2024年から2025年にかけて、ひと月以上滞在した屋久島から山梨へ帰ってきて、珍しく寝込んでしまった。
今までずっと気を張ってきたせいか、風邪を引くのは実に10年ぶりだった。体にとっては、やっとゆるむことができて、デトックスができて、とても嬉しかったかもしれない(笑)。久しぶりの我が家で、ゆっくりと片付けをしながらのんびり新年を過ごそうと思っていたのが、熱も出て数日間は動けなかったので何もできず、復活した今、バタバタと過ごしている。まずは毎年3月に恒例となった、横浜金沢文庫にあるアサバアートスクエアでの第4回目となる個展が決定した。毎年開催させて頂ける場所があるというのは、作家にとって本当にありがたいことだ。こうして今年も「ありがたい。ありがたい。」と過ごす、ご縁が広がる一年になりそうな気がする。屋久島での時間は、そこに繋がるための大切な時間だった。健太や奈央、みんなの笑顔を今も思い出す。そして、山梨へ帰ってきたら帰ってきたで、こっちの仲間達に助けられ「いやぁー本当にありがたいなぁ」としみじみと幸せを感じるのだ。今回の屋久島でも、奈央からさんざん「∀は本当に幸せ者だわー」と言われ続けていた。みなさんに心から感謝です。
個展が始まる日、夢の中に母が出てきた。「紀元杉」という屋久杉に会いに行くと、その根本に母がうずくまっていて、こっちを向いて、にっこりと笑うというものだった。奈央に話すと「その夢は吉兆よ!お母さんも祈ってるのよ」とのこと。私もそのエネルギーをひしひしと感じた。「個展が終わったら、すぐに紀元杉に挨拶に行こう」私達はそう決めて、実際に挨拶に行った。夢に出てきた通りの木で、その根本を見ながら母の姿が浮かんだ。「ありがとうお母さん」
屋久島へ行く2週間前に介護帰省した北海道で、母にスケッチブックと色鉛筆を渡して絵を描くことを勧めたら、描き出したということがあったが、その後私が山梨へ帰ってきてから、あまり気が乗らないとのことで今は描いてないと妹から報告を受けていた。だが、「最近また描き出した。乗り気になったみたい!」との知らせがきた時、絵を描こうが、描くまいが、まったく母の勝手なのだが、私自身が「なぜだか、無性に嬉しくてしょうがなくなってしまった」という自分の気持ちを知り、新たな発見だった。「やはり、私は人との関係において、そこにアートが介在すると、とたんに楽しくなってしまうタチなのだな」と思った。それが親であっても、いや、自分の親であるからこそ、さらに大きな気づきがあるのかもしれない。そんな経験をさせてもらっていることにも感謝である。
屋久島で初めてのシーカヤックも体験した。これはNOBUYAがずっとやりたいと言っていたことだった。まだまだ知らない世界を一緒に旅している気がする。





