「ドンとドラゴン」

楽しかった岐阜個展の終了後、ARTGYPSYは屋久島へとその足で向かった。

7年前の4月20日の夜明け、我が家のオオカミ犬だったnociwに6匹の子供が生まれた。オス3匹とメス3匹。そのうちの1匹のオス「ドン」は縁あって屋久島へともらわれて行った。そのドンの飼い主が変わることになり、私達はジジババの務めとして屋久島へドンを引き取りに行き、新たな飼い主の住む北海道へと届けることにしたのだ。ところが、屋久島でドンを引き取った後に、新たな飼い主になる筈だった方がドンを飼えなくなってしまい、私達はドンを戻すわけにもいかず「はて、どうしようか?」という事態に突然なったのだった。屋久島のファミリーが早速FBで里親を募集してくれて、何件かの問い合わせもいただいたりしたのだが、なかなか決まらず健太と奈央の家でドンを見つめながらドキドキする時間が流れていった。するとあくる日の朝、NOBUYAが言ったのだ「ドン、オレたちが面倒みようか」もしかしたらもしかして、そうなったらすごいことだなと心の中で思っていたから、彼からそう言ってくれたことがとても嬉しかった。ある意味この絶妙すぎるタイミングは、まるでこうなるようになっていたんじゃないかと思ってしまうほど、本当に不思議な流れだった。

岐阜個展にいらして初めてお会いした方が会場に入るなり、いきなりnociwがいるのが見えると言った。「ずっとお二人のこと見守ってるのね」彼女の存在は感覚ではいつも感じていたことだったので納得だった。そして、そこからのこの屋久島での急展開でもあったので「これはきっとnociwの導きなのかもしれないな」とも思えた。nociwが天に旅立ったのが7歳で今のドンが7歳ってのも、なんかつながっていて、また続きをともに紡いでいくような感じもする。屋久島に7年いたドンは7ヶ月まで私達の元にいた。他の5匹はみんな2、3ヶ月でもらわれていったから、ドンは一番最後にもらわれていった子だった。7、7、7と7が続くのも何かおもしろい。そんな7ヶ月のドンが屋久島に旅立つ直前、不思議なことがあった。いつものようにnociwと一緒に森を散歩していたら急にドンが走り出し「ここほれワンワン」とばかりに猛烈な勢いで地面を掘りはじめたのだ。しばらくするとそこから、なんと龍の置物が出てきたのである。鉄製のそのドラゴンはいい感じに錆びていて、私好みだった。「まさかのドラゴン!ドンすごいよ!」驚いた私は、これはいったい何のサインだろう?と思ったものだった。その日からずっとそのドラゴンは私のアトリエにいていつも空を見ていた。

そして、今思うのだ。屋久島は一説には龍の島ともいわれている。「龍の島へ7年間修行に行ってまたここへ帰って来るよ」と、あの時ドンが土から地球から宇宙からのメッセージを、私達にすでに届けてくれていたんじゃないかって…。2004年に私がグレイトスピリットからのギフトとして受け取った初めて手にしたインディアンフルートがある。nociwの子供達には彼らがお腹にいる時からその音色を聞かせていて、誕生してからもいつも子守唄のように吹いていた。ドン以外の子達がみんなもらわれていってからは、私達はドンを連れてよくキャンプに出かけた。ある日、わたしが車の中に笛をおいたまま外に出て戻ってくると、なんとドンが笛の吸い口とイーグルの形をした守り神を食べてしまっていたのである。自分でも信じられないくらい私は泣きじゃくった。それほどこのフルートに愛着を感じていたことをその時、初めて知ったのである。でもドンを攻めるわけにはいかない。そして、この宝物であるフルートをもう吹けなくなるとあきらめるわけにもいかない。そこで腕のいい友人達に頼み新しい吸い口と新しい守り神としてオオカミをつけてもらった。そのフルートを持って屋久島へ向かった。そしてドンを引き取ってすぐ奈央が海に連れて行ってくれて砂浜でたわむれた時、ドンへの愛をこめて私はフルートを吹いた。すると、ドンはおもむろにおすわりをして遠吠えを上げ出したのだ。胸の奥がキューンとなった。「憶えていたんだな…」その声はやさしくやさしく風にのりながら波の音にとけていった。

nociwありがとう。ドンありがとう。そしてこれからもどうぞよろしく。

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