「骨」

NOBUYAの一周忌が済み、余市、札幌にてARTGYPSY ARTSHOWを無事終えた帰りのツアー先岩手で生まれて初めて骨折しました。

9月7日の出来事です。6日に岩手入りして7日のARTSHOW当日の朝、ドンと散歩した帰りに田んぼ脇にあったコンクリートの水路に転落。そこは辺り一面田んぼ地帯で全てが緑だと錯覚したのか、あれよあれよという間に落ちてしまいました。最初は顔を擦り、ついで右太腿を打撲し、最後に右肩と腕を打ったようです。気が付いてそこから這い上がろうとした時、右腕がだらりと垂れ下がりまるで登山から滑落した人の腕みたいでショックでした。私はてっきり腕が外れたのだと思ったのです。その腕を引きずりながら滞在先までたどり着いたのですが、パニックを起こしていたのか停めてあった車が違うと思ってしまい、その家を背に再び歩き出してしまったのです。だが痛さでもう歩けなくなり一緒にツアーをしていた「なお」に電話したもののまだ寝ていて、祈る思いで「健太」に電話したら出てくれたのでした。普段散歩に携帯を持っていなかったのにこの時は何故か持って行こうと思ったことに助けられました。2人が車で迎えに来てくれて岩手の病院へ着いてレントゲンを撮ると折れているとのこと。手術と入院が必要だと言われたのですが、健太となおが相談してまずは山梨の自宅まで戻ることになりました。岩手と福島のARTSHOWが昨年と同様にキャンセルに、ツアー後予定されていた伊豆と新橋のARTSHOWもキャンセルになってしまい、オーガナイザーの方々やお客様にご迷惑をおかけしたこと本当に申し訳ありませんでした。帰る時被っていた帽子を拾うために事故現場に寄ってもらうと健太は一言「命があってよかったな」と言いました。それほどの溝であったようです。もし打った所が頭だったら本当に危なかっただろうと。多分NOBUYAが最低限にして守ってくれたような気がしています。

健太となおが高速を飛ばして帰路に着いたのは夜の9時頃。道中座席に座っているのもサービスエリアでトイレに行くのも激痛でした。翌朝友人の「うめ」に勧められた八王子の病院へ行き再度レントゲンを撮ると主治医の先生は「派手に折れましたね」とのこと。おまけに肩の両側にヒビも入っていると言いました。11日に手術ができるかどうかの検査をして大丈夫だったなら17日入院の18日手術にしましょうとのこと。手術まであと10日もあるのかと気が遠くなりましたが仕方ありません。それまでは自宅で安静にしててくださいとのことでした。検査の当日久しぶりにNOBUYAが夢に現れました。場所は私達の故郷余市です。前方にNOBUYAが歩く姿が見え「のぶやーっ」と呼びながら付いて行くと、とある修理工場に入りました。そこでは腕の良さそうな職人さんが靴と帽子を修理しています。そしてNOBUYAは「修理にまだ時間がかかるようだからメシでも食って待ってようや」と言ったのでした。なおに話すと「絶対いい夢よ。今日いい事があるかも」と言ってくれました。病院で痛みに耐えながら色んな検査を受けて診察の時間になりました。主治医は「検査結果は問題ないので手術を受けられます」と言いました。そしてなんと「急に手術にキャンセルが出て13日入院の14日手術に早まりました」と言ったのです。先生自身手術まで時間があることを懸念していたようで、その間神経に傷が付かなければいいがと思っていたとのことでした。「正直な話手術で神経が傷つくかもしれないというリスクはあり、それが今回の一番の肝になります。もし傷がついた場合手が動かなくなる可能性があることは理解しておいてください」と言われたのでした。

ひとまず家に帰り二日後の入院準備に入りました。そして入院前日に病院から電話がかかってきました。病室の件です。予約はコストの安い4人部屋を希望していました。が現在四人部屋が満室のため個室でお願いしますとのこと。料金は四人部屋の価格でいいとのことでした。しかも部屋の番号が7FA4。NOBUYAの誕生日の数字4と7が入っていました。幸運でした。それから手術を迎えるまでの間、そして手術後も健太となおの献身的な愛に支えられました。手術後三ヶ月間は犬の散歩も禁止と言われたので入院中になおが我が家でドンの世話をしてくれる人々を懸命に探してくれて、助けてくれる人々が集ってくれることになりました。本当にありがたいことです。心から感謝しています。手術はおかげさまで無事終わりました。28日に抜糸があり、後は自宅療養しながらリハビリ通院をしていきます。他にももっと伝えたいことはあるのですが、なにぶん左手で文字を打つのもとても疲れるので今はこのくらいにしておきます。

今回のことは100パーセント自分の責任で起こったことなので、このメッセージを真に受け止めながら前向きに生きていこうと思います。今回余市で受けた針治療の先生に「あなた、頑張りすぎよ」と言われ気を抜く針を打たれました。終了後起き上がろうとしたらフラフラで、もう少しここで寝てなさいと言われ先生も自宅に帰り一人ベッドで寝ていました。その時突然涙が堰を切ったように流れ出し私は泣いていました。思えばこの一年ちゃんと泣いてなかったなと気付いたのでした。そして病院に入院中も夜一人でたくさんの涙を流しました。その度心と体がだんだん軽くなっていくようでした。お見舞いに来た友人達からは「休みなさいってことだよ」と諭され、今は素直にそれに従うしかない状況になってしまいました。ここまでならないと気づけない私も相当な大バカ者です。今はまだ痛みもあるので毎瞬私自身の心と体にありがとうと伝えながら生きています。退院の日再びNOBUYAが夢に現れました。個展で作品を展示するのを手伝ってくれています。彼の後ろ姿を見ている私に振り返り彼は言いました。

「∀KIKO心から愛してるぜ」私は宇宙一幸せ者です。