2005

 2005.12.31_>>>_ 新月

「DOG STAR」

12月中には母屋に移り住みながら家造りをしている予定だったが、注文していた薪ストーブが品切れでメーカーから届くのが異常に遅れてしまったので結局アトリエで新年を迎えることになった。でも、すべてのタイミングは偶然ではないので「まぁ家造りは焦らずゆっくりやりなさいということだね!」と解釈し、nobuyaとnociwと楽しくのんびり過ごすことにした。

大晦日。アトリエの近くに越して来た優子と猛男もやってきた。もちろん縁側ではいつものように焚き火が始まる。窓を開け放つと焚き火の暖気が部屋じゅうに広がりとても暖かい。中と外がつながっている、ここはいつだってキャンプ場だ。火の神様に一年の感謝の祈りとともにお神酒を捧げ宴が始まった。持ち寄った料理をみんなで頬ばりながら終始笑いの渦。nociwもいつもよりさらにハイテンションな人間たちを見てとても不思議そうだった。2005年から2006年になる瞬間には絵を描いて過した。最初からこれだけは心に決めていたのだ。「一番好きな事をして過ごそう」と。丁度今、オーダーを受けている絵が富士山だったので、新年を迎えるために描く絵としてはまさに打ってつけだった。本当にうまくできているものだ。しかもこの時、引力に持っていかれそうなくらい、かなりの勢いで集中して絵の中に入っていけた。すると富士山の真上からポッカリと珠のようなお日様が登り、龍が雲の姿をしてその光りを抱いて登っていったのだ…。わたしは幸せに包まれた。今がいつなのかさえもわからなくなる程に。

アトリエに吊るしてある「希望の鐘」をみんなが思い思いに鳴らし、新年が明けた。

元旦。nociwが初潮を迎えた。犬の成長は早い。nociwと暮して5ヵ月ちょっと、その間だけでも色々と教えてもらったが、これからの1年を思うと、いったいどんな学びが訪れるのかとてもわくわくする。そして今年はまた、うまい具合に戌年でもあるしnociwを見習ってたくさんたくさん成長しようと思う。合掌!


_ 2005.12.16_>>>_ 満月

「ホロケウ カムイ」

お前はあの洞窟からやってきたんだね

お前の心は恐れを知り 喜びを知っている

お前が放つ どこまでも清らかな愛に

私はすべてを捧げよう

闇の世界からあふれ出た一筋の光が

矢のように 私を貫いた時

体の中に眠る 獣の血が

静かに喜びの声を上げる


お前はあの星空からやってきたんだね

お前の心は悲しみを知り 喜びを知っている

お前が放つ どこまでも安らかな愛に

私はすべてを捧げよう

闇の世界からあふれ出た一筋の光が

矢のように 私を貫いた時

天空にたなびく 無数の星たちが

音を立ててむかってくる


_ 2005.12.02_>>>_ 新月

「kamuy mintar」

「カムイミンタラ」とはアイヌ語で神々の遊ぶ庭のこと。

アイヌの治造エカシ(おじいさん)が千葉に製作中のカムイミンタラへ行って来た。関東で暮らすアイヌが北海道の浦河で活動するアイヌ文化保存会の女性たちを招いて唄と踊りの交流会をしたのである。彼女たちを呼んだ側にEmiのおばさんに当たる「ケイコおばちゃん」がいて、呼ばれた側ののフチ(おばあさん)の代表はEmiのおばあちゃん。体の自由が効かないフチに代わって指導していたのもまたEmiのおばさんに当たる人で、その人の娘でありEmiの従兄弟になる「タエちゃん」も神戸から駆け付けてという具合にまるでEmiの親戚の集いに参加しているようだった。まずは東京駅のそばにあるアイヌ文化交流センターで翌日の本番に備えての予行練習があり、その後マイクロバスに乗って一同千葉へというスケジュール。交流センターでの練習の時、私も誘われ生徒の中に入った。アイヌの唄や踊りは、ただ見ているだけよりも参加した方が絶対に楽しい。アイヌに興味を持ち始めてその想いを胸に絵を描いてきた自分が今、こうしてたくさんのアイヌに囲まれて一緒に唄い、踊っている!そう思うと私はたまらなく嬉しくなった。練習終了後、NobuyaとnociwとAgueは後から車で来ることになったので私一人、部外者としてアイヌまみれのバスに乗り込んだ。(笑)運転手の「タクさん」とガイドの「フトシさん」とEmiの息子「カント」意外は全員メノコ(女)!しかもフチがたくさんいたので平均年令もかなり高い。東京から千葉まで3時間あまりのバスの旅。お菓子があっちから、こっちから次々と回ってきて足りなくなるとジャンケン勝負が始まった。アクアラインを走る途中「海ほたる」で30分の休憩タイム。北海道からきたフチたちは歓声をあげて各自お土産を買いに散っていった。エスカレーターを上り一番上のデッキに辿り着くと丁度、水平線に夕日が沈もうとしていた瞬間だった。晴れ上がった空が茜色に染まり美しかった。久々に出会った海に沈む夕日。あまりにもきれいだったので沈んだあともしばらく海と空を眺めていた。するとまるで自分が大きな船に乗って航海しているような不思議な気分になった。今回は貴重な旅になる予感がした。

カムイミンタラはうわさ通り凄い場所にあった。四方を山で囲まれた土地に治造エカシが自らの手で作り上げていた。全財産をはたいてこの仕事に取りかかっているのだが、お金がなくなるとバイトをしながらでも製作を続けていて、来年の夏を目標に完成させたいと思っているのだそうだ。治造エカシが全てを掛けてでもこの仕事に没頭しているのは、ここをアイヌ文化の交流の場として次世代へ繋げていこうとしているからなのだろう。中へ入ると夕食の準備がされていてテーブルの上に御馳走が運ばれてきた。みんなはお腹も減ったのでまずは御飯だと思っていたのだがフチ(Emiのお婆ちゃん)が「カムイノミをしないと座敷に上がれないよ」と一言。「カムイノミ」とは神様に捧げる祈りのことだ。明日の本番には勿論カムイノミをしようと思っていた人達も到着してすぐにやるとは考えていなかったようであわてていた。「私達が北海道からはるばるやって来たことをまず、神々に報告しなければならないからね」とフチ。アイヌにとって一番大切な神は「火の神」なので早速七輪に炭を入れ火が起こされた。塩と米と供物を供えお神酒と祈りが捧げられた。フチは「このトノト(お神酒)をここに集まっているみんなにも飲ませてあげて」と言った。「今日ここに集まって来た人達はカムイが連れて来た人達だ。アイヌであろうとなかろうとみんな親戚なのだから」と。お酒が飲めない私もこのお神酒だけは断れない。「今日ここに来れたことに感謝します。この交流会がみんなにとって実りのあるものになりますように」と心の中で祈りトノトを回すと、隣に座っていたおばさんはカムイミンタラを手伝いに沖縄から来ている人で「私も部外者でカムイノミも初めて見たけど神様に祈る気持ちは沖縄もアイヌも一緒だね」と言っていた。家の中でカムイノミを終えると次は外へ出て、ここを守ってくれている先祖や動物の霊にも同じように供物やお神酒や祈りが捧げられカムイノミが無事終了した。フチは「あーこれでやっとホッとした」といって顔をほころばせた。フチの言うことは絶対だ。お年寄りが尊敬され、その言葉でみんなが神様とひとつに繋がる世界は、なんて健康で気持ちがいいんだろう。宿泊はオノコ(男)たちがこの場所でメノコ(女)たちは徒歩7分の所に作られた民宿だった。Nobuyaたちの到着は夜中になりそうだったので私達は翌日に備え宿へ向かった。そこは趣きのある古い民家を改造して作られた宿で私達が初めてのお客だ。畳みの部屋に通されると中には囲炉裏があり庭で取れた柿とさつまいもがお茶請けに置かれていた。部屋一面に布団が敷かれ、まるで修学旅行のようだった。治造エカシの娘「マサミちゃん」と一緒にお風呂に入った。マサミちゃんは東京でアイヌの唄や踊りを学んでいるが、さっきセンターで浦河の踊りをやった時、同じ踊りでも東京でやってきたものとは随分違っていたことに感動したと言っていた。浦河のものはもっと土臭い感じがして踊りの原点のようなものを感じたと。きっとケイコおばちゃんはまさにそのことを東京にいるアイヌに感じて欲しかったのではないだろうか?とふと思った。観光客に見せるための踊りではなく生活の中から自然に生まれた命の唄や踊り。それがすべての根源であるということを。

翌日カムイミンタラへ行ってNobuyaに会うとゆうべはオノコどもで案の定、酒盛りが始まってほとんど寝てないと言う。nociwは生まれて初めて馬を見て興奮していた。nociwが興奮するから馬も興奮して、でっかい鼻の穴からブワーッと蒸気を何度も噴射させnociwに浴びせかけていた。獣と獣の関係は見ていてとてもおもしろい。みんなで朝食をとった後、いよいよ本番になった。中で数々の唄が披露されたあと外に出てで踊りが始まった。アイヌの美しい刺繍が施された着物は自然の中が良く似合う。「素敵だな」そう思って見ているとパラパラと雨が降り始め、やがて大降りになってきたので最後の踊りは中でやることになった。輪になって回る輪踊りだ。私はよっぽど羨ましそうな顔をしていたのだろう。一人のフチが回ってきた時、自分の前を指差して「さぁ。入んな!」と声を掛けてくれた。「やったぁーっ!」私は嬉しくてニコニコ笑いながら踊っていると、目の前に同じくニコニコ顔で輪に入って踊っているNobuyaがいた。何だかあんまり楽しくて永遠に回っていたいと思った。演目が終わり「タクさん」と「フトシさん」兄弟のムックリとトンコリの演奏を聴きながら昼食を取ることになった。宴もたけなわの頃、夕べお世話になった民宿で働いていた札幌出身の女性が現われて言った。「仕事サボって来ちゃったの」「あのぉーリクエストしてもいいですか?ピリカという唄を唄って欲しいんですけど」でもフトシさんはその唄を知らず「ごめんなさい。僕知らないんです」と断るとフチがすかさず後ろから「エミ唄えるべ」と一言。婆ちゃんに言われたらやるしかない。Emiが「バスガイドさんが唄うやつでいいんだよね」と言いながら、いそいそとステージに登ってきた。「あのぉーじゃぁピリカを唄います」Emiの唄が始まるやいなや一瞬にして場の空気がピーンと研ぎすまされ、みんなが唄の中へ入っていった。いつの間にか涙が勝手に流れ出していた。リクエストした女性を見ると彼女もハンカチで涙を拭いていた。一曲で去ろうとしたEmiにフチが「もう一曲聴きたいな」と言った。Emiがあと一曲だけと言って唄った唄はカモメの唄で二匹の女性のカモメの会話を唄にしたものだった。「あんたは子供をどうやって食べさせてるの?」「私は盗みをしてでも子供は食べさせていくよ」……二人の子供の母親として日々奮闘中のEmiが久々にみんなの前で聴かせてくれた唄声。後ろでムックリをひいていた「タクさん」が突然、溢れ出る涙を拭いはじめた。終わるとすぐに「タクさんが」フチに何かを告げあわただしく外へと一緒に出ていった。気になったので付いていくと夕べカムイノミをした場所で再び祈りを捧げている。「タクさん」が振り向いて言った。「今、ムックリを引いてたら左肩と右肩にそれぞれ先祖の霊が降りてきて涙が止まらなくなったんだよ。それで感謝の祈りを捧げたんだ。」この言葉を最後に私達がこの場を立ち去る時間がきた。私はEmiの本当の姿を見た気がした。唄や踊りはもともとはこうして神と人をつなぐ架け橋だったのだ。

神々が遊ぶ庭でまたひとつ大切な宝物を見つけました。


_ 2005.11.17_>>>_ 満月

「霜月」

8月に広尾の禅寺「天現寺」で行われた「縁祭り」で出会った「タケオ」と「ユウコ」がアトリエから1分のところに越して来た。聞くと何と「タケオ」はミュージシャン兼カメラマン志望のアーティストだった。母屋の隣に住んでいる友達「エイジ」もミュージシャン。nobuyaもいずれは音楽でご飯を食べて行こうとしている身。志を同じくするものたちが自然と集まってきてしまうというのも何かの縁なのだろう。おもしろいことが起こりそうな予感がする。

こんな風にすぐ近くに仲間がいていつでも気楽に会える環境は、バックパックで旅をしていた時に知り合った友達と近くのゲストハウスに何ヵ月も住みついて、気が向くとバカをやって思いきり遊んでいた頃の感覚を思い出す。長い間一緒にいるとカップル同志が大げんかをしていることもあったり、それぞれに「人間」を出してくるものだ。でも、それもあってみんなお互いを理解し合い絆を深めていってたっけ…。思わず顔がニヤけてくる懐かしいこの感じ。私達は今も旅を続けているのだ。

満月があまりにもきれいだったのでnobuyaとnociwと森へ月を見に行くことにした。近いから「タケオ」と「ユウコ」にも一応声を掛けてみると「行く行く!今、準備するから待ってて」とノリのいい答えが返ってきた。静まりかえった森の中で月は一段と輝きを増していた。木々の間から漏れる月のスポットライトが私達を青く照らし出す。美しい光。しばし4人と1匹でじーっと空を見上げていると、じわじわと月のあたたかさがここまで伝わってきた。月にも熱があるということを私達は改めて知り感動する。「月光浴だね」「うん。まさに」私は地面に座り目を閉じてその熱を全身に浴びてみた。いつの間にか心の中までがポカポカとしてきてとても幸せな時間だった。

ふと目を開けると月がニッコリと笑っていた。


_ 2005.11.02_>>>_ 新月

「u teke an pa」

友達のシルバーアーティスト「Ague」のお店で北海道は阿寒在住のアイヌの木彫りアーティスト「幸次さん」の個展が行われている。私が「Ague」や彼のパートナーでありアイヌの唄い手である「Emi」や「幸次さん」と出会ったのは4年前、2001年12月に原宿のギャラリーで「RED DATA ANIMALS」という絶滅危惧種の動物をテーマにした個展を開催していた時のことだ。ストリートから中が見えるようにドアを全開にしていたギャラリーの前をこの三人が偶然通りかかり「Emi」が絵に目を止めたのがきっかけだった。「Emi」は真直ぐに私のところへやって来て「あなたの絵にアイヌを感じるけどなぜ?」と聞いてきた。私とアイヌが出会った瞬間だった。

北海道にいた頃アイヌに関してほとんど無知だった私は東京へ出て来て逆に興味を持ち始め、アイヌを知れば知るほど彼らの文化や生活に対し深い尊敬の念を抱くようになった。やがて描く絵にも変化が起こり、アイヌ文様のようなものが現われ出した。絵のタイトルにアイヌ語を使い、自分のギャラリーの名前もアイヌ語にした。そして「このギャラリーにいつの日かアイヌが来てくれたらいいな」という夢を抱いていたのである。それまで私にはアイヌの知り合いがいなかった。「知り合いたい!」と思ってはいたが自分から探そうという気にはならず、何故か「絵を描き続けていれば必ず向こうからやって来る」という確信を持っていた。「出会うべきアイヌと私は出会う」という強い思いも。

その時、「本当に来た!」と思った。直感は正しかったのだ。しかも三人とも作品をとても気に入ってくれ、私は胸の奥が熱くなった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。三人は桜の季節に花見がてらギャラリーを訪れてくれた。ギャラリー最後の個展では「Emi」が友達に声をかけてくれ、焚き火を囲んでアイヌの唄や踊りを演じてくれた。夢のようなあの光景を目にした時、私のギャラリーはこの時のために生まれたのだということを知った。イメージが形になる証しだった。そしてあの日以来、私達はずっと家族として付き合っている。「幸次」さんは阿寒にいるので会えるのは年に一度だが、毎年その時が楽しみでならない。しかも今年は新しくなった「Ague」のお店で急きょ個展をやることにもなり、とても待ち遠しかった。

オープニングの日、店へ駆け付けると「何か個展をやってますよってわかるような看板があった方がいいかな?」という話になった。「幸次展とか?」という普通の案も出たが、彼はすかさず「いや。そういうのじゃなくて、もっと違う、ここでみんなが出会っていくという感じのものがいいな。アイヌ語でさ。」と言った。そういうのは「Emi」が得意なんだという「幸次さん」の言葉を受けてしばらく考えていた「Emi」が言った。「そうだ。手と手をつなぐっていう意味のアイヌ語があった気がする」と。「それだ!」ということになりさっそく「Emi」が婆ちゃんに電話をして確認をとった。「u teke an pa-手と手をつなぎ支えあう」看板は私が描くことになった。少しでも力になれることがたまらなく嬉しかった。描き終えると「看板持ってみんなで記念撮影だ!」と「幸次さん」が言った。自動シャッターが切れるのを待つ間、私は幸せな気持ちに包まれていた。「アイヌであろうがなかろうが、私達はみんな同じ人間。今ここに手をつなぎあえる仲間がいる。それだけで勇気を持って生きていけるんだ!」そう心がつぶやいていた。


_ 2005.10.17_>>>_ 満月

「土に還る」

精霊の滝でヒキガエルと遊んだ日々があった。私が行くことがわかっているかのようにいつも待っていてくれた滝の住人。ここでヒキガエルと出会ってから色んな場所で出会うことになる。

先日nociwと友達二人を連れて散歩に出たら、ある家の前のコンクリートの駐車場の上でヒキガエルが息も絶え絶えに口から内蔵を出し地面に張り付いていた。傍らで野良ネコが優雅に座って知らんふりをしている。nociwがこの状況にたまりかねて珍しく吠えた。友達二人も「ここで無惨な死を遂げるのはかわいそう」と泣きそうな顔をしている。「じゃあどうするのが一番いいと思う?」と聞くと「土のあるところに置いてあげるのがいいと思う。でも絶対さわれないけど」と二人。「よし。じゃあここは私がやるしかないね」と思い、カエルをゆっくりと抱き上げた。お腹の皮膚が柔らかくなり手足はだらんと垂れ下がったままで、脈はかすかになっていた。草むらに運び土の上にそっと置くとnociwが「キューン」とひとこと鳴いた。お腹に手を当ててみると、もう息をしていなかった。私達は手を合わせ祈った。この時、数年前のある体験が蘇ってきた。

夕方、自転車での帰り道。道路に車にひかれたばかりのネコが横たわっていた。私はどうしてもそのまま通り過ぎることができず、そのネコをどこか土のあるところに埋めてあげようと思い、抱きかかえ自転車カゴに乗せた。目は閉じたまま体もピクリとも動かなかったが、体温だけはわずかに残っていた。私は急いで家に帰りスコップと浄めのセージを手に取ると野原に行って土を掘った。そしてその中にネコの亡骸を横たえ土をかぶせる前に手を合わせていると、いきなりネコの目がカッと開き私を見て「ニヤーン」とひとこと言い残し再び閉じたのだった。ほんの一瞬の出来事だったが、私には「アリガトウ」と言ってくれたように聞こえた。

nociwをクローズして数日後、家の前でひよ鳥が死んでいた時もあった。目の前が川だったのでその亡骸を川原にある大きなくるみの木の下に埋めた。ネコの時と同じようにセージを焚いて川辺に咲いていた花を一輪そえて手を合わせ祈っていると、同じひよ鳥が一羽飛んできて枝に止まりさえずり始めた。それは今まで聞いたことのないような感情的な鳥のさえずりだった。その鳥はしばらくその場所を立ち去らず、ずーっとさえずり続けていた。後日、ひよ鳥はつがいで行動を共にすることを知り、あれは相棒の死を悲しんで哀悼の唄を捧げていたのだとわかった。

実はここに越してきてすぐに頭のてっぺんをハチに刺された。頭頂にはクラウンチャクラがある。普段あまりこの場所を意識することはないが、この時ばかりは意識せずにはいられなかった。まずハチが止まり、腕に注射を打たれる時のように「ハイ。刺しますよー」という間があって、初めチクッとしたと思うと次にスーッと中に入ってきて冷たいシャワーのようなものを流し込まれた。自分の仕事を終えるとハチはゆっくりと針を抜き、まるで何ごともなかったかのように去っていった。この一部始終を体験した後、急にシビレがきて激痛が頭を襲い、熱が出て首の両側のリンパがゴルフボール大に腫れ上がり三週間程仰向けに寝れないという苦しみを味わったのだが、この時変な言い方だがハチの針を通して自然と交わった気がした。それ以来自分の中で何かが変わったのは確かだ。言葉ではうまく言えないが自然と接する感覚が今までとは明らかに違うのである。

でも自然はいつも同じメッセージを伝えてきてくれている。地球に生きるものたちはみな、いずれは土へと還ってゆく。生きている私が出会う様々な経験もみな、そこに行き着くということを教えてくれているのだ。


_ 2005.10.03_>>>_ 新月

「no music no life」

相変わらず住居を製作中の今日この頃。今のところ床ができていて、まもなくトイレが完成する。次はストーブ部屋だ。そろそろ寒くなってきたので早いとこ作ってしまわなければいけない。このストーブ部屋ができたらとりあえず家に移り住めるだろう。薪ストーブにするから冬を迎える前に森へ薪集めにも行かなくちゃならないな。玄関や土間は住みながら作っていくことにして…。と、そんなこんなでもうしばらくはアトリエ暮らしの生活が続く。

引っ越してから生活の音はずっとラジオだった。ラジオを聴くのは久しぶりでとても新鮮だったが、そろそろいつも聴いていた音が恋しくなり始めていた。そんなある日、nobuyaがエアパッキンで包んだまま家に放置していたDJ回りの機材一式をアトリエに運び込んできた。家ができるまでは我慢しようと思っていたけどもう限界だと言って。私はとても嬉しかった。お陰でまた、かつてのように彼のDJプレイを聴きながら絵を描くことができるから。やっぱりこれが最高!だってライブだもんね。これ以上の贅沢な環境はないなと思う。そういう意味では私の絵はnobuyaと共に描いているともいえる。

DJはアーティストだと思う。やっていることは曲のミックスだが、同じ曲でもDJが創り出す世界の中で絶妙なタイミングで流れてきた時、その曲はまるで違った表情を見せ始め再び生き生きと輝き出す。その音の流れに身を委ねていると、一瞬にしていろんな場所へ自由自在に旅をすることができるのだ。これは意識の旅である。音もまた目に見えない世界だが確かに此処に存在し、私達の心を深く解き放ってくれる。

アトリエでは風や鳥や虫たちの声がいつも響いている。おまけに時折走るローカル線の電車の音は銀河鉄道のようで私を別な次元へと連れ去っていく。そこにnobuyaの音が重なり、渾沌とした、でもとてもおだやかな不思議な感覚を味わう。心地よい音の川の中で私は命の声を聴く。この世界に音楽があって本当によかった。


_ 2005.09.18_>>>_ 満月

「howl」

ござれ市と満月が重なったスペシャルな日。今は山の麓で毎日絵を描いてるから、月に一度のござれ市はいっぺんに多くの人と接する刺激的な日だ。今日もファンの人達が来てくれてあたたかなエネルギーをたくさんくれた。朝5時起床で炎天下の中ずっと外にいて体はたまらなく疲れてるのに精神はとても高揚しハイになっている。おまけに満月、十五夜となれば寝るのがもったいなくて庭で焚き火をした。縁側にすわって空を見上げると、まん丸お月さんがポッカリ浮かんでいる。いつにも増して格別に美しい月だ。寝ていたnociwも起き出して庭で遊び始めた。2度目のござれ市はだいぶ慣れた様子だったがそれでも疲れただろうな。付き合ってくれてありがとう。nobuyaも2週間休み無しで働いてやっとオフになったのに朝早くから起こされて1日私のために費やしてくれてほんとにありがとう。そしてござれ市に足を運んでくれたみんな、ほんとにほんとにありがとう。あなたたちのお陰で私はこうして存在することができています。感謝です。

火と月を交互に眺めていると「自分はなんて幸せ者なんだろう!」と思う。nobuyaを見ると彼も同じ気持ちのようだ。満足そうに煙りをゆっくりとくゆらせている…。そうだ今日は満月。そういえばオオカミ犬であるnociwの遠吠えをまだ聞いてないねということになり、nobuyaが遠吠えを始めた。私もそれに続いた。するとどうだろう最初はきょとんとして首を傾げていたnociwも眠っていたオオカミの血が騒いだのか「私が一番よ!」と言わんばかりの声を張り上げ抑揚をつけてみごとに遠吠えを始めたのだ。私達はなんだか嬉しくなって3人でしばらく遠吠えのハーモニーに酔いしれた。すっごく気持ちが良かった。

こういうコミュニケーションがあったっていいよね。


_ 2005.09.04_>>>_ 新月

「ミルキーウェイ」

先日、登山家の大久保由美子ファミリーとキャンプをした。由美子がだんなの「よっちゃん」と生後7ヵ月の息子「そーすけ」を連れて会いにくる予定だったのだが、できれば「そーすけ」にキャンプデビューをさせてあげたいからどこかない?ということになり、だったら私達の大好きな森でやろうということになったのだった。私達にとってはnociwを連れての記念すべき初キャンプでもある。

久々に会った由美子と「よっちゃん」は父と母の顔になっていて美しかった。「そーすけ」は愛嬌たっぷりの顔で「よっちゃん」にそっくり。最初はパッチリ二重だったらしいが、ある時を境に突然変化を遂げたらしい。二人が「坊さんぽい」という通り、すごーくリラックスした佇まいをしている。なんともかわいいやつ。

森の中の「そーすけ」は川の水の流れや、さやさやと風で揺れる葉っぱにじっと見入っていた。nociwも一日中自然の中で自由にしていられるのが嬉しいのかとてもご機嫌の様子。あっちへ行ったりこっちへ行ったりとウロウロ散策している。外に広げたプールみたいなブルーシートの上でゴロゴロしている「そーすけ」の顔をnociwがペロペロ舐めだした。nociwと「そーすけ」は同い年。誕生日も近い。一方は人間一方はオオカミ犬として同じ時期に地球に生まれてきてそれぞれに成長し、今ここで顔を突き合わせている。なんだか不思議。

「子供と犬は同じだな」と思う。抱いている時に伝わる波動が似ているのだ。彼らは話さない分多くをバイブレーションで語りかけてくる。それはとてもストレートでわかりやすい。我が家に来たばかりの頃は子供に会うとビビッてオシッコを漏らしていたnociw。たぶん得体のしれない生き物に感じていたのだろう。でもAgueとEmiの子供「りうか」と「かんと」が家に来て一晩一緒に過ごしてから、すっかり慣れてしまった。彼らは同類だと分かり安心したのかもしれない。

テントを張り終え火を起こす。大きな瞳をランランと輝かせながら食い入るように炎を見つめる「そーすけ」傍らに寝そべり目を細めるnociw。ピュアな二人(?)と一緒に焚き火を囲んで私達は幸せに包まれた。子育てでてんやわんやの由美子も仕事で多忙を極める「よっちゃん」もとてもリラックスしていた。普段はなかなか話せない心の中の深い話も火の前なら自然に出てくる。「そーすけ」の未来の幸せのために色々と想像をふくらませる二人。それは私達がnociwについて語る時と同じ。愛にあふれていた。

空を見上げると満点の星が瞬いていた。「よっちゃん」が「都会の夏は星なんて見えないからオレ、夏の星座は全然わかんないんだよなぁー」とつぶやいた。由美子が「あ、でもこれは天の川だよぉ-!」と言って指差す方向を見上げると、淡く白い光のつぶが川のように星空に横たわっている。しばらく空を見上げていた。

「人間も動物も星も結局はみんなつながっているんだなー」そう思うと心の中があたたかくなった。


_ 2005.08.20_>>>_ 満月

「藤原さん」

新しいアトリエの隣に藤原さん一家は住んでいる。ここに来てもう34年になるそうだ。3年前一家の大黒柱であるお父さんが脳硬塞で倒れてから家で静養していて、お母さんと娘さん、そして近くに住んでいる二人の息子さんとで支えあって暮らしている。藤原さん一家は本当に仲がいい。「家族ってこういうもんだよなー」としみじみ思わせる家族らしい家族だ。私達がアトリエを作っている時から「一息いれたら」と言ってお茶やお菓子を出してくれたり、越してきてからも晩御飯のおかずを持って来てくれたりする。八百屋でパートを勤めるお母さんは、帰る時分けてもらえるという野菜を私達にも分けてくれる。お陰で食いっぱぐれる心配もなく本当に感謝している。

越して来る前はマンション暮らしで、お隣さんとは廊下で会った時に挨拶を交わす程度だった。東京に出て来た頃はある意味そういうクールな人間関係を求めていた自分がいた。他人と関わることはめんどうくさいと思っていたのだ。でも月日が経ち東京で得た一番の宝物はなんだろうと思った時、それは仲間の存在で大切なのは他人との暖かな人間関係だということに少しずつ気付き始めた。自分が暮らす同じ環境にいるお隣さんとは、他人であっても何だか家族のような気持ちになってくるということが実はごく自然なことだったのだ。そのことを、ただ当たり前に生きている藤原さんが教えてくれた。今までよりも田舎へ来てみて改めて知った感覚だった。お隣さんの元気な顔を見ると、こっちまで元気になってくる。それってとっても気持ちがいい。

思えば子供の頃、泥だらけになって遊び回っていた家の界隈にはたくさんの藤原さんがいた。勝手に家に上がり込んでおやつをパクパク食べてはまた飛び出して行ってたっけ…。ここにいるとその頃の懐かしい記憶が蘇ってくる。「お父さんお母さん」はたくさんいたっていい。この感覚こそ未来へ受け継いでいきたいものだなぁと思う今日この頃です。


_ 2005.08.05_>>>_ 新月

「nociw」

引っ越しがやっと終わった。が、家はまだ完全に出来てないので、とりあえずアトリエに暮らしながら住居を作っていくことにする。オオカミ犬「nociw」も来た。家族が一人増えたことで今までの生活とはガラリと変わり、より私達らしい生活ができるようになった。この出会いに感謝の気持ちでいっぱいだ。

毎日「nociw」と森へ散歩に出かける。早起きをして朝食を取らずにまずは森の中へ。最高に楽しい時間を味わう。今までnobuyaと二人で入っていた森だが「nociw」が加わったことで自然がまた別の顔を見せ始めた。そこには新しい世界が広がっている。

八月からやっと製作も再開できる状態になったので、森で感覚を研ぎ澄ませながら絵に集中していきたいと思う。落ち着いたら私達が長年インスピレーションを貰い続けてきた「あの森」に「nociw」を連れて行こう。

その日を想うと胸がドキドキする。


_ 2005.07.21_>>>_ 満月

「ドゴンの宇宙」

「ユネスコ世界遺産に登録されているバンディアガラの断崖に住むドゴン族。彼らは80種類もの仮面とそれを守る秘技や葬送儀礼によって宇宙の始まりにまつわる伝説や超自然的な世界観を伝承している…。」公演のパンフレットにはこう記されていた。

幸運なことに彼らの聖なる儀式である葬送儀礼と仮面舞踏を観る機会を得た。一緒に居合わせた仲間は8人。(最近8を目にすることが異常に多い。)始まる前にロビーに展示してあった仮面に釘付けになる。私は何故か子供の頃から仮面というものに強く惹かれ続けていた…。ドキドキしながら席に着く。静まりかえった舞台がアフリカの大地に変わっていった…。

精霊があらわれた。ドラムの鼓動。生命のダンス。 ドキドキは止まらない…。

いつの間にか舞台の上の彼らと客席にいる自分との間の境界が消え、共にひとつの時間を生きていることに気づいた。「何なのだろう…この懐かしさは。この胸の熱くなる感覚は…。」そう思い感じていると、まるで一瞬の出来事のように一時間半が過ぎ去っていた。しばらく自分が何処にいるのかがわからなくなった。そして一週間たった今でもあの時の感覚は残ったままだ。ドゴンが私の中の何かを呼び覚ましてしまったようだ。

今でも彼らは此処にいる。ドゴンを想うだけで、いつでもすぐに神話の世界へと入って行けるのだ。


_ 2005.07.06_>>>_ 新月

「ソウルメイト」

先日青山にあるギャラリー「共存」のウィンドウを仲間とともに飾ってきた。
今月18日までの展示である。

「bunsui」の花と「MARK」のクリスタルと私の絵。三人で一緒にやるのは今回が初めてのこと。この機会が与えられたこがとにかく嬉しい。「MARK」とは「nociw」が終わろうとしている頃に何故だか急に仲良くなり、気がつくと「nociw」のストーンサークルを森へ還すための儀式に参列してもらっていた。その後、私のホームページを作り続けてくれているwebマスターであり、これから私のマネージメントも引き受けてくれようとしているプロデューサーでもあり、彼自身クリスタルとともに地球を歩く旅人でもある。

「bunsui」とは10年来の友人。彼もまた花とともに生きてきた旅人であり、花と向き合っている時の真摯な姿勢にはいつも心打たれてきた。私が絵を描く上でも多大な影響を与えてくれた人でもある。そんな彼ともコラボレーションは本当に久しぶりのこと。この5年くらい私はずっと絵に集中してきて、仲間たちとゆっくり会う機会も以前よりは少なくなっていた。でも自分がこうして絵を描いていられるのは彼らのお陰であり、彼らに対する感謝の気持ちは薄れるどころか絵を描くたびに増々強くなっていく毎日なのだ。会えなくてもこの気持ちは絶対に伝わっていると私は信じてきた。そんな中、縁あって出会った「共存」の夏代と「MARK」の粋な計らいでこのコラボレーションは実現した。ディスプレイは終止笑顔の中スムーズに終わった。みな声を揃え「いいね。」の一言。これも信頼し、認め合っているからこそできる仕事だ。

私達人間は何かしら表現をしながら毎日を生きている。歩くことも、食べることも、話すことも、すべてが表現。生活そのものがアートであり、私達はみなアーティストなのだ。そして自分の心もアート。心の中の平和。仲間との信頼という平和。私は本当に素晴らしい仲間たちに囲まれて生かされている。そのことに感謝せずにはいられない。

帰り道。素材で余った笹竹を担いで三人で代々木公園を歩いた。森の木漏れ日とほんのり香る笹竹と仲間の笑い声。会っていない日々など関係ない。今、一緒に歩いているということに、ただただ幸せを感じている自分がいた。


_ 2005.06.22_>>>_ 満月

「ホタルのダンス」

引っ越しが決まった。

8月から住むために今、準備の真っ只中である。アトリエと家の2軒借りることになったのだが、どちらもボロ屋なので、家賃を安くして貰う代わりに改装はすべて自分たちでやることになった。でもあまりにもボロすぎて改装の前にまず解体をしなくてはならないハメに…(笑)。

いざやってみてほとほと思い知らされた。想像以上に大変なのだ。 反面「家ってこういう構造をしてるのかー。」と勉強になることもたくさんある。改めて「大工さんは凄い!」そう思った。それに大変だけど自分たちの住む家を自分たちで作るというのはとっても楽しいしクリエイティブな仕事だ。解体で出た床板や天井などの木材は大家さんの許可を得て家の前で少しずつ焚き火をしながら燃やせることになった。実はその焚き火の時間がたまらなく楽しい。やらなきゃいけないことがたくさんあって「あぁーどーしよー。」と思っていても、どんなに作業で疲れていても、火を見るとたちまち元気になってしまうから不思議だ。家の隣には既に友達が住んでいるので一緒に火を囲みながら笑い合う贅沢なひとときを過ごす。一日の終わりに火のある暮らしはいい。

夏至の日。

友達がアトリエのペンキ塗りを手伝いに来てくれた。一人で塗るのと四人で塗るのとじゃあ大違いで一日でほとんど塗り上がり、部屋も見違えるほど明るくなった。本当にありがたい。持つべきものはやっぱり友達!日が沈みいつものように廃材燃やしの焚き火が始まった。みんながそれぞれに火を味わっていた。笑い声がたえない。ふと家の横を流れる川に目をやると点滅する小さな光が見えた。ホタルだ。「わぁーホタルなんて何年ぶりだろう?」「オレもーっ!」と盛り上がり、散歩しながらもっと森の中へ行ってみよう!ということになった。歩いていくとだんだん人の灯が消えていき本当の夜の世界が訪れた。光がひとつ、ふたつと見え始めた。こっちに向かって飛んできて明らかにサインを送ってくるものもいる。本当に神秘的な光。川辺にしゃがみ込みじっと目を凝らしていると、今まで暗闇だと思っていた葉っぱに止まっていたホタルが、あっちもこっちも一斉にひかり始めた。「きっと心を静かにすれば見ることができるんだね。」とみんなで納得。視線を道に戻すと両側からひとつずつこちらに向かってくる光が見えた。だんだん接近してくるふたつの光を固唾を飲んで見守っていると…。何とふたつは出会い、挨拶を交わした。その後くっついたり離れたりしながらふたつの光は踊りだし、上に行ったり下に行ったり、旋回したり、どう見ても楽しく遊んでいる様子。そう思っているとふたつがひとつに重なりあったまま静止した光になった。「わぁーっ。ひとつになっちゃったよーっ!」と歓声が上がる。私達はまるで森からホタルのショーに招かれた客人のようだった。たまらなく嬉しかった。宮沢賢治の物語のように美しすぎて涙がこぼれた。しばしの包容のあとふたつの光はまたひとつの光となり別々の道へと飛んで行った。片方をずっと目で追っていくとその光はどんどん上へと登っていき木々の間から漏れる月光とひとつになってやがて空へと溶けていった。

忙しい日常の中に訪れた宝石のような時間。いつまでも心に残る夏の輝きです。


_ 2005.06.07_>>>_新月

記憶への旅

私は昔 風でした
海であり 山であり
花であったこともあります

私は昔 蝶でした
鳥であり 蛇であり
魚であったこともあります

私は昔 あなたでした
母であり父であり
兄妹であったこともあります

私は今 あなたといます
喜びや悲しみを分かち合うために
ふたたびこうしてやってきました

何のためらいもなく
何の迷いもなく

あなたに愛を注ぐために
私はここにいるのです

さぁ 魂の話をしましょう


_ 2005.05.24_>>>_満月

魔法がとけて

2月のkunne poruの個展で新潟に行ってイベントをやった際、被災地の川口町の峠にあるゴンペのじいちゃんこと星野寅吉さんと京子さんの住まいを訪れた。自分達の暮らしていた家は全壊したが側にあった倉庫は半壊ですんだので、そこを新たな住居としてじいちゃんが少しずつ修理しながら2人で暮らしていた。その時、京子さんが言った「今は雪で全てが魔法で覆われているけど魔法がとけると緑豊かな宝の山に変わるからその頃にまたおいで。」と。その言葉通り私は再びこの峠を訪れた。この夢が叶ったのは2月にここへ連れてきてくれたイベントの世話役でもあった康宏のお陰だ。康宏が東京で行われたcandle JUNEのイベントで新潟のイベントに参加してくれたアーティスト1人1人に会ってお礼を言いたいといって上京して来た時、彼女の恭子を連れて我が家にも滞在した。その時私が「魔法がとけたあの峠で山菜採りをしてみたいなぁー。」とつぶやいた思いを実現させてくれたのだ。

彼の亡き祖父石松さんと寅吉さんは大の親友だったらしい。石松さん亡きあとも家族ぐるみのつき合いは変わらないという。今回は康宏と恭子そして康宏の姉ちゃんの由香と峠へ泊まりに行くことになった。3ヶ月ぶりに訪れた峠はとても懐かしかった。2月に来た時はまだ床も傾いていたがそれもきれいに直され部屋も片づいていた。今、峠の村には2軒しか人が住んでいない。昔はもっと住んでいたそうだ。学校も廃校になった。深刻な過疎化が進んでいるのである。そこに追い打ちをかけるように震災があった。そして例年にない大雪。魔法がとけた山は所々崩れ落ちたくさんの傷跡を残していた。それでも山は新緑に沸き、みずみずしかった。京子さんに連れられて山に出掛けた。ウド、フキノトウ、木の芽、ワラビ、ゼンマイを夢中になって採った。私はすっかりハマってしまった。山菜採りがこんなに楽しいものだとは知らなかった。遙か彼方に越後連峰の雪をかぶった荘厳な姿が見渡せる。ため息がでるほど美しい。うっそうと緑が茂る深い谷はナウシカがいそうな場所だ。

夜、外で月を見ながら宴が始まった。ゴンペの次男坊の勝治さんも横浜から1ヶ月の休暇を取り震災で崩れた田んぼの再生を手伝いに来ていた。峠下に住む長男や康宏の父さんや兄ちゃんもこの峠で畑を復活させるために働いていた。かれらも集まってみんなで昼間に採ってきた山菜の天ぷらに舌鼓を打ちながら語り合った。カエルの合唱と沢を流れる水の音に包まれて私は夢心地だった。宴も終わりみんなが家の中に入ったあと、私は1人インディアンフルートを吹きながら村を散歩してみた。この村に住む2軒の家というのはここゴンペとすぐ裏にある家だったのでちょっと歩けばもうそこは人の気配がなく自然の気配があるばかりだった。幾つもの壊れた家屋が静かに何かを語りかけているようだった。カエルの合唱とフルートでジャムセッションをした。私は何だか楽しくなってフルートを吹きながらどんどんどんどん夜道を歩いて行った。気づくと、この村に捧げる気持ちで吹いている自分がいた。下手くそな私のフルートに木々たちは優しくそっと耳を傾けてくれているようだった。そう感じたとたん自然に涙が流れてきた。空を見上げるとお月さんが笑っていた。

あくる日、峠の見晴らしのいい丘に登ってじっと朝日が昇るのを待った。由香と恭子と一緒に。二人とも震災のあと精神的にダメージを受け本当に辛く苦しい思いを経験していた。朝日が登ってきた。3人とも思わず「ワァーッ。」と声を上げていた。その光は美しくて暖かかった。私はこの時間を共有できたことが嬉しかった。由香が言った。「私、この感動を忘れていたかもしれない。毎日楽しく明るく生きることが一番大切だって太陽が言ってる気がする。」と。私達は無言のまましばらくこの恩恵に浸っていた。家に戻ってから京子さんと次男の勝治さんと全壊したという家の跡地を見に行った。京子さんは言った。「長い長い冬の魔法がとけるのを心待ちにしていた反面、再び現実を見せられた時、自分がどういう気持ちになるか正直言って怖かったのよぉ。思い出の染みついた我が家がバラバラになっているのを見てまた深い悲しみがこみ上げてくるんじゃないかって。」と。確かにこの場所に立った時、あぁやっぱりこれが現実なんだと落胆したが、見上げるとずっと家を見守り続けてきた梨の老木が斜めに傾きながらも倒れずに立って、いつものように白いきれいな花を咲かせているのを見た時、心から癒されたという。.「あぁ、これが癒しっていうんだなぁって思った。木もこうして頑張ってるんだ。私も頑張ろうってそう思えたんだよ。この峠で生まれ育って畑をやりながら山とともに生きてきた。他の世界のことは知らんけど山のことなら何でも知っている。ここで生きてることに本当に感謝したんだぁ…。」勝治さんがホウの木の枝と葉で作った風車を見せに来た。「ねぇこれ知ってる?今、家の跡地で古い鎌を見つけたんで作ってみたんだ。子供の頃こんなことをいつもやってたっけ…。」自然からできたその風車は風を受けてクルクル回っていた。「すっごい素敵!!」私は興奮してその風車を手に家に走ってみんなに見せた。すると由香が「ねぇ。私が軽トラ運転するから∀KIKOさん風車を持って荷台に立ってみなよ。」と言った。荷台に立ち左手でしっかり車につかまり右手に風車を持つ。こんなの初めての経験だ。軽トラが朝日に向かって峠を走る。風車はビュンビュン回り私は「ウワァァァーッ!」と叫びながら全身で風を感じた。快感で頭が変になりそうだった。峠で遊んだ子供達のとっておきの遊びだったんだろうな。「オラたちが子供ん時のかくれんぼはこの村を出ちゃ駄目という決まりがあるだけでどこに隠れてもよかったんだ」と勝治さん。遊び場が広いのだ。今はこの村に子供達の姿はない。朝食のためにみんなで餅つきをした。江戸時代以前から使われている臼と杵で餅つきが始まった。そこら中に生えているヨモギを採って潰して草餅にした。つきたての餅はほっぺたが落ちそうなほど美味かった。

私は「こんなに楽しくていいのかな?」と思うくらい春の山を満喫した。京子さんに聴いた話ではゴンペのじいちゃんはこのところずっと機嫌が悪かったそうだ。毎日毎日崩れた畑を再生させるために朝から晩まで休みなしで働いても働いても仕事は終わらない…。でも今回のようなひととき、ひと気のない峠に若い連中が集まってみんなで食って笑う。ただそれだけのことで随分元気になったと言っていたそうだ。私も言葉にできないほどたくさんのパワーを人と自然から貰った。通り過ぎるだけではわからないこと。少しだけどその土地に関わることで見えてきたもの。今回の旅で出会った全ての人に共通するものがあった。美しい瞳の輝き。シャイでとても優しいこと。そのことはこの自然と震災に無関係ではないだろう。帰り際、由香から短い手紙を渡された。「∀KIKOさんと出会えたような意味ある偶然を見逃さないように人との出会いを大切にしていきたいと思います。私、太陽のような人になりたい。笑顔の絶えない生活が私の夢。あの時見た朝日が教えてくれました。震災、大雪という試練の後に神様が私達に与えてくれたごほうびに違いないと思います。お金では買えない大切な時間を本当にありがとう。…」

みんなへ。「こちらこそありがとう。また帰るね。」

新潟に新しい家族が増えた春です。


_ 2005.05.08_>>>_新月

風のささやき

「イアー・コーニング」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

火のついた筒状のイアー・コーン(蜜蝋やハーブが成分)を耳に差し込み耳の中を真空状態にさせ耳孔や鼻孔に滞っている老廃物や毒素を吸い出すという古代から伝わるパワフルなヒーリング法だ。友人に勧められて私はその外なる耳(身体的な耳)と内なる耳(霊的な耳)の両方の耳の機能を向上させるという「イアー・コーニング」を初めて体験することになった…。

ネイティブ・ピープルの世界ではすべては「聴くこと」から始まるという。第3の耳で聴くことから…。彼らに残されていた世界を聴く方法に「風をひらく」という言葉があることを知った。それは世界を認識するため、自然を理解するために最も大切なものとされていた。まず自分のすぐ身の回りにある音に耳をすまし、そして少しずつその半径を外へ外へと広げていけばその音の多様さはやがて地球の音となって聴こえてくる。

風は太古の昔から地球の記憶を宿しながら休むことなく吹き続けている。

人間は子宮の中で受胎した瞬間から細胞すべてで外界のバイブレーションを感受しているそうだ。全身が耳の状態からスタートしているともいえる。そして生まれた瞬間が聴覚のピークでもあるといわれている。新生児が生まれた瞬間に獲得したままの「原始耳」を私達が蘇らせることができたら世界が宙返りするくらいの驚きを耳にするという。自然の中にこれまで聞こえなかった音が聞こえてくるのかもしれない。太陽と月が交わる音。星雲が運動する音。母なる地球の呼吸する音…。大人になり新生児の時ほどの敏感さはなくても生命体であるこの体は命を宿した時から全身で感じていた音のバイブレーションをすべて記憶しているのだ。私達はただその記憶を呼び起こすだけでいいのかもしれない…。

耳に心地良い熱を残したままイアー・コーニングが終わった。右と左それぞれの耳から取り出した老廃物をコーンを割って見せられた。右耳から特におおくの老廃物が出ていた。これは右耳に溜った滞ったエネルギーの固まりだそうだ。人間の耳には聴きたくないことや音に対してカーテンをかける仕組みがあるという。これまでの経験で受けたストレスやトラウマから身を守るため、自己に都合の悪い音声を遮断する特殊な機能だ。(自閉症もこの仕組みから起こると言われている。)私の場合、右耳に老廃物が溜り詰まった状態(自覚症状はまったくなかったが。)にあった。右の耳は左の脳と繋がっていて左脳は現実的な問題を処理するための器官だからその伝達能力がちょっとトロイということかもしれない。(これは実際いえてるかも。)耳にはダイナモ(発電機)のような働きがあり、脳が必要とするエネルギーの大部分(90%)は聴覚器官のエネルギー発生作用からきているという。つまり何を聴いて生きるかが脳や心に多大に影響を及ぼしているということだ。私たちの驚異的な耳のシステムは聴こえてくる音を聴かないこともできれば、聴こえない音を聴くこともできるのだ。耳って本当に凄い!

私はいつでもそっと語りかけてくる風のささやきに心の耳を傾けることができる人間でありたいと思う。


_ 2005.04.24_>>>_満月

三つのセレモニー

この半月の間にどういうわけか立て続けに儀式に参加する機会に恵まれた。

一つ目はアイヌのカムイノミ。

友達のシルバークラフトマンAgueの新しいお店の開店を祝って行われた。カムイノミとは神への祈り。お店の中に火を焚く代わりに火鉢を置いて、アイヌ料理店「レラ・チセ」の店主ひろしさんが祝詞のような節を付けた咽唄を唄い「アイヌの治造」の著者である治造エカシ(翁)が祈りを込めながらトノト(酒)や米や塩を火の神へ捧げていく。火を囲んで最前列に座るのはオノコ(男)たち。そのオノコたちにトノトを注ぐという重大な役をNOBUYAが仰せ使った。この役は人でなく神でない天使のようなものだという。メノコ(女)たちはオノコの後ろでじっと式の次第を見守るのだがトノトを注ぐNOBUYAの手が震えているのが分かり、私も久々にただならぬ緊張感を味わった。トノトを作るのはメノコの仕事でAgueの妻であるEmiが3日前に仕込んでこの日に完成したものだ。麹と米を発酵させたドブロクのようなもので、祝い酒と思い少しだけ飲ませて貰ったが(私は酒が飲めない。)ヨーグルトドリンクのようにフルーティーでとてもおいしい口当たりだった。が、しかしこれは飲み過ぎると後で大変なことになるという代物だとか…。Agueのお店の発展、家族の幸せ、先祖への感謝。一言一言に祈りを込めてトノトを火の神に捧げる度、場がどんどん清まっていくのが分かり何とも気持ちの良いすがすがしさを味わった。祈りの言葉に力が宿り空間を清浄な器に変えていた。(NOBUYAはこの時、完全にイッテしまっていたらしい…。)最後に神聖な柳の木を削って作ったイナウ(お札のようなもの)を部屋の角々に祭り儀式は無事終了した。AgueもEmiもとても晴れ晴れとしたいい顔をしていた。私達にとっても本当に貴重な体験だった。こんな大切なカムイノミに参加させてくれた二人に感謝する。

二つ目は仏式の結婚式。

友達の竜也と佳世の門出の日。仏式だったのは新郎竜也が坊主だったからだが、今までお寺では御葬式にしか参列したことがなかったので、お寺で行われるめでたい式というものがいったいどういうものなのか興味津々だった。桜吹雪の舞う庭から坊主姿の新郎と白無垢姿の新婦が厳かにお寺に入って来た時、ふと黒沢明監督の「夢」を思い出した。簫の音がお堂に響き渡り、お香のかおりが身体に染み入る。寿の波が押し寄せる…。この日初めて三三九度の盃というものが序々に大きくなっているという事を発見しなぜかとても嬉しかった。祝いの言葉としてのお坊さんのお話は命についてのものだった。私達の今在るこの命は父と母から貰ったもので、その父と母の命もそれぞれの父と母から貰ったもので、その父と母もまた…というように連綿と続く命の繋がりとその尊さについてのお話はまさに結婚の儀にふさわしい話だと感動した。たくさん集まっていたお坊さんたちの後に続いて参加者も一緒にくり返し唱えさせて貰ったお経はまるでトランスのように心地良かった。最後に「吉祥。吉祥。大吉祥。」というめでたい言葉で締めくくられた結婚式は、淡々とした中にもこれから始まる二人のそして私達の新たな一歩という地についた重みが心に残る本当に美しい儀式だった。

三つ目は神道の祭りの儀式。

知人が神主を務める富士山麓で行われた春の祭り。今年は山の神で知られる大山祗神の七年に一度の大祭だった。大山祗神は富士山の祭神コノハナサクヤ姫の父神であり山の神の総元締的な存在に当たる非常に荒々しい神とされる。元々山は古来日本においても祖霊が棲む場所であり、水の神、狩猟を司る神、焼き畑を司る神、金属を司る神、樹木を支配する神、また火山なら火の神が棲む聖地であった。これらあらゆる神々、精霊を総称して山の神というのであるが山の神はありとあらゆるものを生み出す産霊(むすび)の神様でもあるということで、生死をも左右する大変な呪力を持っているとされ昔から人間の生活に深く関わってきた。いわゆる自然を恐れ敬うアニミズムの信仰である。祭では部屋の中、祭壇の前にこの儀式のために切り2年間土中に寝かせたヒノキのご神木が立てられ、その木を寄り代として神主が石笛を吹き神を降ろし祝詞を上げ、お供え物を上げ、この世界の幸せを祈り奉り、舞いと唄を奉納し、再び神の国へ還って貰うという儀式が行われた。部屋が立ちどころに浄化されていく心地良さを味わう。参加してみてやっぱり前から感じていたアイヌのカムイノミとの多くの共通点を思った。いや神であれ仏であれこの自然界の不思議さ美しさを讃える祈りの心は世界中みな同じなのだということをつくづく感じ、そう思うとやはり一番に今自分が生かされているということにただただ感謝の気持ちが込み上げてきた。立て続けに儀式に参加することになったのも、きっと全ての宗教が持つ最も大切な部分はひとつに繋がっているんだということを再認識するためだったのではないかと今改めて思っている。

ありがとう。


_ 2005.04.09_>>>_新月

出会うべくして出会う。

最近親しくしている夫婦にかつさんとちえさんがいる。彼らとはまだ3回しか会っていない。でも一緒にいるとずーっと昔からの知り合いのような家族のような安心感を覚える二人だ。

初めて会ったのが2月2日の個展「kunne poru」の初日。
この日、友達である冒険家の石川直樹が昼間に来ていて「あ、そういえば僕の友人もこの個展に来たがっていたのであとでやって来ると思いますよ。」と言って帰っていった。その友人というのが彼らだった。でも二人が「kunne poru」に来たきっかけは直樹から聞いたからではなくある日ちえさんが眠れない夜に、これまた私の友達である登山家の大久保由美子のホームページをなんとなく覗いてみたらそこに「kunne poru」の紹介記事が出ていてそのフライヤーに描いてあった私の絵を見て直感で「この個展に行かなきゃ。」と思い、初日に訪れるということになったのだそうだ。夜7時くらいに来て閉館の9時まで熱心に作品を見ていた二人。NOBUYAが「なんかこの部屋焚き火臭くない?」と言って入ってきた。するとかつさんが「あ、それ僕らかな。」と言う。近ずいて匂いを嗅ぐと確かにかぐわしい焚き火の匂いがする。私もNOBUYAも大好きな香り。そこでいきなり意気投合して話しを聞いてみると二人は陣馬山の麓の山小屋のようなところに住んでいるという。陣馬山と聞いてハッとする。それは私達が今年の正月に初めて登った山だった…。

ここ10年くらいの間ずっと通っていた森の近くのキャンプ場で過ごすのが私達の正月の恒例行事だったのだが今年はオーナーが突然の事故で入院してしまいキャンプ場が閉鎖となりいつもとは違う流れになって、じゃあ今年はどうしようか?となった時に、なぜだかわからないけど「陣馬山に登って初日の出を拝もう!」ということになったのである。そんないきさつがあったから陣馬山と聞いた瞬間に「あぁきっとこの出会いは私達にとって今年の鍵になるかもしれない。」と直感した。それに二人はカナダから連れ帰ってきたオオカミ犬2匹と暮らしていた。これもなぜかわからないが去年の暮れあたりから「オオカミを描きたい!」と無償に思い始めていた自分がいたのである。その日は「この個展の波が去って落ち着いたら必ず二人の所に遊びに行くからね!」と約束して堅いハグを交わし別れた。個展の初日からこんな運命的な出会いでスタートできたことが本当に嬉しく幸せだった。

そのあと札幌・新潟のツアーを終え東京に戻ってくるとちえさんからのメールに嬉しい知らせが入っていた。ふたりのパートナーであるオオカミ犬ラフカイとウルフィーの間に5匹の子供が誕生したというのだ。しかもその内の1匹の真っ黒な子犬のお腹に私のマークである∀の文字が白く浮き出ているというのである!!そして二人はこの子は私とNOBUYAのもとへ行くような気がしてならないというのだ…。会いに行くとその子を二人は∀KIKOさんと呼んでいた!(そのあと私がやっていたギャラリーnociwの意味がアイヌ語で星だという話しをするとかつさんがじゃあこの子の名はnociwだと宣言する。)「ほっ欲しい!!」家に帰ってNOBUYAと二人でたまらなく可愛いかったねと話し合う。でも今住んでる家はペット禁止でその夢は叶わない…。だったらこのタイミングを機に前から願っていた自然に囲まれた一軒家の暮らしを始めようではないか!と一気にそこまで盛り上がってしまった私達は昨日二人の家からほど近い空家を下見に行ってきた。凄く気に入ったのだがなんと先客がいてキャンセル待ち。でも大丈夫。何ごともイメージすることが一番大切だから…。今年秋には石川直樹とのコラボレーション展が決定している。そのための絵をあの地で描いている自分と傍らにいるnociw、音作りに励むNOBUYAを想像し今二人でにやにやしている。楽しみだなー。うふふ…。


_ 2005.03.26_>>>_満月

友達の家へ行き近所の白山神社へお参りに行った。夕日がきれいで友達の子供と草原を駆け回って遊んだ。夕食をご馳走になった後、生まれて初めてタロットをやってもらった。友達が13才の時に贈られたものらしくエジプト風の絵が施された美しいカードだった。ずっと愛用してきたらしいが3年前に突然姿をくらまし、いくら探しても見つからなかったのがつい最近息子の誕生日が近づいた頃、急に姿を現し彼の誕生日に久々にカードを切り今日は復活してから2度目の出番を迎えた日だった。

カードが話した言葉は私の潜在意識がもっと変わりたいと痛切に思っているというものだった。周りの色んなものに執着していて本当の自分をまだ発揮していないと…。実はツアーから帰ってきてからも色々とバタバタとしていてここ2ヵ月間絵筆を握っていなかったことが無性に悲しくなったりしていたのだが、考えてみればその状況はとてもありがたいことで感謝すべきことだっだ。そんなことでくよくよしてる場合ではなく、もっと自分のキャパを広げるべきなんだよなーと気づかされた。周りではなく自分を変えていくということ…。kunne poruが先日3.21のアフターパーティーで本当の意味で終了し、いよいよ次へ行く時が来た。

家に帰ってみると友人から郵便が届いていて中に一枚の写真が入っていた。部屋の中を撮った写真。空中に白い玉が浮かんでいてその玉の中に私の描くサークルと胎児の絵が写ってるから見てみて!!とのこと…。

写真を見て本当にびっくりした。すごく不思議だった。不思議なんだけど普通でとてもいい感覚になった。

ベランダに出て優しく光る女神のような満月を見ながら「自分自身を解き放とう…」そう思った。

ありがとう…。


_ 2005.03.10_>>>_新月

2005年2月2日東京から始まったEXHIBITION「kunne poru」

新たな旅立ちの意味を込めて「kunne poru ARPA」とし、新潟・札幌をcandleJUNEとともに旅をした。東京展の真っ黒な洞窟の世界から真っ白な雪の世界へ。札幌のオープニングパーティーではNOBUYAがDJをやる中、妹夫婦や従兄弟、高校の同級生。札幌にいる仲間やスタッフとして同行してきた東京の仲間と自分にとってはこれ以上ないというくらい心踊る顔ぶれに、夢かと思うほど幸せ一杯の気分になった。何よりも東京以外で初めて自分の作品を発表できる地が故郷である北海道でできたことは本当に嬉しかったし、私にとってもNOBUYAにとっても感慨深いものがあった。後日、初めて私の個展に来てくれた母と叔母に自分が命をかけているものを形として少しでも感じて貰えたことに心から感謝した。

オープニングパーティーではyogajayaのパトリックによるデモンストレーションがあった。東京からYOGAを携えて飛んできたのだ。JUNEのキャンドルのサークルの中でYOGAをするパトリックを見守る人々と音と空間がひとつのエネルギーとなって、とても平和な時間が流れていった。私はDJブースのNOBUYAの隣でちょっぴり俯瞰からこの光景を見つめていたが、パトリックのピュアなバイブレーションがまっすぐに心に届いて涙があふれてきた。私もNOBUYAも今はまだYOGAをほんのちょっとかじっている程度でしかないが、本当の平和とは人間の内側からやって来るものだと思っているし、その上でYOGAは大きなきっかけを与えてくれるものだということを改めて感じることができた。あの時あの場所ですべてがひとつになった光景は、未来への可能性という強烈にポジティブな思いとともに私は決して忘れないだろう。

新潟では被災地の2つのお宅を訪問させて貰えたことが今でもずっと印象に残っている。ひとつは半壊しかけた家を修理しながらも山に暮らす老夫婦。もうひとつは市で用意された仮設住宅に暮らす家族。同じ経験を持つ人たちでも暮らす環境によって精神的な影響が異なっていた。両者とも最も大切だと言っていたのは「水」。あたりまえのことかもしれないが、私達は水によって生かされているんだということを改めて思い知る。そして何よりも嬉しいと言っていたことは、人とのコミュニケーション。日本各地からボランティアの方々が手伝いに来てくれるそうだが、人の「心」という贈り物がやはり一番人の「心」に響くのだと思った。話をすることで落ち込みそうになる気分が紛れ楽になるそうだ。仮設住宅のおばあちゃんは「こういうことでもなかったら出会わなかったであろうよそから来た人たちとこうして出会えたことに感謝している。別れる時はそれはそれは淋しいものだよ。」と言って泣いた。山のおばあちゃんは「今は雪で山がすっぽりと覆われているが、これは魔法がかかっているんだ。暖かくなってこの魔法が溶けたら、ここは山菜や茸、花や鳥や動物達、たくさんの命が輝く本当に美しい宝の山よ。あんた達にも是非その頃また訪れてもらいたいね。」と言って笑った。

私はこの地で「生きる」とは何なのか?という原初の問いを投げかけられたような気がした。

「私にとって生きることは描くこと。」答えがまっすぐに心の内側から返ってきた。

この旅で本当に多くの人の心に触れた。「こんなにいい人がいるんだ。」というくらい皆優しかった。札幌で力を尽くしてくれたOchoのテラくんとアイリ。会場となったSOSO CAFEのアヤさんとオオグチさん。大好きになったパトリック。新潟で尽力してくれたSnugProtectionの湊くんとさとみちゃん。被災地でのイベントや訪問に力を貸してくれたヤスくんとアキラくん。新潟のプラハと被災地で素晴らしく感動的な歌声を聴かせてくれたタイジくんとYaeちゃん。(雪の中キャンドルの灯りに照らされ歌う姿は寒さを忘れるほど幻想的でただただ美しかった。)個展会場で絵について話し掛けてきてくれたたくさんの人たち。candleJUNEの愛すべきスタッフの面々。東京から一緒に来てくれたsoulmates!そしてそしてJUNE!!

心からありがとう!

今回の旅で貰ったこのエネルギーをまた絵に託していきます。
i yay ray ke re kunne poru ARPA…

p.s「kunne poru」の写真を整理次第ギャラリーにupするのでお楽しみに…。


_ 2005.02.09_>>>_新月

kunne poruが始まって8日目。毎日新しい出会いと喜びを経験している。

会場に来たお客さん達は洞窟に入り息をひそめ、それぞれに自分の世界へ入っているようだ。たまたまその時その場所に居合わせた他人どうしが言葉を交わさずに同じ時間を共有している。その現実にたまらなく感動を覚えてしまう。本当に人間は美しい…。kunne poruに希望を見る日々。このあと札幌、新潟と巡る旅を想うとワクワクしてくる。

聖なる輪が回りだした。ありがとう!

peace.


_ 2005.01.25_>>>_満月

「kunne poru 合宿」

2月2日から始まる「candleJUNE」とのコラボレーション展「kunne poru」の音を担当してくれるダンナ「NOBUYA」のフィールドレコーディングのために、いつもの森へキャンプに行った。

私のホームページを作ってくれていて「kunne poru」では映像も担当してくれる「MARK」と「kunne poru」のプロジェクトを陰から一心に支えてくれている石使い「KAORI」との4人で。

夜10時に現地に到着。辺りは一面真っ白な世界。満月が雪の原を照らし、宝石をちりばめたように雪の結晶がきらきらと輝いて幻想的な夜だった。

焚き火を囲んで4人で創造的な話を幾つもして、眠りに着いたのが朝の4時半。9時半には起床して朝食を取り森に入った。久々に会った森は心よく私達を迎えてくれた。いつものように精霊の滝に挨拶をしてその上の鹿の棲む森へと進んだ。日だまりに焚き火の場所を決めると、さっそく「NOBUYA」は音録りの旅へ出掛け、残る私達は焚き火の周りでそれぞれに自由な時間を過ごした。太陽を浴びて光るつららが雪の上のあちらこちらに落ちていて、まるでクリスタルに囲まれているような幸せな気分になった。

本当に美しい夢のような時間が過ぎた。

しばらくたって「NOBUYA」が戻ってきた。
「小さなクンネポールの音をたくさん録ってきたよ。」そう言って彼は笑った。

この素晴らしい時間も全て「kunne poru」。

出会いと喜びの旅はもう始まっている。

「JUNE」ありがとう。

peace.


_ 2005.01.10_>>>_新月

年明けにダンナと陣馬山へ登った。

まだ真っ暗な闇の中、家を出て麓に着いた頃もまだ薄暗く私達の他に人影も無かった。あたりは一面の雪。真っ白な世界。沈黙の中で私達はそれぞれ子供の頃に還っていた。降り積もったばかりの雪に最初に足跡をつけるなんともいえない感覚。いろんな雪の音。幻想的な光。なんだかタイムスリップしたみたいで、たまらなく懐かしい気分になった。山頂はとてもいい天気で360度クリアに見渡すことができた。景色がまあるく繋がっている。富士山がとても美しくて、南アルプスや江ノ島もはっきりと見える。興奮した。茶屋のおじいちゃんとおばあちゃんは口々に「こんなに富士山が大きく迫って見えるのは今の時期だけなんだ。」「ついさっきまで朝日に照らされた江ノ島と海が真っ赤に染まって、それはそれはきれいだったんだよー。」と何度も何度も言っていた。この老夫婦は本当にこの山とこの景色を愛しているのだなーと思った。「こんなに素晴らしい景色はここでしか見られない。」と心から思っているのだろう。「素敵な人達だね。」とダンナがポツリと言った。

私とダンナも美しいものを見て「きれいだなー。」とか、おいしいものを食べて「うまいなー。」とかそういう普通の感覚をとても愛してるし大切だと思っている。その部分が一緒だからこうして22年間も連れ添って来れたのだ。しかし最近は、それぞれが個であるということを完全に理解し合うということ。お互いが本当の意味で自立しているということも大切なのだと思うようになってきた。

世界の平和を願うのなら、まず自分を取り巻く環境を平和にしなければならない。私の一番身近にいる人は彼。その彼と本当に平和な関係を結んでいるか?そう考えた時、私達の関係はもっと成長できる筈だと確信するようになってきた。ケンカするほど仲がいいともいうが、滅多にはしない私達のケンカも、ほんの些細なことが原因でいつも同じパターンで展開されていく。その度に同じような言葉を吐き、同じような感覚になるということを繰り返してきた。幼なじみということもあるのだろう。「こいつにだけは負けたくない。」という小学生レベルの感情が普通にこみ上げてくるのだ。結局また仲直りをすることにはなるのだが…。でもこのパターンをいつまでも繰り返していて本当にいいのか?と自分に問いかけた時「違う。」という答えが返ってきた。同じエネルギーを使うのなら、もっとお互いにとってプラスになる使い方をした方がいいに決まっている。それは結果的に地球にとってもプラスになることなのだから…。そう思うとやっぱり自分の心と体、思いと行いを一致させることが大切だというとこに行き着いた。

自分がまず地球と繋がり宇宙と繋がって初めて相手と共振することができる。全ては繋がっているのだ。愛という力で…。

正月。山の上に立って思ったことでした。

peace.