2012

 2012.12.28_>>>_満月

「2013」2012年の最後の満月は恒例のカフェ・スローでの望年会で迎えた。毎年この日に集まって来てくれるおなじみの顔ぶれや高尾の仲間達とともに、楽しかったあっという間の時間。ギャラリーではいつものようにアートジプシーツアーで各地を回ってきた作品達が里帰りして、みんなを待っていた。その空間でくつろぐ大人達や遊ぶ子供達。年納めの仕事としてとても平和な気持ちになるひとときだった。「虔十の会」の坂田さんや長友くんもこの場でお話をするために来ていた。「おかえりーっ!気がつくと家の近所に住んでる人がいっぱいいてビックリだよー」と坂田さん。「やっぱりこのRED DATA ANIMALSの絵は最高にいいよね!」と迷いに迷って彼女に縁のあるというオオカミのプリントを「早速額に入れて飾らなくちゃ!」と言って買ってくれた。彼女の話の中で「最近の若い人達の中でのアンケート調査では選挙に行くよりデモに行くという回答が多くて驚いた」というのがあった。「私はそうじゃないでしょうと思うんですよね」と彼女。投票率の低さは政治への無関心を物語っている。「もし、わからないならわからないなりに、例えば候補者の話を本人を呼んで直接聞いてみるとかね」と坂田さん。高尾のトンネル工事に対してずっと戦ってきて、でも掘られてしまった今、それでも地球に住む人間としてどういった形が自然と人間とのベストのあり方であるのかということをずっと模索し続けている。それも大いなる希望を持って。だから今の坂田さんは戦うというのではなく、それを一人一人の人間がどのように暮らしていくかで周りに影響を与えていけるかの可能性にかけているようだ。その方が地味ではあるがよっぽど現実味があるからでもある。今、私達の暮らす高尾では月に一度「杜の市」というマーケットで楽しく市を開きながらそんな情報交換が行われている。「虔十の会」も無農薬の野菜を売る。他にも仲間達が手作りの野菜や作品や料理を売り、日々の暮らしの中での充実した生き方を実行している。そんな市は終止笑いが絶えない。新年初の1月12日の杜の市には私も参加する予定だ。今年は春頃に私達ARTGYPSYも拠点を故郷の北海道に移すつもりでいる。幸いNOBUYAと私は幼なじみで家族も同じ場所にいる。とはいっても今まで北海道は自分達にとっては一番遠い場所になっていた。ツアーで回るのもいつも西から南だったり。だから北ではゼロから始めるつもりの覚悟が必要だ。高校を卒業してすぐ東京へ出て来てしまったので、人との繋がりもほとんどないといっていいし、まずはそこから始めなければならないだろう。お互いの家族の問題もある。そんなしがらみがいやで飛び出してきたのだから。考えれば考えるほど課題は山積みなのでそこは考えずに実践していくしかないと思っている。無意識に避けてきていたところにあえて突っ込んでいく気分だ。そういうものにはいつか真正面から向き合わなければならない時が必ず来るものなのだろう。それが自分達にとっては2013年だったってことだろうな。アートで本当に大事なものを発信していこうという気持ちで活動している私達をどれだけ理解してもらえるかは皆目わからないが、きっと神様が導いてくれると信じている。それが地球の理にかなっていることならばきっと…。ただ拠点が北海道に移ったとしても私達ARTGYPSYのライフスタイルは何ら変わらない。北の大地の中で今まで通り絵や詩を生み出し、そして各地を旅する。今年のツアー開催地には第二の故郷になるここ高尾も入ることになるだろう。そしてまた日本各地で自分の暮らす土地で、たくましく美しく生きる、かけがえのない家族達と笑顔で再会することになるのだ。その旅がやがて世界各地へとつながることを夢見ながら、今日も筆を取る絵描き∀KIKOです。一月のござれ市にもぜひ遊びにきてください。今年もよろしくお願いします。



 
_ 2012.11.28_>>>_満月

「高千穂」

アートジプシーツアーも無事、高千穂秋元村にて千秋楽を迎えることができた。「高千穂のマチュピチュ」といわれるように、ここ秋元村のギャラリー「蔵ノ平」のある場所はこの上には人が住んでいないという一番高い所にあって、そこからの眺めは素晴らしく、自分の足下に雲海を見下ろせる絶景の地での夢のような個展開催だった。元牛小屋を手作りで自分たちで改装したそのギャラリーは、下が土で扉からすきま風が吹き抜けていくという趣きのあるもので、まるで時が止まったような空間。訪れた人たちは「いつの時代の、どこの場所にいるかもわからなくなるくらい、遠いところへ旅した気持ちになります」と言っていた。「こんな秘境の地に、わざわざ絵を見に来る人が果たしているのだろうか?」と思っていたが、福岡から来て秋元神社から2時間かけて歩いて来てくれた人や、昨年ARTGYPSYの今回のツアーの千秋楽が高千穂になると決まった時点で、ここを目的に仲間を集い高千穂旅行を実現させたファンの方達なんかもいてくださってありがたかった。24日のアートショーには仲間達が各地から駆けつけてくれた。「どうしてここで、今ここにこうしてこの人達と居合わせているんだろう?」と不思議な思いに胸を踊らせた。この日のゲストミュージシャン「平井邦幸」くんの歌も素晴らしかった。高千穂を愛する気持ちが日々の生活の中にしみ込んでいるような素朴な歌。熊本に移り住んだスペシャルゲストミュージシャン「カンナビーナサヨコ」とのコラボもとっても楽しかった。改めて互いのクリエイションを確認する作業をした感じだった。やはり彼女とも縁があるのだろう。その日はちょうど秋元村では国の重要無形文化財である夜神楽が行なわれていて、3時から始まる秋元神社から今回の神楽宿になった民家までご神体や面を移す時に舞う神楽を見に行って、アートショー後に仲間達とギャラリーの中にあるいろりの火にあたりながら、飲んだり食べたりおしゃべりした後、再び会場へと出かけた。翌日のお昼までノンストップで行われる神楽。民家はその日、神様の家になって人々をもてなす神聖な場となり、神楽を舞う者は神のよりしろとなる。私達が着いた時、題目の11番が始まろうとしていた。「弓にやどる神が悪霊を祓う」という舞が行われるところで、着いた早々の私達はまず最初にお祓いを受けたのだった。あまりの美しさにハッとして我に帰ると自分の頬が涙で濡れていた。ずっと見たかった夜神楽をアートショーのあとに堪能できるなんて、なんて幸せなんだろうと感動しながら。イザナギ、イザナミが酒を作る舞では本当におかしくて、笑いすぎて涙を流した。夜明けとともにアメノウズメが岩戸の舞を舞い、タジカラオが舞い、いよいよアマテラスが再びこの地上に光を放つ。何度も寝そうになりながら久しぶりに朝まで起きた。となりには同じく、相当感じ入っているようすのサヨコが座っていた。「美しいねー」貴重な時間をともに過ごしたと思う。ギャラリー蔵ノ平の飯干家の人々には毎日感動しっぱなしだった。強くたくましい3世代の家族。朝から晩まで休むことなく働くおばあちゃん、神楽の舞い手として心身ともに研鑽を積む父と息子、どんな時も深く優しい愛で包み込んでくれるお母さん、アートジプシーを高千穂に呼んでくれた直感人間の嫁「君枝」、nociwのことが大好きになった可愛い三人の子供達。中でも長女の「姫夢」はとても慕ってくれ、最後の晩には「∀さん大好き!」とずっと足にしがみついてくれた。仲良しで美しい家族。食べるもののほとんどを自分たちの手で育てる家族。山からのわき水を飲み、米を作りもちを作り、大豆を作りあんこを作り、おいしいつけものや手作りこんにゃくを作る。彼らの、笑いの中に知恵のある丁寧な丁寧な暮らしぶりから、本当にたくさんのことを学ばせてもらった。1週間も寝食を共にしてすっかり家族になってしまった私達は別れ際、やはり涙でハグを交わしたのだった。高千穂から神様に導かれて旅をしたた2012年のARTGYPSY。あとは高尾に無事戻るまでがツアーなので気をつけてかえります。ちなみに12月13日新月は浜松PAYAKAでラビラビと新月のアートショー。12月28日満月はおなじみ国分寺カフェ・スローで「カンナビーナサヨコ×YAMANRIDDIM×ARTGYPSY」の望年会ライブでアートショーをやります。予約も開始されているので集まれる方はぜひおこしくださいませ。


 
_ 2012.10.30_>>>_満月

「魂のセッション」ARTGYPSY TOURも後半に突入したが、みんなのお陰さまで変わらず充実した日々を送らせてもらっている。室戸岬では備長炭職人のギャラリー「炭玄」でやらせてもらった。吉良川町という国の重要文化財に指定されている古い町並みの中で漁師や居酒屋の亭主やお遍路さんなど、様々な方に出会えて面白かった。ギャラリーオーナーの「たつのり」に炭焼きの釜を見学させてもらったが、そこは「神様の仕事場」という言葉がふっと浮かんできた神聖な場所だった。たつのりは昔からこの土地の伝統として受け継がれてきた炭焼きの文化を子や孫の世代に伝えるべく若者を育て奮闘する、本当にカッコいい気持ちのいい男だった。そんな男と繋げてくれた「中野洋平」に感謝している。「また来てください。待ってます!次は漁師の友達に船を出してもらってクジラを見にいきましょう!」と力いっぱい見送られ室戸を後にした。南阿蘇では「フォークスクール」という廃校の隣にあるギャラリー里の駅「谷山」での開催。阿蘇特有の雄大な山々の一つ根子岳を見ながら、自然の中でゆっくりと静かな時間を過ごすことができた。オーナーの「谷岡鈴子」さんはメルヘンの世界から飛び出してきたような素敵な可愛らしい方で最終日には涙を流しながら「この絵たちがずっとここにあったらいいのに。とっても寂しい!」と言ってくれた。阿蘇にも母ができて嬉しかった。鈴子さんと繋げてくれた「マリオ」には今回も何から何までお世話になってしまった。そば打ち職人の旦那の「ひでぼー」ともども、あたたかな家族のようなもてなしに感謝している。次の土地鹿児島は鹿屋の美容室「BENCH」のオーナー「山内政洋」の持つイベントスペースにて満月のアートショーを行なった。彼と繋いでくれたのは東京の代々木上原の美容室「MO」の友美だ。彼女ももう古い家族でこれまた感謝の念にたえない。この日は宮崎のネイティブシンガー「hou」とドラマーの「アサイマサト」がゲストミュージシャンとして参加してくれた。houちゃんに会うのは初めてだったが彼女の名前は至る所で耳にしてきたし、彼女もまた旅の先々で私の絵を目にしてきてずっと会いたいと思っていてくれたそうだ。政洋がアートショーのゲストミュージシャンを考えた時、直感で私達は同じものを持っていると思ったそうだがそれは見事に当たって、確かに共通した感性や世界観を持つ者同志だと実感できたコラボだった。お客さんの中には「二人はずっと一緒にツアーに回ってるのかと思いました」という人もいたくらいに。そんなhouちゃんも最後には涙を流していた。南阿蘇では急遽二日間のアートショーになり、ジャンベの「山さん」や「あそパパ」とのコラボを果たした。二日間とも盟友で元隣人の「えいじ」が加わってほとんど毎日会うことができたし、一緒に音楽やアートという私達の一番大好きなことで共に表現できたことが何より嬉しかった。マリオとも一年ぶりにポエトリーリーディングでジョイントできてクリエイティブな時間を共有できて嬉しかった。私はやはりこんな風に友人達とクリエイティブに過ごす時が一番好きだなと思う。なぜなら彼らが一番輝いて見えるからだ。室戸でのアートショーのゲストミュージシャンは「アルデバラン ヒロシ」と「管 美菜子」で初めて会う二人だった。管ちゃんは「実は私、隠れ∀さんファンでした!」と告白してくれた旅人で歌姫でおもしろい子だった。声の太さがいい。ヒロシさんは室戸岬の「シットロト」というすっごく美味しいカレー屋さんの店主だがカレー屋だけではもったいないほどのギターの腕前で、そのテクニックたるやNOBUYAを感動させてやまなかった。そして今は屋久島での個展が始まっている。この地では地元のミュージシャン「青木高志」「なーや」「Shoheigh」や舞踏家「虫丸」さんやタイミングよく屋久島ツアーに来ている「アースコンシャス」の面々とのコラボレーションが実現する。同じ映像と詩でもコラボするミュージシャンによってまったく違う色を見せるARTGYPSY ARTSHOW。岡山でのアートショーに感動して香川のアートショーにも来てくれたお客さんはその違いに「これは面白い。やみつきになりそう。各地でそれぞれのアートショーを見たくなります!」と言っていたが、それを一番楽しんでいるのは何よりARTGYPSYである私達自身なわけで、本当にミュージシャンの方達との一期一会には感動しっぱなしである。「どんなアートショーが創り上げられるのか?」始まってみるまでは誰にもわからない。それこそがライブの醍醐味でもありわくわくでもある。その時に感じるままに自分の音を出す。魂のセッションは当分やめられないだろう。そしてこの旅は神々の土地、高千穂へと続いている。



 
_ 2012.9.30_>>>_満月

「ARTGYPSY TOUR」高尾を出発して一ヶ月になろうとしている。これまでに神戸、岡山、香川、高知を絵と詩と音楽とともに旅をしてきた。神戸では個展のみの予定が見に来てくれたミュージシャンの「奈良裕之」さんと急遽アートショーでコラボすることになり素敵な新月の夜を過ごさせてもらった。ギャラリー「シャンティ・すぽっと」の清水ご夫婦には実の娘、息子のようにかわいがってもらい我が家のオオカミ犬nociwは神戸で大人気でnociw目当てにギャラリーを訪れる人々が後を絶たなかった。初めての神戸開催でどんな場所だろうとドキドキしていたがすぐ裏にお宮さんがあって毎朝お参りすることもできたし、近くには六甲山があり滝に打たれる経験もできて心身ともに洗われ、いい旅のスタートになった。そしてツアーの帰りには必ずまた寄るように!と言葉をかけられ出発。次の土地岡山ではアートショーのみの開催だったが、場所を提供してくれたレストラン「padng padang」の大輔さんはご両親を招いてくれたりnociwをお店に一緒にいさせてくれたりと随所に彼のハートの暖かさを感じる誠実な人だった。コラボしたミュージシャンは「カロ夢音LIFE」とっても気さくな三人組でライブ終了後はとびきりの笑顔でまた一緒にやりたいです!と目を輝かせてくれた。前日に泊まった「すみれのお宿」の「すみれ」さんも本当に素晴らしい人で「この絵はみんなに見てもらわなきゃ!」と、お宿に集まる仲間たちをたくさんアートショーへ連れてきてくれた。この日以来、すみれさんは私達の岡山の母となった。香川も初めての開催。「ルナティカナパ」というヘンプ素材を使ったリゾートウエアのデザイナー「三好恵子」とアフリカンドラムの先生である「三好東曜」の倉庫「月麻太陽自然道」で個展とアートショーを行なった。この場所はまさに神様からのお試しとしか思えないほどで「好きに使っていいですから」と倉庫のシャッターが開かれた時は一瞬、二人で唖然としてしまった。そこは先祖代々からの家財道具や使われなくなった物たちで溢れかえったカオスだったのだ。(笑)私達は12時間以上かかって整理整頓し掃除をし清め、作品を展示していった。途中で何度もくじけそうになりながらも叱咤激励して…。すると、みるみる空間が輝きを増し喜んでいるかのように居心地よい風が吹き抜けていった。翌朝、東曜が見に来て驚きの声を上げた。「いやーっ。これは頑張った。ここがこんなに広かったなんて!」彼らと私達を繋げてくれた七草ぞうりを作る「達磨工房」の「寺田真也」は個展の場所を色々と考えてくれたようで「街もいいかなと思ったんやけど、nociwもおるし、ふとここを思いついたんです。大変やったと思うけど、お陰さまでここがこれからの可能性を秘めたみんなの交流の場に生まれ変わりました。本当に感謝しています!」と言ってくれた。どうやら私達はそのためにここへ来たようだった。台風で雨続きだったのがアートショーの始まる前には見事に晴れ渡り、満月が微笑みとともに顔を出した時にはみんな空を見上げ神様の用意した物語に酔いしれた。子供も大人も一緒に踊ってシャンティな時間を過ごすことができた。そして高知へとたどり着いた。高知の人なら誰でも知っているという五台山の頂上にある展望台の一階にあるギャラリーで、街を一望に見渡せる絶景の展望のもと
縁に導かれて訪れる人々との出会いを待っている。このギャラリー「PANORAMA」のスタッフの方達もとても優しい。足げく高知中を歩き回って「∀にぴったりのギャラリーを!」とこの場所と繋げてくれた「岡林さえ」ちんには本当に感謝の念が絶えない。他にも各地での開催場所を探し出してコーディネートしてくれた仲間たち、毎日個展の情報を上げてくれている屋久島森の旅人の「NAO」、高尾から各地へ物販を送り届けてくれているnicoの「taba」アートショーでコラボしてくれるミュージシャンたち、絵と出会ってくれる人々、ツアーの成功を願ってくれる各地のファミリー…。本当に本当にありがとう。みんなの愛を胸に、まだまだART GYPSYの旅は続きます。



 
_ 2012.8.31_>>>_満月

「ART WORK IS LIFE WORK」
私は忘れない高尾の山に日が登る頃 森からいっせいに湧き立つ鳥達の声を私は忘れない高尾の仲間と月を見ながら いつまでもふざけあい笑いあった夜を
そして私達は夫婦と犬一匹 自称アートジプシーこれから日本の各地へむけて アートをたずさえ旅に出るのだ
訪れる土地とのご縁に導かれ そこに暮らす人々と生活をともにしながら「何かを創る」それは決して言葉にはできない 魂で響きあってこそ生まれてくるもの心の底の深淵に佇む 純粋な光のもとへと届くように祈りをこめておこなう仕事本当に大切な宝物を探す旅へ これからでかけてまいります
そうして再び この地へと帰ってくる時大好きな仲間達に その贈り物を届けられるようにまずはこの高尾のエネルギーを 旅先へと届けましょう
これらのエネルギーが交わっておこる 新たな変化が地球の進化へと つながりますように願いをこめて いってまいります


 
_ 2012.8.2_>>>_満月

「内省」東京で開催された35日間の個展も無事終わり、ツアーに向けての準備に入っている。長いようで始まってみるとあっという間だった個展の日々。たくさんの新たな出会いがあり、それらがまた、これからの道へ繋がっていくだろうと予感させてくれるものだった。シンクロもたくさん起こった。サンダンサーでもあるカナダのネイティブの方は「アメイジング!」を連発してお店の中を回遊魚のようにグルグルと回ってくれた。オーナーの阿部さんは私が着くと「昨日もお客さん、結構回っていましたね」なんて嬉しそうに話してくれる。お店のスタッフは「∀さんのファンの方達ってジャンルが幅広くておもしろいですよねー」と好奇心を示していた。「この絵に囲まれて働いていると、とっても楽しい気分になれます!」というスタッフの言葉は私にとって大きな励みでもあった。最終日にはみんなから労いの言葉をかけられ手紙をもらったり、固くハグをしたりして、まるで学校に研修に来た見習い教師のような気分にもなった。「私はファンの方達と接している∀さんを見て、人に対する感謝の気持ちを学びました」と、ひとりの子が真剣なまなざしでそう言ってくれた。その瞳が美しかった。

最終日は偶然お店に来たというミュージシャンの方が実は10年前から絵のファンで、長い間アメリカに暮らしていたが、その間も私の画集だけはずっと大切に手元に置いていてくださったという方が現れた。「アメリカ生活が長かったので日本に帰って来て友達ができるだろうかと心配だったんですが、いや日本にはこの画集を描いている方が暮らしている!そう思うと帰る決心がついたんです」と彼女。「それが、たまたまここでこんな風に出会うことができるなんて。今日の日が神様からの贈り物だとしか思えません!」ずっとネイティブの人達と関わりながら音楽活動をしていたという彼女は自分のCDを渡したいと言って一度家まで帰り、今度は旦那様を連れて戻ってきた。彼も作曲家で2人は音楽夫婦。旦那様は阿部さんと飲み友達でもあった。帰り際「僕の妻が10年前から∀さんのファンだったんですよ!」と声をかけられ「あー。それはちょうどよかったですねー」と嬉しそうに笑顔ではにかみながら応える阿部さんを見て、最後の最後にまたこんな素敵なシーンがあって、本当によかったなとつくづくそう思った。ツアーに出る前に今年は3年振りに北海道へ帰省しようと思っている。お墓参りに行きたいとずっと思っていた。ご先祖様、そして亡き父に挨拶をしに。私もNOBUYAも田舎が重くて北海道を出てきた身だが、もうそろそろ、その重たさとも向き合う時期がきているようである。私で言えば義理の父との関係性だ。彼は絵に描いたように芸術に対しては理解を示そうとしない人間なので、もちろん義理の娘がアーティストだということは到底受け入れられない。それでも私は堂々と1人の人間として、接していかなければと思っている。相手のどんな反応に対しても冷静でいられるか?それはこの春から続けているビパッサナ瞑想の修行の成果が試される時でもある。今までは無意識になんとなく避けてきていたことがらに、面と向かって対峙していこうとようやく思えてきた自分がいる。それだけでも大きな前進だ。今では夫婦2人「ARTGYPSY」なんて名乗りながらアートで生活しているという事実は、彼をビックリ仰天させてしまうだろう。「ふざけるな」と。でもこれが私達の現実なのだ。彼からすれば正真正銘のバカかもしれない。でもそのバカは真剣そのものなのだとうことを解ってもらえたら、それだけでも嬉しい。私達はただ、理解し合いたいとそう願っているだけなのだから。
色んな因が結ばれてこうして縁となっていることの不思議を、もう一度見つめ直そうと思っている。深く自己をかえりみること。今の私にとってはとても大切なことだ。


 
_ 2012.7.4_>>>_満月

「今ここ」6月からスタートしているFIREKING CAFEでの個展も半ばを迎えた。これから7月22日までどんな物語が生まれるのかワクワクの日々が続く。個展初日の6月18日。お店に到着すると、すでに待っていてくれたファンの人達がいた。ギャラリーnociw時代の懐かしい顔ぶれ。ファミリー達。
私がRED DATA ANIMALSを描き始めた頃からこのシリーズを気に入ってくれていた面々だった。「この画集の誕生を10年待ってたよ!」「我が家の家宝だね!」と言って喜んでくれているみんなの顔を見て、描き続けてきて本当によかったとつくづく思った。お店のスタッフが「初日にこんなに詰めかけるお客さんを初めて見ましたよ!」と声をかけてくれた。「実は∀さんのフライヤーを見た時からこの個展をずっと楽しみに待っていたんです」というスタッフの人達もいた。そして「今日でこのお店を辞めるんですけど、最後の展示が∀さんの作品で本当に嬉しかったです!」と言ってくれたスタッフまでも…。今回はオーナーの阿部さんから声をかけて頂いて実現した個展だが、阿部さんだけではなく、スタッフの方々が本当に優しく、親身になってくれるのでとても助けられている。日ごとに、こちらに向けてくれるみんなの笑顔が大きくなっているようにも感じられて実に嬉しい。先日は屋久島から来ていた森の旅人のKENT&NAOとDJ NOBUYAと一緒にARTGYPSYツアーとして福島で屋久島の木を磨くワークショップとセットでARTSHOWをやってきた。「天空のハーモニー」と「銀河のほとり」という2カ所での開催だったのだが、そのどちらも代表の方は「強さ」と「優しさ」を併せ持つ、人生経験豊富な素敵な女性だった。天空では自給自足が行われ、食べられる木々が植えられ、水の確保がなされ、村ごとの共同体としての活性化が図られていた。銀河では食や健康についての提案がなされ、救援物資が一時集まる中継地点としての重要な役割も担っていた。それぞれの場所で働く地元のスタッフの人達の心がとてもピュアだったのが印象的だ。そして、そのどちらからもたくさん学ばせてもらった。地に根をはって生きることの厳しさや苦しさも聞くことができた。行く前に色々と勝手に想像していたことが、いっぺんに吹き飛んでしまうような、そんな生き様をまざまざと見せてもらった。まゆみさんもかつこさんも、私が出会った福島の人々はみんなよく笑う人達だった。みんなそれぞれに深刻な「笑えない状況」をくぐり抜けてきているはずなのに「この最高の笑顔は、いったいどこから来るのだろう?」と思った。「笑う門には福来る」まさにそのことを彼らは体現しているかのようだった。福島で逆に励まされ、とびっきりの元気をもらって帰って来たあと、KENTAとNAOを連れてFIREKING CAFEへ行った。お店に入るなり、スタッフのみんなが口々に「おかえりなさい!」「おかえりなさい!」ってまたまた笑顔で迎えてくれた。なんだか私は「ジーン」ときてしまった。
そして、ここも家族なんだなーと思ったのだ。高尾でも屋久島でも福島でも代々木上原でも、そこに家族ができることが何より一番ありがたいことなのだなと、つくづく思ったのだった。お店に置いてあるメッセージノートを見ると、遠く他県からはるばる個展を見に来てくださっている方々や、10年振りくらいで個展に訪れてくれている方々がいて、とても感激しています。どうもありがとう!みなさんから頂いたエネルギーを絵に変換して、循環させていけるように、これからも精進していきたいと思います。福島で一番印象に残ったのは天空のまゆみさんから言われた「3次元をなめちゃいけないよ!」との言葉。その言葉の重みが、日を追うごとに胸にしみ込んでくる。そしてふと気づくのだ。私は、この心と体を使って「今ここ」を創り出しているのだと。



 
_ 2012.6.4_>>>_満月

「野草の力」この1ヶ月の間、毎日真剣にやっていたことのひとつは酵素をかき混ぜることだった。3月に行った屋久島でミュージシャンの「奈良裕之」さんと、そのパートナー「麻喜」ちゃんに出会い「大和杉」への道のりをご一緒した。この大和杉は昨年、私も森の旅人の「KENTA&NAO」に連れられて行って以来、特別な思いを抱いていた杉だったので、再び訪ねることができると知って嬉しかった。みんなで祈り、奈良さんの奉納演奏にリンで参加した。気持ちがよかった。大和杉も喜んでくれているような気がした。トレッキングの途中休憩で麻喜ちゃんが手作りの野草の酵素ジュースを飲ませてくれた。そのエネルギーが何ともおいしくて、パワフルなのにびっくりして思わずどうやって作ったのかを聞いてみた。今まで飲んできた市販の酵素ジュースとは明らかにパワーが違ったのである。「市販のはどうしても熱処理を施さなくてはならないので菌が死んでしまうんです。やっぱり生でなくては…」屋久島から戻ってきてしばらくすると麻喜ちゃんから作り方が送られてきた。忙しいスケジュールにもかかわらず覚えていてくれたのだ。その優しさにも感動して私はまじめにやってみようと決心した。何よりNOBUYAがとても喜んでくれた。「お前もそういう知恵を身につけることができたら、たとえ絵が描けなくなったとしても生きていける。そう思うとオレはつくづく安心できるんだよ」とのことだった。新月か満月の日に作るといいと書いてあったので5月の満月に、NOBUYAと一緒に野草を摘みに出かけた。いつもnociwと散歩する森にそれらはあった。ノブキ、ユキノシタ、ヨモギ、タンポポ、イタドリ、クマザサ、スギナ、ニリンソウetc…覚えているだけでも12種類以上の野草を摘むことができた。普段何気なく見ている雑草が薬草なのだという気づきにハッとさせられもした。2人でショイゴをパンパンにして家に帰り、湧き水できれいに洗ってから包丁で細かく切って同量の黒砂糖と浸けた。阿蘇のゼロ磁場で「神様の手」と呼ばれる母の手によって作られたという菌種も頂いたのでそれも入れて、黒砂糖で蓋をした一番上には同封されていた「馬門石」を置いた。この石は阿蘇の9万年前の噴火の時にできた溶岩だそうで、テラヘルツ波という波動を出しているという。次の日から酵素と私との対話が始まった。直射日光があたらない涼しめの所に置き、雑菌が入らないように細心の注意をはらい、朝夕と素手でかき混ぜる。空気を入れることで発酵を促すのだ。自分が暮らす土地で生きる野草で自分の手で毎日、触れて親しむことによって育まれる酵素。酵素を作ってくれるのは植物の酵母と手に着いている常在菌。そして感謝と祈りと喜びの中で自分にピッタリの美味しい酵素が出来上がるという。意識を向けることによって微生物達も喜ぶそうだ。蓋を開けるたび、プツプツと音を立てて泡立っているのを見て「あぁー今日も元気に生きているんだなー」と愛おしくなる。思わず自然に、手を合わせてしまいたくなるような、神聖な儀式のような時間だった。そして何より自分の手が、もの凄い気持ちよさを感じているのだ。たちどころに浄化されていくような、そんな清々しさなのである。麻喜ちゃんが「酵素をかき混ぜることは酵素のためでもあり、触れる人に恩恵を与えるためでもあるのです」とメールに書いていたが、体験してみて納得することができた。まさにその通りなのだった。待ちに待った1ヶ月後の満月。とうとう生まれて初めて作った野草の酵素ジュースができあがった。あれだけたくさん野草を摘んだのに、できる量はごくごく僅かなものだった。それも書かれていた通りだったのだが「それにしても、本当にほんの僅かだったね」とNOBUYAと顔を見合わせて笑った。だから出来上がった酵素はとても貴重であり、ありがたいものになるのだなと思った。むしろ酵素中心に回っていたこの1ヶ月の、祈りとともに神様に触れさせてもらっていたような時間こそが、自分にとって重要であったような気さえする。それくらい恩恵を授かることができた経験だった。この酵素ジュースを飲んで、自分自身のバランスを整え、いよいよ18日から1ヶ月間、代々木上原の「FIREKING CAFE」で開催されるExhibitionに臨んでいこうと思う。何人かのファンの方から「∀さんはいつお店にいますか?」とのメールを頂いているが、これからインフォメーションに告知する予定なのでチェックしてみてください。とりあえずオープニングとクロージングはいます。たぶん仲間達が来てくれるのに合わせて、ちょくちょく顔を出すことになると思うので見かけたら声をかけてね。今日は酵素ジュースで断食中である。週に一度心と体をクリアにすることも、すっかりやみつきになってしまった。何より自分にハマれる時間が増えるのが嬉しい。クリエイトこそが私の生き甲斐だから。それでは、みなさんに会えるのを楽しみに。



 
_ 2012.5.6_>>>_満月

「精霊の森」そして瞑想の時間は続いている。最近、nociwとの散歩で早朝の森に入ると、太陽の光に照らされて輝く緑が眩しすぎて息をのむ。屋久島の森も高尾の森もやはり森は森だ。森は美しい。森は気持ちいい。裸足になってアースして深く深ーく呼吸をすると足の裏から大地のエネルギーがジンジンと伝わってくる。手を合わせ森の精霊達を想い祈りを捧げる至福の時間。「すべてのものに精霊は宿っている。」そう言っていたのはアラスカのクリンキッド・インディアンのストーリーテーラー「ボブ・サム」だ。この春、絵を描くために屋久島に籠る前に、初めて彼とパートナーの「なおちゃん」と対面することができた。森の旅人の「KENTA&NAO」がボブ達を屋久島でガイドすることになっていて、その前に横須賀方面で顔合わせをするという時にご一緒させてもらったのだ。なおちゃんは昨年、高知のARTGYPSYツアーで出会った「さえちゃん」と繋がっていて私達のことは、このさえちゃんからさんざん聞かされていたようだった。私達はボブと一緒にしばらく森を歩いた。カラスが鳴いたので、いつもの癖で私もつい鳴いてしまったらボブは子供みたいな、いたずらっ子の目をして笑った。海の見える場所でランチをした時、私はNOBUYAから手渡されていた一枚のメモをポケットからおもむろに取り出した。「もしも、ボブにこのメモに書いてあることを聞けるタイミングがあったら聞いて欲しいんだ」そう言っていたNOBUYA。私は切り出した。「この紙にうちのだんなからの質問が書いてあるんですけど答えてくれますか?」微笑みながら頷くボブ。なおちゃんが通訳してくれた。「この世界に精霊達はまだいますか?」「YES」とボブ。「ではその精霊達は今の世の中をどう考えているのでしょうか?」とメモ。「それはちょっと愚問だな。そんな風に考えるのは人間だけなんだから。精霊達はただあるがままにそこに存在しているんだ。クリンキッドの言葉で精霊はアーニーという。そして我々のことはクリンキッド・アーニーつまり人間の精霊と呼ぶんだよ」ボブとなおちゃんが屋久島に滞在する期間と、私が滞在する期間が偶然にも完全に重なっていたことに驚き「今度は屋久島で!」と言って私達は別れた。「nice to see you!」屋久島で再会したボブは初めて会った時とはまるで別人のように朗らかだった。あの時「やっぱりアラスカの森が恋しい。アラスカの動物達が恋しい…」とつぶやいていた彼も屋久島の森に癒され元気をもらったようだ。なおちゃんもとても喜んでいた。ボブは今「灯の巡礼」といってミュージシャンの「奈良裕之」さんと共に日本中を音と神話の語りで回っていて今回の屋久島でも数回行われることになっていた。再会の夜に益救神社で行われた彼らの奉納パフォーマンスは、その後森に1人籠って絵を描くことになっていた私にとって、多くのインスピレーションを与えてくれるものだった。「木々に話しかける時は、人間にするように話しては駄目だ。もっと歌うように話しかける方がいいのさ」「日本人はもっと森に触れるべきだと思う。都会の刺激ばかりを求めるんじゃなくてね…」ボブは寡黙な人だが、自分の興味を引く話題になるととたんに真剣なまなざしで熱く語り出す。自然に対する畏敬の念を我々人間は決して忘れちゃいけないと彼の魂は繰り返し伝えていた。海を見ながら「この海を守っているのは森なんだ…」とつぶやいている彼を見ながら、私は「森は海の恋人である」という言葉を思い出していた。そんな精霊のようなボブと行くアラスカの旅が企画されているようだ。風の旅行社旅企画「ボブサムと行く南東アラスカ旅」6/22~6/30の9日間。スペシャルな旅になること間違いなく、特に星野道夫さん好きにはたまらない旅内容となっているそうだ。問い合わせは風の旅行社担当、嶋田さんまで「ボブサムと行くアラスカ旅」と検索してもでるそうである。この旅にはもちろんなおちゃんが通訳として同行することになっていて、高知のさえちゃんも初めてのアラスカに心躍らせている様子。私は残念ながら東京で個展があるので今回はパスだが、いつか彼らと一緒にアラスカを旅することを夢みている。ボブが「ジュノーでも個展ができると思うよ」と言っていた。さえちゃんは今回そういうスペースを探すことも念頭に入れてくれているようだ。「私が二度目にアラスカに行く時はきっと∀の個展かもね!」高知の個展ではガイアシンフォニーの龍村監督を連れてきてくれたり、出会ったばかりだというのにもの凄くサポートしてくれるさえちゃんには本当に感謝している。そんな素敵な人達とともに行くアラスカの旅。興味がある方はぜひチェックしてみて欲しい。きっと、たくさんの精霊達に出会う旅になるはずである。



 
_ 2012.4.7_>>>_満月

「浄化の時」屋久島の森に1人籠り絵を描いていた。「RED DATA ANIMALS」の新作である。その直前に京都で「ヴィパッサナー瞑想」の修行を終え、下北と高尾で「ARTGYPSY」としてアートショーをやり、すぐに旅立った。一人きり。周りに誰も住んでいない人の気配のまったくない森の中で、鳥や鹿や猿たちの声や川や風の音に包まれながら、今まで味わったことのない至福感の中で絵に集中することができたのは本当にありがたく幸せな日々だった。その森のアトリエは屋久島のファミリー「森の旅人」の「KENTA&NAO」が自分達のために借りることになっていた小屋だったが、まだ彼らが使用する前に、私が最初に使わせてもらうことになったのだった。2人は「まったくタイミングが良すぎるよね。私達が借りることになった途端、∀がここで描けることになったんだから。まるでそのためにこのアトリエが用意されたみたいじゃない!」と言って笑った。確かに出来過ぎだった。その前にヴィパッサナーの瞑想修行をすることができたことも、心と体のバランスや絵に100%集中するために最も適した準備体操だったのだと思う。瞑想にはKENTA&NAOも一緒に申し込んだのだが、奉仕者の人数が足りないということで2人は急遽、修行者側ではなく奉仕者側にまわり、私達の食事の世話や施設の掃除などをしてくれていた。「まるで私達はお抱えの∀の世話係だね!」とウケていた2人。この瞑想修行はすべて、経験した古い生徒さん達からの寄付と奉仕によって成り立っている。私がヴィパッサナーに参加するのは今回が3度目だったが、実に15年ぶりだった。思えば15年前に2度目の修行を終えたあと、私はアーティストになったのだ。今振り返ってみればこの2つには充分に関連性があったのだと気づく。「ヴィパッサナー」とは物事をあるがままに見ることを意味するが、この瞑想法では執着や渇望をなくし、常に平静な状態を保つためにまずは呼吸へと意識を向け、物事を客観的に捉える訓練をする。そうすることによって過去に何度も陥ってきたネガティブなものを引き寄せようとしてしまう癖や生活の習慣から抜け出し、真の意味で新しい自分と向き合う心が培われる。その体験を実際に日々の生活の中に生かすことができれば、自然にすべてがシンプルになり対人関係や精神と肉体の健康にも変化が訪れ、光の方向へと進む道が開かれていくというものだ。ただそれを行うのは他人ではなく、自分自身しかいないということがポイントなのだが。私は15年前のある日の朝「寝てる場合ではない!」という大きな声に起こされて目覚め、その時描いていた絵を持って東京の表参道へと向かいそのまま路上で絵を広げた。これが私の本当の意味での人生のスタートとなった。今回久しぶりに修行をやってみて、絵を描くことは瞑想をすることと同じだったのだということにも気づかされた。あの時、何者でもなかった自分と今、絵描きである自分が修行をすることには大きな違いがあった。より深い実践的な学びがあったのだ。このことを体験してからの今回の屋久島の森での籠りは、私にとって重要な意味を持つものになった。ヴィパッサナーでは10日間口をきかない。「聖なる沈黙」を守りながら瞑想をするのだが、それは外部からの刺激を避け、より自分と向き合うためである。制作の間は誰にも会わなかった屋久島での生活はまるで「1人ヴィパッサナー」でもあった。ただ食事の支度や掃除を自分でやるということ以外は。朝は4時に起き瞑想をしてヨガをして、それから山を降りて海に日の出を拝みに行き、戻って来てアトリエのある森の奥に鎮座する守り神の「あこうの木」にお祈りをしに行き、帰りはお風呂用の薪を拾い集めて掃除をし食事を作り絵を描く。ただただやりたいことをシンプルにやることのこの上ない喜び。それによって私は今生で一番の浄化を体験し、今までにはありえなかったほどの集中力とペースで制作することができたのである。このことは自分自身における計りしれないほどの可能性を感じさせてくれた。KENTAやNAOのリクエストで仕上がった作品達を森の中で2時間だけ展示することになった。この森は2008年に私が初めて屋久島を訪れることになったきっかけを作ってくれた森だ。「RAINBOW PRAYERS」という祈りのイベントで私は絵を描いた。あの時と違って今回の展示は身内だけのミニミニ個展というつもりだった。ところが口コミだけで伝えられたにもかかわらず当日、森の中から色んな人々が笑顔で登場してくれたのだ。昨年の屋久島個展に来てくれた人達もたくさんいた。感激した。「ここで∀が絵を描いてくれてたなんて嬉しい!」口々にそう言ってくれるみんな。「森と∀の絵はぴったりだね!」とも言ってくれた。自然光に勝る光はなく、時の流れとともに移ろう光に照らされて絵は笑っているようだった。心地いい風が吹き抜けていく。森の中、絵を眺める人々と光。子供達の笑い声。その風景が美しすぎて涙がこぼれた。その朝、私は夢を見たのだ。森を歩いていると海からイルカが上がってきて小走りで私の方へ近づいてきてじゃれついた。私は「体が乾いちゃうから、もう海へ戻った方がいいよ」と忠告するのだが「そんなこと構わないのさ!」と言わんばかりにハグしてくるのだった。体に触れた感触も残っているほどリアルな夢だったので、目が覚めるとすぐにイルカに誘われるようにそのまま海へと歩いていった。すると大きな天使の羽のような雲が空一杯に広がってきてその中から神々しい朝日が顔を覗かせたのだ。とその瞬間、羽の上に虹がかかった。「す、すごーい!」その現実さえも夢のようだった。まるで森での個展を祝福してくれてるような気がした。嬉しくって、来てくれたお客さん達にその夢のことをたくさん話した。するとみんなは同じことを言ってくれた。「∀がRED DATA ANIMALSを描いてることを動物達は知ってるんだよ。そのスピリットがサインを送ってきてくれたんだね!」


 
_ 2012.3.8_>>>_満月

「サイン」
出会うことの サインはあちらこちらに ちらばっている君と出会って僕は ようやく目が覚めた何も知らずに 何かをたた 恐ろしいと思っていた頃の僕とは もう違うんだ 出会うことの サインはあちらこちらに ちらばっている君と出会って僕は ようやく目が覚めた何も知らずに 何かがたた 悲しいと思っていた頃の僕とは もう違うんだ
君と僕が 出会うことのサインはずっと この星に ちりばめられていたのさ





 
_ 2012.2.8_>>>_満月

「RE DATA ANIMALS」現在「RED DATA ANIMALS」の画集の制作が進行中である。想像した以上に、すでにたくさんの人達がこの画集の実現に関わってくれていて本当にありがたくて胸がいっぱいの毎日だ。ライフワークのひとつでもある「RED DATA ANIMALS」を描き始めてから早11年が経った。この間にこれまたたくさんの「RED DATA ANIMALS」の作品が売れていたことに今回初めて気づき、感慨深い思いでいる。その作品達の幾つかが、画集に載ることになり、改めて撮影するためにそれぞれの持ち主達にコンタクトを取って作品を今一度手元に集めることになった。そんな大変な作業をこなしてくれたのは出版元「nico」のtaba。彼女は一生懸命に作品達の現在の居所を調べ、持ち主一人一人に辛抱強く連絡を取り、ここに集めてくれた。すでに手から離れた作品が里帰りするとは私自身、夢にも思わなかったことなので彼らが帰ってきた日はとてもドキドキした。11年ぶりに作品と対峙した時は、最初にこのシリーズを描き始めた時の気持ちが鮮やかに蘇ってきた。そして何よりも一番強く感じたこと。それは作品達が持ち主に本当に、大切に大切にされていることが作品のエネルギーから伝わってきたことだった。同じことをNOBUYAも感じとっていた。「絵を見ればわかるんだね。みんなキラキラしてる。こんなに大切にされていたら絵もきっと嬉しいだろうな。∀KIKO、オレたちは本当に幸せ者だな」私は胸の奥がキューンとなって涙がでそうだった。忙しい中わざわざ作品を里帰りさせてくれたみなさん、ありがとう。この場を借りて心からお礼を言いたいです。感謝しています。そんな私は今「RED DATA ANIMALS」の新作の制作に取りかかろうとしているところだ。今年は画集の刊行とともに「RED DATA ANIMALS」の展覧会を各地で開催していきたいと思っている。まずは6月18日から7月22日にかけての一ヶ月間、代々木上原にある「FIRE KING CAFE」での展覧会が皮切りとなるだろう。ここのオーナーである阿部さんは以前からこの作品のシリーズのファンでいてくれたそうで昨年アートジプシーツアーに出かける直前にオファーがあった。会場のオーナーが作品のファンでいてくれることはアーティストにとってとても心強い。そして11月20日から26日は日本の神様達の天孫降臨の地、九州は高千穂での展覧会が決定している。そこは「高千穂のマチュピチュ」といわれている秋元村という聖地で、毎年この時期に「夜神楽」という国の重要無形文化財に指定されている神楽が夜から朝までこの村で舞われるそうで、舞う者も見ている者も一緒に神とひとつになるという経験をするそうだ。なんともワクワクする未来である。それはこの村の農家民宿ギャラリー「蔵之平」のオーナーである「君枝」が昨年の阿蘇での個展に来てくれたことがきっかけだった。それ以前から彼女は私のHPで作品を見て、秋元村のエネルギーと私の絵のエネルギーが同じだと感じているので是非うちのギャラリーで個展をして欲しいとラブコールをくれていた。実際、下見に行って驚いたのはまさに自分にぴったりだとあまりにもしっくりきたことだった。そのギャラリーは元牛小屋で当時の雰囲気をそのまま残していてとても情緒があった。壁には迫力のある神楽の写真が展示されていて神々の息吹を感じた。「ね、∀KIKOさんの絵にぴったりの場所でしょう?」そう嬉しそうに笑っていた君枝は、今から11月がとても楽しみでたまらないらしく既に色んなアイデアが浮かんでいるのだそうだ。2012年のルネッサンスに向けて私のやるべきことはただひとつ。創造し続けることだ。それはアーティストになった15年前から何も変わらない。全身全霊でアートすること。そのためには常に自分の魂を磨き続けるしかない。もっともっとたくさんの人達に心から喜んでもらうために。



 
_ 2012.1.9_>>>_満月

「杜々」高尾のファミリーである「さちよ+とも」が蕎麦と雑穀料理の店「杜々」をオープンさせた。念願の開店に心からおめでとうと言いたい。2人ともよく頑張った。去年の10月からこの「杜々」の前のローカルな通りで「杜の市」というマーケットが、やはり高尾のファミリーたちによって始められ先日、新春の市に初参加したのだが、楽しそうな仲間達の顔がなんだか微笑ましくて嬉しくなった。丁度ツアーから高尾に戻る途中、お礼参りに伊勢に向かってる時にさちよから電話をもらった。「あのね、1月7日杜の市なんだけど∀KIKO出れないかなって思って。みんなも待ち望んでるよー」と。私とNOBUYAがツアーに出ている間に、みんなの心がこの「杜々」を取りまく市のお陰でひとつになっているのがわかった。ツアー先のあちこちでは色んな人達に支えられ、毎回出会った時にはすでに涙が出そうになるほど愛してもらえたことに日々感謝だったのだが、ここ高尾に帰ってきたら帰ってきたで、どの地域でも感じてきた本当の暖かさが待っていてくれたのだった。それは本当にほっとする瞬間。みんなでただご飯を一緒に食べたりとか、そんな当たり前で普通のひと時がたまらなく落ち着くのだった。年末、開店直前のお店を見に行って驚いた。さちよが蕎麦屋を開店する時に飾るつもりだと言って購入していた私の絵があまりにもピタッと納まっていたからだ。「まるでずっと前からここにあったかのようでしょう?」と嬉しそうなさちよ。たしかに寸法といい偶然にしてはできすぎていた。この絵は、私がアトリエで描いていた時にさちよがたまたまやってきて、まだ三分の一くらいしかできていない絵を見て彼女が直感で「この木のもとで色んな人達が安らぎ集う蕎麦屋になると思う!」と何の迷いもなく決めたものだった。それはさちよの心の中にずっと宿っていた、精霊の樹そのものだったようである。この絵のタイトルは「MOTHER TREE」この木は実在した木でnociwとの散歩コースのお山の上にあり、いつも挨拶し抱きしめていた大好きなモミの木だった。この木のことが愛おしくなって絵を描き始めた。するとさちよが訪れたのだ。完成してからほどなくして散歩から帰ってきたNOBUYAが「悲しい知らせがあるんだ」と暗い顔をした。なんとあのモミの木が切り倒されていたのだった。意味がわからず、信じられなかった。「あの木こそ山で人々に安らぎを与えていたのに…」私は相当なショックでしばらくは彼女に会いにいけなかった。でもなぜかその木は絵となって今も高尾に留まっている。当初の予定ではさちよ達も四国に帰って蕎麦屋を始めるつもりだったのだ。それが彼らにもなぜかわからないが高尾で開店する運びとなった。MOTHER TREEは実態はなくとも絵となりスピリットとなって杜々の森で、これからもみんなに見守れながら生き続けることになったのだ。そのことがまた不思議でもあり感慨深くもあった。どの地域でも、素敵に生きている人達と出会うたび、本当に輝いて生きるとはこういうことだと勉強させられる。輝いている大人達を見て育つ子供達の目はとても眩しい。アートジプシーツアーでは、その土地土地で沸き起っているエネルギーを肌で感じとることができた。自分のいる今ここを真剣に楽しんで生きる。そんな魂達。年齢なんて関係ない。そういう世界に私達はいつでもいくことができる。ここ高尾でも子供はみんなの宝物だ。お店がオープンしてとっても嬉しそうな杜々の子達「なるき+なな」も、そんな大人達に囲まれて日々成長している。近くに蕎麦屋ができたことは蕎麦好きにとってはたまらない。仲間にエネルギーを回せることも。これからの杜の市もできる限り参加していきたいなと思う。ぜひ蕎麦と絵を味わいに来てください。うまいです。今年もよろしく。