「パラマハンサ・ヨガナンダ」

5月に奈良の「ならまち資料館」で個展をやっている時に、10年前に友達に貸した本が突然返ってきた。

それはインド出身でアメリカにヨガと瞑想を普及させたことで大きな貢献を果たした「パラマハンサ・ヨガナンダ」というヨギの記した「あるヨギの自叙伝」という本だ。その内容は1893年から1952年までの彼の生涯と彼の師「スワミ・スリ・ユクテスワ」、ユクテスワの師「ラヒリ・マハサヤ」、マハサヤの師で数世紀に渡ってヒマラヤの山奥に現存する神人「マハアヴァター・ババジ」の知恵が記されたもので、この本と出会ったことで私も多大な影響を受け読んだ当時のバイブルとなっていたものだった。

そもそもこの本との出会いは1999年に初めて「ござれ市」という国宝の真言密教の寺「高幡不動尊」で開催されている骨董市に参加して間もない頃、カリフォルニアからやって来たというエンジニアの「ケビン・コルビン」という男性が私の絵を見て凄く反応して「よかったら君を食事に招待して色々話をしてみたい!」と熱烈に誘ってきたことがきっかけだった。彼に同伴していた仕事の同僚だという日本人の男性も一緒なので安心してくれと言われ、じゃあ私も友達を誘っていくということで了承し翌日改めて会うことになった。その席で彼はアートがいかにこれからの時代に必要であるかということや、自身もヨガと瞑想に励み日々心と体の浄化と鍛錬にいそしんでいるということを語っていた。「そういう意味でも君のこれからの仕事はとても重要だからどうか頑張ってください。日本のためにも世界のためにも!」とエールを贈られ別れた。その数日後にカリフォルニアから届けられたのがこの本だったのである。そこには「君のもとにいくべきだと思ったので」という短い言葉が添えられていただけだった。それからケビンには会うことはなかったが、その分厚い本のページを開いたとたん、私は完全に没頭してしまい一気に読み上げてしまったのだった。

それから8年後、高尾山のふもとに住んでいた時すぐ隣に住んでいた「えいじ」になぜかこの本を貸したくなった。それまで誰にも貸したことはなく大切にしていた本だったので自分でも不思議な気持ちだった。ところが貸してすぐ、えいじとパートナーの「まりこ」が奈良に移住することになりえいじはその本を持って行ってしまった。そこでえいじは奈良で友達になった人に本を又貸ししたのち、今度は阿蘇に引っ越すことになり貸した友達も奈良から引っ越してしまった。「まー最初に貸した自分の責任でもあるし、執着しても仕方ないよな」と諦めて10年が経った今年、ツアーで阿蘇に寄った際、なんとなく話題がこの本の話になった。「そんなに大切にしていた本だったんだね」えいじはそう言うと遠い目をしていた。で、その後にならまち資料館での個展開催があったのである。

それは一週間の個展の最終日だった。資料館のスタッフの方が「∀さんへの届け物を預かっていますよ」と封を開くと、そこになんとあの懐かしい本が入っていたのだ。しかもそれは相当な年代物のようにボロボロの姿になっていた。「このタイミングで再び手にすることができるとは」と、感慨深かった。えいじや送ってくださった方に感謝の念がこみあげてきた。この出来事は自分へのメッセージでもあると思い、私は再びページをめくることにした。18年ぶりに読み返した本は今の私に新たな発見と学びを与えてくれた。そしてヨガナンダや彼にインスピレーションを与えた師達に深い尊敬と愛の思いが沸き上がった。今回も一気に読み上げ幸せな気持ちで床につくと、夢枕にヨガナンダが現れた。
彼は私の頭頂に手を置きマントラを唱え祝福を与えてくれた。その時、頭の天辺にビリビリと電流のような衝撃を受けた。それがあまりにも強烈だったので私はビクッと飛び起きてしまった。「あ、夢だったのか」と思ったが再び眠れないほど目覚めてしまったのでいつも通りに布団の上で瞑想をすることにした。すると先程の夢のように今度は実際に頭頂がビリビリビリビリし始めたのだった。あたたかな愛にすっぽりと包み込まれたような至福の時だった。

「あきこーっ!」目覚めたNOBUYAの声に駆けつけると、我が家の床下に引っ越した時から棲んでいる蛇の見事な抜け殻が軒下にぶらさがっていた。いつ何時であれ真理の道を歩む者たちの霊的視野の中に偏在し続けるという偉大なグル達。その存在を感じた幸せな体験だった。