「ノドボトケ」

NOBUYAの3年の命日を機に彼の喉仏を自然に還した。

そもそもNOBUYAは死んだ後にもずっと骨を持っていられるというようなことは好きではないタイプである。それを承知で私は彼がいないことをいいことに3年間彼の祭壇に置かせてもらっていた。
斎場で肉体が焼かれた後、お骨を拾う時に係の方が「とても美しい喉仏です。なかなかこんなにきれいには残らないものなんですよ」と教えてくれてそれを聞いた途端、彼の喉仏にまつわる色んなシーンが浮かんできた。通常男性は女性よりも喉仏が出ているものだが、特にNOBUYAの場合はすごくハッキリと目立っていたので付き合い始めた15才の時から私は何故か彼のそこが好きで、その喉仏をいつも触らせてもらっていたのである。だからかもともと愛着があったというのもある。いつもは皮膚の上から触っていたものがその内部の根幹である骨に直接触れられるという不思議さに何ともいえない感覚を覚えたというのもある。でも何よりもあまりにも突然にあっさりと逝ってしまったがゆえに、35年間当たり前のように見続けてきたNOBUYAの形が目の前からまったく消えてしまったということに正直追いついていない自分もいて、つい「コレ、頂いてもいいんでしょうか?」と口にしていたのだった。係の方は「いいですよ」と小さな容器を用意してくれ、「ムナボトケ」といわれる指先の骨と一緒に納めて持ち帰らせてくれたのだった。NOBUYAのお父さんも「あっこちゃんの好きにしたらいい。他の骨はこっちでお墓に入るんだから」と言ってくれた。こうして出発した時とは打って変わって、変化を遂げたこのNOBUYAの姿を愛おしみながら私はツアーから家に帰って来たのだった。

じっくり見てみるとその骨は本当に美しく、まるで人が合掌して祈っているようにも見え、真上から見るとハートの形にも見えた。家に持ち帰って斎場から頂いた不透明のプラスチック容器から透明のガラス容器に移し替え祭壇の上に置き、いつでも見れるようにしていた。時には容器の蓋を開け触れてみたりしながら彼を思う時もあった。が、やっと3年という歳月が経ち自分の中で節目だと思える感覚が自然と沸き上がってきたのである。NOBUYAはきっとこの時を待ちに待っていただろう(笑)。骨を還す場所はひとつしか思い当たらなかった。それは20代の初め頃から2人でよく通ってキャンプをしていた森の中を流れる滝だった。初めてその滝へ行った時のことは今でもハッキリと思い出せる。森のキャンプ地で作業をしているとNOBUYAが「ちょっと散歩してくる」と言って出かけて帰ってきて「∀KIKO!素敵な滝を見つけたぞ。来てみろよ」と連れてってくれたのだ。私達はその滝がすっかり気に入り「精霊の滝」と名付けて来るたびそこで祈り、遊ぶようになった。後に水の音のCD付き絵本「wor un nociw-水の星-」を出版するきっかけになった場所でもある。「還すとしたらあそこしかない」そう思った。そこはDONの母親であるオオカミ犬nociwの骨が還ったところでもあったのだ…。

人間3人と犬2匹とでまずは精霊の滝の奥にある「精霊の庭」と名付けていた場所の岩の上に骨を置きお神酒と供物を捧げ祈り、直会の食事をした。NOBUYAとよくやったように私達は裸になり沢の水で心身を清めた。最高に気持ち良く私達は思いっきり笑い合い犬達も大いにはしゃいでいた。空は青く晴れ渡り、まるで今日という日にぴったりだと心からそう感じた。楽しいひと時を終えて帰りに私が1人精霊の滝へ寄り、骨を還すことになった。後ろで話をしながら歩いて来る2人の声を聞きながら、私は今までここで体験させてもらったNOBUYAとの美しい夢のような時間を走馬灯のように思い出していた。「まさかこんな日がやってくるとは。NOBUYAが見つけたこの滝に彼の骨を還すことになるなんて…。」でも本当にこれでよかったと思えた。そして彼の形との最後の別れに「NOBUYA愛してるよ。ありがとう」そう言って骨を滝壺に落とした途端、突然青空に稲妻が光り耳を劈くようなもの凄い音で雷が鳴り響き近くに落ちたのだ。その瞬間、私が冠っていた麦わら帽子が一瞬で頭上から消えたのである。まるでマジックショーのようだった。「ぎゃーっすごいーっ。∀KIKO大丈夫ー?」あまりにも驚いた2人が声をかけてきた。私も突然の信じられないような閃光と音に放心状態になっていた。そして周りを見回してもどこにも帽子が見当たらないのである。これはもうNOBUYAからのサインだとしか思えなかった。「∀KIKOその気持ち確かに受け取ったぜ。ありがとな!」そう応えてくれたかのようだった。私は再び「ありがとーっ!のぶやーっ!!」と思いっきり空に向かって叫んでみた。すると、なんとあろうことか滝の中から帽子が浮かび上がってきたのである。まるでNOBUYAの子供っぽいいたずらのように….。直感でとにかく彼は喜んでいるんだと感じた。ようやく私が手放せたことに。そして私はというと、その時この3年間で一番スッキリした感覚を味わっていた。まるで雷に打たれたように…(笑)。でもこの3年の間に自分で考え行動し経験してきた日々は私にとって、とても重要で必要な時間だったといえるのだ。

それから数日後の8月27日に3度目の命日を迎えた朝、DONとの散歩の時に空に大きな虹がかかった。その虹を見ながら、あの忘れもしないNOBUYAが旅立った朝にも人生初めて見るほどの見事なダブルレインボーがかかったことを思い出した。そして葬儀を終えて北海道から上野原の家にやっとの思いで辿り着いたその時にも空には虹がかかっていた…。こうして折りに触れ、何度でも虹を見せてくれるNOBUYAに愛おしさが込み上げてきた心に残る素敵な3年目の命日でした。

ありがとうございます。愛と感謝をこめて…。