「三回忌の旅路」

北海道へ帰り無事、NOBUYAの三回忌法要を終わらせることができた。

今回は何事もなく家へ戻ることができて良かったとホッとしている。ドンを上野原の友達「たま」に預けて1人飛行機で帰ることができたのも良かった。
お陰で北海道の仲間達のもとへ行って心おきなく馬鹿騒ぎをすることができた。本当に久しぶりにゆっくりと故郷北海道を満喫することができたのだ。法要は命日の2日前だったので、本命日は道東の湖で妹夫婦とドンの兄弟のオオカミ犬「シヴァ」とともにキャンプをして満天の星空のもと、焚き火を眺めながらNOBUYAを想った。「死の3日前までこうしてキャンプをしながら一緒に火を眺めていたっけ….」ふと空を見上げると時折流れ星が流れていった。NOBUYAの命日にふさわしい本当に美しい夜だった。

北海道へ出発する3日前、突然新潟の友達の「やす」が家族を連れてやってきた。「最近のぶ兄の顔がやたらとよく浮かんでくるから、お線香をあげに行きたいなってたまらなくそう思ってさ」とやす。私の顔を見るなり「やっぱり泣けて泣けてしょうがないやー」と顔をくしゃくしゃにして泣いていた。そして同じく出発の直前に福井の知人「ヘレン」からも電話がかかってきた。「最近よくNOBUYAさんのことを思い出してね。もうすぐ命日よね?お花を贈らせて欲しのだけれど…」間もなく法要で北海道へ帰る事を告げると「じゃあ∀KIKOが帰ってきた頃に届くようにするわね」との優しい言葉。彼女はNOBUYAが旅立った北海道ツアーのあと開催予定だった福井でのオーガナイザーでもあった。結局周りの友人の助けで初めての福井個展は実現したのだが、ヘレンは「NOBUYAさんと交わした会話は今でもすべて覚えているの」と言った。北海道阿寒湖のアイヌの友達「絵美」も「うちの婆ちゃんも亡くなったけど、いないという気がしない。のぶちんもそう。のぶちんと婆ちゃんは同じとこにいて、今も感じることができるんだ」と話してくれた。友達の「貴子」からは出発前日に彼女がかつて撮ったNOBUYAの写真が続々とメールで届けられた。同じものが妹の旦那の「ヒロ」さんにも届けられ、会った時ヒロさんはそれを額装して私にプレゼントしてくれた。その額に入ったNOBUYAとともに今回は一緒に旅をして、行った先々で飾らせてもらい共に過ごした。仲間達はNOBUYAの写真の前に彼が好きだったビールを置いて乾杯してくれた。本当にNOBUYAはこんなにもみんなから愛されて幸せなヤツだなぁとしみじみそう思った。

上野原に帰ってくると、今度は私の神戸の母ともいえる「和子」さんからメールをいただいた。(私の実の母の名も和子で年齢も同じくらいなので私はとても親しみを感じているのだ。)「昨日から今日にかけてNOBUYAさんのことが急に浮かんできてね」とのこと。和子さんと旦那様の正博さんは「サラ・シャンティ」という健康道場を神戸の震災直後から開かれていて日本と人々の魂と心と体の健康のために、各界から様々な先生方を招かれて講演会やワークショップを主催されていて、そこにできた「シャンティ・スポット」というギャラリーで私も何度か個展やアートショーをやらせていただいたご縁でこうして今も繋がらせていただいているのだが、度々サラ・シャンティへ来られている理学博士の「保江邦夫先生」が最近話されていたことによると「最近はあの世とこの世の境が大変薄くなっている」のだそうで、「NOBUYAさんもちょくちょくこちらへ来ているのね」と和子さん。確かに旅立って2年が経った今でも日本中のあちこちの友人達から目撃情報があとをたたない。東京の両国はその2つの世界をつなぐ場所だったともいわれていたそうで、昔の人は「ちょいと両国へ行ってくる」と言って対話していたのだとか…。

ま、私の心の中にいつもNOBUYAが存在しているのは、今も昔も全然変わっていないけどね。