「いのり」

あっという間に新たな年も立春を迎え、梅の花が香しい季節となった。

が、故郷の北海道はまだ冬景色である。先月母からの電話で、母が買い物に行っている間に父が1人で屋根の雪下ろしをしていて落ちてしまい、母が発見するのがあと30分遅れていたら命がなかったと聞いて大変ショックを受けた。昨年10月にDONの命が突然あと24時間と宣告された時に続き「いのちとは?」「生きるとは?」ということを再び真剣に考えさせられる出来事だった。だがDONの命も奇跡の生還を果たし、父も助けられた。本当によかった…。手首、足、大腿骨を骨折して手術を受けたのでこれからはリハビリに一生懸命に励むことになるだろう。母も大変だろうと労いの言葉をかけたが「起こってしまったことはしょうがない。とにかく前を見て進んでいくしかないわよ。お母さんは運が強いから大丈夫」と返ってきた。気丈な人である。

父の手術の2日後は私の誕生日で、仲間達が美味しい手料理を持参して集い祝ってくれた。私も3年前に右腕の骨折で手術後はとても辛かったので、3カ所も手術した父はどれほどだろうと想像してみたがわかるはずもない。ただただクリーニングして愛と祈りを送るのみだ。仲間達には心から感謝している。NOBUYA亡きあと私とDONを支え助けてくれたお陰でこうして生かされているのだから。それに今、こうして肉体があって「生きている」ということ自体が本当に奇跡のようなことなのだ。最近特に毎日そう思うようになってきた。私とDONも、仲間達とも奇跡の一瞬を共有している。そう思うと、共に過ごす時間はなんとかけがえがなく愛おしいものだろう…。

だからなおさら1人の時間はとても大切だ。私が一番ワクワクして没頭できることは何か。絵を描くこと。詩を書くこと。アートを表現すること。アーティストとして生きアーティストとして死ぬこと。ありがたいことに3月には個展の依頼があり、そのための作品を製作中である。主催してくれるのは東京国分寺で衣食住を培う植物店「KOHO」。ここのオーナーの「MIO」は2000年から2004年まで私が川崎の溝口にあるフィオーレの森でギャラリー「nociw」をオープンしていた時に同じくフィオーレの森の園芸店に務めていて、知り合ってからもう21年の付き合いになる。共に自分のワクワクに素直に生きてきてMIOはついに独立して自分の店を持ったのだ。その2周年を記念しての個展の依頼だった。そんな仲間と仕事としてコラボレーションできることはこの上ない喜びである。人間の短い一生の中でこうして出会っていくご縁を心から大切にしたい。それが今生での一番の宝物なのだから。

今の父は義理の父だ。母は私が8才の時に離婚して15才の時に再婚し、私は父の養子となった。血が繋がっていないのに親子になるというのもよっぽどのご縁なのだと思う。高校の3年間しか一緒に暮らしていないので、東京に出てからはよく手紙でやり取りをしていた。だが20才になってNOBUYAと同棲するようになってからはパタリと手紙が来なくなった。NOBUYAがそばにいて照れくさかったのかもしれない。だからそれ以来久しぶりに病院にいる父に手紙をしたためてみた。ベッドの上でどう感じてくれていただろう…。私の誕生日の日にはNOBUYAのDJブースからいつものように音楽をかけていたのだが、宴もたけなわの頃にいきなりアンプが故障して音が止んでしまった。あまりのタイミングにみんながNOBUYAを感じる瞬間だった。こうしてヤツもいつも参加してるよとサインを送っているのかもしれない(笑)。NOBUYAの旅立ち以来、初めて訪れた音のない時間。この静寂にも神様からのメッセージが込められているような気がした。そんな今この時をじっくり味わってみることにしようと思う。

ありがとう。愛と感謝をこめて。