「星と火と音と」

ふと思い立ってハードディスクのデータの整理をしていたら、新たにNOBUYAが録音した音が入ったフォルダが見つかった。NOBUYAのDJMIXは昨年整理していたつもりだったが、こんなところにも入っていたのかと聴いてみると彼のMIX以外に5つの音源があった。2010年の10月と書かれたそのフォルダの中に入っていたのは、なんとNOBUYAと私が一緒に奏でている音だったのだ。聞いているうちにその時の情景がはっきりと思い出されてきた。音というのは記憶と結びついているものである。

それは我が家のオオカミ犬ドンがまだ屋久島で元の飼い主のところにいる時代で、ドンの母親であるノチューと私とNOBUYAの3人家族でしょっちゅうキャンプをしていた頃だ。2010年の10月といえば、よく一週間くらい自然の中に籠って里に下りずに楽しんでいた時期である。それもキャンプ場ではなく、誰にも見つからないような自分達の気に入った場所でである。お風呂に入る代わりに裸になって川に入り、ノチューはノーリードのまま自由に出かけて行ってはキャンプ地に戻ってきて眠りについた。その頃の高尾の家は薪ストーブだったので火を見ながら一緒に音を奏でるということに私達はハマっていた。あまり人前ではやるのを控えていたNOBUYAもお酒を飲んで上機嫌になると、私に付き合ってインディアンフルートに合わせてメディスンドラムをたたき、ハングドラムに合わせてアコースティックギターを弾いてくれた。そうなると決まってノチューは薪ストーブの前にきて気持ち良さそうに眠るのだ。その同じ光景が自然のキャンプ地の星のまたたく空の下で、焚き火を囲みながら毎度繰り広げられていたのである。今思い返してみても、本当に幸せで楽しい時間だった。でもまさかあの時、NOBUYAが録音しているとは全く気づかなかった。そんなことひとことも言わなかったし機材を持ってきていることも知らなかった。だからこの音を聴いた時、なんともいえない懐かしさとともに温かさに包まれた。誰も何もしゃべらず、宵のしじまの中に私の音とNOBUYAの音と火がパチパチはぜる音だけがしている。焚き火の側で眠っているであろうノチューの気配もありありと感じることができた。そしてNOBUYAの音の中には言葉では言い尽くせないほどの静かな愛とやさしさが詰まっていることに気がついた。今だからこそ、そう気づくことができているのかもしれないと思った。

でも9年という月日が経った今というこのタイミングで、私がその音源を見つけ耳にするということに何とも不思議な気分になったのだった。そしてまるでそんな仕掛けをしているかのようなNOBUYAをあらためてニクイヤツだなと思った。でも何より単純に嬉しかったというのが正直な気持ちだ。NOBUYAのDJ MIXを聴いているだけでもそこに彼を感じて会っている感覚になるが、共に音を奏でているということが、私にとってはとても特別なものに感じられた。目を閉じて時間を忘れ、ただじっと聞き入っていた。焚き火にあたっているように体の中が温かくなる、確かにそこにあった永遠の時に溶けていくかのような幸せな音との出会いだった。

ありがとうNOBUYA。ありがとうノチュー。またひとつ大切な宝物をみつけた日に。

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