DONの旅立ち

2023年12月21日午前1時3分、愛する我が家のオオカミ犬DONが14才8ヶ月で旅立った。

いつかはやってくるという日がついにやってきてしまった。個展I LOVE DON展VOL.2 開催中のまっただ中であり、2日後にはアートショーを控えているという時だった。でもこれがDONにとって完璧なタイミングだったのだろう。天晴れとしかいいようのない生き様だった。今年は7月、10月と二度倒れ、歩けない食べれないという状態が数日続いた後に見事に復活を遂げ、元のように歩き、食いしん坊に戻るという奇跡を起こしていたが、今回倒れた時は「もう無理しないで自分が逝きたい時に逝っていいからね」と語りかけていた。DONは精一杯生きてくれたのだ。人間だと100才になろうという高齢で、よくもこれだけ元気でいてくれたということに、ただただ感謝しかなかった。倒れる前日までは普通に坂を下りて街を散歩し、久しぶりに会った可愛い小学生の女の子に「DONはいい子だなぁー。えらいなぁー」と撫でられ満足げだった。坂を上って帰る帰り道、もう上には我が家しかないという細い山道に入るといつもリードを外して自由に登らせていたので、その日もそうしてDONがゆっくりゆっくり歩く後ろ姿を、ただじーっと見つめながら「あぁDONは本当にすごいなぁ。毎日毎日この坂道をこんなにしっかり一歩一歩自分で歩いているんだから」と、いつものように感動していたのがついさっきのことのように思える。歩く速度が本当にゆっくりになってきても、途中で歩けなくなるということは一度もなかった。それも彼の気遣いだろう。もし、そんなことがあったら当然、私は抱きかかえることもできなかったのだから…。でもDONの「歩きたい」という思いを最後まで叶えたかった。散歩が本当に大好きだったから…。倒れてから5日目で潔く去っていったことも、とてもDONらしいと思った。NOBUYAの最期の時を思い出し、彼らは似てるなとも感じた。きっと今までの奇跡の生還のたび、NOBUYAは「DON、あとちょっとだけ∀のそばにいてやってくれ」とサポートしてくれていた気がする。でも「よく頑張ったDON、おつかれさん。」と心から祝福する日が訪れたのである。

本当は個展が12月28日に終わるので、そのあと2人でゆっくり看取りの時間を過ごしたいと思っていたのだが、そうはさせてくれなかったのも実にDONらしかった。23日のアートショーの日は、家で友人に看てもらって行くしかないと思っていたが、実はとても気になっていた。でもDONはすべてわかっていたのだ。21日に逝き、22日の冬至に土へと還ったのでアートショーは全身全霊でDONの魂に捧げることができたのである。このパターンもNOBUYAと同じで驚いた。彼も札幌個展開催中に逝って、すぐに私達の故郷余市でのアートショーがあり、魂での参加となったのだ。DONも自由に味わうことができて最高に楽しかっただろう。お客様が彼のためにお花やお手紙を持参して来てくださり、まるでロックスターのようだったDON(笑)。いい声をしていて歌もうまかったし、確かに彼は芸人だった。しかも、とびきり甘えん坊将軍の。

旅立ちの9時間前、2人で家で過ごしていたら急に裏の山に行きたいというので、胴体を支え立たせてみると、前足がしっかりと前へ進み始めたので私は後ろ足を持ち上げDONが進む方向へと坂を上った。そこはマザーツリーと呼んでいる樹の下でDONはよくここに座って街を見下ろすのが好きだった。「そっか。天気もいいし、ここでピクニックしよう。外の方がダンゼン気持ちいいもんね!」と思い立ち、家から一式を持って来てそこで寝てもらった。するとすごく満足そうに笑っているのだ。「よかったー」と思い、私はそこで命の終わりをしっかりと受け止め、DONにどんなに愛しているか、感謝しているかを告げ、インディアンフルートを吹いて思いをすべて伝えることができた。DONは一度、二度、と予行練習をさせて私の覚悟がちゃんとできるように、この本番のために導いてくれたのだと思う。この山で過ごしたピクニックの3時間は、最期にDONがくれた忘れられない最高の贈り物となった。

その夜、隣で寝ていたDONの呼吸が荒くなり、ついにきたと思い「DONありがとう。愛してる。ありがとう。愛してる…」と瞳をのぞきこみながら声をかけ続けた。これはNOBUYAの時もDONの母親のnociwの時も一緒だった。だからDONの時も私が絶対そうしたいと願っていたことだったので、その夢も見事に叶えてくれたのだった。本当にこれで悔いはないと思った。人生のガイドとして沢山の経験と気づきを与えてくれたDON。人と動物がこんなにも心を通わせることができるということも教えてくれた。その夜は一緒に布団に入り寝た。すると翌朝、nociwの時もそうだったのだが、死後硬直していた体がぐにゃぐにゃに柔らかくなっていたのだ。顔を見ると牙を見せ笑っていた。解き放たれたのだと思い嬉しくなり「おめでとうDON!」と最期のハグをした。埋葬は中庭にDONが自分で掘っていた穴にすることにした。大地の再生の考えから、最も環境に早く循環させるという方法で最近動物の埋葬をしているという友人から連絡があり、もしよかったらさせて欲しいと言ってきてくれたのだ。さいごの最期までDONは本当にみんなから愛されていた。今、姿は見えないが肉体が存在していた時とまったく変わらないエネルギーが家にも外の山にも満ち満ちている。それが心地よくて相変わらずDONに話しかける日々である。

DONありがとう。永遠に愛しているよ…。