手と手と手

年明けに100歳を迎える祖母が旅立った。

その前日、いつものように朝起きて瞑想をしていると突然「バチッバチッ」というような大きな音が部屋中に鳴り響いた。音だったので「あぁNOBUYAだな」とは思ったが
何のサインなのかはわからなかった。そしてその翌日、久しぶりに夢にNOBUYAが現れた。古刹のような古いお寺の石畳の階段がずーっと続いている。その階段をNOBUYAと私が一段づつゆっくりと登っていく。彼の手がそっと差し出された。その手を握って2人で手を繋ぎながらまたゆっくりと階段を登っていく。ただそういう夢だった。目覚めて「不思議な夢だったな」と思い瞑想を始めた。するとまた前日と同じ大きな音が部屋に鳴り響いたのだ。これはもう絶対NOBUYAだとしか思えなかったがやはり何のサインなのかがピンとこなかったのである。瞑想から覚めてドンと朝の散歩に行き帰ってきた時に母からの電話だった。「おばあちゃんが今朝亡くなったの」私には突然のことで驚いた。年末から少し体調が悪かったようだが大事に至るとは誰も思っていなかったらしく、わざわざ私にまで知らせるまでもないだろうということだったようだ。

「そうか、NOBUYAにはもうわかっていたんだな」こちらよりもあちらの世界の方がより広くこちらを見渡せるのだろう。当然のことだろうけれど。
それを知ってすぐに浮かんだのは、昨年初めて開催した故郷余市での個展に祖母が来てくれた姿だった。私はその時をずっと夢見ていたので感無量だった。本当に間に合ってよかった。祖母は何度も「まぁー素晴らしい!」と感嘆の声を漏らしながら作品をじっくりと眺め、丁寧にページをめくっていた画集「RED DATA ANIMALS」を購入してくれた。いつも笑顔で元気溌剌。祖父が亡くなってからもずっと1人暮らしで、自転車を押してお寺さんに行きお坊さんの話に一番前で熱心に耳を傾けているという人だった…。葬儀に間に合うようにあわてて準備をした。ドンのことは「HARUNA」が家に滞在して見てくれることになり本当に助かった。北海道へ向かう飛行機の中で私はふと思った。昨年旅立ったNOBUYAの知らせを聞き、いてもたってもいられなくなって日本各地から飛んできてくれた仲間達も、きっとこうして空を見ながらどんな気持ちだったろう….と。お通夜の会場に着き棺の中の祖母と会った。まるで眠っているみたいないつもの可愛らしいおばあちゃんがそこにいた。「何も苦しまず安らかだったみたい」「湯灌に来た葬儀場の方が100歳になるというのに、こんな美しい遺体は見たことがないって。80歳にしか見えないって言ってたわ」親戚のみんながそう話してくれた。

私は何とも不思議な感覚だった。葬儀の式次第の行程と集まっている身内。4ヶ月前のNOBUYAの葬儀を思い起こさせるような、あの時をもう一度追体験しているようなそんな感じだったのだ。お通夜の時から最後までそれはずっとフラッシュバックしていた。あの日、焼き場でNOBUYAを待っている時に目の覚めるような青空に急に鳶が何羽も集まってきて旋回し始めた。まるで自由に解き放たれた魂を祝福するかのように…。その時私は仲間達と楽器の演奏に合わせてダンスしていたのだ。NOBUYAが生前から「オレが死んでも魂は自由になるんだから祝って欲しいね」と言っていたことを想いながら。母がその光景を眩しそうに眺めていた。そして現れたNOBUYAの骨。それはまるで芸術作品のように本当に美しかったのだ。「のぶやーっ。これがリアルだねーっ!」私は思わずそう叫ばずにはいられなかった。祖母の骨を拾いながらNOBUYAの骨を思い出し、祖母のいのちを思いながらNOBUYAのいのちを思った。

NOBUYAに告白された35年前から彼が言っていたことがあった。「オレが死ぬときはオマエの手を握ってアリガトウって心から思うからな!」NOBUYAが札幌の滞在先で倒れて救急車で運ばれている間、担架の上で酸素マスクをしながら「手、手、手」という言葉を繰り返していた。それが彼の最後に発した言葉だ。その時、私は思わず夢中で手を握って「ありがとう。愛してるよー」を連発していたが、しばらくしてそういえば「手って…..」と、かつてのNOBUYAの言葉を思い出したのだった。

ありがとうNOBUYA。ありがとうおばあちゃん。今生での特別なご縁に感謝しています。愛をこめて。