自分の心にも余裕が少しでてきた。今までの人生、ノンストップでずっと動き続けてきた母だから、これは「ゆっくり休んでください」という体からのメッセージだったんじゃないかとも思った。母にもそう言ったら「そうだ。そうだ」というように頷いていた。彼女が穏やかに、回復に向かっていくことを心から願う。
母はいつもお月さんに、私の個展やアートショーが成功しますように祈っていると言っていた。私も月を見て今、未知の世界へと旅をしている母に愛を送り続けながら、毎日を感謝と祈りとともに過ごしていこうと思う。お母さん、ありがとう。愛しています。