「タイムカプセル」

3年前に埋めたタイムカプセルを掘り出した。未来への自分に宛てた手紙と写真を一緒にして。

メンバーは私とNOBUYAと「はるな」と「とし」。当時新橋にオープンしていた「nociw gallery」の仲間達。そして屋久島から戻ってきたばかりのドンだった。
言い出しっぺは私で、子供の頃に5年間子供だけが入院する病院にいた時に同じ病室の仲間達とタイムカプセルを埋めたことを思い出しみんなに提案したら「それおもしろいね!」と乗ってくれたことがきっかけだった。子供時代のタイムカプセルは病院内の公園にある木の下に埋め5年後に掘り出すことに。みな無事に退院していて北海道各地からこの日のために集まったのだが1人は病気がもとで亡くなっていたのだった。そして大人になって再び埋めたタイムカプセル。まさかこの3年の間にNOBUYAが旅立ってしまうことになろうとは誰も想像していなかった。きっと本人もそうだっただろう。はるなととしの自分へ宛てた手紙は一部かろうじて読むことができたが、私とNOBUYAのは残念ながらまったく読むことができなかった。納め方が甘かったためか紙に書いたそれはドロドロになってしまっていた。しかし写真は見ることができた。ポラロイドカメラで写した写真は土の中で3年間熟成され色褪せていい味が出ていた。NOBUYAの写真が現れた時は彼に再会できたようでなんだかとても嬉しかった。しかも何故か彼の写真だけがとてもハッキリと鮮明に残っているではないか。長髪だった頃でオレンジのフリースを着ているからか、まるでインドの聖者のようでもあった(笑)。直筆で「のぶちんちん」とまたふざけた風に名前を書いていた。NOBUYAらしいな….。きっと2人きりだったらこの私の子供じみた提案には乗ってくれなかっただろうからあの時、はるなととしがいてくれてよかったなと思う。だってNOBUYAの姿がなくても彼を感じるこんな楽しみが残っていてくれたから。それにドンもこの時は痩せていて顔もこけているが、3年経った今はとても元気そうだ。まるでNOBUYAと入れ替わりにやって来てくれたかのようでもある。確かにドンの中にNOBUYAを感じることが度々ある。一緒に寝ていてNOBUYAはよくこちらに背中を向けて「おい、背中にくっつけ!」と言っていたが、ドンも寝ているといきなり布団へやって来てドカッと寝そべり、おもむろに背中をこちらに向けるのだ。「えっ、これって背中にくっつけ?」と本気で思ってしまう自分がいるのだった(笑)。

もうすぐNOBUYAが旅立ってから丸2年が経とうとしている。忘れもしない8月27日。あの時以来8月は私にとって特別な月となった。故郷へ帰り喪主としての三回忌の法要も待っているが、未だに不思議な感覚に包まれているのも事実だ。それは「NOBUYAはいないけれどもいる」という感覚。本当はこの感覚の方がリアルなのではないか?とさえ思えてしまう。だから今でも彼に普通に話しかけ笑っている私が今ここにいる。私とドンの人生の珍道中をきっと「ガハハーッ!!」と笑って見物していることだろう。あのいつもの、とびっきりハッピーな笑顔で….。

NOBUYAありがとう。愛してるよ。