ハチ

今年は蜂に刺される年である。

9月の頭、16日間の母の介護を終え北海道の実家から帰ってきた。その日は私が到着する前から、屋久島から親友夫婦の健太と奈央と、友達の尚平が我が家に来ていて「∀おかえり~」と皆に温かく迎えられ、久しぶりの安堵感と開放感に満たされ心躍った。3人は数日滞在することになり、その夜は気分も盛り上がって夜遅くまで起きていた。翌朝、奈央が神社に行こうと言ったのでお水を汲みがてらお参りすることにして、早速出かけた。お水を汲み終えて、いつものように奥の院までの道を登り参拝をして、大好きな桂の古木に挨拶をした。久々に来れたのが嬉しくて私は舞い上がっていて辺りを良く見ていなかった。その時、突然右肩にチクッと痛みが走り、尻餅をついてしまった。尚平が「どうしたの?」と駆け寄って来た時に、今度は左腕に再びチクッと激痛が走った。「わっ、スズメバチだ!」3人が驚いた声を挙げた。そして尚平がとっさに振り払おうとした時に、今度は別の蜂に彼が頭を刺されてしまった。「いたたたたっ!」見ると私の左腕にはスズメバチの胴体がちぎれて残り、針は腕に刺さったまま、なかなか抜けなかった。その間も針からはトクトクと毒が流れ出していたのだと思う。「こういう時は向かっていっちゃ駄目だよ尚平!」と奈央が言い、「とにかく病院に行こう」と健太が言った。彼らは皆、屋久島のガイドでもある。この時3人がいてくれて本当によかったと思った。病院はまだ営業前で当直の若い先生がいた。が、専門外で蜂にさされた場合の知識がなく、外来内科の先生が来るまで待つことになった。幸いアナフラキシーショックが起こらなかったので、私達は命拾いをした。内科の先生に診てもらっても結局何も処置することはなく、塗り薬を処方されて家に帰ってきた。尚平は最初顔が若干腫れていたが、割とすぐに良くなった。「よかったー」と思った。私のために巻き添えをくってしまったので申し訳ないと思っていたから。

だが私の方は右肩も腫れてきたが、左腕の方ががみるみる腫れてきて2倍の太さになり、熱を持って真っ赤になっていた。健太と奈央が患部に手をあて必死に「お手当」をしてくれたり、冷やしてくれたりして、2018年の骨折の時以来、またまたお世話になってしまった。「私達がいる時で良かったよ」と奈央。「オレ達がいる時しかならないだろ」と健太。本当に2人には助けられた。そんな彼らも5日後には帰り、その後はなかなか熟睡することもできず1人でじっとこらえるしかなかった。腫れと熱が引いてきたあとは猛烈なかゆみに悩まされ、その傷が癒えるのに一ヶ月ほどがかかった。そうして、やっと治ってきたなと思っていた頃、友達の車で出かけた日、助手席に座って窓を開けながら話していたら、なんと走る車の窓から一匹のアシナガバチが入ってきて、私の右手の甲を刺していったのだ。それはまるでスローモーションのようだった。その時にしていた会話というのが、最近如実に感じる自然界の異変についてで「私達人間が、もっと目覚めなきゃならないということだよね」といった言葉を発したまさにその瞬間だった。窓から入ってきた蜂は一瞬こちらをチラッと見て、その時目が合ったような気がした。やはり、その後は腫れとかゆみが起こったが、今回はアシナガバチだったおかげで一週間ほどで治癒してくれて心からホッとしたのだった。

そして11月からは二度目の介護帰省をすることになった。両方の手が使えるようになって本当によかったと胸を撫で下ろしている。それにしても、こんなに連続で刺されたことは、やはり何かのメッセージのような気がしてならない。まだまだ私自身に、気づかなければならないことがあるのだろう。この経験から改めて自分を見つめ直していきたいと痛切に感じた出来事だった。

蜂さんに感謝して、しっかりとグラウンディングしていきたいと思います。