「I LOVE DON」展の親バカ展も無事終わり、やっと整理がついてきたところだ。
今回はDONのシッターとして北海道から友が駆けつけてくれて、どれほど助けられたか知れない。そのおかげで個展に集中することができたし 毎日ヘトヘトになってゲストハウスへ戻ると温かいご飯ができていて本当にありがたかった。DONも常に側にいてくれる気心が知れた存在に思う存分甘えられたからか開催中もずっと元気で上野原に戻ってきたら、みんなに「DONが若返ってる!」と言われたほどだった。昨年に続きアサバアートスクエアでの個展開催も二度目となったので、アサバのスタッフのみなさんにもとても可愛がられDONも楽しそうにしていたのが何より嬉しかった。昨年は一度上野原に戻ったのだが、今回はずっと会場に滞在していたので去る時はビッグマザーの浅葉和子先生も「また来年ね!」と笑顔で別れを告げて目に涙を浮かべながら固く固くハグをしてくれた。この感覚はNOBUYAとARTGYPSY TOURで全国を駆け巡っていた時にいつも味わっていた懐かしいものだった。例外なく今回も彼が見守ってくれているだろうと確信はしていたが、それに気づかされる出来事があったのだ。私は1999年から2019年までの20年間、国宝である高幡不動尊で毎月開催される骨董市で絵を売り続けていたが、そのハレの初日に初対面で絵を買って下さった女性がいた。それ以来ずっとファンでい続けてくれている彼女が会場にやってきた。今は鍼灸師となられてご自身のスペースを持ってらっしゃるのだが、その方が「これから個展も後半にさしかかるから∀さんもお疲れだろうと思って今日は施術もさせて頂きたいと思ったのですがいかがでしょう?」と言ってくださったので営業後、ゲストハウスで受けさせて頂くことにした。実際、昨年からずっと描き通しで首肩腰のみならず目も痛かったのだ。彼女の施術を受けるのは初めてだったが、身を預けると「あーなんて気持ちいいんだろう」と途端に眠りに落ちてしまった。「∀さん、∀さん、終わりましたよ」と声が聞こえるまでずいぶん経っていたのか、意識がどこかへ旅をしていたかのような不思議な居心地のいい時間だった。目覚めると彼女が「あのー、長年この仕事をやってきて私も実は初めての経験をさせて貰いました」と言うのだ。「実は∀さんの体に触れた途端、私の背中にNOBUYAさんを感じてそこから私も意識がなかったんです。私は何かを感じるとか見えるとかそういった体質ではまったくないんですよ」と。「あぁそうだったのか。やっぱり見守ってくれているんだな」と改めてNOBUYAに感謝したのだった。そうして迎えた最終日のこと、ギャラリーへ入ると、中に一羽の鳥がいて絵の周りを何度も回遊していた。「ありがとう、今日無事に最終日を迎えます」と声をかけると目の前を通って空へと羽ばたいていった。すぐに和子さんに話すと「あらっ、ギャラリー始まって以来そんなことは初めてよ。NOBUYAだわ!」と喜んでいた。
上野原に戻ってきた5日目の朝、アトリエの窓の真下に広がるで畑で毎日野良仕事に精を出していた「網野さん」が突然亡くなった。当日の朝、いつもの姿が見えなかったので「今日は畑お休みなのかな?」と思っていたのだ。その日の午前中に仕事の打ち合わせが入っていて、下から登ってきたお客様が「今、山道の下に警察の方が沢山いて網野さんという方が倒れていたと話していました」と言うのだ。「まさか!」と思ったが、打ち合わせがあったので終わってお客様が帰られたあと、山道を下りてみた。いつもと変わらない風景だ。「いや、まさか。」と思いながらも心がざわざわしたので網野さんのご自宅へと行ってみた。するとそれは本当だったのだ。今までご自宅へ上がったことは一度もなかったが、中へ入らせて頂き横たわった網野さんの姿を見てもまだ信じられなかった。初めてお会いする息子さんご夫婦に自己紹介をすると「あぁ、畑の上の絵描きさんですね。聞いてましたよ。いつも父はあなたのことを話していました。凄い絵描きが上に住んでるからおまえらもいっぺん、絵を見た方がいいぞ!」って。「えっ!本当ですか?」そんなことを言うような人にはまるで見えなかった。一度上野原で開催した個展に来てくれたことはあったが「オレは芸術とかそういうもんはまったくわかんねし、第一興味がないんだ」とハッキリ言ってたのだ。「たぶん、一番父と会話していたのがあなただと思います。家に人が来る度にあなたのことを話していたので」「……」泣けて泣けてしょうがなかった。確かに度々畑から「おーい。野菜を取りに来いよ!」と呼ばれ収穫させてもらうとそこからいつも、網野さんの子供時代、お父さんのこと、お爺さんのこと、定年前の仕事のこと、数々の人生の歴史を聞かせてもらっていた。NOBUYAが突然亡くなったのも気に掛けてくれて、いつも祭壇へ添える花を畑から頂くことを快く許してくれていた。亡くなる2日前にも祭壇にと1本の水仙を持たせてくれたのだ……。今も毎朝、アトリエの窓を開けて眼下を見下ろしいつものように「おはようございます!」と挨拶をする。土の上に刺さったままのスコップや置いてある道具達がまだ主を待っているように佇んでいる。あの日、畑への山道を登るために自転車を停めたところで突然息絶えたのだと知らされた。この畑は網野さんの聖地なのだ。彼の気配を感じながらこれからは絵を描いていくことになるだろう。ありがとう、網野さん。
「いのち」を想う日々が続き、我が家のオオカミ犬DONもこの20日で14才を迎える。歩いてくれること、食べてくれることがただただ愛おしい毎日だ。 「私もDONも生かされているのだ」という奇跡に感謝して、新しい今日という日を生きていきたい。愛と感謝をこめて。
今回はDONのシッターとして北海道から友が駆けつけてくれて、どれほど助けられたか知れない。そのおかげで個展に集中することができたし 毎日ヘトヘトになってゲストハウスへ戻ると温かいご飯ができていて本当にありがたかった。DONも常に側にいてくれる気心が知れた存在に思う存分甘えられたからか開催中もずっと元気で上野原に戻ってきたら、みんなに「DONが若返ってる!」と言われたほどだった。昨年に続きアサバアートスクエアでの個展開催も二度目となったので、アサバのスタッフのみなさんにもとても可愛がられDONも楽しそうにしていたのが何より嬉しかった。昨年は一度上野原に戻ったのだが、今回はずっと会場に滞在していたので去る時はビッグマザーの浅葉和子先生も「また来年ね!」と笑顔で別れを告げて目に涙を浮かべながら固く固くハグをしてくれた。この感覚はNOBUYAとARTGYPSY TOURで全国を駆け巡っていた時にいつも味わっていた懐かしいものだった。例外なく今回も彼が見守ってくれているだろうと確信はしていたが、それに気づかされる出来事があったのだ。私は1999年から2019年までの20年間、国宝である高幡不動尊で毎月開催される骨董市で絵を売り続けていたが、そのハレの初日に初対面で絵を買って下さった女性がいた。それ以来ずっとファンでい続けてくれている彼女が会場にやってきた。今は鍼灸師となられてご自身のスペースを持ってらっしゃるのだが、その方が「これから個展も後半にさしかかるから∀さんもお疲れだろうと思って今日は施術もさせて頂きたいと思ったのですがいかがでしょう?」と言ってくださったので営業後、ゲストハウスで受けさせて頂くことにした。実際、昨年からずっと描き通しで首肩腰のみならず目も痛かったのだ。彼女の施術を受けるのは初めてだったが、身を預けると「あーなんて気持ちいいんだろう」と途端に眠りに落ちてしまった。「∀さん、∀さん、終わりましたよ」と声が聞こえるまでずいぶん経っていたのか、意識がどこかへ旅をしていたかのような不思議な居心地のいい時間だった。目覚めると彼女が「あのー、長年この仕事をやってきて私も実は初めての経験をさせて貰いました」と言うのだ。「実は∀さんの体に触れた途端、私の背中にNOBUYAさんを感じてそこから私も意識がなかったんです。私は何かを感じるとか見えるとかそういった体質ではまったくないんですよ」と。「あぁそうだったのか。やっぱり見守ってくれているんだな」と改めてNOBUYAに感謝したのだった。そうして迎えた最終日のこと、ギャラリーへ入ると、中に一羽の鳥がいて絵の周りを何度も回遊していた。「ありがとう、今日無事に最終日を迎えます」と声をかけると目の前を通って空へと羽ばたいていった。すぐに和子さんに話すと「あらっ、ギャラリー始まって以来そんなことは初めてよ。NOBUYAだわ!」と喜んでいた。
上野原に戻ってきた5日目の朝、アトリエの窓の真下に広がるで畑で毎日野良仕事に精を出していた「網野さん」が突然亡くなった。当日の朝、いつもの姿が見えなかったので「今日は畑お休みなのかな?」と思っていたのだ。その日の午前中に仕事の打ち合わせが入っていて、下から登ってきたお客様が「今、山道の下に警察の方が沢山いて網野さんという方が倒れていたと話していました」と言うのだ。「まさか!」と思ったが、打ち合わせがあったので終わってお客様が帰られたあと、山道を下りてみた。いつもと変わらない風景だ。「いや、まさか。」と思いながらも心がざわざわしたので網野さんのご自宅へと行ってみた。するとそれは本当だったのだ。今までご自宅へ上がったことは一度もなかったが、中へ入らせて頂き横たわった網野さんの姿を見てもまだ信じられなかった。初めてお会いする息子さんご夫婦に自己紹介をすると「あぁ、畑の上の絵描きさんですね。聞いてましたよ。いつも父はあなたのことを話していました。凄い絵描きが上に住んでるからおまえらもいっぺん、絵を見た方がいいぞ!」って。「えっ!本当ですか?」そんなことを言うような人にはまるで見えなかった。一度上野原で開催した個展に来てくれたことはあったが「オレは芸術とかそういうもんはまったくわかんねし、第一興味がないんだ」とハッキリ言ってたのだ。「たぶん、一番父と会話していたのがあなただと思います。家に人が来る度にあなたのことを話していたので」「……」泣けて泣けてしょうがなかった。確かに度々畑から「おーい。野菜を取りに来いよ!」と呼ばれ収穫させてもらうとそこからいつも、網野さんの子供時代、お父さんのこと、お爺さんのこと、定年前の仕事のこと、数々の人生の歴史を聞かせてもらっていた。NOBUYAが突然亡くなったのも気に掛けてくれて、いつも祭壇へ添える花を畑から頂くことを快く許してくれていた。亡くなる2日前にも祭壇にと1本の水仙を持たせてくれたのだ……。今も毎朝、アトリエの窓を開けて眼下を見下ろしいつものように「おはようございます!」と挨拶をする。土の上に刺さったままのスコップや置いてある道具達がまだ主を待っているように佇んでいる。あの日、畑への山道を登るために自転車を停めたところで突然息絶えたのだと知らされた。この畑は網野さんの聖地なのだ。彼の気配を感じながらこれからは絵を描いていくことになるだろう。ありがとう、網野さん。
「いのち」を想う日々が続き、我が家のオオカミ犬DONもこの20日で14才を迎える。歩いてくれること、食べてくれることがただただ愛おしい毎日だ。 「私もDONも生かされているのだ」という奇跡に感謝して、新しい今日という日を生きていきたい。愛と感謝をこめて。