_ 2017.11.4_>>>_満月


「みんないっしょ」

気づいたらあっという間に11月。おかげ様でバタバタしながらも平和な日々を過ごしております。

NOBUYAの四十九日には彼が楽しみにしていた横浜の遺跡、竪穴式住居で個展の初日を迎えることができました。翌日のARTGYPSY ARTSHOWとも雨の中の開催でしたが
とても落ち着く太古の空間の中で時を超えてNOBUYAを感じることができて嬉しかったです。法要が行われた余市の空は晴れ渡り清々しい一日だったようです。

八王子ポラリスでの個展中に我が家のオオカミ犬「ドン」の面倒を見るために屋久島から再び森の旅人「健太と奈央」がやってきてくれました。北海道から家まで車ごと送り届けてくれてしばらく滞在した後、屋久島に帰ってからたったの一ヶ月で戻ってきたので、もう「ただいま!」「お帰り!」という感じ。そのおかげでドンの散歩とご飯を気にすることなく個展に集中することができて本当に感謝でした。ポラリス個展もほぼ雨の毎日でしたがオープニングとクロージングに開催したARTGYPSY ARTSHOWではNOBUYAと縁のある懐かしい顔ぶれが集まってきてくれて彼も喜んだと思います。ゲストアーティストの「堀田義樹」と「大塚寛之」とのアートショーでのコラボでは二人がとても喜んでくれて嬉しかったです。最終日は台風上陸にもかかわらずキャンセルが一件もなかったとオーガナイザーの「佐千代」も感動していました。文化の日には久々に古巣「フィオーレの森」でのARTGYPSY ARTSHOW。主催のナチュラルガーデン「KOHO」の「美緒」や私がフィオーレを去った後もずーっと応援し続けてくれているオーナーの「三富」家の方々やフィオーレの仲間達の大きな愛を感じました。我が家から一番近い友達「うめ」と「圭樹」夫妻にも大いに助けられ、同じ町に暮らす仲間達にも助けられ、以前住んでいた高尾の仲間達にも助けられ、みーんなに助けられて一歩一歩前へと進んでいます。健太と奈央は11月の「ござれ市」にも協力してくれることになり、久々のござれにも参加できることになりました。もうなんと言っていいのか言葉では言い尽くせないほどに、ただただみんなに「ありがとう!」の毎日を送れていることの幸せをかみしめています。

ARTGYPSY ARTSHOWでは度々NOBUYAが光となって写真に写ってくれます。まるでわざと写ってくれているようにも思います。「ほらな、ちゃんと居るだろ!」と確認できるように、いつもわかりやすい形でサインを送ってくれている気がします。NOBUYAの誕生日のナンバー「4」と「7」もやたらと目にするようになりました。2013年に旅立ったドンの母親で私たちが初めて出会ったオオカミ犬「nociw」の存在とも彼が一緒にいるのを感じます。二人とも7日生まれで27日が命日なのも一緒。NOBUYAを看取る時にはnociwを看取った時と同じ神聖な感覚に包まれました。この再会をさぞかし二人は喜んでいることでしょう。私はこちらでドンとともに楽しんでいこうと思います。目に見えない二人と目に見える二人。「そっかぁー私たちは四人家族だったんだね!」と、しみじみ感じる今日この頃です。私にとって最高の家族です。

NOBUYAはいつも「俺とお前は一人では半人前。二人合わせてやっと一人前だな!」と言っていました。今後は目に見えないNOBUYAと一対となって地球にアートの種を蒔いていくのだなーと思います。個展のノートに友達の子供が残していった言葉に心がポッと温かくなりました。

「あきねー。どんちゃん。のぶにー。のちゅー。みんないっしょ。あんしんしてね。」








 


_ 2017.10.6_>>>_満月


「UNSEEN」

NOBUYAが旅だって一ヶ月が経ちました。あの時から時間の感覚が変わって今もまだ不思議な気持ちです。

お通夜の時から余市まで飛んで駆けつけてくれた仲間達に助けられ、車の運転ができない私に変わってNOBUYAの車を運転して私やドンや作品を
家まで送り届けてくれたので今アトリエにいることができています。NOBUYAが楽しみにしていた故郷余市での個展とARTGYPSY ARTSHOWも彼らのお陰で無事やり遂げることができました。オーガナイザーの「伊藤家」の家族や私の家族や親族、兄弟達にもどれだけ助けられたことか知れません。感謝してもしきれないほどみんなに心からのサポートを受けました。本当に私は幸せ者です。

余市でのARTSHOWは生涯忘れられないほどの想い出です。ゲストミュージシャン「SAFAIKO」のメンバー「山ちゃん」とは何年か前の函館のイベント
にお互い呼ばれていて一緒に合宿生活を共にして意気投合したアーティスト仲間で今回の初共演と再会をNOBUYAもとても楽しみにしていました。突然旅立ったことを山ちゃんに知らせた時、その旅立ちの日は偶然にもなんと山ちゃんの誕生日だったとのこと。「今回の演奏はボクもNOBUYAのために捧げます!」と言ってくれた彼。会場には小さな田舎町余市にいったい何が起こったの?というくらい溢れんばかりのお客様が来てくださり、NOBUYAも驚きとともにとっても喜んでいたと思います。SAFAIKOのライブでは会場が踊りの渦になってまるでお祭り騒ぎ!みんな笑顔が炸裂していました。笑いや踊りが大好きだったNOBUYAになんともふさわしい一面でした。

旅立つ札幌個展の前に会場の「ギャラリーあだち」に一緒に行ってオーナー夫妻に挨拶をして下見をした時、NOBUYAが奥様にある場所を指差して「ここのスペースがとてもいいから何か特別な一番メインになるものを展示したい」と話していたというのを後日奥様から聞かされたのですが、結局そこにはNOBUYAの遺影にも使用した屋久島の奈央が撮った満面の笑みの彼の写真と私が書いたNOBUYAへのメッセージが展示されたのでした。いつも先を見通しているNOBUYAです(笑)。ARTSHOWの作品も今年のツアーではすべて「REAL」というタイトルの作品をやってきているのだけれど、北海道ツアーに出発する直前に「∀KIKO!今回余市の個展の時だけはどうしても過去の作品-UNSEEN-でやりたいんだ」と言ってきたのです。この作品は私が屋久島の森に籠り絵を描いていた時に彼が高尾で制作したもので、彼自身とても気に入っていると言っていた作品でサブタイトルを「目に見えないものの力」と自ら名付けていました。そしてまさにその名の通りNOBUYAはあの時、目に見えない力という存在そのものになって会場にいたのだろうと思います。UNSEENの最後の詩は私が書いた「記憶への旅」という詩でその最後が「さぁ魂の話をしましょう」という言葉で終わるのですが「余市ではこの最後の言葉がとても重要なんだ」とも話していました。今思うと不思議でもあり、またこうなるようになっていたのだなとも感じます。

そしてNOBUYAにしては珍しく出発前に12月までのスケジュールを組んでいました。本来私達どちらもそういったことが苦手でしかたなくNOBUYAがやっているという感じだったのであまり先の予定までは組んでいないというのが日常でしたが何故か一生懸命に苦手な電話をかけて先方と打ち合わせをしている姿がありました。だから今はNOBUYAの描いたストーリーをできる限りやっていこうと前向きに考えています。それでも車のことやドンのことなどで色々と難しい問題もあるのですが、その都度運転してくれる人が現れたりドンの面倒を見てくれる人が現れたりして救われています。本当にありがたいことです。

それともうひとつ珍しいことがありました。それもツアー出発前に2枚組のCDを渡されたのです。NOBUYAがミックスしたCDでした。「ツアーから帰ってきたらアトリエで聴いて。」タイトルは∀KIKO Vol.1とVol.2。DJをやっている時が一番幸せだと言っていたNOBUYA。よく友人に依頼されて彼らのために真剣に音を紡いでいました。喜んでくれる顔を見て本当に嬉しそうにしていた彼。でも私のためにというのはもう何年も作ってくれたことはなかったのです。頼んだわけではなかったので受け取った時は純粋に嬉しかったのでした。音楽こそが彼の心の拠り所でした。私は彼のDJを聴きながら踊る時間がたまらなく好きでした。そうやって眠りにつくことが幸せでした。そんな夜を何度過ごしてきたことでしょう。彼の音はアンビエントでありながらもジャンルを越えあらゆる世界へと心を誘ってくれるものがありました。彼独特のセンスが光るものでした。そして何より私が彼の一番のファンです。このミックスがNOBUYAにとっての遺作となったこと。すべて完璧な私の愛する魂です。

ありがとうNOBUYA。あなたの音を聴きながら私もこっちで一歩づつ進んでいるよ!






 


_ 2017.9.6_>>>_満月


「NOBUYA」

2017年8月27日1時38分。最愛のパートナーである「NOBUYA」が旅立ちました。

初めての札幌のギャラリー「鴨々堂」での個展の最中のことです。26日はARTGYPSY ARTSHOWが昼の部、夜の部と2回あり、ともに大盛況でNOBUYAも大満足していました。
札幌滞在中は友人宅にお世話になっていて、その友人家族は一家で新潟に旅行に出かけていました。帰りの車の中で「今日のアートショーは最高だった。特に2部の方が良かったよ」と言ってくれました。「家に帰る前に銭湯に入っていこう」というので「えーっ。着替えもタオルも持ってないよー」と話すと「いいじゃん30分だけ」というので「笑福の湯」という銭湯に入ることにしました。「見て。縁起がいい名前だね」という私にそっと自分のタオルを手渡してくれたNOBUYA。30分後NOBUYAは先に上がっていて「気持ちよかったねー」と話しながら友人宅に着きました。リビングに行き2人でARTSHOWの余音を感じていると突然NOBUYAが「痛いっ!」と頭を押さえ悶え始めたので慌てて救急車を呼び病院に駆けつけて2時間後のことでした。

その3日前の夕食後に「なんか頭が痛いんだ」と話していたNOBUYA。「ギャラリーは午後からだから明日の午前中病院へ行ってくれば?」と言ったけれど「いや。明日は大事なARTSHOWだから行ってる時間なんてないよ。終わったら行くから」と薬局で頭痛薬を買って飲んで準備に取り掛かっていました。今回のARTSHOWのゲストアーティストはオーガナイズも手掛けてくれた「みうらあつこ」のユニット「アカプルエ」で彼女たちがインスピレーションで手作りした楽器で初めて人前で演奏するというデビューのライブでもありました。リハーサルの時、彼にしては珍しいくらい厳しい口調で真剣にアドバイスをしていて「なんかいつものNOBUYAと違うな。怖いくらい…」と感じていました。するといざ本番になってみるとリハの時とは比べ物にならないくらい彼女たちの音が冴え渡っていたのです。これには私も驚いたけれどNOBUYAが一番感動していました。そして彼女たちにそのことを心を込めて伝えていたようなのです。

だから翌日にNOBUYAが旅立ったという知らせを受けて驚いてアカプルエのあつこと「かずみ」さんが飛んできました。「信じられない。昨日あんなに笑っていたNOBUYAさんが。そういえば昨日ギャラリーの外で苦しそうな顔をしながら深く何度も深呼吸をしているのを見たの。でも中に入ったらニコニコ笑って楽しそうにしていて」とあつこ。「そうだったんだ…」きっと頭痛薬も効かないくらい相当痛かったのをこらえてARTSHOWを成功させるために全力で頑張ってくれていたのでした。特に私にはそんな顔を一切見せずにARTSHOWに集中できるようにしてくれていたのです。すると驚いたことに隣にいたかずみさんが「実は私NOBUYAさんの姿が見えて声が聞こえるんですけど言ってることを話していいですか?」と言ってきたのです。実は私も個展最終日のこの日1日ずーっと彼の存在がここにあることを感じていました。「はい。ぜひ聞きたいです」

「∀KIKO突然逝ってごめん。自分でも今回のことでまさか死ぬとは思ってなかったから正直びっくりしたんだ。でも何も後悔はしていないよ。なぜならこういうパターンでお前より先に逝くことは実は生まれる前に決めてきたことなんだ。今まで肉体を持ってお前のこと支えてきたけれど、これからはより自由になって今まで以上にお前をサポートしていくから何も心配することはない。安心してお前はお前の一番やりたいことに今まで通り専念するだけでいいから。俺はずっとそばにいるよ。そのことをお前が一番感じていくはずさ。∀KIKO愛してるよ…」私が思わず自分の腕を交差すると「わかりますか?今NOBUYAさんがハグしているのが」とかずみさん。そう個展最終日のギャラリーにはNOBUYAのエネルギーが満ちているのが入った途端伝わってきました。24時間前にはここで一生懸命にARTSHOWのセッティングをしていたNOBUYA。とても不思議な感覚でした。

2日後のお通夜の朝、我が家のオオカミ犬ドンと散歩していると空に大きな鷹がやってきました。そして私達を先導するように前方をゆっくりと舞い始めました。するとその鷹が空から大きくて美しい羽を落としてきたのです。聞くとその羽は「風切り羽」といって一度抜けるともう二度と生えてこない羽だということでした。ともに余市で生まれ育ち幼稚園の時からクラスが一緒で中学の卒業式にNOBUYAに告白されてから35年間ずーっと一緒に生きてきました。普通に見たら早すぎる死になるかもしれないけれど私達にとってはとても濃密な時間をともに過ごすことができて今豊かな気持ちでいっぱいです。

3年前にNOBUYAが掲げた私達ARTGYPSYのテーマ「SUPER PEACE」「∀KIKOこれからの3年間はどうしてもこのSUPER PEACEというテーマで全国を旅して行きたいんだ。この3部作が終了したらあとは∀KIKOがまた自由に決めていけばいいからこれだけはやらせてくれ」と言っていたNOBUYA。第1章は-FANTASY-昨年第2章は-MEMORY-そして最終章である今年は-REAL-。「REALとはこのことだったのか!」とまさに今、超現実を噛み締めている私です。以前からNOBUYAは「俺は今本当に幸せだからいつ死んでも悔いはない。そして逝く時はうちの爺ちゃんみたいにポックリ逝きたい」と話していました。それを有言実行した彼は本当に天晴れな男だと思います。さすがです!先見の明を持ったNOBUYAの視野は広く世界を見渡していました。まさに鳥のような人でした。

全国各地から友人達が駆けつけてくれた葬儀も無事終わり、今朝ドンと再び余市川を散歩していると突然霧雨が降りだし、大きな虹が空いっぱいに架かりました。「だから大丈夫だって言ってるだろ!2人のこと見守ってるよ」そんな声が聞こえてきました。9月6日からはNOBUYAも今回のツアーで一番楽しみにしていた初めての余市個展が始まります。
ARTGYPSY ARTSHOWとともに私はNOBUYAに捧げます。一緒に楽しもうね。愛しているよ心の底から。

そしてこれからもどうぞよろしく。




 


_ 2017.8.8_>>>_満月


「パラマハンサ・ヨガナンダ」

5月に奈良の「ならまち資料館」で個展をやっている時に、10年前に友達に貸した本が突然返ってきた。

それはインド出身でアメリカにヨガと瞑想を普及させたことで大きな貢献を果たした「パラマハンサ・ヨガナンダ」というヨギの記した「あるヨギの自叙伝」という本だ。その内容は1893年から1952年までの彼の生涯と彼の師「スワミ・スリ・ユクテスワ」、ユクテスワの師「ラヒリ・マハサヤ」、マハサヤの師で数世紀に渡ってヒマラヤの山奥に現存する神人「マハアヴァター・ババジ」の知恵が記されたもので、この本と出会ったことで私も多大な影響を受け読んだ当時のバイブルとなっていたものだった。

そもそもこの本との出会いは1999年に初めて「ござれ市」という国宝の真言密教の寺「高幡不動尊」で開催されている骨董市に参加して間もない頃、カリフォルニアからやって来たというエンジニアの「ケビン・コルビン」という男性が私の絵を見て凄く反応して「よかったら君を食事に招待して色々話をしてみたい!」と熱烈に誘ってきたことがきっかけだった。彼に同伴していた仕事の同僚だという日本人の男性も一緒なので安心してくれと言われ、じゃあ私も友達を誘っていくということで了承し翌日改めて会うことになった。その席で彼はアートがいかにこれからの時代に必要であるかということや、自身もヨガと瞑想に励み日々心と体の浄化と鍛錬にいそしんでいるということを語っていた。「そういう意味でも君のこれからの仕事はとても重要だからどうか頑張ってください。日本のためにも世界のためにも!」とエールを贈られ別れた。その数日後にカリフォルニアから届けられたのがこの本だったのである。そこには「君のもとにいくべきだと思ったので」という短い言葉が添えられていただけだった。それからケビンには会うことはなかったが、その分厚い本のページを開いたとたん、私は完全に没頭してしまい一気に読み上げてしまったのだった。

それから8年後、高尾山のふもとに住んでいた時すぐ隣に住んでいた「えいじ」になぜかこの本を貸したくなった。それまで誰にも貸したことはなく大切にしていた本だったので自分でも不思議な気持ちだった。ところが貸してすぐ、えいじとパートナーの「まりこ」が奈良に移住することになりえいじはその本を持って行ってしまった。そこでえいじは奈良で友達になった人に本を又貸ししたのち、今度は阿蘇に引っ越すことになり貸した友達も奈良から引っ越してしまった。「まー最初に貸した自分の責任でもあるし、執着しても仕方ないよな」と諦めて10年が経った今年、ツアーで阿蘇に寄った際、なんとなく話題がこの本の話になった。「そんなに大切にしていた本だったんだね」えいじはそう言うと遠い目をしていた。で、その後にならまち資料館での個展開催があったのである。

それは一週間の個展の最終日だった。資料館のスタッフの方が「∀さんへの届け物を預かっていますよ」と封を開くと、そこになんとあの懐かしい本が入っていたのだ。しかもそれは相当な年代物のようにボロボロの姿になっていた。「このタイミングで再び手にすることができるとは」と、感慨深かった。えいじや送ってくださった方に感謝の念がこみあげてきた。この出来事は自分へのメッセージでもあると思い、私は再びページをめくることにした。18年ぶりに読み返した本は今の私に新たな発見と学びを与えてくれた。そしてヨガナンダや彼にインスピレーションを与えた師達に深い尊敬と愛の思いが沸き上がった。今回も一気に読み上げ幸せな気持ちで床につくと、夢枕にヨガナンダが現れた。
彼は私の頭頂に手を置きマントラを唱え祝福を与えてくれた。その時、頭の天辺にビリビリと電流のような衝撃を受けた。それがあまりにも強烈だったので私はビクッと飛び起きてしまった。「あ、夢だったのか」と思ったが再び眠れないほど目覚めてしまったのでいつも通りに布団の上で瞑想をすることにした。すると先程の夢のように今度は実際に頭頂がビリビリビリビリし始めたのだった。あたたかな愛にすっぽりと包み込まれたような至福の時だった。

「あきこーっ!」目覚めたNOBUYAの声に駆けつけると、我が家の床下に引っ越した時から棲んでいる蛇の見事な抜け殻が軒下にぶらさがっていた。いつ何時であれ真理の道を歩む者たちの霊的視野の中に偏在し続けるという偉大なグル達。その存在を感じた幸せな体験だった。







 


_ 2017.7.9_>>>_満月


「鹿の頭骨」

私のアトリエに長いこと飾っていた鹿の頭骨を出会った森に返してきた。

今から20年ほど前に私はその森でこの鹿と出会った。NOBUYAと毎週のように通い続けた秘密の森。そこに通って10年が経とうとしていた頃だった。
いつものように森に入ると大きな岩の上に鹿の生首がでんと置かれていたのだ。猟期だったため猟師が射止めた鹿を頭の部分はいらないからと置いていったものだった。その首は角を持ち上げて切断面からしたたる血を見なければ、まだ生きているかのように美しかった。私達は土を掘ってその頭をいったん森に埋めて半年後に取り出すことにした。その間に土中の微生物が掃除をしていてきれいに白骨化した頭骨が土の中から現れた。それを家に持って帰ってアトリエに飾ってから、私は憑かれたように鹿を描き始めた。画集「wor un nociw-水の星-」はその後にこの森を舞台にして創作したものである。この画集には水の音のCDが付いているが、それはNOBUYAが10年間この森のあちこちで採取した水の音たちだった。

アトリエに鹿の頭骨がきてから20年あまり、私はいつもそのもの言わぬ鹿に挨拶していた。ただそこにあるだけでなんだか見守られているような気がして心が落ち着いた。長い間そこにあるのが当たり前のような感覚になり別段気にとめることもなく歳月は過ぎて行った。ところが今年、初めて出会ったとある方から「あなたのアトリエにある鹿をもう返してもいいんじゃない?」という言葉が出てきたのだ。私はハッとした。そして思った。「そうだ。あの鹿は20年前の自分には必要だと感じ、欲しいと思ったものだったが、果たして今の自分にはどうなのか?」と。そして「そうだよな。もうここに執着する必要はないよな」と素直に思えたのである。そう心に決めてからは毎日鹿に「今までありがとう」と声をかけた。久しく行っていないかつてのあの秘密の森にNOBUYAが気が向いた時に連れて行ってほしいと彼に伝えた。

「よし、今日森に返しに行こう」とNOBUYAが言ってくれたその日、私はきれいにその骨を洗いセージで清めた。そして丁重に布に包んでもと居た森へと運んだ。久しぶりに来てみると、そこは長い間人が入っていない様子で私達が通っていた頃よりも鬱蒼としていてかえって豊かな森になっていた。
私は最後の挨拶をして手を合わせた。「今までたくさんのインスピレーションをありがとう」鹿はなんだか嬉しそうに見えた。やはり森の中にいるのが一番似合う。美しいものに心をこめてインディアンフルートの音色を捧げた。空にはかつて私達が森に入る時にはいつもそうだったように、鷹が旋回しながらサインを送っていた。帰ってみるとアトリエはとても軽くなっていて、あたたかく私を迎えてくれた。それは私の心の鏡でもあるのだろう。今はゆっくりと落ち着いて新たな創作にいそしむ毎日である。

幸せをかみしめながら…。


 


_ 2017.6.21_>>>_夏至


「クリーニング」

ツアーから帰って来て、黙々とアトリエを整えることに精を出していた。

「帰ったらすぐに絵を描きたい!」と思っていたのだが、久しぶりにアトリエに戻ってみるとなんだか隅々まで掃除をしてから描こうという気分になったのだ。
ここまでアトリエの物すべてを整理整頓したのは2年前に引っ越してきて以来かもしれない。一度ハマり出すと止まらない性分なのでとことん夢中になってしまった。
思えばこれは幼い子供の頃からの癖だった。自分の空間を整えようと思い立つとそこからいつまでも没頭してしまうので親もあきれていたものである。部屋の中をやり出すと今度は外をきれいにしたくなる。2ヶ月間留守の間伸び放題だった家の周りと中庭の草達を1本1本手で抜く作業にも夢中になった。そうしながらツアーでお世話になった方達の顔が浮かんできては楽しかった出来事を思い出し1人で笑いながら吹き出したりしていた。

NOBUYAといえば我が家のオオカミ犬ドンのために今度は遊び場を作ってあげようと、家の外のさらに外にある相当ボウボウな草を刈るために草刈り機まで買って同じく日々草刈りに没頭していたのである。家のすぐ下には大屋さんのお兄さん「網野」さんが世話をしている素敵な畑があって、毎日朝の5時から精を出して丹念に野菜を育てているのだが、なんせ我が家の他には家のない小さなお山のてっぺんなのでサルやイノシシがやってきてその美味しい野菜を食べていくので大変困っているとのことだった。「あんたの家からこの畑の下まで杭を打ってロープを貼って、そこをこの犬が行ったり来たりしてくれたら奴らも来れねぇだろうによ」というのでそのリクエストに応えて作ることにしたのだ。作るからにはドンにとってそこが快適で楽しくなければ意味がないというので約幅3m×長さ100m以上の草を刈って地面をなだらかにして途中にドン専用のドームハウスまでも作ろうと頑張っている。草を刈っていくと、いったいいつの頃からそこにあったのかという捨てられたゴミ達が日の目を見る。しかもそれは結構な量だ。すべてが終わったらまとめてグリーンセンターへ持って行くことにしよう。

ドンもやはり久しぶりの我が家での生活にとてもリラックスしているようだ。もうすぐ私達の所へ戻ってきてちょうど1年が経とうとしている。屋久島へ貰われて行く前に私達と彼の母親「nociw」と一緒に過ごした7ヶ月と、帰ってきて私達の犬になってからの1年とはドンとの関係が明らかに違う。1年経って今は本当にお互い信頼関係で結ばれていることを強く感じる。「7年間屋久島ではずっと外にいたんだから家の中には絶対入りたがらないと思うよ」と言っていたNOBUYAだが、今では昼間は気持ちがいいので外にいるが、夜は家の中で人間顔負けのいびきをかきながら幸せそうな顔をしてまるで人間のように寝ているのだ。いったい彼は人生7年目にして突然180度変わった生活をどう感じているのだろうか?とふと考える時があるが、いや彼はただ「今を生きている」のだからそんな考えは野暮というものだよなと思うのだ。確かに私達にとっては常に「気づき」を与えてくれる先生以外の何者でもない。そんな先生にカムバックしていただいてただただ感謝の毎日である。

愛してるよ!この地。この家。この家族達。ありがとう。






 


_ 2017.5.11_>>>_満月


「旅の途上」

ツアーも終盤を迎え、あとは最後に奈良の奈良町資料館での個展開催を残すのみとなった。

巡った各地では様々な出来事や出会いがたくさんあり、喜びと感動の連続だった。我が家のオオカミ犬「ドン」が7年間過ごした屋久島での開催は彼の里帰りにもなり、元の飼い主さんやその子供達にも会うことができてドンにとって本当によかったなと思った。開催中はずっと親友である森の旅人「健太」と「奈央」の家にお世話になり、ドンも家に入らせてもらってご機嫌だった。何より彼にとって一番馴染みのある環境だからか、今回のツアーで一番リラックスしていたようだ。どこへ行っても人気者のドンは特に子供達にとってのアイドルだ。山口のフリースクールでは子供達に取り囲まれ、たくさんの小さな手に一斉にマッサージをされていた。

屋久島ではどういうわけか「∀の絵を見たり買ったりして飾っていると子宝に恵まれる!」という噂が流れているらしく、会場には「2年前に絵を買ったんですけど、お陰さまでこの子を授かりました」なんて言って来てくださる方が本当にいてビックリした!(笑)。まぁ噂が一人歩きしていることは別にしても、新しいいのちがこの地球上に誕生するということは素敵なことだ。フリースクールではお年玉の入った袋ごと家からわざわざ持って来てグッズを買ってくれた子がいたり「もしもお金があったならこの絵を全部欲しい!」と言ってくれる子がいたり、以前屋久島で開催した時に、やはり自分の貯めていたお年玉で原画を買ってくれた小学生が今回も個展に来てくれて「あの絵は私の宝物。どんな絵よりも一番大好き!」と言ってくれたりして、そんな子供達の言葉が純粋すぎて心の底から嬉しかった。そして彼らからまた勇気と自信をもらうことができた。「描いてきてよかった」そう思える最高の瞬間である。

だからツアーから帰ったら早く絵が描きたい。形となって現れようとしているスピリット達が今か今かと待機しているのを胸の奥に感じるから。でもその前に「ならまち」が控えている。このツアーの途中でオファーがきて急遽決まった開催地。これは偶然ではないだろう。出会いの予感がする…。楽しみだな。

ARTGYPSYの仲間NOBUYAとドン、出会ってくれる人達、そして目に見える存在と目に見えない存在に心から感謝して。ありがとう。










 


_ 2017.4.11_>>>_満月


「ARTGYPSY TOUR 2017 前編」

ARTGYPSY TOUR 2017 がスタートした。

岐阜のギャラリー「UNIVERSE」での濃密な二週間ではオーナーの「美和」との親睦をさらに深め、昨年に引き続き二度目の個展開催だったからか、ゆっくりとファンの方々が増えてくださってるのを実感した。しかも若者だけではなく地域に暮らす叔父さまや叔母さまなどが「また来年待ってますからね!」と声をかけてくださり、なんとも嬉しく勇気を頂いた。「ARTGYPSY ARTSHOW」ではファミリーバンドの「ザ・バクマイズ!」との初コラボが実現。最高に楽しかった。我が家のオオカミ犬「ドン」も昨年屋久島から引き取ってきて最初に訪れたのがこの土地だったのでドンちゃんファンもかなり多く、みんなにもてはやされ嬉しかったようだ。一番嬉しかったのは好物の鹿肉を毎日のように食べれたことだったに違いない。ここへはまた旅の最後に立ち寄ることになるだろう。

初めての名古屋では一日限りの個展と「ARTGYPSY ARTSHOW」を行った。キールタンの「よしき」に紹介してもらった「あさの」さんが主催をしてくださり、「TRAIBAL ARTS」という素敵な場所でミュージシャン「松久浩之」と一年ぶりのコラボ。彼の1stアルバムのジャケットを手がけたことでいっきに近くなった気がして、気持ちよくやることができた。彼の妻でダンサーの「りえ」と娘の「ひなた」の共演の舞もかっこ良かった。初めて会ったオーナーの「よしなが」くんと妻の「きみ」ちゃんからも「またぜひ来年も、今度はもっと長く個展をしてください!」とラブコールを頂きご縁がつながって本当に嬉しかった。

奈良は當麻寺にあるギャラリー「らしい」で昨年に引き続き二度目の開催。主催者のmoritto「よっちゃん」のヨガスタジオに滞在させてもらいながら息子の「源己」やパパとまた家族ぐるみでの付き合いを深めた。ギャラリーのオーナーの奥様「ちえこ」さんとも深い話ができて興味深かった。アートショーでは初めて会うお二方とのコラボ。奈良県出身の「kawol」さんの太古の響きを彷彿とさせる歌声は素晴らしかった。そしてアルゼンチン出身の「ギジェルモ」は前の晩にYOU TUBEでチェックしたNOBUYAが珍しく緊張してしまったというくらい凄腕のギタリストでヨーロッパではすでに高い評価を得ている国際的な音楽家だった。初めてコラボする外国人ミュージシャンが彼だったことは本当に光栄だった。アートショーもグッドバイブレーションで最高だったと言ってくれ「君の絵は世界に出ていくべき。今度のアルバムジャケットをぜひオファーしたい」とまで惚れ込んでくれて本当に嬉しかった。

岡山では「すみれのお宿」でのアートショーの開催。主催者の「すみれ」さんとは5年ぶりの再会だったがここで「ARTGYPSY ARTSHOW」をやるのは初めてだった。すみれさんの提案で一日に2公演をすることになった。ゲストミュージシャンは岡山に移住してきたという「エッコ」。初めて会ったばかりだったがアドリブが大好きというだけあって、即興で素晴らしい演奏をしてくれてとても楽しかった。背中におんぶ紐で子供を背負い、お腹の中には新たな命が宿っていて、私のテーマである「いのち」にぴったりの取り合わせだった。背負われた娘「かなこ」は終止歌を口ずさんでくれて素敵だった。満月にぴったりのアートショーとなって来てくださったお客様方から満面の笑みがこぼれていた。

各地で繰り広げられるARTGYPSYの旅はまだまだこれから続いていきます。これから広島、山口、屋久島、福岡へ、そして再び奈良での個展が急遽決定しました。世界遺産の町「ならまち」にある奈良町資料館のギャラリーでの開催です。旅の一番最後にまた奈良へ帰って行けるのも楽しみです。ひとつひとつていねいに、かたつむりの早さで心をこめて進んでいきたいと思います。それでは各地でお会いしましょう!











 


_ 2017.3.28_>>>_新月


「京都のおじちゃんへ」

先日叔父が旅立った。

その叔父は母の末の弟で北海道余市育ちだが、高校の修学旅行で行った京都が気に入り大学を京都に選んだのだった。その大学時代に種子島から出て京都で働いていた叔母と出会い恋に落ちた。
私はその頃ちょうど病気で子供病院に入院中で、そこに初々しい二人がお見舞いに来てくれたのを今でもはっきりと思い出せる。その時、結婚の報告に来ていたようでその後、北海道の親戚はみな京都での結婚式に呼ばれて行った。私は病院の中で、初めて飛行機に乗って京都という遠いところへ行ける妹のことが羨ましいなと思ったのを覚えている。叔母は繊細で可愛らしい人で親戚の中で一番私の絵を理解してくれる人でもあった。そんな叔母が昨年の二月に急死した。朝起きて横を見たら息が止まっていたそうで叔父は驚いたという。そして今年その一周忌の法要のために北海道から来た親戚と京都の宿で落ち合っていると、叔父から電話があり急に病院に入院したとのこと。法事を翌日に控えてどうなることかと思ったが無事済ませ一同病院へ向かった。通された個室で見た叔父は一年前に会った叔父とはまるで別人になっていて一瞬言葉を失った。「早くよくなりますように」と思わず手を握ったのが最後となった。それから一ヶ月ちょっとであっという間に旅立ってしまったのだ。叔父には昨年京都に帰ってきた娘の「真理子」と孫の「みなみ」がいた。お通夜の日、駆けつけると喪主の席で涙ぐむ真理子がいた。その日は親族だけで会場に泊まることになったが、いくら待っても真理子が寝室に来ない。叔父の眠るホールへ行ってみると1人真理子が椅子に座っていた。従姉同士でも離れているので、こんなに話したことはないというくらい色々話をした。聞くと叔父は三年前からガンの宣告を受けていたのだが叔母にも誰にも言わず、昨年叔母が亡くなって真理子が帰って来た時に初めて真理子に告げたのだという。しかも「あとは誰にも言うな」と口止めをされて。「結局、それが父だったんですね…」とぽつりと真理子。「お酒が好きで好きでそれで体を壊したかもしれないけど、それは止められない。というか止めたくなかったんだね。人に言ったら真っ先に「酒やめろ!」って言われちゃうもの。おじちゃんパンクだよねー(笑)」「最後には安心させるためかもしれないけど「好きなことしてきたから満足してる」って言ってました」「そっか…よかったね」医者から余命一週間と言われたと自分で母に電話してきたという叔父。最後は母も叔父の手を握りながらずっと言葉をかけ続けることができたという。

告別式の2日後、私は座間味に鯨を見に行くことになっていた。母から知らせを受けた時はまだ葬儀の日程が決まらず、もしかしたら座間味行きは見送りになるかもしれないと思った。一緒に行くことになっていた「奈央」に伝えたら「大丈夫。祈ってるよ。おじちゃんも絶対∀に行ってほしい筈だから」と言ってくれていたが、本当にギリギリ間に合う完璧なスケジュールとなったのだった。実は叔父の知らせを受ける日の朝、毎日の日課でドンと散歩に出かけたのだが、山を下る時に目の前の道に大きな鳶が舞い降りてきてとまったのだ。そして帰りに山を登っていると別の場所で今度は道にとまっていた鳶が大きな羽根を広げて目の前から飛び立っていった。その光景自体が初めてだったのと何かのサインのような気がして帰ってさっそく奈央にメールした。「それはきっと何かが起こるサインだよ∀ー!」って。そうしたらその数時間後に母からの電話で叔父のことを知ったのだ。まるであの二羽の鳶はおばちゃんとおじちゃんで、やっと二人で手を取り合って旅立っていったんじゃないかという気がした。無事沖縄へ着くと、ふととある人からメッセージがあると言われた。「あなたの亡くなったおじさんがついてきてるよ。あなたのお母さんに伝えてほしいそうだよ」「最後まで一緒にいてくれてありがとう。葬儀の時、何度も姉さんの側で言ってたのに全然気づいてくれないんだもの」って「あなたのおじさんって、とっても面白い人よねー」。母にさっそく電話すると。「あーいい話が聞けてよかった。お母さん鈍感だからね。ははは。」と受話器の向こうでとても喜んでいるのがわかる。棺に蓋をする際に叔父の顔に白い欄の花を添えながら「ほんとにバカだよーあんたはっ」と何度も何度も繰り返し泣きながら弟をしかっていた母の顔が蘇った。

座間味では鯨の家族がボートと一緒に泳いでくれた。どう見てもじゃれて遊んでいる様子。言葉にできないほどの感動だった。お腹を出して甘える子供は我が家のドンちゃんそっくりだ。マイクから伝わる鯨の歌がどこか懐かしいような安心感があって、遠い星の記憶を呼び覚ましてくれるようだった。おじちゃんもきっと聞いていただろう。昨年京都個展に来てくれたおじちゃん、私達ARTGYPSYの生活を知って「まぁー大変やろうけど、自由でええなぁー」って言ってたっけ。キャンプや釣りやドライブが大好きだったんだよね。おじちゃん、色んな気づきをありがとう。大好きだよ。ARTGYPSY TOUR一緒に旅しよう!

愛をこめて。







 


_ 2017.2.26_>>>_新月


「あんぽんたん」

満月から新月まで開催した個展「SUPER PEACE vol.3-REAL-」が無事終了しました。

16日間、毎日の出来事が本当に面白く、振り返ってみるとそれらが全部つながってひとつの物語になっているということに気づかされます。
北海道から沖縄まで本当に色んなところから来てくださったみなさんも、ありがとうございました。山梨の家からでは通うのが遠いからと自宅をゲストハウスにしてくださったATOM CS TOWERのプロデューサー「上田」さんや奥様にもお世話になり感謝です。我が家のオオカミ犬ドンやパートナーのNOBUYAとしばらく離れて暮らすというのもなかなか無い、とても貴重な時間でした。個展を盛り上げるために屋久島の森の旅人「健太」と「奈央」が何度も会場に足を運んでくれたり、チーム上田の「とし」や「アーリー」や「はるな」と毎日顔を合わせているうちに、またどんどん近くなれた気がして、血縁とは違う宇宙家族の絆をまた一段と深められたようで嬉しかったです。

今回の個展では作品の前で踊り出す方や、つぶやく方や、祈る方など、みなさんいろんな反応をされていたのも本当に興味深かったです。結構な長い時間瞑想をされていった方も多くて「本当に心身ともにリラックスできました」と言ってもらえたのが嬉しかったです。「この感覚を言葉では言い表せません」という表現をされていた方も多かったのが逆に面白かったです。それぞれの方が自由に感じてくれて自分の物語を創ってくれている様子を眺めていると、子供の頃に大好きだったワクワクする感じを想い出しました。

生まれ直しという感じで誕生してきた今回の新作たちは、本当に赤ちゃんのようにまだまだこれからという未熟な線ですが、私はまたここから描き続けていきます。今さらながら、私にはクリエイトし続けることしかできないのだなと最近つくづく思うようになりました。今の自分のありのままを、ただそのまま表現することしか。そう私は「あんぽんたん」なんです。(笑)沖縄からいらしてくれた「ともこ」さんに胸いっぱいの愛をこめて言われたこの言葉に、みんなは妙に納得し、私は「へへへへ」と体が溶けていく安心感を覚えました。今回は5年ぶりに会う友人達やNOBUYAもよく知る中学時代の同級生との久々の再会があって本当に嬉しかったけれど、みんな口を揃えて「全然変わってないねー」と言ってくれるのは、きっとその部分なのかもしれないなとふと思った、そんな幸せをかみしめた個展でした。
みなさん、本当にありがとうございました。

これからまた西から南へ、今年第一弾のツアーに出ます。各地でまたお会いしましょう!愛をこめて。








 


_ 2017.1.28_>>>_新月


「REAL」

新たな年が始まった。

2月11日の満月から26日の新月まで「nociw gallery」のある新橋ATOM CS TOWER 8Fの「WHITE GALLERY」にて
新作個展を行うための制作に没頭している。腱鞘炎によりしばらく手首を痛めていたので、それが癒えて再び描けることに感謝しながら久々に集中できることに喜びを覚える。やっぱり私は絵を描いてる時が一番楽しい。昨年引っ越しをして、今のアトリエで本格的に制作できるのは初めてのこと。窓から見える、頭の天辺だけ顔を出した富士山の表情を毎日眺めながらこの幸せをかみしめている。「再び描けてよかった」と。

気がつけば、今年で絵描き人生20年を迎える自分がいた。夢中で描き続けて、あっという間に月日が経ってしまったという感じだ。10年を迎えた時は別に何とも思わなかったのだが、20年となると何となくひとつの節目のような気がしてくるから不思議なものである。ある朝目覚めた時、「寝ている場合ではない!」という大きな声に起こされて、そのまま「そうだな」と素直に思い、絵を持って東京の表参道の路上で世界へ向けて初めて産声を上げてから今日に至るまで、振り返ればどれだけ多くの方々に支えられ助けられてきたことか。本当に感謝し続けてきた20年だった。

昨年末にはアーティストだった友人が旅立ち、今年の元旦にはNOBUYAの恩師が旅立った。だからなおさらなのか今回の自分達の限られた「生」というものを、この頃よく話し合う。でも私達は今までも、そしてこれからもきっと変わることはないだろう。私達には私達にできることを、ただ精一杯やり続けるだけだ。自分達の背中を地球の子供達に見せていくだけ。その時がいつ終わっても悔いのないような、そんな生き方をしていきたい。

ARTGYPSYが掲げた「SUPER PEACE」三部作もいよいよ今年で締めを迎える。「FANTASY」「MEMORY」と続いてきて今年のテーマは「REAL」だ。これはNOBUYAがどうしても、こうした三部完結編みたいなのをやってみたかったからなのだが。そんな少年のようなNOBUYAとも付き合って35年目になろうとしている。これが自分達にとっては一番信じられないことかもしれない。(笑)ともかく、そんな私達のリアルを2017年は表現していこうと思う。愛する我らが獣の息子。オオカミ犬の「DON」とともに…。

ありがとう。今年もどうぞよろしく。




 


_ 2016.12.29_>>>_新月


「くじら」

2016年申年も終わろうとしています。

おかげさまで、今年も実りある一年でした。色んな方々と出会わせていただいて本当に感謝しています。ご縁がご縁を紡いで、どんどんつながっていく輪というものを実感しています。オオカミ犬のドンが七歳にして我が家に戻ってきたことも予期せぬ出来事のひとつでした。今では彼の存在は我が家になくてはならないものとなっています。ただただ愛と喜びの波動だけを流し続ける彼に、頭が下がるとともに私達からも彼に向けて大きな愛が流れていくのを感じることができて本当に嬉しいです。三人になったARTGYPSYはまた新しい年も一緒にアートの旅を続けて行きます。またきっとどこかでお会いしましょう!
ありがとうの気持ちをこめて。

懐かしい星の祝祭に 時空を越えて会いにいこう

私の愛するものたちに 笑い声はたえることなく

それぞれの歌を口づさみ 魂のたどってきた記憶を駆けぬける

ラララ…

まわれ 螺旋の輪を描き 細胞達が歓喜するままに

喜びを誰に恥じることなく 君は君のダンスを踊れ

 

美しい星の祝祭に 時空を越えて会いにきたよ

私の愛するものたちは 集まっているひとつの光

笑い声はなおもたえず

それぞれの歌を口づさみ 魂のたどってきた記憶を駆け抜ける

ラララ…

まわれ 螺旋の輪を描き 細胞達が歓喜するままに

喜びを誰に恥じることなく 君は君のダンスを踊れ







 


_ 2016.11.14_>>>_満月



「キムンカムイ」

伊豆は伊東にある一枚の板「かりゆし工房」10周年感謝祭に呼ばれARTGYPSY ARTSHOWをやってきた。

イベントの前日、北海道二風谷からやってきたアイヌのシャーマン「アシリ・レラ」さんがカムイノミをやった。かりゆしの「とし」がお店の裏を素敵に整えたその森で。
ちょうど一年前にここを訪れたときにとしは「ここはこうして、ああして」と沸き上がるイメージを語ってくれていたが本当にその通りになっていて、としも奥様の「みなこ」もとっても嬉しそうだった。聖なる火を起こしてその前で祈りを捧げるレラさん。そこでかりゆし工房の益々の発展を祈るとともにイチャルパという先祖供養がおこなわれた。木札に自分の名前と両親の名前を書く。そこで三代前までの先祖が供養されるという。実はこの同じ日の同じ時間帯にアーティストであった友人の告別式がおこなわれることになっていた。私はレラさんにお願いして私の先祖と一緒に友人も供養してもらえないかと頼んだところ、レラさんは快く承諾してくれた。木札に書いた名前を読み上げて火にくべる時にレラさんは「みんな、自分の札の時に写真を撮りなさい」と言った。その中に先祖が写るからだという。様々な形にゆらめく炎たち。女衆の最前列にいた私はその火に魅せられていた。今まさにおこなわれている友人の告別式と、このカムイノミとの共時性に不思議な思いを抱きながら座っていた。

イベント当日の朝、我が家のオオカミ犬「ドン」とともに私は昨日の森へ散歩にでかけた。6時頃だったからまだ薄暗く森は幻想的な雰囲気を漂わせていた。ふと私は気づいた。カムイノミの前と後とでは森の気がまるでちがうことに。あたりはすがすがしく澄んだ幸せな気に満ちていた。遊歩道の行き止まりの広場へ辿り着き、明けてきた空の美しさを仰いだ。その時、ガサッと遠くの方から音がした。ドンもなぜだかピクリともしない。いつもなら物音がすると一目散に駆けてゆくのに。じっと目をこらしてみると、どうやらそれはクマのようだった。私達にはまるで気づかないという風にゆっくりと横切ってゆく。ドンは他の獣だったらワンワンワンと吠え立てるのだが、この時は一言ワン!と吠えただけでくるっときびすを返し「帰ろう!」と言ったのだった。私はもちろん怖かったが、なぜかそれ以上に神聖な感覚を覚えていた。感謝祭は盛りに盛り上がった。10周年を祝いに来たお客様達の笑顔が溢れ、それを見てスタッフのみなさんの笑顔がこぼれ、本当に平和な時間が流れていった。

色んな素敵なライブの演目があって、ついにARTGYPSY ARTSHOWの出番がやってきた。ゲストアーティストはNYで活躍されてる伊東市民の「冨田有重」さん。有重さんとはこれで三度目のコラボでとても楽しみだった。そこに今回は助っ人で「あぱっち宮原」も参加してくれて嬉しかった。最初からこのARTSHOWは旅立った友人へ捧げるつもりでいた。まだホスピスにいる時に今度会いに行く時は、このARTSHOWでやる詩を読んで聞いてもらおうと思っていたのだ。彼女のお姉さんから「目も見えないししゃべれないけれど、耳は聞こえているのよ」と聞いていたから。だがその時間は残されていなかった。でもよく考えてみると、逆に体から自由になった魂は自在に行きたい場所へ瞬時に行くことができるのだ。「じゃあよかったら見にきてね!」という気持ちで私は祈りとともにARTSHOWをスタートさせた。するとしばらくして上の方からやけに視線を感じるのだ。見上げるとそれは私のよく知っている友人の笑顔だった。私はなんだか楽しくなっちゃって、自分の魂も解放されていくような爽快感のままやり遂げることができた。終了後、お客様からは「なんか今日のは特別すごくって全身に鳥肌が立ちました!」(笑)という感想をいただいた。

スタッフトイレに入るために二階にあがったら、珍しくそこにはレラさんだけが一人ぽつねんと居た。「レラさん。実は私、今朝オオカミ犬とこの森を散歩した時にクマを見たんです。」「そうだろう。」彼女は言った。「昨日この森でカムイノミをする時にクマが出るのが見えたんだ。ここにはクマはいないと信じてもらえなかったけどね。ちゃんとカムイがいたということだよ。」そうなのだ。このお祭りはカムイの愛に見守られていたのだな。大好きな家族が一同に集まった日。供養された先祖同士も、どこかでつながっていたのだろうなと自然に思えた。みなさん、ハーモニーをありがとう。感謝をこめて。

愛してます!








 


_ 2016.10.16_>>>_満月


「POLAARIS」

最近はわりと近くで個展やARTGYPSY ARTSHOWを開催している私達。

この間は高尾の仲間「佐千代」がオープンした「ポラリス」でやったばかり。塾のビルの中なのでそこはまるで学校のようで懐かしくもあり、おもしろかった。
我が家のオオカミ犬「ドン」も中に入ることを許され大コーフン。佐千代の子供「なるき」と「なな」の後をついてまわっていた。アートショーの日にポラリスの隣の教室「ルンタ」でヨガを教えている「さおり」が私の衣装を仕上げて持ってきてくれたのには感動した。どうしても記念すべきこの日に合わせたかったのだろう。さおりと一緒に教室をシェアして同じくヨガを教えている「はるか」はこの日の朝、インドから帰ってきたばかりでまだ意識が浮遊していたっけ。そしてアートショーのコラボアーティストはキールタンのワークで大人気の「堀田義樹」くんだったのでインド色満載のARTGYPSY ARTSHOWとなった。佐千代も「なんでこんなにチャイばかり出るの?」と驚いていた。初対面の義樹くんは道産子同士だからかミョーに親近感が湧いて、NOBUYAはこの短時間で彼に「のぶ兄ー」とまで言われるほどになっていた。ショー後、義樹くんからは「最高に気持ち良くて楽しかったです。ぜひまた一緒にやりたいです!!」と言ってもらえて嬉しかった。アートショーの時、ドンはみんなと同じ部屋でずっとおとなしくいい子にしていた。しかも一番前で。ところが佐千代の終わりの挨拶でいきなり遠吠えを上げ出したのだ。それは見事なタイミングだと誰もが思った瞬間だった。するとどこからともなく遠吠えが次々とあとから湧き起こり会場全体に響き渡っていった…。その光景はまるでインドのアシュラムにやって来た一匹のオオカミに駆り立てられた人間達が目覚め始め、雄叫びを上げているかのような絵だった。そうして最後にはドンにみごとに全部持っていかれたのだった。(笑)どうやらその後のドンも凄かったらしく、私は見ていないのだがNOBUYAが言うには「悠々と寝そべっているドンの毛の中に女性達が5、6人顔をうずめてうっとりしていた」そうなのだ。いやードンもこの3ヶ月で色んな経験をしているね。気持ちよかったんだろうなーきっと。人も獣も。

そのあとはすぐに高尾仲間の「たく」と「くみ」の結婚式があり、その披露宴で「ARTGYPSY ARTSHOW」をやってきた。2人は初めてアートショーを見た日に、なんと
それがきっかけで結ばれたそうで「自分たちにとって大切な記念となったアートショーを祝ってくれる方々とシェアしたいんです!」ということで、たっての願いを受けてやらせていただくことになった。結婚披露宴でというのは初めてのことでご親族の方々も大勢来るのでちょっと緊張したが、おめでたいハレの席なので誰もが微笑み、本当にピースフルな雰囲気の中でできたことは光栄だった。終了後、新郎のお父様に「私が息子に一番伝えたいと思っていることを表現してくださって感謝です」と声をかけていただき胸が熱くなった。そして新婦の「くみ」からは「私が両親に一番伝えたかったことを代弁してくれてありがとう」と抱きしめられた。その目には美しい涙が光っていた。「あーなんて幸せなんだろう!」見渡せば血はつながっていなくてもみんな身内のような感覚を覚える輩ばかり。大人も子供も分け隔てなく付き合える関係がここにはあった。そのことを「ありがたいなー」とずっと思い続けていた暖かい結婚式だった。たく、くみ、おめでとう!そしてありがとう!

次は10月21日〜23日の個展開催と22日のARTGYPSY ARTSHOW。甲府市を見渡す湖水のほとり、美しい里山がある上帯那地区にあるアートと自然を満喫できるメゾン。
秋まっさかりの中「メゾン・ド・ムスヒ」にてみなさまをお待ちしています。







 


_ 2016.9.17_>>>_満月


「美しの秋」

東北・北海道ツアーから帰ってきてすぐに大阪へ行き戻ってきた。

大阪の中崎町ではドンを散歩させられる場所がないので、誰か預かってくれる人がいないかなと思いめぐらしていたところ、岐阜個展で親しくなった
「けん」ちゃんと「ひろあき」が二人で見てくれることになってとても助かった。岐阜に寄るついでに自由空間ナマステの「美和」も一緒に大阪へ行くことになって
NOBUYAと三人の楽しい旅となった。今回中崎町へ行った第一の目的は「SUPER PEACE」という絵の原寸大のプロダクト作品をカフェ「天人」1号店の目の前にあるギャラリーのショウウインドウに飾ることだった。4月に初めてここ中崎町で個展をした時「nociw gallery」のプロデューサー「上田」さんが見に来てくれていて、みんなで天人でお茶をしている時に「あのショーウインドウにSUPER PEACEが飾ってあったらすごくピッタリなんじゃない?」と上田さんが言い出して、その場で天人のオーナー「JUN」さんから「それは嬉しい!是非お願いします!」と言ってもらったことからのこの展開だった。しかもJUNさんは「この絵を迎えることで、ここを地球平和発祥の地としたい」とまで言ってくれたのだった。

今回のARTSHOWのゲストミュージシャンは「あぱっち」こと「宮原ひろあき」とダンサーとしてJUNさんが参加してくれた。あぱっちは今までに何度か一緒にコラボしてはいるが、いつもメインのミュージシャンがいてそのサポートを務めていたので今回初めてソロでコラボできてとても楽しかった。JUNさんとあぱっちの相性もバツグンだったな。翌日は「HARUNA」による∀塗り絵のワークショップもあって大阪に住む中学時代からの友人「由理」と「まさ」の夫婦が塗りにきてくれたのも嬉しかった。今回も天人ゲストハウスにみんなで宿泊し合宿のような時を過ごした。そしてSUPER PEACEは上田さんのイメージ通りショウウインドウにピッタリとおさまった。そこにJUNさんが「地球平和発祥の地」と墨で書いた。色んな国の人々が行き交う異次元のようなその狭い路地で、ふと足を留めて感じてくれる人がいたなら嬉しいな。

今年の秋は近場で活動していくことにりそう。9月24日までは甲府の「麻美カフェ」で個展開催中です。10月8日、9日、10日は西八王子に高尾の蕎麦屋「杜々」の女将「佐千代」がオープンする「ポラリス」にて、10月21日、22日、23日はまた甲府に戻ってきて「メゾン・ド・ムスヒ」というアートと自然を堪能できるメゾンにて開催します。芸術の秋にどうぞお越しくださいませ。私も少しゆっくりと絵を描きながら、越して来て二度目の秋を充分に満喫したいなと思う。こんな美しい秋をシェアできる愛しい家族NOBUYAと DONがいることに心から感謝したい。

みなさん今日もありがとう!







 


_ 2016.8.25_>>>_下弦の月


「ARTGYPSYでしか出会わない旅」

夏の東北・北海道ツアーを無事終えて住処へ戻ってきた。

4年ぶりの新潟柏崎「umicafeDONA」では目の前に広がる海を前に水着を忘れてきたことを悔やんだが、出発の朝いてもたってもいられなくなり下着のまま海に飛び込んだ。
オーナーの「ヒロ&かおり」夫妻の二人の可愛い子供達が砂浜の上に流木と小石で「∀アリガトウ!!」と文字を書いてくれていた。だから朝起きた時から「ねぇ海に行こう!行こう!」と何度も誘っていたのだ。4年前に作品を見て今回を楽しみにしてくれていたお客様、初めてお会いしたのに熱狂的なファンになってくださったお客様。何よりヒロとかおりがとても喜んでくれて「ツアーで北海道まで行く時は新潟を通るんだから、必ずここへ寄ってください!!」と熱烈に誘ってくれて本当に嬉しかった。DONAの近くに実家があるというミュージシャンの「PHOKA」も、彼女がデビューしたての頃からファンでいてくれて今回のコラボもなにげに3回目を数え、やはりとても縁を感じるアーティストの一人だ。出会った頃は自信なげだった彼女の歌も今では堂々としていて7年間の経験の深さを感じさせる素敵な歌姫になっていた。「最近ちょっと悩んでいたことが今回のコラボで晴れ渡る空のようにスッキリしました。∀さんがいやじゃなかったらまたぜひぜひぜひ!一緒にやらせてください!」と言ってくれるPHOKA。かわいい奴である。

札幌と帯広のコラボアーティストはオーガナイザーの「HARUNA」のたっての希望で筋金入りのロックン・ローラー「JONNY CAT」だった。札幌はすすき野で悪い姉ちゃん、兄ちゃんに魂の歌を届けているというJONNY。でも実はそのいかつい風貌の奥にはピュアな魂が輝いていて心根の優しい素敵なお兄様だった。マネージャーの「ジェーン」さんも明るくてニュートラルで本当に素敵な女性で彼らとの出会いに感謝した。札幌のフェアトレード雑貨&カフェ「みんたる」のオーナー「みかよ」さんも、みんたるに集う意識レベルの高い様々な職業の方々もみんな気さくでいい人達で「やっぱり北海道は落ち着くよなー」とNOBUYAと二人道産子の血を認め合った。帯広では「ZERO」という埼玉から来たという不思議な男性に遭遇し、真剣な顔でひとしきり絵を鑑賞したあと「あの、初対面なのにいきなりこんなこと言うのも何ですが∀さんと私は何千年も前にここで出会う約束をしていました」とおもむろに首からネックレスを指から指輪を外し、私の手の平にそれらを握らせ、サッと立ち去って行ったのだった…。

函館のお洒落なトルコ喫茶「Pazar Bazar」のオーナー「92」とは4年前に彼が主催したイベント「hako-inori」にARTGYPAYを呼んでくれてからの縁だが、今回ARTSHOWのコラボアーティストとして92の閃きで「でく」さんと「小川アヤ」さんという素敵なご夫婦とのご縁ができた。二人は即興の芸術というものに全身全霊で真剣に向き合っていて、本番前に二日間お宅でお世話になりながら色んな話をして一緒にご飯を食べ「まるで家族みたいだね」と言いながら真密な時間を過ごすことができた。その時ARTSHOWについての打ち合わせはほとんどしなかったけど「いやーこういう時間の方がホントは大切なのさー」とでくさん。そして、いざ本番になってみると、本当にごく自然に流れるようにコラボすることができて心の底から楽しかった。でくさんもNOBUYAに「僕たちはきっと昔からここで出会うことになっていたんだ」と言っていたそうだが、本当にそうとしか思えない出会いというものがあるんだなとしみじみ感じた函館の満月の夜だった。

岩手の「やえはた自然農園」では3年ぶりの開催。前回は近くの公民館のようなセンターで行ったが今回は建設中のカフェでしかも野外で行う事になった。台風の心配がある中ギリギリまで中か外かで迷っていたがコラボアーティスト「まったりーず」の「ふっちゃん」は最強の晴れ女だったようで、見るもみごとに晴れ渡り満点の星空の中、最高のARTSHOWを経験することができた。一番喜んでいたのはオーナーの「しょうちゃん」と「かおり」。仲睦まじい素敵な夫婦。二人の聖域である畑に囲まれて、もう間もなく完成予定のカフェを舞台に夕焼けと星空を満喫した日。かおりが「今回はどうしてもここでやってみたいの!」と言っていた訳がわかった気がした。ここは素晴らしく美しい場所にどんどんなっていくね。そんな予感がした美しい夜でした。

この日は秋田からブリーダーであるシリアスストーリーの「ヒロ」さんがオオカミ犬「カーリー」を連れてやってきていた。カーリーもドンと同じくnociwの子供達である。7年ぶりの再会をドンは今回のツアーで2度果たした。北海道では妹夫婦の元にいる「シヴァ」と。けれども最後まで仲良くなれず顔を会わせれば吠えまくりだったのだ。私達は彼らが楽しそうにじゃれ合いながら駆け巡るシーンを想像していたのだが…。多分ドンが犬にまったく慣れていないというのもあるだろうな。私達もドンが7年ぶりに帰ってきて一緒に生活し出してからまだたった2ヶ月しか経っていないので、ドンについては知らないことだらけなのだ。オスとメスの違いもあるだろうが母親のnociwとは全く別のお方である。改めて一人一人の個性というものに気づかされたのだった。そんな中でこの旅ではたくさん犬達に会う機会があり、ドンにとってもいい経験になっただろう。シヴァとはオス同士だから駄目なのかもしれないけど、カーリーはメスだからきっと大丈夫だろうと思っていたが、結局カーリーにも吠えかかり駄目だった。そのくせやえはた農園のメス犬「小麦」には逆に吠えつけられ、しょんぼりと肩を落としながら「友達になってくれよー」と甘えた声を出していたっけ。うーん、わからない。でも久々に高尾の森へ行ったら偶然nociwの娘「ニマ」と会って、一緒に遊ぶこができてホットしたのだった。良かった…。人間にはとても穏やかで女子供には特に優しく、犬も子犬だったらどんな子にも優しい、そんなドンちゃん。愛しい存在です。彼にとっては初めてのツアーできっと目まぐるしかっただろうけど、体も壊さずよく元気でいてくれたよな。ありがとね。

そして今回、北海道でなぜか2度もブヨに噛まれてしまった私。最初は札幌ARTSHOWの前日。刺された場所は右こめかみ。当日の朝、鏡を見ると右半分の顔が晴れ上がり怪談「小岩さん」状態に。滞在先の友達「しほ」にホメオパシーと手作りチンキで熱心に治療してもらった。2度目は函館ARTSHOWの前日。刺された場所は第三の目。当日の朝、鏡を見ると鼻から上全部の顔が晴れ上がり映画「アバター」状態に。アヤさんの「ドクダミ療法」の手厚い看病でこの日の空のように奇跡的に腫れが引いた。同じ目に会う私も私だけど、これほどに人に優しくいたわられて「なんという自分は幸せ者だろう!」と感動していました。ま、NOBUYAにはさんざん笑われていたんだけどね。その節は本当にお世話になりました。ありがとう。

このたび出会った方々、そしてこれからも出会っていくであろう方々、ありがとうございます。










 


_ 2016.7.20_>>>_満月


「夏」

7.9@nociw galleryでのARTGYPSY ARTSHOWもおかげさまで無事終わり、只今ツアーに向けて準備中である。

夏の東北・北海道ツアー。3年振りの新潟柏崎のumicafe DONAからのスタートだ。今回は1ヶ月半前に屋久島から偶然の必然で突然引き取ることになったオオカミ犬ドンを引き連れての旅。結局ドンを預けられるところがまだ見つからなくて連れて行くことになったのだ。かつて、ドンのお母さんだったnociwを私達はいつも一緒に連れてツアーに出ていたが、繊細過ぎるnociwには結構ストレスもかかっていたかもなという思いもあって、ドンの里親探しには最初から私達は引き取れないと言っていたのだが、こういう結果になったのも何かの運命かと感じてもいる。ドンにはオンボロ車での移動だけど「ガンバレよー!」と声をかけるしかない。きっとこれは意味のある流れなのだろう。ドンとの初めてのツアーは珍道中になるだろうけど楽しい思い出もいっぱい作れるはず。それはやっぱり一緒にいて一番嬉しいことだ。北海道では兄弟のシヴァにも会うことができる。妹夫婦が飼っているので彼らもすごく楽しみにしているようだ。赤ちゃんの時以来の再会に彼らはいったいどんな反応を示すのだろう。今のドンはものすごく静かでおとなしくて人間にはとても甘えっ子だが、森で野生動物を見つけたとたんに本能のスイッチが入ってしまい自分の世界しか見えなくなってしまう。いくら呼んでも上の空なのだ。まぁそのうち勝手に帰って来るんだけどね。先日は森でたぬきに遭遇し、追いかけてしとめようとした時に鼻っつらをガブリと噛まれてしまい、鼻にみごとなたぬきの歯形がついている。鼻の穴までやられていたし。我が家には猪も猿もやって来るからそりゃもう大変である。でも久しぶりにこの間、猿の赤ちゃんを見た時は本当に可愛らしかったな。いつまでも眺めていたくなるほど…。引っ越して来て一年が経ったが、この家さえもまるでドンのために用意されたような、そんな気がしないでもない今日この頃なのであった。私達といえば、もうすっかり親バカ街道まっしぐらであります!(笑)だって可愛いんだもの…。

ということで、ご縁に導かれながら新生ARTGYPSY行って参ります!







 


_ 2016.6.21_>>>_夏至


「ドンとドラゴン」

楽しかった岐阜個展の終了後、ARTGYPSYは屋久島へとその足で向かった。

7年前の4月20日の夜明け、我が家のオオカミ犬だったnociwに6匹の子供が生まれた。オス3匹とメス3匹。そのうちの1匹のオス「ドン」は縁あって屋久島へともらわれて行った。そのドンの飼い主が変わることになり、私達はジジババの務めとして屋久島へドンを引き取りに行き、新たな飼い主の住む北海道へと届けることにしたのだ。ところが、屋久島でドンを引き取った後に、新たな飼い主になる筈だった方がドンを飼えなくなってしまい、私達はドンを戻すわけにもいかず「はて、どうしようか?」という事態に突然なったのだった。屋久島のファミリーが早速FBで里親を募集してくれて、何件かの問い合わせもいただいたりしたのだが、なかなか決まらず健太と奈央の家でドンを見つめながらドキドキする時間が流れていった。するとあくる日の朝、NOBUYAが言ったのだ「ドン、オレたちが面倒みようか」もしかしたらもしかして、そうなったらすごいことだなと心の中で思っていたから、彼からそう言ってくれたことがとても嬉しかった。ある意味この絶妙すぎるタイミングは、まるでこうなるようになっていたんじゃないかと思ってしまうほど、本当に不思議な流れだった。

岐阜個展にいらして初めてお会いした方が会場に入るなり、いきなりnociwがいるのが見えると言った。「ずっとお二人のこと見守ってるのね」彼女の存在は感覚ではいつも感じていたことだったので納得だった。そして、そこからのこの屋久島での急展開でもあったので「これはきっとnociwの導きなのかもしれないな」とも思えた。nociwが天に旅立ったのが7歳で今のドンが7歳ってのも、なんかつながっていて、また続きをともに紡いでいくような感じもする。屋久島に7年いたドンは7ヶ月まで私達の元にいた。他の5匹はみんな2、3ヶ月でもらわれていったから、ドンは一番最後にもらわれていった子だった。7、7、7と7が続くのも何かおもしろい。そんな7ヶ月のドンが屋久島に旅立つ直前、不思議なことがあった。いつものようにnociwと一緒に森を散歩していたら急にドンが走り出し「ここほれワンワン」とばかりに猛烈な勢いで地面を掘りはじめたのだ。しばらくするとそこから、なんと龍の置物が出てきたのである。鉄製のそのドラゴンはいい感じに錆びていて、私好みだった。「まさかのドラゴン!ドンすごいよ!」驚いた私は、これはいったい何のサインだろう?と思ったものだった。その日からずっとそのドラゴンは私のアトリエにいていつも空を見ていた。

そして、今思うのだ。屋久島は一説には龍の島ともいわれている。「龍の島へ7年間修行に行ってまたここへ帰って来るよ」と、あの時ドンが土から地球から宇宙からのメッセージを、私達にすでに届けてくれていたんじゃないかって…。2004年に私がグレイトスピリットからのギフトとして受け取った初めて手にしたインディアンフルートがある。nociwの子供達には彼らがお腹にいる時からその音色を聞かせていて、誕生してからもいつも子守唄のように吹いていた。ドン以外の子達がみんなもらわれていってからは、私達はドンを連れてよくキャンプに出かけた。ある日、わたしが車の中に笛をおいたまま外に出て戻ってくると、なんとドンが笛の吸い口とイーグルの形をした守り神を食べてしまっていたのである。自分でも信じられないくらい私は泣きじゃくった。それほどこのフルートに愛着を感じていたことをその時、初めて知ったのである。でもドンを攻めるわけにはいかない。そして、この宝物であるフルートをもう吹けなくなるとあきらめるわけにもいかない。そこで腕のいい友人達に頼み新しい吸い口と新しい守り神としてオオカミをつけてもらった。そのフルートを持って屋久島へ向かった。そしてドンを引き取ってすぐ奈央が海に連れて行ってくれて砂浜でたわむれた時、ドンへの愛をこめて私はフルートを吹いた。すると、ドンはおもむろにおすわりをして遠吠えを上げ出したのだ。胸の奥がキューンとなった。「憶えていたんだな…」その声はやさしくやさしく風にのりながら波の音にとけていった。

nociwありがとう。ドンありがとう。そしてこれからもどうぞよろしく。








 


_ 2016.5.22_>>>_満月


「UNIVERSE」

10日間の岐阜個展が無事終了した。

昨年初めて訪れてARTGYPSY ARTSHOWをやった自由空間ナマステの隣に「宇宙食堂」がオープンして、そのまた隣に新たにオープンしたギャラリー「UNIVERSE」
あの時、まだ何も始まってないガランとした空間を見てオーナーの「美和」に「ここギャラリーにしたら素敵じゃない?」なんて言ってたら本当にそれが形になっていて驚いた。
しかもとっても素敵なギャラリーに仕上がっていて手作りの丁寧な仕事に愛を感じる空間に生まれ変わっていたのだ。オープンして間もないのでこうして本格的に個展を開催するのは初めてとのこと。地元の仲間達が集まってきて「すげぇーいいギャラリーになったじゃん!」と皆喜んでくれていた。オープニングのアートショーでは「松本ひろゆき」と「たいちりえ」という素敵な夫婦のアーティストとの必然的な出会いを果たし、最高に楽しいコラボレーションができた。クロージングはナマステ恒例のフリーマーケットの開催に合わせて盛大な盛り上がりを見せた。ライブではポエトリーリーディングで参加させてもらい普段のアートショーとはまた違った体験ができてとても面白かった。NOBUYAもずっとPAや会場のセッティングに奔走して楽しそうだったな。昨年から美和を通して周りの仲間達とも仲良くさせてもらっているので、みんなも私達に「おかえりなさーい!」と声をかけてくれるのが本当に嬉しい。そうしてその仲間達が口コミで広めてくれたお陰で、日々新しい人々が個展に訪れてくれたのだ。とにかく岐阜のみんなは温かくて優しくて感動しっぱなしの毎日だった。みんなが「また必ず岐阜に帰ってきてください!」と言ってくれて、まるでウルルン滞在記のような岐阜の個展だった。最終日は満月。昼間のフリーマーケットの人々の喜びのエネルギーが残る駐車場でまんまるな神秘的な月をいつまでも眺めていた幸せな個展の最終章だった。訪れてくれたみなさんとのご縁に心から感謝です。本当に本当にありがとう。

また必ず帰ってきます!








 


_ 2016.4.22_>>>_満月


「ARTGYPSY TOUR-SUPER PEACE VOL.2-MEMORY」

関西ツアーの真っ最中です。

奈良では當麻寺のすぐ近くにあるギャラリー「ら・し・い」という素敵なギャラリーで個展を開催しました。奈良に私達を呼んでくれたのは「moritto」というヨガスタジオをやっている「よっちゃん」。昨年夏の屋久島個展で初めて出会い、年末の伊豆でのアートショー、そして今年2月に新橋nociw galleryでおこなった星まつりにも奈良から息子の「源己」とともにはるばるやってきてくれて「やっぱり絶対、奈良に来て欲しいです!」と言ってくれたのだった。出会ってから1年も経ってないのに夢が実現してオープニングのアートショーの時には涙を流して喜んでくれたよっちゃん、屋久島でも会った「まりりん」や素敵なギャラリーオーナー夫妻、娘の「ともちゃん」などみんなのお陰で無事終えることができて本当に感謝しています。源己は中学1年生ながらプロ並みの写真を撮るマニアックな少年でアートショーの撮影をとても楽しんでくれていた。そんな息子に影響を与えた同じく写真が大好きなパパの「直己」さんにもお世話になりました。ありがとう。アートショーのゲストアーティストの「みろく」さんと「璃音」さんとのセッションも最高でした。ご縁を感じた貴重な奈良での経験でした。

京都では二条城駅そばの「チャランケ」の2Fにあるスペースでの個展。オーナーの「こうすけ」は2011年に高尾でおこなったアトリエ展に来てくれていて久々の再会。奥さんの「みな」ちゃんとは初対面だったけれど会えてよかったな。。店長の「ゴリ」ちゃんも、スタッフの「じん」くんも会う人会う人みんなすごく気持ちのいい人達でとても助かりました。アートショーのゲストは「アキーラ・サンライズ」アキラとも何年か前に下北でやった以来の久々の再会で、また一緒にやることができて嬉しかった。「めっちゃ楽しかったー」と喜んでくれたアキラ。奥さんの「みき」ちゃんや娘の「あまな」にも初めて会えてよかったな。この2Fのスペースは入った時には混沌としていて、まずはお掃除から初めて徐々に清めていって場を創りあげていったので、こうすけも、ゴリちゃんも、常連のお客さんも「なんか違う場所みたい。波動が高くてすげー気持ちいい!」とみんな喜んでくれて、それだけでも来たかいがありました(笑)。チャランケの名の通りここは色んな人々が集って地球の未来を話し合う場所になっていくんだろうなと予感したな。

次は大阪の中崎町にある「アマントカフェ」へ。大阪は個展はもちろん行くのも初めてのなので本当にどうなるんだろう?とドキドキしつつもとても楽しみです。これが2016年のARTGYPSY TOURの第一弾。大阪が終わったら一旦山梨へ戻って、またすぐ第二弾のツアーへと出発です。

素晴らしい出会いをありがとう。今日も楽しんで生きます!












 


_ 2016.3.24_>>>_満月


「奉仕と瞑想」

ビパッサナ瞑想における奉仕と座りの修行を終えた。

座りは1996年に初体験してから何度か経験してきていたが奉仕は実に初めてのことで、どうなることかとドキドキしていたが、なるようになるんだろうなーと思っていた。最初にATというビパッサナ指導者の先生から「∀さんはお料理とか得意ですか?キッチンで働く奉仕者の中からキッチンコーディネーターというリーダーを選ばなくてはならないんですが∀さんどうかと思いまして」というお話があった時「とんでもない!料理もそんなに得意じゃないですし、何よりリーダーとかそういうの自分には全く向いてないので無理ですね。ただ、やれと言われればやりますけど」とお答えしたら、コース開始の際、生徒さんに奉仕者が紹介される番になって「キッチンコーディネーターは∀さんです」と発表されてしまった(笑)。他の奉仕者からは「わー初めての奉仕でコーディネーター。大変ですねー」と哀れみの混じった声。前回のコースの奉仕者は「修羅場になるとは思いますが、まぁダンマ(自然の法)がきっと導いてくれるでしょう」という謎めいた言葉を残して去っていった。今までとにかく団体行動とか、人と協調性を持って働くとかが苦手だった自分は極力そういう場に身をおくことを避けて生きてきた。ましてや人に指示したり指示されたりといったことも大の苦手だった私。でも、そういう自分が勝手に創り上げてきた概念をぶちこわす絶好の機会を与えられたのだった。キッチンの中は常に忙しい。瞑想に集中する生徒さんのための大切な食事の材料の計量と仕込みと調理とサーブを10日間休みなくこなしていかなければならない。私の人生の中であれほどキッチンにいたこともなかったし、ずっと立ちっぱなしだったこともなかった。まわりのキッチンスタッフは「∀さん、ちょっと腰掛けて休んだらどうですか?」「∀さんの代わりに私が何でもやりますから言ってください!」と気づかってくれたり優しくしてくれて、本当に彼らに随分と救われた。私はこのまま集中していけば10日間は絶対もつだろうと過信していたのだが、あえなく8日目に水下痢になってしまいダウンしたのだった。同じく奉仕で男性と女性のコースマネージャーをしていた「KENTAとNAO」が傍らでとても心配してくれているのがわかった。みんなのお陰で半日で回復し復帰することができたのは奇跡だった。実はセンターに到着した時から「8」という数字のビジョンが現れていたのだ。「8ってDAY 8のことかな。なんなんだろ?」と思っていたのだが、まさかこういうことだったとは…。NAO曰く「∀はね、常に一生懸命だからねー。精神は人並み以上に強くても肉体がついていけなかったんだね」と。「そういうことか」と改めて自分を知るいい機会となったのだった。KENTAは「8ラウンドKOだなー」とおもしろがっていたけどね。この時一緒に奉仕した仲間とはとても縁があるのだなぁとしみじみ感じた。絵描きをしていただけでは絶対味わえなかった、とても貴重な経験をさせていただいたと思う。

奉仕の後の座りはとても深いと聞いていた。それも体験すればわかるのかなと思っていたが、実際に今までで一番苦しい修行になった。それは自分の中の潜在意識の奥底にしまい込んでいた感情が溢れ出して心を翻弄し始めたからだった。「怒り、憎しみ、恐れ、などなど」ネガティブなものがどんどん浮き上がっては自分を圧倒していく。自分でも気づかなかった毒や濁りに直面する時間でもあった。それは体に激痛となって、沸騰するような熱となって現れ「あぁ、もうここから逃げ出してしまいたい」という衝動が沸き起こる。でもそれが5日目を過ぎる頃からだいぶ穏やかになっていき、闇から光への道を少しづつではあるが歩いているんだという確信へと変わった。これは身を持って体験しなければ通れないプロセスなのだ。頭の中だけでは決して辿り着くことのない旅。心の旅、魂の旅なのだ。それでも今の私はまだまだ旅の途中。そして大切なのは今この瞬間。これからは、もっと自分の心に寄り添っていこうと思った。そうすることで一番身近な存在である家族、夫でありビジネスパートナーでもあり同志でもあるソウルメイトのNOBUYAのことも、もっと理解したいと思えたのだった。色んなことに気づかされた今回の奉仕と瞑想の体験を、表現者である私はやはり自身のアートの中に生かしていきたいと思う。それが今生での私の学びでもあるから。ありがとうダンマ。ありがとうみなさん。ARTGYPSYもいよいよ始動開始です。今年も日本各地で結ばれるご縁を楽しみに…。

メッターをこめて。






 


_ 2016.2.24_>>>_満月


「星まつり」

nociw gallery1周年記念のイベント星まつりが無事終了しました。

おかげさまで、たくさんの人々にお越し頂き楽しく嬉しいスペシャルな2日間を過ごすことができました。本当にありがとうございました。
その前に一週間、故郷の北海道にも帰り久々の北の冬を満喫しました。富良野在住の妹夫婦の元へ行き我が家のオオカミ犬だったnociwの息子シバと一緒にスノーシューで森を散歩して、オジロワシや大きなオスのエゾジカにも会えて感動しました。阿寒にいる仲間の「Ague+Emi」ファミリーにも会いに行けて嬉しかったです。今日から1年振りのビパッサナ瞑想修行へまた行ってきます。今回は初めての奉仕を10日間やって、その後座りを10日間やるというフルコースで参加してきます。森の旅人の「Kenata+Nao」もまた一緒で、星まつりのオーガナイザー「Haruna」も座りから一緒になることに。これからどんな日々が待っているかとてもワクワクしています。

帰ってきたら4月1日から8日まで、私がギャラリー「nociw」をやっていた溝口の「フィオーレの森」で個展とARTGYPSY ARTSHOWがあって、その後関西方面にツアーに出る予定ですのでどうぞよろしくお願いします。スケジュールはもどってきたらUPしますね。

それではまずは自分自身を見つめに修行に行って参ります。新しい私になってまたみなさんとお会いできるのを楽しみに!

愛をこめて!






 


_ 2016.1.24_>>>_満月


「FULLMOON ARTSHOW」

ただいま個展開催中の神宮前にある「MOMINOKI HOUSE」で満月にARTGYPSY ARTSHOWをおこなった。

ここは1976年創業の自然食レストランの草分け的存在として「裏原宿の父」として地域の人々からも信頼されてるというカリスマシェフ「山田英知郎」さんがオーナーのお店だ。彼の名刺には「地球に遊びに来た料理人」と書かれていて、どこか飄々とした風貌とともに、なんだか素敵な人だなぁという印象を持った。若い頃、世界を料理で渡り歩いていた時には自然派指向ののミュージシャン達にも人気があったようで、店内の写真には日本に来日した際にこのお店に寄っていったという、ロック界の大物達と肩を並べて無邪気に微笑むオーナーの姿があった。店内のピアノで実際に演奏している「スティービー・ワンダー」の写真もあって、彼と同じハコでライブをするんだと思うとなんだか嬉しくなってしまった。今回のアートショーのゲストミュージシャンは「アースコンシャス」のリーダーでもあるカリンバ奏者の「BUN」さん。昨年、岐阜でアートショーをやった時に、偶然彼もライブで来ていて久しぶりの再会を果たした。新橋の「nociw gallery」とも繋がって、度々カリンバ作りのワークショップも開いている。バンドのアースコンシャスとは実は今までで一番多くアートショーでコラボしていて、お互い気心知れた関係でもあるので今回BUNさんのソロも安心してお任せすることができた。色んなおもちゃを駆使して実に素敵に表現していた彼。「流石プロだな」と思いました。奥様の「さと」ちゃんとも初めてお会いできて嬉しかったです。

岩手の花巻からは「やえはた自然農園」の「しょうちゃん+かおり」が見に来てくれた。4年振りになるのかな?二人のオーガナイズでARTGYPSY ARTSHOWをやらせてもらって以来、私達はずっと二人の育てた自然米を買わせていただいている。何種類か食べてきた中で、今は宮沢賢治が栽培をすすめていたという「かおりりくう」というお米が素朴な味で気にいっている。そんな二人も今年の夏にはとうとうカフェのオープンを予定しているそうで、そこでもアートショーをやることが決定になった。今は研究を兼ねて各地の自然食やカフェのお店をチェックして回っているそうなのだが、そんな中「ここは野菜の味が上手い!ベジタリアンじゃなくても上手い!すごい!」と作り手の立場から大絶賛していた。たまたま会場が自然食レストランだったのも本当によかったなと思った。「ぜひここで個展やARTGYPSY ARTSHOWをやって欲しい!」と依頼してくれたマネージャーの「天田」くんに心から感謝している。他にもMOMINOKI HOUSEのことも私のことも一週間前まではまったく知らなかったのに、たて続けに三つの偶然がシンクロして今日ここにやって来ることになったというお客様もいて、そんな出会いが嬉しかった。スタッフでこだわりのクッキーを作って店内でも販売している「花」ちゃんは「この店は本当に一期一会で4割が海外のお客様なんですけど、先日も船で世界を旅しているという外国人の方がふらっと来て、作品を気に入って画集を買って喜んでいかれましたよ〜」とのこと。1976年創業ということは1997年〜1999年まで私が表参道の路上で道売りしていた頃にも、このお店は今と変わらぬ雰囲気のままここに存在していたんだよなーとしみじみ思うのだった。近い所に居たんだなって。路上時代の自分があってこそ、今の自分がある私にとっては、その頃の自分に「ハロー」と笑いかけるような気分の今回のMOMINOKI HOUSEでの開催だった。2月11日まであともうしばらくやっているので、お近くにお越しの際はぜひ立ち寄ってみてください。

雪の心配もあったなか満月に集まってくれたみなさん、本当にありがとうございました!!






 


_ 2015.12.25_>>>_満月


「愛によせて」

2015年最後の満月も美しかった。新居に越してから、庭から眺める月の美しさに酔いしれている。

毎年、1年という年の長さがどんどん短くなっているように感じるが、密度の濃さはどんどんと深くなっていく。今の自分の内側を覗くと、やはり幸せ感というものに包まれていることに気づく。その源をたどってゆくと、ひとつになって、みんなつながっているんだよなーという疑いようのない、確かな真実へと辿り着くのだ。私達ARTGYPSYはほんとうに、まわりの存在に助けられ、支えられ今ここに生かされている。そのことに深く深く感謝して、また一歩づつ楽しんで歩いていけたらいいな。

すべての川が 大海へ向かって流れるように

すべての愛は やがてひとつの源へと集う

時が熟し 地球の子宮へと宿りし命よ

あなたの父と あなたの母の 

愛の儀式を はじめましょう

私はうたう 天とともに 

この幸せの時 喜びの時を

おめでとう おめでとう

あなたの真の 愛によせて




 


_ 2015.11.27_>>>_満月


「ナマステ!」

満月に岐阜でARTGYPSY ARTSHOWをやってきた。

会場は自由空間「ナマステ」。今年は岐阜との縁が繋がった年で、6月6日「仙龍庵」でのアートショーに続き、岐阜で2度目の開催となった。オーナーの「美和」とは2月22日、新橋
nociw galleryでのイベント「ちよにやちよに」で初めて会ってから、まだ数回しか会ってはいないが、屋久島ツアーからの帰り道にNOBUYAが「ナマステに寄って行こう」と言ったので連絡して結局2泊した時、さらに親しくなることができて今回の流れになった。nociw galleryのファミリーである「上田さん」、「とし」、「HARUNA」は前日から仙龍庵に泊まり、大宴会を繰り広げていたようだ。当日ナマステに到着すると、笑顔で迎えてくれた3人が昨日の模様を語ってくれた。今回のゲストミュージシャンは地元を拠点に活動している「Bジェネレーション」。そのボーカル「愛」とギターの「シンさん」夫婦も昨晩は仙龍庵でミニライブをやって大いに盛り上がったらしい。そんな風にもう下地は十分温まっている中、岐阜ファミリーに見守られての初コラボレーションはとっても楽しかった。屋久島で一緒に過ごした「あぱっち宮原」もいて、再会を喜んだ。当然のようにあぱっちもコラボに加わり、バラフォンの「けんちゃん」、ディジュリドゥの「たけちゃん」も参加してにぎやかになった。特に子供達が詩に反応して私の言葉の後を追ってきたりといった、思わぬギフトがあったりして、とてもピースフルなショーになっていった。終了後nociw galleryのプロデューサーでもある上田さんが言ってきた「最近HARUNAとね、来年はnociw galleryでも∀が子供達と触れられる機会が作れたら素敵なことが起こりそうだねって、丁度そんなことを話してた矢先だったんだよ。今日のアートショーはまるでそんな未来を想像させてくれたから、僕は本当に嬉しくてHARUNAと2人、笑いがとまらなかったんだ。いやぁー幸せだったなー」そんな感じ方をしてくれる上田さんに改めて感謝の念がわき起こった。Bジェネレーションの2人も「もー最高ー楽しかったー!」と、また是非一緒にやらせて欲しいと思ってくれたようだ。これがアートショーの醍醐味でもある。色んなミュージシャンとセッションすることで、様々な体験ができて私達の方こそ最高に幸せだなと思うのだ。美和もとても満足そうだった。ナマステに集う素敵な人達にありがとう!

12月10日の新月の頃には伊豆の「かりゆし工房 一枚の板」にて急遽ARTGYPSY ARTSHOWが決定した。NOBUYAが閃いた今年のARTGYPSYのテーマは「SUPER PEACE-FANTASY-」なのだが、私には毎日がファンタジーのように思えてくる今日この頃だ。ARTSHOWでつながる人々とのご縁に、大きな愛を感じずにはいられない。

みなさん、いつもありがとう!








 


_ 2015.10.27_>>>_満月


「鳥のように」

毎朝、鳥達の声で目が覚める。

秋分が過ぎて冬至に向かう日々、彼らの鳴き声は夜明けの空にこだまする。2週間ほど前、真っ白になった富士山の雪がまた溶け出してきたようだ。様々に表情を変える富士山の頭を拝むのも毎日の楽しみである。先日、庭の掃除をしに玄関口までいった時のこと、我が家の玄関前には雨樋があってその雨水を受けるために中がえぐられた石が置いてあってちょうどそこが小さな池のようになっているのだが、玄関前の柿の木に大勢の鳥達が集まって来たのだ。みんなで何やら喋っている。あまりに可愛らしいので私は玄関に座り込みじっと彼らの様子を伺っていた。すると一羽がすっとその池に飛び移ってバシャバシャと水浴びをし出したのだ。その他大勢はじっとその一羽を見つめている。しばらくして最初の一羽が木に戻ると、今度は別の一羽がやってきて水浴び。そうやって一羽ずつ順番に順番に自分の番がきたらさっそうとその池の中に飛び込んでくるのだ。水浴びの仕方も様々で出たり入ったりしながら遊ぶ子や、ダイナミックに一気にバサーッと音をたてて突っ込んで来て大胆に水しぶきを上げる子。山の上には水がないからか、彼らはその小さな水溜まりを味わって本当に気持ちよさそうにしているのだ。その遊びがよっぽど彼らには気に入ったらしく、飽きずに何度でも繰り返し順番を待っている。私は本当に感動してしまった。だって横入りなんかを絶対しないでちゃんと自分の番を待っている彼らの姿。そして一羽一羽に個性というものがあること。それは考えてみれば当たり前のことだが、普段は鳥は鳥としか認識していなかった自分がいたのだ。ささいな事かもしれないが私は感動のあまりその場から動けなくなって、彼らがすっかり遊びきって柿の木から飛び去っていくまでの一時間ほどの間ただただ幸せな気持ちで、ずっとそこに居たのだった。

その余韻がいつまでも残り、嬉しくてNOBUYAに話していたら1本の電話が鳴った。突然の仕事の依頼。原宿で40年も前から自然食を提供しているマクロビレストラン「もみの木ハウス」での10月31日のハロウィーンパーティ。当初決まっていたDJが急にできなくなったらしくNOBUYAにDJをやってもらえないかとのことだった。NOBUYAの提案でARTGYPSY ARTSHOWもやることになり5時間のパーティへの参加が決まった。ARTSHOWのゲストミュージシャンは、偶然その日はレコーディングで東京に行く予定があったというバイオリニストのHOLY。急な話ながらちゃんとそこへ向かえるように事が進んでいることに感謝した。ちょうど引っ越してから久々に家でDJを楽しむようになっていたNOBUYAにはうってつけの話だなと思った。神様は準備が整った者にこうして仕事を与えてくださるんだな、きっと。先週下見に初めてお店を訪れたら、店内にはスティービー・ワンダーやデビット・ボウイなどお店のファンだというアーティストの痕跡があちらこちらに残されていた。オーナーもかつてはポール・マッカートニーの専属シェフを務めていたそうだ。歴史を感じさせる店である。このハロウィンパーティーでは仮装して来たお客様には最初のドリンクを無料で提供してくれるとのこと。場所柄外国人のお客様も多いという、突然降って沸いたもみの木ハウスのハロウィーンパーティ。いったいどんな夜になるのだろう?ま、私達はいつものように楽しむだけである。

そう、鳥のように。




 


_ 2015.9.28_>>>_満月


「ルビーの指輪」

秋の実りを満喫している。

新居に暮らしてひと月が過ぎた。色んな仲間達が「2人はいったいどんな所に越したんだろう?」と興味を持ってやって来る。子供達は特に大興奮して声を上げながらあちこち駆けて回る。先日遊びに来た「悠一郎+美千代」の息子「悠麻」は中庭で1人ぶつぶつ喋りながら、時には奇声を発しながら、もくもくと土をいじっていた。「裕二+由美子」の娘「ひまり」と「れのん」は大きな画用紙に自由に絵を描いたり、楽器で音を出したりして歌ってはしゃいでいた。ここではどんなに大きな声を出しても平気なので、お母さん達が「しっ。静かにしなさい!」と怒る必要がない。凄い場所に当たったものだと思う。私の今の楽しみはリビングに作ったDJブースでNOBUYAがDJをやってる時に自由に思いっきり踊ることだ。リビングのある家に暮らすのは久しぶり。高尾ではひと間で寝たり食べたりしていたから、10年間よくやったなと今にして思う。

ずっと出番のなかったターンテーブルをセットして久々にレコードを聞いた。ジャケットの埃を払って針を置く時のぞくっとする感覚。プツプツというなんともいえない音とともにその暖さに包まれる至福の時間だ。「あー音楽ってサイコー!」その音に浸りながら体が動くままに身を任せて踊ることが今の私には必要だったんだなーと思った。体がどんどんほぐれてきて身も心も軽いのだ。NOBUYAの最近の楽しみはもっぱらHARD OFFで安いレコードを見つけることで、先日「いいのがあったぞー」と喜んで帰って来たその手に持っていたのは80年代に出た寺尾聡の「リフレクションズ」というアルバム。この中に入ってる「ルビーの指輪」はその年の日本レコード大賞を受賞した。子供だった私達はこの曲がとても好きだった。しかもこのアルバムはそれ以外にもいい曲ばかりで、アルバムの構成もちゃんと考えられていて何度でも繰り返し聞くことができて飽きがこない。まさに名盤なのである。俳優である寺尾聡の作詞・作曲のセンスもいいし、何より低音を響かせる声がいい。そしてプロデューサーやサポートしているバックのミュージシャン達も実に素晴らしいのだ。人生で一枚のアルバム。それも傑作を残せるということは本当に凄いことだと思う。大人になった私達はアーティストとしての寺尾さんに改めて感動を覚えたのだった。

という訳で、我が家に来た人はまずこのアルバムをフルで聞かされて、そのあとDJ NOBUYAの操縦でワールドワイドな音の旅へと誘われるのだった。毎晩寝る前にはNOBUYAの気分で選んだ「今日の一枚」というのを聞きながら、時にはダンサブルに、時にはアンビーに、今日一日の平安に感謝しながら音とともに眠りにつく。そんな何気ない毎日に幸せを感じている。先日は玄関の前の大きな柿の木から熟した柿が自然に落っこちていた。舐めてみたら甘いではないか。そのまま柿のロージャムを作ったらなんという美味しさ!今日は裏の森でNOBUYAと栗拾いに夢中になった。さて、どうやって食べようかなと考えるだけでワクワクしてしまう。

森の恵みにありがとう!



 


_ 2015.8.30_>>>_満月


「引っ越し花火」

屋久島個展へ出発する3日前に山梨へ引っ越しをした。

1ヶ月間留守にしていたので新居での生活にはやっとちょっと慣れてきたというところだ。まだまだ掃除や整理整頓をしなければならないので快適に暮らせるようになるまでは時間がかかるが環境的には気に入っている。今年になって高尾で借りていたアトリエを急遽出なければならないことになり、新しいアトリエを高尾で探していたのだがなかなか見つからず、縁あってこの地に呼ばれたという感が強い。でも高尾の仲間達とは相変わらず行ったり来たりしているし、離れたという気がまったくしないのだ。よかったなと思う。振り返れば高尾で暮らした10年間もあっという間だった。オオカミ犬「nociw」と暮らすために高尾に移り住み、仲間がどんどん集まってきていつの間にかできていたコミュニティ。その繋がりの中で今の場所に導かれた。本当にご縁とは不思議なものである。私達は北海道の田舎育ちということもあって、自然が大好きだ。特に私は森が近くにないと息が詰まりそうになる。高尾の家は森まで歩いて行くことができた。今度の家はどうなるだろうと思っていたが、小さいけれども山の頂上にあり家の裏が森なのだ。ありがたい。神様に感謝である。

裏の森には動物達が生息している。引っ越し最中には一匹の猿がじっとこちらを見つめていて目が合った。「猿と目を合わせちゃいけないよ。襲って来る場合もあるからね」と屋久島の「なお」に言われていたが、「この猿は大丈夫」と何故か思えて視線を合わせた。黒く澄んだ瞳のその猿は何か言いたげにしばらくこちらを見つめていた。「これからここに住まわせてもらう者です。どうぞよろしく」と心の中でつぶやいた。ある時は生まれたばかりのウリ坊が7匹、道をちょろちょろと横切って行った。母親の猪がいつ現れるかとハラハラしながら見ていたが、母親は姿を見せなかった。毛の模様がとても奇麗で愛くるしかった。鹿もいるそうだが声だけは聞こえるが姿はまだ見ていない。そして鳥達。ここにはたくさんの鳥達がやってくる。山の上だから私達の目線と水平に鳥が飛んで行く。一日中彼らの歌声が裏の森から響いてくる。ほんとうにこの場所でよかった。新橋に常設ギャラリー「nociw gallery」ができたために、もう少しこの辺で暮らして行くことになった私達。北海道へ移り住むまでの、たぶんここが最後の家となるだろう。しばらく人が住んでいなかった古い家だが、少しづつ奇麗にしながら大事にしていきたいと思う。

そして、この家で良かったと思える最大の点は富士山が拝めることだ。富士山が大好きな私達。東京に出てきてから何度も何度も足げく通った富士山。その富士が見えるだけで、気持ちが上がる。見えるといっても実際は頭の部分だけで、その下は山々に隠れているのだが私達にはてっぺんが見えるだけで充分満足だ。毎朝起きたら真っ先に窓辺に駆け寄りその存在を確認する。晴れた朝は格別だ。手を合わせ一日の平安を祈り仕事にとりかかる。充実した毎日。年に三回はこの裏山で小さいけれども花火が打ち上げられるそうだ。そろそろその時期だそうで、いったいどんな風に見えるんだろうと今から楽しみである。高尾の仲間達に声をかけてみんなでワイワイ花火見物もいいな。とにかく、これからも生活を思いっきり楽しんでいこうと思う今日この頃である。

ありがとう。ご縁に感謝して…。




 


_ 2015.7.16_>>>_新月


「屋久島にて」

1年ぶりに屋久島の地を踏んでいる。

屋久島空港の隣にオープンしたギャラリー「TABIRA」での個展開催のための来島。オープニングのARTGYPSY ARTSHOWには東京新橋にできた私の常設ギャラリー
「nociw gallery」のアートディレクター「上田」さんやスタッフの「とし」をはじめ上田ファミリーの「拓」さんや「信」さん、そして敏腕プロデューサーの「はるな」が
東京から駆けつけてくれてとても心強かった。屋久島にいる家族、森の旅人の「けんた+なお」EARTH TRIBESの「ひろみ+えみか」カイホー屋の「なーや+たかえ」との
再会に心躍り、何度も屋久島で個展をやらせてもらっているお陰で「お帰りなさい!」と声をかけてくれる島の人々にも温かく迎えられ、嬉しさとともに「帰ってきたなー」という思いがわき上がってきた。ARTGYPSY ARTSHOWで初コラボした音楽家の「内田輝」さんの奏でるクラビーコードには新鮮な驚きがあった。ピアノの原型といわれるこの楽器は本来人に聞かせるためのものではなく、神様や精霊に届けるものであるという通り、その音色は儚くとても繊細で深かった。心の耳を研ぎすませて感じる世界。ガイドでもあるギャラリーのオーナーがクラビーコードを聞いた後に森に入るといつもとは全く別の次元に触れる感覚を味わうと言っていたが、初めて耳にした時、それを理解することができた。ARTSHOWでのコラボレーションに太鼓判を押してクラビーコードを推薦してくれたオーナーの「拓」ちゃんの直感に感謝した。

昨年の夏に約2ヶ月かけて屋久島の森に籠り描いた作品達を、今回初めて生まれた土地で発表することができたことは私にとって何よりの喜びでもある。「ここ屋久島の自然の息吹がまるごと作品の中にエネルギーとなって生きていますね!」そう島の人々が感じてくれていることが嬉しかった。本当に作品とともにここに帰ってこれてよかったなと思う。そしてもうひとつワクワクすることがあった。なんとこのギャラリーには私達の愛犬でもあった「nociw」とそっくりな「ビーン」という犬がいてNOBUYAも私も毎日癒されているのだ。昨年制作の息抜きにと、なおが夕日を見に海に連れて行ってくれた時に、私はそのビーンに出会った。流木をつかんで一緒に遊んでいたら「この犬の飼い主はギャラリーをやっているんだよ」となお。それがきっかけで挨拶をして「ぜひうちでも個展をやってください!」と声をかけてもらったことが縁で今回につながったのだった。「これは絶対に偶然じゃないよ∀。nociwが引き合わせてくれたんだよ!」なおはその時、確信を得た笑みを浮かべていたっけ…。

そんな不思議な流れで今ここに辿り着いている私達。先日見た夢に古代の様相の女神様が現れて両手に持っていた植物を手渡され「がんばりなさい」と声をかけられた。女神の上には天の川と満点の星空が広がっていたのだがその夢をみた当日の夜、現実にまったく同じ星空を見上げながら感動している自分がいた。

流れ星がいくつも、流れては空に消えていった…。






 


_ 2015.6.16_>>>_新月


「仙龍庵」

ARTGYPSY 初の岐阜での個展&ARTSHOWをやってきた。

ご縁に導かれ繋がってつながって…。仙龍庵のお二人「剛輔先生」と「かよん」と出会ったのは昨年9月に山梨の北斗市でミュージシャン「KURI」が開催した「縄文スピリット森」だった。私達ARTGYPSYはお山の上にあるKURIの素敵なスペースで個展とARTSHOWをやらせてもらったのだが、その時岐阜からわざわざ駆けつけてくれたのが彼らだった。新橋のnociw galleryでのイベントをオーガナイズしてくれている「はるな」を通して私の絵を知った二人は一枚のカードサイズの絵から直感でやって来たのだと言った。何ヶ月先までも予約がいっぱいという治療院をやっているのに何故かその日だけスケジュールがポカンと空いていたという剛介先生。実際に絵を見てARTGYPSY ARTSHOWを見て「いつか岐阜に呼びたい」と言ってくれた二人。それが9ヶ月後に実現したのだ。満面の笑みで迎えてくれた剛介先生と泣いて喜んでくれたかよん。招いてくれたことに心からの感謝でいっぱいの滞在となった。ARTSHOWのゲストアーティストはダンサーの「おりは」とギターの「太郎」の夫婦と三重県からやってきたミュージシャンの「あぱっち」。おりはと太郎は2月22日にnociw galleryで行ったイベント「ちよにやちよに」に今話題の空気パンツの創設者「まゆみ」ちゃんが連れて来てくれていた。「∀とおりはちゃん、野性的なところが似ているから絶対一緒にやったらいいと思うの」というまゆみちゃんの直感は当たっていた。4月に一度仙龍庵に下見に行った時は、はるなにあぱっちを紹介されて、その音楽的なセンスに感動したから、そんなあぱっちまでもが参加してくれて一緒にやれたことが嬉しかった。はるなだけでなくnociw galleryのある新橋ATOMビルからはおなじみの「上田さん」と「とし」も来て再び家族再会の運びに。楽しかったな。

同じ三重県からは「夢宙屋」という魔法のランプを作る「真士」と「和泉」というこれまた素敵な夫婦も参加していて空間を美しく演出してくれていた。外に広がる庭のあちこちにランプが灯り、そこに簡易ベッドが置かれて寝転がりながら星空を見上げた時、幸せで胸がキューンとなる感覚を覚えた。この日の朝、雲の形をした沢山の龍が空にいるのを見たと剛介先生が言っていた。ARTSHOWの最中には会場からポンポンと丸い玉が現れてそれらがグルグルと渦を巻き、やがて天にむかって登って行くというビジョンを見たお客様がいらっしゃった。仙龍庵とはその名の通り龍が憩いに集う場所だった。次は7月の屋久島個展。この島も龍の住処である。昨年夏に1ヶ月半、屋久島の森に籠り描いた絵を携えて帰ることができる喜び。天の采配に感動しっぱなしの今日この頃です。

出会ってくれたみなさん、本当にありがとう!




 


_ 2015.5.4_>>>_満月


「竹の子」

新緑のまぶしい季節。森の緑も笑っているよう。

先日、打ち合わせがてら愛知・岐阜方面へ行ってきた。nociw garellyのある新橋ATOM CSタワーのアートディレクター「上田」さんとスタッフの「トッシー」とギャラリーでのイベントのオーガナイザー「はるな」とARTGYPSYの5人。最初は御殿場にある上田さんのお母様の家に一泊お世話になり子猫の「まろ」とともにゆったり団らんの時を過ごした。上田さんのアート好きはこのお母様の影響らしく家の中がたくさんのアートで飾られていてビックリ。とても80代の一人暮らしとは思えない。部屋の隅々や庭にまで美しく手が行き届いていて美意識を感じた。素敵な女性だ。そんなお母様を私達に会わせてくれた上田さんと、上田さんをこの地球に産み落としてくれたお母様に深く感謝した。翌日は三島大社を参拝してから出発。はるなが道行く人に写真撮影を頼んで確認すると、どう見ても家族旅行の写真にしか見えない。それからはお父さんと早くに母親を亡くして以来ずっと母親代わりを努めてきた長女のはるな、飲んだくれの長男NOBUYA、しっかり者の弟トッシー、脳天気な芸術家の次女∀というふうに役を演じながらの爆笑の旅が続いたのだった。

その日は愛知の「ナマステ」という自由空間の二階で宿泊させてもらうことに。オーナーの「美和」ちゃんが定期的に開催している「うさと」展を見せてもらった。主催者の方からあったnociwギャラリーでいつか展示会をやってみたいというリクエストに上田さんが応えて日程の話し合いに来たのだった。これは10月の2、3、4日の3日間開催になり3日の土曜日にARTGYPSY ARTSHOWを行うことになった。そして次の日は岐阜にある「仙龍庵」にナマステの仲間達とともに一泊して多いに盛り上がった。ここの主人で治療家でもある「剛輔」先生と奥様の「かよん」ちゃんが私の絵をとっても気に入ってくれていて「ぜひうちでもやって欲しい」とのことで別荘でもあるこの仙龍庵で6月の6、7日の個展開催と6日のARTGYPSY ARTSHOWが決定したのだった。ARTGYPSY初めての岐阜。6.6という数字は剛輔先生が朝目覚めた時に降ってきた数字なので何とも楽しい予感がする。しかもここは本当に素晴らしい場所にあって二両編成のレトロな電車が通り、清流が流れ、家の裏にはまるで専用のような古い神社が鎮座していて趣きがある。スーッとした気持ちの良い気が常に流れる桃源郷のような所だ。周り一帯には美しい竹林が広がっていて竹の子がニョキニョキと顔を出していた。NOBUYAが大きな竹の子を掘ってそれを焼いてお刺身で食べた時の旨さといったら…。本当に感動した春の味覚だったな。この自然な流れに身を任せてこれからも楽しんでいこう!そう思えた春の一ページでした。

ごちそうさまでした。



 


_ 2015.4.4_>>>_満月


「SUPER PEACE」

ARTGYPSY TOUR 2015がスタートしました。現在山梨県甲府市で∀KIKO EXHIBITIONが開催中です。

3月20日から31日まで開催していたカフェ「キュイエール」を終え「麻美カフェ」に場所が移動しました。キュイエールの「小池」さんも麻美カフェの「まいこ」さんもとっても素敵な女性達で今回オーガナイズをしてくれた農業生産法人銀河農園まきおかの「たけ」の人柄を知る思いです。まいこさんの旦那様の「たかし」さんもおもしろそう。22日は麻美カフェの1周年記念日でもあり、この日にARTGYPSY ARTSHOWがあります。キュイエールでのARTSHOWでも一緒だったゲストミュージシャンはシタールの「伊藤礼」君とタブラの「吉田元」君。礼君とは昨年高円寺でのARTSHOW以来2回目だったけど元君とは初対面。で、彼のタブラを聞いてビックリで日本人が叩く音とは思えないすごい音を出していた。この二人テクニックといい、心といいほんとにいいものを持っている。出会えて感謝でまたコラボできるのがとても嬉しい。それもたけのお陰だなー。ありがとう。

ARTGYPSYとしては今掲げているテーマが「SUPER PEACE」でその中での今年のテーマは「FANTASY」です。うちのパートナーでありプロデューサーの「NOBUYA」が家庭内で宣言してました(笑)ということでこれからもお互い大志を抱いて歩んでいきたいなと思ってます。4月もまだ始まったばかり、EXHIBITIONは23日までの開催なので山梨県は甲府まで美しい風景や温泉を味わいがてら出かけてみてください。麻美カフェのご飯もスイーツもスムージーも大好きです。ほんとにほんとにご縁に感謝だなー。

22日は楽しもう!





 


_ 2015.3.6_>>>_満月


「BE HAPPY」

2月22日。新橋にオープンした「nociw gallery」でのイベント「ちよにやちよに」を無事終えた。

この日はなんと東京マラソンと重なり、しかもランナーがギャラリーのあるアトムビルの目の前を駆け抜けて行くという光景を目にすることができた。それは本当に美しい人間の姿だった。朝、到着するとビルの前にお婆さんと孫娘が佇んでいて「あと10分でトップランナー達が折り返してここを走って行きますよ」と私達に教えてくれた。ドキドキしながら待っていると世界中から集まったランナーのトップの群れがやってきた。その中に「131」という私の誕生日のゼッケンを付けた選手がいるではないか。私はこれを吉兆ととらえこの一日が素晴らしい日になることを予感したのだった。そしてその通りの日となった。それはもの凄いエネルギーに満ち満ちたお祭りのようだった。

「ちよにやちよに」とはたくさんという意味だが、アトムビルとARTGYPSYをつなげてくれたたくさんの仲間達が集まって、本当に魂の家族との交流が交わされた日だった。屋久島や高尾の家族達、古くからのファンや新しいファンの方々が日本中からやってきてくださった。ARTGYPSY ARTSHOWのゲストミュージシャンのKURIは我が家のオオカミ犬nociwの姉妹ウルルを連れてきていた。スタッフは前日にギャラリーで前夜祭を行ったのだがその時からアトムビルのディレクター「上田」さんに特別に中に入れてもらい、普通にソファーでくつろいだりしながら一緒に過ごすことができて嬉しかった。当日も訪れたお客様達のアイドルとなり大人気だったウルル。まるで2年前に旅立ったnociwがお祝いに来てくれたような気がしてならなかった。いやきっと彼女のスピリットはこの風景を楽しんでいたんだろうな。オーガナイザーの「はるな」も上田さんも「nociwを感じる!」と言って感動していたのだった。ウルル、いい子にしていてくれてありがとう。

まだプレオープンという感じのこのギャラリーも着々準備を整えもうすぐ本格的にスタートすることになるようだ。でも今からでもギャラリーを見たいという方はアトムビルの方へ直接コンタクトを取っていただいてご覧になることができる。「井村」君という素敵な青年が親切にガイドをしてくれます。今までにも数名の方々が日本各地から来てくださったようでありがとうございます。そして昨年冬至のオープニングイベント、今回の222のイベントと足を運んでくださった皆さんも本当にありがとうございました。こうしてギャラリーでのイベントは定期的に開催していくことになるので今後ともどうぞよろしくお願いします。

終了後、イベントにも参加していた屋久島の「森の旅人」の「健太&奈央」とともに「ビパッサナー瞑想」の10日間の修行に行って帰ってきたばかりの私。満月は沈黙の行の中、夜空を見上げてただただその美しさに感動していた。まるで龍の目のようだったお月様。昼間に太陽を見上げていると空から白い羽が一枚、ひらひらと降ってきてキャッチすることもできた。まるで映画「フォレストガンプ」のワンシーンのように…。3月〜4月は山梨の銀河農園「まきおか」のオーガナイズで甲府にあるカフェ「キュイエール」と「麻美カフェ」の二カ所で個展とARTGYPSY ARTSHOWを行うのでぜひそちらも遊びに来てください。野菜や果物が本当に美味しいですよ。

それでは。いつもありがとう!





 

_ 2015.2.4_>>>_満月


「MOON CALENDAR」

2015年のムーンカレンダーができあがった。

意外にも作家人生初めてのカレンダー。今まで確かに色んな人々から「カレンダー作らないんですか?」と言われ続けてきていたのだが何故かその機会がなかった。けれども、新橋にできた常設ギャラリー「nociw gallery」のあるアトムCS タワーのディレクター「上田」さんの一言であっという間に形になってしまったのだ。「∀さんのムーンカレンダーがあったら素敵だな。作りませんか?それをこのビルのエレベーターの中に飾ってみたいんです!」初めてのカレンダーがムーンカレンダーというのがいいなと思った。「いいでしょう!」月齢を手描きで描き、メインの絵を描き下ろしてあとは阿蘇に暮らす仲間「マリオ」にデザインをお願いした。マリオは南阿蘇にある「日出や」という美味い手打ち蕎麦屋の大将「ひでぼー」の元へ嫁いで女将をやりながらも、好きなデザインを続けていて∀の個展の美しいDMなどは彼女の手によるものだ。ちなみに彼女は私の「秋津シリーズ」という古の日本に想いを馳せて描いたトンボ達のシリーズの原画をすべて持っていてお店に飾っているのだが、お蕎麦を食べに来たお客様の反応がなかなかいいらしく「∀KIKOさん!」と良く声をかけられるのだそうだ。これからは「このトンボの絵といえば日出や」と誰でもがなるくらいに人々に親しまれるカードなんかもデザインしたいと言っていた。「特にお年寄りの方々が気に入ってくれているのが嬉しいの」とマリオ。それは私も嬉しいな。

そんなマリオと久しぶりの再会。2014年は会わなかったから。2013年に我が家のオオカミ犬nociwが旅立った時、彼女を忍ぶ会をわざわざ阿蘇から出て来て、私とNOBUYAのために高尾の「うかい竹亭」で開いてくれて以来だった。あの時nociwのための膳までもがちゃんと犬用の味付けで用意されていたのには驚いたっけ…。再会の場が新橋のビルの中にプレオープンしたギャラリーの中で、というシチュエーションもお互い予想もしていなかったことだけに不思議だった。上田さんと会わせることができたのも良かった。NOBUYAと3人でマリオを見送りがてら歩いていたら彼女がぽつりと言った。「∀おめでとう!よかったね〜ギャラリーオープン。私ね心配性だからもしかして∀達だまされてるんじゃないかと思ったけど(笑)今日、上田さんに会って安心したよ。」帰って来ると上田さんは上田さんで「彼女、全くなんの違和感も感じなかったですね〜。きっと同じ星から来てるに違いない!」とお互い「今度はぜひ、ゆっくり飲みましょう!」と言って別れるくらい意気投合していたのだった。出会いって面白いな。色んな方向からつながってつながって今、その輪がどんどんおおきくなってきている気がした。

そんなこんなで、上田さんの閃きから生まれたムーンカレンダーは2014年のギャラリーオープニングの前日にギリギリセーフで無事上がってきた。ちょっとゆっくりのタイミングでの誕生だったが、ま、そういうタイミングだったってことだね…。

そして毎日ムーンカレンダーと月を見上げる私。


 

_ 2015.1.5_>>>_満月


「夢をみた」

新たなる2015年。今年もどうぞよろしくお願いします。まずは1月18日の「ござれ市」にてお待ちしています。

夢をみた
世界のニュースが 喜びであふれ
道行く人が ほほえみ 愛をかわしている

自然が人を 生かし
人が人を 生かし
人が自分を 生かす

あるもの すべてが
あるがままの姿で 生きることのできる
そんな平和な 地球にくらす
夢をみた

夢をみた
世界のこどもたちが 喜びにあふれ
道行く人が ほほえみ 愛をかわしている

自然が人を 生かし
人が人を 生かし
人が自分を 生かす

あるもの すべてが
あるがままの姿で 生きることのできる
そんな平和な 地球にくらす
夢をみた



(c) OYA Tokuryo

 

_ 2014.12.22_>>>_新月


「星と火と水と」

新橋にできた常設ギャラリーがプレオープンを迎えた。

「上田」さんという1人のキーパーソンとの出会いから9ヶ月。あれよあれよという間に誕生することになったギャラリーの記念すべきオープニングにはるばる集まってくださったみなさん、
本当にありがとうございました。オープニングイベントのオーガナイザーを自ら進んで務めてくれた「晴奈」も2月に出会ったばかりだし、2014年はこれからのARTGYPSYの運命を決定づけるような大きな出会いがあった年でもあった。この出会いにしても辿ってゆけば屋久島のファミリー「EARTH TRIBES」の「ヒロミ+エミカ」や「森の旅人」の「ケンタ+ナオ」へと繋がっていって結局回りの人々のお陰でこのご縁が巡ってきているということにつくづく「ありがたいなー」と思うのである。相も変わらず、高尾のファミリーはいつも身近なところで私達を支えてくれているし、ツアーで回った先々でも初めてお会いするというのに、その土地の方々が家族のようにとても温かく迎え入れてくれて、それだけで私達がどれだけ励まされているか知れません。感謝です。新橋のギャラリーは2015年には徐々に本格的な形になっていくことと思います。ちなみにこのギャラリーでの2015年の最初のイベントは2月22日の日曜日に決定しました。年明け最初のメンバーとしては最もふさわしい屋久島、高尾のファミリー、そしてオオカミ犬nociwの姉妹の「ウルル」の飼い主である山梨は北斗市在住の「kuri」の「カツ+ミホ」がARTGYPSY ARTSHOWのゲストミュージシャンとして登場してくれることになっています。ぜひ遊びに来てください。

とりあえず新橋のギャラリーが何とか産声を上げることができたので、ひとまず私はこの冬の間、制作に没頭しようかなとうずうずしているところだ。絵や詩がとても生まれたがっているのを感じる。冬の森にも深く触れたい。静寂の中で内省と創造の贅沢な時間を過ごせたならどんなに素敵だろう。この冬の愛おしさは、もちろん我が家の薪ストーブがあるお陰でもあるから、これは私に最も身近なNOBUYAにやはり一番の感謝を捧げよう。いつも薪集めの重労働を一生懸命頑張ってくれてほんとにありがとう。本物の火を感じながら生活できて、とても豊かな気持ちに満たされているよ。

そして我が家の地下水にも感謝。この水で入るお風呂は私にとって一番の元気の元だな。


 

_ 2014.11.22_>>>_新月


「サイン」

秋のARTGYPSY TOURから帰って来て瞬く間に時が過ぎていった。

ツアーでは札幌の個展会場になった「ハンモックカフェ」の時から屋久島「森の旅人」の「KENTA&NAO」と合流してずっと一緒に旅をしてきてそれはもう珍道中の日々だったけど最高に楽しかった。高尾に帰って来てから「ひかり祭り」に参加して長野県原村の「ピースドーム」で私達のツアーは終了したが、行く先々で色んな人々と出会い、笑い合った贅沢な時間だった。新潟の会場はケーキ屋さん「VIGO」だったが甘いものが苦手というそこの小学生の娘「くおん」ととても仲良しになって「また絶対にここに帰って来てね!」と指切りげんまんをした。「∀ちゃんがずっと幸せでありますように!」という手作りの守り札を渡されて…。札幌では会ったばかりなのに懐かしい気分を味わえる連中と毎晩大笑いして改めて「自分達って道産子なんだねー」と再確認したり、阿寒コタンに移り住んだ仲間の「Ague&Emi」ファミリーの所では私の妹夫婦とnociwの息子であるオオカミ犬の「シバ」と落ち合って森の中で一緒に過ごすこともできた。北海道からフェリーに乗って4人で高尾に夜に帰ってきて翌朝は「ひかり祭り」の会場へ向かうという怒濤のスケジュールに、脳みそは全然追いつかないまま3日間を過ごし、その後はツアーの最終地点長野「ピースドーム」で意義深い時間を持つことができた。このドームのオーナーの「月ねえ」こと「りえ」さんの小学生の娘「ねあ」が誰も気づいていない私の体の状態に気づいてくれて、とても優しくしてくれて癒された。髪に触るのが好きだという彼女はARTSHOW用に私の髪を編み込んでくれたりして…。

ツアー中は二台の車で「KENTAとNOBUYA」「NAOと∀KIKO」というように男子と女子に別れて移動していたので、私はNAOといつも車の窓からたくさんの素敵な景色を見ては「すごーい!」「きれーい!」と感嘆の声を上げ共感し合った。ある時、無数の鳥達が1つの編隊を組んで色んな形になりながら、まるで波のように大きな空を移動していって、その美しさに圧倒されてしまった。雨上がりに眩しい虹がかかった時の感動。そんな瞬間を一緒に共有できる仲間がすぐそばに居るということへの感謝でいっぱいの旅だった。

動物は特に、こちら側が気づいていれさえすればいつでもサインを送ってきているような気がする。カラスやトンビ、タカ、カワセミ、とりわけサギは私に取って吉兆の鳥だ。先日も家の前の川に突然、見た事も無いくらい大きな美しいアオサギが舞い降りてきてハッとした。その存在を目にしただけで胸がドキドキする。時が一瞬止まってしまうような感覚。その感覚だけで一日HAPPYなのだが、家からアトリエまで40分歩いて辿り着くとその日は玄関前に大きなイノシシがいて更に驚いたのだった。その方は何も言わずに去って行ったのだが、その人間のような後ろ姿がなんとも印象的だった。夢には最近、去年旅立った我が家のオオカミ犬nociwが頻繁に現れてきている。

12月は6日の満月に今年の3月にもやった高円寺の「ぽれやあれ」でARTGYPSY ARTSHOWを行ったあと、21日冬至の新月に新橋にオープンすることになった∀の常設ギャラリーのオープニングイベントでもARTGYPSY ARTSHOWを行います。この新橋のギャラリーオープンの話。今年の3月にある方との出会いからあれよあれよという流れの中で決まり、私もNOBUYAもまだよく把握しきれていないような状態なのだけど(笑)思えば10年前の2004年に∀のギャラリー「nociw」がクローズして2005年にオオカミ犬「nociw」が誕生し、2013年にnociwが旅立ち、2014年に再びギャラリーがオープンするという出来事自体が、やっぱり導かれてるとしか思えないような感覚になるのだ。しかもその人物と会った日というのがnociwの誕生日だった。こうなるまでに出会った誰が欠けても、こうはなっていなという奇跡に改めて感動してしまうのである。とにかくとにかく、みなさん、ありがとうございます。






 

_ 2014.10.8_>>>_満月


「北へ」

屋久島の森での生活が、もうずいぶん前のことのように感じられる今日この頃。今年最後のツアーに旅立つ。

新潟と札幌。北へ向けて。新潟は10年来の付き合いになる弟のような存在「やす」がオーガナイズしてくれた。やすは川口の人だが今回は初めての長岡での開催。彼の友達が営んでいるという「VIGO」というケーキ屋さんだ。ARTSHOWのゲストミュージシャンは「phoka」彼女もかなり古くからのファンで昨年柏崎でやった時も飛び入りで参加してくれて盛り上がったっけ。約束をしなくてもお互い旅をしている中で色んな土地で再会することになっているのが面白い。初のアルバムを出したようでセッションするのが楽しみだ。札幌はアーティストの「あけ」が奔走してくれて実現することに。彼女は昨年札幌の「PROVO」にも見に来てくれていたが、そのひと月前に私達が屋久島からフェリーで帰ろうとしている時にあけ達はまさに屋久島に到着するというタイミングで港で偶然出会った。彼女達は北海道から屋久島に移住した「まーちゃん」と「さおちん」の友人で、そのまーちゃんとさおちんは最近「KENTA&NAO」ととても親しくしていて今回屋久島で最後の日に2日間一緒にキャンプして魂の交流をさせてもらった素敵な人達。その彼らとあけが色々と親身になってくれたお陰で札幌での開催が決定したのだった。場所は「hammock base cafe」というお店でオーナーの「西くん」という人はなんと私達と一緒の余市出身だそうで、それだけでもとても縁を感じている。最終日のARTSHOWには富良野から妹夫婦「フミ&ヒロさん」と我が家のオオカミ犬nociwの息子である「シバ」も来てくれることになっている。お店の中にもシバは入れるそうで本当にありがたい限りだ。札幌で「森の旅人」のKENTA&NAOと合流して一緒に行動できるのもとっても嬉しい。そして札幌が終わったら高尾から阿寒に移住したアーティスト「Ague&Emi」家族の元へみんなで向かう事になっている。久しぶりの新潟と1年ぶりの北海道。どんな旅になるのかワクワクだ。

森旅と一緒に高尾に戻ったらすぐに藤野の「ひかり祭り」の参加、長野県原村の「ピースドーム」でのARTSHOWが待っている。そして11月15日の「虔十の会」主催の環境イベントで下北沢でのARTSHOWと16日の高幡不動尊の「ござれ市」へと続く。今年はあれこれ重なってしまいござれ市に出るのも半年振りとなってしまった。業者のおやじ達も首を長くして待ってるだろうな。そして12月は3月にも行った高円寺「ぽれやあれ」での個展や、冬至の新月に新橋でのARTSHOWが予定されていて、めまぐるしい2014年の締めくくりになりそうな予感である。どこかのタイミングでみなさんに会えますように。

ではまずは北へのツアー楽しんでいってきます!




 

_ 2014.9.9_>>>_満月


「森と森」

約1ヶ月半の屋久島の森でのお籠り制作から、高尾の森に帰ってきた。

今回の屋久島生活はディープ過ぎて一言ではとても語れないが、ありがたいことに帰って来てからそのエネルギーを表現する場が与えられているので、そちらで存分に発揮していきたいと思っている。20日は山梨の北斗市「スタジオKURI」で行われる「縄文の森スピリット」への参加。28日は高尾の「グリーンセンター」で「虔十の会」主催の環境イベント。10月5日は高尾の「むみじか」にて「神無の宴」と題したARTGYPSY ARTSHOW。ミュージシャンであり瞑想家の「奈良裕之」さんと「杜々」の女将の「佐千代」の弟でディジュリドゥ奏者の「Sanshi」との2度目のコラボレーション。彼らがコラボするのは初めてなので一緒にやるのがもの凄く楽しみだ。そのあとは新潟、札幌とツアーに回り、11月1、2、3日は恒例の藤野の「ひかり祭り」で出店とアートショーを行うことに。屋久島の「森の旅人」健太と奈央とは札幌で落ち合うことになっているが、そのまま「ひかり祭り」にも一緒に参加することになった。先日屋久島の空港でバイバイしたばかりだが、またすぐに会えるので全然離れてる気がしない。嬉しい限りだ。しかも今度はNOBUYAもいるから一番バランスの取れた形になるだろうな。とっても楽しみである。みなさんも、どこかのタイミングでぜひいらしてみてください。

「精霊の歌に耳をすませて」

世界の異なる それぞれの場所に
住まう人々が聞いた 精霊の歌

声のする方へ 歩いてゆくと
それは 地球の心へと
まっすぐに つながっていた

肌の色 話す言葉 宗教の違い
それがいったい 何だというのだろう

私達は ひとつの源へと通じる道を
それぞれのリズムで 歩きだした

世界の異なる それぞれの場所で
この時も 聞こえてくる
精霊の歌に 耳をすませて







 

_ 2014.8.11_>>>_満月


「屋久島にて」

長野県飯田市での個展を終えて只今屋久島の森で絵を描いている。

到着予定日には台風の影響で鹿児島からの飛行機が飛ばなかったため、霧島の温泉宿で1泊することになった。屋久島を訪れるのは9回目だがこんなことは初めて。これもまた意味があるのだろうと温泉につかりながら、これから森に籠もり一人過ごす時間に思いを巡らせた。翌日には無事島に入ることができ、空港には森の旅人の奈央が出迎えてくれていた。「おかえりー!」4ヶ月ぶりの再会を喜ぶ私達。籠もるのはいつもの通り森の旅人の健太が借りているアトリエ。けれども彼らもガイドの仕事やイベントの手伝いで忙しかったためアトリエの掃除ができていないという。とりあえず3人でアトリエの大掃除に取りかかり場を清めてから制作に入ることにした。その前に森に入り海に入り川に入り私自身の清めをすることを2人は提案してくれた。いつでも私にとって完璧なガイド役を買って出てくれる2人なのである。見違えるようにきれいに場が整えられたアトリエで3日間絵を描いたが何と2度目の台風が屋久島を直撃するという。周りに民家の一切ないアトリエで1人でいるのは危険ということで再び彼らの家に避難することになった。そして隣の島、口之永良部島では火山の噴火が…。「ホントに∀は凄いタイミングで来たね。これも神様のお導きなんだろうけど」と2人。とにかくめったに体験できないほどの規模の台風を味わって気分を新たにアトリエに戻ることになった。その前に奈央が「∀!屋久島最高峰の山である宮之浦岳に登ってからまた絵を描き始めたら絶対にいいよ!あそこは益救神社の奥の院もある屋久島の中心だから」と言うので彼女の直感に従うことにした。深夜の1時に起きて山頂で朝日を拝もうということに。この日は地球と月が最も接近するというスーパームーンの満月。家を出る時、空にはなんともいえない神秘的な満月がぼんやりと輝いていた。山に登り始めると雨が降り出してきた。辺りには幻想的な霧がかかりまるで夢の世界が広がっていた。真っ暗な中、懐中電灯の明かりを頼りに一歩一歩頂上を目指して歩き出した。屋久島では山の下と上とではまるで天気が違う。私達はこの特別な日の雨を浄化の雨ととらえ、ずぶ濡れになりながらも嬉々として宮之浦岳を堪能したのだった。朝日は見えなかったが私は自然のパワーを十二分に満喫し英気を養うことができた。これからまた1人、絵に没頭したいと思う。この環境を与えられていることの奇跡に感謝して。

高尾に帰ってからの最初の仕事は9月20日、21日。山梨県北杜市での作品展示とARTGYPSY ARTSHOWだ。テーマは縄文スピリットの森。コラボレーションするアーティストはミュージシャンのKURIと前回のツアーで淡路島に呼んでくれたcafe´ Nafshaのオーナーで現代美術家の尾崎さん。会場となるのもKURIの2人の山の上の家だ。ここは本当にステキな場所でKURIのかっちゃんが友達の大工と一緒に建てた家やギャラリースペースやライブスペース、ゲストハウスも併設されている。山全体が彼らの生活場所であり、そこに広がる森にはまさに縄文スピリットが息づいている。今回のARTSHOWは、かっちゃんの提案で初めて野外で火を焚きながら行うことになった。尾崎さんは縄文土器の他に縄文太鼓も作る人でこの日、KURIから依頼された太鼓を完成させて持ってくることになっていてその太鼓には私の画集「wor un nociw」の中の風の精霊「rera」が持っているシャーマンドラムに描かれている絵が施される。詳細はまたお知らせしますが気になる方はKURIのブログもご覧になってみてください。Studio kuriで検索できます。

それでは再び森へ行ってきます!




 

_ 2014.7.12_>>>_満月


「cotton1598」

初めての長野個展を山々に囲まれたのどかな街、飯田で開催中である。

会場の「cotton 1598」は創業1598年の400年以上続く老舗の会社「綿半」のショールーム。今まで色んな場所で個展をやってきたがショールームでやるのは初めてのこと。
広い空間に備え付けられた生活の様々なシーンの提案の中にアートを入れていくという今回の試みは、思った以上にセッティングに時間がかかった。まずは色んなそこに置かれた物達を整理していくことから始めなければならなかったし、実際に展示してみなければわからないという部分もたくさんあったからだ。でも出来上がった空間はなかなか素敵な仕上がりになりショールームのスタッフの方々が何より一番驚き、そしてとても喜んでくれた。「同じ空間なのにまるで森の中にいるように落ち着く」と。この場所は昨年に出来上がったばかりで飯田の人々にはまだほとんど知られていない。そういう意味でも今回の個展をきっかけに地元の人達にまずはここを知ってもらいたいというのも狙いだったのである。満月の日にはオープニングイベントとして「ARTGYPSY ARTSHOW」を行った。ゲストミュージシャンは「タテタカコ」飯田出身在住の飯田のディーバだ。タカコとは彼女のアルバムのジャケットの依頼を受けて以来のお友達。でもこうしてARTSHOWでコラボレーションをするのは初めてのことだったので、それを実現できたのが何より嬉しかったし楽しみでもあった。NOBUYAの提案でスピーカーを中だけでなく外にも設置して通りを歩く人達にも音が聞こえるようにしたのは素晴らしいアイディアだった。満月を見ながらタカコの強く澄んだ歌声に耳を傾け芝生に寝そべった時「ここはいったいどこだろう?」という不思議な感覚に襲われた。小さな男の子が可愛い葉っぱを差し出してちょこんと私の隣に寝そべった。幸せで満ちたりた気分になった。そして集まってくれたお客様に感謝の気持ちがこみ上げてきた。そこには高尾から駆けつけてくれた仲間達の顔もあった。ここ飯田は高尾仲間の一人「美千代」の故郷でもあったのだ。美千代の両親や妹、タカコの両親の姿もあり感慨深いものがあった。いろんな偶然が重なって神様が引き合わせてくれたご縁。綿半と私達を繋いでくれて個展をやることを導いてくれたこのショールームのプロデューサーでもある「アトムリビンテック」の「上田」さん。その上田さんと出会わせてくれた屋久島に住む仲間でカメラマンの「鈴木洋見」。すべてが天の計らいとしかいいようがない。20日の日曜日のARTGYPSY ARTSHOWのゲストミュージシャンの「マークアキクサ」さんとはまったく初めてお会いすることになるが、それも終わってみたら出会うべくして出会ったということに気づくのだろう。∀KIKO EXHIBITION「VISIONアラワレタカタチ」のツアー最終章。一人でも多くの方に来て感じてもらえたらいいなと思う。

21日の最終日までみなさんとの出会いを楽しみにしています。








 

_ 2014.6.16_>>>_満月


「ARTGYPSY TOUR 2014」

広島、神戸個展を経て、次は淡路島、長野へと向かいます。

広島では初めての個展。「MANOS GARDEN」のギャラリーに招かれての開催でした。昨年の東北・北海道ツアー中に初めてメールをくれて、10月に高尾で開催されたARTGYPSY ARTSHOWに駆けつけてくれたMANOSの「あやこ」がARTSHOWのあとすぐさま声をかけてきてくれのです。MANOSはギャラリーの隣に素敵なショップも併設されたお洒落な場所で、お母様の「文子」さんとあやこが心を込めてお客様と接しているので集まってくる方たちも素敵な方ばかりでした。ARTGYPSY ARTSHOWのゲストミュージシャンは屋久島からクリスタルボウルの「なーや」がやってきました。彼はギャラリーnociw時代のお客さんとしての付き合いから始まりもう10年来の仲間です。昨年屋久島で会って以来、久々の再会。しかも一緒にコラボするのは2010年に行った高円寺での初めてのARTGYPSY ARTSHOWの時にジョイントしてから二度目のこと。ARTGYPSY誕生の立会人のようなものです。あやこが用意してくれた快適なお家で数日間ともに寝泊まりしながら合宿のように楽しい時間を過ごしました。個展が終わった翌日はあやこと宮島の弥山に登りました。雨の降る中NOBUYAと三人で黙々と登った弥山の頂上はそれはそれは素晴らしかった。人もいなくて、とても幻想的な風景を味わいました。また登りたい霊山。そして私は初めての広島の街と人が大好きになりました。

神戸個展は二度目。会場「サラ・シャンティ」で二年ぶりに会う方、初めて会う方との出会いに感謝する日々。不思議なことも起こりました。小さな女の子がある日「お父さん、今サラ・シャンティで何やってるの?」と突然言ったそうです。生まれてから今まで一度もそんな言葉を口にしたことがないのでお父さんは驚いて調べてみると私の個展が開催されていたというのです。他にも「子宮がここに来たい、来たいと言ったのでやってきました」という方が現れました。今回「心」というカラスを描いた絵を連れてツアーに廻っているのですが、ある日ギャラリーの前でカラスがものすごい声で鳴いているのです。なんと雛のカラスが親カラスに見守られて初めて飛び立とうとしていた瞬間でした。ギャラリーのオーナー「正博」さんと「和子」さんは「∀さんがカラスの絵を持ってきたからシンクロしてるんやなー。こんなことは初めてや!」と驚いていました。そのカラスの子がギャラリーを去った時に柔らかい羽が一枚置き手紙のようにありました。カラスの絵の下にそっと飾りました。神戸でのARTGYPSY ARTSHOWのゲストミュージシャンは「津村和泉」さん。本物のアカデミックなピアニストでロシアやフィンランドなどヨーロッパ中を飛び回ってコンサートを開かれてる方でした。超スピリチュアルな方でもあり先日行かれたロシアのコンサートではたくさんのスピリット達が地上に降りてきて彼女のピアノを聞いていたそうです。ARTSHOWのリハの時には冷静なNOBUYAが珍しく「全身鳥肌が立つ!」と言ってガタガタ震えていたように、本番では私も彼女の紡ぐ旋律に涙があふれてきました。終了後のお客様の笑顔と涙を見て胸が熱くなりました。和泉さんと出会えた縁をこれからも大切にしたいと思います。

夏至には淡路島でARTGYPSY ARTSHOWです。初めての淡路島。カフェ「ナフシャ」の尾崎さんという方から突然メールを頂きました。「RED DATA ANIMALS」の画集をどこかで見て魅せられたとのこと。そして彼がオーガナイズする夏至のお祭りへの参加を依頼されました。広島でも神戸でも「淡路に行く」と言うとみんながみんな「本当に素敵な所です!」とのこと。とても楽しみです。ここでのARTSHOWのゲストミュージシャンは「KURI」。彼らは我らのオオカミ犬nociwの姉妹「ウルル」と山梨で暮らすいわば親戚。でも一緒にコラボするのは初めてのことなのでとてもワクワクしています。夏至の淡路に導かれたことは偶然ではないような気がします。神様に感謝です。

そしてそして7月は長野の飯田で個展とARTSHOWがあります。ARTSHOWはオープニングとクロージングの二回。ゲストミュージシャンは「タテタカコ」と「マークアキクサ」氏。どちらもコラボは初めてなので本当に楽しみです。まだまだ続くARTGYPSYの旅。一瞬を毎日を味わい尽くしながら夫婦仲良く、時に喧嘩をしながら一歩一歩前進していけたらと思います。

これからもどうぞよろしく。PEACE!








 

_ 2014.5.15_>>>_満月


「皐月」

思いつきでやった、高尾での2か所同時個展はあっという間に過ぎていった。

GWまっただ中だというのに、わざわざ高尾くんだりまで足を運んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。言い出しっぺのNOBUYAが想像したとおり日本庭園と蕎麦屋という2つの趣きのある場所での開催はその距離も近かったことから「川沿いをのんびり散歩しながら絵を見て、しかも美味しいお蕎麦や、お抹茶を頂くこともできて格別にくつろいだ時間を過ごせました。本当に来てよかったです。癒されました!」というお客様達の声もあり、やってみてよかったなとつくづく思った。それもこれも高尾仲間が営む蕎麦と雑穀料理の店「杜々」の全面協力があってのことだったので彼らにはとても感謝している。今回の個展でお店の存在を知ってくれたという新規のお客様もたくさんいたようで嬉しい限りだ。女将の「佐千代」が「杜々に∀の絵を飾った途端、この中で遊ぶ子供達の遊び方が急に変わったの。今までやらなかったようなクリエイティブな遊びをするようになって、無意識で子供達の感性に働いているみたい!」と驚いていたのが興味深かった。駒木野庭園の庭もヤバかった。庭の盆栽はちょうど新芽を出し藤の花は咲き乱れ、美しい鯉が流れるように池を泳いでいく。「なんか京都にでも出かけてきたような趣きを感じました」と言っていた方もいた。元駒木野病院の院長宅だったという日本家屋は重厚感がありギャラリー隣の畳の部屋で枯山水の庭をただぼーっと眺めているだけで気持ちよくなって寝てしまう方もいた。静かに悠久の時が流れているこの空間はさながら異次元への入り口のようだった。私は朝一でその場所に座り瞑想するのが楽しみだった。そしてお腹が空いたら杜々へ。なんという贅沢な個展だろう。特に高尾の仲間達は「ぜひこの個展は定期的にやって欲しい。近場でこんな豊かな時間を過ごせるなんて最高!」と一番喜んでくれていた。確かにこんな素晴らしい環境を与えてくれている高尾に、改めて心からありがとうと言いたくなった今回の「心」展だった。

5.11の山梨、大月のピラミッドメディテーションセンターでのARTGYPAY ARTSHOWも最高だった。マジカル1dayリトリートイベント「Relaxima」のvol.0ということでどんな1日になるんだろうとワクワクしていたが、その期待通りのリラックスした楽しい時を過ごすことができた。のどかなセンターの周りにある草花を摘んで自分のためのマザーチンクチャーを作ったり、トラディッショナルヨガのワークを受けたり、お昼寝のあとはみんなでダンスをしたり…。そしてセンターの外に手作りで建てられたドーム型の土壁のキッチンでは素敵な女性「あつみ」さんがそれはそれは美味しいベジ料理やおやつを出してくれてお腹も心も大満足だった。そんな素敵なイベントの中で「この企画にぴったりだと思うんでARTGYPSY ARTSHOWをぜひやってください!」と私達を呼んでくれたオーガナイザーの「二通じゅん」に感謝している。彼女は3月に高円寺の個展のクロージングで行ったARTSHOWを見に来てくれて感動したと言い声をかけてくれたのだった。彼女のお手製のくず餅もとっても美味しかった。この日のARTSHOWのゲストミュージシャンは「齊藤梅生」珍しく打ち込み系の音楽とのコラボレーションだったが、ピラミッド型の建物ともマッチしていてなんともいい雰囲気だった。コーディネイトしたじゅんのインスピレーションは正しかったようだ。初めて訪れたピラミッドだったが私にはこの場所がとてもしっくりきた気がする。「今立て替え中のお風呂でもぜひポエトリーリーディングをやって欲しい!この空間もこれから活かしていきたいと皆で話し合ってるとこなの」と近くに家族で移住してきたという方が言ってくれたが、とっても面白そう!と思ってしまった。ここでもこれからつながっていくであろう仲間達に会えたのが何より嬉しかった。

このあとは5月中旬からARTGYPSY TOUR 2014が始まります。第一弾は広島、神戸、淡路島、長野で個展とARTGYPSY ARTSHOWを行うことになっています。詳細はこれからHPに上げていくのでご確認ください。それぞれの地でお待ちしています。みなさんとの出会いを楽しみに…。








 

_ 2014.4.16_>>>_満月


「心」

ゴールデンウィークに新緑の高尾で久々の個展を開催する。

ここは私達ARTGYPSYの拠点地でもあり第2の故郷だ。我が家のオオカミ犬nociwもここで育ち死んだ。nociwが星になって1年が経つが、今でも高尾の森のあちこちにnociwのスピリットが散らばっていることに気がつく。そんな時、私は彼女にそっと話かけてみる。彼女の歌を歌い、彼女のためにフルートを吹くのだ。鳥達が一斉に美しい声で鳴き始めその音に応えてくれる。

今回は2つの会場で同時開催をすることになった。「駒木野庭園」という駒木野病院の隣の日本庭園内にある小さなギャラリーと、友が営む蕎麦と雑穀料理の店「杜々」。駒木野庭園は高尾仲間の「美千代」が「ここは絶対に∀の絵にぴったりだと思うから1度見てみてね!」と以前から熱く語ってくれていたところ。NOBUYAと行ってみると本当に落ち着ける場所で美千代のインスピレーションに感謝した。「ここでやるなら杜々でもやって2カ所同時開催にしよう!」とNOBUYAが提案。なぜならこの2つの場所は川を挟んで丁度向かい側に位置する、とても近い距離にあったから。そんなこんなで話は急にポンポンと決まった。ギャラリーからの趣のある庭の眺めもホットするし、何より気持ちがいい。ゆっくりと絵を見るにはおあつらえ向きの空間だ。庭の盆栽もつい食い入るように見てしまう。それは小さな宇宙。そして杜々。ここの蕎麦や雑穀料理は本当に美味しいので是非とも食べてもらいたい。これからの季節はテラスで山を眺めながら食事をすることもできる。そしてここには私の「MOTHER TREE」の原画もあるのだ。いつでもどーんと床の間の1番いい場所に飾られてお客様をお迎えしている。今回の個展では他の絵達も一緒にちりばめさせてもらうので、MOTHER TREEも久々に仲間とにぎやかに過ごすのではないだろうか。朗らかな風の吹く緑眩しい我らが高尾に散歩がてらふらっと遊びに来てもらえたら嬉しいです。

最近立て続けにnociwが夢に現れるのだ。いつもの様子でただそこにいるという感じで彼女はいる。時に夢の中で触れた感覚が目が覚めた後も鮮明に残っていてこんなにもリアルに感じることができるということに驚く。でもnociwにとってこれは当たり前のことなんだろうな。「私はいるのよ。いつだって。どんな所にもね。」って。夢の中の彼女はそうやってメッセージを送ってきているのかもしれない。こちらにそれを感じる心さえあればいつでも繋がっていられるということを。そう思うと私達はとても贅沢な環境で暮らしているのだということに気づく。歩いて行ける森。きれいな川。美しい鳥達のさえずり。助け合える仲間。絵を描くために与えられた仮のアトリエ。感じたものを様々な形にクリエイトできる場が今ここにあるということ。私達にとってこんな幸せなことはないのだから。だから心のままに、心へ届くように等身大の自分達を表現していこうと思う。

高尾個展が終わる翌日の5月11日には、山梨の大月にあるピラミッドセンターで行われる「Relaxima」というリトリートイベントでARTGYPSY ARTSHOWを行うことが決定した。個展開催の後にちゃんとARTSHOWも用意されているという、このありがたい流れは「このまんま進んでOK!」というサインのような気がして嬉しい。そして、こういうワクワクな状況を一番喜んでくれているのは実はnociw、あなたなのかもね。これからも何度でも撫でてあげるからね。一緒に楽しんでいこう!

愛をこめて。





 

_ 2014.3.21_>>>_春分


「ひとしずくの輝き」

高円寺のカフェ「ぽれやぁれ」にて個展を開催中である。

今回のオーガナイザーは「さち」こと「池田幸子」。1月に下北沢でおこなったARTGYPSY ARTSHOWで初めて会い、終了後「私にも是非オーガナイズさせてください!」と名乗りを上げてくれた。しかも彼女は代々木のヘアサロン「Pirirka hair」のメンバーだ。このPirikaはNOBUYAが15年以上前に創ったお店でのちに高尾仲間でもある「ヤーマン」に店を譲り現在はヤーマンのお店になっているのだが、まさか自分の蒔いた種からこのような縁が結ばれPirikaの人間にこうしてオーガナイズしてもらうことになろうとは夢にも思わなかったとNOBUYAも感動していた。さちといえばPirikaに入った時から店内に飾ってある私の絵や置いてある画集を見たり、他のスタッフから聞かされる私の話に「ずーっとお会いしたかったんですけど、このタイミングでこんなに強く関わることができて本当に幸せです!」と言ってくれるのだった。ありがたい話である。彼女はPirikaでヘナをやるかたわらヨガやクラシックバレエを教えたり、千葉の香取神宮から依頼されてマルシェをオーガナイズしたりと、ものすごくパワフルに動いているのには驚かされる。「いやー直感で動いてるだけですから。本当にやりたいことだけをただやっているんです」と言ってのけるのだった。

そんな彼女が店のイベントのオーガナイズを依頼されているというカフェ「ぽれやぁれ」で是非、個展とARTGYPSY ARTSHOWをやって頂けませんか?ということで実現した今回の企画。やってみたらオーナーの「安彦」さんが実におもしろい素敵な方でこの縁にとても感謝したのである。スタッフの「えま」の作る自然食料理も本当に美味しい。私はコーヒーが飲めないが安彦さんの入れるこだわりのコーヒーも絶品だとか。ぽれやぁれとはゆっくりで大丈夫よ!という意味の造語らしいがその名にぴったりの、のんびりゆったりとした気分にさせる場所である。高円寺は東京のインドとも言われているそうだが、なるほど沢山の裏小路を歩いていると昔歩いたインドのマーケットの雰囲気を思い出した。そんな中でぽれやぁれは、さしずめオアシスといったところだろうか。

春分の日。1回目のARTSHOWが行われた。ゲストミュージシャンはシタール奏者の「伊藤礼」とタブラの「キュウリ」。「初めまして!」という挨拶を交わしただけでもう仲間という感覚になった2人。音楽と向き合う心が本当に純粋で胸を刺した。シタールもタブラも初めてコラボレーションする音だったのでドキドキだったが「詩と音がとてもマッチしていました!」とお客様が声をかけてくれて嬉しかった。シタールとタブラの音は最高に気持ちよかった。ミュージシャンの2人も「楽しかったのでまたやりたいっす!」と手応えを感じてくれたようで、またここから付き合いが始まることになりそうだ。こうしてミュージシャンの仲間達が増えることは本当に楽しい。なぜなら我々ARTGYPSYは音楽が大好きだから。急遽決定した最終日の30日にも行われる2回目のARTGYPSY ARTSHOWのゲストミュージシャンは「TAYUTA」というアフリカ系音楽の夫婦ユニットだ。初めてお会いするのだがとても楽しみである。さちの中では「やっぱり最終日なので夫婦と夫婦のコラボで締める!っていうのがなんとも素敵だと思ったんですよ」とのこと。おもしろいヤツ。1回目のARTSHOWはインド音楽で2回目のはアフリカ音楽。どちらも深い深い音魂を持った国の音。30日もまた全然違う印象のARTSHOWになるだろう。

昨年はARTSHOWでツアーに回っていたので、私としては久々の個展開催。それもカフェでというのは本当に久しぶりだ。小さな空間ではあるが、ふらっとコーヒーを飲みにいらしたお客様がふと絵に目をとめて微笑んでいる風景も素敵なものだ。気兼ねなくフラットにアートに触れる場としてのカフェの良さはあるなと改めて思うのだった。こんな機会を与えてくれたさちに心から感謝したい。このあともどんな出会いが待っているのかワクワクしながら最終日まで楽しんで行こうと思う。ありがとう!

ear-そう全てはひとつ-







 

_ 2014.2.15_>>>_満月


「あるがままに」

2014年の最初の仕事はARTGYPSY ARTSHOWで始まった。1.25の下北沢と2.11の高尾。

下北でのARTSHOWのゲストミュージシャンは「aki-ra-sun-rise」。彼とは昨年のツアーの函館で「ha-co-i-no-ri」というお祭りに参加した時に初めて出会った。ARTGYPSYは前夜祭のトリを努めることになり、アキラは「アニマ」というユニットで本祭の翌日に出番を控えていた。ARTSHOWを終えた時、彼は自分の名刺とCDを持って即やって来た。「いや〜感動しました。アキーラサンライズと申すものですけどよかったら僕のCDを聞いてもらえませんか?ぜひ一緒にいつかコラボしてみたいんです!」とっても積極的。まだ私は彼の音を聞いておらず何と言っていいかわからなかったが「なんかコイツおもしろそうな奴だな」という匂いは感じ取ることができた。そして翌日実際の演奏を聞いて「なんだ超いいじゃん!」と感激し、いつかホントにコラボできたらなーと密かに思っていたのである。それからわずかに5ヶ月後にしてその願いは叶うことになった。オーガナイザーの「五十嵐えみ」がARTSHOWのゲストミュージシャンを誰にしましょうか?と聞いてきた時「私の中ではアキーラさんなんかがピッタリだと思うんですけど∀さんどう思いますか?」と言ったのだ。「えーっ!アキーラ呼べるのー。ぜひぜひ!」と私とNOBUYAは小躍りした。そして再会&初コラボを果たすことができたのである。えみの直感には本当に感謝している。京都からツアーをしながら関東にやってきたアキラは前日から我が家で打ち合わせを兼ねながら過ごしていたので3人の間にも瞬く間に親交が芽生えた。そして知れば知るほど感性が似ていることにも気づいた。だから本番も何の心配もなくお互い思いのままに表現することができたのだった。終了後アキラが言った。「いやー本当に気持ちよかったです。いつかきっと京都でもやりましょう!」結局この日も一緒に高尾に帰ってきて3人で打ち上げをし、改めて出会えたことの喜びを分かち合った。「また、すぐに会いますよ。きっと!」別れ際の彼の言葉に心から嬉しさがこみ上げてきた今年最初の仕事開きだった。

高尾でのARTSHOWのゲストミュージシャンは「奈良裕之」。奈良さんとは2011年に私が屋久島へ森に籠って絵を描きに行っていた時に初めて出会った。「森の旅人」の「健太」と「奈央」が奈良さんとパートナーの「麻喜」ちゃんを奉納演奏のため大和杉までお連れするというのでそこに同行したのだ。奈良さんのことは映画「地球交響曲ガイアシンフォニー」で知ってはいた。あの弓のような「スピリットキャッチャー」というオリジナルの楽器で不思議な音を出すというぐらいは。ただその1年前に高知で個展をした時にこの映画の監督「龍村仁」さんが会場にやって来て話していたら急に「奈良裕之には会ったか?」といきなり聞いてきたのだ。そのことがずっと心の片隅に残っていていつかお会いしたいなとは漠然に思っていたのである。そしてその時はなんと縁の深い屋久島にて実現したのだった。しかも一緒に山に登り奉納演奏に立ち会うという場面からである。その夜に「益救神社」で行われた演奏を聞いた時、私は初めて「この人とARTSHOWでコラボしてみたい」という思いを抱いた。自分でも驚いたがそう感じさせる何かがあったのである。そしてそれは思わぬ所で叶うことになった。2012年にツアーで神戸を訪れ個展を開催していた時に会場に来てくださり、予定もなかったのにそのギャラリーのオーナーの思い付きでそこで急遽ARTSHOWをやることになったのである。突然の事の次第に驚いたがそれは私にとって嬉しい驚きであり、私はそのオーナーの思い付きにとても感謝した。その時の経験は自分にも本当にいい学びになりその後の糧にもなるものとなったからである。奈良さんの音は実に音霊演奏と呼ぶにふさわしいものだ。魂の底に眠っていた記憶を呼び覚ますかのような何かを感じる音。その時は会場に特別に我が家のオオカミ犬nociwもいたことを思い出す。神戸でのコラボのあと「またやりましょう!」と言ってくれた奈良さんとこうして再び、しかも私達の地元で仲間達の見守る中でコラボできたことは本当に嬉しかった。「どうしてもこれは実現させたかったの。なぜなら私が見てみたかったから!」という奈央の言葉に深い愛を感じた。この時も長いハグの後「また、やりましょう!」と奈良さんは笑顔で言ってくれた。3度目が楽しみである。

奈良さんのスピリットキャッチャーのように、アキーラサンライズは「ハドウラム」というオリジナル楽器を創って演奏する。それは水の波動を伝える媒体。スピリットキャッチャーは風だ。楽器はこの世とあの世をつなぐものでもある。私はアトリエの神棚に野で焼かれたという土笛をおまつりして、祈りのあとにその音を鳴らすことを日課としているのだが、年末年始のアトリエの引っ越しでこの土笛は落ち着かなかったようだ。前のアトリエの神棚からおろして引っ越しし、新しいアトリエにちゃんと神棚が作られるまでは作業机の上に置いていた。その時は何度吹いても一切音が鳴らないのだ。うんともすんとも言わない。固く口を閉ざしているかのように。私はすぐに察した。「ごめんなさい。まずは神棚を作ってあなたをちゃんとおまつりしますね。そうして落ち着いたらまたあの奇麗な音色を聴かせてください」そうして神棚を整えあるべき所に置いた時、その笛は再び鳴ってくれたのだった。楽器にも意思がある。明らかに。そのことを教えてくれた出来事だった。3月には満月の頃から新月の頃まで高円寺のカフェ「ぽれやぁれ」で個展の開催と春分の日のARTGYPSY ARTSHOWをやることが決定した。ARTSHOWのたび毎回変わるゲストミュージシャン。今度はどんな音との出会いが待っているのだろう。そう思うだけで胸がワクワクドキドキしてしまう。

これからも、私は私にできることで喜びとともに生きていきます。











 

_ 2014.1.16_>>>_満月


「輪」

年末年始とアトリエの引っ越しに精を出した。

高尾へ来て9年目を迎える。そもそもこの土地に移り住んだのは我が家のオオカミ犬nociwと暮らすことに決めたからだった。色んなシンクロが重なり、nociwの両親ウルフィーとラフカイの飼い主だった田中夫妻から「この子は∀さんのもとにいくために生まれてきたのでもらってください」と言われ、当時ペット禁止のマンションに住んでいた私達は犬を飼う予定など全くなく突然のことだったので一度断ったのだが「引っ越しすればいいじゃないですか。家が見つかるまで僕らはいつまでも待ちます」と説得されとうとう引っ越しを決意したのだった。二人にはそのひと月前の個展で初めて出会っただけだというのに…。

前に暮らしていたのは「ござれ市」をやっている高幡不動だったので都心よりは田舎ではあった。私達が二十歳の時に初めて同棲を始めた場所でもある。田舎から出たくて東京へやって来たものの、やはり根っこは田舎者なので人ごみが苦手で自然が近くにないと落ち着かないというのは二人の一致した意見だった。当時私は学生だったので家探しはNOBUYAに任せていた。どこがいいという希望もさしてはなかったが彼にはその場所が気に入ったらしく気持ちいい川沿いの小さなアパートを見つけてきた。不動産屋さんには「彼女が絵描きなので眺めのいい部屋がいいんですよ」と言ったとか。私は「絵描き」という言葉に嬉しさを覚えたものである。結局私達はその川の眺めが気に入ってそのアパートに数年暮らし、結婚してからもその川沿いに数メートル移動しただけの新しく立ったマンションで生活していたのである。

高幡不動に越した頃NOBUYAがふと言った。「ねぇ高尾山っていう山があるらしいよ。行ってみようよ」東京にこんな山があるなんて思ってもみなかった。私達は自分達の遊び場を見つけたとばかりそれからことあるごとに高尾山に上っては楽しんだ。初日の出は毎年山へ上り拝むことが恒例だった。その頃はまだ人も少なく自分達だけのとっておきの場所を確保して太陽が上ったあとそのままそこでぐっすり眠ったりしたものである。帰りは今はない銭湯「天狗湯」に入って。でもまさかこの地に住むことになるとは夢にも思わなかった。やはり縁があったということなのだろう。高幡不動と高尾も同じ真言密教のお寺でつながっているというのも偶然ではないのかもしれない。

そんな高尾から今度は私達の故郷北海道への移住の話が浮上してきた昨年だったが、なぜかあともう一歩で決まりそうというところでなかなか決まらない。何か別の大きな力が働いているような気さえしてくるのだ。そして急遽一月中にアトリエを出なければならなくなった。最初のアトリエは取り壊されることになり一ヶ月間のアトリエ展ののちそこを出た。その後、母屋の隣に住んでいる友人が部屋を貸してくれ仮のアトリエとしていたのだが、彼が結婚をしたため今度はそこを出なければならなくなったのだ。期限があるのになかなか決まらずどうなるのだろうと思ったがまたしても知人が助け舟を出してくれて部屋を貸してくれることになった。そこもまた仮ということになるのだが、当面はお世話になるだろう。しかし、こうして何とかなっているということが私達にとっては奇跡であり神の計らいとしか思えないのである。

「いずれは北海道へ帰るにしても、まだもう少しこっちにいればいいじゃん!東京でももっと個展をやってさー」仲間達の言葉は嬉しい限りで胸をうつ。確かに昨年は引っ越しのことにかなりのエネルギーをかけていたので今年はゆっくり制作をしたり個展をしていきたいと思っている。与えられた環境でベストを尽くしながら日々精進し続けていれば、いつかは終のアトリエにも辿り着けるだろう。そう信じて。高尾で得た最大の宝はこの仲間達だ。以前北海道から遊びに来た妹が「お姉ちゃん、こんなに強く繋がっている仲間がたくさんいて、よくここを去ろうと思ったねー」と不思議がっていた。でもここで出会った仲間達はこの先誰がどこへ行こうとも変わらず繋がっていくことができる。そのことを確信できる輩なのだ。だからこそ「今ここにいる」ということを噛み締めながら、最も身近にあるものを大切にし愛していきたい。そう感じる今日この頃である。

今年最初のARTGYPSY ARTSHOWになる1月25日のテーマは「輪」オーガナイザーの五十嵐恵美のインスピレーションから生まれた言霊だが、これはまさに今の私達にぴったりの言葉だ。見渡せばいくつもの輪に囲まれて生かされているということに気づく。その輪がどんどん大きくなっていつかは一つのでっかい輪が地球を愛で包み込むビジョンを夢見ながら、しっかりと今ここに立っていようと思う。

今年もどうぞよろしくお願いします。





 

_ 2013.12.17_>>>_満月


「高尾から宇宙へ」

2013年12月1日に高尾「ギャラリーむみじか」で「ARTGYPSY ARTSHOW」を行った。そのイベントのタイトルは「高尾から宇宙へ」

オーガナイザーは「うずまき堂」の「美千代」。パートナーの「悠一郎」とともに、とうとうこの日を実現させてしまった。私達にとっては「内田ボブ」と「ナーガ」との初めてのコラボレーションでもあった。彼らはともに1960年代から活動しているミュージシャンと詩人であり、部族を作った人達だ。美千代と悠一郎は世界を回っていた旅の途中で、2人のことを知りファンになった。その長い旅に出る前はギャラリー「nociw」のファンだった彼ら。旅から帰ってきて住処を決める時、自然に私達の暮らす高尾に惹かれて居を据えることになった。ボブやナーガと共通の知り合いにタスマニアで出会ったことから2人との距離が近くなり「虔十の会」の「坂田」さんとも知り合いだったことで今年の春にボブとナーガは高尾山を登りにやって来た。ちょうど2人の春のツアーがこれから始まるというタイミングだった。坂田さんをガイドにして私達はともに山を登った。私が2人に初めて会ったのは昨年の「ARTGYPSY TOUR」の時。阿蘇で個展を開催していて2人が会場に入ってきたのだ。その時たまたまお客さんが彼らしかいなくて、2人はゆっくりとそしてとても丁寧に時間をかけて絵を見ていて、その姿が私には嬉しかった。そこで3人で話をしながら私も詩を書いていて夫と2人ARTGYPSYというユニットを組ながら「ARTSHOW」という表現もしているのだと言うと「じゃあいつか一緒に何かできるといいねぇ」「そうだねぇ」なんてことを彼らは言ってくれて、私は内心「本当にそんな日がいつか来るといいなぁ」と密かに思った。昨年のツアーから戻って来て美千代にその話をすると彼女は凄く喜んで「いつか絶対にコラボイベントを企画したい!」と決心したようだ。本当はこの春のタイミングで美千代は彼らとARTGYPSYのコラボを企んでいたのだが、時期がまだ早かったようでその時は流れたのだった。

そして機が熟して、以外と早くその願いが叶うことになった。私が彼らと出会ってからちょうど1年というタイミングで、彼らの秋のツアーの千秋楽を高尾で迎えることになったのだ。やっぱり心から本当に願ったことは、そしてそれが天の願いと同じならば、その願いはきっと聞き届けられるのだろう。美千代の中ではもうタイトルはこれしかないという思いで決定したという「高尾から宇宙へ」サブタイトルは「くるくるど〜ん」と、なんとも突き抜けた言霊達。そして忘れもしない2013年12月1日はまったくその波動通りの1日になったのだった。新月をまじかに控えた「何かが始まる」という感覚をおおいに呼び起こしたイベントだった。ARTGYPSY ARTSHOWではゲストミュージシャンに高尾在住のウッドベース詩人ラッパーの「高槻」くんを急遽迎えての初コラボになり一緒にできたことが嬉しかった。彼は4月27日に「杜丸」で行ったARTSHOWを見に来ていて終了後「いやーよかったっすよ。僕もウッドベース弾いてるんでいつか一緒にできたらいいですねー」と言ってくれていてそれも叶ってしまった。しかもボブやナーガとはたまに一緒にやる仲間でもあったツッキーはこの場に居合わせるにふさわしい人であったと思う。前日にボブとナーガは高尾入りし夜、打ち合わせがてら我が家へ来た。ARTGYPSYのゲストミュージシャンはツッキーになったので「どこかでボブとナーガとARTGYPSYで絡めるとこがあったらいいよね!」という話になり「じゃあ2人のライブの最後におまけとして高槻くんと∀が参加するっていう感じにしよう」となった。そこでNOBUYAが提案したのは「たとえばナーガが詩を読んだあと、それを受けて∀が詩を直感で選び読む。それを受けて今度はナーガがというのはどうですか?そこにボブや高槻くんが即興で音を奏でていくというのは?つまり詩の掛け合い、セッションってことです」という案だった。ナーガは今まで詩人同士の会があってもみな個々に自分の詩を読んで完結させるものだったので、掛け合いというのは初めての経験だと言った。生意気だと断られてもおかしくないのに「おもしろそうだね。やってみよう!」とナーガは子供のように目を輝かせてくれた。

初めてのウッドベースとのARTSHOWはとても刺激的だった。最初に披露してくれたツッキーの詩とラップもかっこよかった。「こんなヤツが家の近所に潜んでたのか!」という驚きと発見にワクワクしてしまった。「これを機にぜひまた一緒にやりましょうや」と彼も喜んでいたのでいろんな可能性が見えてきそうだ。「しかも僕∀さんの絵めっちゃ好きですわ。いつか自分のCDジャケットにさせてください!」とまでお願いされて嬉しかった。昨年の阿蘇で初めてボブの声を聞いた時は度肝を抜かれたものだ。なんというパワー。そのエネルギーを感じただけで「これは凄い」と有無を言わせぬものがあった。ナーガの詩は淡々としていて目を瞑って聞いているとその情景がありありと浮かんでくる。憧れだった60年代や70年代の当時の街の雰囲気や匂いまでもが伝わってきそうだった。「すわのせ島」とう人口の少ない南島で漁師をやりながらこつこつと詩を書いてきた彼の生き様を思うだけで心からリスペクトの念が沸き上がってくる。「山尾三省」や「ナナオサカキ」同世代の詩人を見送りながらも今もこうして孤高に詩を読んでいる姿は本当にカッコ良かった。そして彼に出会えたことを心から感謝している。間に合ってよかったと。私にとって絵は子供の時、お絵描きに出会った頃から大好きで今まで休むことなく描き続けてきた。だが詩も子供の時から好きで書いていたのだ。特に8歳から13歳まで体を壊し、子供だけの病院で入院生活を送っていた時にはいつもベッドの上で絵や詩を書いていた。それが自分が一番幸せを感じる時間でもあった。それは今でも変わらない。私はただ好きなことをやり続けてきただけなのだ。5人の共演をおまけと称していたのにボブはそれを「では最後にドリームセッションでフィナーレを飾りたいと思います。さあみんなスタンバイして〜」なんて言ってくれた。私はその「ドリームセッション」という言葉がとても気に入った。それはおおいに盛り上がり最後はみんなで歌い踊りまくった。セッション後、ナーガが近づいてきてふと言った。「∀さん。君は詩集を出すべきだよ。なぜなら僕がその詩集を読みたいんだ。ゆっくり味わってみたいから。君の絵は本当に素晴らしい。でも僕は君の詩が好きなのさ」一瞬耳を疑ったが紛れもなく彼がそう言ってくれている。この大先輩の詩人が。体が震えた。ナーガはハグしてきて「いや〜今夜は本当にたのしかった。この掛け合いまたやろう!」とまた茶目っ気たっぷりの子供の目で笑いかけてきた。この話をNOBUYAは一番喜んでくれた。「そのナーガの言葉で今日のビールは最高にうまいぜ!∀おめでとう!よかったなー!」って。美千代、悠一郎ありがとう。これは2人のお陰です。高尾から宇宙へ一足先に旅立ったnociwありがとう。最高の贈り物。忘れられない夜を。

そしてあなたのスピリットがARTGYPSYを運んでくれているのを今日も感じています。







 

_ 2013.11.19_>>>_満月


「わっしょい祭り」

高尾の仲間達が「わっしょい祭り」を立ち上げた

発端はオーガナイザーの「ゆうこ」が「奈良さんの太鼓で踊りたいな」と思って企画したら、虔十の会の「坂田」さんと「長友」くんが協力してくれ「じゃお祭りにしちゃおっか」ということになったのだそう。ARTGYPSYも出演の依頼を受け、ツアーから帰ってきてから地元界隈でこうして度々表現活動をさせてもらえているということに感謝している。そして急遽飛び入りで「松本族」がライブをやることになり高尾は盛り上がっていた。松本族とは10.19に高尾の「ギャラリーむみじか」でARTGYPSY ARTSHOWをやった時にコラボしたゲストミュージシャンのうちの「レオ」と「コージ」のユニットで彼らの名字が共に松本だったことからこの名がついていた。10.19の彼らのライブですっかりファンになっていたみんなは大喜び。杜々の「佐千代」も店から自転車で駆けつけて上機嫌で踊っていた。そもそもこの2人をオーストラリアから高尾に連れてきたのは佐千代の弟「サンシ」でサンシが見込んだ奴らだけに私達も相当大好きになったのだった。一番驚いたのはやはり彼らのヒューマンビートボックスで、生で初めて見たあの日は衝撃だった。奈良大介が隣にいた。「彼らすごいねーっ」人間の肉体のみから発せられる音によってダンスしている人間の姿がまたおもしろかった。「奈良ちゃーんっ!」「おぉーっ∀KIKOーっ!」私達は久々の再会を喜んだ。彼の太鼓はやはり心が洗われる。場を開く力があり、体が自然にゆらいだ。コージが「ボク奈良さん好きです。初めてジャンベがカッコイイなと思いました」と興奮していた。私の大好きなミュージシャン同士がともにリスペクトし合っているのが嬉しかった。どうやら気も合ったようだ。今回のARTSHOWのゲストミュージシャンは奈良大介と「りゅうじゅ」になっていた。初めて聞いたがりゅうじゅの歌もすごくいい。声も。とてもピュアなところが。奈良ちゃんとは何度かARTSHOWをやっているが、りゅうじゅとは初めてだった今回。でも「その時の自分のフィーリングを大事にして自由にやってくれればいいの。とにかく楽しんでね!」という私の言葉からすべてを汲み取ったようで「そうだね。楽しんであとは神様におまかせしよう!」と言ってくれた。そこにコージもジョイントする?という話になったが「いや今回はお客さんとして見ていたいんです。前回はやる側だったのでまた感じ方も違うと思うのでそれを味わいたいから」ということだった。りゅうじゅはうどん屋もやっていて手打ちのめんがすごく美味しい。ARTSHOWを始めるという時になって奈良ちゃんが急にうどんを食べ出した。仕方がないので食べ終わるまで待つことにしてスクリーンの裏側でうどんを食べる奈良ちゃんを挟みながら私とりゅうじゅは笑っていた。食べ終わった奈良ちゃんが言った。「よし、これでりゅうじゅと一体になれるぞ!」実は私も同じこと考えて、さっきうどんを食べてたので可笑しかった。「ではよろしくーっ!!」

外が寒いかもしれないからとARTSHOWは中でやれる準備も進められていたが、結局外でできたことはとてもよかった。何より気持ちがいいし、3つの焚き火が心強かった。「今日はあの月に捧げよう」そう想って雲の中からかすかに光る月へ向かって詩っていたら、最後にはまあるいお月さんが姿を現してくれたのだ。すごくきれいだった。この会場のグリーンセンターまでの森の道は私達とnociwの毎日の散歩コースでもあったから、そんなスペシャルな場所でARTSHOWをやることができたことはまさにnociwの計らいとしか思えなかった。今回もたくさん彼女の気配を感じたし、馴染みの森の精霊達も見守ってくれているような気がした。終わったあとコージがすかさず話しかけてきた。「いやーっ。ミュージシャンによってこんなに違うんすねー。おもしろかったっす!今日は客席から聞けてホント良かった。今度はまた一緒にコラボしましょうね!!」「おぉーっ。ぜひやろうぜ!」真面目で勉強熱心のコージはどんな事柄からも何かを学び取ろうとする真摯な姿勢が美しい。一方、天真爛漫の好青年レオは松本族のライブのあと六本木で仕事の用があるとかですぐ帰ってしまったのだが、こんなに早く2人に再会できただけで本当に嬉しかった。年齢を問わずにアーティスト同士として平等に付き合えるということが何より楽しいし、こういう生き方をしていることの醍醐味でもあるなと思う。レオが言った。「∀さん。ホント超尊敬を込めて言うんすけど、∀さんてマジ、アホですよねー!」「ハッハッハッハッハーッ」こんなに真剣に若造にアホと言われて最高に気持ち良かった。レオは私と会って以来、私の笑い方を真似ていたらしく、そうしたらお腹の筋肉がよくつるのだそうだ。「∀さん、思いっきり笑うと腹の筋肉ってつるんすねー。みんなもっと本気で笑うべきっすよねー」と真顔で感心していたり「オレ、1ヶ月前に∀さんのMother TreeのTシャツを買ってから一度も洗濯しないでほぼ毎日着てたんすよー。昨日初めて洗濯したんすけど、よれよれになるのやだから、なるべく洗濯しないようにしようと思うんすよねー。また乾いたらヘビーローテーションで着まーす」とか言ってくれて、ほんとにコイツ可愛いなーと心から思ってしまうのでした。

初めての祭りで相当大変だったろうに、ゆうこはよくぞやってくれたなーと思う。おつかれさま。そして高尾のみんなにとってはなくてはならない存在の虔十の会の坂田さん長友くん本当にご苦労様でした。おかげさまでまた私達は楽しいとっておきの時間を過ごすことができました。ARTGYPSYにとってもそんなひと時が心の栄養です。これから高尾の「ギャラリーむみじか」にて行うARTGYPSY ARTSHOWと∀KIKO ONE DAY EXHIBITIONにむけて準備を進めていこうと思います。2013.12.1は元祖部族であるミュージシャン「内田ボブ」+詩人「ナーガ」と、2014.2.11は映画ガイアシンフォニーに出演の音霊奏者「奈良裕之」とそれぞれARTSHOWでコラボレーションをすることになっています。場所がギャラリーということで原画の展示と販売もしています。仲間達の作る美味しいフードやドリンクもあるのでぜひ遊びにきてください。私はいま、日本一植物の種類が多いといわれる山、高尾山の麓であたたかな仲間達に支えられながら、クリエイト中です。

こうして生かされていることにありがとう。わっしょい!





 

_ 2013.10.19_>>>_満月


「2つの旅の交差点」

2ヶ月のツアーのファイナルステージを、地元高尾で満月の日に迎えることができた。

仲間が営む蕎麦や「杜々」のオーガナイズで実現したARTGYPSY ARTSHOWは、女将「佐千代」の弟でオーストラリア在住のディジュリドゥ奏者「SANSHI」と彼の兄弟分である「松本コウジ」と「松本レオ」の3人組がゲストミュージシャンだった。そこにツアーの最初の地「函館」でのイベントに一緒に参加していた神戸在住のダンサー「MAYA」がはるばる会いに来てくれて踊ってくれた。ツアーの最初と最後に彼女がいたことはおもしろかった。「絶対この満月の日は行かなくちゃって思ってた」というマヤとは函館で同じ部屋に寝泊まりして縁を感じていたので嬉しかった。SANSHIとは3月にやはり杜々で我が家のオオカミ犬「nociw」が死ぬ前の日に初めてコラボして「コイツ最高だな」と思っていたのだが更に最高な奴らを2人も連れて来てくれて本当に楽しかった。ARTSHOWの数日前から彼らは高尾入りしていて我が家にも何度も足を運び、今回のツアーのビデオを見ながら3人で超真剣に打ち合わせをしていたりして「以外と真面目な人達なんだなー」と関心していたのだが、本番ではそれ以上に素晴らしいプレイを披露してくれて私自身とても興奮した。コウジとレオは「いやーもう詩の内容を飛び越えて∀さんの声という音の波動に応えるように無意識に自分の音が出ていました。一瞬に感じたけど強烈に濃い時間でした!」「ミュージシャンやっていてこんな経験は初めてです。気持ちよかったーっ!」と目を輝かせながらこれまた真剣に喜んでくれていた。それを横目にSANSHIは「そうだろ?」と言わんばかりの顔をして微笑んでいるのだった。

本当は森の中にあるツリーハウスで行う予定だったのだが、雨の心配が予想されて急遽会場が変更になった。佐千代は午前中の晴れ間を見て残念そうな顔をしていたが、夕方やはり雨が降り出し、彼女の采配に間違いはなかったことを確信させてくれた。来てくれたお客さん達にとっても寒さの心配がなく駅からのアクセスも近かった会場で結果良かったのだなと思った。6月のツアーの時、札幌に見に来てくれた方が今回のツアーで帯広にまで足を運んでくれていたが、ここ高尾にも登場してくれて感激した。広島からこのためにはるばるやって来てくれた方もいた。初対面だったその方には来年、広島での個展とARTSHOWのお誘いを受けたので、いよいよ初めての広島でもできることになりそうだ。ツアーで各地を回ってきたが、やっぱりホームグラウンド高尾でやるのは全然感覚が違った。計り知れない安心感みたいなものに包まれるのだ。ARTSHOWを終えて挨拶をする時、そこに見えた仲間達の微笑む顔、顔、顔…。その目からみんなの愛がストレートに伝わってきて体じゅうが熱くなった。ツアーから帰っても、こうして仕事を用意して待っていてくれる仲間達。本当に涙が出るほどありがたい。そんな心の底から応援してくれている彼らがいてくれるから、私達も全国を旅しながらアートで種をまくことに全身全霊で向き合うことができるのだと思う。そしてこの時に来るべくして来たお客様達。この時にしか味わえないエネルギーを共に共有することができた不思議に感謝したい。

ARTGYPSY ARTSHOWでは毎回迎えるゲストミュージシャンが違うため2度と同じショーはないが、それが醍醐味でもあると思っている。私とNOBUYAがこのショーに対して一番魅力を感じている部分だ。そういった意味でも今回の3人との共演は本当に気持ち良かった。彼らの拠点はオーストラリアでもあるので「今度はぜひオーストラリアで個展やARTSHOWをやってください!」と熱く語ってくれた彼らに会いに行きたいと思う。ARTGYPSYとして世界に旅立つのは私達の夢でもあるからだ。世界中のミュージシャンとARTSHOWでコラボできたらどんなに素敵だろう!アートにはそれが可能なのだ。想像しただけでワクワクしてくる夢である。このあとの予定は藤野の「ひかり祭り」で3日間の出店と最終日10月27日の ARTSHOW、11月2日高尾「杜の市」の出店、11月10日群馬「動楽市」での出店、11月17日高尾グリーンセンター「わっしょい祭り」の出店とARTSHOW、12月1日高尾「むみじか」で原画の展示販売と出店、ARTSHOWと続いている。むみじかは今回と同じ会場。この日は1960年代から活動しているミュージシャンの「内田ボブ」と詩人の「ナーガ」が一緒。リスペクトする2人と共演できるのが今から楽しみである。

nociwは死ぬ当日、杜々の庭でSANSHIのディジュを体に浴びて飛び上がって驚いていたっけ。あれから7ヶ月経ってまたあのディジュとコラボすることになった時、「あぁ一巡りしたなぁ」と思ったんだ。何かわからないけどね「ありがとうnociw」って思ったの。愛してるよ。ずっと…。これからも一緒に旅を続けようね。





 

_ 2013.9.19_>>>_満月


「アイヌコタン」

ツアーに出てからひと月が経った。

函館で参加した「ha-co-i-nori」の祭りでのアートショーは、屋外での予定が台風の影響で屋内になり大きな体育館で100人以上のお客さんを迎えての開催だった。
ゲストミュージシャンは地元のアーティスト「ナチュラル家族」初めて出会う二人だったが共演を楽しみにしていてくれたらしく事前にU-tubeでチェックして森に入り
イメージを膨らませてくれていたらしい。私達ARTGYPSYを呼んでくれたトルコ喫茶PazarBazarの「くに&ともか」には出会ってまだ2度目だというのに本当に良くしてもらった。この祭りの発案者である淡路島からやって来ていたYURAIの「えま&えそう」さんとは魂でつながることができた。他にも日本各地からこの祭りに集まっていたダンサーの「MAYA」や「えり花」、パーッカッショングループの「BACHIKONDOO」やンダナの「山北」さん、アニマの「遠藤けんじ」や「アキーラサンライズ」など素敵な出会いがあり過ぎて胸がいっぱいだった。地元の食堂「根花」にもお世話になり、これから函館とのつながりが一層強くなる予感がしている。

札幌は6月のツアーで「PROVO」でやった時にお客さんとして来ていた「みうらあつこ」が「是非私もARTGYPSYを呼びたいです!」と声をかけてきてくれたことがきっかけで時計台近くのオーガニックバー「BAR MINO」で2部構成のアートショーを行うことになった。昼の部は両親と子供の親子連れ夜の部は大人達と、ミュージシャンもそれぞれ異なってのものとなり、美味しいマクロビご飯とともにショーを味わってもらうことができた。特に馬頭琴とホーミーという初めての楽器とコラボできたことは私にとってもとても新鮮な出来事だった。そして今回の札幌では私達の故郷余市に現在住んでいるという方や余市出身というお客さんが何人かいて不思議な気持ちがした。彼女達は「絶対余市でもアートショーをやるべきよ。私達がサポートするわ!」と名乗りを上げてきてくれたのだ。そんな夢のようなことが実現したら、外に出るのをおっくうがっている96歳の祖母にも見てもらえる機会が持てるかもしれない。札幌では古くからの友人でエクストリームスキーヤーの「山木」とヨガインストラクターの「しほ」宅にお世話になっていたのだが山木の閃きで突如ホームパーティー式のアートショーをやることになりBAR MINOに来れなかった彼らの多くの友人達に見てもらうことができた。庭で焚き火をしてNOBUYAのDJで踊ることもできて楽しい番外編となった。

そして満月、当初のツアースケジュールにはなかった阿寒湖はアイヌコタンでのアートショーが急遽決定しこの日を迎えた。オーガナイズしてくれたアイヌ料理店ポロンノの主人「郷」さんには感謝だ。ここには仲間の「床絵美&Ague」と家族が暮らしている。彼らは高尾から絵美の故郷である阿寒へと移住してきていた。思えば2001年原宿で開催していた私の個展会場に彼らは突如現れ、その頃やっていたギャラリー「nociw」にも頻繁に訪れるようになり、ギャラリークローズ後に私達が高尾に越してきてから彼らも高尾に移り住み、すっかり家族のようにつきあってきた。アイヌをリスペクトし創作し続けてきた私達にとって彼らとの運命的な出会いは本当に嬉しかったものだ。そして2013年、出会って12年目にアイヌコタンでアートショーができたことはまさにカムイからの贈り物としかいいようがない。空は澄み渡り最高の中秋の名月となった。お客さんがやってきた。当たり前だがアイヌの人々の顔がちらつく。アイヌコタンでのアートショーは私達にとって大事な意味を持っていた。私達が信じて行って来た表現活動の真意が試される時でもあると確信していたのだ。そして「カピウ&アパッポ」という床絵美と郷右近富貴子という二人のアイヌ姉妹とのコラボレーションが叶ったことに嬉しくて叫びだしたい気持ちだった。空に輝く満月に手を合わせていざアートショーをスタートした。ものすごい静けさが場内を包み込んでいた。私は心の中でカムイに語りかけていた。「ありがとう。ありがとう…」終了後、絵美の両親が声をかけてきてくれた。「いやーとっても心に響いたよ。アイヌと同じ価値観を持って生き、表現しているアーティストがいるということを目の前で知ることができてこんなに嬉しいことはない!」「アイヌであろうがなかろうが地球に生きるものとして私達はひとつなんだね…」

カムイにそっと背中を押された。そんな忘れられない満月のアートショーだった。





 

_ 2013.8.21_>>>_満月


「karip」

きれいな月がでていました。
北海道・東北ツアーの準備が整い、いよいよ出発です。
高尾の仲間たちがしばらく会えないのを惜しんで駆けつけてくれた。
別に何をするというわけでもなく、ただそこにいるだけで安心できる。
そんな仲間をここで持てたことに感謝している。
ツアーの成功を祈り、あたたかいハグを送ってくれてありがとう。
これから訪れる土地で、ふたたび種まきをしてくるね。
たくさんの素敵な出会いをお土産にもってくるから。
ではいってきます。

カリプ めぐる輪よ 生きものたちよ
カリプ めぐる輪よ 生かされしものたちよ

私を包む 植物たち
私を包む 鉱物たち
私を包む 動物たち

そのトーテムたちよ このメディスン・ホイールよ
私の命は この世界に抱かれ 守られ 回り続ける

ずっとずっと どこまでも
ずっとずっと どこまでも

カリプ めぐる輪よ 生きものたちよ
カリプ めぐる輪よ 生かされしものたちよ

私を包む 植物たち
私を包む 鉱物たち
私を包む 動物たち

そのトーテムたちよ このメディスン・ホイールよ
私の命は この世界に抱かれ 守られ 回り続ける

ずっとずっと どこまでも
ずっとずっと どこまでも

ずっとずっと いつまでも
ずっとずっと いつまでも



 

_ 2013.7.23_>>>_満月


「nociwと夏」

ツアーから帰ってきて1ヶ月が経ち高尾の夏を満喫している。立て続けに2カ所でARTSHOWと作品展がありたくさんの人達に出会い元気をもらった。

6月30日に行った地元高尾のツリーハウス「TREEDOM」での野外イベントは大盛況のうちに終わった。一部は屋久島の森の旅人「KENTA&NAO」の屋久島の木を磨くワークショップ。二部は虔十の会の「坂田」さんと森の旅人のトークショー、「Earth Consious」のライブ、そして最後に私達の「ARTGYPSY ARTSHOW」で締めさせてもらい幕を閉じた。TREEDOMへは色んなイベントを見に行ってはいたが、まさかここでARTSHOWができるなんてまるで夢のようだった。野外でやるのも初めてだったが大好きな森の中で鳥達や風の声を聞きながらできたことは最高に気持ち良かった。しかもそれを地元で味わうことができたことがまた格別だった。高尾の仲間達「こすみ&こうへい」が「心堂」というおいしいご飯を出し、「舞」がそれを手伝い、虔十の会の「長友」くんがドリンクを出したり色々手伝ってくれて、仕事場にそんな馴染みの顔がいるだけで心がほぐれた。この時だけツリーハウスの小屋の中は∀の部屋となり吊り橋を渡ってやってくるお客様をお出迎えしたのだが、これもとても楽しかった。「なんか森の中に突然現れた不思議な部屋みたいでいいですねー」とみんなワクワクしてくれて。ツリーハウスの屋根の上に登ってあたりを見下ろした時の景色は更に抜群だ。大人も子供もはしゃぎながらその光景を満喫した。Earth Consiousのライブも最高で最後にはみんなでダンスすることができて嬉しかった。途中、近所に住むお爺さんが上がってきて「この責任者は誰か?」と聞いてきたそうだ。坂田さんはあわてて思わず「ごめんなさい」と謝ったそうだが、そのお爺さん「あなたがた、いいことやってますね」と嬉しそうだったのでそのまま招待して居てもらうとARTSHOWが終わった時には「ブラボー!」という歓声を上げて喜んでくれていたそうなのだ。「こんなこと、今まで初めてかも」と驚いていた坂田さん。この場所を作ってくれた坂田さんにもありがとう。

7月7日と8日に「ホリスティック・アース」で行った作品展とARTSHOWもとても感慨深いものがあった。オーナーの「たかぴー&てんき」にはいい経験をさせてもらい感謝している。今年の4月だったか高尾の「杜の市」で久々にてんきと再会し、ARTGYPSYの話題になったら「今度うちでもやってよ」となり、七夕、銀河っていうキーワードも合わさってこの日に決定した。てんきは「きっとnociwが導いてくれてるんだよ」と言っていたが、きっとそうなんだろうな。ツアー先でも私のポエトリーリーディングに応えて、ヒマラヤのような山の頂から遠吠えを上げているオオカミが見えたんです!というお客様がいたりした。ツリーハウスの時は美しい蛾になって詩のノートを順番に追ってくれたり、KENTA&NAOと久々に訪ねたMotherTreeの切り株では見たことのない蝶になって私の体に抱きつきダンスをしていたり…。

6日に絵を搬入してセッティングを終えた時、たかぴーが「全く違和感がないのが不思議だ」と言っていたが、ランダムにチョイスしてきた絵達が本当にすべてマッチしていて驚いた。キッチンには「これだ!」と思った「soul mate」という絵を飾ったのだが、8日に料理を出してくれた福井県の「善一」さんがまさに最近結婚された奥様とお互い強く感じていることだったそうで「この絵がここにあるなんて本当に凄い!」と2人で心底驚いていた。そういうシンクロというか全て成るようになっているという宇宙の法則を感じられる会場がホリスティックアースなのだった。七夕のARTGYPSY ARTSHOWは再びEarth Consiousとのジョイント。2週続けて一緒にできたことが嬉しくてたまらなかった。高尾では外でノリノリの演奏だったが、こちらでは中で住宅街ということもあり音はかなり押さえ気味のアンビーな感じだったが、またそれはそれでシャンティなグッドバイブレーションを醸し出し、流石!と改めて彼らをリスペクとした日でもあった。ご飯は高尾の友「杜々」の「佐千代」が「ピースキッチン」の名でおししい雑穀料理を出してそれをまた「舞」が手伝って「こすみ」はホリスティックのお手伝いで朝から部屋をお掃除してて…とまたまた高尾の仲間に見守られての安心感に包まれていた日でもあった。今回のツアーで福島を訪れた時に出会った「川合」ご夫妻。画家で今は亡き「足立幸子」さんのお友達であるお二人から、体無き今でも地球のためにサポートしてくれている幸子さんからのメッセージを伝えられ「この日は特別な日なので七夕には是非一緒に祈り合わせをしてください」と託されていたので、最後にはみんなで一緒に祈ることができて本当によかった。8月の後半から再び北海道・東北のツアーに出ることになったので、今はその準備に入っている。8月3日の高尾「杜の市」と8月18日の高幡不動尊「ござれ市」には参加するので遊びに来てください。

それと、日本全国やアメリカからnociwのために贈ってくださった千羽鶴やお手紙などをnociwが眠っている庭の側で火を起こし神様に挨拶をして、頂いた祈りに感謝を込めながらお炊き上げさせてもらいました。nociwはきっとみなさんの元へ「ありがとう!」と言いに行ったと思います。彼女はほんとうにそういう子でした。ひとつひとつから伝わってきたみなさんの愛に私達もどれほど勇気づけられたかしれません。

心からありがとう!





 

_ 2013.6.23_>>>_満月


「SUPER MOON」

1ヶ月におよぶ東北・北海道ツアーのファイナルは新潟の柏崎にあるumicafe DONAでの締めくくりとなった。

この日は満月でスーパームーン。まるでツアーの最後に神様からの贈り物をもらったような素晴らしい一日だった。前日は福島の南相馬の仮設住宅でARTSHOWをさせて頂き、その前日は
福島の白河のカフェで、その前日は岩手の花巻のセンターでと北海道を出発してからたて続けの4日間だったので、私達ARTGYPSYと森の旅人の4人は結構ヘロヘロだったのだが、
ここへ着くなり辺りに広がる広大な海と心地よい風にたちどころに癒され元気をもらうことができた。おまけにお店のオーナーもスタッフもみんな素敵な人達ばかり。泊まりは2階の畳の部屋で波の音を聞きながら寝ることができると知って「まるでスイートルームだねぇ!」とみんなで盛り上がった。

ここ柏崎に限らず今回訪れた土地すべてにおいて、いい出会いが生まれ繋がりを持つことができたことは本当に感謝だ。北海道では私達の移住計画を聞いて「ここがいい」「いや。あそこがいい」とみんな親身になっておすすめの土地を教えてくれた。タテタカコの紹介で訪れた函館のトルコ喫茶「パザール・バザール」ではオーナー夫妻が私の絵をとても気に入ってくれて彼らがオーガナイズする8月31日、9月1日のお祭りにARTGYPSY ARTSHOWを招待してくれることになった。なので再び北の大地を訪れることになったためそれに合わせて北海道と東北を巡るツアーの第2弾を計画しているところだ。ありがたいことにすでに札幌と秋田からオファーがきているのだが、他にも今回のツアーで回れなかった土地などに縁ができたらいいなと思っている。

umicafe DONAでは私達を驚かせようとして何の前触れもなくhokaこと「かなこ」がギターを持参して現れた。彼女は古くからのファンでもあり、約束をしなくても必ずどこかで出会う運命の人でもある。飛び入りでARTSHOWへ参加してもらうことになり最後のエンディングミュージックを歌ってもらった。時はちょうど夕日が海に沈む頃でNOBUYAのアイディアで彼女が歌い出したとたんにカーテンが開かれ続いてサンセットショーへと突入し、みんな息を潜めながらその美しさに見入っていった。地平線に沈む夕日を見たのはいつぶりだっただろうか。ふと20年前インドで海に沈む夕日を見て涙したことを思い出していた。太陽が沈む瞬間に一瞬だけ見ることのできる「グリーンフラッシュ」という現象も初めて見ることができた。まるで夢の中にいるような幻想的な至福のひとときだった。

岩手の花巻のARTSHOWで初コラボしたゲストミュージシャンの「ルーアプカシ」のアイヌの「ふっちゃん」とは初めて会うのにたまらなく懐かしかった。そんな彼女が「次に福島へ行くのならここに寄って祈りを捧げてね。」と教えてくれた場所は正確な位置がまったくわからなかったにも関わらず、白河でのオーガナイザーだった「ハナリン」の直感で川合さんご夫妻という方の元を訪れてみると、その聖地とはその方達のお住まいのすぐ側でなんと彼らと一緒にアイヌの祈りの儀式カムイノミまでご一緒させていただくことができた。奥様の「みかさん」に会った時も、ふっちゃんに感じたように強烈な懐かしさが込み上げてきた。その日は夏至でご夫妻は自然に2人でカムイノミをするつもりでいたらしい。が、突然現れた珍客。でもそれは必然的に揃ったメンバーだったようだ。すべてがバッチリのタイミングで流れていく。そのことに疑問を持つことはもうないだろう。

みかさんがおっしゃっていた。「7月6日、7日は地球にとってとても大切な日。特に日本に向けて集中的に祈りが捧げられる重要な日でもあります。一部を除いてまだ眠ったままの日本人が一斉に目覚めたなら世界はいっぺんに変わるでしょう。それほどの高い精神性を我々日本人は元々持って生まれてきているのよね」6月30日、7月7日、8日とありがたくも私達ARTGYPSYにはそれらの日に、表現の場が与えられている。これも偶然ではないだろう。自分にできることをその時々にやり尽くす。こうして1日1日を生ききっていきたいと思う。
今回の北海道・東北ツアーで得たエネルギーを今度はホームグラウンドであるこの東京の地に循環させていけたなら…。

ということでARTGYPSY ARTSHOWでお待ちしております!



 

_ 2013.5.25_>>>_満月


「ARTGYPSY TOUR wor un nociw 水の星」

東北・北海道ツアーがいよいよスタートしました。

一番最初は群馬で満月のARTSHOW。昨年、群馬に住む「広恵」から「ぜひ群馬のみんなに∀さんの絵を見てもらいたいんです」とお誘いを受けていたのだが、そのタイミングが丁度西から南へのツアーと重なってしまっていたため見送りになっていた。今回、東北方面でのARTSHOWが決まったので「だったら群馬にも寄って行けるかも?」と思い立ち連絡を取ったことがきっかけで群馬での開催が実現したのだった。メールしてみると広恵はなんと4.27に高尾で行ったARTSHOWにも来ようとしていたのだという。お互いの思いがつながっていたことを知って嬉しかった。ただ急遽決まったことだったので十分な時間が無く広恵にはずいぶんと苦労をかけてしまった。「無理するようだったらまた次回でもいいからね」と言ったのだが本人は何としてもやりたかったらしく方々駆け回って、場所やコラボするミュージシャンをコーディネイトしてくれた。彼女には本当に感謝している。

当日待ち合わせの会場へ着いてみると、それはそれは気持ちのいい所だった。上毛三山のひとつである霊山「妙義山」がまるで守り神のように私達を出迎えてくれた。鬼達が護っているというその山は奇岩のそびえ立つ神秘的な形をしていて私の心を魅了した。「素敵なところだね」「はい。二転三転して結局一番らしいなという所に落ち着きました」会場の庭には鯉たちが泳ぐ池があって、傍らにはその庭の守り神であろうみごとな枝振りの大木が優しく立っていた。満月にぴったりのロケーション。私はその木に挨拶してハグをしフルートを吹き「今日のARTSHOWはあなたに捧げるね。ここに呼んでくれてありがとう」とそっと告げた。

コラボしてくれたミュージシャンの「小田島」さんと「恵」の二人も素晴らしかった。二人は「和美」というユニットで活動もしていてお互い忙しくてなかなか会えないと言っていたが絶妙のコンビネーションで絵と詩の世界に音で色を添えてくれた。「宇宙を漂っているようで気持ち良かった。即興をやってて本当によかったです。」と言ってくれた恵に「初めての経験で最高に刺激的でした。心が洗われました。」と言ってくれた小田島さん。二人ともとても楽しんでくれたようで嬉しかった。飛び入り参加をしてくれた群馬在住のダンサーの「のりこ」は昨年の屋久島でのARTSHOWで共演をしたことでつながり、再会を心から楽しみにしてくれていた。人生の中で同じひと時を共に創造しながら過ごすことができるということは、なんてかけがえのない体験なんだろうと思う。そして同じ空間で共鳴し合うことになった、たまたまそこに居合わせた人々。でもそれはたまたまではなく縁の糸が紡がれて機が熟した瞬間でもあるのだ。そこに満月の効能が重なって心身ともに時空を超えた世界へと誘われる。そんな旅をこの人生で味わうことのできる幸せに心から手を合わせたくなる。

集まってくださったみなさん。おいしいお料理や受付で協力してくれたみなさん。和美の二人。ダンサーののりこ。そして初めてのオーガナイズに悪戦苦闘しながらも実現に向けて頑張ってくれた広恵。本当に本当にありがとう。最後の挨拶で感極まって泣いていた広恵の涙に私の魂は浄化されました。ここがツアーのスタートで本当によかったと思います。翌日、妙義山神社にお礼参りをして群馬をあとにしました。次の開催地である青森の八戸へ向けてゆっくりキャンプをしながら向かおうと思います。次はどんな物語が待っているのかワクワクしながら…。

今日も自分の心の平和を大切にして。



 

_ 2013.4.26_>>>_満月


「ARTWORK IS LIFEWORK」

再びホームである高尾でARTGYPSY ARTSHOWを終えた。

先月の高尾の蕎麦と雑穀料理の店「杜々」でのアートショーから約1ヶ月。今度は高尾北口に昨年オープンした「今ここカフェ杜丸」での開催だった。
どちらも大切な仲間の営むお店である。杜丸のせっちゃんは相当前から「ここでぜひARTGYPSYにやって欲しいの!」と熱いラブコールをかけてくれていた。ただ私達がなかなか「うーん」と考えてしまっていたのはスペースがちと小さいなーと思っていたからだが、そこはせっちゃんの勢いに押されてとうとう実現することに相成ったのだった。ARTGYPSY ARTSHOWは毎回色んなミュージシャンの方に参加してもらい即興で創りあげるというスタンスを取っているため、まずはコラボするアーティストが必要だった。それも空間的には1人がベストだろうということでお店側で色々探してくれていたのだが、最近杜丸を手伝っている「さおり」という麻を中心に布製品を制作している作家の子が「Sage」というカリンバ奏者を紹介してくれて事態は着々と進むことになった。さおりはカフェ・スローでのアートショーを見て以来ARTGYPSYのファンになってくれていた。そして以前から彼女がファンだったsageと私達の世界感がどんぴしゃだと直感的に悟ったらしく、せっちゃんに太鼓判を押してくれたのだった。

当日蓋を開けてみると、もう定員で締め切っていた筈が飛び込みであれよあれよという間にお店が超満杯になるほどのお客様になってしまい、もうテーブルも椅子も取っ払って地べたにござを引いての密着度の相当高い客席となった。高尾のチームは逆にそれを想定してか遠慮して来なかったので都心や他県から来て下さったお客様達には「ほほうー。高尾って何か親近感があってあったかいね」という印象を持ってもらえたことだろう。(笑)初めて出会ったSageはひたむきに音楽とカリンバをこよなく愛する人で一目で好感が持てた。そして案の定その音色は本当に優しく、どこまでも透き通っていてまさにコラボしてみて実にしっくりくるライブとなったのだった。我が家のオオカミ犬nociwが星になってからもちょうどひと月になるという節目に当たるこの日に、またこうして地元の高尾で仲間達に迎えられながらアートショーをやることになったのもとても意味深かった。もちろんこの日は全身全霊でnociwのためにショーを捧げた。今ではスピリットなって自在に駆け回ることのできる彼女もここに来てくれてたと思う。多くの方がショーの後「nociwがいるのを感じました」と言っていた。時間や空間、肉体を越えてnociwとの絆はこれから益々深くなっていくのだなと思う。これから私はまた屋久島の森に1人籠り制作に入ることにした。そこでじっくりと自分と向き合い、ここ何ヶ月かに起こった出来事をゆっくりと噛みしめてみようと思う。nociwともやっと冷静にコンタクトが取れる準備ができたような気がしている。森の精霊達もきっと力を貸してくれるだろう…。

そして高尾に帰って来たら東北、北海道へとツアーに出ることになっているのでスケジュールが決定したら順次お知らせしていきたいと思います。決定してるところでは6.30に「高尾ツリーハウス」で森の旅人の屋久島の木を磨くワークショップとARTGYPSY ARTSHOWを虔十の会の坂田さんのバックアップで一日イベントとして開催するのと、7.7の七夕と7.8に毎回試行を凝らしたイベントで話題を呼んでいる「ホリスティックアース」にて2日間の作品展とARTGYPSY ARTSHOWを行うことになっています。どちらともコラボするゲストミュージシャンは屋久島でもジョイントした「Earth Conscious」彼らがもたらす最高のグルーブとともにツアー後に磨きのかかったショーをお見せできるように精進していきたいと思います。どうぞお楽しみに。

今日もクリエイトできることの幸せに心から感謝して。



 

_ 2013.3.27_>>>_満月


「nociwの旅立ち」

満月の翌日、我が家のオオカミ犬「nociw」が星になりました。

体の様子がちょっと変だなと気づいてから2ヶ月、4つめの病院でガンと宣告されてから10日後のことでした。27日の満月は高尾でアートショーがあり、その前から準備に追われていて当日も昼の部、夜の部とあったので私はずっと会場の杜々にて、NOBUYAが行ったり来たりして高尾仲間の「ちー」がnociwの側にいたいと言ってくれて体をなでてくれていました。その日のアートショーは私もNOBUYAもnociwに捧げるためにすべてを注ぎました。彼女もそのことはわかっていたのだと思います。集まってくれたお客さんもとても喜んでくれて、夜の部が終わって食事会になるとそのエネルギーは異常なほどの盛り上がりを見せ、途中でスタッフを送って帰ってきた女将の佐千代が遠くから見るとそこだけ「お祭りのようだった」と言っていました。「まるで生前葬のようだったね」と佐千代。その賑わいは結局朝まで続いたようだったけど、この日やはりnociwに手当をしたいを言ってくれた「たかこ」と家に帰り、出迎えてくれたnociwにアートショーの報告をしました。NOBUYAが「実は今日一番ごはんをたくさん食べてくれて、オレとちーが拍手をして喜んでいると嬉しそうにしっぽを360度回転させてくれたんだ」と笑っていて、もう本当は食べること自体相当きつかったんだろうけど私達を喜ばせるために食べてくれたのでしょう。翌28日は杜々で撤収作業があり、うららかに晴れた気持ちの良い日だったのでNOBUYAにnociwを連れてきてもらい、庭に敷き詰められたウッドチップの上で穏やかに私達の作業を見守ってくれていました。あまりにもお日様が温かくてNOBUYAが寝てしまったのでnociwと一緒にウッドチップの上に寝ころんでいたら、アートショーに来てくれた「たま」と「おご」が通りかかって「わーい。nociwに会いたかったのー」と喜んでしばらくの間手当てをしてくれました。nociwもうとうとして気持ちよさそうで…。それが亡くなる4時間前のこと。まったく想像もできませんでした。やっと仕事も終わったので、のんびり3人で森へピクニックに行こうねと話していたのに…。家のいつものnociwの場所で私達2人に見守られながらあっけないほどに潔くnociwは逝ってしまいました。でもその日がきっと彼女にとっては死ぬのにもってこいの日だったのだろうなと思います。すべてのタイミングを見計らって、いかにもnociwらしい死に様でした。突然すぎたのでその時はただただ「ありがとう!」の言葉を繰り返してた私達。でも私達の元へやってきた時から「私達はいずれ死んで肉体はなくなるけど、魂は永遠だからその後はまたずーっと一緒だからね!」と常にnociwに語りかけていたので彼女はすべて解っていたのだと思います。この数日は呼吸がとても苦しそうだったので、心臓が止まって楽になってからはだんだんと顔が笑顔に変わりました。そして楽になった体に感謝の思いを込めてオイルマッサージをしてあげてたら「ウーン」というnociwがリラックスした時に出す声を漏らしてくれて最後に応えてくれたのです。嬉しかったな。そして不思議なことに埋葬するまでの3日間は体がまったく硬直しなかったのでした。

翌日はnociw祭りと称して、彼女の元へたくさんの高尾の仲間達が集まり、泣いて笑ってダンスをしました。どこからか「nociwは犬徳があるよね!」「それを言うなら狼徳でしょ!」「いやーnociwは絶対オレより古い魂の持ち主だった」との声が聞こえてきて。彼女は本当に高尾の仲間達からも慕われ愛されていたんだと知り感激しました。。ガンと宣告されてからはnociwのお父さんの「ウルフィー」のパートナーの「ちえ+かつ」が遠隔ヒーリングを継続してくれたり、屋久島の「なお+けんた」の呼びかけで全国から千羽鶴や贈り物やメッセージが届いたり、ギャラリーnociw時代の仲間のお坊さんがお経を上げてくれたりと本当にみなさんの愛と祈りに助けられました。その中には実際にnociwに会ったことのない方もたくさんいて…。そんなみなさんにこの場を借りて心からお礼をいいたいです。ありがとうございました。これらすべてがnociwからの愛でもあったと深く感動しています。姿はないけどこれからはスピリットとして私達の作品の中に彼女は生き続けていくのだと思います。森に入ると特にnociwを強く感じます。この地球に偏在するあらゆる自然の中に私は彼女を見いだし、そして私の生涯が終わるその時には、あなたに感謝の言葉を述べて私は逝くでしょう。

nociw生まれてきてくれてありがとう。これからもずっと愛しています。



 

_ 2013.2.26_>>>_満月


「豊間小学校」

福島県いわき市の豊間小学校へ行ってきた。

屋久島の森の旅人「KENTA&NAO」と一緒に。2人は図工の時間に屋久島の木を磨くワークショップをやり、私はその中でポエトリーリーディングをさせてもらった。5年生と6年生の子供達。どんな子達が待っているのか到着するまではドキドキしていたが、彼らの顔を見た途端「なんてキラキラしているんだろう!」と思わず嬉しくなり緊張も吹っ飛んでしまった。生徒達はみな熱心に木を磨いていた。私は出番まで楽器を鳴らしながらウォーミングアップをしていたが、興味を持った子達が次々にやってきて面白かった。子供ってほんとに気持ちがいい。先生が「はーい。じゃあここで手を少し休めて今から詩の朗読を聞きましょう」とみんなに呼びかけた。驚いたことに生徒達はすぐさま集合ホールに集まり姿勢を正している。「はじめまして。絵描きの∀KIKOです。私が絵で生きていくと言った時、親はそんなことで食べていけるはずがないと言いましたが、今私は絵を描いて生活しています。私は絵描きですが詩も書きます。これからその詩を朗読するのでどうぞみなさん心の耳で聞いてみてください。」澄んだ瞳が一斉にこちらへと向けられた。こんなにたくさんの子供の前でポエトリーリーディングができた初めての体験を神様に感謝しながら私は心をこめて詩った。更に驚いたのは彼らがとても静かに真剣に聞いてくれていたことだ。途中で詩の言霊がおかしくてその音に反応して笑いを必死でこらえている子がいた。肩をひくひくさせながら。「わかるわかるその感覚。だっておかしいよね!」と私は心でニヤッとしながら「あー。なんて幸せな時間なんだろう」とその瞬間を噛み締めていた。昨年のツアーで「いつか多くの子供達に聞いてもらいたいな」と思った願いが叶ったのだ。それが福島からスタートだったとは…。リーディングが終わった後すかさず好奇心いっぱいの表情で駆けつけてきた子達がいた。「あの、∀さんの詩はどこから生まれてくるんですか?」「うーん。宇宙かな。」「∀さんは野宿をして暮らしているんですか?」「森で眠るのは大好きだよ」「∀さんはいったい幾つなんですか?」「えーっと。今年で4000歳かな?」「うおぉーっ!!」子供達との会話は楽しくてやめられない(笑)後ろの方でもじもじしながら話したそうな女の子がやってきた。「あ、あの、とっても素敵でした。命と命が人間も動物もみんなつながっているっていう詩が私は一番好きでした」何かを感じ取ってくれたようだった。担任の先生が言った。「私、正直ビックリしました。今までこの子達、詩の朗読なんて聞いたこともないのに、じーっと聞き耳を立てていたことが。それに色々と質問をしていた生徒達はいつもはあんなに積極的な態度を取る子達ではないんです。彼らの別の一面を発見できて今日はとっても嬉しいです!」

その後お昼の時間になってKENTA&NAOは6年生と私は5年生と教室で一緒に給食を食べた。「∀さんはここに座ってくださいね。」用意された席は教室の真ん中のお誕生日席。「やったーっ。いただきます!」久しぶりの学校給食。自分が小学生だった頃を思い出し急に懐かしくなった。コッペパンに塗るペーストをぐちゃぐちゃにつけて頬張る男の子。「ガハハハーッ」拍手喝采して大喜びするみんな。「いたいた、こういうヤツ!」楽しくって思わず顔がほころぶ。こんなギフトのような時間を作ってくれた6年担任の「えり」先生、5年担任の「ゆきみ」先生、そして職員室で出会った他の先生方もみながみな素敵な先生達ばかりだったことにハートが熱くなった。特に感動したのは水谷校長先生だ。人間として本当に素晴らしい方だったことに、これからの教育においての希望の光を見た思いがした。「我々はみんな3.11以降意識が変わりました。生徒達の中には親や身内を亡くした子もいます。深い悲しみの後で残されたこの子達に私が一番伝えたいことは、決して夢をあきらめるなということです。誰でもができない貴重な体験を通して自分の夢に向かってまっすぐにつき進んでいって欲しい。それがこの子達にはできると信じています。学校で教えることだけが勉強じゃない。これからはアートの時代でもあります。ここにいながらもこうして色んな方と接して感性を磨いていけるこの子達はなんて幸せなんだろうと私は思うのです。」本当はこの日NOBUYAも一緒に来てARTSHOWをやる予定でいたのだがnociwの体調が良くなくて私一人だったためにいつもの映像がなかった。校長にARTSHOWの話をするとぜひ見てみたいと言うので高尾に戻ってすぐに昨年のARTGYPSYツアーでのARTSHOWのDVDを送ったのだった。数日後、校長直々に電話がかかってきた「∀さんですか?いやーDVDが届いて今、校長室で見ているんですけどもね、あんまりにも感動して思わずすぐに電話をかけたくなっちゃったんですよー。なんちゅーかイマジネーションが豊かになるっつーか、行ったことはないけども宇宙を感じるっつうかねー。2013年早々良い出会いをありがとうございます。これは絶対に何かの縁ですからね、ぜひ改めて生徒と親御さん達に見てもらう機会を作りたいなと思っとります。じゃ、まだDVD途中なんでこれで切りますねー失礼!」最高に嬉しかった。本当につながることができたのだ。校長は言っていた。学校の周りは流されてなんにもなくなったけれど、そのかわり太陽がもの凄く大きく見えて「あぁ太陽ってこんなに美しかったんだなー」と思ったと。きっと砂漠で見る太陽もこんな感じなんじゃないかって…。

そして私は思うのだ。あの子供達はまるで砂漠に咲く色とりどりの花のようだったと。



 

_ 2013.1.27_>>>_満月


「MOTHER TREE」

今年初めての満月には屋久島から「森の旅人」のKENTAとNAOが高尾にやって来た。

仲間が営む蕎麦と雑穀料理の店「杜々」で屋久島の木を磨くワークショップを行ったのだ。NOBUYAは北海道へ1人で車で帰っていた。私と我が家のオオカミ犬nociwとの
2人暮らしは初めてだったがとても充実した日々だった。それもNOBUYAが「オレのいない間に薪が切れることがないように」とせっせと薪集めをしていってくれたから。我が家は薪ストーブで暖をとっているので、冬の間は常に薪の補充に気をくばらなければならない。薪集めは一日仕事でかなりの重労働なのでNOBUYAはいつもその日ヘトヘトになるのだった。KENTAとNAOとは2008年に初めて個展のために屋久島を訪れた時から年に2,3回は会うようになった。今度の再会もツアー帰りに11月の阿蘇で別れてから2ヶ月しかたっていない。もう、どこに居てもいつも一緒に居る感覚になってきた。高尾でのワークショップは何度かやっているが杜々でやるのは初めてだった彼ら。仕事を終えた2人を母屋で薪ストーブに火を入れて待っていると「あの杜々にある∀のMOTHER TREEの原画凄いねーっ!」と興奮気味に帰ってきた。あの絵が大好きな2人は原画を見ることもとても楽しみにしていたようだ。「あの絵の元でワークショップができるなんて夢が叶ったよ!」

その日、北海道にいるNOBUYAから「今から高尾に帰る」と連絡がきた。もっと長期で向こうにいる予定だったのにKENTAとNAOに急に会いたくなってしまったんだろう。2人に伝えると彼らも大喜び。ノンストップでこちらへ向かうというNOBUYAを待つことになった。ワークショップに参加していた高尾の仲間達も集まり、久々に賑やかな母屋での楽しい満月の夜になった。「浩平」と「こすみ」夫妻の息子で小学生の「ひゅう」はここで直々に木を磨くワークを受けて夢中になって手を動かし続けていた。やはり子供も大人も魅了される体験なのだ。森の旅人も今回ツアーで各地を回ることになっているが、福島の小学校の図工の時間にこの屋久島の木を磨くワークショップを行う予定にもなっている。ARTGYPSYもARTSHOWで参加させてもらうことになった。私はそうなったらいいなーと心から願っていた。昨年のツアーで回った先々で「このショーは子供達にもぜひ見せたい!」と多くの大人達が言ってくれたので、今年はそんな機会が訪れたらいいなと密かに想像していたのだ。子供達だけの世界でARTSHOWがどんな風に受け止められるのか、とても興味がある。NOBUYAは「子供だからこそ、いつも以上に真剣にやらなければならない」と、その為の準備に取りかかっている。2月22日にはカフェ・スローで生物多様性の会議があるがそのイベントのトリでARTSHOWをやらせてもらうことになった。「最後はみんなに気持ちよく帰って欲しいから」と言ってくれたオーガナイザー。この会議は業界関係者だけでなく一般の方の参加も自由なので興味のある方はぜひチェックしてみてください。

そういえば高尾の仲間達との新年会も杜々で、MOTHER TREEの元で行った。やっぱり私はここの仲間が大好きだ。みんな色んな分野で自分らしさを表現しながら輝いている。そんなみんなが側にいることがこんなに幸せなことだなんて。女将の「佐千代」からはARTGYPSY ARTSHOWを杜々でもぜひやって欲しいと熱いラブコールをもらっている。北海道に移る前には最後に高尾で1ヶ月間くらい個展を開催したいと思っているので、その間に何度か色んな場所でARTSHOWをやるのもいいかもしれない。コラボするミュージシャンによって印象は千差万別なのでそれぞれに楽しむことができるだろう。オープン2年目の杜々も益々繁盛していてとても嬉しい。2013年もこのMOTHER TREEの元でたくさんの人々の笑顔が行き交うのだろう。そのことを想像するだけでもワクワクする。本当にあの絵は迎えられるべき場所へ迎えられたのだ。ありがとう佐千代!そして森の旅人は言った。

「MOTHER TREEの絵には間違いなく樹のスピリットが宿っているよ!」



 

_ 2012.12.28_>>>_満月


「2013」

2012年の最後の満月は恒例のカフェ・スローでの望年会で迎えた。

毎年この日に集まって来てくれるおなじみの顔ぶれや高尾の仲間達とともに、楽しかったあっという間の時間。ギャラリーではいつものようにアートジプシーツアーで各地を回ってきた作品達が里帰りして、みんなを待っていた。その空間でくつろぐ大人達や遊ぶ子供達。年納めの仕事としてとても平和な気持ちになるひとときだった。「虔十の会」の坂田さんや長友くんもこの場でお話をするために来ていた。「おかえりーっ!気がつくと家の近所に住んでる人がいっぱいいてビックリだよー」と坂田さん。「やっぱりこのRED DATA ANIMALSの絵は最高にいいよね!」と迷いに迷って彼女に縁のあるというオオカミのプリントを「早速額に入れて飾らなくちゃ!」と言って買ってくれた。彼女の話の中で「最近の若い人達の中でのアンケート調査では選挙に行くよりデモに行くという回答が多くて驚いた」というのがあった。「私はそうじゃないでしょうと思うんですよね」と彼女。投票率の低さは政治への無関心を物語っている。「もし、わからないならわからないなりに、例えば候補者の話を本人を呼んで直接聞いてみるとかね」と坂田さん。高尾のトンネル工事に対してずっと戦ってきて、でも掘られてしまった今、それでも地球に住む人間としてどういった形が自然と人間とのベストのあり方であるのかということをずっと模索し続けている。それも大いなる希望を持って。だから今の坂田さんは戦うというのではなく、それを一人一人の人間がどのように暮らしていくかで周りに影響を与えていけるかの可能性にかけているようだ。その方が地味ではあるがよっぽど現実味があるからでもある。今、私達の暮らす高尾では月に一度「杜の市」というマーケットで楽しく市を開きながらそんな情報交換が行われている。「虔十の会」も無農薬の野菜を売る。他にも仲間達が手作りの野菜や作品や料理を売り、日々の暮らしの中での充実した生き方を実行している。そんな市は終止笑いが絶えない。新年初の1月12日の杜の市には私も参加する予定だ。

今年は春頃に私達ARTGYPSYも拠点を故郷の北海道に移すつもりでいる。幸いNOBUYAと私は幼なじみで家族も同じ場所にいる。とはいっても今まで北海道は自分達にとっては一番遠い場所になっていた。ツアーで回るのもいつも西から南だったり。だから北ではゼロから始めるつもりの覚悟が必要だ。高校を卒業してすぐ東京へ出て来てしまったので、人との繋がりもほとんどないといっていいし、まずはそこから始めなければならないだろう。お互いの家族の問題もある。そんなしがらみがいやで飛び出してきたのだから。考えれば考えるほど課題は山積みなのでそこは考えずに実践していくしかないと思っている。無意識に避けてきていたところにあえて突っ込んでいく気分だ。そういうものにはいつか真正面から向き合わなければならない時が必ず来るものなのだろう。それが自分達にとっては2013年だったってことだろうな。アートで本当に大事なものを発信していこうという気持ちで活動している私達をどれだけ理解してもらえるかは皆目わからないが、きっと神様が導いてくれると信じている。それが地球の理にかなっていることならばきっと…。ただ拠点が北海道に移ったとしても私達ARTGYPSYのライフスタイルは何ら変わらない。北の大地の中で今まで通り絵や詩を生み出し、そして各地を旅する。今年のツアー開催地には第二の故郷になるここ高尾も入ることになるだろう。そしてまた日本各地で自分の暮らす土地で、たくましく美しく生きる、かけがえのない家族達と笑顔で再会することになるのだ。その旅がやがて世界各地へとつながることを夢見ながら、今日も筆を取る絵描き∀KIKOです。一月のござれ市にもぜひ遊びにきてください。

今年もよろしくお願いします。



 

_ 2012.11.28_>>>_満月


「高千穂」

アートジプシーツアーも無事、高千穂秋元村にて千秋楽を迎えることができた。

「高千穂のマチュピチュ」といわれるように、ここ秋元村のギャラリー「蔵ノ平」のある場所はこの上には人が住んでいないという一番高い所にあって、そこからの眺めは素晴らしく、自分の足下に雲海を見下ろせる絶景の地での夢のような個展開催だった。元牛小屋を手作りで自分たちで改装したそのギャラリーは、下が土で扉からすきま風が吹き抜けていくという趣きのあるもので、まるで時が止まったような空間。訪れた人たちは「いつの時代の、どこの場所にいるかもわからなくなるくらい、遠いところへ旅した気持ちになります」と言っていた。「こんな秘境の地に、わざわざ絵を見に来る人が果たしているのだろうか?」と思っていたが、福岡から来て秋元神社から2時間かけて歩いて来てくれた人や、昨年ARTGYPSYの今回のツアーの千秋楽が高千穂になると決まった時点で、ここを目的に仲間を集い高千穂旅行を実現させたファンの方達なんかもいてくださってありがたかった。24日のアートショーには仲間達が各地から駆けつけてくれた。「どうしてここで、今ここにこうしてこの人達と居合わせているんだろう?」と不思議な思いに胸を踊らせた。この日のゲストミュージシャン「平井邦幸」くんの歌も素晴らしかった。高千穂を愛する気持ちが日々の生活の中にしみ込んでいるような素朴な歌。熊本に移り住んだスペシャルゲストミュージシャン「カンナビーナサヨコ」とのコラボもとっても楽しかった。改めて互いのクリエイションを確認する作業をした感じだった。やはり彼女とも縁があるのだろう。

その日はちょうど秋元村では国の重要無形文化財である夜神楽が行なわれていて、3時から始まる秋元神社から今回の神楽宿になった民家までご神体や面を移す時に舞う神楽を見に行って、アートショー後に仲間達とギャラリーの中にあるいろりの火にあたりながら、飲んだり食べたりおしゃべりした後、再び会場へと出かけた。翌日のお昼までノンストップで行われる神楽。民家はその日、神様の家になって人々をもてなす神聖な場となり、神楽を舞う者は神のよりしろとなる。私達が着いた時、題目の11番が始まろうとしていた。「弓にやどる神が悪霊を祓う」という舞が行われるところで、着いた早々の私達はまず最初にお祓いを受けたのだった。あまりの美しさにハッとして我に帰ると自分の頬が涙で濡れていた。ずっと見たかった夜神楽をアートショーのあとに堪能できるなんて、なんて幸せなんだろうと感動しながら。イザナギ、イザナミが酒を作る舞では本当におかしくて、笑いすぎて涙を流した。夜明けとともにアメノウズメが岩戸の舞を舞い、タジカラオが舞い、いよいよアマテラスが再びこの地上に光を放つ。何度も寝そうになりながら久しぶりに朝まで起きた。となりには同じく、相当感じ入っているようすのサヨコが座っていた。「美しいねー」貴重な時間をともに過ごしたと思う。

ギャラリー蔵ノ平の飯干家の人々には毎日感動しっぱなしだった。強くたくましい3世代の家族。朝から晩まで休むことなく働くおばあちゃん、神楽の舞い手として心身ともに研鑽を積む父と息子、どんな時も深く優しい愛で包み込んでくれるお母さん、アートジプシーを高千穂に呼んでくれた直感人間の嫁「君枝」、nociwのことが大好きになった可愛い三人の子供達。中でも長女の「姫夢」はとても慕ってくれ、最後の晩には「∀さん大好き!」とずっと足にしがみついてくれた。仲良しで美しい家族。食べるもののほとんどを自分たちの手で育てる家族。山からのわき水を飲み、米を作りもちを作り、大豆を作りあんこを作り、おいしいつけものや手作りこんにゃくを作る。彼らの、笑いの中に知恵のある丁寧な丁寧な暮らしぶりから、本当にたくさんのことを学ばせてもらった。1週間も寝食を共にしてすっかり家族になってしまった私達は別れ際、やはり涙でハグを交わしたのだった。

高千穂から神様に導かれて旅をしたた2012年のARTGYPSY。あとは高尾に無事戻るまでがツアーなので気をつけてかえります。ちなみに12月13日新月は浜松PAYAKAでラビラビと新月のアートショー。12月28日満月はおなじみ国分寺カフェ・スローで「カンナビーナサヨコ×YAMANRIDDIM×ARTGYPSY」の望年会ライブでアートショーをやります。予約も開始されているので集まれる方はぜひおこしくださいませ。



 

_ 2012.10.30_>>>_満月


「魂のセッション」

ARTGYPSY TOURも後半に突入したが、みんなのお陰さまで変わらず充実した日々を送らせてもらっている。

室戸岬では備長炭職人のギャラリー「炭玄」でやらせてもらった。吉良川町という国の重要文化財に指定されている古い町並みの中で漁師や居酒屋の亭主やお遍路さんなど、様々な方に出会えて面白かった。ギャラリーオーナーの「たつのり」に炭焼きの釜を見学させてもらったが、そこは「神様の仕事場」という言葉がふっと浮かんできた神聖な場所だった。たつのりは昔からこの土地の伝統として受け継がれてきた炭焼きの文化を子や孫の世代に伝えるべく若者を育て奮闘する、本当にカッコいい気持ちのいい男だった。そんな男と繋げてくれた「中野洋平」に感謝している。「また来てください。待ってます!次は漁師の友達に船を出してもらってクジラを見にいきましょう!」と力いっぱい見送られ室戸を後にした。

南阿蘇では「フォークスクール」という廃校の隣にあるギャラリー里の駅「谷山」での開催。阿蘇特有の雄大な山々の一つ根子岳を見ながら、自然の中でゆっくりと静かな時間を過ごすことができた。オーナーの「谷岡鈴子」さんはメルヘンの世界から飛び出してきたような素敵な可愛らしい方で最終日には涙を流しながら「この絵たちがずっとここにあったらいいのに。とっても寂しい!」と言ってくれた。阿蘇にも母ができて嬉しかった。鈴子さんと繋げてくれた「マリオ」には今回も何から何までお世話になってしまった。そば打ち職人の旦那の「ひでぼー」ともども、あたたかな家族のようなもてなしに感謝している。

次の土地鹿児島は鹿屋の美容室「BENCH」のオーナー「山内政洋」の持つイベントスペースにて満月のアートショーを行なった。彼と繋いでくれたのは東京の代々木上原の美容室「MO」の友美だ。彼女ももう古い家族でこれまた感謝の念にたえない。この日は宮崎のネイティブシンガー「hou」とドラマーの「アサイマサト」がゲストミュージシャンとして参加してくれた。houちゃんに会うのは初めてだったが彼女の名前は至る所で耳にしてきたし、彼女もまた旅の先々で私の絵を目にしてきてずっと会いたいと思っていてくれたそうだ。政洋がアートショーのゲストミュージシャンを考えた時、直感で私達は同じものを持っていると思ったそうだがそれは見事に当たって、確かに共通した感性や世界観を持つ者同志だと実感できたコラボだった。お客さんの中には「二人はずっと一緒にツアーに回ってるのかと思いました」という人もいたくらいに。そんなhouちゃんも最後には涙を流していた。

南阿蘇では急遽二日間のアートショーになり、ジャンベの「山さん」や「あそパパ」とのコラボを果たした。二日間とも盟友で元隣人の「えいじ」が加わってほとんど毎日会うことができたし、一緒に音楽やアートという私達の一番大好きなことで共に表現できたことが何より嬉しかった。マリオとも一年ぶりにポエトリーリーディングでジョイントできてクリエイティブな時間を共有できて嬉しかった。私はやはりこんな風に友人達とクリエイティブに過ごす時が一番好きだなと思う。なぜなら彼らが一番輝いて見えるからだ。室戸でのアートショーのゲストミュージシャンは「アルデバラン ヒロシ」と「管 美菜子」で初めて会う二人だった。管ちゃんは「実は私、隠れ∀さんファンでした!」と告白してくれた旅人で歌姫でおもしろい子だった。声の太さがいい。ヒロシさんは室戸岬の「シットロト」というすっごく美味しいカレー屋さんの店主だがカレー屋だけではもったいないほどのギターの腕前で、そのテクニックたるやNOBUYAを感動させてやまなかった。

そして今は屋久島での個展が始まっている。この地では地元のミュージシャン「青木高志」「なーや」「Shoheigh」や舞踏家「虫丸」さんやタイミングよく屋久島ツアーに来ている「アースコンシャス」の面々とのコラボレーションが実現する。同じ映像と詩でもコラボするミュージシャンによってまったく違う色を見せるARTGYPSY ARTSHOW。岡山でのアートショーに感動して香川のアートショーにも来てくれたお客さんはその違いに「これは面白い。やみつきになりそう。各地でそれぞれのアートショーを見たくなります!」と言っていたが、それを一番楽しんでいるのは何よりARTGYPSYである私達自身なわけで、本当にミュージシャンの方達との一期一会には感動しっぱなしである。「どんなアートショーが創り上げられるのか?」始まってみるまでは誰にもわからない。それこそがライブの醍醐味でもありわくわくでもある。その時に感じるままに自分の音を出す。魂のセッションは当分やめられないだろう。

そしてこの旅は神々の土地、高千穂へと続いている。



 

_ 2012.9.30_>>>_満月


「ARTGYPSY TOUR」

高尾を出発して一ヶ月になろうとしている。

これまでに神戸、岡山、香川、高知を絵と詩と音楽とともに旅をしてきた。神戸では個展のみの予定が見に来てくれたミュージシャンの「奈良裕之」さんと急遽アートショーでコラボすることになり素敵な新月の夜を過ごさせてもらった。ギャラリー「シャンティ・すぽっと」の清水ご夫婦には実の娘、息子のようにかわいがってもらい我が家のオオカミ犬nociwは神戸で大人気でnociw目当てにギャラリーを訪れる人々が後を絶たなかった。初めての神戸開催でどんな場所だろうとドキドキしていたがすぐ裏にお宮さんがあって毎朝お参りすることもできたし、近くには六甲山があり滝に打たれる経験もできて心身ともに洗われ、いい旅のスタートになった。そしてツアーの帰りには必ずまた寄るように!と言葉をかけられ出発。

次の土地岡山ではアートショーのみの開催だったが、場所を提供してくれたレストラン「padng padang」の大輔さんはご両親を招いてくれたりnociwをお店に一緒にいさせてくれたりと随所に彼のハートの暖かさを感じる誠実な人だった。コラボしたミュージシャンは「カロ夢音LIFE」とっても気さくな三人組でライブ終了後はとびきりの笑顔でまた一緒にやりたいです!と目を輝かせてくれた。前日に泊まった「すみれのお宿」の「すみれ」さんも本当に素晴らしい人で「この絵はみんなに見てもらわなきゃ!」と、お宿に集まる仲間たちをたくさんアートショーへ連れてきてくれた。この日以来、すみれさんは私達の岡山の母となった。

香川も初めての開催。「ルナティカナパ」というヘンプ素材を使ったリゾートウエアのデザイナー「三好恵子」とアフリカンドラムの先生である「三好東曜」の倉庫「月麻太陽自然道」で個展とアートショーを行なった。この場所はまさに神様からのお試しとしか思えないほどで「好きに使っていいですから」と倉庫のシャッターが開かれた時は一瞬、二人で唖然としてしまった。そこは先祖代々からの家財道具や使われなくなった物たちで溢れかえったカオスだったのだ。(笑)私達は12時間以上かかって整理整頓し掃除をし清め、作品を展示していった。途中で何度もくじけそうになりながらも叱咤激励して…。すると、みるみる空間が輝きを増し喜んでいるかのように居心地よい風が吹き抜けていった。翌朝、東曜が見に来て驚きの声を上げた。「いやーっ。これは頑張った。ここがこんなに広かったなんて!」彼らと私達を繋げてくれた七草ぞうりを作る「達磨工房」の「寺田真也」は個展の場所を色々と考えてくれたようで「街もいいかなと思ったんやけど、nociwもおるし、ふとここを思いついたんです。大変やったと思うけど、お陰さまでここがこれからの可能性を秘めたみんなの交流の場に生まれ変わりました。本当に感謝しています!」と言ってくれた。どうやら私達はそのためにここへ来たようだった。台風で雨続きだったのがアートショーの始まる前には見事に晴れ渡り、満月が微笑みとともに顔を出した時にはみんな空を見上げ神様の用意した物語に酔いしれた。子供も大人も一緒に踊ってシャンティな時間を過ごすことができた。

そして高知へとたどり着いた。高知の人なら誰でも知っているという五台山の頂上にある展望台の一階にあるギャラリーで、街を一望に見渡せる絶景の展望のもと
縁に導かれて訪れる人々との出会いを待っている。このギャラリー「PANORAMA」のスタッフの方達もとても優しい。足げく高知中を歩き回って「∀にぴったりのギャラリーを!」とこの場所と繋げてくれた「岡林さえ」ちんには本当に感謝の念が絶えない。他にも各地での開催場所を探し出してコーディネートしてくれた仲間たち、毎日個展の情報を上げてくれている屋久島森の旅人の「NAO」、高尾から各地へ物販を送り届けてくれているnicoの「taba」アートショーでコラボしてくれるミュージシャンたち、絵と出会ってくれる人々、ツアーの成功を願ってくれる各地のファミリー…。本当に本当にありがとう。

みんなの愛を胸に、まだまだART GYPSYの旅は続きます。



 

_ 2012.8.31_>>>_満月


「ART WORK IS LIFE WORK」

私は忘れない

高尾の山に日が登る頃 森からいっせいに湧き立つ鳥達の声を

私は忘れない

高尾の仲間と月を見ながら いつまでもふざけあい笑いあった夜を

そして私達は夫婦と犬一匹 自称アートジプシー

これから日本の各地へむけて アートをたずさえ旅に出るのだ

訪れる土地とのご縁に導かれ そこに暮らす人々と生活をともにしながら

「何かを創る」

それは決して言葉にはできない 魂で響きあってこそ生まれてくるもの

心の底の深淵に佇む 純粋な光のもとへと届くように

祈りをこめておこなう仕事

本当に大切な宝物を探す旅へ これからでかけてまいります

そうして再び この地へと帰ってくる時

大好きな仲間達に その贈り物を届けられるように

まずはこの高尾のエネルギーを 旅先へと届けましょう

これらのエネルギーが交わっておこる 新たな変化が

地球の進化へと つながりますように

願いをこめて いってまいります



 

_ 2012.8.2_>>>_満月


「内省」

東京で開催された35日間の個展も無事終わり、ツアーに向けての準備に入っている。

長いようで始まってみるとあっという間だった個展の日々。たくさんの新たな出会いがあり、それらがまた、これからの道へ繋がっていくだろうと予感させてくれるものだった。シンクロもたくさん起こった。サンダンサーでもあるカナダのネイティブの方は「アメイジング!」を連発してお店の中を回遊魚のようにグルグルと回ってくれた。オーナーの阿部さんは私が着くと「昨日もお客さん、結構回っていましたね」なんて嬉しそうに話してくれる。お店のスタッフは「∀さんのファンの方達ってジャンルが幅広くておもしろいですよねー」と好奇心を示していた。「この絵に囲まれて働いていると、とっても楽しい気分になれます!」というスタッフの言葉は私にとって大きな励みでもあった。最終日にはみんなから労いの言葉をかけられ手紙をもらったり、固くハグをしたりして、まるで学校に研修に来た見習い教師のような気分にもなった。「私はファンの方達と接している∀さんを見て、人に対する感謝の気持ちを学びました」と、ひとりの子が真剣なまなざしでそう言ってくれた。その瞳が美しかった。

最終日は偶然お店に来たというミュージシャンの方が実は10年前から絵のファンで、長い間アメリカに暮らしていたが、その間も私の画集だけはずっと大切に手元に置いていてくださったという方が現れた。「アメリカ生活が長かったので日本に帰って来て友達ができるだろうかと心配だったんですが、いや日本にはこの画集を描いている方が暮らしている!そう思うと帰る決心がついたんです」と彼女。「それが、たまたまここでこんな風に出会うことができるなんて。今日の日が神様からの贈り物だとしか思えません!」ずっとネイティブの人達と関わりながら音楽活動をしていたという彼女は自分のCDを渡したいと言って一度家まで帰り、今度は旦那様を連れて戻ってきた。彼も作曲家で2人は音楽夫婦。旦那様は阿部さんと飲み友達でもあった。帰り際「僕の妻が10年前から∀さんのファンだったんですよ!」と声をかけられ「あー。それはちょうどよかったですねー」と嬉しそうに笑顔ではにかみながら応える阿部さんを見て、最後の最後にまたこんな素敵なシーンがあって、本当によかったなとつくづくそう思った。

ツアーに出る前に今年は3年振りに北海道へ帰省しようと思っている。お墓参りに行きたいとずっと思っていた。ご先祖様、そして亡き父に挨拶をしに。私もNOBUYAも田舎が重くて北海道を出てきた身だが、もうそろそろ、その重たさとも向き合う時期がきているようである。私で言えば義理の父との関係性だ。彼は絵に描いたように芸術に対しては理解を示そうとしない人間なので、もちろん義理の娘がアーティストだということは到底受け入れられない。それでも私は堂々と1人の人間として、接していかなければと思っている。相手のどんな反応に対しても冷静でいられるか?それはこの春から続けているビパッサナ瞑想の修行の成果が試される時でもある。今までは無意識になんとなく避けてきていたことがらに、面と向かって対峙していこうとようやく思えてきた自分がいる。それだけでも大きな前進だ。今では夫婦2人「ARTGYPSY」なんて名乗りながらアートで生活しているという事実は、彼をビックリ仰天させてしまうだろう。「ふざけるな」と。でもこれが私達の現実なのだ。彼からすれば正真正銘のバカかもしれない。でもそのバカは真剣そのものなのだとうことを解ってもらえたら、それだけでも嬉しい。私達はただ、理解し合いたいとそう願っているだけなのだから。
色んな因が結ばれてこうして縁となっていることの不思議を、もう一度見つめ直そうと思っている。

深く自己をかえりみること。今の私にとってはとても大切なことだ。



 

_ 2012.7.4_>>>_満月


「今ここ」

6月からスタートしているFIREKING CAFEでの個展も半ばを迎えた。これから7月22日までどんな物語が生まれるのかワクワクの日々が続く。

個展初日の6月18日。お店に到着すると、すでに待っていてくれたファンの人達がいた。ギャラリーnociw時代の懐かしい顔ぶれ。ファミリー達。
私がRED DATA ANIMALSを描き始めた頃からこのシリーズを気に入ってくれていた面々だった。「この画集の誕生を10年待ってたよ!」「我が家の家宝だね!」と言って喜んでくれているみんなの顔を見て、描き続けてきて本当によかったとつくづく思った。お店のスタッフが「初日にこんなに詰めかけるお客さんを初めて見ましたよ!」と声をかけてくれた。「実は∀さんのフライヤーを見た時からこの個展をずっと楽しみに待っていたんです」というスタッフの人達もいた。そして「今日でこのお店を辞めるんですけど、最後の展示が∀さんの作品で本当に嬉しかったです!」と言ってくれたスタッフまでも…。今回はオーナーの阿部さんから声をかけて頂いて実現した個展だが、阿部さんだけではなく、スタッフの方々が本当に優しく、親身になってくれるのでとても助けられている。日ごとに、こちらに向けてくれるみんなの笑顔が大きくなっているようにも感じられて実に嬉しい。

先日は屋久島から来ていた森の旅人のKENT&NAOとDJ NOBUYAと一緒にARTGYPSYツアーとして福島で屋久島の木を磨くワークショップとセットでARTSHOWをやってきた。「天空のハーモニー」と「銀河のほとり」という2カ所での開催だったのだが、そのどちらも代表の方は「強さ」と「優しさ」を併せ持つ、人生経験豊富な素敵な女性だった。天空では自給自足が行われ、食べられる木々が植えられ、水の確保がなされ、村ごとの共同体としての活性化が図られていた。銀河では食や健康についての提案がなされ、救援物資が一時集まる中継地点としての重要な役割も担っていた。それぞれの場所で働く地元のスタッフの人達の心がとてもピュアだったのが印象的だ。そして、そのどちらからもたくさん学ばせてもらった。地に根をはって生きることの厳しさや苦しさも聞くことができた。行く前に色々と勝手に想像していたことが、いっぺんに吹き飛んでしまうような、そんな生き様をまざまざと見せてもらった。まゆみさんもかつこさんも、私が出会った福島の人々はみんなよく笑う人達だった。みんなそれぞれに深刻な「笑えない状況」をくぐり抜けてきているはずなのに「この最高の笑顔は、いったいどこから来るのだろう?」と思った。「笑う門には福来る」まさにそのことを彼らは体現しているかのようだった。

福島で逆に励まされ、とびっきりの元気をもらって帰って来たあと、KENTAとNAOを連れてFIREKING CAFEへ行った。お店に入るなり、スタッフのみんなが口々に「おかえりなさい!」「おかえりなさい!」ってまたまた笑顔で迎えてくれた。なんだか私は「ジーン」ときてしまった。
そして、ここも家族なんだなーと思ったのだ。高尾でも屋久島でも福島でも代々木上原でも、そこに家族ができることが何より一番ありがたいことなのだなと、つくづく思ったのだった。お店に置いてあるメッセージノートを見ると、遠く他県からはるばる個展を見に来てくださっている方々や、10年振りくらいで個展に訪れてくれている方々がいて、とても感激しています。どうもありがとう!みなさんから頂いたエネルギーを絵に変換して、循環させていけるように、これからも精進していきたいと思います。福島で一番印象に残ったのは天空のまゆみさんから言われた「3次元をなめちゃいけないよ!」との言葉。その言葉の重みが、日を追うごとに胸にしみ込んでくる。そしてふと気づくのだ。

私は、この心と体を使って「今ここ」を創り出しているのだと。



 

_ 2012.6.4_>>>_満月


「野草の力」

この1ヶ月の間、毎日真剣にやっていたことのひとつは酵素をかき混ぜることだった。

3月に行った屋久島でミュージシャンの「奈良裕之」さんと、そのパートナー「麻喜」ちゃんに出会い「大和杉」への道のりをご一緒した。この大和杉は昨年、私も森の旅人の「KENTA&NAO」に連れられて行って以来、特別な思いを抱いていた杉だったので、再び訪ねることができると知って嬉しかった。みんなで祈り、奈良さんの奉納演奏にリンで参加した。気持ちがよかった。大和杉も喜んでくれているような気がした。トレッキングの途中休憩で麻喜ちゃんが手作りの野草の酵素ジュースを飲ませてくれた。そのエネルギーが何ともおいしくて、パワフルなのにびっくりして思わずどうやって作ったのかを聞いてみた。今まで飲んできた市販の酵素ジュースとは明らかにパワーが違ったのである。「市販のはどうしても熱処理を施さなくてはならないので菌が死んでしまうんです。やっぱり生でなくては…」屋久島から戻ってきてしばらくすると麻喜ちゃんから作り方が送られてきた。忙しいスケジュールにもかかわらず覚えていてくれたのだ。その優しさにも感動して私はまじめにやってみようと決心した。何よりNOBUYAがとても喜んでくれた。「お前もそういう知恵を身につけることができたら、たとえ絵が描けなくなったとしても生きていける。そう思うとオレはつくづく安心できるんだよ」とのことだった。

新月か満月の日に作るといいと書いてあったので5月の満月に、NOBUYAと一緒に野草を摘みに出かけた。いつもnociwと散歩する森にそれらはあった。ノブキ、ユキノシタ、ヨモギ、タンポポ、イタドリ、クマザサ、スギナ、ニリンソウetc…覚えているだけでも12種類以上の野草を摘むことができた。普段何気なく見ている雑草が薬草なのだという気づきにハッとさせられもした。2人でショイゴをパンパンにして家に帰り、湧き水できれいに洗ってから包丁で細かく切って同量の黒砂糖と浸けた。阿蘇のゼロ磁場で「神様の手」と呼ばれる母の手によって作られたという菌種も頂いたのでそれも入れて、黒砂糖で蓋をした一番上には同封されていた「馬門石」を置いた。この石は阿蘇の9万年前の噴火の時にできた溶岩だそうで、テラヘルツ波という波動を出しているという。次の日から酵素と私との対話が始まった。直射日光があたらない涼しめの所に置き、雑菌が入らないように細心の注意をはらい、朝夕と素手でかき混ぜる。空気を入れることで発酵を促すのだ。自分が暮らす土地で生きる野草で自分の手で毎日、触れて親しむことによって育まれる酵素。酵素を作ってくれるのは植物の酵母と手に着いている常在菌。そして感謝と祈りと喜びの中で自分にピッタリの美味しい酵素が出来上がるという。意識を向けることによって微生物達も喜ぶそうだ。蓋を開けるたび、プツプツと音を立てて泡立っているのを見て「あぁー今日も元気に生きているんだなー」と愛おしくなる。思わず自然に、手を合わせてしまいたくなるような、神聖な儀式のような時間だった。そして何より自分の手が、もの凄い気持ちよさを感じているのだ。たちどころに浄化されていくような、そんな清々しさなのである。麻喜ちゃんが「酵素をかき混ぜることは酵素のためでもあり、触れる人に恩恵を与えるためでもあるのです」とメールに書いていたが、体験してみて納得することができた。まさにその通りなのだった。

待ちに待った1ヶ月後の満月。とうとう生まれて初めて作った野草の酵素ジュースができあがった。あれだけたくさん野草を摘んだのに、できる量はごくごく僅かなものだった。それも書かれていた通りだったのだが「それにしても、本当にほんの僅かだったね」とNOBUYAと顔を見合わせて笑った。だから出来上がった酵素はとても貴重であり、ありがたいものになるのだなと思った。むしろ酵素中心に回っていたこの1ヶ月の、祈りとともに神様に触れさせてもらっていたような時間こそが、自分にとって重要であったような気さえする。それくらい恩恵を授かることができた経験だった。この酵素ジュースを飲んで、自分自身のバランスを整え、いよいよ18日から1ヶ月間、代々木上原の「FIREKING CAFE」で開催されるExhibitionに臨んでいこうと思う。何人かのファンの方から「∀さんはいつお店にいますか?」とのメールを頂いているが、これからインフォメーションに告知する予定なのでチェックしてみてください。とりあえずオープニングとクロージングはいます。たぶん仲間達が来てくれるのに合わせて、ちょくちょく顔を出すことになると思うので見かけたら声をかけてね。今日は酵素ジュースで断食中である。週に一度心と体をクリアにすることも、すっかりやみつきになってしまった。何より自分にハマれる時間が増えるのが嬉しい。クリエイトこそが私の生き甲斐だから。

それでは、みなさんに会えるのを楽しみに。



 

_ 2012.5.6_>>>_満月


「精霊の森」

そして瞑想の時間は続いている。

最近、nociwとの散歩で早朝の森に入ると、太陽の光に照らされて輝く緑が眩しすぎて息をのむ。屋久島の森も高尾の森もやはり森は森だ。森は美しい。森は気持ちいい。裸足になってアースして深く深ーく呼吸をすると足の裏から大地のエネルギーがジンジンと伝わってくる。手を合わせ森の精霊達を想い祈りを捧げる至福の時間。「すべてのものに精霊は宿っている。」そう言っていたのはアラスカのクリンキッド・インディアンのストーリーテーラー「ボブ・サム」だ。この春、絵を描くために屋久島に籠る前に、初めて彼とパートナーの「なおちゃん」と対面することができた。森の旅人の「KENTA&NAO」がボブ達を屋久島でガイドすることになっていて、その前に横須賀方面で顔合わせをするという時にご一緒させてもらったのだ。なおちゃんは昨年、高知のARTGYPSYツアーで出会った「さえちゃん」と繋がっていて私達のことは、このさえちゃんからさんざん聞かされていたようだった。私達はボブと一緒にしばらく森を歩いた。カラスが鳴いたので、いつもの癖で私もつい鳴いてしまったらボブは子供みたいな、いたずらっ子の目をして笑った。海の見える場所でランチをした時、私はNOBUYAから手渡されていた一枚のメモをポケットからおもむろに取り出した。「もしも、ボブにこのメモに書いてあることを聞けるタイミングがあったら聞いて欲しいんだ」そう言っていたNOBUYA。私は切り出した。「この紙にうちのだんなからの質問が書いてあるんですけど答えてくれますか?」微笑みながら頷くボブ。なおちゃんが通訳してくれた。「この世界に精霊達はまだいますか?」「YES」とボブ。「ではその精霊達は今の世の中をどう考えているのでしょうか?」とメモ。「それはちょっと愚問だな。そんな風に考えるのは人間だけなんだから。精霊達はただあるがままにそこに存在しているんだ。クリンキッドの言葉で精霊はアーニーという。そして我々のことはクリンキッド・アーニーつまり人間の精霊と呼ぶんだよ」ボブとなおちゃんが屋久島に滞在する期間と、私が滞在する期間が偶然にも完全に重なっていたことに驚き「今度は屋久島で!」と言って私達は別れた。

「nice to see you!」屋久島で再会したボブは初めて会った時とはまるで別人のように朗らかだった。あの時「やっぱりアラスカの森が恋しい。アラスカの動物達が恋しい…」とつぶやいていた彼も屋久島の森に癒され元気をもらったようだ。なおちゃんもとても喜んでいた。ボブは今「灯の巡礼」といってミュージシャンの「奈良裕之」さんと共に日本中を音と神話の語りで回っていて今回の屋久島でも数回行われることになっていた。再会の夜に益救神社で行われた彼らの奉納パフォーマンスは、その後森に1人籠って絵を描くことになっていた私にとって、多くのインスピレーションを与えてくれるものだった。「木々に話しかける時は、人間にするように話しては駄目だ。もっと歌うように話しかける方がいいのさ」「日本人はもっと森に触れるべきだと思う。都会の刺激ばかりを求めるんじゃなくてね…」ボブは寡黙な人だが、自分の興味を引く話題になるととたんに真剣なまなざしで熱く語り出す。自然に対する畏敬の念を我々人間は決して忘れちゃいけないと彼の魂は繰り返し伝えていた。海を見ながら「この海を守っているのは森なんだ…」とつぶやいている彼を見ながら、私は「森は海の恋人である」という言葉を思い出していた。

そんな精霊のようなボブと行くアラスカの旅が企画されているようだ。風の旅行社旅企画「ボブサムと行く南東アラスカ旅」6/22〜6/30の9日間。スペシャルな旅になること間違いなく、特に星野道夫さん好きにはたまらない旅内容となっているそうだ。問い合わせは風の旅行社担当、嶋田さんまで「ボブサムと行くアラスカ旅」と検索してもでるそうである。この旅にはもちろんなおちゃんが通訳として同行することになっていて、高知のさえちゃんも初めてのアラスカに心躍らせている様子。私は残念ながら東京で個展があるので今回はパスだが、いつか彼らと一緒にアラスカを旅することを夢みている。ボブが「ジュノーでも個展ができると思うよ」と言っていた。さえちゃんは今回そういうスペースを探すことも念頭に入れてくれているようだ。「私が二度目にアラスカに行く時はきっと∀の個展かもね!」高知の個展ではガイアシンフォニーの龍村監督を連れてきてくれたり、出会ったばかりだというのにもの凄くサポートしてくれるさえちゃんには本当に感謝している。そんな素敵な人達とともに行くアラスカの旅。興味がある方はぜひチェックしてみて欲しい。

きっと、たくさんの精霊達に出会う旅になるはずである。



 

_ 2012.4.7_>>>_満月


「浄化の時」

屋久島の森に1人籠り絵を描いていた。

「RED DATA ANIMALS」の新作である。その直前に京都で「ヴィパッサナー瞑想」の修行を終え、下北と高尾で「ARTGYPSY」としてアートショーをやり、すぐに旅立った。一人きり。周りに誰も住んでいない人の気配のまったくない森の中で、鳥や鹿や猿たちの声や川や風の音に包まれながら、今まで味わったことのない至福感の中で絵に集中することができたのは本当にありがたく幸せな日々だった。その森のアトリエは屋久島のファミリー「森の旅人」の「KENTA&NAO」が自分達のために借りることになっていた小屋だったが、まだ彼らが使用する前に、私が最初に使わせてもらうことになったのだった。2人は「まったくタイミングが良すぎるよね。私達が借りることになった途端、∀がここで描けることになったんだから。まるでそのためにこのアトリエが用意されたみたいじゃない!」と言って笑った。確かに出来過ぎだった。その前にヴィパッサナーの瞑想修行をすることができたことも、心と体のバランスや絵に100%集中するために最も適した準備体操だったのだと思う。瞑想にはKENTA&NAOも一緒に申し込んだのだが、奉仕者の人数が足りないということで2人は急遽、修行者側ではなく奉仕者側にまわり、私達の食事の世話や施設の掃除などをしてくれていた。「まるで私達はお抱えの∀の世話係だね!」とウケていた2人。

この瞑想修行はすべて、経験した古い生徒さん達からの寄付と奉仕によって成り立っている。私がヴィパッサナーに参加するのは今回が3度目だったが、実に15年ぶりだった。思えば15年前に2度目の修行を終えたあと、私はアーティストになったのだ。今振り返ってみればこの2つには充分に関連性があったのだと気づく。「ヴィパッサナー」とは物事をあるがままに見ることを意味するが、この瞑想法では執着や渇望をなくし、常に平静な状態を保つためにまずは呼吸へと意識を向け、物事を客観的に捉える訓練をする。そうすることによって過去に何度も陥ってきたネガティブなものを引き寄せようとしてしまう癖や生活の習慣から抜け出し、真の意味で新しい自分と向き合う心が培われる。その体験を実際に日々の生活の中に生かすことができれば、自然にすべてがシンプルになり対人関係や精神と肉体の健康にも変化が訪れ、光の方向へと進む道が開かれていくというものだ。ただそれを行うのは他人ではなく、自分自身しかいないということがポイントなのだが。

私は15年前のある日の朝「寝てる場合ではない!」という大きな声に起こされて目覚め、その時描いていた絵を持って東京の表参道へと向かいそのまま路上で絵を広げた。これが私の本当の意味での人生のスタートとなった。今回久しぶりに修行をやってみて、絵を描くことは瞑想をすることと同じだったのだということにも気づかされた。あの時、何者でもなかった自分と今、絵描きである自分が修行をすることには大きな違いがあった。より深い実践的な学びがあったのだ。このことを体験してからの今回の屋久島の森での籠りは、私にとって重要な意味を持つものになった。ヴィパッサナーでは10日間口をきかない。「聖なる沈黙」を守りながら瞑想をするのだが、それは外部からの刺激を避け、より自分と向き合うためである。制作の間は誰にも会わなかった屋久島での生活はまるで「1人ヴィパッサナー」でもあった。ただ食事の支度や掃除を自分でやるということ以外は。朝は4時に起き瞑想をしてヨガをして、それから山を降りて海に日の出を拝みに行き、戻って来てアトリエのある森の奥に鎮座する守り神の「あこうの木」にお祈りをしに行き、帰りはお風呂用の薪を拾い集めて掃除をし食事を作り絵を描く。ただただやりたいことをシンプルにやることのこの上ない喜び。それによって私は今生で一番の浄化を体験し、今までにはありえなかったほどの集中力とペースで制作することができたのである。このことは自分自身における計りしれないほどの可能性を感じさせてくれた。

KENTAやNAOのリクエストで仕上がった作品達を森の中で2時間だけ展示することになった。この森は2008年に私が初めて屋久島を訪れることになったきっかけを作ってくれた森だ。「RAINBOW PRAYERS」という祈りのイベントで私は絵を描いた。あの時と違って今回の展示は身内だけのミニミニ個展というつもりだった。ところが口コミだけで伝えられたにもかかわらず当日、森の中から色んな人々が笑顔で登場してくれたのだ。昨年の屋久島個展に来てくれた人達もたくさんいた。感激した。「ここで∀が絵を描いてくれてたなんて嬉しい!」口々にそう言ってくれるみんな。「森と∀の絵はぴったりだね!」とも言ってくれた。自然光に勝る光はなく、時の流れとともに移ろう光に照らされて絵は笑っているようだった。心地いい風が吹き抜けていく。森の中、絵を眺める人々と光。子供達の笑い声。その風景が美しすぎて涙がこぼれた。その朝、私は夢を見たのだ。森を歩いていると海からイルカが上がってきて小走りで私の方へ近づいてきてじゃれついた。私は「体が乾いちゃうから、もう海へ戻った方がいいよ」と忠告するのだが「そんなこと構わないのさ!」と言わんばかりにハグしてくるのだった。体に触れた感触も残っているほどリアルな夢だったので、目が覚めるとすぐにイルカに誘われるようにそのまま海へと歩いていった。すると大きな天使の羽のような雲が空一杯に広がってきてその中から神々しい朝日が顔を覗かせたのだ。とその瞬間、羽の上に虹がかかった。「す、すごーい!」その現実さえも夢のようだった。まるで森での個展を祝福してくれてるような気がした。嬉しくって、来てくれたお客さん達にその夢のことをたくさん話した。するとみんなは同じことを言ってくれた。

「∀がRED DATA ANIMALSを描いてることを動物達は知ってるんだよ。そのスピリットがサインを送ってきてくれたんだね!」



 

_ 2012.3.8_>>>_満月


「サイン」

出会うことの サインは

あちらこちらに ちらばっている

君と出会って

僕は ようやく目が覚めた

何も知らずに 何かを

たた 恐ろしいと思っていた頃の

僕とは もう違うんだ

 

出会うことの サインは

あちらこちらに ちらばっている

君と出会って

僕は ようやく目が覚めた

何も知らずに 何かが

たた 悲しいと思っていた頃の

僕とは もう違うんだ

君と僕が 出会うことのサインは

ずっと この星に ちりばめられていたのさ






 



_ 2012.2.8_>>>_満月


「RE DATA ANIMALS」

現在「RED DATA ANIMALS」の画集の制作が進行中である。

想像した以上に、すでにたくさんの人達がこの画集の実現に関わってくれていて本当にありがたくて胸がいっぱいの毎日だ。ライフワークのひとつでもある「RED DATA ANIMALS」を描き始めてから早11年が経った。この間にこれまたたくさんの「RED DATA ANIMALS」の作品が売れていたことに今回初めて気づき、感慨深い思いでいる。その作品達の幾つかが、画集に載ることになり、改めて撮影するためにそれぞれの持ち主達にコンタクトを取って作品を今一度手元に集めることになった。そんな大変な作業をこなしてくれたのは出版元「nico」のtaba。彼女は一生懸命に作品達の現在の居所を調べ、持ち主一人一人に辛抱強く連絡を取り、ここに集めてくれた。すでに手から離れた作品が里帰りするとは私自身、夢にも思わなかったことなので彼らが帰ってきた日はとてもドキドキした。11年ぶりに作品と対峙した時は、最初にこのシリーズを描き始めた時の気持ちが鮮やかに蘇ってきた。そして何よりも一番強く感じたこと。それは作品達が持ち主に本当に、大切に大切にされていることが作品のエネルギーから伝わってきたことだった。同じことをNOBUYAも感じとっていた。「絵を見ればわかるんだね。みんなキラキラしてる。こんなに大切にされていたら絵もきっと嬉しいだろうな。∀KIKO、オレたちは本当に幸せ者だな」私は胸の奥がキューンとなって涙がでそうだった。忙しい中わざわざ作品を里帰りさせてくれたみなさん、ありがとう。この場を借りて心からお礼を言いたいです。感謝しています。

そんな私は今「RED DATA ANIMALS」の新作の制作に取りかかろうとしているところだ。今年は画集の刊行とともに「RED DATA ANIMALS」の展覧会を各地で開催していきたいと思っている。まずは6月18日から7月22日にかけての一ヶ月間、代々木上原にある「FIRE KING CAFE」での展覧会が皮切りとなるだろう。ここのオーナーである阿部さんは以前からこの作品のシリーズのファンでいてくれたそうで昨年アートジプシーツアーに出かける直前にオファーがあった。会場のオーナーが作品のファンでいてくれることはアーティストにとってとても心強い。そして11月20日から26日は日本の神様達の天孫降臨の地、九州は高千穂での展覧会が決定している。そこは「高千穂のマチュピチュ」といわれている秋元村という聖地で、毎年この時期に「夜神楽」という国の重要無形文化財に指定されている神楽が夜から朝までこの村で舞われるそうで、舞う者も見ている者も一緒に神とひとつになるという経験をするそうだ。なんともワクワクする未来である。それはこの村の農家民宿ギャラリー「蔵之平」のオーナーである「君枝」が昨年の阿蘇での個展に来てくれたことがきっかけだった。それ以前から彼女は私のHPで作品を見て、秋元村のエネルギーと私の絵のエネルギーが同じだと感じているので是非うちのギャラリーで個展をして欲しいとラブコールをくれていた。実際、下見に行って驚いたのはまさに自分にぴったりだとあまりにもしっくりきたことだった。そのギャラリーは元牛小屋で当時の雰囲気をそのまま残していてとても情緒があった。壁には迫力のある神楽の写真が展示されていて神々の息吹を感じた。「ね、∀KIKOさんの絵にぴったりの場所でしょう?」そう嬉しそうに笑っていた君枝は、今から11月がとても楽しみでたまらないらしく既に色んなアイデアが浮かんでいるのだそうだ。2012年のルネッサンスに向けて私のやるべきことはただひとつ。創造し続けることだ。それはアーティストになった15年前から何も変わらない。全身全霊でアートすること。そのためには常に自分の魂を磨き続けるしかない。

もっともっとたくさんの人達に心から喜んでもらうために。



 



_ 2012.1.9_>>>_満月


「杜々」

高尾のファミリーである「さちよ+とも」が蕎麦と雑穀料理の店「杜々」をオープンさせた。

念願の開店に心からおめでとうと言いたい。2人ともよく頑張った。去年の10月からこの「杜々」の前のローカルな通りで「杜の市」というマーケットが、やはり高尾のファミリーたちによって始められ先日、新春の市に初参加したのだが、楽しそうな仲間達の顔がなんだか微笑ましくて嬉しくなった。丁度ツアーから高尾に戻る途中、お礼参りに伊勢に向かってる時にさちよから電話をもらった。「あのね、1月7日杜の市なんだけど∀KIKO出れないかなって思って。みんなも待ち望んでるよー」と。私とNOBUYAがツアーに出ている間に、みんなの心がこの「杜々」を取りまく市のお陰でひとつになっているのがわかった。ツアー先のあちこちでは色んな人達に支えられ、毎回出会った時にはすでに涙が出そうになるほど愛してもらえたことに日々感謝だったのだが、ここ高尾に帰ってきたら帰ってきたで、どの地域でも感じてきた本当の暖かさが待っていてくれたのだった。それは本当にほっとする瞬間。みんなでただご飯を一緒に食べたりとか、そんな当たり前で普通のひと時がたまらなく落ち着くのだった。

年末、開店直前のお店を見に行って驚いた。さちよが蕎麦屋を開店する時に飾るつもりだと言って購入していた私の絵があまりにもピタッと納まっていたからだ。「まるでずっと前からここにあったかのようでしょう?」と嬉しそうなさちよ。たしかに寸法といい偶然にしてはできすぎていた。この絵は、私がアトリエで描いていた時にさちよがたまたまやってきて、まだ三分の一くらいしかできていない絵を見て彼女が直感で「この木のもとで色んな人達が安らぎ集う蕎麦屋になると思う!」と何の迷いもなく決めたものだった。それはさちよの心の中にずっと宿っていた、精霊の樹そのものだったようである。この絵のタイトルは「MOTHER TREE」この木は実在した木でnociwとの散歩コースのお山の上にあり、いつも挨拶し抱きしめていた大好きなモミの木だった。この木のことが愛おしくなって絵を描き始めた。するとさちよが訪れたのだ。完成してからほどなくして散歩から帰ってきたNOBUYAが「悲しい知らせがあるんだ」と暗い顔をした。なんとあのモミの木が切り倒されていたのだった。意味がわからず、信じられなかった。「あの木こそ山で人々に安らぎを与えていたのに…」私は相当なショックでしばらくは彼女に会いにいけなかった。でもなぜかその木は絵となって今も高尾に留まっている。当初の予定ではさちよ達も四国に帰って蕎麦屋を始めるつもりだったのだ。それが彼らにもなぜかわからないが高尾で開店する運びとなった。MOTHER TREEは実態はなくとも絵となりスピリットとなって杜々の森で、これからもみんなに見守れながら生き続けることになったのだ。そのことがまた不思議でもあり感慨深くもあった。

どの地域でも、素敵に生きている人達と出会うたび、本当に輝いて生きるとはこういうことだと勉強させられる。輝いている大人達を見て育つ子供達の目はとても眩しい。アートジプシーツアーでは、その土地土地で沸き起っているエネルギーを肌で感じとることができた。自分のいる今ここを真剣に楽しんで生きる。そんな魂達。年齢なんて関係ない。そういう世界に私達はいつでもいくことができる。ここ高尾でも子供はみんなの宝物だ。お店がオープンしてとっても嬉しそうな杜々の子達「なるき+なな」も、そんな大人達に囲まれて日々成長している。近くに蕎麦屋ができたことは蕎麦好きにとってはたまらない。仲間にエネルギーを回せることも。これからの杜の市もできる限り参加していきたいなと思う。

ぜひ蕎麦と絵を味わいに来てください。うまいです。今年もよろしく。



 



_ 2011.12.10_>>>_満月


「ツアーファイナル」

2011年ARTGYPSY の旅もファイナルへと近づいてきた。

最後の個展開催地、四国は徳島の神山では個展初日が満月で皆既月食だった。この日はオープニングイベントとして∀&N ARTSHOW vol.1もあり、まさにツアーファイナルにふさわしい日となった。お世話になっている楽音落日の茶屋「楽々茶屋」の隣にオープンした「blue bear office」のギャラリーは、今回の「I Love nociw」展の皮切りとなった東京日野市にあるギャラリー「大屋」と驚くほどソックリで、しかもオーナーの主人がどちらもかつて照明と音響をやっていたというところまで一緒だった。展示を終えて楽音落日の「ひさ」さんと「まりこ」さんが「うわーっ。このギャラリーに∀の絵はぴったりやわー!」と、とても喜んでくれ私もNOBUYAも嬉しかった。二人の娘でシンガーソングライターの「宮城 愛」と神山に暮らすミュージシャン「サダ」にジョイントしてもらい満月のアートショーを終えた。今回それぞれのツアー地、阿蘇、屋久島、高知で毎回違うミュージシャン達とDJと絵と詩でセッションしてきて「こんなに楽しいことがあったのか!」と我ながら驚かされるアートショー。ジョイントするその土地土地のミュージシャンにも「本当に楽しかった。また来年楽しみにまってます!」と言われてその土地を後にし、故郷がいくつも増えた思いでいる。神山でのアートショーを終えてすぐにひさ&まりこさんから「これは一回じゃもったいないからもういっぺんやってや!」と言われ個展開催中もう一度やることに。実は高知の「ビスタリ食堂」では三日間連続でアートショーを行った。それも毎日違うミュージシャンと。あのドキドキがまた味わえるかと思うと楽しみでならない。愛ともアーティスト同士として接することができて、彼女もとても喜んでくれているのが伝わる。

ギャラリーにはnociwがいてnociwの絵とともに本物と出会い喜んでくれるお客さん達。すべての土地のギャラリーでそれが実現できたことが幸せだった。そのことは本当に心から感謝している。nociwが一番そう思っているだろう。高知でも幸せ過ぎてビスタリ食堂の「マットン」や「まぁみぃ」そして縁を紡いでくれた「さえ」ちゃんに、感謝してもしきれない。そのもとを辿れば屋久島の森の旅人「KENTA&NAO」へと繋がっていくのだが…。二人の愛を今も感じている。屋久島での個展もお陰さまで本当にすごかった。まぁ屋久島での話はまた改めて書くことにして、今はここ四国、神山での一日一日を大切にしようと思う。これから出会う人達に思いを馳せながら、アートジプシーツアーの締めくくりを思う存分味わうことにしよう。神山の人々も本当に素敵だ。言葉では表しきれない思いを胸にまた今日も一歩前へ。

出会ってくれたみんな、ありがとう。愛してます!

 

_ 2011.11.11_>>>_満月


「ARTGYPSY 阿蘇」

アートジプシーのツアー中で阿蘇にいる。日の国のパワーを強烈に感じる日々だ。

満月の日は弊立神宮で、親友「MARIO」の結婚式があり、次のツアー地である屋久島からファミリーが集結した。前日に弊立神宮の龍神池のすぐそばにある道場にみんなで泊まり、結婚式には仲間達が音楽の奉納演奏をし、静かで神聖な儀式が厳かに行われた。とても美しかった。神前に以前「KENTA」が奉納した屋久杉を磨いて作った龍の卵と昨年、弊立神宮に来たホピ族の酋長が奉納したトウモロコシの粉を入れた壷が並んで祀られていたのには感動した。ここは私もNOBUYAも大好きな神社だったし、この日にこうしてここに集まった仲間達とは、やはりともに何かをやり遂げる役割があるような気がしてならなかった。阿蘇で同時開催中の個展の会場のひとつであるそば屋「日出や」でパーティーがあり、MARIOの夫である日出やの主人「ひでぼー」の仲間達とともに二人の門出を祝ったのだが、本当に九州の人達のハートの熱さにはただただ圧倒されてしまった。

もうひとつの会場「narayana」は高尾の家の元隣人である「えいじ」と「まりこ」が開いた場所だ。そこにはえいじとともに敷地内に新たな遊び場を作るべく、住み込みで大工を手伝っている「やまさん」と「こうへい」がいて、彼らもまた、えいじと同様音楽が大好きなのだった。しかもとっても音のセンスがよくて、阿蘇の雄大な山並みを見ながらたき火をしたり、星をみたり、みんなでセッションするのが最高に楽しい個展の日々である。昨年からNOBUYAと始めた「∀&N ARTSHOW」のVOl.1もいよいよこのツアーからスタートする。絵と音と詩で何が表現できるのか?これから各地を回りながら、それぞれの地でアーティスト達と交わりながら、経験を重ね、クオリティを上げていけたらと思う。そして私達が目指しているアートでともに楽しむこと、来てくれた人達に心から喜んでもらえることを実現できたなら、私達にとってそんな幸せなことはない。理想を現実にする夢を抱きながら、これからも一歩一歩前進していきたいと思う。

とにもかくにも、こんな生き方ができるのは、すべて私達の回りにいる人の輪のお陰様だ。そのことを絶対に忘れちゃいけないと自分に言い聞かせる。彼らのことを考えると、その暖かさにいつだって涙があふれてきてしまうから。いつも一生懸命に応援してくれて本当にありがとう。感謝しています。屋久島に渡る前にこの阿蘇の地で、まだまだアートジプシーの足跡を残していくことになりそうだ。

明日が楽しみでならない。「わっしょい!」

 

_ 2011.10.12_>>>_満月


「I Love you」

個展が終わった。

新作展を行ったギャラリー大屋での初日は台風16号の上陸で外は暴風雨。こんな個展のオープニングは初めてだった。そんな中、龍の島、屋久島からファミリーの「KENTA+NAO」がやってきてくれた。「龍神様からのお祝いだよーおめでとー!」と励まされ始まったI Love nociw展。大屋は築130年の米蔵だったということもあって心が落ち着く空間だった。お客さんが「ここだけ周りと全く違うバイブスですね」と言っていたように外から見るとやはり、そこだけジブリなのだった。店の前に立つ2本のプラタナスの樹はまるで夫婦の守り神のよう。昔はここら辺一帯がプラタナスの並木で彩られていたという。目の前の通りは旧甲州街道で、新撰組の日野宿本陣も近く、大屋の前を新撰組の面々が闊歩していた様子が想像できる歴史のある場所でもあった。ここのご夫婦の「まゆみ」さんと「きむにー」は感じていた通り素敵な人達で、あまりに居心地がよくて故郷に還ってきたような思いがした。前日から我が家に泊まりに来ていた「タテタカコ」のライブも最高だった。nociwへのタカコの愛がビシビシ伝わってくるライブ。絵と音の場に集う人々の光景が太陽に照らされて輝いていた。nociwの絵に囲まれて歌うタカコが本当に幸せそうだったのも嬉しかった。DJ NOBUYAの音も最高でつかの間、百年の時を遡る旅へと誘ってくれた。nociwだらけの親バカ展は「見ていると体の奥からポカポカしてきて、今とても暖かいです」という人の声が多かった。「nociwの息使い、音までもが聞こえてきました」という人達もいた。愛も絵もエネルギー。みんな、そんなエネルギーを感じてくれているようだった。

愛といえば、もう一方の個展会場ajitoで行ったオープニングエキシビジョン「The beginning」のオープニングパーティーでの「宮城愛」のライブも本当に良かった。初めての東京で少し緊張気味だった愛は、高校生だった頃と印象が変わっていて、大人っぽく美しく成長していた。「あー。∀さんの絵に囲まれて歌えるなんて嬉しい!徳島で実現できたらと思ってたけど、まさか東京でそれが叶うなんて」と、とても喜んでくれた彼女。純真無垢な心から紡ぎ出される、その歌声に会場の誰もがハッとさせられたようだった。この日もう1人の出演者「junnos」も、クロージングパーティーの出演者「バゼルバジョン」も相当カッコよかった。この2組を合わせてきたajitoのキャプテン「U2」。元ミュージシャンだったこともあり、音にはかなり厳しい耳を持っているので流石だと思った。ご機嫌な音を聞いてますますご満悦のDJ NOBUYA。そんな中ajitoのスタッフはみな一生懸命に働いていた。彼らが「∀さんの絵の中で仕事ができたことが楽しかったです!」と言ってくれた時、U2からの申し出を受け入れて本当に良かったと思った。そんなU2やajitoと私達を繋げてくれたのがU2の彼女でありajitoのスタッフでもある「sora」だ。10年前から絵のファンでいてくれたというsora。彼女もまたピュアで繊細な心の持ち主。クロージングパーティーの前日、U2から電話がかかってきた。「実はsoraの誕生日が今日なんですけど、明日のパーティーで∀さんからsoraへのメッセージを何か言ってもらえたら、彼女すっげー喜ぶと思うんでどうかよろしくお願いします。これはサプライズなんで!」「了解!」仰せの通り、当日のポエトリーリーディングの中でsoraへの詩を捧げたのだが、キッチンから顔を出したsoraの驚きと満面の笑みを見てU2はとても満足そうだった。やはり愛に勝るものはない。

この日は、たまたま地域のお祭りで神輿が出ることになっていたのも驚かされた。その神輿がなんとajitoの目の前の建物に鎮座していたのだ。そこから出発して町を練り歩き再び戻ってくるというものだった。「僕も今日そのことを知ってビックリしたんですよ。まさか目の前から神輿が出てくるなんて、めでたいっすよねー」まさしく、我らのパーティーの騒ぎも気にならないほど地域の人々も大興奮していて、みんなが祭りの渦の中にひとつになっていた。神輿が出てきた時は、そのエネルギーの凄さに思わず店を出て、無心のまましばらくついて行ってしまったほどだ。そんな祭り騒ぎでajitoでの個展を終えて、翌日がいよいよ大屋での個展の最終日となった。「明日、最終日なんで僕また大屋に行きますね!」U2が言った。

大屋での最終日。「今日はね、お祭りがあるのよ」まゆみさんがニコニコ顔で言ってきた。「そっかぁー。今は祭りのシーズンでもあるんだなぁ。昨日といい今日といい、祭りで個展をしめることができるなんてラッキー」私は思わず嬉しくなった。最終日なのでNOBUYAもnociwもやってきて、やがてU2も現れた。「いやー。昨日はヤバかったっすね。いきなり祭りですもんね」「それがさ、今日はこっちが祭りらしいよ」「えっ。マジっすか?」その時、大屋の電話が鳴った。「はいはい。わかりました。じゃ、お待ちしてまーす」と、まゆみさん。「あのね、これからnociwを見に神輿がここにやってくるそうよ」「えっー!!」間もなく本当にやってきた神輿が目の前いっぱいに広がり、大屋を目がけて入ってきた。「す、すっげーっ!」昨日と同じメンツで昨日と同じ光景を目にしていた私達。何か強烈なデジャブに遭遇しているような気分だった。すると、中にいたまゆみさんが表にさっそうと飛び出して神輿を担ぎ出した。ハッピ姿の粋なきむにーも傍らで笑っている。「ホントにジブリみたい…」ただただそのエネルギーに圧倒されていたら、いつの間にかまゆみさんに手招きされ、気づくと私も初めての神輿を担いでいた。いや、担がせてもらっていた。本当に人生、いつ何がおこるかわからないものだなと思い、そんな自分が可笑しかった。こんな個展の最終日も初めて。実に天晴れだった。(笑)

このあと、阿蘇、屋久島、四国へとDJ NOBUYAと nociwとともにアートジプシーの旅に出ます。新作の「I Love nociw」シリーズの絵も一緒なので個展会場やアートショウ会場でお目にかかれるかもしれません。この2011年に、まだまだ絵と音を通して沢山の出会いが待っているのだなと思うと心躍ります。

ありがとう。愛をこめて。

 

_ 2011.09.12_>>>_満月


「The beginning」

いよいよ個展が始まる。怒濤の9月になりそうだ。

西荻窪にオープンしたギャラリー「ajito」と日野のギャラリー「大屋」。偶然、どちらも家に関係する名前だったのが、ふとおもしろいと思った。ajitoでのセッティングを終えて、やっぱり出会いって、縁って不思議だなーとしみじみ感じている。ajitoのスタッフ連中はそれぞれに皆個性的で、今まで私やNOBUYAの周りにはいなかったタイプだ。でも魂は私達の周りの仲間達同様、本当にあたたかな、地球レベルの価値観で生きている人達ばかり。搬入当日、ギャラリーがきれいに磨きあげられ清められていたことに感謝した。親身になって手伝ってくれた作業の後には、とびっきりのおいしい手づくりご飯。車座になってワイワイとやりながらの食事は実に楽しいものだ。まだ出会って間もないのに家族同然に接してくれるみんなを、そんなajitoを私は大好きになった。「凄い!いきなりギャラリーっぽくなったねー」「ほんと!いい感じー」みんなも展示をとても喜んでくれている。元ディスコクイーンだったという店舗の大屋さんも現れた。「まぁーっ。素敵!ごめんなさいねこんな恰好で。始まったらもっときれいにして来るから!」「いやーっ。ajitoの始まりが∀さんでホントよかったっす。ここをホームとしてこれからも使ってやってください!」キャプテンのU2はそう言ってくれた。ありがとう。「すべての人が自分なりにHAPPYになる為の道を持って生まれてくるはず。そんなHAPPYを手伝うことから自分のHAPPYも始まっていく。そう信じて仲間達とajitoを創っていきたい」という彼。今、何かをクリエイトしていて、これから自分を表現していこうと思っている人がいたら、U2と出会いにajitoへ出かけてみるのもいいかもしれない。きっと新しい扉をノックすることになるだろう。私にとっても「初心忘れるべからず」という大切な気持ちを思い起こさせてくれたajitoでの第1回目の個展。オープニングとクロージングのパーティーもとても楽しみだ。DJ NOBUYAもはりきっているしね。

大屋は築130年の米蔵が改装されたギャラリー&カフェ。酒蔵と同じく神聖なお米がずっと座っていた場所だから気がとてもいい。店内の梁なども昔のままなのでいい味でているし。オーナーのまゆみさんはティーコーディネーターだから紅茶がおいしいくて、コーヒーの飲めない私には嬉しかった。いつもニコニコ優しい目をした旦那様は元PAと照明をやっていたそう。ここのご夫婦は本当に自分たちの好きな事を、思いっきり楽しみながらやって生きているといった感じで実に幸せそうなのだ。幸せそうな夫婦というのは、安心感がある。こんな2人に見守られながらの個展だから楽しくなるだろうな。ここで個展を開催することになったのは2人が我が家のオオカミ犬「nociw」を気に入ってくれたことも大きかったが、高尾仲間のアーティスト「Ague」が昨年、この大屋でアイヌの木彫作家「藤戸幸夫」さんと2人展をやったので見に行った時、会うなりすぐに「∀さんもここで絶対やった方がいいよ。いや、ほんといいから!」と言ってきて、幸夫さんまでもが「もう日にち決めて帰った方がいいんじゃない?ねっ!」と念を押してきたので「きっとこれは彼らの背後にいる方々が積極的に勧めてきているんじゃないか?」とも感じて素直に受け入れたのだった。2人が強く勧めてくれた理由はきっとこのご夫婦の人柄にもあるんだろうな。すぐ近くにある八坂神社のお祭りをこよなく愛している2人。お祭りの話をする時、いつも目がキラキラと輝いているのが印象的だ。この大屋では新作を発表する。愛犬nociwを描いた「I Love nociw」展。もうホントそのまんま「nociw大好き!」という思いを、ただただストレートに絵に表現した今回の新作。まったく親バカ以外の何者でもないけど、nociwと一緒にいる時にハートの奥からこんこんと湧いてくる愛が、私に彼女を描せてしまった。そんな愛をぜひ感じに来てください。

大いなる始まりの時にいる。今まさにそんな予感。

 

_ 2011.08.14_>>>_満月


「出会い」

先日、高尾の近くのアーティスト達が暮らす町、藤野町で開催された芸術祭「ひかり祭り」に初めて呼ばれて参加した。

NOBUYAはDJで、私はARTで。夫婦で祭りに参加したのは初めてのことだったので記念すべきスタートとなった。ひかり祭り自体は今年で8年目だったようだが、昨年から実行委員が初期のメンバーから次世代の若手にバトンタッチされたらしく、ありがたくもその若手のスタッフ達からお呼びがかかったのだ。初めての試みとして電力は100%自家発電でまかなうと聞いて、どうなるんだろうとワクワクした。「途中で電力が足りなくなるのでは?」とのスタッフ達の心配をよそに、最後までまだまだ充分余っていたようで、彼らも「やればできるんだ!」という自信に満ちたいい顔をしていた。会場は廃校になった小学校。私の展示スペースはDJスペースでもあり、案内された教室は昨年「サヨコオトナラ」のニューアルバム「トキソラ」のレコーディングに「遊びにおいでよ!」と誘われてお邪魔した教室だった。あの時の和気あいあいとしたレコーディング風景が思い出されて、なんだか懐かしかった。その同じ部屋がダンスフロアや、ライブ会場と化していた。1年に1度の大人の夢の教室だった。

物販ブースは学校裏の森の中。スタッフのhakaが「この樹の下なんてどうかな?唯一地面が平だし、入り口って感じで∀にぴったりだと思うけど」と、すすめられるままお言葉に甘えてその場所にお店を出すことに決めた。キャンプサイトはまたその奥でそこは山の斜面で全部が斜めになっていたのでNOBUYAは「自分の寝場所は自分で作る!」と、土地を平に開墾するところから始めていった。3日間テント生活をしながらの祭り参加。夜はローソクの明かりだけで、森に調和した本当の暗さを味わうことができておもしろかった。我が家のオオカミ犬「nociw」はといえば、森の物販スペースには他に犬もいなかったので自由にさせていた。大抵いつ見ても私のブースの樹の下に寝ている印象だったので、ずっとそこにいるもんだろうとばかり思っていたら、お客さんに「あぁこの犬、下のグランドの受付の前でいらっしゃい!って感じでみんなを迎えてくれてましたよー」と聞いてびっくり。他にも色んなブースに立ち寄っては自分の寝場所を見つけて、くつろいでいたようなのである。最後の日のトリでライブをつとめた「システムセブン」私達は懐かしく、かつてのゴアを思い出しながらステージは見えない端っこの方でガンガンに踊りまくっていたのだが、終了後仲間達から「nociwがおもしろかったよねー」と聞いてまたまたびっくり!nociwはなんと会場が踊りの渦に酔っているその時、ステージにさっそうと姿を現し、余裕の表情で歩き回ったり、座ったりしていたのだという。同じ瞬間を、お互い楽しんでいたんだなと思うとおかしかった。

ラビラビの「あづみ」と「ナナ」がブースにやってきた。彼らはグラウンドに設置されたメインステージでのライブのトップバッターだった。「∀さんっ。やっと会えました。会いたかったです!」と笑顔で声をかけてくれたあづみ。お互い存在を知ってはいたが、どうやらこのタイミングで本当に出会うことになっていたようだ。「私、∀さんを知ったのはウォーターグリーンっていうイベントで…」そうだ。私もあの時、初めてラビラビを聞いたのだった。「縄文トランス」って響きがいいねーと思ったし、芝生の上で気持ちよく踊らせてもらったっけ。ナナは、この日初めてデビューした新しいグッズの、オオカミのガラスのペーパーウエイトを手にしてずっと空を見上げていた。後で彼女が「これ聞いてください!」とラビラビのニューアルバムをくれたので「じゃあ物物交換にしようよ!」って言ってそのペーパーウェイトをあげたら本当に飛び上がって喜んでくれた。素敵な人達だなと思った。後日あづみがメールで「ラビラビと∀さんとの間には色んな共通項があるような気がしてなりません…」と送ってきてくれたが、私も実に同感だよ。

6月に開催したアトリエ展で、2度目の再会をして初めてちゃんと話をしてつながった「U2」彼がプロデュースしているお店「マミランド」も出店することになり、そこのオーナーの「マミ」さんを連れてきてくれた。「ぜひ、うちでも個展をやってください!」マミさんは親切にそう言ってくださった。U2に出会ってから彼が更なる出会いを運んできてくれるようになった。そもそもはU2の彼女の「ソラ」が10年前から私の絵のファンになってくれていたらしく、昨年2人が出会ってU2が私を知るようになったとのこと。2011年の年頭には「今年じゅうにオレは絶対に∀さんとつながる!」とソラに誓ったそうだ。すべては愛するソラのためでもあっただろうが、私とNOBUYAはこの出会いにとても感謝している。彼は9月に西荻に「ajito」というギャラリーをオープンさせる。そのオープニングの展示を引き受けることになった。ソラも絵を描いているので「一緒にできたらおもしろいね」と話しているところだ。19日には四国は神山からデビューした友人のシンガーソングライター「愛」がこの会場でライブを行う予定だ。9月21日から10月2日までは新作親バカ展「I Love nociw」が日野で開催される。23日にはタテタカコがライブで登場することになっている。西荻窪と日野、中央線1本でつながっている会場。2つの個展をぜひハシゴしながら楽しんでほしいな。

出会いは自分を変えていく。かたくなだったものを手放した時、色んな世界がつながってくる。

 

_ 2011.07.15_>>>_満月


「旅立ち」

アトリエ展が終わって引っ越しのただ中にいる。

1ヶ月の個展開催は長いようであっという間でもあった。次から次へ訪れて来てくれる人々との出会いに、ただただ感謝しながら過ごす日々でもあった。
お腹の中にいる命から0歳児、もうすぐ100歳になるという大先輩まであらゆる世代がこのアトリエに足を踏み入れてくれた。今まで籠りっきりでひたすら制作に励んできたアトリエに、これほど多くの人達がいることを想像したことはなく、毎日がまるで夢のような光景だった。笑う人、泣く人、眠る人、絵を描く人。別々に来てここで知り合い話に花を咲かせている人。「ここで出会うと初めてでも、すぐに深い話ができるから不思議」と言っていた人がいた。「何度も訪れてしまうのは、ここがまるで子宮の中にいるように落ち着くから」そう言ってくれた男性や女性。みんなが言葉ではなくこの空間に身を置き、絵を見ることによってそういう感覚を抱いてくれたことに私は感動していた。「とにかく帰ってすぐに絵を描きたい!こんな気持ちは久しぶりです」絵を描くことが好きだったという多くの人達が口々にそう言っていたのも絵描きとして本当に嬉しかった。

近くに「駒木野病院」という精神科の病院があって、そこのスタッフの方が来た時にとても感動してくれて「患者さん方を散歩に連れて行く時にここに寄らせてもらえませんか?」と聞かれたので「ぜひ!」と答えたらそれから寄ってくれるようになって、いつもオープンして一番のお客さんとなっていたので彼らが来た時は「うわーっ。今日も神樣方がいらっしゃった!」と嬉しくなったりした。「実は患者さんの中には絵を描く人が多いんです」と聞いて「なるほどー」と頷く部分が多かったのだ。一人一人がそれぞれの仕草で夢中に絵にハマっていて、その光景だけで絵になるような、まるで映画のワンシーンのような微笑ましさがあった。「ここはいやされるなー。この絵好きだな。またここに来たいな」ある患者さんがメッセージをノートに残していた。

結婚したての若い夫婦が、アトリエ展を見てから結婚指輪を買いに行く予定でいたのに「指輪ではなく絵にしよう。生涯の思い出に!」と2人の意見が一致して結婚記念絵にしてしまった。信じられなかった。普通は特に女の子だったら指輪の方が欲しい!と思うのではないのか?まったく今時の若者達は素晴らしすぎる。自分たちの価値観でちゃんと生きているのだ。アトリエで婚姻届けに証人としてNOBUYAと2人で署名捺印をする幸せな儀式もあった。出産を翌週に控えた妊婦さんに、たまたま訪れていたディジュリドゥー奏者が「この部屋はただごとではない」と多くの人が言っていた「RED DATA ANIMALS」の間でお腹の子に地球の響きを届けるという儀式も突然行われた。偶然に居合わせた人々が母親と子宮の中の子を取り囲み出産の無事を祈り誕生の時を祝福した。子供は地球の宝物。そんな意識が自然に広がりそこは神聖な場と化していた。

最終日の天気は今でも忘れられない。最初は雨。それも半端じゃない土砂降りの雨。窓を全開にしたアトリエはまるで滝の内側にいるような清浄な世界だった。そして雷。それも半端じゃないスケールのドラムのオーケストラ。それでもお客さんはやって来た。全身ずぶ濡れになって。「いやーっ。浄化ですねー」「龍神様が来てますねー」そんな状況さえも楽しんでいるようだった。それが次第に雨があがり、まさかの青空が現れた。神々しいほどの眩しい光。美し過ぎるほどの夕焼け。「うわーっ!」みんな庭に出て自然界のドラマに酔いしれた。最後にふさわしい空を神様は見せてくれたのだった。それまでも「なんかここ、居心地が良くて根が生えたみたい」と、長居するお客さんが多かったが、この日は最終日とあってクローズ時間になっても人の波はいっこうに収まる気配はなかった。「なんでこんな素敵なアトリエがなくなっちゃうんですか?ここ大好きです!」と皆、口々に名残惜しんでくれていた。アトリエも嬉しかっただろうな。これだけたくさんの人々に喜ばれて。最後に個展を開催して本当によかったと、心からそう思った。

お休み処に使わせてもらっていた家に、前に住んでいた「藤原のお母さん」がやってきた。「あっこさん、今日で最終日ね。おつかれさま。これみんなで食べて」大皿に盛られた美味しそうな料理たち。きっと朝から準備をしていたに違いない。そこにはなんとお赤飯まであった。「だってめでたい旅立ちじゃない」お母さんの愛が伝わってきて、とめどなく涙があふれてきた。「ここから居なくなっても高尾にはいるのよね?絵が見たくなったら連絡するからね」今回の個展にお母さんはたくさんの近所の友達を連れてきてくれていた。こんなに暖かい近所づきあいは東京に出て来て初めてだ。高尾のシャイで優しい人達に私は見守られてきたのだった。夜は更けもうすぐ日付けが変わろうとしていた。最後にここでみんなと踊った。自分が何者かなんて忘れて、ひたすら子供のように無邪気に踊った。言葉はいらず、輪になって夢中で踊っているだけで、みんなとひとつになった。楽しくて楽しくて笑い声がアトリエに溶けていった。「この建物はなくなっても、このエネルギーは永遠にここに残るでしょう」お客さんの1人が言った。

ありがとうアトリエ。おつかれさまでした。

 

_ 2011.06.16_>>>_満月


「砂曼荼羅」

アトリエ展が始まった。毎日ワクワクしながら過ごす日々が続いている。

辿りついた人々は言う。「いやーほんと、気持ちのいい所にありますねー。」思わず靴下を脱ぐ人もいる。旧甲州街道から1本わき道を入った、時折甲府方面へ走る中央線の音が聞こえる田舎の風景。「でも、ここも東京なんですよね。」「そうなんです。」みんなはまずホッとして、荷物をおろし、深呼吸をしてそれからゆっくりと作品を見ていく。「うわぁーっ!」創作の場だったこのアトリエで初めて開く個展は、ここで生まれた作品達も喜んでいるように見える。そして何よりアトリエ自体がとても嬉しそうだ。お客さんの登場の仕方も、歩いてくる人、バスで来る人、1週間後赤ちゃんが生まれるというお腹でタクシーで駆けつけてくれた妊婦さんや、高尾山をひと登りしてから爽やかな笑顔で現れる人など実に様々。年齢も世代もジャンルも超えたあらゆるタイプの人々がやってきているのも、ここ高尾の土地柄だろうか?自分の生活と創作の場である今の地元で、こんなにリラックスしながら個展ができるなんて本当に夢のようである。

この感覚は、かつて私が2000年から2004年にやっていたギャラリー「nociw」でおこなっていた個展の感覚にとても近い。やはり自分の場所で、何の制約もなく自由に気ままに表現できるというのはアーティストにとっては最高だなと実感する。ギャラリー時代にも庭にストーンサークルがあったが、このアトリエでもつい作ってしまった。ここはいつの時も子供達の恰好の遊び場である。今回の個展は初めてのアトリエ展ということもあって、初期の未発表作品も結構あり、ファンの人達にとっても新鮮だったようで「1回ではとても見切れないです。それにここは気持ちがいいし。」とリピーターが多いのも嬉しいことだ。アトリエの隣の家は「ハスの間」というお休み処にしていて、高尾の湧き水も自由に飲めるようになっているので、次に来る人はちゃんとおやつやお弁当なんかを持参してきている。「ハスの間」では自由にお絵描きもできるようになってる。子供と大人がひとつテーブルでお絵描きを楽しんでる様は見ていて実に幸せな気分になるものだ。ゆうべ仕事で徹夜で寝ないでそのまま個展にやって来たという人は「あーっ。気持ちいいー。」と、ここでしばらく睡眠をとっていた。色んな人達がこの場でつながってくれたら嬉しいなと思っている。

毎日どんな出会いが起こるかわからない。それが個展の醍醐味であり、面白さだ。でも日々実感しているのは、私はこの出会いに生かされているということ。見回せば私達が高尾に越してきた7年の間に、たくさんの仲間達が集まってきた。とくに私達の身近にいる家族のような仲間達には助けられることが多く、感謝の念に耐えない。今回もたくさんの出会いををこの個展にもたらしてくれている。そして、こんなお山の麓まではるばるやって来てくれるお客さん達。そんな彼らに「やっぱり来てよかったです。言葉では表せないものを受け取りました!」と言われた時、そんな感覚を味わってもらえたことが何より嬉しいと思う。この満月を境に個展も後半に入るが、これからが益々楽しみになってきた。来月アトリエを出た後は、この建物自体がこの世界から消えてなくなるのだなーと思うと感慨深いものがあるが、それもまた砂曼荼羅のように次の世界へつながっていくことを想うとすべてが愛おしく思えてくる。そんな時を、訪れたみんなと一緒に過ごせることに幸せを感じる毎日だ。

今日も「ありがとう!」感謝しています。

 

_ 2011.05.17_>>>_満月


「アトリエ展」

6月から始まるアトリエ展の準備にバタバタの日々が続いている。7月に取り壊わされることになっているので、引っ越しも兼ねてとなると結構整理も重要になり思ったよりも時間がかかっているのだ。

新しいアトリエは中々いい物件が見つからず、当面は隣に住む「タケオ」の部屋の一室を借りて創作活動をすることになった。思い立ったらすぐに制作ができるという点ではすごく楽になるが、広さは今のアトリエに比べるとぐっと狭く、これからはNOBUYAのDJとしての音楽スタジオも兼ねることになるので、無駄なものは今以上に省きながら頭を使ってスペースを有効に使わなければならないというのが目下の課題だ。でもやっぱり、これからがとても楽しみである。そしてその前にこの大好きだったアトリエで個展をやれるということ。そのことを今、最高に幸せに感じている自分がいる。高尾の仲間達からは「∀のアトリエで個展をやったらいいのに!」という声はあったが、まさかこういう形でそれが現実になるとは思ってもみなかった。アーチストである私のことを気に入って、この物件を貸してくれた先代の大家さんからは「こんなボロボロでも自分たちで直して住んでくれるなら嬉しいよ。せっかくだから、どうかひとつ長く住んでほしい。」と言われていたからだ。亡くなってからもう何年になっただろう…。

アトリエの前に、同じようなボロ家がもう一件ある。同じ大家さんだ。そこに住んでいた素敵な藤原家の人々は先に三件隣に引っ越していった。大家さんにお願いして個展開催中の一ヶ月間、その空き家を使わせてもらえることになった。が、開けてびっくり!居間以外の部屋はすべて床が陥没していたのだった。以前から藤原家の人々はすごい!と感じていたがやはり彼らは本物だった。その唯一無事だった部屋は来てくれたお客さん達のお休み処にしようと思う。アトリエ展の情報を聞きつけて、またもや屋久島から仲間達も上陸してくるとのこと。ここ高尾から先日屋久島に移り住んだ仲間の「Dai」ファミリーや、現在屋久島に車で旅行中の高尾の仲間「ヤーマン」「taba」「舞」など。本当に屋久島と高尾は今、急速な勢いで結ばれてきている。私には森がそれを促しているような気がしてならないのだが。

とにかく、6月1日に幕が開くアトリエ展。本当にこの場所の最後にぴったりの終わり方だなとつくづく思っている。アトリエも喜んでくれているに違いない。それにしてもいったい、こんなお山のふもとに、どこからどんな人々がやってくるんだろうか?出会いは不思議だ。きっと1ヶ月後の6月30日には、そのエネルギーからの答えを受け取っているんだろうな。でもまずは今やるべきこと、準備に集中して精を出そうと思う。この計り知れないほどの、ワクワクとした気持ちを携えながら。感謝とともに。

アトリエでお待ちしています。

 

_ 2011.04.18_>>>_満月


「あきつしま」


いにしえの

やまとのくには あきつしま

うちなる ちから たずさえて

あちら こちらで おつながり

ひとびと みなも

よを うつすなり


いにしえの

やまとのくには あきつしま

さらなる ちえを たずさえて

あちら こちらで おつながり

ひとびと こころ 

ちに そわせけり


いにしえの

やまとのくには あきつしま

ゆたかな みのり たずさえて

あちら こちらで おつながり

ひとびと わらい

てを あわせたり

 

_ 2011.03.20_>>>_満月


「ことだま」

いづこの かなた

よも いはせぬる

みなそら うみなれど

はねる まわる

いのちが もと

くにせの ことあらん

とも すれぞ

よの きわに

たち いでること

ことばの ありがたき

たまによる このしまなり

かりずまわれ

たてのくち よこのいまを

かわりなく いくことよ

おもい ねがわん

それとて こその

はなれ いずれぞ

おまつりの わの

みたまを おろし

ひのなる ほうへと

まず あゆみける

 

_ 2011.02.18_>>>_満月


「パチャママ」


もしも今 おまえが 踊れないのなら 

笛を吹き 太鼓を鳴らしてみるといい

その体は 宇宙の器

地に根をおろし 天とつながる

尊い器


日々の神聖さに 気づかぬふりを してちゃいけない

けなげにも お前の魂は

その光を 失うことなく

影にもたれ うち震えていた


さあ

もう いいよ

もう なにも

恐れなくて いいんだ

 

_ 2011.01.21_>>>_満月


「ミラクル」

この空からの眺めに 境界はない

国の違いも 信仰の違いも そして種の違いさえも

この空からの眺めに 境界はない

命の種が 命の花を咲かせ 命の果実を実らせているだけ

この空の自由さを 分かち合い

愛し合うことができた時

奇跡が起こるかもしれないと きみが言った

この海からの眺めに 境界はない

国の違いも 信仰の違いも そして種の違いさえも

この海からの眺めに 境界はない

命のリンが 命のアワを咲かせ  命の音を響かせているだけ

この海の自由さを 分かち合い

許し合うことができた時

奇跡は起こるかもしれないと きみが言った

 

_ 2010.12.21_>>>_満月


「ナーガ」

わたしは ナーガ

おまえの体に ぐるぐると巻きつき その魂を 昇華させる

いにしえの知恵を たずさえて

この地に降り立ち この道の真ん中で この身を横たえ

その抜け殻を 今 見ている

わたしは ナーガ

おまえの心に ぐるぐると巻きつき その魂を 昇華させる

かなたへの啓示を たずさえて

この地に降り立ち この道の真ん中で この身を横たえ

その抜け殻を 今 おまえと見ている

おまえの中に わたしは宿り その命の光を 輝かせよう

やがて おまえは思い出す

本当に大切なものは 何だったのかを

おまえの中に わたしは宿り その命の光を 輝かせよう    

この力を 覚えていなさい

心は 研ぎすませておくように

わたしは ナーガ

おまえのわたしに ぐるぐると巻きつき その魂を 昇華させる

在るがままを たずさえて

この地に降り立ち この道の真ん中で この身を横たえ

その抜け殻を 今 おまえと見ている夢を 見ている

この地に ふたたび降り立つ その時まで

 

_ 2010.11.23_>>>_満月


「Earth Tribes」

満月の夜、高尾の山奥にある「Earth tribes」でのイベントに参加した。

それは屋久島から来たファミリー「森の旅人」の「KENTA&NAO」の屋久島の流木を磨くワークショップだった。数か月前にKENTAから「11月に友達の結婚式で東京に行くからその時に会いたいな」と知らせがあって、都心で1回ワークショップをやるから高尾では私達と、ただのんびり過ごしたいと言っていたのだが、結局都心でのワークショップの人員がオーバーしてしまい、あぶれてしまった人達のために何とかしたいということで、高尾でも再び行うことになったのだ。今回も「nico」の「taba」が動いてくれた縁で「ウレシパ・モシリ」の祭りの主催者「Dai」ちゃんのギャラリー&カフェ「Earth Tribes」が開催場所に決定した。KENTAの要望でサウンドはDJ NOBUYAが担当「∀の絵もみんなに見て欲しい」ということで何点かを持って行くことにしたのだった。

前日セッティングに行ってウレシパ・モシリ以来久しぶりに「Dai」ちゃん夫婦に会った。「また∀さん達に会えるのを楽しみにしてました!」と2人。Daiちゃんの腕の中には赤ちゃんが眠っている。前回は挨拶を交わした程度だったので今回、初めて彼らとゆっくりと話すことができて本当に嬉しかった。話せば話すほど、この出会いが必然であるような気がした。古民家を自分で改装したという家兼お店はとても素敵で彼のマメさとエンターテイナーっぷりを現していた。フォトグラファーでもある彼のエチオピアの写真の中の子供達が笑いかけてくる。「ほんと、どこでも勝手に動かしてセッティングしちゃってください」とDaiちゃん。私達は美しい中庭に面した廊下にあったソファーの前をDJブースにして、その後ろにフラッグアートを飾り、当日この中庭にも絵を飾ることにして廊下に物販コーナーを作った。すると、不思議とこの家とその光景がマッチしていてDaiちゃんも「いいコラボレーションになりましたねぇ」と満足していた。「これはKENTAもNAOもきっと大喜びするだろうなー」と思い、私もNOBUYAも嬉しかった。

当日、雨があがって現地に駆けつけるとKENTAとNAOがすでにセッティングにかかっていた。「わーい!」お互い固いハグを交わして再会を喜びあった。5月の屋久島個展以来だったが、こうして会うと久しぶりのような気がまったくしなかった。案の定、紅葉真っ盛りの環境とこの家がとっても気に入った様子の2人。次々にやってくるお客さんたちからも喜びの声が上がっていた。みんな思い思いの場所で、自分が選んだ流木をひたすら磨く。途中KENTAたちが最近ハマっているという「ラフティヨガ」をやったりDJ NOBUYAの音でダンシングしたりと息抜きもあっておおいに盛り上がった。そして「森の旅人」のブログから私の絵を知りファンになってくれて、ずっと会うのを楽しみにしていたという人達が、たくさん来てくれたのにはとても驚きだった。KENTAとNAOの愛を感じた。

そんな彼らと私達の共通のファミリーが屋久島からまたまたやってくる。その名は「なーや」彼もまた屋久杉を磨く「玉磨き教室」と自ら演奏するクリスタルボウルのライブをセットにして日本中を駆け巡っているのだが、12月7日に高円寺で行う∀&N ART SHOWでも屋久杉玉磨き教室とライブをやってくれることになった。この日の会場もとてものんびりとした素敵な場所である。当日が楽しみだ。もうすぐ、なーやの家族全員で我が家にやってくることになっているし、いったいどんな屋久島旋風が吹き荒れるんだろう。今回のアートショウをサポートしてくれている「マリオ」とは今年の屋久島個展で初めて出会ったのだが、すでにみんなの家族だった。結局、どんどん輪はつながって屋久島と高尾はこれから、もっと深い絆で結ばれていくのだろうなという予感がする。私とNOBUYAも夫婦で「アートジプシー」としての活動もしていこうということになって、今回のアートショウがそのVol.0になるが、応援してくれるまわりのみんなの、深く暖かい愛をひしひしと感じて、本当にありがたいと思っている。「1人1人がみんなアーティスト」昔からずっとそう思ってきたことが、最近、目の前で実感できる機会が増えて本当に嬉しい。

「Earth Tribes」そう、私達はみんな地球の民だもんね。

 

_ 2010.10.23_>>>_満月


「アートジプシー」

今 ようやく時がきたのだ

あなたが もっとも あなたらしく生きる時が

わたしが もっとも わたしらしく生きる時が

わたしたちは きっと ふたつでひとつ

そうでなければ これほど長い年月を どうして一緒にこれただろうか

わたしたちは 知っているはずだ それを 今まで 思い出せなかっただけのこと

遠い遠い記憶の中に 約束を置き去りにしてきただけのこと

アートジプシー これからは じぶんたちを そう名づけよう

世間の何ものにもとらわれずに 自由に生きていく

わたしは絵で あなたは音で

わたしは詩で あなたは言葉で

わたしは月で あなたは太陽で

この肉体に宿ったわたしは その肉体に宿ったあなたと

愛し 愛され 涙を流す


そして とうとう時がきたのだ

あなたが もっとも あなたらしく生きる時が

わたしが もっとも わたしらしく生きる時が

わたしたちは やっぱり ふたつでひとつ

そうでなければ この広い地球上で どうして同じ場所に降り立っただろうか

わたしたちは 知っているはずだ それを 今 思い出しはじめたところ

深い深い記憶の中の 約束を拾い集めてみる

アートジプシー これからは じぶんたちを そう名づけよう

世間の何ものにもとらわれずに 自由に生きていく

わたしは目で あなたは耳で

わたしはダンスで あなたはリズムで

わたしは女で あなたは男で

この肉体に宿ったわたしは その肉体に宿ったあなたと

愛し 愛され 微笑みを交わす


あなたとわたしは ふたつでひとつ だからひとりでは 半分の幸せ

あなたとわたしは ふたつでひとつ だからあなたの幸せが わたしの幸せ

この有限の体に 無限の愛を受け止め

時が尽きるまで 命の火を燃やし続けよう

せっかく こうして わたしたちが

今 ここに いるのだから

 

_ 2010.09.23_>>>_満月


「ウレシパ・モシリ」

私の暮らす高尾の、とあるキャンプ場で「ウレシパ・モシリ」というアイヌ語で「互いに育みあう大地」というお祭りがあった。

「サヨコオトナラ」のサヨコに「私も歌うから是非来て!」と言われていたが、私も一週間前くらいに、突如そこで物販をすることになり参加することになったのだった。「nico」の「taba」が物販担当でもあったので荷物は彼女に託し、私達は当日、朝8時からスタートするという「カムイノミ」に参加するために家を出た。着いてみると、もう始まっていたので後ろからそっと覗いてみた。北海道から来たシャーマン「アシリ・レラ」さんがいて、後ろにたくさんの若者達が座っていた。一瞬、私はその光景に色んな意味で驚きを感じた。そして「この大地は祈りを必要としているのだな。」とふと思った。このお祭りの代表の「Dai」ちゃんは、エチオピアで写真を撮ったりしているカメラマンで、つい2ヶ月前くらいにこっちに越して来たばかりだった。「はじめまして!Daiです。実は以前、友達に∀さんの画集をプレゼントされたことがあって昨年、藤野でやっていた個展にも行って∀さんの来るのを待ってたんですけど、残念ながら会えなかったんですよ。でもあの個展に行ったことが、こっちに越してくるきっかけのひとつにもなったんです!」「えぇーっ。そうなんだ。でも今日ここで初めて出会うってことだったんだね。」サヨコからも「絶対紹介したい!」と前々から言われてたので「どんな人なんだろう?越してまだ2ヶ月しか経ってなくて、赤ちゃんも生まれたばかりというのにもう祭りを実現させてしまうなんて、すっごいバイタリティだな。」と思っていたのだ。でも実際会ってみると、なんか親しみやすーいという感じで安心した。「最初は僕の頭の中で、ふと浮かんだことだったんですけど、口に出してみたら、みんな手伝うよって集まってきてくれて、ほんとありがたいです。」「そっかー。」うん。なるほど。彼ならば、人が集まってくるというのも頷けるなーと思った。2日間のうち、1日目は「男性的なお祭り」、2日目は「女性的なお祭り」というテーマになっていたのもおもしろかった。

物販ブースを見つけた。「おはよー。」「おはようございまーす!」tabaの他にも女の子が3人いた。神戸からきている子もいた。「ここで会ったのもなにかのご縁ですねー。よろしくお願いしまーす。」揃いも揃って、みんな心のきれいな可愛子ちゃん達だったので、物販ブースが落ち着く場所となった。サヨコがこの日、お話をすることになっていた縄文エネルギー研究所の「中ヤーマン」を紹介してくれた。「はじめまして。」「どーもー。中ヤーマンです。」私の中では、なんかもっと違う感じをイメージしていたのだが、実際は本当に普通な感じでとても楽な人だった。「君とはね、北米インディアンの時代、それもすごーく古い時代に深い関わりがあるよ!」「へーっ!」やっぱり中ヤーマンは相当面白いヤツだ。出会えてよかった。そうだ、この日「サヨコオトナラ」のニューアルバムが届いた。ジャケットは私の絵。サヨコがアトリエに選びにきたのだ。この絵は2008年に、日本が古来より秋津島といわれていたことに思いを馳せて描いた「秋津シリーズ」の8枚の中から、サヨコが選んだものと奈良大介が選んだものが抜擢されている。「オレはさ、先にサヨちゃんからこの絵を見せてもらって出会ってるじゃない?これ見た時、まさに今の時代へのメッセージを伝えてると思ったよ!」と中ヤーマン。サヨコが選んだ表紙の絵は「おつながり」といわれる状態で、昔の日本の人々は、豊穣のイメージとともに、それをとても神聖なものとして捉えていたようなのである。あの時、「描きたい!」と思ったことが、時を経て絶妙のタイミングで実を結ぶ。楽しい出来事だった。

ブースにやってくるお客さんは、初めて出会う人ばかりでおもしろかった。みんな個性的で、なんだかキラキラと輝いていた。そしてほぼ全員、私の絵を見るのは初めてだろうという人達が結構、というかかなりハマっているのを目撃できて嬉しかった。食らいついてきたのは、隣の藤野町に住んでフリーのヘアメイクをやっているという「つくし」さんとか、超マニアックな写真を撮るフリーのカメラマン「ドクターG」とかだったが、私にとっても、それはいい出会いだった。「今日は親戚が集まってますね!」「まったく!」各地のこういった祭りに行くと、必ず見かけるという顔もあって、言葉は交わさなくても「あ、あの人またいた。」と思うのがおかしかったりもする。なによりも家の近くで、こういった祭りがあって気軽に遊びに行けるというのはありがたいことだなと思った。それに、こういうところで出されるご飯はおいしいから、普段外食をしない私達でも、つい食べたくなっちゃうのである。外の空気を吸いながら食べるご飯は、ホントにうまい。中ヤーマンのお話は終わり頃ちょっとしか聞けなかったが「これからの時代はテロリストよりエロリストです!」と声高らかに宣言していて、やっぱりなんか親しみを覚えてしまった。サヨコのライブは今度のアルバムに参加しているギターとベースの人達がきて、弦楽器2つと声という組み合わせで演奏され、それもまた新鮮だった。実際、体が自然に踊っていて気持ちよかった。今回のレコーディングに呼ばれ遊びに行った時も思ったが、最近のサヨコは何か以前とは違うパワーを放っていて、きれいだなと思う。1日目の終わりのセレモニーに参加したNOBUYAが言っていた「カムイノミの火を絶やさず、火の神に感謝の祈りを捧げる彼らの姿に心を感じた。」と。最終日の最後は「わのまい」という舞を有志で輪になって舞うという形で終わった。「これからも、第2回、第3回と続けていきたいと思いますのでよろしくお願いします!」と挨拶していたDaiちゃん。今回のテーマだった「原始回帰と女性性の目覚め」少なくともこの祭りで、その種が蒔かれたと思う。Daiちゃんが私の画集を見て「あ、オレたち一緒だ!」と思ったように、私も彼の表現であるこの祭りを体験して「一緒だな。」と思った。最近、性別や年代を超えて同じ価値観で生きる人々とのつながりが加速しているのを感じる。そして、そんな出会いはそれぞれの世代にとっての安心感にもつながっているのだ。

私のハラの虫からも声が聞こえる。「おーい。もう始まっているぞーっ!」

 

_ 2010.08.24_>>>_満月


「藤戸幸次という人」

「幸次さんが死んだ」というメールが絵美から入っていた。

私達は前日、携帯が繋がらない森に入ってキャンプをしていて、家に戻って来たところだった。「のぶやっ。幸次さんが死んだって!」「えぇっ!」すぐにNOBUYAが絵美に電話をすると「たぶん、暑くてとけたんでないか…」とのこと。「幸次さん…。」確かに私達は、彼ならばありえるだろうと思った。なぜなら、真冬でも半袖に裸足にサンダルのような人だったからだ。

2001年の12月に私は「RED DATA ANIMALS」という個展を原宿で開いたことがあった。通りに面したその会場の扉をオープンにして、行き過ぎる人達から中が見えるようにしていたのだが、その会期中のとある日、突然アイヌが会場に入って来たのだ。まさに「アイヌが入ってきた!」という衝撃そのままのインパクトだったのだが、その内の1人が「幸次さん」であり「床 絵美」だった。「Ague」も一緒だった。「絵に惹かれて入って来た。」と、まっすぐに言い放った絵美を「絵美のアンテナはね。凄いんだわ。」と自慢げに語っていた幸次さん。当時交際中だった絵美とAgueを結びつけたのも彼だったようだ。個展で初対面後、彼らは当時、私がやっていたギャラリー「nociw」へとすぐに訪ねてきてくれた。「幸次さんがね、いやぁー彼女は凄い。凄いって言ってたんだよ。」と絵美。「人と人を結ぶのが、どうも好きみたいなんだよね。」とAgue。幸次さんは木を彫ってモノを創る人だった。「唄の人」に「シルバーの人」に「木彫りの人」。みんなアーティスト。本当に嬉しい出会いだった。それからギャラリーがクローズするまでの間、3人はちょくちょく遊びにきてくれるようになった。幸次さんはよく言っていた。「あっこちゃん、あのさ、2人のことよろしくなー。ほんっとにいい奴らだからさ…。」

当時、幸次さんは中野にあったアイヌ料理店「レラ・チセ」のお店の一角で作品を制作していた。店内には彼の木彫りのペンダントやかんざしなどの作品も販売されていて、お客さんの質問に、はにかみながら笑顔で答える幸次さんの姿があった。Agueのお店にも彼の作品はあった。私とNOBUYAはとりわけ、彼の彫った灰皿に目が止まった。木はエンジュ。彫ると黒の部分と白の部分が入り交じった不思議な表情が出てくる美しい木。「しかもこれはね、使い込むほどに味が出てどんどん色が変わっていくんだよ。」その灰皿はすでにAgueのものだったようで、ヤツは「へっへっへっ。」と得意げだった。NOBUYAは「いいなー。」という顔をして「今度、幸次さんに会ったらオレ、オーダーしよう!」と、はりきっていた。当時のAgueのお店で「藤戸幸次展」が開かれることになってオープニングにNOBUYAと駆けつけたことがあった。幸次さんはちっとも作家っぽくなく、いつものように、照れくさそうに頭をかきながらまだ作品を作っていた。「そうだ。∀に個展の看板を描いてもらおうよ!」と絵美が言い出した。「それいい!たしか、いい木の板があったはず。」とAgue。私はアイヌ語でついていた個展のタイトルをその板に描いて、思いつくままに模様を描いていった。それをじっと見ていた幸次さんは「よくもまあ、次から次へと浮かんでくるよなー。」と感心してくれていた。「幸次さん、オレさ、このAgueが持ってるような灰皿オーダーしていい?」「おっ。いいよ。のぶちゃんとあっこちゃんのためなら、オレ作るよ!」「やったーっ。」私達は大喜びした。

一度、レラ・チセに行った日に、大酔っぱらいしていた幸次さんに会ったこともあった。「会った。」といっても次に会った時は、彼は何も覚えていなかったのだが。その幸次さんは、まるで初めて見る人だった。どんな内容だったかは思い出せないが、とにかく怒りのようなものが言葉の端はしに込められていて、見ていてとても辛そうなのだ。私達は幸次さんのことを、何も知らないということをその時知った。でも、そんなことはどうでもよくて、彼とはアーティスト同志として接することができた。だから彼の作品のことについて話をすると、目をキラキラと輝かせて、とても喜んでいた。「もともと、意味を持って生まれたアイヌ模様だけど、オレのはね、オリジナルさ。なんかこんな感じーってね。」「私と一緒だね。」「そうそう!」兄達も、名だたる木彫り作家の中で、自分自身の表現というものを模索することもあっただろう。「兄貴たちのことは尊敬しているよ。」と、彼は言っていた。毎年、中野で開催されている「チャランケ祭り」に、いつの年だっだか出店していて、久々に再会した時に私のTシャツを着ていてくれたのがとても嬉しかった。「向こうでね、あっこちゃんのTシャツ着てるとみんなから何それ!って聞かれるんだわー。」その頃は、拠点を北海道に戻しているようだった。私達が高尾に越してきてからも1度泊まりにきてくれたことがあった。その日はAgueや絵美の家族も呼んでお鍋をやったが、幸次さんが蟹に取り憑かれたようにむしゃぶりついていたのだ。その姿はまるで動物だった。「オレね、蟹には目がないんだわー。」幸次さんが相当な蟹好きだということは知ったのだった。

1年のうち、1度か2度、いつも突然電話がかかってきた。「北海道では民芸店で売るための木彫りを制作してるが、本当は自由に自分の作品を創りたい!」という叫びのような内容の時もあった。私はいつも、ただ黙って聞いてあげるだけしかできなかったが。その度に「幸次さんは戦っているんだなー。」と感じた。だからあんなに、普段は繊細で穏やかで優しくて、だからあんなに、お酒が入りすぎると豹変してしまうのだなと思った。その後「どうやら幸次さんは今、北海道じゃなくて静岡にいるらしいよ。」という情報をAgueから聞いた。彼もたまーに会うことがあるらしかったが「あの、のぶちゃんにオーダーされた灰皿が仕上がってないから!」という理由で私達には会えないと言っているとのことだった。「そんなの気にしなくていいのにー。」と私達は笑ったが、幸次さんには幸次さんのタイミングというものがあるのだろうと思った。だから最後に会ったのは家に蟹を食べに来た日で、最後の電話は2ヶ月くらい前のことだった。いつものように「やぁー。あっこちゃん元気だったかい?今静岡の方にいてね、そこでね、いいー奴らにまた出会ってね、で絵の好きなヤツにあっこちゃんの絵見せたらね、そいつがまた感動してなー。」という具合に、いつにもましてテンションが高かったので「きっと、今いる環境は楽しいんだな。」とすぐにわかった。嬉しかった。そして「これからもいい絵描いて頑張ってね!」「幸次さんもね!」という、いつもの励ましあいの言葉で切ったのだ。

静岡まで駆けつけることができたのはAgueだけだった。告別式と荼毘に付した日。絵美から「ちょっとそっちに行っていい?」と電話が来て、みんなでAgueの帰りを待つことになった。「今は幸次さんのことを話してあげることが、一番彼の魂が喜ぶことだよねぇ。」「そうだね。」絵美は私達が出会ったばかりの頃、レラ・チセで撮った5人の写真を持ってきてくれた。「うわーっ。懐かしい。」その頃のことが蘇ってきた。写真の中の幸次さんは、私の心の中の幸次さんそのまんまだった。「私が最後に会ったのはね、去年のチャランケの時だったけど、ずいぶん老けたなーって思ったさ。」「そうなんだ。」私は写真を見ながら「この出会いがなければ、今こんな近所に絵美たちも越してきてはいないんだよなぁ。」と思い、それを仕掛けたのは幸次さんのような気がしてきて心から感謝した。Agueがバイクで帰ってきた。「おかえりー。おつかれさま。どうだった。」「うん。いい時間だったよ。」Agueが感じてきたとこによると、最後の場所は幸次さんにとって、とても居心地がよかったんだろうなと思ったそうだ。何より、まわりにいた人達がもの凄くいい人達だったという。諸事情を抱えて生きてきた幸次さんだったらしく、あっけなく逝ってしまった彼に対し北海道からは「怒り奮闘!」の声も上がっていたようだ。家賃が何年分か滞納になっていて、その尻拭いをしなければならないとかなんとか…。Agueがお兄さんの「幸夫」さんに幸次さんの死を知らせた時の第一声も「あの野郎ー勝ち逃げか!」だったそうなのである。でも、そんな幸夫さんも泣いていたらしい…。

今思うに、やっぱり幸次さんは世間一般が常識としているところの常識は、どうでもよかったのだろうなーと感じる。というか、とうていそんな枠の中では生きられない生き物だったのだ。「もうすぐ死ぬ人が取る行動っていうのはやっぱり不思議なもんでね、幸次さんは朝方死んだらしいんだけど、傍らにあったカバンにはまるで出かけるみたいに準備がされていて、表札が裏になっていたらしいんだ。」「連日の猛暑にいよいよ耐えられなくなって、北海道に帰ろうとしていたのかな?」「ありえるよね。」「でも、幸次さんはいいタイミングで逝ったと思う。」Agueが言った。私もそう思った。実に幸次さんらしい逝き方だなと。北海道からやってきた身内の方達にとって、静岡でのお葬式に、多くの若者達が訪れたのは驚きだったようだ。「何でこんなに若い連中がいっぱいいるんだ?」と。その現象事態が幸次さんを表しているなと思った。「つまり、オレたちもその1人ってことだよね。」とAgue。「バタバタしてたからゆっくり話せなかったけど、最後に幸次さんが一緒にいた連中と何かしたいね!って話したんだ。」幸次さんが喜びそうな何かクリエイティブなこと。素敵だなと思った。

死に様は生き様だね。幸次さん、ありがとう。

 

_ 2010.07.26_>>>_満月


「ヘナの儀式」

今月の満月はマヤ暦の元旦でもあった。そんなおもしろい日に、たまたま私達は森の中でのキャンプを予定していた。

それは美容サロン「pirika hair」の「yuka」が、ヘアースタイリストとして働く中で「ヘナ」と出会い、彼女が自分にピッタリなのはまさに「これだ!」と直感して以来、「ヘナ」中心の美容をやってきて、これからはサロンに来たお客さんが自分の家でもできるようにと、彼女が創作したオリジナルの調合のヘナを販売したいと考えるようになって、そのためには商品の顔が必要なので、その名前とロゴの絵を私に依頼してきたことが始まりだった。

ヘナは古代、クレオパトラの時代から使用されてきた神聖なハーブで、染料でもある。そのヘナで髪や爪や手足を染めたり、トリートメントをしたりするが、同時に頭皮や皮膚を健康にして保護したり、フケかゆみを押さえたりもするらしい。ヘナタトゥーの染料でもある。yukaはモロッコに行って、このヘナが今も、民衆の日常に普通に溶け込んで活かされていることに強く感動したという。公衆浴場で見知らぬオバサンが体に塗ってくれたことも本当に嬉しかったのだと話す。そこから本格的にヘナを学んでいこうという姿勢が芽生え始め、夢中で探索していく中で気づいたこと。それはヘナは一種の儀式でもあるということだったようだ。「だから私、∀KIKOさんにお願いする時はまず、私の考えるヘナを体験してもらいたいなと思ったの。古来からの、自然とともにあるやり方で。だからそれは緑に囲まれた場所で、近くにきれいな川が流れていたらベスト!」「わかった。NOBUYAとどこが一番いいのか考えてみるよ。」打ち合わせでアトリエに来た日。それからしばらく、彼女のヘナに対する熱い思いと彼女が何をするために今回の生を受けているのかという物語に聞き入った。この日yukaはお土産にと蓮の蕾をプレゼントしてくれた。私が蓮が大好きなのを知ってか知らずか。3度ほど、実は迷ったのだという。家の近くのお花屋さんで。最初に行った時は閉まっていたらしく。「でもやっぱり行こうと思って、そしたら蓮の蕾が並んでいて、これだっ!て。でもね、この蕾は咲かないんだって、お店の人にそう言われたんだ。」その蓮が翌朝アトリエに行ったら、みごとに咲いていたのである。それも、今まで嗅いだ中でも最高の気品のある香りを漂わせて。

キャンプ地は私達も久々に訪れた、私とNOBUYAのかつての遊び場であり、祈りの場でもあった聖なる滝の下流でやることになった。昔はキャンプ場だったが、今は使われていない。だから当然電気も水道もなくトイレもない。でもここの川は今でも澄んでいて飲むことができる。明かりはランタンとろうそく。トイレは掘って土に還す。「わぁーっ!まさにピッタリの場所だぁー。」yukaは大喜びだった。まずはみんなで精霊の滝に挨拶に行って祈った。テントは1本の大きな赤松の木を囲むように張った。「何か今回、この赤松さんが見守ってくれるような気がするね。」「うんうん。なんだか久しぶりに賑やかになるのが嬉しそう。」yukaはこの木の下にテーブルを作って、ヘナやハーブが入った瓶や貝をきれいに並べだした。私が持ってきた例の蓮の実の穴から顔を出していた小さな種たちを、彼女は石で挽いて粉にして混ぜた。その作業が実に楽しそうだった。「こうしているのが大好き!」彼女の全身からそれは伝わってきた。そんな状態の人間を見るのはこちらまで幸せな気分になってくる。始める時、yukaが赤松の根元にお供えをして祈りを捧げた。と同時に赤松の実が横の方から突然、並べた貝の中に自ら飛び込んできたのだ。「早いね。yukaの祈りをキャッチしたってことじゃない?」「す、すごーいっ!」とにかく私は彼女にすべてを任せることにした。青い空、木々の緑、常に聞こえる川の音、虫や鳥や獣達の鳴き声。目を閉じると完全に森の世界に同調することができた。頭皮や髪の毛を通して自分の体が喜んでいるのがわかった。毛穴が開いて自然のエネルギーがそこから入ってくる。yukaの指先から伝わる完全な開放感。頭と指が溶け合う感覚。始める前、私達は川に入って禊をして瞑想した。裸で。「こんな体験は初めてだけど、これって気持ちいいんだー。」と叫んでいた彼女。「いつもはサロンでだとお客様にここまで出していいのかな?っていう遠慮があるけど、今日は100%自分を出していきます!」そう宣言していた通り、yukaは自由に自分を表現していた。言葉以上に伝わってくるもの。その人の本質。エネルギーは嘘をつけないのだ。彼女が想像した通り、この体験をしてみて本当によかった。最後にヘナを洗い流す時は、NOBUYAが考案した川の中のベッドに仰向けになり頭を川につけながら、自分もいつの間にかそのまま川になっていた。冷たくて思わず「あぁぁーっ!」という声を出しながらも、私達も森も川もこの空も、みんな自然の一部なのだということを実感していた。そんな儀式。夜空には満月が笑っていた。その月明かりに照らされて赤松さんも笑っていた。

透明になった自分におりてきたビジョン、それは間もなく形を現し出すだろう。

 

_ 2010.06.26_>>>_満月


「龍の旅」

屋久島・九州での個展の旅から無事戻ってくることができた。今回もまた、深い喜びと学びの旅だった。

この旅を巡礼の旅にしようと思っていた私達はまず、家の氏神様をお参りしてから出発した。次いで富士山の「浅間神社」、それから「伊勢神宮」、そして奈良の「天河神社」、「高野山」と下って初めての四国へ上陸した。「大麻彦神社」を参拝したのち、神山の「粟神社」へ参り、屋久島の友達「KENTA」から紹介してもらった宿「楽音楽日」へと向かった。主人の「ひさ」さんも、奥さんの「万里子」さんも、子供達も、最年長の居候「さちこ」さんも、みな気持ちのいい人達ばかりだった。ギターと歌で自分を表現している高校生の長女「あい」ちゃん。絵のポストカードを見せると彼女は驚いて言った。「あーっ!これ知ってる。前に誰かが送ってきてくれて、すっごく素敵って思ってたの。作者が目の前に現れるなんてすごーいっ!ねぇねぇっ。お母さーん!」「ええっ。なにっ、これ描いた人なのーっ!なーんだ。私達もう会ってたんだねーっ。」結局なんだかんだと盛り上がり、帰る時には倉庫を利用した素敵なギャラリースペースを紹介してくれたりと「ま、どっちにしても次来る時はこっちでも絶対個展をしていってね!」ということになったのだった。

徳島を出て、母方のルーツである「中村」を通り、足摺岬へ辿り着いた。「唐人駄馬遺跡」。私達の好きなストーンサークルの光景が広がっていた。よく見ると水場までちゃんとあるではないか。私達はここがとても気に入ったので、その日の野営地をこの場所に決めてキャンプの準備を始めた。すると一組の、小さな子供を連れた若い夫婦が尋ねてきた。「あのー。和尚を知ってますか?」「えっ?」なんでも彼らは、この遺跡に暮らしているという面白い和尚の噂を聞きつけて、彼の話を聞くためにここまでやってきたのだと言った。「僕たちも今日は、この辺にテント張らせてもらうんでよろしく!」「よ、よろしく…。」彼らはなんと「中村」からやって来ていた。私達が温泉に行って戻ってくると、「和尚」と中村から来た家族が火を囲んで夕食をとっていた。「居酒屋和尚へようこそ!」茶目っ気たっぷりの和尚が招待してくれた。朝、自ら海に潜って採ったという貝が焼かれ、いい匂いが漂っていた。他にも煮こごりやカレーといった様々な品々が並んでいる。おまけに中村から来た夫婦は豆腐屋とパン屋だった。まるでみんなが今日初めて会ったとは思えないほど、とても自然に話に花が咲いていた。確かに和尚の暮らしぶりはおもしろかった。以前は禅宗の僧侶としてお寺に入っていた頃もあったようだが、今ではアウトローな坊主として、こういう生き様を表現しながら色んな人々と出会って日々研鑽を積んでいた。一日の生活を見ていると、夜遅くても、朝は誰よりも早く起きて火を起こし、身の回りの掃除をして、まずは一日分のお茶を薬缶で作るというところから始める。アウトサイドでも雲水のスピリットで生きている本当に素敵な人だった。私は絵描きで、これから個展のために屋久島に向けて出発するのだと話したらペットボトルに作り立てのお茶と、おにぎりと貝のお弁当まで持たせてくれ「成功を祈っています。いってらしゃい!」と笑顔で見送られたのだった。

帰りは佐賀で個展をすることになっていたので、行きはダイレクトに九州を縦断して屋久島に直行することにした。途中、ちょうど阿蘇山を通っている時に友達のミュージシャン「奈良大介」から電話が鳴った。そういえば四国で繋がった「楽音楽日」は奈良ちゃんが一年で一番多くライブをやっているところだった。結局、動く所その先々で仲間との繋がりを確認し合ってる気がして嬉しくなった。今回はわざわざゆっくりと屋久島に向かうために道中は二度フェリーに乗った。我が家のオオカミ犬「nociw」もだ。けれど、鹿児島ー屋久島間は今までで時間が一番長く、彼女はよく頑張ってくれた。フェリーが着いたら「KENTA+NAO」が迎えに来てくれている筈だった。が、いない。電話をすると時間を間違えていたらしい。「おおーっ!おかえりーっ!」「ノチューっ。よく来たねーっ!」再会がめちゃくちゃ嬉しかった。2月に東京で会ってるから、たった4ヶ月ぶりだったのだが。まずは、彼らの家でちょっと休憩してから永田の舞踏家「虫丸」家で昼食に呼ばれた。虫丸さんは翌日から韓国、そしてフィンランドへと舞踏の遠征に出かけることになっていた。そして、ここにはnociwの息子「ドン」が暮らしている。さっそく田んぼの側の鶏小屋に繋がれたドンの元へと会いにいった。彼は大きく立派に育っていた。が、「甘えん坊で目立ちたがり屋!」という奥さんの「ひろみん」が言うとおり中身はなんにも変わってなかった。兄弟の中で一番我慢を強いられる環境にいるかもしれないドンだが、散歩の時の風景や、その分たくさんの人達に愛されて育っているのが垣間見れて、本当にありがたかった。

個展でお世話になる「くみ」ちゃんの所に挨拶に行った。「よろしくお願いします!」「どーもっ。∀さんの絵をここに飾ってもらえるなんてすごく嬉しいっ。ありがとう!」くみちゃんとは昨年、屋久島で初めてやった個展で会った時に、少し話をしたくらいだったのだが、その後東京に戻ってきてからメールをもらい、「本当にいい作品というのは、本当にいい人間から生まれてくるものなのだと知りました。」と書かれていて、私にはその言葉がずっと心の中に残っていた人でもあった。今回の個展会場は永田にある「OHANA CAFE」。この場所に決まったのは「NAO」がある満月の日に森の祠で「今回、∀にぴったりの個展会場はどこでしょう?」と想いを巡らせていると、「くみちゃんのところ!」という声を聞いたからだった。翌日セッティングが終わった時には、くみちゃんが大興奮して「NAOちゃん本当にありがとう。この場所を選んでくれて!」と何度も言ってくれていたが、NAOは「いやいや私じゃないんだって!私はただ動かされただけだから。」と言っていた。オープニングの日、予想に反して雲行きが怪しくなってきた。「龍神様がきてるからじゃない?」誰かが言った。「ま、雨というのも浄化だからね。」そう思って、すべてを受け入れる姿勢でとにかく楽しもうと心に決めた。すると空が今度は晴れてきて、面白い形の雲をたくさん見せてくれた。個展に辿り着いた人が言った。「今、車で向かってきたらこの場所の上空だけ龍みたいな雲が渦を巻いていたよ!」目の前の海が輝き出し、NOBUYAのDJとともにオープニングパーティーが始まった。

大人も子供も犬も、みんな踊った。海に向かってあんなに踊ったのは本当に久しぶりだった。ただただ気持ちよくて自分が「今、ここ。」にいることに感謝しながら踊った。NOBUYAもそんなみんなを見て、たいそう満足げだった。今回、屋久島のみんなのことを思ってずっと描き続けてきたフラッグの新作を初めて発表したのだが、屋久島の仲間達はとても気に入ってくれたようだ。「なーや」もクリスタルボウルの演奏を「この旗に捧げるつもりでやりたい。」と言ってくれた。屋久島に着いた日、スーパーで声を掛けられ振り向くと私の誕生会に突然現れて歌をうたってくれた「かな」がいた。「えっ。何でここにいるの?」「このタイミングに合わせて屋久島にきちゃいました!個展のオープニングには一緒に泊まってるゲストハウスの子たちを大勢誘って行きますからね!」彼女が言った通り、永田のみんなが驚くほどその日は人が集まっていたそうだ。「神様が連れてきた桜なんじゃない?」KENTAがニヤニヤしながら言った。夜には月も顔を出して深夜には、それがnociwの目とそっくりになっていた。その日来てくれていた「徳州会病院」に勤める「まさみ」ちゃんは会期中に再びやってきて「あのオープニングの翌朝病院の窓から、もの凄くはっきりとした虹がかかっていたんですよぉーっ!」と興奮気味に話してくれた。

今回、屋久島で私の絵に運命的に出会ってくれたという人達がいた。その中でも「はな」ちゃんという6才の女の子は自分の貯金で絵を買ってくれた。なんというか胸の内が「キューン」となる感覚を味わった。「この絵のどこが気に入ったの?」という問いには「アリスの世界だから!」という答え。嬉しかった。子供達に言葉はいらないのだ。それにしても屋久島に暮らす人々の私の絵に対する反応というのがおもしろい。海外で個展をした時のリアクションにとても似ていて楽しいのだ。誰もが個性的なので反応の仕方もまたおもしろく、こっち側から見てて本当にワクワクする。つまりは、やりがいがあるのだ。ガイドをしている「みき」ちゃんは、あの後、仕事で森をガイドしていると「何度も森の中から∀さんの絵が現れてきたんです!」と興奮気味に話してくれた。それと、東京や横浜からわざわざ駆けつけてくれたファンの方達がいたのも嬉しかった。しかも屋久島の中でも超ローカルな町の、パッと見ではちょっとわかりずらいかもしれない場所だったのにもかかわらず、探して来てくれてありがとう。カフェを手伝っていた「ひろみん」が「来年は∀と行く屋久島個展ツアーとかにした方がいいんちゃう?」と言い出して、それを聞いた屋久島の仲間達はガイドも多いので「それいいね!」と異常に盛り上がっていたので、ひょっとしたら来年はそんなことになってしまうかもなのであった。

個展のあと、満月のあくる日に「益救神社」で行われた「手作り市」にも参加した。この市は「KENTA+NAO」が今年の2月に初めて「ござれ市」に来て感動し「屋久島でもこういう市があったらいいな!」と思い立って帰ってから即実行に移し、実現することになったもので、屋久島仲間の「なーや+たかえ」夫妻も加わって4人が実行委員となり営まれていた。私が参加したのはまだ第2回目だったが、今後この市がずーっと続いていって、屋久島の未来が笑っている姿を想像すると嬉しくなった。と同時に、この屋久島の4人の仲間達に深い尊敬の念を抱いた。宮司さんが現れた。彼は新作のフラッグの絵をしばし眺めたのちこう言った。「両手を出してください。今からその手にタマを乗せます。」私は言われるまま両手を差し出し、そして目をつぶった。「はい。タマが乗りました。そのタマが見えますか?」「はい。見えます。」「それはどういうタマですか?」「フワッとしていて、黄色みを帯びた白いタマです。」「はい。それではそのタマを体に入れてください。」「は、はいっ。」「はーい。これでタマ入れが終了しました。これからあなたには、ますますのご加護があるでしょう。」突然のことで驚いたが「そ、そうなのかー。」というありがたい思いでいっぱいだった。そして宮司さんは言った。「これからは、神様のためにだけ絵を描いていけばいいでしょう。その行為は必ずあなた自身に還ってくることになります…。」この時私は、何故か、もの凄くスッキリしたのだった。そして「この道でいいのだ!」と真に確信できたのである。宮司さんが去ったあと、すぐにNAOが飛んできた。「見てたよー。すごいことだよ。わざわざタマ入れをお願いしに益救神社に来る人たちもいるのに、宮司さん自らなんて!」その夜、空には私の体に入ったタマと同じ月が浮かんでいた。

佐賀は、高尾で元隣人だった「えいじ+まりこ」夫妻の、まりこの実家での個展だった。彼らは高尾から奈良に移り住んだ後、息子の「さら」が生まれたこともあり、九州へと帰ってきたのだ。実は今回の旅の最初に奈良に寄った時はまだ彼らも奈良にいて、私達の移動中に佐賀へと移り住んでいた。今年も屋久島に個展に行くことを知ったまりこから「帰りにぜひ家にも寄って個展をして欲しい!」とラブコールをもらい実現することになったのだ。人の家で個展なんて初めてのことだったけれど、家族の皆さんがすべていい人達でほんとうに気持ちがよかった。まりこの実家は「江見」といって、ぶどうなど果物の袋を製造している会社で、家は二世帯で12人の大家族。毎日がお祭りのように賑やかだった。個展は2日間は「毛利」さんというヒーラー兼シェフの自然料理が振る舞われ江見家の知人・友人の方々が大勢集まり、最終日の1日が一般公開となった。この日に屋久島の森の旅人「KENTA+NAO」のお客さんが来てくれたのは嬉しかった。離れたばかりの屋久島からみんなの愛が伝わってきた。采配を振るっていたのはお母さんの「美千子」さんだ。お客さん一人一人に「まずは、絵をじっくり見てくださいね。」と言ってくれたりして、なんだか涙が出そうだった。それに甥っ子、姪っ子たち。それぞれに気に入った絵があって、お母さんにおねだりしたりして…。撤収の作業の時は何も言わず、黙って片づけを手伝ってくれて、最後の夜は一緒に踊った。えいじ+まりこは阿蘇に土地を買って家を立てることになったそうだ。「だから来年からは阿蘇で個展ということになるね!」まりこが嬉しそうに言った。「どうしてここまでよくしてくれるんだろう?」2人の愛も大きすぎて、ただただ感謝しかないのであった。そして本当に幸せそうな彼らを目の当たりにして、私は嬉しかった。

最後の立寄先は岡山の「ゆうすけ+あき」夫妻の所だった。彼らはぶどう農家をしながらカメラマンをしている。岡山に移ってから初めて彼らの家を訪れるので私達は楽しみにしていた。東京にいた頃よりもうんと健康そうに見える二人が笑顔で迎えてくれた。「いやーっ。おつかれさまーっ。」「旅の最後がここでよかったよー。」ほんと、ここに来て初めてやっと気が抜けたような気がした。二人の暮らし振りはよりシンプルになっていた。大好きな写真の仕事もできて充実しているようだった。今回立ち寄ったのはフラッグの新作の絵を複写してもらうために預けていくという目的もあった。「うわーっ!すごいね。コレ。」ゆうすけが言った。以前二人の結婚式に出雲大社に呼ばれて参列した時、あのしめ縄がどうしても心に残って離れなかった。そして、描きたいと思ったのだった。フラッグの中央にはそのしめ縄が横たわっていた。「僕ね∀が出雲大社に来たら、絶対インスパイアされて作品を描くと思っていたんだ。これは僕が想像していた通りの絵だよ。やっぱり直感って凄いね!」ゆうすけは興奮していた。「この絵を複写できるなんて、なんて幸せなんだろう!」私にはそんな風に思ってくれるカメラマンの夫妻に出会えたことが、何より幸せだと思った。短い滞在の間、せめて私達にできることをしようと神棚の掃除をした。NOBUYAが外へ出て新鮮な榊の枝を見つけてきた。見違えるようにきれいになった神棚が笑っていた。3人で手を合わせる。「今日から毎日、このお水をかえるよ。」ゆうすけは神妙な顔でそう言った。後日、彼から改まった手紙が届いた。「2人が家にやってきたら風向きが変わるという予感がしていたんだけど、実際あの日から滞っていた農地交渉がスムーズに行き始めてすべてが順調です。」「よかったな。」と思った。

佐賀の個展の一番最後のお客さんは、78才の女性カメラマンだった。その人が「あなたの作品やあなたの背後に、どうも龍の気配がするのよ。」と言った。彼女はよく空に羽ばたく雲の形をした龍を写真におさめる機会に恵まれるそうだ。聞くと70年代の屋久島に頻繁に通っていたのだという。その当時の益救神社の宮司さんとも親しかったらしい。結局ずっとつながっていたのだ。私とNOBUYAも旅のはじまりから2人でよく龍の話をしていた。「神社巡りをしながら屋久島へ辿り着いたんです。」とそのカメラマンに話すと「それじゃあ、龍だってついてくるわよ!」と笑っていた。「日本列島の龍の、頭とシッポが入れ替わって、今は頭は屋久島でシッポは北海道なんですよ。」と宮司さんは言っていた。そして「屋久島やこの益救神社を題材にしたあなたの絵のポストカードを7枚セットにして、ここの神社に置いたらいいと思う。おもしろいことになりますよ。」と言っていた。まるで夢のような話だけど確かにそう言っていたのだ。私はその言葉をおおいに真に受けて、いつか7枚の絵を神様に奉納したいと思っているのである。

龍神様ありがとうございました。

 

_ 2010.04.28_>>>_満月


「巡礼者」

4月20日。我が家のオオカミ犬「nociw」の子供達が1才の誕生日を迎えた日。私の夫「NOBUYA」も二度目の誕生日を迎えた。

その日は、アルバムジャケットの絵を手がけた「タテタカコ」のニューアルバムのリリースライブに招待され、高尾の仲間「taba」の車に乗って渋谷へと運んでもらった。彼女のお陰であっという間にライブ会場に着いた私達はすっかり夢心地だった。「こんなにスムーズに渋谷の街中に出られるなんて、まるでどこでもドアみたいだね!」入り口付近に立っていたタカコのマネージャーの「村ちゃ」が、すかさず私達を見つけて中に案内してくれた。「どうぞ、こちらへ。」関係者以外立ち入り禁止と書かれた2階へ上がり「どこでも好きな所に座ってゆっくりしてってください!」と言われ、我らは大はしゃぎ。さっそくNOBUYAはビールを買いに行った。「来てくれたんですねー。嬉しいです!」と「タカコ」がやってきた。「あのー。nociwさんは来てますか?」「うん。来てるよ。駐車場で待ってる。」「わぁーっ。じゃあ終わったら会いに行ってもいい?」「もちろん!」「やったぁーっ!」タカコはとても嬉しそうだった。タカコのライブの前に彼女が大学時代から好きだったという「小谷美紗子」さんのライブがあり、そのあと休憩時間になったのでトイレに急いだ。案の定、女子トイレは長蛇の列だったが辛抱して並んでいると、何やら血相を変えた村ちゃがタカコを引き連れて目の前からやってくるではないか「あ。∀さん!」とタカコ。わけもわからずその場でハグをする。「今、トイレ待ちなんだ。」と言うと「控え室の方のトイレ使って。」と促されたので「ラッキー!」と思い、彼女について行った。用を足して控え室をのぞいてみると、なんとタカコが泣いていた。「ど、どうしたの?」「∀さんに会ったら安心しちゃって…」「???」再び心をこめてハグをした。そんな状況で私ができることといったら、それぐらいしかない。彼女は「あーっ。落ち着いたぁー。もう大丈夫」と言って笑顔を見せた。翌日もらったメールに、あの時は本番前に力が入らなくなってしまい、そんなタカコを見かねて村ちゃが「∀さんのとこ行こう!」って誘ったんだそうだ。そしたら、すぐにあそこでバッタリ会って…。

もう、タカコや村ちゃのことを家族だと思っているNOBUYAは、自分のことのようにテンションが上がって、タカコの出番までにはすっかり出来上がっていた。しかも、この日のタカコはバッチリ決めてくれたのである。そのライブは一枚のアルバムを丁寧に味わうように流れていった。これからこの新作を一年かけて、じっくり歌っていくのだという気合いが込められていて、今までに二度見た彼女のライブとは明らかに何かが違っていたのだ。本当に最高だったのである。だからNOBUYAの飲みっぷりにもさらに拍車がかかり、彼はまさに上機嫌だった。ライブ終了後、しばらくしてタカコが「nociwさんに会いたーい!」とやってきたので駐車場まで連れていった。しっぽを振り振り喜ぶnociw。「ずっといい子でしたよ。」と駐車場のお姉さんが言った。「nociwさーん!今日は車でお留守番でごめんねー。」一生懸命nociwに話しかけてくれるタカコ。「あのー。みなさん、打ち上げは来れないですか?」時計を見ると10時。駐車場は12時までだった。「いこうぜ。いこうぜ!」と調子に乗っているNOBUYA。「じゃあちょっとだけね。」私達はまたライブ会場へと戻り、その先を歩いた居酒屋へと誘われるままついて行った。そこでは、今回のレコーディングスタジオで一緒だったミュージシャンの「達久」や「石橋えいこ」ちゃん、アーティスト写真の撮影の時に一緒だったカメラマンの「名和」ちゃんなんかもいて、またまた盛り上がった。ライブ会場で、すでにしこたま飲んだにも関わらず、NOBUYAは気分がいいもんだから、まだ飲み続けていた。あっという間に時間は過ぎ、12時10分ぐらい前になって、慌てて店を出た。もう、まっすぐには歩けないNOBUYAをtabaと両側で支えながらなんとか歩き出した。「NOBUYAさん、ホントに大丈夫?」心配してくれたタカコと村ちゃが店の前で、いつまでも見送ってくれていた。tabaと二人、必死に歩いて何とか12時ジャストに駐車場に辿り着き、渋谷をあとにした。

帰り道は早い。高速だとなおさらだ。NOBUYAは後部座席にどかっと倒れこんで寝ていた。nociwは居場所がなくて助手席の私のところにきていた。「ねぇ。トイレ行っていい?」tabaが言った。「もちろん。私も入ろっと。」石川のPAで休憩することにした。トイレから出てきてみると、車の後部座席のドアが開けっ放しになっているのに気がついた。「?」と思い前方に目をやると、なんと駐車スペースの後ろの道路でNOBUYAが立ちションをしているではないか!「ったく、しょーもないヤツだなー。」と呆れて見ていると、用を足し終わったのだが、Gパンのボタンがうまくはめられずにいるようだった。そして靴もちゃんとはいてないせいで、その場でよろけて転んだのである。その瞬間、2tトラックが高速から勢い良くこちらの道路に入ってきたのだ。当たりは暗いし、まさかこんな道路に人が倒れているとは思わないだろう。そのままのスピードで走ってきたらトラックは間違いなくNOBUYAを轢いてしまう!一瞬、時間の流れがスローモーションになった。よく、事故にあった当人がスローモーションの感覚を味わったという話を聞くが、自分じゃなくてもそれは起こるのだなと知った。そしてなぜかその時、私は「生と死は本当に隣り合わせなんだな。」としみじみ思ってしまったのである。そしてハッと我に返り「のぶやぁーっ。あぶなーいっ!!」とまっすぐ駆け出して彼をなんとか道路脇まで引き寄せることができた。その時トラックは、真下に人影があることに初めて気づいたといった素振りで「ギョッ!!」とした顔で身を乗り出して走り去っていったのだ。NOBUYAは相変わらず酔ったまま意識がない。tabaがあとから戻ってきたが、あまりにも今体験したことがリアルすぎて車の中でもそのことは話せなかった。

翌朝、二日酔いだと言って起きたNOBUYAに夕べの出来事を話した。まったく何も覚えていないという。なんという幸せなヤツだ。けれど「そうだとしたら、オレは生かされたってことだよな。」とポツリ。「オレは昨日、一回死んで生まれ変わったんだ!」と時間とともに段々と事の重要性を噛み締めてきたようだった。そして「ありがとう。お前はオレの命の恩人だな。オレも、もう一度もらった今回の生を精一杯生きるよ。」とポジティブな言葉が出てきたのだ。本当に幸いだった。連れ合いが死ぬということがどういうことか?いつかはその時がくるにしてもまだ早い。私達にはまだ一緒にやるべきことがたくさんあるのだ。そのひとつはまず、今回の屋久島個展。NOBUYAもDJプレイが待っている。そのあとは九州でも初個展が決まった。運転できない私のせいでNOBUYAばかりに運転手をさせているのは申し訳ないが、NOBUYAも今回の旅は相当楽しみにしてくれている。私の母方のルーツでもある四国にも初上陸するし、私の原画を丁寧に複写し続けてくれている「ゆうすけ」と「あき」が暮らす岡山にも寄る予定だ。九州もゆっくりと回ろうと思う。nociwのために、ほとんどはキャンプ生活にするつもりだが、これも私達らしくて最高に楽しいだろう。絵と音でその土地土地で表現し、人々と交流しあう。それは私達が一番求めていることだ。今回の件が起こったことで改めて、お互いこの肉体が終わるその時まで、生涯をかけて表現し続けていこうと話し合った。

「ART WORK IS LIFE WORK」それこそが、私達の巡礼の形だから。

 

_ 2010.03.30_>>>_満月


「タテタカコ」

この、不思議な音の名のアーティストのことを初めて知ったのは、あの日の夜だった。

我が家のオオカミ犬「nociw」が生んだ6匹の子犬、その中でたった一人7ヶ月もの間、私達とともに暮らした「ドン」。忘れもしない彼が屋久島へ旅立った日。去年の11月の、個展の搬入日の前日のことだった。メールをチェックすると、彼女のマネージャーから「今度出すアルバムのジャケットを∀さんの絵でお願いしたいのですが…」と仕事の依頼がきていたのである。「どうやってここにつながったのか」という、いきさつを知っておどろいた。昨年、長野で参加した超ローカルな市「ひだまりマーケット」で大鹿村の「アキ」さんという人が絵をとても気に入ってくれた。そのアキさんがマネージャーの「村ちゃ」と知り合いで、私の絵のポストカードを彼に渡したのだという。メールの最後には締めの言葉として「僕の直感なんですが。」と書かれていた。タイミングよく、私の個展も始まるのでそこでミーティングをすることになった。「はじめまして。」そこにはマネージャーというイメージからはほど遠い素朴でシャイな「村ちゃ」と、また、イメージしてたのとは全然違った「タテタカコ」という一人のミュージシャンがいた。彼女は長野の飯田を拠点に全国で活動している。村ちゃもタカコも飯田の人だ。だからか、最初からすごくホットする感じがあった。そしてすぐに「NOBUYAを二人に会わせたいな。」と思ったのだった。村ちゃとNOBUYAは絶対合うだろうなと思った。

12月の暮れに地元の飯田でライブがあるというので、NOBUYAに「見に行こうよ!」と誘った。案の定、彼らは意気投合し、初対面だというのにやたらと飲んで喋りまくっていた。そしてその夜は彼らの事務所に泊まらせてもらったのだが、この日はnociwと彼女の子供のラマもいた。村ちゃは「あーっ。タテが喜ぶだろうなぁ。動物大好きなんですよ。」と言った。「そうなんだ!」「そーっ。この前、∀さんの個展に行った時も車にnociwさん乗ってて、わぁーっ!って思ってたの。また会えて嬉しい!」と彼女は本当に喜んでいた。初めて聞いた「タテタカコ」のライブはピアノと歌で独自の世界を貫き進む戦士のようにも見えた。「なんてピュアな魂なんだろう。」と思った。ライブの凄みのある圧倒的な感じとは違って、普段の彼女はとても普通の感覚を兼ね備えた謙虚な人だった。でもやっぱり「人間というよりは動物に近いな…」と思わせるものがあった。自分と同じ匂いがするのだ。翌朝、別れ際に「来年、1月に小淵沢で今度のアルバムのレコーディングをするんですけど、よかったら遊びに来ませんか?」と二人が誘ってくれた。「ぜひとも!」私達は喜んでそのお誘いを受けた。

そのスタジオは「星と虹のスタジオ」といって、同じ名の歯科医院の後ろにあり、まるでペンションのような建物だった。あたりには気持ちのいい森が広がり、八ヶ岳を見渡すことができた。その名のとおり夜は星空がとてもきれいだった。このスタジオのオーナーで歯医者さんの先生は北海道の利尻島出身の方で、一目見て「わーっ。おもしろそうな人だなー。」とわかるオーラを放っていた。もともとは音楽も嗜む自分のためのスタジオとして作ったものだったらしいが、この環境と先生の人柄に惹かれてミュージシャン達が集まってくるようになり、今はレンタルスタジオとして機能しているとのことだった。この日はnociwと子供のニマが一緒だった。二匹はベランダのデッキにつないで、夜は車の中だなと思っていたらタカコが先生に聞いてくれて、なんと犬達も中に入ることができた。「先生、犬は中に入れちゃ駄目ですよね?」との問いに「なんで駄目なの?」と言ってくれたそうなのだ。「ありがたい!」私達は感謝した。「昨日、先生に北海道の余市出身の夫婦が来るんですよって言ったら、北海道出身と聞くだけで、なんだか親近感が湧くって言ってましたよ。」と村ちゃが嬉しそうに笑った。

「はい。じゃーいきまーす!」ピーンと張りつめた緊張感の中、私は思わず息を止めた。レコーディングに立ち会うのは生まれて初めてだった。NOBUYAを見ると楽しくてたまらないという顔をしている。ミキサーの「アセ」さんは、すっごくひょうきんなナイスガイで普段は馬鹿なことばっかり言ってるけど、いざ仕事となると真剣そのものだった。彼は「ナツメン」というバンドのギタリストでもあるが、ミキサーとしての腕も買われ業界では引っ張りだこらしい。その日はタカコも村ちゃも、ちょっと疲れが溜まってる顔をしていた。前日も別の曲のテイクで深夜遅くまでかかり、ぐったりしていたところに突然先生が現れて酒盛りになったのだそうだ。「もー今日はやめたーっ。」と切り替えると、それはそれで気晴らしにもなったようだが、疲れは残っているのだろう。そこに私達人間二人とオオカミ犬二匹の登場にあいなったわけである。あの時から「流れがホント、いい方向に変わりました。」と村ちゃが言ってくれた。

さすがにレコーディングの時は、ニマには車に入っててもらった。まだ彼女は子供でバタバタと落ち着きがないからである。でも、nociwはコントロールルームに入っても、もの音ひとつ立てずにじっと座っていてくれるから立ち会えることになった。ガラス越しに見えるピアノとタカコ。村ちゃの目が怖いほど真剣だった。何度も何度も挑むタカコ、そこに容赦なくメスを入れる村ちゃ。私とNOBUYAは「今時、こんなにもひたむきに作品に向き合っている人達がいたのか!」と感動し泣いた。無事その日のテイクは終了し「おつかれさまー。」と乾杯する頃には朝方になっている。そうやって倒れるように寝て、また目覚めたらクリエイトする。村ちゃはみんなより早く起きてご飯をせっせと作ってくれるのだった。それがまた美味いのだ。なんか「オレたち家族だぜーっ!」っていう感覚を味わえて楽しかったな。「彼らは体育会系ですからねぇー。」アセさんが言った。その言葉の中には彼らに対する深い愛が込められていた。

2日目、この日はアセさんの妻でミュージシャンの「石橋えいこ」ちゃんと、ナツメンのバンドのメンバーでもあるドラマーの「達久」。そして「エンビー」というバンドの方達がやってきた。今回のアルバムに参加するためである。村ちゃが「よかったら今日も泊まってってください。」と言った。私達は帰る筈だったがNOBUYAが「わぁーっ。すげーおもしろそう。もう一泊しない?」というのでお言葉に甘えることにした。えいこちゃんと達久と4人で近くの温泉に行く。「私達は前のりなんですよ。今夜やるのはエンビーで私達は明日なんです。」その夜は人数も多かったので、私とNOBUYAとえいこちゃんと達久とnociwとニマは1階のリビングルームにいた。1階とレコーディングルームの2階を仕切る板が通される。一応遮音されるのだが私語は禁物。ニマもずいぶんと状況にも慣れて、おとなしくしてくれるようになったから車に入れなくてもよかった。しばらくして板がはずされ村ちゃの顔が覗いた「今録ったの聞きます?」「わぁーい。聞く。聞く」私達は喜び勇んで階段を駆け上がった。エンビーからはボーカルとドラムの参加だったが、それがとてもカッコよかった。タカコのピアノはドラムみたいだから、凄くマッチしていた。エンビーの彼らは好青年だった。というか、参加ミュージシャン、スタッフすべてが本当に気持ちのいい人達ばかりだった。そのことも村ちゃとタカコの人柄を表しているなと思った。

3日目。NOBUYAはなんと「ねぇ、もう一泊しない?」と言ってきた。えいこちゃんと達久のテイクも聞いてみたかったのだ。私は仕事があったので「じゃー私は一人で電車で帰るから泊まっていきなよ。」と言ったのだが結局、彼も帰ると言った。このままでは帰れなくなると思ったのだろう。それくらい楽しかったのだ。別れ際タカコが「すみません。色々もっと話したかったのに、こんな状況で。あの、今度そちらに遊びに行ってもいいですか?」と聞いてきた。レコーディング中はそこに集中するのが当然なので気にしてなかったが、確かに彼女と話をもっとした方がいいなと思いその時間を作ることにした。

我が家に立ち寄ってくれたのは、都内で仕事をしてきた帰りだったせいで、また二人ともぐったりと疲れていた。とりあえずご飯を食べさせてお風呂に入ってもらったら、少し元気になった。でも、さすがに寝てなかったようでバタンキュー。翌朝は「あーっ。ぐっすり寝たーっ!」と顔色を取り戻していた。みんなで森へ散歩に行ってnociwと戯れる。結局二人は二泊していって、その2日間は初めてじっくり、ゆっくり話ができた。その中で感じたのが二人のnociwに対する接し方だった。村ちゃは「タテさんは好きだよなー。」と言っていたけれど、彼も相当な動物好きだ。特にnociwに、二人とも格別の愛を抱いてくれているのがわかった。朝目覚めると二人の間に川の字になって寝ているnociwがいた。夜の間、布団を出たり入ったりしていたそうだ。「ねぇ、入れておくれよ。」と彼女が来るたび、二人が布団をガバッとめくっていたという。「nociwさんと寝てるとね、すごく気持ちがいいの!」「隣に寝てるんだけど、絶対犬じゃない!」二人は口々に彼女を褒め讃えた。nociwもそのことをちゃんと知っているようで、自分が二人に対して何をすべきかを心得ているようだった。タカコと一緒に温泉に入った。「こうやって、一緒にお風呂に入って、ご飯食べて、寝るって、それだけですごく近く感じるね。」「そうそう、ものすごい安心感がある。もしもワシがウンコ漏らしても絶対大丈夫っていう!」「ハハハハ…」私にとってもこの時間は今回、自分の仕事をする上でとてもたくさんのことを教えてもらった貴重なものとなった。

今は、そのアルバムの最終音源を毎日聴いている。DJ NOBUYAが「こんなに繰り返して何度も何度も聞けるアルバムは、本当に今では珍しいことだよ。」と絶賛しているのだ。それはレコーディング風景や音に対する思い、その人となりを見てきた者として情が入っていることも確かだろう。でも、そのことを抜きにしてみても、やはりこれはいい作品に仕上がっていると私も思う。タカコの音のスピリットが、いい意味でとても伝わりやすくなっているのだ。これはタカコの魂と村ちゃのバランス感覚の結晶である。参加ミュージシャン達のエネルギーも大きいだろう。彼女は今回初めて、他のミュージシャンがレコーディングに参加したのだと言っていた。そして、アルバムのジャケットを描き下ろしてもらうということも、初めてのことだったそうだ。このアルバムのリリース記念ライブは4月20日。この日はなんと、nociwのベイビーたちの誕生日でもある。本当に、神様はちょうどいいタイミングでギフトをくださるものだ。

タカコに貰った手紙の言葉。「出会ってくれて感謝です。ありがとう。」私も同じ気持ちだよ。

 

_ 2010.03.01_>>>_満月


「魂の戦士」

2010年が明けてからというもの、高速でいろんな使者が訪れる。

屋久島からの訪問者「KENTA+NAO」は1月末にやってきて、一旦NAOの実家の川崎に帰ったが「聖地参りをし忘れた!」と言って高尾山に登るために再び舞い戻ってきた。「じゃあ丁度ござれ市も行きたかったから、その時に!」ということで2月のござれ市にやってきた彼ら。最初KENTAの顔が見えて「あぁ、来たな」と思ったら「カシャーン」という音が聞こえた。NAOが中々現れない。「もしや…」という予感的中で、なんと、お皿に当たってしまったらしいのだ。彼女は「わーい。またみんなに会えたーっ!」という嬉しさの余り、興奮して足下がまったく見えなくなっていたようだ。少々の傷が発見され、弁償することになったが、周りの業者のおやじ達の「業者価格でいいんじゃない?」という言葉に救われて、なんとか持ち合わせで事が済んだ。今振り返ると、この出来事が今回の旅のスタートだったように思う。

NAOも楽しみにしていた「ござれ」に来て早々、こんなことが自分の身に起こるなんて!と思っただろう「あれは完璧イニシエーションだった」と言っていた。そのあと彼女は境内にある高幡山へ登り、八十八カ所参りをしていくうちに「お地蔵さん」達から「大丈夫。大丈夫」と励まされどんどん元気になっていったのだという。ひとつの事柄が起こった時、それをネガティブにとるかポジティブにとるかはその人の気の持ち方次第だが、NAOはもちろんそれを大切なメッセージだととらえ、その事に気づかされて、むしろラッキーだと思ったようだ。

「このお皿、なんか不思議だねぇ…」買うことになったお皿は2枚あって、その2枚は色や形はとても似ているが年代と絵柄と金額がまったく異なっていた。その古い方の、高い方のお皿の絵柄がどうも私達を引きつけて離さなかった。そのお皿は江戸時代のものだと言われたという。しかし、その時代にしてはやけにスペイシーな感覚を私達に抱かせた。中央に立つ人物のようなその姿はとても宇宙人ぽかった。「あれっ。これ不思議じゃない?」誰かが気づいて言った。それは四角いお皿で、四つの面に2〜3cmくらいの壁があるのだが、その3つにはそれぞれ同じ模様が入っているのに、1面だけまったく何も描かれていないのだ。デザインとしては不可思議だ。「描き忘れたのかなー?」「うーん…」とにかくその日から、彼らが帰る3泊4日の間、そのお皿はずっとテーブルの上に置かれ、NAOのエピソードとともに、ひとしきり話題に登った。私には、みんなに見つめられながら自分のことを話されているその皿が、多いに喜んでいるように思えて仕方なかった。

翌日はnociwを交えた5人で、高尾山参拝の旅に出た。久々に参道を歩いて思ったことは、私とNOBUYAが高尾に移り住むずっと前に、よく登っていた頃よりもゴミがうんと減っているということだった。そして客層もずいぶんと若者達が増えていた。しかも「美と信仰」を無意識に大切にしているような若者達が…。そのせいか山に満ちる気も整然としていた。この日がたまたま平日で、人も少なかったせいもあるかもしれない。「高幡不動と高尾もつながってるね」彼らは言った。そうなのだ。気づいてみれば、導かれるままに置かれたポイントで表現をしている自分がいた。高尾山は東京にとって、とても重要な役割を果たしている。それだけは確かのようだ。「高尾と屋久島には何か似たものを感じるよ。だからオレたち出会っているんだろうな」「これはほんの入り口にしか過ぎないかもね」二人は言った。

5人で過ごす最後の日。NOBUYAの直感で富士山の麓へと出かけた。2人もそんなにそばで富士山を見るのは生まれて初めてだと言って喜んだ。まずはnociwの散歩を兼ねて森の中にひっそりと立つ小さな神社を訪れた。ここはかつて、私達が高尾に移り住むまで、月に2度はお水を汲みにきていた場所だった。今はありがたいことに、家の蛇口をひねると地下から湧き水があがってくるので、もう水を求めて方々探し回ることはなくなったが、10年くらい前まではお水を汲みにきた人々が静かにお参りしながら過ごしていた聖地だった。ところが、どこからか噂を聞きつけて人々が大勢集まってくるようになり、いつの間にか人々が去ったあとには大量のゴミが残るようになってしまった。そうしてその場のゴミ拾いをしている時にその神社を守る神主と知り合うことになったのだ。「この神社は富士山参りの第一番にあたるところで、昔はここの泉で身を清めてから山に登っていました。年々このようにゴミが増え続けるばかりでは、一旦水を閉じなくてはならないかもしれません」それから数年後、訪れてみると水は閉じられていた。「今はこれでよかったのかもしれないね」森は静けさを取り戻し、浄化されていた。それ以来私達はまた、ちょくちょくここを訪れるようになった。毎年この神社のお札を神棚に飾らせていただいてもいる。何よりこの森と神社が大好きだからだ。私達は大きな山桜の元でしばし休息をとった。あたりは真っ白な雪。真っ黒なnociwとのコントラストが美しかった。私は無我夢中でフルートを吹いていた。光がとてもあたたかい。「この場所は∀の世界そのものだね。すごく同じエネルギーを感じるよ」KENTAが言った。自分が得ているこの感覚を、理解してくれる人がいて嬉しかった。

そしていよいよ浅間神社へ参拝することになった。私達も最初に訪れた時に感じたあの、圧倒的なエネルギーを彼らもまた、感じているようだった。「オレたちも結構、いろんな神社はお参りしてるけど、こういう感覚になったのは初めてだわー。母なる子宮に帰ってきたっていう感じかなぁ。人それぞれ神社とも相性があると思うけど、オレたちにはめちゃめちゃ合うね!」しばし社内を歩いた。ここのご神木は何度みても魅了されてしまう。そして滔々と流れる水の音。その時私には、あるひとつのハッキリとしたビジョンが見えた。いつかそれを絵にする時がくるのだろう…。本社脇の全国の神々が祀られている祠を眺めながら、みんなの元へと帰ろうとして歩いていると、ひとつの祠の御幣だけがゆらゆらとゆれているので、そこで立ち止まってじっと見つめていたら真後ろから、神主さんと巫女さん達の笑い声が聞こえた「あの子さ、絶対おもしろいよね!日本人?」「いや違うでしょう!」左右を見渡しても人影がない。私は聞こえなかった振りをして、そそくさとその場を通り過ぎた。待っていたみんなに話すと「駄目じゃん!バレたら。オレたちは隠密なんだから」と叱られた(笑)神様の世界は本当にファンタジーだ。

夕日がきれいだった。車窓から見える富士山に「きぁーっ。富士山、富士山」と大興奮のNAO。「今、バッチリ拝めるところに連れて行ってあげるから待ってな!」NOBUYAが得意げに言った。「わぁーっ。すげーっ!」湖が鏡になって、水面に逆さ富士が映っていた。私達は思わずフェンスを乗り越え、湖のそばへと降りたった。引き寄せられるままに、水の中へとそっと入ってみる。すると自分の柱から水の波紋が起こり、それがどこまでもどこまでも…目の前の富士山に向かって広がっていくのだった。それは幻想的な風景だった。時がそこだけ止まってしまったかのように。手を合わせ、美しいものを見せて頂いたことに感謝した。「富士山は屋久島のお母さんだよ。ありがとーっ!」NAOが叫んだ。「屋久島を離れてから、今回の旅は浄化の旅だと思ってずっと進んできたけど、いやぁーこの富士山を見て本当に癒されたよー」KENTAがしみじみ言った。NOBUYAの直感は大成功だったようだ。

KENTAが「ねぇ。さっきケータイに送った写真見た?」という。見てみると水面でシンメトリーになった富士山の真ん中に私がぽつんと立っていた。水に入っていたからか、浮いているようにも見える。「何これサイコー!!」「な。おもしろいだろ、コレ。宇宙人とUFO!」「ハハハハ」そしてNAOが言った。「ねぇ、見て。このお皿のまるで水鏡になったような山のような形」「あれっ!そっくりじゃん。その真ん中に立つ何者かといい…」そしてKENTAが言った。「オレずっと思ってたんだけどさ、この皿の模様とあの∀の絵の模様そっくりじゃない?」「おおおっ!確かによく似ている」それは私が「火」というイメージで浮かんできたシンボルのような模様だった。「ははぁ。これでわかったぞ。皿に一カ所だけ模様が入ってない訳が」「この絵がここに入って完結するんだよ!」「おおおっ!」私達は訳の分からない異常な盛り上がり方をして今回の旅を終えたのだった。

「あれは一体なんだったんだろう?」今でもあの時の、富士山と溶け合ったような感覚をハッキリと思い出す。KENTAからメールが入った「あのNAOの皿を売っていたおじさんの真後ろに居たお地蔵さん、次回のござれ市の時そこに、お供えと般若心経を捧げて欲しいんだ!」

始動開始だ(笑)。

 

_ 2010.01.30_>>>_満月


「誕生日」

屋久島からソウルメイトの夫婦「KENTA+NAO」がやってきた。

NAOがお母さんの手術で実家の川崎に帰ってくることがメインだったようだが、屋久島で「森の旅人」というガイドをやっている二人は「屋久島の流木を磨く」というワークショップもやっていて「今回、旅行会社の企画で東京でもやるので、そのついでに高尾でもできないかな?」と言われ、私はその話をそのままnicoの「taba」に投げたのだった。その話は着々と進みついに、満月の日に私達は森の中の会場で再会を果たした。昨年3月、屋久島で個展やイベントをやった時、オーガナイザーだった「なーや」の強力な助っ人として紹介された二人。その夫婦のやり取りが私とNOBUYAにそっくりだったので私達は大笑いした。お互い初めて会ったとは思えない懐かしさで、別れた後はもっと強い絆が結ばれた感じだった。そして十ヶ月ぶりの再会。なんだか笑いが込み上げてきた。「この日が以外とすぐきたね!」ワークは大成功で、木=魂をただただ磨いていくごとに、参加した人達のキラキラとした笑顔がこぼれ出して素敵な光景だった。ダンスあり、おいしい森のランチあり、DJありと体と心が癒されたアートな時間だった。

翌日は私の誕生日で、仲間達が我が家でお祝いしてくれることになっていた。その彼らがほとんどワークショップに参加していたので、その日もそのまま母屋に集合になり、明日も集まるというのに大騒ぎになった。ちなみに本番では藤野の「haka」が宮廷料理人と称しコース料理を作ってくれることになっていて、高尾のtabaはデザート担当であった。「今日は前夜祭だからこのへんで一旦引き上げよう!」と、みんなが帰ったのが深夜の3時頃で家に泊まることになっていたKENTAとNAOが「誕生日おめでとう!」と第一声を上げてくれたのだった。渡された箱の中にはKENTAが磨いた屋久杉の手製のネックレスが入っていた。「オレ達が来たタイミングが丁度∀KIKOの誕生日なんてすごく嬉しいよ」二人は言ってくれた。私にもそれは同じだった。なぜか出会って以来、常に二人のことがハートに浮かんで、その度に大切なメッセージを運んできてくれるような気がした。それから4人で倒れ込むように寝て、朝ゆっくりと目を覚ました。あまりにも私達がのんびりしているのでnociwが「散歩を忘れてるよ」と催促して、いつものお山へと出かけた。気持ちいい風に吹かれながら「私達は今、遠い日の記憶の糸を辿っているのではないか?」というような気さえした。母屋に戻ってランチを食べて、あとは夕方以降訪れるであろう人々を待つだけとなった。3人がスーパーに買い物に行っている間に、クリーンアップ担当の私は掃除をして清めて…。外に出てみると可憐な椿のつぼみや梅の花が咲いていたので、それらをちょいと頂いて部屋に飾った。すると帰ってきたKENTAの手には花束が、NAOの手にはポットに入った小さな花たちがゆれていた。「屋久島にある花と高尾にある花を混ぜ合わせたかったんだ。オレ達の選んだ花を見て、花束にするのが難しいなーってオヤジさんがぼやいてたよ(笑)」花のエネルギーが加わり一気に部屋が華やかになって、パーティーが始まるぞ!という雰囲気に満ちてきた。

それはいきなりやってきた。気づくと、たった一間しかない小さな母屋に人間とオオカミ犬を合わせて「18人いる!」と誰かが叫んでいた。そこには「初めまして!」の顔もあった。前日のワークショップで出会った「phoka」は、以前一度だけござれ市に来たことがあると言って、その顔を見て私も思い出した。「この日がくる直前にhakaさんと出会って、∀さんもくるよって聞いて絶対来たいって思ったんです」ワークショップでは二度目の左手の直感で、自分にしっくりくる木と出会えたらしく嬉々としながら磨いていた。そんな流れで前日も母屋に来ていたのに、この日はなんとバンドの仲間を二人連れだってカムバックしたのだ。そしてライブを聞かせてくれた。それはまるで神様からの音の贈り物だった。いつのまにかみんなが一体になっていて、心地よかった。それは、母なる地球の歌。命の歌だった。「これは友達が作った歌で、この歌をどうしても歌いたくてウクレレを始めたの」彼女は誇らしげにそう言った。そこにNOBUYAのDJが海の音とともに入ってきた。この日はライブでミックステープを一本作って「これがオレからのプレゼントさ」と渡された。そこに居合わせたみんなのエネルギーがいっぱい詰まった貴重な一本となった。時に「THIS IS IT」を観ながらのダンスタイムとなり(2夜連続!)マイケルが大好きなNAOはキャーキャー言いながら踊りまくっていたのだった。「サムゲタン」を筆頭に宮廷並みの料理もデザートも、何もかもが最高で手作りの愛をたくさんいただいた。すべてをみんなと分かち合って笑い、踊った。アートな夜。KENTAが言った「次はまた近々、屋久島で∀の個展だな!」

高尾と屋久島がつながった。

 

_ 2009.12.31_>>>_満月


「now here.」

2009年はいろいろあった年だった。

まずは、年明け早々から我が家のオオカミ犬「nociw」のお婿さん探し。2月17日にお見合いして4月20日には6匹のベイビーが誕生した。悪戦苦闘の子育てに100%明け暮れた数ヶ月。子供達は2ヶ月過ぎから、高尾、秋田、北海道、ニューヨークと貰われていったが屋久島行きの「ドン」だけが先方の都合で7ヶ月まで家にいることになった。が、nociwとドンが揃って感染症の皮膚病にかかり、それからは暇を見ては温泉治療のため草津に通う日々が続いた。こんなに長く一緒にいたら情が移るのも当然で「えーっ。11月までこの状態が続くのーっ?」と最初は思っていた筈が、あと2ヶ月、あと1ヶ月とドンの旅立ちが近づくにつれ、だんだん寂しくなってきた。ドンの主人の「虫丸」さんは舞踏家で、2年ぶりの東京公演のため、屋久島から家族5人で軽のワンボックスで各地で公演をしながらやってきた。そして東京公演が終了後、ドンを連れて我が家から旅立って行ったのだった。別れの時は思わず泣いてしまった。その日はNOBUYAと二人、寂寥の念にかられていたが、でも「これでやっと、ドンも生涯をともに過ごす家族と一緒になることができてよかった!」という思いの方が勝り、本当に嬉しかった。だって出発の時、ドンが今までで一番いい顔をしていたから。

翌日にはもう、藤野での個展の搬入が控えていた。だから、かえって気持ちをパッと切り替えられて逆によかったのかもしれない。今年は子犬の子育てに明け暮れることを覚悟していたから、3月に屋久島で個展をしたのが最後になるかなーと思っていたのだが、縁あって藤野のギャラリー・カフェレストラン「Shu」からお声がかかり、発表の場を与えられた。それは本当にありがたいことだった。お陰でその日からはもう、自分のことにとにかく集中しなければならなかったから。本来の自分の仕事に立ち返ることができたのだ。でも個展にはドンのエネルギーもいっぱい詰まっていた。しかも彼が旅立ったその日に新たな仕事が入り、それはドンからの贈り物としか思えなかった。nociwは寂しがるかなーと思いきや、またもとの状態の、自分が一番甘えられる立場になれたことが嬉しそうだった。確かに前よりちょっと甘えん坊になった気もする。でも、なんてったって一番頑張ったのはnociwだもんね。本当にお疲れさま。

個展はとても楽しかった。気持ち的に楽だったからだ。私がギャラリー「nociw」でやっていた頃の個展に少し近かったからかもしれない。周りには自然があって、テラスもあって、そこで焚き火をすることもできて…と。自由性が多かったのも大きかった。そして何より最大のポイントは人のあたたかさ。オーナーの「シュウ」さん、「和子」さん、「ハカ」ちゃんをはじめ、スタッフのみんな誰もがとっても親切だった。そんな空気は訪れた人たちにも伝わっていたようだ。来てくれたお客さんは都会からの人が多かったが「こういう環境の中で、リラックスして∀KIKOの絵を見ると、さらに感じ入るものがあるよ!」という声をたくさんいただいた。みんな来た時と帰る時の顔が違っていたのがおもしろかった。そして誰もが口々に「ごはんがおいしい!」と言ってくれてたのは私もうれしかったな。ランチタイムはテラスから見渡せる畑から摘んだサラダの食べ放題。野菜がとにかくうまかったよね。そして近くにある温泉でもまたお客さんにあったりして…。裸のつきあいもけっこうあったね。とにかくこんな個展は初めてだった。生活の延長線上にある個展。アートワークがライフワークである私には、そのまんまな感じが実におもしろかったなぁ。

個展の時に設置してあるメッセージノート。これは私の個展が終わったあとのお楽しみで、開催中は忙しくてゆっくりと見れないから、終了後に余韻を楽しみながらじっくり味わって見ているものだ。今回はNOBUYAが「声に出して読んでくれ」と言うのでリクエストに答えて朗読したんだけど、読みながら、何度も涙が出そうになった。みんなの言葉が心に響いて。個展の度に増えていくこのノートは私の生涯の宝物だ。シュウさんが「∀KIKOさんのファンてさ、とにかく素敵な人たちが多いよね!」と言ってくれていたけれど、私も実際そう思ってます。ファンのみんなからエネルギーをもらい、そのエネルギーを今は「誰かのための絵」を描くことに注いでいる最中。こうして私の中にはエネルギーが絶え間なく巡り、絵描きとしての人生を生かされているのだ。いま。ここで。

そうそう、ドンに破壊された私の大切なインディアン・フルート。宮大工「ヒロ」と「ヤス」のお陰で見事に再生を遂げた。笛に乗った守り神がバッファローからオオカミへと見事に変身して!

この宇宙へ。愛しています。

 

_ 2009.12.02_>>>_満月


「soul mate meeting」

藤野町での個展「KANTO」が始まった。

28日のオープニングイベントでは、テラスで焚き火を囲んで、みんな輪になってニコニコしていた映像が余韻となって今でも残っている。会場の「shu」ではDJが入るというのも初めての事だったようで「いったい、この日はどうなるのかしら?」とオーナーの「和子」さんも半分心配していたようだった。この日ライブの「奈良」ちゃんはノリノリで「やっぱり藤野はいい所だねぇー。ホント気持ちいいやぁー」と上機嫌。私たちは久々の再会を交わし固くハグをした。「今回は呼んでくれてありがとう。めちゃめちゃ嬉しいよ。オレもさ、今ではこうやってソロでもバンバン活動してるけど、その最初のきっかけをくれたのは∀KIKOさんなんだよね」そうだった。かつてギャラリー「nociw」をやっていた頃に、個展に彼を呼んでやってもらったのだ。私は誰かと一緒にやるのだとばかり思っていたら奈良ちゃんが「いいや。ここではオレ、あえて一人でやってみたい」と、そう言って初の奈良大介ライブが産声を上げたのだった。あの日、来ていた奈良ちゃんのファンは「こんな奈良さんは今までみたことがない。最高です!」と驚いていたっけ。

「あれ以来、奈良ちゃんをソロで呼ぶのは二度目になるんだねー」「そうだよー。オレ嬉しいよ。ありがとーっ!」この日は、何時頃からライブが始まるという予定は全部とっぱらって、すべて奈良ちゃんのノリに任せることにした。「ほんと?好きなだけやっていい?」確かにいつもよりも更にテンションが高い奈良ちゃんだった。NOBUYAもそんな彼を見て最高に嬉しそうだった。自分が飲んだビールの数を数えていたら「11だった!」と得意げに言ってたな。じわじわとお客さんが集まってきて、テラスで「シュウ」さんが火をつけてくれた。スタッフの「ハカ」ちゃんも常に細やかに気をつかって動いてくれる。場の空気がとてもあたたかだった。夕暮れと火と音楽と絵。そこはまるで、ギャラリーnociw時代にやっていた個展会場さながらの雰囲気だった。どこか懐かしくて、この十年を走馬灯のように思い巡らせてくれた。

突然、ジャンベが空間を引き裂いた。始まったのだ。どんどん太鼓の魔力に引き寄せられていくみんな。「奈良ちゃんの太鼓は祓いの力があると思う」そう「サヨコ」がかつて言っていたことがあった。圧倒的な清めの力。「うーん。本当にそうだな」と思って、全身耳のような感覚で音に浸っていると、実際にサヨコが目の前に現れた。アリワも一緒だ。まさかの驚きで、最高に嬉しかった。「今日ここに来る途中でさ、電車のホームでサヨちゃんに会ったの。なんかあるでしょ絶対!」奈良ちゃんは笑った。この日はマヤン・カレンダーではソウル・メイトが集う日だった。そのことを、たまたま3日前くらいに「ヤマシン」の家で知って「じゃあ、この日集まってきた人はみんなソウル・メイトなんだね。それぞれの場所で集まるべき魂が集うってわけだ。なんだかワクワクするね!」と盛り上がったのだった。太鼓が終わってインターバルがあって、再び今度はテラスでギターと歌のライブが始まった。NOBUYAがかける波の音と重なって、そこはまるでビーチのようだった。外には「シリパ」という、私とNOBUYAの故郷の象徴でもある聖なる山の絵があって、実際の場所は海でもあるので私たちは容易に、その日のみんなが私たちの故郷の浜辺に集っているかのように想像することができた。するとやっぱり、また胸の奥がキューっとなるような懐かしい感覚になるのだった。サヨコが飛び入りで歌ってくれた。思いもよらぬ天からのギフト。「私ね。もう、さんは付けないよ∀KIKO!」なんだか嬉しかった。この二人のミュージシャンはどうしてこんなにも愛をくれるんだろう?奈良ちゃんの音が止んでいる間、NOBUYAはあえてノンビートの音を流して耳心地をよくしてくれたり、メリハリをつけて飽きさせずに楽しませてくれた。地味だけどすっごく重要な音の仕事を見事にこなしてくれていた彼。この人が夫だということも、今でもとても不思議なことのひとつだ。

「いろんなタイプの人たちがいて、とってもおもしろかったわ。そしてみんながみんな、すっごく素敵な人たちばかりだった」と和子さん。ご近所の方は「今日は違う惑星に来たようだった」と言っていたようだ。人数も多すぎず、少なすぎず、丁度いい塩梅で何もかもがスムーズに流れた。まるで神様がすべてお膳立てしてくれていたかのように。「もう、このお店は動かされているんだ」シュウさんは言った。さよならの時の、和子さんとシュウさんの強い強いハグは私に言葉以上のものを伝えてくれた。

みなさん、出会ってくれてありがとう。

 

_ 2009.11.03_>>>_満月


「巡り」

長野で「ひだまりマーケット」に参加してきた。

以前大鹿村へ初めて行った時、去年のチラシを見て「今年、参加したらおもしろそうだね」と飯田が実家の「美千代」と話していたのだ。NOBUYAもそこがすっかり気に入っていたので結局、犬達とみんなで一緒に行くことになった。「どうせなら1週間前から、また草津回りでキャンプしながら長野に入ろうぜ」とNOBUYAが言うので、犬達もいろんなシチュエーションがある方が楽しいだろうし、そうすることに決めた。出発の2日前、ひょんなことから近所に住む「ヤマシン+クミ」と「taba」に久々に会ったのでそのことを話すと、また物好きな奴らはのってきて、私たちが長野インした時に落ち合うことになった。場所は美千代のお父さんに教えてもらった美しい河原。前回夏に、そこでキャンプして私とNOBUYAは大好きになってしまったのだった。犬達もこの場所を覚えていたようで、すぐにゴロゴロした大きなまーるい石たちが広がる大きな河原へと降りていった。私たちはこの河原が春に訪れた屋久島で「佐藤家」に連れていってもらった「ヨッコ」に似ていたので「リトルヨッコ」と密かに名づけて呼んでいた。

マーケットの前日、リトルヨッコに仲間たちは無事到着した。キャンプ場でも何でもないところがみんな気に入ってくれたようで、とてもはしゃいでいた。翌朝、美千代がここまで迎えにきてくれた。朝日に照らされた川面は美しく「うわーっ!」と歓声をあげる彼女。「なんか、いい日になりそうだなー」という予感でいっぱいのマーケットの幕開けだった。自分が「素敵だな」と感じる場で絵を発表できることは、本当に嬉しいことである。たいていそういう場所には素敵な人達が住んでるものである。会場に着くと美千代のお母さん「美鈴」さんと妹の「はづき」が来ていた。後でお父さんの「和行」さんと妹の「ちふみ」も登場するのだが…。美鈴さんは手作り味噌の豚汁(すっごく美味かった!)を作るといって張り切っていた。はづきは手描きの絵のポストカードを、美千代は手製の草木染めのふんどしや靴下、アクセサリーなどを並べていた。隣に出店していた子供連れの若夫婦はセドナ帰りで旅で仕入れてきたものや、古本(私の好きな本ばかりだった)なんかを出していた。斜め向かいには農家さんがヤギを連れてきて「乳搾り一回100円!」とやっていた。「なんかいいなー。この大地な感じが!」と私はひとりワクワクしていた。結局キャンプの仲間連中はみんな、まだリトルヨッコでまったりとやっていたのである。突然、準備をしている背後から「∀KIKOさんっ!」と呼ぶ声があった。振り返るとなんとそこには「のぶ」がいたのだった。candleJUNEと一緒にツアーに出た時、スタッフだったやつである。相当ぶりの再会だった。「のぶっ!どうしてこんなところに?」「それは私が聞きたいですよ!私は古着を出しにきただけなんで」お互い、嬉しくておかしくて超ウケた。お客さんはやはり大鹿村の人が多く、私の絵に興味を持ってくれる人たちが想像以上にいたのには嬉しい驚きだった。

「君の絵はねぇー。もっともっと世界に出さんともったいないよ。もっともっと世界の人に見てもらわんとなー」このマーケットの主催者側の一人でもある「アキ」さん。美千代が最近お世話になってる人でもあり、のぶが今回のために泊まらせてもらってる家の主人でもあった。そして故「ナナオサカキ」氏とも親交が厚く、ともに多くの国内外を一緒に旅した仲でもあったようだ。そのナナオ氏が「Simple Side.」をとても気に入ってくれていたということは以前から聞いていたのだが、この大鹿村でアキさんと出会って、初めてナナオ氏とつながった気がした。そういえば美千代と「悠一郎」も世界中を旅しながらSimple sIde.の英語版を色んな国の人たちに見せてきたのだと言っていた。「本を見てる人の顔を見てると、あぁやっぱり伝わるものには国境がないんだなぁーと感動しました」と。私は二人が嬉々としながらその時の様子を、まるで目の前で起こっているかのように話してくれるのを聞いて「これってそのままSimple Side.の旅の映像詩になるなー」と想像したりしたのだった。「この本に反応した人達には次に∀KIKOさんの絵のポストカードを見せるんですよ。そうするともっと感動してくれて、それで、あまりにも感動してくれている人にだけ、そのカードをプレゼントするんです。いやぁーこの見せ方は色んな国でホント、何度もやりました。楽しかったですよー」二人の愛を感じて、言葉が出なかった。

そういえば先日Simple Side.の改訂版にあとがきを寄せてくれている「ARATA」がデザインする洋服「ELNEST」の展示会に呼ばれて行ってきた。「∀KIKOさん。今年はSimple Side.展できませんでしたね」「うん。でも大丈夫。ぜったいできるよ」私たちが出会ったそもそものきっかけがこの本だったのと、今年で出会ってちょうど10年ということもあって何か一緒にできたらいいねと話していたのだった。「じゃあSimple Side.の展覧会をやってその中で一緒に詩のポエトリーリーディングをしよう。わぁーそれ最高!」というところまでは盛り上がったのだが、スペースが決まらず保留になっているのだった。でもきっとすべてがタイミングだから、一番ぴったりな時に、一番素晴らしい形でできるんだろうなーと私は信じている。展示会場ではなんと、10年前に出会って遊んでいた仲間たちとも久々の再会を交わした。結婚をして、子供ができて…、そんな自然なことを自分達が最も楽しいと思える仕事をしながら創造し続けている彼らを、あらためてカッコイイなと思った。ずっと変わらない私とNOBUYAから見て、みんなは色んな人間模様を私たちに見せて学ばせてくれる先生でもある。そして「人間って素敵だな」と思わせてくれるのだ。帰り道NOBUYAと、この10年で何だかひと巡りした気がするねと話しながら歩いた。結局あの時、あんなに熱く結びついた理由が、もしかしたら10年という時を昇華してこれから現れだすのかもしれない。私たちは空を見上げた。「まずは今月、お互いクリエイトできる機会が与えられることだし、感謝して楽しもうね」「おおっ!」

そうなのだ。今を生きようっと。

 

_ 2009.10.04_>>>_満月


「魂をおくる旅」

9月のござれ市だった日、身内の葬儀が重なり急遽、北海道へ帰省することとなった。

妹の「フミ」の夫である「ヒロ」さんのお母さんが亡くなったのだ。2007年にガンと宣告されて以来、手術と入・退院を繰り返し闘病生活を送ってきたお義母さん。お会いするのは妹の結婚式以来となった。私やNOBUYAにヒロさんの故郷である「湧別へ来てほしい」と常日頃、話してくれていたそうで、駆けつけることができて本当によかった。亡くなったのが17日の朝で、知らせを受けてすぐに飛行機のチケットを取ろうとしたら、シルバーウイークが始まる直前で、全航空会社の全便が満席状態になっていた。空が駄目なら海だと、フェリーを問い合わせてみると、なんと新潟からのフェリーに個室の2名分だけが、かろうじて空いていたのだ。「これで来なさい」ということかと、私たちは「ホッ」と肩をなで下ろした。今、我が家にはオオカミ犬のnociwとdonがいるが、同じくdonの兄弟のramaがいる近くの「taba」の家にに2匹を託し、私たちは翌日、朝の4時に新潟に向けて出発した。新潟からフェリーに乗るのは久しぶりだった。しかも、いつもは2等の雑魚部屋しか取らないのでそれに比べると個室の和室は相当ゆっくり過ごすことができた。翌日の朝には北海道に着く。「なんだか嘘みたいだねー。今、ここにこうしているのが」「うん。まったく」今年は例年の、車で帰省ツアーに出かける直前に、犬たちが皮膚病になって取りやめになったが、こういう形でやはり北海道の地は踏むことになったのだなと思った。時間を持て余した私たちは船内の映画館へいってみた。すると上映されていたのは「おくりびと」だった。これから現実に営まれる風景と重ね合わせながら、私たちはつい真剣に見入ってしまった。

目的地、北海道の湧別に到着したのは19日のお昼頃だった。お義母さんの亡骸は死の直前まで苦しみ抜いたとはとても思えないほど、安らかだった。「きれいなお顔ですね」NOBUYAがお義父さんに話しかけると、彼は生前の妻の働きぶりを一生懸命に話して聞かせてくれた。その様子から奥さんを、心から愛していたのが伺い知れた。美容師として花嫁さんを創ることに生き甲斐を感じていたというお義母さん。お義父さんは建設業を営みながら、そんな妻を応援し続け、誇りに思っていたようだった。ヒロさんとは実際、今は親族になったがフミが結婚する前からずっと、私たち四人はまるで家族のような付き合いをしてきた。でもヒロさんの生まれ育った場所に初めて来てみて、彼という人間が形成された理由が少しだけわかったような気がした。たくさんの愛情を注がれて育ったのだろうなということも。ヒロさんの家は神道だった。仏式であればこの日は通夜となるが、神式では前夜祭となるということも初めて知った。だから告別式はお祭りなのだった。ただ柏手の音は「忍び手」といって音を立てずに二度手のひらを合わせるのだった。

フミとヒロさんの所にも、nociwの子供がいる。「shiva」だ。お義母さんの様態が急変してから、フミたちは現在住む札幌と湧別を行ったり来たりする生活になり、向こうに着いたら、たいていほっとかれることも分かってきたシバはだんだんと車に乗りたがらなくなってきたそうだ。それでも、ただじっと鳴きもせずに待っているということだった。「札幌では下痢なんかしたことないのに、こっちに来てから下痢が続いちゃって…」フミも相当シバを心配していたが、長男の嫁ということもあって力を振り絞って頑張っているといった感じだった。優しいシバはそんなことも察知して「いい子」を演じていたようだった。「シバ!」「わぁーっ。格好良くなっちゃって!」久しぶりのシバとの再会に私たちは喜んだ。シバもさっそくお腹を出して挨拶してくれた。彼は瞳の澄んだ美しい犬に成長していた。そしてなにより穏やかだった。飼い主たちのシャンティなバイブレーションに包まれているように。「シバ!お前偉いなーっ」感極まってハグするNOBUYA。「時間までシバの散歩、私たちがしようか?」「それはすごく助かる!最近あんまりできてなかったからさ」私たちにとっても願ってもないことだった。フミは車を貸してくれ、私たち3人は彼女のおすすめのサロマ湖のそばにある森の中へと入っていった。結局これは、遠くから来た私たちへのヒロさんからの計らいだった。「せっかくここまで来たんだから、楽しんでいってもらって」と。

湧別は美しいところだった。サロマ湖も、最初の森も、そして次の日にまたシバと散歩したトドマツの森やその先のオホーツク海も。「アトリエから犬たちと一緒に、森を歩いて抜けるとそこは海なんて。こんな生活素敵だなー」「やっぱりオレたちは道産子だね。こういう景色にどうしようもなく惹かれるんだから」浜辺を歩くとロシア語が書かれたウォッカの瓶が流れ着いていた。海に洗われてものすごく透明なのだ。いつまでも眺めていたくなるほどに…。シバは久しぶりにのびのびできたからか、リスを追いかけ回したりしてとってもはしゃいでいた。私たちはここにも、愛されて育っているnociwの子を見ることができて本当に嬉しかった。

御霊を送るお祭りは淡々と、そして美しく終わった。確かに今まで参加したことのある葬儀とはまったく違う感覚になる経験だった。どこか明るく、どこか晴れ晴れとしていて涙の空間の中にも潔さみたいなものが漂っていた。肉体から解放された魂を祝い送り出す。こうした神道の世界観は、自分にはとてもしっくりときた。荼毘に付されたお義母さんは「○○ノミコト」という神様になって家に帰ってくる。そうして家にまたひとつ神様が迎え入れられるのだ。なんだか素敵だなと思った。いろんな意味で今回突然に訪れた魂をおくるための旅、それは私たちにとっても、とても大事なことに気づかせてくれるための神様の大きな計らいだったような気がする。お義母さんが湧別に連れて行ってくれたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。

また会いに行きますね。

 

_ 2009.09.04_>>>_満月


「破壊と再生」

我が家のオオカミ犬nociwとdonを連れて再びキャンプの旅に出た。

まずは、2匹の湯治のため草津へ。とは言いながら、私たちもすっかりあの湯の虜になってしまっていたのだった。しかもただ湯というものに、ありがたくて感謝の念でいっぱいだった。大地から自然に沸き上がる温泉の力は、生命に新陳代謝の活性を促す。その恩恵には計り知れないものがあった。今回、犬たちの皮膚疾患によっていろんなことを学ばせてもらった。地球ってほんとに凄い。私たちは4日ほど草津にいて、次は長野へ向かった。

現在、旅人中の友「美千代」が一旦、長野の実家に帰っているというので初めて訪れてみたのである。美千代は「悠一郎」の彼女で二人はつき合う前に、それぞれにギャラリー「nociw」のお客さんでもあった。どういう訳か遠くから、私やNOBUYAのことをいつも応援してくれていて、ことあるごとに励ましのメールなんかをくれていたのである。それがきっかけで二人がカナダに滞在中に、私たちのためにアートショウを開いてくれることになって、あの時はずいぶんと楽しませてもらった。彼らはこの7月に帰国したが、再び年内に出国するまでのつかの間、たびたび一緒に過ごしたいねと話していたのだ。美千代の実家にはおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが揃っていた。美千代が実家に帰るのは旅に出る前以来の3年ぶりだったそうだ。「まるで家では浦島太郎ですよ私」と言う彼女の言葉に「そんな状態で俺たちが行って本当に大丈夫なのか?」とNOBUYAは心配していたが、とにかくみんなで待っていてくれてるとのことだったので、私たちは車を走らせた。そこは中央アルプスと南アルプスを臨める羨ましい場所にあった。「こんばんはー。はじめまして。美千代の友達の∀KIKOとNOBUYAです」「あーどーもどーも、美千代がお世話になっております」その日は私たちがやってくるというので庭でBBQの用意がされていた。野菜は向かいの畑でおじいちゃんが丹精込めて作ったもの。釣り好きのお父さんが秘境で釣ってきた貴重な川魚はそれはそれは絶品だった。なんだか初めて会う、しかも友達の家族だというのに、みんなとてもあったかくて私たちはリラックスしっぱなしだった。土地の歴史に詳しいおじいちゃんの話は本当におもしろかった。お父さんも地域の有志と一緒に、その土地の文化や史跡を保護する活動を積極的に行っていて、焼けた肌に透き通るような目をした本当に素敵な人だった。そして印象的だったのは、二人とも奥さんをとにかく褒めること。家庭円満の秘訣はどうやらそこにあると私は思った。

悠一郎と美千代は3年間の旅で世界を見てきて、すっかり農業への関心が高まったようで、自分たちが日本で腰を据える時には半農半Xとして、自分たちが食べる野菜は自分たちで作りながら、クリエイティブなことがらに携わっていきたいと思っているようだった。NOBUYAは美千代に熱く語っていた。「お父さんは凄いよ。悠一郎たちがやりたいと思っていることをもう実践しちゃってる人だからね。灯台下暗しさ」美千代も自分の家族がどれほど素晴らしいかを、日本を出てみて初めて気づいたと言っていた。「次の世代に残すために、自分にできることをやっていきたい。集まりがあれば弁当の手配は自分がする。縁の下の力持ちが必要だからね」そんなお父さんにすっかり惚れ込んでしまったNOBUYAはお酒の勢いもあって、翌日テニスの審査員として朝早く出なければならない彼を引き止めて、延々と話し込んでいた。それをまたお父さんも眠かっただろうに嬉しそうに聞いてくれていたのだった。とてもつき合いきれなかった私は先に寝たが、翌朝NOBUYAが話してくれた。「夕べ最後にお父さん、なんて言ってたと思う?結局すべては愛だからね。ってそう言ったんだ。オレ泣いたよ」と。その日は美千代の家にも関係が深いという神社や、古墳や城跡なんかに行って一旦家に戻ってから、今度は美千代のお母さんを連れ立って、大鹿村まで行き、分杭峠で磁場0を体感し、おいしいご飯を食べて温泉に一緒に入った。あのお父さんにこのお母さんありき、というような魂のきれいな人だった。そのあとはキャンプ好きだというお父さんに教えてもらった絶景の場所でキャンプをして、真っ暗な空に満天の星のギフトをもらった。

実はその朝、車にいたdonが今まで同じ場所にあっても絶対に手をつけなかった私のインディアン・フルートを食べていたのだ。私のもとにNOBUYAが「泣くかもな」と言って差し出したそれは、吹き口がメチャメチャになり、守り神のホワイト・バッファローがズタズタになった変わり果てた姿のフルートだった。息を吹き込んでももう音はしなかった。自分でも信じられないくらい涙が流れた。それはギャラリーnociw時代に、初めてやってきたフルート吹きの方に「この笛は君のもとにくるために作られたものだよ」と言って渡された、彼の友人のナバホ・インディアンが作ったものだった。その日以来、その笛は私の宝物となり風のスピリットを運ぶ道具となっていた。突然、吹きたいという衝動に駆られては、いつでもその瞬間の音を奏でてくれた。自然の中にいる時はかかせない存在だった。それが想像もしなかった姿になって目の前に差し出されたのだ。でもdonは決して悪くない。誰のせいでもないのだ。「無執着」そのことを自分は本気で学ばなければならないのだなと思った。「オレだったら半殺しだけどなーなんてね」私の気持ちを一番理解してくれているNOBUYAは何と言っていいのかわからないようだった。とにかく私にとっては強烈なメッセージだったのである。そして落ち込むのではなく前に進まなければと真剣に思わせてくれた出来事だった。

ところが、旅から戻り、フルートを眺めていた私にNOBUYAが言った。「ひょっとして、ヒロなら直せるかもよ宮大工だし」「そうだった。近くに腕のいい職人がいたのだ」いきなり光が差してきた私は、さっそくすぐそばの工房へ行ってみた。事情といきさつを一通り話し終わった私にヒロは言った「たぶんできるでしょう!」この時の喜びといったらなかった。また生き還るのだ。いや新しく生まれ変わるのだ。守り神のホワイト・バッファローはこの機会にオオカミに変えてもらうことにした。絶対に縁があるとしか思えないからである。というか、きっとそういうことだったのだろう。神様の計らいは本当に巧妙である。そのすぐあとに、今度は高尾の隣町の藤野町にあるギャラリー&カフェ「Shu」から個展のお誘いがあり、11月に開催することが決まった。何かが終わり、何かが始まる。

これから起こることに今は、とてもワクワクしている。

 

_ 2009.08.20_>>>_新月


「火」

夜のはじまりの時
私は静かに火を起こす

火の神に酒をそそぎ 私は祈る

この火で夜をお守りください
この火で闇をお守りください

炎はゆるやかに踊りだし
やがてゆっくりと語りはじめる

どれくらい 時間がたっただろう

いつのまにか 私は火になっている

体が自然にゆらぎ
心が喜びの唄をうたっている

オレンジ色の炎は

色を変え 形を変えながら
ふたたび ゆっくりと語りはじめる

懐かしい人たちの声がする
これから出会う人たちの声がする

オレンジ色の炎の中で

過去と未来が踊っている

生と死が唱っている

 

_ 2009.08.06_>>>_満月


「お試し」

我が家のオオカミ犬「ドン」の引き渡しが11月に延びてしまった。

彼が貰われていくことになっている屋久島のファミリー、その大黒柱である父親の「虫丸」さんは山海塾とも関わりの深い舞踏家であるが、その彼が8月から韓国に招かれ3か月間、公演を行うことになったそうだ。妻の博美さんは上は5才、下は1才にも満たない3人の子供の子育てと、日々の畑仕事に追われ、ドンのことがおろそかになってしまうかもしれないから、もう少しこっちで預かってほしいということだった。本当は今月、屋久島までドンを届けにいくはずだったが、そういう事情ならばあまりにも博美さんの負担が大きくなってしまうし、ドンのことを思っても、やはりその方が賢明だろうと私達も納得した。11月には東京公演があるそうで、その時、家族でこっちにやってくるので帰りにドンを一緒に連れて帰たいとのことだった。

さて、ドンだが、兄弟がみんな先に旅立ってしまってから急に甘えん坊になり、それまでの外での生活では、ギャンギャン鳴いてお隣さんからも苦情がきたので、それから中に入れていたのだが、11月までとなるとまた事情が変わってくる。屋久島では完全に外飼いになるということでその頃には彼も7か月になってしまっているので、それからいきなり外に出されても状況に慣れずに、かえって博美さん達が困ってしまうのが目に見える。ましてや虫丸家のお隣さんはかなりうるさい人とのことだ。そこで私達は心を鬼にして、外飼いに今から慣れさせるために訓練を始めた。外にゲージを置いてリードをつないで、そこで生活できるように努力している最中だ。でも、家には彼の母親のnociwがいて彼女は完全な中飼いなので非常に難しい。ドンからは文句の連発だ。そりゃそうだ。かといってnociwを外に一緒につないでおくと今度は彼女からのブーイング。頭が痛い。(笑)

そんな出来事に輪をかけたように、今度は2匹が犬カイセンになってしまった。どこから貰ってきたのかはもうどうでもいいが、この一連の出来事は私達にとってとても重要なメッセージだと受け止めている。本当に命を育てるということは、予期せぬ事態の連続である。とても重いものなのだということを改めて思い知らされた。カイセンには硫黄が効くと聞いて早速私達は草津に温泉治療に行った。本当は毎年恒例の北海道帰省の旅に出る予定だったのだが、その日程をすべて犬たちの湯治にあてたのだった。1箇所しかないキャンプ場をねぐらにして毎朝、氏神様への参拝に始まり、1日数回2匹を源泉の川に連れていき体を洗い、浄める。約2週間の間そのサイクルを繰り返し、東京に戻ってきた時にはほとんど良くなっていた。それから一応病院に連れていってみたが「温泉がかなり効いてますね。もう治るでしょう」とのことだった。ひとまずホッとするが、ここで気を抜くわけにはいかない。ハードなスケジュールと心労が重なって今度はNOBUYAの体調が崩れてしまったのだ。ここで私までもが倒れるわけにはいかないので瞑想することにする。もう頭がいっぱいという事態にしか見えなくても、そこには必ず1本の道が通っているはずだから...。

こんな時だからこそ、しばし心を落ち着けようと努める、今日この頃です。

 

_ 2009.07.22_>>>_新月


「巣立ち」

我が家のオオカミ犬nociwの子犬もあと、「ドン」を残すのみとなった。

「ブッダ」「シバ」に続いて巣立ったのは「カーリー」と「ニマ」。カーリーは秋田のブリーダー「シリアス・ストーリー」の「ヒロ」さんの元へ行った。ここには子犬たちの父親「Q太郎」がいる。先日、ヒロさんから受け渡し場所に指定されたヒロさんの友達の訓練士さんがいる埼玉の訓練場へ行って、Q太郎と久々の再会をした。nociwもすぐに彼の元へと飛んでいき、嬉しそうだったが、速攻後ろに乗っかられそうになって少々困惑していた。(笑)子犬達には自分の子だとわかるのか、とても優しく接していたQ太郎。子犬達も嬉しそうに自分から父親にすり寄っていった。カーリーは6匹の中で一番最後に生まれてきた子だ。しかも羊膜を突き破って出て来た時にガッツポーズをしていたのだった。その姿を見て、てっきりオスだと思っていたがメスだった。それから目が開くのも、立ち上がるのも何でも一番で、お乳を飲む時も兄弟を押しのけて、我れ先にとむしゃぶりついていたので一番丸々とした赤ん坊だった。ところが、離乳食が始まってみると、一人だけお腹を壊すことが度々あって、皆に先を越され一番痩せっぽちになってしまった。どうもオオカミの気質を強く持って生まれてきたようだった。とても繊細なのである。そのくせ好奇心は一番強く恐いもの知らずな性格なので、危険な部分もある。だからヒロさんのところへ貰われていくのはぴったりだったのだ。ヒロさんが子犬を初めて見に来たのは「ござれ市」があった夜だった。その時に一目惚れをしてしまったのだが、翌日名前を決めようとしていた時に彼女は「どうも、頭の周りでカーリー、カーリーというビジョンが見えるのでカーリーにします」と言ったのだ。私はその名を聞いてドキリとした。なぜなら、昨日ござれ市に初めて来たお客さんに「あなたはカーリー神を信仰しているのですか?どうもそのエネルギーを強く感じるのですが...」と言われたからだった。

一番最後に貰い手が決まったニマはずっとクマと言われていた。母屋のすぐ近くに越して来た「メグ」の元へと行ったので、今でもしょっちゅう会うことができて嬉しい。ニマはチベット語で「太陽」という意味だそうだ。彼女にはとてもぴったりの名だ。ニマの18番は窓の外の運動場からジャンプして窓枠にぶら下がり、そのままトラバースして開いてるところまで腕の力だけで窓枠をつたい、みごとに中へ入ってくるという芸当だった。これができるのは彼女だけだった。その遊びを発見してからというもの、常にその運動を繰り返すので腕の筋肉は超ムキムキになっていった。しかもどんどん中に入ってくるまでの早さが短くなってくるのだ。どうやったら一番合理的に辿り着けるか、手を置く位置などを日々研究していたようだった。(笑)他の連中もニマの真似をしてしてみるが、あとちょっとのところでズズズーッと壁づたいに落ちていく。そんな彼等をちらっと横目で見ながら、ニマはとても得意げな顔をしていたっけ。

一人残されたドンは、その夜激しく鳴いていた。やっぱり寂しかったのだ。生まれてからずっと、兄弟たちとじゃれ合いながら育ってきて安心感があったんだな。それが突然、一人ぽつねんと残されて急に不安になってしまったのだろう。いくらなだめても泣き止まない声に、とうとうお隣さんのご主人がピンポーンとやってきた。「もう、わかっていると思いますが...」「す、す、すみませーん!」お隣さんの奥さんはいつも、運動場を覗き込んで愛おしげに子犬達を見守ってくれていた。この3か月余り、ご主人が「ちょっと、言って来る!」という気になったのを、奥さんが何度もなだめてくれていたのかもしれない。苦情も無理もないことだ。でも、お二人ともとてもいい人なので、そんな人達がお隣さんだったことには心から感謝している。「あとこの子が行くまでの間、どうか、どうかよろしくお願いします!」それからドンは家の中で暮らしている。でも、ドンは外飼いになるのだ。そうなった時、また試練があるかもしれないがそれも彼のさだめなのだろう。そのドンはいずれ屋久島へと旅立つ。それまでの間、いやそれからもずっと、彼が健やかであるように祈るのみである。nociwは全ての事情を察していて、一番甘えん坊で気の小さいドンを、懸命に教育してくれている。彼女には本当に頭が下がるばかりだ。まだまだ気が抜けない子育ての日々。

がんばるぞぉー。

 

_ 2009.07.07_>>>_満月


「ファミリー」

我が家のオオカミ犬「nociw」の子犬達もあと3匹を残すところとなった。

「ラマ」に続いて巣立っていったのは「ブッダ」と「シバ」だ。ブッダはニューヨークに、シバは北海道に、それぞれ飛行機に乗って飛んでいった。ブッダはニューヨークへ発つ前に、飼い主の「バスコ」の日本の家にひとまず連れて行くことにした。いきなり海外に行くよりも、バスコに慣れてから、彼と一緒に出発した方がいいだろうということになったからだ。バスコは友達のミュージシャン「デーナ」の一人息子で、8才の時、家族で日本にやってきたが「高校はやっぱり生まれ育ったニューヨークで通いたい」という彼の希望で、父親の「ジョージ」とバスコだけがニューヨークの家に戻ることになったのだった。そんなバスコの小さい時からの夢が「犬を飼うこと」だった。デーナは過去に3度、犬と暮らした経験があったが、でもそれはバスコがまだ生まれる前のことで、バスコと日本に来る時「ニューヨークに戻ったら犬を飼ってもいいわよ」と約束してきたのだという。そして日本で私と出会って、nociwと出会って、バスコがnociwのことを大好きになって「ねぇ、nociwが子供を生んだらさ、ボク絶対欲しいよ!」と言っていたのだった。デーナはあと1年くらいはまだ、日本に残ることになっているそうで、当分ジョージとバスコとブッダの男三人衆だけでの暮らしになる。ジョージはエンジニアの仕事が忙しくて、あまり家にはいないと聞いて「果たしてバスコだけでブッダの面倒が見れるんだろうか?」と結構考えもしたが、バスコには強い覚悟があったようで、ニューヨークでのブッダとの暮らしをシュミレーションして、毎朝早起きの練習をし、ブッダの散歩の時間を少しでも多く取るために頑張っていた。そんな、けなげなバスコに私達は感動して「大丈夫。彼ならきっと、ブッタのいいパートナーになるだろう」と確信したのだった。ブッタをバスコん家に届けに行った時、彼はすぐに喜んで家の中へ駆けていった。「ブッタこれからよろしくね。ボクが君の面倒を一生見るからね。ボクのところにきてくれて本当に本当にありがとう!」バスコが何度も何度もそうブッタに話しかけていた。

シバは私の妹「フミ」が札幌から引き取りにきた。妹のダンナ「ヒロ」さんとともに、新しい家族を迎え入れることになったのだ。そもそもnociwに子供を生ませたのも、フミがいつも「犬を飼いたい」と言っていたからだった。「ねぇ、nociwの子供はまだなの?」と。そんな彼女の願いが届いて、想像通りの運びとなったのだ。1年振りに会った彼女はとても興奮していた。「とうとうこの日がきたね。」はやる気持ちを胸にシバと対面した彼女。じっと見つめ合う二人。私もそんな彼らを見て「本当にこれでよかったんだなー」と心から思った。フミは「やっぱりシバが一番かわいい。全員の中から自分で選んでと言われてたとしても、絶対シバを選んでいたと思う」と言った。バスコも同じことを言っていた「やっぱりブッタが、どう見ても一番かわいい!」と。そうでなくちゃね。自分のとこの子が「なんてったって一番!」その気持ちこそが、犬たちを幸せにする秘訣なのだ。どの子がどの飼い主のもとへ行くかは、NOBUYAと二人で犬達を観察して、ほとんど直感で決めた。「なんとなんくこの子はあの人だよね?」と。でも、それがすべてドンピシャなのだから驚く。というより「やはり行くべきところは最初から決まっていたのだなー」としか思えないのである。私達がnociwを授かったように。次は「カーリー」が行く。ブッタだのシバだのカーリーだの、それぞれ飼い主に決めてもらった名が神様続きなのもおもしろいしね。

またファミリーがふえたなぁ...。

 

_ 2009.06.22_>>>_新月


「流れ」

我が家のオオカミ犬nociwの子供たちにも、いよいよ旅立ちの日が近づいて来た。

夏至の日に、一番最初に巣立ったのは「ラマ」だ。でも彼女は近くに住む友達のtabaの元へ行ったのであまり寂しくはなかった。ラマは6匹の中で一番おとなしい性格の子だ。みんなが揃って鳴いていても、一人だけ黙って何かを噛むことにひたすら集中している、そんなマイペースなやつだった。tabaが連れて帰った夜も「キャンキャン」と2回鳴いただけで、すぐに眠りについたのだそうだ。翌日、tabaの車の助手席を覗いたら、何やらフカフカの敷物の上に優雅に寝そべって、とても気持ちよそさそうな顔をしていたので笑ってしまった。「ラマらしいな」と思った。

家の中では手に負えなくなったやつらは今、窓の外に作った運動場で兄弟仲良く寝起きを共にしている。すぐ下は川なので、いつも水の音が聴こえるせいか、中で寝ていた時よりもぐっすりと寝るようになった。晴れの日も雨の日も、元気に走り回り、プロレスをし、体を寄せ合って眠りにつく。そんな毎日を繰り返す彼らだが、日に日に顔が変わっていくことには驚く。本当に成長って、命ってすごいなと思う。それで先日、水道のタンクのモーターが壊れてしまった。子犬たちがコンセントを抜く遊びを覚えてしまったからだ。その度に家の水が止まり「またかっ!」となる。どんなにコンセントの周りを守っても、どんな障害物をも乗り越えて、ただ前へ向って突進していく彼ら。なんとも愛おしい限りだが、モーターがとうとう壊れてしまった日には、家の全ての水が止まり、水の大切さを、まざまざと思い知った。「水が使えないということは、こんなにも不自由なものなのか」と。

我が家の水は、ありがたくも地下水である。隣人の「たけお+ゆうこ」の家は違うし、その先の大家さんの家もまた違うというのに。大家さんいわく「この下だけがなぜか、コンコンと水がわき出しているんじゃ。しかも凄い勢いで湧いておる。ちょっとやそっとじゃ枯れんだろう」とのこと。継続中のトンネル工事の影響で水が枯れ、水道水になってしまった家も出てきていると聞いていた。私達もそのことをとても心配していたのである。でも、モーターが故障したお陰で、大家さんからいい話が聞けて元気が出た。「私達はお風呂もトイレも、生活のすべてをこの地下水からいただいているんだ。もっと大切に、もっと感謝して使わなきゃ」と今回のことで心底思った。そのことに気づかせてくれた子犬たちに感謝だ。

水道モーターが30年ぶりくらいに新しくなったからか、水の勢いが以前よりもぐんと増した。NOBUYAと二人で「流れたね!」と喜びあった。そういえば先日、nociwの散歩で森を歩いていたら、いつも水を飲んでいる湧き水のところに、以前「RED DATA ANIMALS」の個展の時にオオカミの絵の原画を購入してくれた「きんちゃん」がいたのでビックリした。地元の人だと聞いていたので別に会っても不思議じゃないのだが、初めてその場所で出会ったことが、私の中では何かのサインのように感じた。そこは私達にとっても、とても大切な場所だったからだ。彼女は一人、川に向って笑っていた。そしてひとこと。「流しにきたんだ!」とだけ言った。

そうだ。流れが変わったのだ。

 

_ 2009.06.07_>>>_満月


「6.6」

我が家のオオカミ犬nociwの6匹の子犬達、全員の行き先が決まった。

1匹だけ決まっていなかった仮称「クマ」。彼女にもついにパートナーが現れたのだ。それは6月6日。実は屋久島の友達「なーや」が「もう1匹くらい島で犬を欲しい人がいそうだけどなー」と彼の友達関係を当たってくれていた。すでに1匹は屋久島へ行くことになっていたので「結局、屋久島には2匹ということだったのか?」と私達は思った。「環境的には申し分ないし、兄弟同士、たまには会うこともできるかもしれないから彼等にとってもいいのかもね」と。「欲しい!」と名乗り出てくれたカップルが現れて、クマの写真を送り、ケイタイの番号を教えて、あとは直接電話がかかってくるのを待つばかりだった。それが6月5日のことで、翌日の6日の朝、なーやに「まだ電話こないけど?」と問い合わせると「検討中みたいだよ」との答え。私達は「逆にじっくり検討してくれるのはとてもありがたいね」と思った。本当にそうなのだ。ただ「可愛い」だけではとても勤まるものじゃない。ましてやオオカミ犬なので、すごくセンシティブなところもあって、まるでもう一人、人間がそこにいるかのような感覚にさせられるのだから。「とりあえず、待ってみることにしよう」NOBUYAは言った。「もし、向こうが欲しいとなっても直接話してみて、少しでも不安要素を感じたら、すすめられないしね」確かに。あとの5匹はみんな直接出会い、自分達の直感で「この人なら」と思える人達の申し出を受け入れてきていた。なーやの友達だからというだけで信頼はするけど、実際会っていない人達ということにはかわりない。私達にひっかかるのはそこだけだった。犬と人との相性というのもあるからだ。人間とまったく一緒である。

6日の夜、近所に3月に越してきた「メグ」が突然やってきた。そしておもむろに「クマの行き先ってもう決まった?もしまだだったら私にお譲り願いたいのですが...」と言ってきたのだ。私達は驚いたが、それよりも「そうか!」という思いの方が強かった。そしてそう思うと同時に「どうぞ!」と言ってしまっていたのである。メグは母屋に一番近いこともあり、nociwの妊娠中も一緒に過ごすことも多かった。子犬達が生まれてまもなくから様子をしょっちゅう見に来ていて、ダッコをしたりあやしたりして「あー癒されるー」とか言って家に帰った。でも、そればかりじゃなくて子犬達のオーナー達が我が家に来た時も一緒にいたので、オオカミ犬の大変さや素晴らしさを大真面目で話すNOBUYAの話も、耳に入っている筈だった。そして、実は生まれたてのクマを「なんか、コイツ。かわいいなー」とひいき目にあやしていたのはメグだったのだ。私の中ではそんな映像とともに「そういうことだったのかー!」という感動がわき上がっていた。「実はさ。ずーっと考えてたんだ。ひとつの命と出会って、これも何かの縁なんじゃないか?って。そりゃぁ不安もあるけど、それよりも、もしかしたら私、この子と一緒に成長していけるんじゃないか?って思ってさ。しかもよりによって、クマだけが残ってたじゃん?ホント真剣に悩んだよー」メグの住む家はペット禁止の借家だったが、大家さんと不動産家に掛け合い、面倒だった手続きも無事済ませ、犬を飼う許可ももらえたのだと彼女は言った。そこまでして考えてくれたメグがありがたかった。私達は顔を見合わせ「そうだ。屋久島に断りの連絡を入れなきゃ!」となったのだ。幸い、屋久島の方も「見つかってよかったね。こっちは何の問題もないよ」となって、すべてが丸くおさまったのだった。

その時、クマを呼んで「メグがおまえのパートナーになりたいって。クマ本当によかったね。おめでとうー」と伝えた。「クマ、よろしくね!」とメグ。クマはきょとんとしていたが、やがてペロペロとメグの顔を舐めた。私にはその時、彼女が事の次第を理解したように感じた。最後に自分だけが残った時から、クマは急に甘え出し、いつもキャンキャンと一番声を張り上げて鳴くようになっていたのだが、なんとこの時からその鳴き方は一切しなくなった。安心したのだろう。私達も安心した。これでやっと、あとはそれぞれのパートナーの元に渡っていくまでの間、nociwとともに、どこへ行っても愛されるような子たちになるよう育てることだけだ。クマの本名は現在考え中とのこと。ドキドキしながらクマも待っていることだろう。そして「結局母屋から一番近いところにもらわれていくクマと私達も、そうとう縁が強かったんだな」と、ふと、そう思った。「ありがとう!」メグ。クマ。nociw。NOBUYA...。

つながる命の輪に。

 

_ 2009.05.24_>>>_新月


「6」

nociwの子犬たちが生まれて1か月が過ぎた。そろそろ乳離れをさせるために、離乳食も始め怒濤の日々を送っている。

お腹が空いて泣きわめき、ご飯を与えた後は興奮して騒ぎまくり、おしっことうんちを垂れ流し、だんだんスピードが落ちて寝る。というパターンを4時間おきに、ほぼ正確なリズムで繰り返す彼ら。もちろん夜中でも関係ないので熟睡はできない。「そのうち天使が悪魔になりますよ!」と子犬たちのお父さん「Q太郎」を飼うブリーダーのHEROさんが言っていたことは事実だった。最近やっと、このリズムについていけるようになった私達。でも、体はいつでも眠いので、なんだかずーっと長い長い夢を見ているような感覚になってきた。2か月までは母親の元にいさせたいので、あともうひと月はそんな生活も続くことになるのだが、みんながやがて旅立って行くことを思うと、やっぱり一日一日がとても大事だなとますます感じている。本当に毎日育っているのが目に見えてわかるのが驚きだ。

6匹生まれた子犬のうち5匹の行き先がすでに決まった。最近、秋田からHEROさんがQ太郎の子供を見に来た時、ひとめ惚れしてしまった1匹が決まったので、残るはあと1匹になったのだった。彼女のことを今は仮称で「クマ」と呼んでいる。他のみんなは仮称から飼い主さんたちが命名した本名をもらった。クマはあとは自分だけだと決まった日、一人ではしっこの方に行って何かぶつぶつぶつぶつとひとりごとを言っていた。見ると哀愁の眼差しをしているではないか。「だいじょーぶよ。クマ。あんたは絶対、素敵な飼い主さんのところに行くことに神様がちゃんと決めてくださってるんだから!」目を輝かせるクマ。本当に彼女は表情がおもしろく、ひょうきんで甘えん坊で、でも姿は月の輪グマみたいにカッコよくてとってもビューティフルなのだ。(親バカだね)

ここんとこnociwの子たちを見に、あちこちからひっきりなしに人間がやってくるので、我が家は今、お正月みたいだ。大の大人も子犬を抱く姿は小学生のように純粋で可愛らしい。そして例外なくみな、ほにゃーっとした溶けた顔になって、なんともいえないシャンティなバイブを放ちながら満足気に帰っていくのだった。nociwはそんな人間たちをいつも、優しいまなざしでそっと見ていてくれる。「nociw。あんたホントに大仕事をしたね。こんなにもみんなを幸せな気持ちにしてくれてありがとう。美しい子犬たちを産んでくれてありがとう。」毎日nociwにそうやって感謝の言葉を伝える。そして子犬たちにも一人一人に「生まれてきてくれてありがとう!」と毎日伝える。そうすると、みんなちゃんと私達の心をキャッチしてくれて、目で声で語りかけてきてくれるのだ。

こんな貴重な経験はそんなにないなと思う。母屋にキャンパスを持ち込んでいざ、彼等を描こうとしても、中断されることの方が多いが、そんな時は絵筆を潔く置いて、自分の中に彼等の記憶を刻みこむようにしている。すべてはエネルギーだから。今、この瞬間を感じることに集中してみると、人と動物が同じ言葉を話していた頃の記憶へと彼等が誘ってくれるような気がするのだ。

只今、6つの命に夢中です。

 

_ 2009.05.09_>>>_満月


「命の時間」

我が家のオオカミ犬nociwにベイビーが誕生した。4.20の早朝に。6匹だった。

4月のござれ市が終わって、家に帰ると、nociwの様子がすでに変だった。「ひょっとして、もうすぐくるかもね」とNOBUYAと2人でドキドキしながら、今か今かと時を待った。結局、夜になって布団を引いて横になってはみるが、寝れるわけがない。家の中に、この日のために用意したゲージを段ボールで覆って暗くして、実際にオオカミが木のウロで生む巣穴状態を擬似的に作ってはみたが、nociwには当然、違和感があったらしく出たり入ったりを繰り返していた。母屋の外には大家さんの納屋があって、床は土だし涼しい。どうやら彼女はそこでこっそり生む気だったらしく、いつの間にか自分がすっぽりと入るくらいの穴をみごとに彫り上げていたのには驚いた。「そっかぁ、ここが一番快適なんだね」そうは思ってもそこは大家さんの持ち物。私達の家だったら断然そこで生ませるのだが、彼女にはあきらめてもらうしかなかった。なんとかそのことを言い聞かせて、しぶしぶゲージに入ってもらう。

夜中の3時頃、急に外に出たいというので出すと、夜に食べたご飯を全部吐いてしまった。もうお腹が圧迫されて消化ができなかったのだ。それからちょっと楽になったみたいで、膝に頭をのせて甘えてきた。「よしよし」と体を撫でていると、突然ブルブルと体が痙攣してきたので「やばい!」と思い産屋へ誘う。すると時々「オオォーッ」という何とも辛そうな声を張り上げていきみだした。「nociw頑張れっ!」ただ見守るしかできない私達だったが、前日もほとんど寝ていなかったのでフラフラだった。でもnociwの興奮が私達にも伝染して、どうにも気が静まらない。「とりあえず、祈りながら瞑想していよう」ということになった。しばらくすると、とても静かになった。そして「チューチュー」という虫のようなとてもか細い声が聞こえてきたのだ。あわてて中を覗きこむと、すでに2匹がもう、お乳を飲んでいた。「うわーっ。生まれてるよー」nociwがお母さんになっていた。そして驚いたことに、その状態で3匹目が顔を出していた。凄い光景だった。生まれることと生きること。その2つが同時進行しているのだ。「これが本能なのだ」私達はただただ感動していた。

3匹目が出てくるのに少し時間がかかったが、一番大変だったのは4匹目の子だった。ちょうどその時、NOBUYAは神棚に添えるために榊の枝をもらいに森へ入っていた。4番目の子だけが途中まで、体の半分くらいまでは出ているのにそこから先がなかなか出なかったのだ。痛さに耐えかねたnociwは、いきなり産屋から凄い勢いで飛び出してきて、その状態のまま歩き回り喘いでいた。私は一人、必死に考えた。「このまま見守るか、それとも子供を引っぱり出したほうがいいのか?あーなんでよりによってこんな時に私一人なの?」赤ちゃんも胴体半分出た状態で、苦しいのかピーピーと泣き叫んでいる。迷った末に私は結論を出した。「nociw、あなたは自分で産める。そして赤ちゃん、あなたも自分の力で出てこれるよ。二人とも頑張って!」私はまず、神棚に蝋燭を灯し、お祈りをしてから、インディアンフルートを吹き、そしてメディスンドラムを叩いた。叩きながら、いつものように即興で口から勝手にでてくる唄を、無事に生まれるソングを唄い続けた。どれぐらい唄っていたかもわからない。ただ気づいた時には生まれていた。でも、うんともすんとも泣かず、ぐったりしていたので、あわてて抱きかかえ、おっぱいの方に持っていくと少しづつ吸い出したのだ。「ほーっ。よかったぁ。ほんとによかったぁ」そのあとに何も知らないNOBUYAが笑顔で帰ってきた。5匹目と6匹目はそして何事もなかったかのようにするっとでてきたのだった。

それにしてもnociwはいいお母さんっぷりだ。3日間は自分のおしっこもうんこも我慢して、ひたすら子供のそばにいると聞いていたが、それは本当だった。やっと出てくるようになってからも、子供の鳴き声を聞くと飛んでかえって傍らにいる。子供達のおしっこもうんこもきれいになめて、赤ちゃんはいつでもピカピカだ。彼女の生まれて間もない頃も知る私達にとっては「nociwもこんな赤ちゃんだったのに、今はすっかり優しいお母さんになっているなんてねー」と感慨深いものがある。人間よりもはるかに早いスピードで成長するかれらには、見習うべきところがたくさんある。いずれは私達の年齢をも追い越して先輩となっていく存在。そんなnociwがとても愛おしい。母となってさらに美しくなった彼女が私達には愛おしくてたまらないのだ。子供達も日一日と大きくなっている。そろそろ目も開いてきた。これから、それぞれの個性も現れてくるだろう。おっぱいが終わって離乳食になったら、そこからが私達の出番。散歩に食事と7匹分のエネルギーが必要になってくる。でも、愛する誰かのために、日々の生活をガラリと変えられてしまうというのも、悪くない。そこからきっと、多くの気づきが得られることになるだろうから。やがては旅だっていく子犬たちと、かけがえのない貴重な時間を過ごしていこうと思う。

これは私達に与えられた、大切な命の時間だから。

 

_ 2009.04.09_>>>_満月


「シンクロ・ハーモニー」

旅から帰ってきた。屋久島からニューヨークへとつながる心の旅から。

屋久島では春分の日に行われた祈りのイベント「RAINBOW PRAYERS」への参加と、カレー屋さん「リラクシン」での個展があった。イベントの前日に会場になった森の鎮守である神社へ行き、「なーや」とともにこのイベントを企画した「けんた」の祝詞奏上、なーやのクリスタルボウルの奉納が行われ、集まったみんなで参拝し、翌日の実りを祈った。そのあとはみんなが森でゴミ拾い。NOBUYAをその場に残して私はリラクシンへと向った。この日が個展の初日だったのだ。着いてみると、店のマスターの「ターボー」が今朝入院したと、彼の元へ、このタイミングで種子島から遊びに来たという女性が言った。確かに前日、作品のセッティングをしていた時にやたらと咳こんでいたターボー。喘息だった。「まぁ、これも何かの縁だろうから、私もいるようにするけど、もし一人になっても、好き勝手にやってくれとターボーが言ってたよ」彼女が言った。「夕べ初めて会ったというのに...」私は彼の目の悲しいくらい優しい光を思い出していた。

前日の昼間、セッティングをやる前に私達はなーやの仕事であるガイドについて行き、4名の観光客の方たちと一緒に「白谷雲水峡」へ行った。年配のご夫婦と交際中のかわいいカップル。みんな、はるばる森に入るために来てるだけあって、心がきれいな人達だった。その2組ともが、それぞれ個展にやってきてくれたのだ。嬉しかった。そして温泉やスーパーでチラシを見たという人たちがポツリポツリとやってきてくれた。正直、なーやも果たしてどれくらいの人が来てくれるのか、さっぱり予想がつかないと言っていたのだ。それでもリラクシンによく来てるお客さんたちは「この店にこんなに人がいるのを初めてみた」と驚いていた。「まったく別世界になっている...」と

RAINBOW PRAYERSでは屋久島に住む3人の絵描きと一緒に絵を描いた。当初、なーやから電話で「3人がそれぞれに絵を描くけど∀KIKOさんはどうする?」と聞かれた時「4人いるならせっかくだからみんなで一枚の絵を描けばいいじゃん!」と提案したのだ。そのアイデアを3人もすぐに了承してくれたようだった。その時、私の中に浮かんだビジョンは円形の杉材をキャンパスに4つの方向から描いていくというものだった。中心には赤い丸が見えた。屋久島に着いた翌日、なーやとNOBUYAがさっそくそのキャンパスを作ってくれた。そして赤丸を入れておいた。当日、3人の絵描き一人一人に座りたい場所を決めてもらい、残った方位は北、それが私の場所になった。会場の森も島の真北に位置していた。「うわーっ。このキャンパスいいーっ」「あーなんか、この中心に向っていきたくなるねー」「これは梅干しだわー。私、今日ちょうど梅干しの種を首から下げてきたの」みんな気に入ってくれたようだった。四隅に屋久杉の香が焚かれ私達は手をつなぎ、祈り、そして描き始めた。

火はすでに焚かれていた。NOBUYAが火の神様に酒を捧げ、ホラ貝がセレモニーの開始を告げた。向こうでけんたのドリームキャッチャーのワークショップが始まっている。クリスタルボウル、たくさんのリン、太鼓、サックス、カリンバ...。音楽の始まりとともに、けんたの妻「なお」がすでに踊りまくっている。子供達も踊っている。そこに舞踏家の「虫丸」さんが登場。一瞬異様な気配を感じ、思わず顔を上げ食い入るように見入ってしまった。「まさかこんな本物に、こんな所でお目にかれるとは...」島に来た日、なーやの家に着く前に虫丸さんの家に連れていかれた。その日はちょうど奥さんの「ひろみ」さんの誕生日で一緒に祝いの席によばれ遅くまでお邪魔したのだった。「おもしろいオヤジだな」とは思ったが想像通りだった。「ヒロポン」のファイヤーダンスになった。「カッコイイじゃん!」前日、個展に現れた時の彼はもう既に酔っぱらっていて別人だったけど、それでも初めて会う私に似合いそうと、桃の花をコップに生けてプレゼントしてくれたのだった。「どいつも、こいつも芸人だね。いったいこの島はどうなっちゃってるんだ!」必死に映像で記録を撮っているNOBUYAが叫んだ。最後はみんなで祈りの輪を作り、思い思いの祈りを捧げた。大人も子供も犬も一緒に手をつないだ。このイベントのお陰で、そこに居合わせた島のみんながより深い絆で結ばれたようだった。

二次会はなーやの家に集まった。私達夫婦は、二人して中庭に出る勝手口の屋根に頭をぶつけ私は血を流した。なーやの妻「たかえ」を一瞬パニックにさせてしまったが、たいした傷ではなくその後は笑い話となり、満天の星空のもとで私達は長いこと話し合った。それから島を出る日まで、なんだかんだいってはみんなと集まってとにかく一緒に楽しんだ。個展の最終日に来てくれた虫丸さんが「帰る前に、もう一度家にも寄ってってよ」と言ってくれた言葉に甘えて、私達は帰る前日、晩御飯をごちそうになりにいった。話の流れで次はニューヨークへ行くことを話した。そうなのだ。屋久島行きが決まってから間もなく、なぜかニューヨークへと呼ばれることになったのだ。昨年、表参道でコラボレーションしたミュージシャンのデーナがひと月ほどニューヨークの家に帰るから「絶対に来て欲しい」と言ってきたのだ。今までにも何度も誘われていたが、その都度あまりノリ気にならず断っていた。でもなぜか今回は、ハードになることも分かっていながら「行こう」と素直に思ったのである。

「ニューヨークに行くんだったら彼に会うといい」虫丸さんから友達のアドレスをもらった。もう10年近く会ってないが、いい奴だからと。「彫刻家と絵描きは仲良くなれるだろう...」そんなことを彼はつぶやいていた。夜中に虫丸さんの家をおいとまして、けんたやなおも一緒になーやの家に泊まり、翌日みんなでフェリー乗り場まで見送りに来てくれた。一緒に絵を描いた「ひろこ」も駆け付けてくれた。「本当にありがとう。あの時間は最高に楽しかった」満面の笑みの彼女。乗船してもなお帰ろうとしないみんな。姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けてくれていた。「いってらっしゃーい」の声に送られて私達はちょっぴり泣きそうになった。

二日後にはニューヨークにいた。「Simple Side.」の出版元nicoの「taba」が一緒だった。彼女はSimple Side.を一箱、手荷物で持ってきていた。デーナも自分の仲間たちに作品を紹介したいと言ってくれていたのだ。彼女はいつかニューヨークでも私と「kokoro show」をやってみたいと思っているようである。でも着いた私には最初に行くべき場所があった。「グランドゼロ」。屋久島で行った「RAINBOW PRAYERS」の祈りの灰をみんなから託されてきたのだ。意図したことではなかったが、自然にそんな流れになっていったのである。まだ何か重いエネルギーが残る跡地に「NEW」と銘打って以前と同じようなビルが再建されつつある情景を見た時、何ともいえない感覚に襲われた。私達は、そこからすぐのハドソン川へ行き灰をまいた。その行為じたいは、ある人から見れば意味のないものなのかもしれない。でも、その瞬間私は、ずっと屋久島の仲間達を感じていた。

ニューヨークではなぜか、自然を満喫する日々を送った。デーナの住むアパートがマンハッタンの一番高い所にあって、その裏がニューヨークで唯一残る太古の森だったのである。「ニューヨークは平地から白人や富裕層が住んでいって、黒人は一番最後だから一番高い所に家があるのよ」デーナが言った。でも私から見れば、そこは一番贅沢な場所だった。「まさかニューヨークに来てまで森を歩けるなんて!」散歩するだけでもかなりの広さのあるその森の木々は一本一本がとても個性的だった。でもちょっと元気がないことに気づいた。「最近、心無い人々によって木々が森から盗まれているの」とデーナ。いったい何故なのかはまだわかってないという。

しばらく歩くと、大きな岩がごろごろとかたまって存在する不思議な感じのする場所に辿り着いた。思わずそこで手を合わせ祈っていた。瞑想すると力が湧いてくるようだった。「ありがとう」デーナが言った。この岩の隙間にできた洞窟で太古の人々は暮らしていたのだった。ふと見ると、石を丸く囲んで火を焚いた跡がある。それは屋久島の森でRAINBOW PRAYERSのためにみんなが作った火の場とそっくりなほどよく似ていた。イベントではその火の後ろに、絵のフラッグを飾るのにちょうどいい木があって、バッチリだったのだが、ここも、まったくそのようになっていて私は一人で鳥肌が立っていた。屋久島ではイベントのあとみんなに「∀KIKOはこれから森林ギャラリーアーティストとして世界中の森で絵を展示していくような気がする!」なんて言われたが「ニューヨークだったらここだろうな」とその時ハッキリ思えたのである。

虫丸さんから紹介された「ケン」さんの所へは最終日に会いに行くことになった。「何?虫丸からの紹介だって?だったら家で一泊してそのまま空港へ向えばいいよ」私が何者なのかもわからないというのに、ケンさんは会う前からとても優しかった。レンタカーを借りて郊外にあるケンさんの家へと向う途中、何度も鹿を見た。美しい自然。風景までもが屋久島とシンクロしていて「いったいここはどこなのだろう?」と思ったほどだ。何の目印もない道をひたすら住所のナンバーを頼りに走る。突然雷が鳴り響き辺りは大雨となった。「はじめまして。ケンです。まずは何も持たずに、さあ入って、入って」私達は自己紹介をした。彼の奥さんのグロリアはダンサーで仕事で今日は帰らないという。ケンさんは石の彫刻家だった。「僕の作品を見せるね。それが一番早いと思うから」「私の作品はこれです」私は画集を差し出した。「こ、これは。僕らはたぶん同じ星から来たか、1.500年くらい前に一緒に仕事していたかもしれないなー。いやー驚いたよまったく」ケンさんが言った。私も本当に驚いた。彼の石の彫刻は私の絵がそのまま彫刻になっているかのように、互いの作品が深く共鳴していたのである。「この出会いはきっと始まりだよ。おーい。虫丸ありがとなー」ケンさんは天に向ってそう叫んだ。

彼の家の外には広いスタジオがあって、何体もの彫刻が並んでいた。広大な敷地にもちゃんと計算されて作品がレイアウトされていて、そこはひとつの宇宙だった。小川が流れ水が湧き、薪ストーブがある。規模は全然違うけどライフスタイルが似ていた。「昔このスタジオで虫丸が踊ったんだ。∀KIKOちゃんもここで絵を描けばいいよ。デーナちゃんも歌えばいいよ。みんなでクリエイトして楽しもうぜ!」どこまでも明るく清らかでユニークな芸術家。そして抜群のセンスの持ち主。私達はその空間と人柄に完全にぶっ飛ばされてしまった。
彼の部屋のドアの上に手書きで書かれた英文字は「ノーストレス」。「みんないい?ここにはストレスは存在しないから。わかったかな?」屋久島からニューヨークへ旅して頂いた神様からの最も大切なメッセージ。それは「遊び心」だったのだ。なーやの2009年の書き初めの言葉が「シンクロ」と「ハーモニー」だった。それで屋久島ではシンクロが起こる度にみんなで「シンクロ・ハーモニー」と言ってハモって遊んでいたのだ。この旅はまだまだ続くだろう。何故ならもうすぐ生まれるnociwの子が屋久島とニューヨークへと、旅立つことになったから。

ありがとう。みんな。ありがとう。ART SPIRIT。

 

_ 2009.03.11_>>>_満月

「屋久島」

今、はじめての屋久島に旅立つ準備をしている。

イベントへの参加と個展のためだ。最初は単なる遊びのためだったのだが(笑)。現地で「なーや」が場を整えてくれている。彼はもとギャラリーnociwのお客さん。ちょうど「屋久島へ移住するんですよ」という時に出会った。その後もHPを見てくれていて、いつも励ましの暖かいメールを送ってきてくれた。年賀状もきた。彼も北海道出身だったせいか、いつの間にか親戚みたいな感覚になって、久々の再会を果たした去年くらいから急に親しくなって、こっちに来た時は家に滞在するようになった。そんな流れで私達も「とうとう行くべき時がきたね」と心が動き、あまり人のいなそうな時期を狙って行くことを彼に告げたのだ。そうしたらすぐに、せっかく来るならと「その期間中にイベントとか開けたらいいですよねぇ」となーやが言い出して、それが実現することになり、そのイベントを挟んで個展ができる場所までもを用意してくれたのだった。

「ありがとう。なーや」「あ、いやいや、せっかくですからねぇー。でも、遊ぶ暇がなくなっちゃいそうですよね。はははは」確かに(笑)。でも、これはとってもありがたいことである。表現者としては。しかも森の中で絵を解放することは前から夢みていたことだった。「きっと、気持ちがいいだろうなー。絵が喜ぶだろうなー」と。それが実現するだけでもたまらないのである。しかもこんなに深い森で。それだけでもすごく楽しみなのに、インド料理店で行うことになるというミニ個展ではどんな反応が起こるんだろう。「島に住む普通の人達に見てもらえるなんて嬉しいな」私はそう思った。これから起こるであろう出会いを想像すると、とてもわくわくする。

そういえば、ちょうどこの話を進めていた時、彼は実家の札幌にいて帰省の旅を楽しんでいた。そして、発見があったのだと言った。彼の母方の先祖は余市の人だったと。余市というのは私とNOBUYAの故郷で、なーやがここまで私達に縁を感じるのも、これで納得がいくと思った部分も彼なりにあったようだ。そして今回の帰省の旅で出会った人物が、かつて余市でネイティブを招いて行われたスエット・ロッジの関係者だったそうで、なーやは彼にも深い縁を感じたようだ。そういえば、ギャラリーnociw時代にこの儀式に、ネイティブを招く役割をしていた女性が儀式後、札幌から東京へ飛んで、たまたまnociwへやって来て、私が余市の出身だと聞いてビックリ仰天していたことを思い出した。その儀式にはアイヌも招かれていたようで、私はそんなことが私達の故郷で行われていたことに衝撃を受けたのだった。なぜそこだったのかは、土地に眠るエネルギーとの関係だとその女性が言っていた。私とNOBUYAは生まれた地を離れて初めてわかった。故郷で感じていた、このエネルギーというものを共有できるのだと。

とにかく、なーやは今でこそ「あーだ。こーだ」と後付けができるけど、最初から直感で潜在的に何かを感じとっていたんだろうな。今でこそ、私もそう思えるのだ。やっぱり出会いって不思議でおもしろい。屋久島よ。呼んでくれてありがとう。

つながりのすべてに感謝します。



_ 2009.02.25_>>>_新月

「シリアス・ストーリー」

我が家のオオカミ犬「nociw」の秋田へのロストバージンの旅が無事終わった。

連日、春のような陽気に包まれた東京の山奥から向った先は真っ白な世界だった。「今年は秋田も雪が全然降らなくて...」と聞いていたのだが、私達が向った日に限って秋田道に入ったとたん猛吹雪になり、高速を降りてから犬舎に向う田舎道では「ホワイトアウト」にあってしまい、何度も雪にタイヤを取られながら必死の思いで到着したのだった。到着予定時間を大幅にオーバーしていたので、かなり心配されていた。「はじめましてー。いやーお疲れさまです。こんな吹雪は秋田でも1年に一度あるかないかの日ですよ。壮絶なお出迎えでしたね」犬舎の「HERO」さんが言った。私達はとにかく無事に着けたことを喜び合った。「あんなホワイトアウトに遭遇したのは北海道で経験した以来でしたよー」NOBUYAが笑った。本当である。まるで冗談みたいな、映画みたいなシーンだった。

「まぁ、お茶でも飲みながら話でもしましょう」初めて会うHEROさんは、電話で話した印象とはずいぶん違っていた。もっと、バリバリのブリーダーっぽい人なのかと思っていた。(うまく言えないけど)でも、どこか自分達の田舎にいそうな、違和感の感じない気さくな人だった。「いやー。ホントに今回のことは不思議な縁でしたよねぇー」私達はあまりにもスムーズに事が進んで、ここまできてしまったことに驚きつつ、その出会いを喜びあった。「今日の天気もねぇ。これは偶然じゃあないですよね」HEROさんはポツリとつぶやいた。彼女自身、約1年前から急に意識が変わり始めて、同じ物事をいままでとは違った感覚で捉えるようになってから、周りの現実が変わり始めたのだと言っていた。「そういう自分になったから、お二人やnociwと出会うことになったんでしょうねぇ」彼女が変わる最初のきっかけとなったのが、今は亡きオオカミ犬の雌「ロック」との出会いだったそうだ。初めて飼うことになったオオカミ犬、ロックに本当の意味でのスピリチュアルな世界を教えてもらったという。生活を共にしていくにつれ、彼女の中に眠る野生の感覚から多くのインスピレーションを得ることになったようである。そのロックが5才の時に事故によってある日突然逝ってしまった。奇しくもその日はHEROさんの誕生日だった。そのロックが残した子供の一人がnociwのお相手「Q太郎」だったのである。人にもそれぞれ人生のストーリーがあるが、犬にもまた、それぞれにドラマがあるのだなーと思いながら眠りについた。

あくる日。天気予報では一日中雪だったはずが、信じられないぐらい晴れた。「ホント、神様の演出はにくいよねぇ」私達は笑い合った。昨日の吹雪から一転、この晴れ渡る日への展開は何かがリセットしたような気分になった。しかも暦は大安吉日。ハレの日に申し分ない最高の日和となったのである。朝、初めてnociwとQ太郎を会わせたNOBUYAが言っていた。「二人ともお互いを見たまま、しばらく微動だにしなかったんだ。ただジーッと互いに見つめ合っていたよ」相性もバッチリだったようである。いざ、二人を近づけてみた。するとnociwが自ら嬉々としてQ太郎に向っていくではないか!それをQ太郎が待ってましたとばかり後ろを狙う。求愛ダンスが始まったのである。信じられなかった。目の前の光景が。「nociwも求めてたんだなー」ということを改めて知る。NOBUYAをちらりと見やると何ともいえないという顔をしてじっと見守っていた。本当に不思議な気分だった。獣達のこういう光景を目の当たりしたことが初めてだったせいかもしれない。それはただ、本能のおもむくままの自然な行為だった。野生の血の沸き立つ瞬間だった。真っ白な雪の中で営まれる黒い犬たちのダンスを見て、私はただ「なんて美しいんだろう」と思っていた。初めてのnociwはさすがにとても痛がって、あと一歩が踏み出せないでいた。それでもQ太郎はとても優しくて、粘り強くひたすら時を待ってくれた。気の荒い雄犬だったら、雌の首元に噛み付いて動けなくしてから強引に我がものにする輩もいるという。でもQ太郎は決してそうはしなかった。性格までもがnociwにとても似ている気がした。「二人も疲れただろうから、ちょっとブレイクを入れて午後またトライしてみましょう」HEROさんが言った。「ふーっ」興奮しているnociwをなだめて休ませる。私達は昼食を取って、第2部が始まった。今度は外でしばらく様子を見てからQ太郎の犬舎で二人にしてみようということになった。すると間もなくして合体が成功したのである。15分くらいは繋がったままの二人を見てると、こっちにまでエネルギーが伝わってきて体が熱くなった。nociwは叫びを上げながらも目の奥で満足していると語っていた。私もNOBUYAも感無量の瞬間だった。(笑)

HEROさんの犬舎の名前は「シリアス・ストーリー」といった。「ブリーダーとして本当のことだけを、伝えていきたいと思ったから」実際では本当に正直なブリーダーの方が、少ないといわれる業界らしい。命を扱う仕事という重大性よりも、ビジネスとして儲かるからという理由でこの仕事をする人間達がたくさんいるのだという。長いブリーダー生活の中でHEROさんは、そういった様々な疑問にブチあたりながら、自分なりの答えを見つけだしていったようだ。Q太郎は「命の教室」というボランティァ活動で、たくさんの子供達と触れ合い、命の大切さを共有するという機会を持っているという。そういう活動もHEROさんにとっては、自分を大きく成長させてくれるものなのだという。犬達の存在の可能性に真摯に向き合う姿には感動するものがあった。彼女はずっと、犬達に変わらぬ愛情を注ぎ続けてきたのだ。nociwにはしっかりQ太郎の種が付いた印が見受けられる。きっと2か月後には元気な子犬たちが生まれてくるだろう。この地球に。

もうひとつのシリアス・ストーリーを紡ぐために。



_ 2009.02.09_>>>_満月

「nociwのお見合い」

我が家のオオカミ犬「nociw」に、とうとうお見合いの話がまとまった。

3月で4才になる彼女はもうお年頃、いつの日か子供は産ませるつもりでいたが、まさかこんなに早くその日が来るとは正直思ってはいなかった。でも、毎年3人で北海道へ帰省するたび、大の犬好きの妹から「お姉ちゃん、nociwの子供が早く欲しいなー。」と言われ続けていて「そろそろまじめに考えてみようか?」とNOBUYAと話し合うようになっていたのだった。でも、辺りを見回してみてもパートナーになれそうなオス犬はいなかった。一度「ひょっとして恋人が見つかるかも?」とドッグ・ランという所へ連れて行ったこともあったが、小さい時から慣れているわけではないので、いきなりたくさんの犬が囲いの中にいる状態を見て「いったい何なんじゃここはぁーっ?」とnociwをビビらせてしまった。そのうち少しづつ慣れてはきたのだが、みんなが一斉に走り出してnociwも走ると、走ることだけはいつも森を駆け回っているから得意なのだが、あまりにも足が早すぎて逆にみんなが引いてしまったのだった。どうもテンポが合わないのだ。無理もない。「ご、ごめん。父ちゃんと母ちゃんが悪かった...。」私達は安直すぎた考えを反省した(笑)。

それ以来、そんな出来事も忘れかけていた頃「あぁー。もうすぐnociwの生理が始まるなー。」と思っていた矢先、NOBUYAから「ちょっと相談なんだけど...」と、パソコンの画面を見せられた。「彼どう思う?」そこに写っていたのはnociwにそっくりの、でもとっても凛々しい顔をしたオオカミ犬だった。「えっ。彼は誰?」なんでも秋田のブリーダーが飼うオオカミ犬のオスだという。NOBUYAなりに色々とネットで探した結果、最終的に「彼しかいない。」と判断した結果だというのだ。名はなんとQ太郎といった。「キュッ。Q太郎!」確かに目の周りの毛だけが明るい色で、まあるくフチどられていた。「さ、最高ーっ!」「だろ?」勝手に盛り上がった私達だったが、果たしてブリーダーに種だけを頂くといったことができるのだろうか?あまりにも高額な値段をふっかけられたら、私達には手も足も出ない。そういう世界を全く知らない私達はとりあえず先方に恐る恐るメールで相談をしてみることにした。すると返ってきた答は、なんと「実はそちらのサイトには、たまにお邪魔しておりました。」というものだった。nociwのことも勿論知っていたし、彼女の両親のウルフィーやラフカイ、彼等の飼い主の「かつ+ちえ」の生活ぶりにもとても興味を持っていて、最近ちえが偕成社から出した本「ウィ・ラ・モラ オオカミ犬ウルフィーとの旅路」をアマゾンで取り寄せ中とのことだった。「す、すごい!」私達は驚いた。そして向こうも「このお話にはとても縁を感じています。是非!」と快く受け入れてくれたのである。しかもとっても良心的な条件で。「ブリーダーの世界では最近、ビジネスばかりが先行して、とてもついて行けない」とも言っていた。

20年近くブリーダーをやってきて、ここ最近、オオカミ犬と出会うようになってから、自分達の意識も急速に変わり始めたという彼等。「オオカミ犬はとてもスピリチュアルな存在。自分達が目指す世界はこっちかもしれない!」そう思い始めた矢先の私達からの突然のメールだったようである。向っている方向が正しい時にはすべての出来事がスムーズに流れていく。だから今回も、双方にとって、ちょうどいいタイミングで出会うことになったのかもしれない。それにしても、ネットを見ただけで「ここだ!」と断定できてしまうNOBUYAの直感にも改めて驚かされた。寸分の狂いもなかったのだから...。さて、いよいよ今月の「ござれ市」が終わった翌日からnociwのロストバージンの旅へと出発する。ここまで考えて行動する私達は単なる親バカかもしれない(笑)。あとは本人同士が決めることだ。我々人間どもは蚊帳の外で暖かく見守っていることにしよう。

nociw、愛してるぜ。



_ 2009.01.26_>>>_新月

「aiとakari」

大切なファンに「ai」と「akari」という2人の女の子がいる。

彼女達は今、23才。今年、年女になるという丑年の2人だ。初めて出会ったのはaiが高校3年生の時、当時、私がやっていたギャラリー「nociw」にふらりとやって来たaiは、ただただnociwの世界を感じとっている様子で、そのまま時間が止まっているかのような状態になっていった。言葉はいらなくて、ハグをすると、サーッと涙をとめどもなく流していたai...。私の存在を知ったのは、彼女が通う代々木上原の美容室「MO」で。壁に飾られていた絵を見た瞬間、心が動かされてしまったからだとのことだった。その時、nociwではちょうど個展中で、営業時間が終わったあと、中庭で焚火をしながら仲間達が集まってワイワイとお酒や音楽などをやっていた。初対面のaiは臆する風もなく、自然に焚火の前に腰掛けジーッと火のゆらめきを見つめていた。誰かが赤ワインをすすめたのを、これも平静な顔で受け取っていたので誰も高校生だとは思わなかったほどだ。

それから度々、aiはnociwを訪れるようになった。そうして高校を卒業して間もなくした頃、aiはakariを連れてきた。初めて会う筈の私達なのに、なぜだかとても親近感があった。「はじめましてー。akariです。∀KIKOさんのことはaiからいつも聞いてました。」そうなのだ。私もakariのことをいつもaiから聞いていたのだった。2人は高校1年生からの親友でソウルメイトなのだとaiはいつも言っていた。「私の魂にとって、とても大事な存在だから絶対に∀KIKOさんに会わせたいんだ...。」本当に性格は全然違うのに、2人はまるで1つの魂が2つになったかのようにエネルギーがぴったりと寄り添いあっていた。いくら仲良し女友達といっても、ここまでの関係はそうはないだろう。彼女達を見てると、愛が溢れてくる。そんな2人だった。

nociwがクローズしたあとは「ござれ市」や個展に2人はちょくちょく顔を出してくれるようになった。そしてある時、aiに宣言されたのだ。「私達、ずーっと∀KIKOさんの原画がいつか欲しいね。って話してて、やっとその時が来たと思うので自分達へのプレゼントに絵を選びに行ってもいいですか?」と。「可愛い奴らだなー。」と感激し、ついにその日がきた。2人はアトリエへ絵を買いに行くという行為を、ひとつの大事な旅のようにとらえていたようで、前の晩に近くの宿に泊まって心身をリラックスさせてからやってきた。「じゃあー。絵を見る?」ひと息ついて私が言うと、2人はもじもじしながら言葉を発した。「あのー。それがね、夕べ、ずーっと2人で話してたんだけど、もし、もしも、できたら私達2人をテーマに∀KIKOさんに絵を描いてもらうことなんてできるのかなーって。そんなことができたらどんなに素敵だろうって...。」「いいよ。じゃあその絵は2枚続きの絵にしよう。出来上がった時、どっちを持つかは2人で決めるってのはどう?」「うわーっ!いいーっ!」その時点でaiは泣いていた。それを見てakariが笑っていた。2人は出会った時からずっとakariのカメラでセルフタイマーにして写真を撮り続けているとのことだった。「じゃあひとつだけ私からお願い。今まで撮った写真で1枚だけ選ぶとしたらコレっていうのを送ってもらっていい?」「うん。わかった。」

送られてきた1枚の写真は、放課後の校庭だった。遠くで制服姿の2人が笑いあっている。1本の大きなイチョウの樹が印象的だった。その写真からは、まるでタイムスリップしていくかのように、当時の2人の姿が、ありありと見えた気がした。そして、aiとakariの笑い声。光...。封筒には2人からの手紙が入っていて「あれ以来ずっと興奮しています。」「こんなに何かが楽しみな気持ちって幸せです。」と喜びの気持ちが添えられていた。2人のそんな思いをビシビシと感じながら、私もまた2人だけに焦点を合わせて、2人のためだけに絵を描くという作業は幸せこの上ない時間だった。自分が喜びをもってする仕事を、喜んでくれる人がいる。こんなシンプルな幸せこそが私の源だ。思い合っていると通じるもので、時折2人からの通信のようなものがイメージで伝えられてきたりした。それをまた絵にしたりして作業は続いていく。結局描いているのは私だけれど、これはコラボレーションだと思った。でもどうしてここまでできるんだろう?と、ふと思ったりしたが、akariが手紙に書いていた「∀KIKOさんはどうしても他人とは思えない。私達のお姉さんみたい...。」という一節に「そうかもね!」と思えたりもするのだった。作品が完成したことを伝えてから取りに来るまでの時間もまた、2人をどこか違う次元へ誘っていたようである。「自分達のイメージの中だけで始まったことが、現実として形となって目の前に現れる。それって本当にすごい!」2人は興奮した面持ちで言った。

「はい。目を開けてーっ。」「......!!」しばらくしてakariが今までで見た中で一番のとびっきりの笑顔でこっちを見た。aiは?泣き崩れてる...!私にはどんな映画にもまさる最高のシーンだ。私はこうやってみんなから本当の感動をもらっている。だから私はいつも胸がいっぱいなのだ。「どんな絵が出来上がるかなんて、想像できるはずもなかったけど、どうして∀KIKOさん、こんなに知ってるの?」akariが言った。「絵を放せば放すほど、宇宙が広がる...。」aiが言った。「今はわりと近くに住んでるけど、いつかもっと離れる時も来る気がする。そんな時も、この絵を見てつながっているんだね。」2人は、今日はお互いこっちの絵を持って帰るけれど、時々絵を交換して持つこともあるだろうと予言した。たまには絵を持って集まり、その時は絵を一つにつなげてその前でパーティーをしよう!などと次から次へとインスピレーションが湧いてきたようだ。新鮮な感性とピュアでスイートな魂を持って生まれてきた2人。

ai、akari、ありがとう。



_ 2009.01.11_>>>_満月

「父」

1月11日は父の命日だ。1月1日に生まれて11日に逝った1の人だった...。

私が父と生活をともにしたのは生まれてからの8年間だけだった。8歳から13歳まで私が腎臓病で入院中に、両親は別れ父はすぐに再婚をし、子をもうけ別の家庭での父親行に忙しそうだった。新しい奥さんが、父が私や妹と会うことを拒んでいるとかで、それ以来めったに会う機会はなかった。退院して地元の中学に通うようになって、たまに道路を車で通り過ぎるのを見たりしたが、お互い何かぎこちなく、特に会話を交わすこともなかった。高校に通う頃になるとなおさらだった。そのまま私は卒業後、東京へ来たので父への思いのようなものを自分で封印してしまっていたのかもしれない。母は私が高校3年の時に再婚をし、私達姉妹の名字も変わったのだが、新しい父と生活したのも1年間だったので、自分の中での父親像というものは、どこかぼやけたままだった。

東京に出てきて何年後ぐらいだっただろうか?実家に帰省していた時にたまたま鳴った電話に出ると、父からだった。誰にも内緒で会いたいと言う。とっさの事で「わかった。」としか言えなかった。「なんでこんなコソコソした真似をして会わなきゃならないんだろう?」と、ちょっと腹も立ったが、私も少しは成長していたので「きっと、大人の言い分というやつがあるんだろう。」と思い、意を決して指定されたお寿司屋さんへと向った。店に入ると父はもう来ていた。面と向い会うのは十何年ぶり?いやもしかしたら生まれて初めてだったかもしれない。目の前にいる人は子供の頃に記憶していた父とはまるで別人のように、疲れ果て老いていた。「母さんにそっくりになったな。」「...。元気だった?」「あぁ....。お父さんは疲れちゃった。今は幸せとは言えないんだ...。」何も言えなかった。久しぶりに会う親からそんなことを聞いて、いったいどんな言葉をかけろというのか?「自分で選んできた人生の結果が今なのだ。」私はなぜかとても冷静になってその人を見つめていた。「お父さんっ!」という衝動的な感情は沸き上がらなかった。でも「この人の存在がなければ、今の私はここにはいないのだ。」という縁がある。この親子の縁というものは実に不思議だなとは思うのだ。私達はお互いを深く知ることのない浅い縁だったのかもしれない。が、この人はまぎれもなく私に命を与えてくれた人なのだ。私は東京の住所と電話番号を教え「頑張って。体に気をつけてね。」とだけ言って店をあとにした。

それから毎年、暮れには決まって父からのお歳暮が届くようになった。そして4度目くらいの年明けに、妹から突然電話がかかってきたのだ。「今日、車の中でお父さんが心臓発作で死んだって。お父さんのお兄さんから電話がかかってきたの...。」実は私にはその日、とても不思議なことが起こっていた。朝、目が覚めた時、その頃住んでいた家のそばにあった高幡不動尊になぜだかどうしてもお参りに行かなきゃという気が起きて、都心へ出かける用事があったがその前に寄っていこうと決め家を出た。途中田んぼを通るのだが、そこに立っているいつも話かける木の下に白鷺とカラスが向き合い回っているのである。私のイメージに即座に浮かんだのは陰と陽のマークだった。そして死と再生という言葉。「やっぱり、何か変だな。」と確信し、不動尊へ急いだ。そして本堂の前で祈っている時、強烈に父のビジョンがやってきたのである。そんなことは初めてだった。私はわけもわからず、ただ「お父さん。ありがとう。」と心の中で繰り返し祈っていたのだ。そして夕方家に帰ると妹からの電話が鳴ったのである。死亡時刻は、まさに私が不動尊で祈っていたその時だった....。

それからちょうど1年後の命日に、父は初めて私の夢に現れた。そして言ったのである。「お前がやっていることを、お父さんはすべてわかっているよ。そして、いつも応援している。今までのことはすまなかった。でもお前達のことを思わなかった日はなかったよ。」と。私の心が父の愛で満たされた瞬間だった。離れていることは昔と変わらないが、今の方がより近くに感じることができる。毎朝、たった1枚だけ持っている父の写真に手を合わせ、今日も生きていることに感謝して私の1日は始まるのだ。

お父さん、私は幸せです。ありがとう。




_ 2008.12.14_>>>_満月

「ふんどし」

ついに、夫婦でふんどしデビューを果たしてしまった。

最近、にわかに身のまわりでふんどし愛用者が増えていたのだ。「さぞかし、いいんだろうなー。」と思ってはいたのだが、なかなか着用するまでにはいたらなかった私達。ところが今年、ミュージシャンの「奈良大介」が我が家に遊びに来た時、ふんどしがいかに素晴らしいものかを力説していって、私達は奈良ちゃんが笑顔で放った「一度つけたら、もう元には戻れないよ。」という言葉に心を鷲づかみにされた。それからしばらくして、今度はシンガーの「サヨコ」が娘の「アリワ」と遊びに来て「∀KIKO、ふんどしはホント絶対だから!」と太鼓判を押され、私達の心はますますふんどし色に染まっていった。それからしばらくぶりに、今度は山梨にいるnociwの両親とその飼い主で炭の力を活かした商品を手作りで制作するピースリングの「かつ+ちえ」に会いに行ったら、なんと2人もふんどし派になっていたのだった。「こりゃぁ、もう、ふんどしにせよ!っていう天からのメッセージだよねぇー。」なんて笑っていたら、隣人の「猛男」が「こんにちはー。」とやってきた。腰を見ると、前にペロッとなにかが下がっているではないか。「あれぇーっ、タケオ。ふんどししてんの?」「あ、はい。買っちゃいました....。」となって私達は「ついに、ここまで来たか。」と装着べきタイミングを察知したのである。

年末の29日に、カフェ・スローで行われるサヨコオトナラの望年祭に夫婦で呼ばれたので、新しく生まれ変わったというカフェ・スローの下見にNOBUYAと行ってきた。駅からずいぶんと近くなってアクセスがとても便利になっていた。そして、スローのスピリットはそのままに、さらに広く雰囲気もよくなって活気に満ちていた。「こんにちわー。」店に入ると、店長の「マミー」が笑顔で迎えてくれた。「∀KIKOさーん。NOBUYAさーん。会えて嬉しいです!」喜びの再会のビッグハグ。マミーは相変わらず、いい奴なのだった。スタッフの中には前の店から一緒の人達もいて私達を歓迎してくれ、とても嬉しかった。野菜がいっぱいの、おいしいランチを食べて、店をウロウロしてみたら、物販のコーナーにあるではないか、ふんどしが!「よし、今日がオレたちのふんどしデビューの日だ。」NOBUYAの目が輝いた。「いいらしいですよねー。ボクはまだ未経験なんですが...」マミーがはにかみながら言った。とりあえず一着づつ買って、さっそく試してみることにした。

「うわぁーっ。何コレ?はいてないみたーい。」「すっげぇーっ開放感。」「気持ちいいーっ。」NOBUYAはパンツよりずっと似合っている!まさに「百聞は一見に如かず」で私達は、たちどころにふんどしのファンになってしまった。そして先日、浅草のウンコのオブジェのアサヒビールで行われた「麻ひらき」というイベントに遊びに行って、さらに新しいふんどしを2着買ってきたのだった。ひとつはサヨコもお勧めしていた千葉を拠点に活動し、夫婦で草木染めをして衣類を創作する「kitta」の「モッコ型ふんどし」。これはふんどしというよりは、ヒモパンに近いふんどしで女性に合っていてデザインもとってもキュート。もうひとつはオーソドックスなふんどしで麻を茜で染めた赤いふんどし。これは何かエネルギー高まりそうな感じがして、NOBUYAも買っていた。この「赤ふん」を作っていたのが「縄文エネルギー研究所」。ここの設立者で民族精神博士の「中山」さんの話はほんとうにおもしろかった。自分がパンツからふんどしに変身していった経緯を楽しく聞かせてくれ、会場がドッと笑った。古来の日本人はみなふんどしかノーパンだった。一人一人に神が宿ると考えられるこの私達の体が、いってみれば神社のようなもの。その中でも腰は命を創る大切な場所。その神聖な腰を魔を払いエネルギーをスムーズに流すという体に優しい繊維、麻によって作ったふんどしで守ってきたのだという。実に興味深い内容だった。そして中山さんはある日、公衆浴場で着替えをしている時に彼のふんどし姿をじーっと見つめながらパンツをはいていたオジさんが、バランスを崩し転んだのを見て閃いたそうだ。「そうか!ふんどしは足を大地から離さずに装着できる。パンツのままでは不安定なのだ。」と。(笑)まぁとにかく、彼の「脱パンツ」宣言におおいに乗っかって、私達もふんどしライフを楽しんでいこうと思う。

そう、本当のおしゃれは「マタモト」からね!



_ 2008.11.28_>>>_新月

「OBK」

奈良から3日間、元隣人の「えいじ」がやってきた。

それは「PIRIKA」の3周年記念パーティーがあったからだった。「ピリカ」というのは代々木にある美容室で、もともとはNOBUYAが10年前に「PIRIKA」としてオープンしたのが始まりだった。そのお店のスタッフとして働いていた「ヤマシン」に3年前、NOBUYAは全てを譲り渡したのだが、ヤマシンのお店になっても「ピリカ」という名前はそのまま受け継がれ、現在ではマンションの1Fの美容室だけではなく、4Fにマッサージとネイルのサロンも設けられ、スタッフも増え盛り上がりをみせている。そのスタッフの1人、マッサージ師として働いているのが「チュック」といって、えいじの大親友の1人で、今回のパーティでベリーダンサーのバンドとしてライブをやったのが「マヤ」といってプロのミュージシャンであり、えいじの大親友のもう1人だった。つまり、大親友の3人組が久々に集まる一大イベントだったのである。この3人のことを通称「OBK」という。これは自分達で名づけた名前で「オレタチバカ」の略だそう。そしてこのOBKでも、時たまステージに立ったりしているのだ。チュックはバイオリン、えいじはタブラやお琴やなんでも、マヤもタブラやキーボードやなんでもを、即興で演奏しながらとにかく自分達が一番楽しむジャムバンドとして遊んでいる。

パーティーはNOBUYAのDJもあったし、なんとnociwの出入りまでもが特別に許可されて私は嬉しかった。ビルの9階から西日に照らされる富士山が見えたり、都会の街の灯をはるかに見下ろしながらの世界は、それはそれで普段味わうことのできない景色で不思議な感覚になった。たまにはお山を出て、こういった場所で伸び伸びダンスをするというのもいいもんだなーと思ったりした。1階はアフガニスタン料理。ここで腹ごしらえをしたのだが、すっごくおいしかった。これも普段はめったに外食はしない私にとっての楽しみのひとつである。やはり都会は旨いのだ。そろそろパーキングで待っているnociwを軽く散歩させてから上に登ろうと思って店を出ようとしたら、えいじがやってきてハグをした。奈良での個展以来だった。「はーい。∀KIKO!久しぶり。君にお土産あるよ。」渡されたのは、奈良でえいじがパートナーのまりこと営んでいるパン屋「ANANADA」のショップカードだった。そうだった。まりこに依頼されてショップカードのための絵を描いたのだ。「おぉーっ。いいじゃん。」「でしょ?えへへ。」今回えいじはまりこから、このショップカードを東京でお世話になった人達へ渡すというミッションもまかされていた。奈良で頑張っている2人を誰もが心から応援しているので、きっとみんなも喜んでくれただろう。

初めてエレベーターに乗るというのにnociwはいたってクールだった。私達の方がビルの9階のバーにnociwがたたずんでいることがおもしろくて、ついちよっかいをかけたくなる。DJをしているNOBUYAの足下にちょこんと座って都会の夜景を見下ろすnociw。NOBUYAはもちろん、ご機嫌だった。ピリカのスタッフとお客さんが仕事を離れて和気あいあいに盛り上がっている。こういうコミュニケーションって素敵だなと思った。こうして一緒に遊ぶことで、普段サロンでは気づかないお客さんの魅力を発見できたりして、それを今度は仕事に生かすこともできるだろう。パーティーも佳境に入りライブが始まった。マヤのプレイとなると決まって真剣な顔で耳を澄ませるえいじ。「彼は私の音楽の師匠。」それが口ぐせだった。チュックはあたたかくそんな2人をいつも見守っている。一見、どーしよーもない人間の3人だけど音楽に対する愛は本物で3人の友情もまた本物なのだった。

今年のパーティも無事終わり、最後のお客さんを見送ってから片づけを終え家路に着いた。といってもみな帰る場所が一緒なのだった。ヤマシンも結局、近くに越してきたからだ。NOBUYAとは今はもう仕事上でのつながりはないが、そんなこととは関係なく、人間としてつながっていたいとヤマシンは思っていてくれているようだった。現在のピリカのスタッフまでもが私達にとっても優しいのである。
同じ場所からバラバラに同じ場所へ集まり、またバラバラに帰って同じ場所で会うことにして、私達はパーティ会場を後にした。1時間半後、身内が今度は我が家に集合していた。OBKがバッチリ揃っている。結局その夜は3人とも我が家に泊まり朝を迎えた。森へみんなでnociwの散歩へ行って、一緒にジャムったりした。何かひとつ音を投げかければ、ポンポンと次から次にリアクションが返ってくるOBKは本当に申し分ない。音の絶好の遊び仲間である。このあとはみんなで近くの温泉に行き飯を食い、あとは家でまたひたすらバカをやって笑って寝た。結局えいじは3泊、マヤは2泊、チュックは家に2泊、ヤマシン家に1泊と、ほとんど3日間、OBKと生活を共にした怒濤の日々だった。この3日間でわかったことは、やつらは本当にバカだということ。そして、そんな私達も相当のバカだったということ。まるで一足早いお正月が来たような、疲れたけど最高に楽しかった瞬間だった。ありがとう。みんな。

愛してるぜ!ONE LOVE。



_ 2008.11.14_>>>_満月

「心の山」

山に登った。久々に朝日が顔を出した気持ちのいい日に。

山のふもとに暮らす私たちだが、時にはちょっと遠出をして初めての山を登りたくなる。ここにいてもnociwの散歩コースはいくつかあるが、彼女も初めての場所となると本当に嬉しそうなのだ。そんなnociwの喜ぶ顔が見たくて私たちはつい、いそいそと出かけていくのである。今回は山梨にある標高1.200メートルちょっとの山。「高尾山の約2倍くらいだったら、どうってことないだろう。」と思っていた私たちだったが、実際は甘かった。紅葉シーズンにもかかわらず登山者に一人も会わなかった理由がわかったのだ。最初は、なだらかな道が続いていたのだが、だんだんと急勾配になってきて、ラストスパートはかなりの急斜面。ハァハァ言いながらやっとの思いでたどり着いた。おまけに「やったぁー。頂上だぁー。」と思ってしばらく休憩していたら、まだ先があることに気づいて「どひゃーっ!」という思いをしたのが2度もあり、3度目の正直で本当の頂上へとたどり着いたのである。が、そこは素晴らしい見晴しだった。真正面に雪を頂いた富士山が浮かび上がっていたのだ。そう、本当に宙に浮いているようだった。まるでラピュタのように。真っ青な空と真っ白な富士。その下にキントン雲のような雲が一直線にポンポンポンと浮かんでいた。私たちは言葉を忘れ、その桃源郷のような風景のあまりの美しさにただただ見とれていた。富士山がとても近くにあるようだった。そしてやっぱり「この山は特別な存在なのだ。」と感じさせる何かがあった。「確かに富士は眺める山なのかもしれないなぁ。」NOBUYAがポツリと言った。

今までに2度、富士山には登った。初めての時は、夜に登り始めて頂上でご来光を拝むはずだった。だが8合目あたりで急に雨が降り出し、風が強くなってきた。それでもカッパを羽織って強引に前へ進もうとしたが、そのうち上からドーッと水が流れてきて登山者が降りてきた。「これ以上登るのは危険だよ。立っているのがやっとだから。早く降りた方がいい。」仕方なく8合目の山小屋まで引き返し、そこで暖をとりながら朝を迎えたのだった。2度目もやはり夜に出発した。が、この時は満月だったのでヘッドライトをつけなくても、月灯りがあたりを照らしてとても幻想的だった。「よし。今回は順調だぞ。」そう思いながら夜明け前、頂上へ着いたとたん、今度は高山病になってしまったのである。「やったぁー!」という思いもつかの間、頭痛と吐き気に襲われやむなく下山せざるおえなかった。トホ。結局下りながらご来光を拝んだのだが、それでもやはり地上で見るのとは大違いで、相当にダイナミックで美しかった。もし、3度目に登る時があったら、今度はちゃんとあらかじめ山小屋を予約して、高度に体をならしてから登り始めようと肝に命じたのだった。

あれから10年も経とうとしてるが、登らなくても富士山はいつも自分の心にあった。そしてあちこちと出かける度に、そこからちらっとでも富士山が見える度に手を合わせ拝んでいる自分がいた。理屈ではなく感覚的に自然にそうさせてしまう富士はやはり別格だと思う。昔からさかんに行われてきた冨士講や日本全国にある富士見という場所。この山が古来から日本人の心にどれだけ浸透してきたのかが伺い知れる。そして現代という時代に生きる私は思うのだ。「日本に富士山があってよかった。」と。そう、なぜだか強く思うのである。私の中の心の山。

ありがとう。また、会いにいきますね。



_ 2008.10.29_>>>_新月

「オオカミ一族」

久しぶりに、山梨に棲む我が家のオオカミ犬「nociw」の親姉妹に会ってきた。

nociwは7人兄弟だが、その1人の「ウルル」が子供を産んだのだ。兄弟では一番最初。子供は8匹もいるという。nociwの両親は「ウルフィー」と「ラフカイ」というオオカミの血を引く犬。その飼い主は「かつ+ちえ」という夫婦で、みんなでウルルの飼い主である山の上に建つ自作の一軒家「かつ+みほ」邸へお邪魔した。びっくりしたのは、ウルルがお母さんになって、すっかり落ち着いていたことだ。それまでのウルルは、本当にせわしなくてパンチがきいてて、体育会系で「やんちゃ」という言葉がぴったりのお転婆娘だった。彼女に会うのは1年ぶり。昨年、私とNOBUYAがART SHOWでカナダへ行っている時にnociwをしばらく預けて、引き取りに行って以来だった。あの日、久しぶりに会うnociwが喜び勇んで走ってきたので抱きとめようとすると、ウルルが横から突進してきたので「おーウルル。世話になったねー。ありがとねー。」と言っていたらnociwが焼きもちを焼いて、目の前で大ゲンカが始まってしまった。実は私たちがいない間も1度ケンカして2人とも傷を負い病院へ行っていたのだ。その傷がやっと治りかけてきた矢先の出来事で、私たち4人はショックだった。NOBUYAとかっちゃんは止めようとして2人とも手を噛まれてしまい病院へ行った。ケンカに夢中になっている2人にはやむ終えなかったのだ。ウルルとnociwはこの時は病院へ行かなかったが、2人ともお互いボコボコになって血を流していた。nociwの顔もボクサーみたいに膨れ上がってそれはそれは壮絶な再会となってしまった。「仲がいい時は金魚の糞みたいに、どこに行くにもくっついて行動していたのに...。」みほちゃんが呆然としながら言った。人間の兄弟と一緒である。ただ彼女等の場合は獣同士なので容赦ないだけなのだ。nociwもそんなケンカは先にも後にもその時限りだった。そんな事があったので、ひとまずnociwは車の中において子犬たちを見に行った。「か、かわいいーっ!」団子のようになってくっついている8匹の子犬たち。nociwやウルルの赤ちゃんの時とそっくりだった。生まれ落ちた時からすでに1人1人個性を持っている。命の輝きがそこにはあった。

「ねぇ。お相手は誰なの?」と聞くとみほちゃんが答えた。「それがさ。家の下の方に棲んでいる甲斐犬で野良なんだ。あたしたちはチンピラって呼んでるんだけど、いつももう1匹の野良とつるんで行動してるうちの1匹でね。ある時、ウルルの生理中にフッと気ずくとそのチンピラがいて、後ろ向きになってつながっちゃってるじゃない。あーもう事が終わった後だと知ってあきらめたよ。そしたら案の定だもんねぇ。どうやらウルルはその連中が好きみたいで、合体した次の日も、もう1人の方のチンピラと田んぼを散歩しているのを村の人に発見されてるんだ。(笑)」「さすがウルル!」一同爆笑した。「まーでもとにかく、みんなできれば知り合いのつながりの中でいい所に貰われていくといいなーと思っててね。」「うん。そうだよね!」それはみな同意見だった。nociwの兄弟も「かつ+ちえ」のお陰でみんなそれぞれ元気に暮らしているということを今でも知ることができる。そして犬達を通して出会った飼い主同士が本当に、友達以上の親戚同士の感覚で付き合っているのだ。会おうと思えば親や兄弟に会いに行くことができるというのは、犬達にとってもとても幸せなことだと思う。だからこの縁には心から感謝している。

ウルルの飼い主の「かつ+みほ」は「kuri」というユニット名で音楽活動や創作活動をするミュージシャンで先日、待望の6年振りのニューアルバム「蜃気楼の市場」をリリースしたばかり。活動は日本各地のみならず、フィリピンやヨーロッパなどにも及び、独自の表現を続ける愛すべき2人である。そしてウルフィー+ラフカイの飼い主である「かつ+ちえ」は「peace ring」という名で古来から日本で重要視されてきた炭の力を生かしたオリジナルアクセサリーの制作や炭埋めなどの表現を行う、やはり愛すべき人達である。そしてちえちゃんは来年早々、本が出版されることになった。全国の本屋さんに並ぶ本である。その内容はカナダでの旅路。美しい自然の写真が満載の素敵な本である。この旅で彼女はまだ小さかったウルフィーと出会い、共に生活を送ることになるのだが、この出会いがなければウルフィーが日本に来ることもなかったしnociwも生まれていなかった。そう思うとすべてのつながりが不思議でならない。でも、これは必然だったのだ。日本にやってきたカナダのオオカミの血。その血脈の中で結ばれる人間たち。

我等がオオカミ一族が目指す希望と光を、自らの表現を通して伝えていきたいと思う。



_ 2008.10.15_>>>_満月

「火と月と風と」

大好きな秋が訪れて、山も日一日と紅葉してきた。nociwとの散歩が愛しい毎日。

最近、高尾の仲間達となんだかんだと言っては母屋の前の中庭で火を焚いて集まっている。この間は「さんまパーティー」。今が旬のさんまは絶品。それを焼き物番長のNOBUYAがとても上手に焚火の世話をしながら、遠赤外線にして網の上でじっくり丁寧に焼き上げる。やがて香ばしい匂いが辺りに立ちこめて、みんなは待ちきれなくて固唾を飲む。大根おろしをたくさんすって、かぼすをジューッと絞って、お醤油をちょっとかけていただく。「う、うっまーいっ!しあわせーっ!」と叫びたくなってしまう。そんな味。

空を見上げると月がとてもきれいだった。満月。あまりにもきれいなので、みんなでずっと見つめていた。雲がどんどんどんどん集まってきて、色んな形を描いていった。流氷。鳥。魚。象。陰と陽。顔。目。月の瞳は黄色くなったり、白くなったり、もやがかかったり、クリアになったり。その表情を千差万別に変化させながら華麗なるショーを見せてくれた。その周りには美しい虹色の輪が輝いていた。

音が自然に始まる。バイオリン、ギター、太鼓、インディアン・フルート。火を囲んで、みんなで輪になって。あたたかかった。とっても。見上げると月。まあるい月。そして音に合わせてダンスする雲たち。火を見つめていると唄が自然に湧いてきた。その音は炎に身を任せて揺れながらまるで遊んでいるようだった。「ファンタジーだね。」誰かがそんな言葉を放った。

風の話をした。風に乗って運ばれてくるスピリットの話を。その夜は気持ちのいい風が吹いていた。

「不思議なことがたくさんおこっている。これからは、もっとおこるだろう。今はその意味がわからなくても、あとできっとわかるよ。」映画「ポニョ」の中で私がキャッチしたメッセージ。本当は誰もがみんな魔法使い。小さな奇跡が身の周りから起こり始めている。それだけでも大きな出来事。私はといえば、自分がまだ何も知らなかったということをやっと知ったばかりの、ホヤホヤの人間。

毎日が楽しい。ただそれだけで、こんなにも幸せな気持ちになれることに「ありがとう。」と言って今日も眠りにつく。



_ 2008.09.28_>>>_新月

「再会」

しばらく「ひとりごと」をみなさんにお届けできなくてごめんなさい。奈良の個展に行っている間に東京の高尾では大雨と落雷が続いていて久々にアトリエに戻ってみると、なんとパソコンとモデムが壊れてしまっていて、メールもネットも見れないし、サーバーは容量をオーバーしてパンク状態になっていて、もろもろを整えるのにずいぶんと時間がかかってしまいました。何より私は大の機械音痴(ちなみに大の方向音痴でもある!)なので友達の助けを借りなければ、このハイテクな現代社会ではとうてい生きてはいけない人間なのであります。(笑)

この間に私には2つの展覧会があった。ひとつは奈良の大宇陀という町のケーキとパンのお店「ANANDA」での個展。ここは前にひとりごとにも書いた元隣人の「えいじ+まりこ」夫婦が高尾から奈良に移り住んで始めた場所。まだ1年も経っていないというのに、2人はすっかり町の人々に溶け込んでいて、ANANDAのパンは近くの道の駅にも置かれて大評判になっていた。2人の顔を見れば今がどれ程充実しているかが手に取るように分かった。だって2人ともまるで別人のように大きくなって光り輝いていたのだ。私は嬉しくて嬉しくて涙が出そうになった。そんな2人が「ここを拠点に西にも∀KIKOを広めていくでー」と自分達の店を使って個展を開いてくれたのである。「パンと絵」この異色の組み合わせに、いつものようにパンを買いにきたお客さんが「ぎょえーっ。今日はいったいどうしはりましたん?ここはギャラリーかと思いましたわ!」と驚きの声を上げていた。初めて来た観光客の人達は「こんな素敵なギャラリーのようなパン屋さんがあったなんて感動です。」と言ってくれた。西で作品を発表するのは初めてだった私は内心ドキドキものだったが、興味を示してくれた人達の中にはすぐに熱烈なファンになってくれた方も現れて、西のパワーを逆に感じてしまった。まりこはコックコートにハットを被って嬉しそうにその様子を眺めていた。最初は1週間の筈だった個展を「もう少し延ばしてほしい。」と言ってきたのもまりこだった。言葉には出さないまりこの想いが伝わってきて私は承諾した。そして結局は2週間以上の展示になった。まりこがパンを焼くことに専念できるよう、えいじは一切の家事を担当し、時には生地をこねたりという作業も手伝ってまりこを全力で助けていた。でも一番大好きなのは音楽であるえいじ。私が時折中庭でインディアンフルートを吹いていると、いてもたってもいられなくなり工房から飛び出してきて、タブラやお琴をつま弾き出すのだった。「まりこがジャムってきていいよって言ってくれたんだ。」この時一度、えいじが「今のは魂のジャムだった!」と叫んだ最高のセッションもできた。

お昼時になると、えいじの御飯を食べに近所の仲間が集まってくることもあった。早期退職をして地元大宇陀に戻り野菜を育てている「島田」さん。ある時ANANDAに島田さんが育てたトマトをどっさり持って現れて「これ、あげるよ」と言って置いていったという。そのトマトを食べたえいじとまりこがあまりの美味しさに驚き島田さんの野菜の虜になってしまったんだそうだ。島田さんの野菜は大宇陀の道の駅にも置かれているが、道の駅のスタッフがまっ先に買ってしまいすぐなくなるのだとか。そして、何ヶ月か前まではANANDAの並びでうどんカフェ「まっちゃま」をやっていたという「みのる」さん。彼は色んなミュージシャン達との交流も深く以前、大宇陀にサヨコオトナラを呼んだという話を聞いてビックリ!実は私が奈良に来る前にサヨコオトナラの奈良ちゃんと会って、彼が「あぁ、大宇陀。あそこはいいところだよ。」と言った時「えーっ。知ってるの?」と思ったのだがそういうことだったのである。何処へ行っても旅はつながる。結局は行くべき所に行っているだけなのだなと気ずく。まりこが一緒にお店をやっているケーキを焼いてる聖子ちゃんもとっても可愛らしくて心のきれいな子だったし、その他、天才木彫り師「ダーヨシ」。子供の心のままのヒーラー「コウ」ちゃん。物凄く美味いインド菜食料理人「みほ」ちゃん。バウルの尺八奏者「シャブドウ」さん。などなど、奈良は本当に悟りマニアが多く、つやつやに輝いているディープな輩も多くて「まるでここは日本のインドだなー」。と思ってしまった。正直言って肌に合う。とても楽なのだ。そして「来年もまた来てくださいね!」と言ってくれたお客さん達にえいじとまりこは「しめしめ...」というような表情を浮かべほくそ笑んでいた。

そして2つめは先日25日に表参道で行った「心」ショー。これも前にひとりごとに書いたが私が以前やっていたギャラリー「nociw」にふらっと現れてファンになってくれたニューヨークからやってきたミュージシャン「デーナ ハンチャード」とのコラボレーションだった。デーナとはこの話を貰うまではアーティストとファンという関係だったが、この仕事をきっかけにアーティスト対アーティストという関係になり、打ち合わせで会うごとにお互い裸になっていった。デーナは初めて私と出会った日のことを話してくれた。「やっとマイホームに帰ってきた。ファミリーに会えた。という気持ちで嬉しくて嬉しくてギャラリーからの帰り道、涙が止まらなかったの。」実は私も初めて彼女に出会う数年前に、夢の中ですでに彼女に出会っていた。その夢はこんな感じだ。

ある山の頂上にベンチがぽつんとあって私はそこに座っていた。見上げると空には満天の星が輝いている。と、突然UFOが一機空から降りてきた。と思った次の瞬間には隣にデーナが座っていて、こちらに向かって笑顔で話しかけてきた。「アルケミストって本当にいい本よね。」

夢は唐突にそこで終わったのである。「アルケミスト」は私のお気に入りの本。今までに何度も読んだ。私はこの夢の印象がとても強烈だったのでずっと覚えていたのだ。この得体の知れない爽やかな笑顔の黒人女性のことも。でも初めて出会った時、なぜかそのことは話さなかった。そして先月デーナがアトリエにやってきた何度目かのミーティングの時、初めてこの夢の話をしたのだ。すると彼女は目を丸くして言った。「∀KIKO覚えてない?去年初めて私がアトリエに来たとき、棚に飾ってあったアルケミストを見て今とまったく同じ台詞を私が言ったことを。」「えっ!」私はすっかり忘れていた。デーナは続けた。「実は私も不思議な夢を見たわ。それは∀KIKOと出会ってからのことだけど、夢の中で∀KIKOが絵を描いていたの。それを見た私は凄く素敵!と思ってその絵をずっと覚えていた。すると数年後の去年、∀KIKOの展覧会でまさにその絵が展示されていて私は何の迷いもなくその絵を買ったのよ。」それは、私のライフワークのひとつ「RED DATA ANIMALS」の2匹のサルの絵で、現在アメリカで製作中のデーナのニューアルバムのジャケットに使用されることになっている。そんなことで、どうやら私たちは出会うべくして出会ったようだ。ショーの当日もデーナは「ありがとう」を連発していた。「初めて会った時からこの日を夢見ていたの。」と微笑んで。彼女の歌を生でまともに聴いたのは初めてだったが、私は度肝を抜かれてしまった。多分そんなお客さんも多かっただろう。体じゅうから溢れ出すエネルギー。そして愛。ソウルフルという言葉はまさにこのことなのだと初めて体感した日だった。彼女にとっては一瞬一瞬が音楽であるという。自分は歌うために地球に生まれてきたのだとも。そして彼女は言った。「∀KIKOとは古ーい古ーい魂の友だった。どうか思い出して。今生でしばらくぶりにやっと会えたのよ。私にはそのことがとにかく嬉しいの!」と。私たちは互いの目を見つめあって、心の底からハグを交わした。何かが確実に動き出した夜だった。あの場に居合わせた人たちと共有できたことを幸せに想う。

ショーの終了の3日後、デーナは用事があって生まれ故郷のニューヨークへと旅立った。「もちろん∀KIKOとNYでやるためのプレゼンをするつもりよ。」とウインクをして。



_ 2008.08.16_>>>_満月

「WATER GREEN」

8/10に埼玉県の越谷に新しくできた街「越谷レイクタウン」の公園で開催された環境祭に参加した。

その祭りの名は「WATER GREEN」。オーガナイザーの「米原草太」は現在22才。私がこのイベントに参加することになったきっかけはそもそも彼との出会いからだった。昨年の7月7日に草太が越谷からはるばる東京のカフェ・スローまでmy箸を買いにきて用が澄んだので帰ろうとしたら、スタッフに2階のギャラリーを勧められ「じゃあ、ついでに覗いていこう」くらいの軽い気持ちで階段を登ってきた。その時、丁度私は展示会で上にいたので「初めまして」となったのである。「わぁーっ。すげーっ」彼は絵に感動してくれ、水の音のCDが付いた絵本「wor un nociw」をすぐに購入した。「あれっ。オレこれから代々木公園まで行こうとしてるのに何で荷物増やしてんだろ?ははは」「何かおもしろい子」私は思った。「いやーっ。∀KIKOさんの絵を外で見れたらすげぇいいだろうなー。木がたくさんあるところでさー。子供達もたくさんいて...」急に草太が語り出した。「実はオレ。未来に生きる子供達のために、環境祭をやりたいと思ってるんだ。まだオレの頭の中だけの思いなんだけど、つい∀KIKOさんの絵見てたらイメージが浮かんじゃってさ。もしもそのイベントが現実になる時がきたら∀KIKOさんの絵をスタッフTシャツにしてもいい?そして作品の展示をしてくれる?」「いいよ。その志が本気ならもちろん応援するよ。夢を形にするために頑張ってね」「やったーっ。頑張るぞーっ!」

翌月の「ござれ」に草太はさっそくやって来た。「実はね。あれからオレがやろうとしてるイベントの主旨に賛同してくれる仲間がちらほらと現われてさ、何と少しずつ現実に向けて動き出したんだよ。で、今日は正式にTシャツの絵を依頼しにきたんだ。」あの時から草太は一念発起してイベントでトークやライブをやってくれる出演者や出展して欲しい団体など、自分が直感でいい!と思った人達に直接連絡を取り参加の依頼をしているとのことだった。開催場所も越谷市役所に出向き公園を利用させてもらえることになったそうだ。「地球の環境と子供の未来のことをもっとみんなに考えてもらいたい!」ただその思いだけで自費で100万円を資金として使うつもりだと言った。

それから数カ月が経って今年の4月。横浜での展覧会に現われた草太は「WATERGREEN」と書かれた旗をハタハタとはためかせて越谷から電車に揺られてやってきた。もうこの時には、草太の夢に突き動かされてスタッフとなった若者たちも増え、出演者やブース出展者の数も複数に登り、ほぼ全体像が見えてきていた。しみじみ考えると本当に凄いことだなと思った。たった一人の若者の心に浮かんだ思いと行動がこれだけ多くの人々をひとつの目的のために集結させたのだ。草太は言った。「でもねー。この数カ月間に、ほんと苦しいなー。もうやめようかなーって思った時期も実はあったんだ。ちっぽけな一人の人間が今さら世の中を変えられるわけないじゃん!という声もあったりして、すっげえ落ち込んだ時もあったんだよ。でも、まだオレの頭の中だけのイメージだった時に最初に出会った人が∀KIKOさんで「自分を信じて光りへ進め!」って言われたじゃん?だからオレ頑張ったよ。色んなネガティブな思いに惑わされそうになったけどなんとか頑張れたんだ。実はオレがまだ子供だった頃、お母んの意識が急に変わって都会の生活からいきなり越谷に引っ越して突然、自然や農のある暮しが始まった時、その頃の自分にはお母んの考えが理解できなくてかなり反発したんだ。でも、そのお母んが亡くなって、今やっと理解することができている。お母んは正しかったって...。∀KIKOさんはオレのお母んだよーっ!」草太が泣いていた。私はただ彼をハグしていた。

イベント当日。雨の予報も出ていたにも関わらず一度も降られることはなかった。ふたが開いてみると、顔なじみの面子がずらりと並んでいるではないか。「イベントをやるということは大変なことだよ。ましてや初めてなのに草太はなかなか大した奴だね。」秋に「第2回平和と土の祭典」を日比谷公園で予定しているトージバの代表、神澤さんが言った。「なんか、ゆるーいイベントでいいねぇー」そんな声が周りから聞こえてきた。いつものように散歩に来た付近の住民の方たちが「今日はいったい何の催しなの?」と日常の延長線上で環境問題についての情報に関心を寄せている。1本のケヤキの木をブースとして与えられた私は、その周りに草太から依頼された「RED DATA ANIMALS」の動物達の絵を置いたのだが、どう見ても中学生や高校生といったティーンエイジャー達が自分の携帯でバシバシと夢中になって絵を写真に撮っている姿を芝生に座りながら見ていて「いいねぇー。この光景。平和だねぇー」と思わずにやけてしまうのだった。開催中、何度も一番忙しいくせに草太がすごい勢いで走ってきては「はーい。∀KIKOちゃーん。ありがとーっ!」と言ってすぐさま去って行く。「ん?さんがちゃんになってる!」喜びを体全体で表現していた素直な草太の笑顔が周りのみんなに伝染していった。

まずは初めの第一歩。輝いていた息子の姿をきっとホントのお母んも喜んでいたね。



_ 2008.08.01_>>>_新月

「勉強するひと」

毎年恒例になった帰省の旅へとでかけてきた。

高尾を出発してまずは青森にいるnociwの姉妹、セロンのもとへ。1年振りに会う2人。さすがにもう3才になって、以前のようにはプロレスごっこをしなくなった。でもお互い繊細ながらも気の合う様子で遊んでいる。飼い主たちもホッと胸を撫で下ろして微笑みあった。そんなセロンの飼い主、孝さんと弥生さん夫婦。孝さんは現在、高校の英語教師だが近い将来、弥生さんとともに暮していたことのあるバーモントの大学へ博士号を取って教授として戻ろうとしていた。そして弥生さんは、かつての幼稚園での英語教師から同時通訳者への道を歩むことを決心して今、勉強しているところなのだと言った。「もっと自分の可能性を広げたくなったの。今、30代の後半にさしかかって人生の半分は生きていることに気づいた時、あとの半分をどう生きるかを真剣に考えてみたくなって。」彼らがもう一度自分の生き方を見つめ直そうと思ったきっかけは、山形に暮す冒険家「大場満郎」氏の本との出会いと、講演を聞きに行ったことが大きかったそうだ。「やらない人はやらない理由を探してるだけ!」その言葉に孝さんも大いに納得して本気でやる気になったのだという。2人はこれからともに勉強のために2年間は東京に住みながら学校に通うとのことだった。何せ2人が目指す世界は相当に難しい試験を突破しなければならないそうなのだ。「もう、来年からはここに寄れないのだなー」という淋しさはあったが、2人の瞳が輝いて、とても生き生きしていたので嬉しさの方が勝ってしまった。

北海道に上陸して妹、フミが夫のヒロさんと暮す札幌の山の上の家で世話になった。このヒロさんもまた今年の4月から学生として勉強を始めた熱い40代だった。その学校は樹木医になるための専門学校で、以前から公園で樹に触れる仕事をしてきて、その世界の深さにどんどん魅了されていったようなのだ。それでいながら実はトランスミュージックの作曲者でありDJでもある。「樹木医のDJが1人くらいいたっていいかなと思ってさ。だって森のことを勉強しながら仕事ができるんだよ。それってすごいことだと思わない?」確かに素敵なことだ。学校では、もしかしたら自分の息子であってもおかしくないくらいの年令の友達と肩を並べ、ともに勉強に励む。色んな所から集まってきた若者たちは、みな樹が好きで来ているだけあって心のピュアな人達ばかりで、毎日が楽しくてたまらないとヒロさんは言った。だが樹木医というのも、これまた資格を取るには相当に難しい試験が待っているらしく学校の授業科目も13科目もあり、本当に休む暇なしという日々のようだった。そして妹のフミも現在はヘルパーとして病院で働いているのだが、そんなヒロさんに勇気付けられたのか介護師の資格を取るために勉強しようという気になり、先日試験勉強のための分厚い本を買ってきたのだという。そういえば母屋の隣に住む優子もフミと同じ仕事をしていて、やっぱり資格を取るために来年からは勉強体制に入ると宣言していたっけ...。みんなに共通するのは勇気と情熱。そして心の火を絶やさずに持ち続けられる強さだなぁと思った。

勉強したいと思ったその時からが本当の勉強。それは幾つになってからでも始められるのだ。



_ 2008.07.18_>>>_満月

「心」

黒人の女性シンガー「デナ・ハンチャード」とのコラボレーションコンサートのために絵を描いている。

9/25(木)に表参道にあるカワイのコンサート・ホール「パウゼ」にて行われるそのコンサートのテーマは「心」。デナの希望だ。ジャマイカ人の両親を持ちニューヨークで育った彼女はバロック音楽に惹かれミュージシャンになった。天性の音楽的才能はニューヨークで花開きオペラ歌手としてアメリカ、ヨーロッパ、メキシコなどで好評を博したのちジャズシンガーとしてニューヨークのジャズクラブで活躍。そして9.11が起こり、日本の音楽院である洗足学園から音楽講師として招聘され、家族で移住してきたのだった。彼女は学園のそばに暮していて、その学園の向かいにはフィオーレの森があり、その森の中には私のギャラリー「nociw」があった。移住してきてすぐに散歩がてらフィオーレの森にふらっときて、たまたま2階にあったギャラリー「nociw」に足を踏み入れた彼女。「ワァーオ!イッツ、ソービューティフル!」それがデナとの最初の出会いだった。

当時の彼女は日本語をほとんど話せず、私も英語をほとんど話せるわけではないのでお互い身ぶり手ぶりの感覚だけで会話していた。でも言葉以上のものが伝わってきてそれだけで十分だった。その日にすぐ、彼女は絵本「wor un nociw」を買っていって翌週に8才の息子「バスコ」を連れてやってきた。彼は頭が良く日本に来てすぐに日本語をマスターしてしまい、彼女の良き通訳者だと言っていた。そしてデナ同様、大のアート好きで私の絵本に感動し、会いたいといって来てくれたのだった。デナと同じ澄んだ美しい瞳を持ったバスコはnociwにいつも置いてあったお客さんのための自由帳に、いきなり絵本の中の鹿のキャラクター「ユック」をそっくりそのままに描き出し、覚え立てのきれいな日本語で言葉を添えてくれた。「きみのえはとてもうつくしい。ぼくもきみのようなえをかくひとになりたい」

出会ったのが2003年の暮れだったので、2004年の3月にギャラリーをクローズするまで、あっという間に時が過ぎてしまった。「ここは私のサンクチュアリだった。なくなるのはとてもとても淋しい...」デナはそう言ってくれた。「また会えるよ。今度は外で作品を発表していくからさ」彼女は都合がつく限り、個展に顔を出してくれた。感受性が強いあまり、会場で泣いている姿もあった。ある時は自分の新しいアルバムのジャケットの絵を私に依頼しようと思って個展にやって来て「自分が思い描いていたイメージがまさにこれそのものなの!」と信じられないという顔をしていきなり原画を買ってくれたこともあった。そして個展終了後、作品を引き取りに初めてアトリエを訪れた時に今回のコラボレーションの依頼を受けたのだ。「実は∀KIKOに初めて会った時から、いつかは一緒にやってみたいとずっと夢みていたの」彼女が日本に移り住んで4年の歳月がたった。普段は学園の講師を勤めながら「ブルーノート」や「コットン・クラブ」でジャズミュージシャンとしての活動を続ける彼女。でもその一方で日本の風土や人々に触れ彼女の中の何かが変わり始めていったという。なぜだか日本の民謡に強く惹かれるようになったというデナ。そして、彼女に新しい唄たちがおりてきた。その唄から私がインスピレーションを得て描きおろしている絵たち。そんな唄と絵のコラボレーションが今度のコンサートになる。会場を下見に行った時、担当の方が「たとえば、ステージにスクリーンを用意して絵を映像で流すこともできますよ」と提案すると、すぐにデナが言葉を遮り「必要ないです。∀KIKOの生の絵がそこにあるだけでいいですから」と言った。初めて見るその真剣な表情に彼女の深い思いを感じ、私は胸を打たれたのだった。それ依頼、彼女の情熱に応えるべく全身全霊をかけて制作に没頭してきた。こんな幸せな時間はない。神様からの最高の贈り物。私は描く。デナ・ハンチャードという一人の愛すべきミュージシャンのために。

そして、たった一人からつながっていくことのできるすべての心のために。



_ 2008.07.04_>>>_新月

「ANANDA」

母屋の隣に住んでいた「えいじ」と「まりこ」が奈良に引っ越して半年がたった。

隣にいた3年間も特に一緒に連れ立ってどこかに行くということはなく、たまにどっちかの家でご飯を食べたり、お互いの友達が来た時に中庭で火を焚いたりするくらいだった。でも、顔を合わせた時は決まって笑顔で挨拶をする空気のような存在。2人ともB型だったのでそれぞれがマイペースに自分のことに没頭していてこっちはとても気が楽だった。だから2人にとっての新天地が見つかって、引っ越しが決まってからもほとんど変わらない毎日を送り、荷作りを始めたのも前日になってからだったので「あぁー本当に明日引っ越すんだねぇー」とお互い実感が湧かないまま当日を迎えたのだった。でも別れ際にまりこが「あ、やばい。涙が出そう」と言った時、私も急に2人が隣にいなくなることが本当は「淋しいのだ」と感じたのだった。

2人のあとに移り住んでくる人達とは「きっと縁があるんだろうねぇー」とNOBUYAと私は話していた。するといつの間にか後釜にはなんとアトリエのそばに住んでいた「ゆうこ」と「たけお」がやってくることになっていた。どうやらえいじがたけおに話を通していたらしい。私達がえいじたちの隣に越してきてから、ほとんどボロ家同然の家を一度ぶち壊して自分達の手で作り上げていくのを見ていて、もともと手で物を作ることが好きだったえいじのハートに火がついて、入る時にちゃんと内装工事が入ってそれなりにきれいだった彼らの家にまでもさまざまな変化が起こっていったのだった。私達が薪ストーブを取り付ける時も手伝いに来て「いいなー」とこぼしていたえいじにNOBUYAが「なんならそっちもやっちゃえば?」なんて冗談で言ったつもりが3日後には本当に2階の壁から煙突が突き出していて煙がもくもくと上がっていたのには私達も度胆を抜かれた。「あいつ本当にやりやがった!」それ以来私達はえいじが大好きになった。2階のベランダの冊を取り外し床部分を勝手に付け足して、広ーいバルコニーが登場した。そこに梯子をかけ母屋の勝手口から簡単に出入りすることができた。用はバカやってひたすら楽しんでいたのである。そんな風に勝手にあちこち手を加えてしまった家だから出る時に元どおりになんて当然する気もなく、このままの状態で住んでくれる人間が絶対に必要だったのである。そこでたけおとゆうこに白羽の矢がたったのだった。個性的な2人は逆に「このままがいいーっ!」と言ってくれる輩だった。

私達が高尾に移り住んでからほどなくして「この辺で物件を探したい」と訪ねてきてすぐに、アトリエのそばに越してきたゆうことたけお。しばらくして夫婦になったが、一度大喧嘩して「別れる」「別れない」の大騒動になったこともあった。仲間達みんなが集まってゆうことたけおの言い分をそれぞれ聞いてなだめて。その仲裁役を務めていたのがNOBUYAだった。「俺、こんなことなんかしたくないよー。疲れるだけだしー」と泣き言を言いながらも、一番熱くなっていたのは他でもない奴だった。(笑)あの事件は危機に陥った夫婦の状態を目の前で見て「あぁーうちも大した変わらないかもなー」と我が身を振り返るいい機会にもなったし、何よりあの場に居合わせた者達がいっそう強い絆で結ばれた気がしてとてもいい学びになったと今では思う。ゆうことたけおには確かに前より会うようになった。アトリエには絵を描きに行ってるので、nociwの散歩以外は外に出ることはないから、近くにいても会うタイミングがなかったのである。でも母屋には毎日帰るし、洗濯は外でやるし、お風呂も一旦外に出るので、なんかかしら顔を合わせる機会も増えたのだ。私は単純に嬉しい。こっちに越してきて部屋も少し広くなって、環境も少し田舎になって2人の心にもちょっとずつ余裕が出てきたようで前よりも断然いい顔をしている!たけおは目の前の川沿いに立つ竹林の整理を大家さんに仰せつかり喜々として毎日のように竹と戯れているし、ゆうこは3軒先の酒屋「越後屋」で女将さんを慕って集まってくる近隣のおじちゃん、おばちゃん達と今日も酒を酌み交わしている。それぞれの個性を認めあい、尊重しあって生きる共同体。隣に友が住んでいるという幸せは何にもかえがたいものだ。

つい先日、まりこが奈良に越してから初めて電話がかかってきた。「急なんだけどね、8月か9月にうちの店で∀KIKOの展示会やらない?」「ANANDA」梵語で至福という名のその店には、まりこの焼く天然酵母のパンとまりこが友達になった聖子ちゃんが焼くお菓子が売られているという。かつてまりこが「私、パンを焼いてみようと思って」と突然始めたパン作り。あれよあれよという間にみるみる腕を上げ「まりこ天才だよー!」と私達の舌をうならせるまでになった。そして「いつかは気に入った土地に根を下ろして自分のパン屋をやりたいんだー」と夢を語るようになってから彼女はどんどん輝いていったのだった。奈良で開業したパン屋が順調であるという話を風の便りで知って私達はとても嬉しく思っていた。別れる時「離れることでこれからはもっと近くなれる気がする。私達は∀KIKOが展示会をやるという口実でいつでもこっちに来られるように場所を創っておくからねー」と言って去って行った2人。そして本当にこうして久々の声を聞いた。

「用は会いたいってことだけどね」受話器の向こうで微笑むまりこの顔が見えた。



_ 2008.06.19_>>>_満月

「いのりのかたち」

7月7日に「BOHEME」主催のイベント「七夕まつり」が下高井戸の高井戸倶楽部で行われることになった。

それはある日のこと。突然、BOHEMEのリーダー「山中裕二」がNOBUYAに電話をかけてきて言った「どうしてもすぐに会って話したいことがあるんです。近々会う時間を作ってくれませんか?」NOBUYAは了解し、数日後我が家へ来ることになった。「それにしても珍しいな。あいつが突然やって来るなんて」確かにそうだった。彼は何ごとにも用意周到な計画を立て予定はあらかじめきちんと決めておかなければ気が済まないタイプの人間で、家に遊びに来る時も大抵は3ヶ月前から予約を入れてくるのだった。「まぁ、あいつにしちゃあよっぽどのことがあるんだろう...」私達はうなずき合った。

彼がやってきた用件というのがこの7月7日のことだった。裕二は以前からこの高井戸倶楽部という箱を知っていて、スペースとスタッフの気持ち良さが気に入って「いつか、ここでイベントをやってみたいなぁ」と思っていたんだそうだ。そしてある日、いつものように朝ランニングをして土地の神社にお参りして朝日を拝んでいたら「ふっ」と閃いたのだという。「7月7日という数字と高井戸倶楽部とNOBU兄の顔が浮かんできて消えなかったんです。だから直感に従って、この日にここでNOBU兄のプロデュースでBOHEMEのイベントができないかと思って相談に来ました」そんな依頼は初めてだった。いつもはBOHEMEプロデュースのイベントにNOBUYAがDJとして参加するだけだったからだ。しかもイベントのメインは「高橋歩」さんという自由人のトークショウにしたいと言う。裕二にとって尊敬する存在だからというが、私達はまったく彼を知らなかったので「とりあえず、彼のHPや本やビデオを見てから判断してもいい?」とNOBUYAは答えた。それから彼も真剣に考えて「直接会ってないからなんとも言えないけど、少なくとも彼の言ってることややってる表現には共感できるから、この話引き受けるよ」と裕二に伝えた。何よりも裕二がすべて直感で動いたという部分を重く見たのだという。すると今度はNOBUYAに閃きがきた。歩さんがみんなで田植えをしているというエピソードと「サヨコオトナラ」が田植えに参加しているという話が彼の中で映像となって実を結んだのだ。「そうだ。バンドはサヨコオトナラにしよう。トークの前にライブがあって、その前に俺がDJで場を創る」早速、サヨコにメールでスケジュールを聞いてみると、サヨコと奈良ちゃんは空いていたが、OTOちゃんは予定が入っていた。それなのに内容を伝えるとなんとOTOちゃんは歩さんを知っていて、以前から会ってみたいと思っていたというのだ。それで、なんとか都合をつけて出演してくれることになった。すると、そのことを歩さんのオフィスに伝えると向こうも「サヨコオトナラ」に興味を持っていていつかオファーをかけたいなと思っていたのだという。つまり相思相愛だったのだ。NOBUYAの直感と裕二の直感は正しかった。

この日のテーマを七夕にちなんで「祈りのかたち」にしたいとNOBUYAがある日つぶやいた。その言葉は2005年のWPPD「世界平和と祈り」のセレモニーのテーマに主催者のよしえちゃんがつけた言葉と一緒だった。そのことを伝えると彼は驚いて言った「わぁーそうだったんだ。一緒になっちゃうけど、でもこれも湧いてきた言葉だからな...」「それでいいんだよ。つまりこれは大切な言霊ということだよ!」

私達は中学の卒業式にNOBUYAに告白されてから25年の付き合いになるが、その当時から私の好きなことは絵を描くことでNOBUYAは音楽だった。彼はギターやドラムを演奏したり歌ったり、バンドとソロでの活動に夢中になっていた。東京に出てきたのももちろんミュージシャンになるためだった。でもそんなことを言おうものならオヤジに大反対されるような家庭だったので美容師になるという名目で北海道をあとにしてきたのだ。夢を抱いていざ、東京に出てきたがそうそう現実は確かに甘くなかった。それでも音楽無しでは生きていけず、彼にとっていつも一番身近にある存在だった。好きで始めたわけではない美容師も何度も辞めようとしたが、彼が独立して始めた病院への出張カットで寝たきりのご老人や精神病で入院している患者さんの髪を切るという行為の中から美容に対しての「本当のやりがい」というものを見い出していき、今もその仕事を続けている。そして20代の前半に出会ったDJというスタイルに自分が一番しっくりくるという発見をしてからは水をえた魚のように自分自身を生き生きと表現し出した。そしていつの頃からか彼はひとつの夢を描き始める。「自分のレーベルを立ち上げて周りにいるたくさんの才能あるアーティスト達を世界に発表していきたい。それは音楽に限らずあらゆるジャンルのもの。尊敬するお百姓さんや偉大な知恵を持つお婆ちゃんとかも...」彼らの普段の暮しを映像に撮ってその生きざまを未来の大人達と共有したいのだと熱く語る。彼にDJが向いているように、色んな人と人とのミックスの才能が彼にはあると私は思っている。それを長年の付き合いになる裕二も直感で感じとってくれていたのだろう。今回の七夕まつりはそういう意味でもNOBUYAにとって大切な一歩になるだろうと思う。これは神様から「やりなさい」と与えられたものなのだ。

この場がシャンティであるように喜びを持って参加することが妻としての私の役目である



_ 2008.06.03_>>>_新月

「soul mate」

ARATAが新しくデザインを手掛けるブランド「ELNEST」の展示会に行ってきた。

久しぶりの渋谷だ。めったに高尾を出ることはない私にとっては、かなり思いきりのいる行動である。お知らせのカードが送られてきて「おぉーやるんだー」と思って、初日には「今日からだな」と思い、最終日には「ご苦労さん」と思ってきた、かつてのREVOLVERの展示会。最初の頃はちゃんと行っていたのだが、あの場の妙な緊張感みたいなものが私とNOBUYAには場違いな気がして落ち着かなかったのである。だが、今回は新しいARATAの表現ということもあって「ちょっと、行ってみようか?」なんて話を二人でしていたところに、めずらしく彼から電話がかかってきた。「∀KIKOさん。僕、今展示会やってるんですよ」「うん。知ってるよ。どう?調子は」「今、絶好調だよ」「おぉーっ。それはよかった。有意義な人生だね」「うん。僕もそう思ってる...っていうか、∀KIKOさん、たまにはこっちに下りてきてよ!」「ははは...」「今回の会場はね、ギャラリーで壁の一面が真っ白でそこに自由に誰でもが絵を描けるようにしてあるんだ...」

会場はとても分かりにくかった。古いビルの4階。階段を登っていく途中の階には焼き鳥屋やジャン荘などがあって、ちょっといかがわしげな雰囲気が漂っていた。「なんか懐かしくていいいねー」NOBUYAが言う。4階まで着くと入口の小さなギャラリーでは多摩美の学生たちが四人展をやっていた。いきなりギャラリーだ。これなら私も違和感なく入っていけた。奥にはカフェもある。もうひとつのスペースでELNESTの展示会は行われていた。「∀KIKOさん!NOBUYAさん!」ARATAがハグをしてきた。本当に元気そうだった。しかも前より素になっている。嬉しかった。そんな、楽しんでる奴の顔が見れて。

ARATAは何を隠そう私を世に出してくれた人だ。恩人である。十年前、彼がまだモデルだった頃に「Simple Side.」を友達から贈られて感動し、雑誌などで紹介してくれていた。その話を私は人から聞き、「ありがたいな」と思っていた。そんなある日、私達は共通の友達、美容室「MO」の友美と竜馬の家で遭遇することになる。初めて出会ったARATAは何故だかとても懐かしく感じた。「初めまして。Simple Side.のファンのARATAです...」「絵描いてます。∀KIKOです」その時私は「Simple Side.」を描いた後に自然に現れてきた、ラインの中に模様が描かれた絵をファイルに入れて持ち歩いていたのでそれを彼に見せた。「こ、これはっ....」あまりにも彼が感動した様子だったので、私は感謝の気持ちを込めて「好きなのをどれか一枚あげるよ」と言った。「ええっ!でもこれオリジナルですよね?」ARATAは驚いていたが、しっかりと一枚を選び、笑顔でみんなに言った。「ね、ね、ご飯食べに行かない?」話をしてみると、その頃私が住んでいた高幡不動にその頃のARATAの実家がとても近いというのを知って互いに驚いた。そして私はちょうど高幡不動尊で「ござれ市」を始めたばかりだったので、その事を伝えると「じゃ今度、日曜日に実家に帰る時に行きますね」と奴は言ったのだった。私は「まぁ、社交辞令だろう」ぐらいにしか思っていなかったのだが、次の「ござれ」の時にほんとにやって来たのである。「昨日実家に泊まったんです。よかったら今晩二人のお家にお邪魔させてもらってもいいですか?」それは秋で、さんまを焼いて食べた気がする。結局、その日は家に泊まって、その何日か後の満月の時に初めて電話がかかってきた。「今日、満月を一緒に見させてもらっていいですか?」あの日のことは今でも忘れない。家のベランダに出て満月が登ってきてから消えるまで、ほとんど何もしゃべらずにただ「じーっ」と空を見ていた。夜が明けてきてブルーとオレンジの静寂な世界がしだいに辺りを照らし出すまで。

で、その年の暮れに私の初めての個展が国立で開かれて、REVOLVERを立ち上げたばかりのARATAとKIRIが職場の裏原宿からスタッフを引き連れてタクシーで駆け付けてくれたのだった。それが出会って四度目。ジーンと胸が熱くなるくらい嬉しかった。そして年明け早々に「実は大事な話があるんです」と家までやってきた出会って五度目の時に「∀KIKOさんの絵を世の中の人々に知ってもらうための場所を創りたいんです」と言ってきたのだった。しかも土下座までして...。その状態の時にNOBUYAが外から帰ってきたもんだからビックリ仰天して「ARATAいったい何やってんの?」となって「実はこれこれしかじかで...」と彼が説明したら、深くうなずいていたNOBUYAが「∀KIKO。これは神様からの贈り物だよ。断る理由はどこにもないんじゃない?」となってありがたく受け入れることにしたのである。ギャラリー「nociw」の誕生だ。当初の契約は二年だった。でもその二年はあっという間に過ぎARATAが「もう、二年だけ!」と言ってくれ結局、四年間もサポートし続けてくれたのだった。言わずもがな、今の私があるのはこのギャラリー「nociw」のお陰である。「僕はこのためにモデルになったんだと思います」「どうして 出会ったばかりの赤の他人にこんなことができるの?」「大好きだから...」ARATAとはある意味、言葉にならないというか言葉がいらない感覚になれる時がある。でも「nociw」がクローズした時、お店にいつも置いてあったノートをめくると最後に彼の言葉が記されていた。「∀KIKOさん。これは、終わりじゃないから。始まりだからね...」

あれから四年。私にもARATAにも色んな出来事があった。でも、今もこうしてお互い自分を表現して生きている。私が嬉しかったのはARATAが絵を描き始めていたことだ。今回の展示会のDMも自分で描いた絵を版画風に仕立て一枚一枚ゴム印で押したものだった。会場の例の白い壁には彼がステンシルを使ってスプレーで吹きかけたふくろうの姿があった。「∀KIKOさんのふくろうも加えて欲しいな」ARATAのリクエストに応えて用意されたカラフルなペンと色鉛筆という普段は手にしない画材を持って描き始めた。なんだか刺激的でとてもワクワクした。そのうち夢中になって次から次へといろんなものを描いていた。ふと見ると隣でARATAも色鉛筆を持ち夢中になって何か描いている。私は出会った時、彼が言ったことを思い出していた。「きっとあっという間に∀KIKOさんが40で僕が30〜?になってますよ!その時はひょっとして隣にいるかもしれません」まさにそれが今だった。ARATAがこっちを向いて言った「どう?こんな展示会だったら∀AKIKOさんいれるでしょ?」まんまと乗せられてしまったというわけだ。彼は今、デザインの他にたまに映画の俳優業もこなしている。近々公開になるという出演した映画のフライヤーを渡された。「20世紀少年」「えぇーっ。よくこの話を映画にできたねー。すげーっ!」と興奮するNOBUYAだったが、私は原作のマンガを読んでいないので全然ついていけなかった。あしからず。(笑)とにもかくにもなんかホッとした出来事だった。

「ARATA!がんばろうぜ!」



_ 2008.05.20_>>>_満月

「now here」

個展のたびごとに新しい出会いが訪れるが、今回もまた不思議な縁を感じる人間と遭遇することになった。

その人は展覧会の会場となった大倉山記念館のギャラリーの回廊をゆっくりと、作品をとても丁寧に味わいながら歩いていた。ひと回りして戻ってきてプライス表をパラパラとめくり、近づいてきて私に言った。「∀KIKOさんですか?作品を購入したいのですが...」

彼女の名は「宥海」。フォトグラファーだった。初対面だった彼女にこの展覧会をなにで知ったのかと聞くと、息子を産んだ時に出産祝いで私の本を友達から贈られたのだと言った。「CD付きのこの絵本です。世の中にこんなピュアなものがあったのかと感動しました。それで∀KIKOさんのHPを見てタイミングよくこの展覧会を知ったんです。実は息子を産む前は私、完全な商業写真家でヒョウ柄のライダースジャケットにサングラスをかけて車で都会を疾走しているようなタイプの人間だったんです。自然に目を向けることもありませんでした。ところが彼を身ごもったとたん、世界観が180度変わってしまって...。それで突然気づいたんです。自分は感謝の気持ちを忘れていたって...」どう見てもその時目の前にいた彼女は、とてもナチュラルな人にしか私には見えなかった。「彼が体内にいる時、私は断食をさせられたんです。本当に1日トマト1個という日もありました。でもそのお陰で意識がとてもクリアになって、自分が今いる世界というものを新鮮な驚きをもって見渡すことができたんです。出産後、ライフスタイルも完全に変わりました。もちろんかつてはあまり気にすることのなかった食生活も...。息子は私の内側を掃除してこの世に出てきて、今、一生懸命に外側の掃除をしてくれているように思います」彼女は今、インドのアーユルベーダの食養法を学びながら息子や自分達の体を作る食物の重要さを実感しているという。

そんな流れの中で宥海は沖縄の久高島に呼ばれる。「きっかけは息子の具合が悪い時に、知人から頂いた薬でした。それは久高島で古来から守られてきた技法によって作られる海蛇からできる薬だったのです。今の日本にそんなものがあったのかと驚き、とにかく行ってみようという衝動にかられました」久高島。その島の名はことあるごとに耳にしていた響きだった。そして人からは決まって「∀KIKOは行くべき場所だよ」という声を聞いていたのである。私も本などを読んで「あぁ。いつか自分も行く時がくるのかもしれないなぁ」と漠然とは思っていた...。私達は別れ際ハグを交わした。「これからもよろしく」「あれっ、今、言葉の方が勝手に出ちゃいました。すみません...」宥海は笑った。

その日は彼女との出会いが印象的だったので、家に帰ってNOBUYAに出来事の一部始終を話すと「そろそろお前も久高に行く時がきたんじゃない?いいよ。行ってきても」という言葉が返ってきた。まさか奴がそんなことを簡単に言うとは思ってもみなかったので、驚いた。と同時に「あぁ、今なんだ」と確信したのである。なぜなら口にした途端、無性に惹かれてる気がしてならなかったからだ。「わかった。私、行ってくるね。ありがとう」「あぁ。いつかは行くと思ってたよ。でも、あそこは女性の島だ。俺は行こうとは思わないから...」そう、あの島の神は「母神」であるという。命を生み出す女性こそが最も尊いとされてきた場所なのであった。

宥海が購入した作品を引き取りにアトリエまでやってきた。メールで久高に行こうと思っていることを伝えていたので、彼女は色々と島の話を聞かせてくれた。私達は地図を広げ指差しながら、あれやこれやと話が弾んだ。そうしているうちに私の口からふいに「一緒に行く?」という言葉が出てきた。「えっ。いいんですか...」「実は私の中で、今月か来月には再び行こうと決めていたんです。どうしてももう一度行かなければならないという思いが湧き起こっていて、でも何故だか今一歩踏み切れないでいたんです。∀KIKOさんが行くと知って、いいなぁーと思っていて...、でも今の言葉ですごくスッキリしました。あぁ、こういうことだったのかと(笑)」すぐに私達は一緒に行く計画を立て、彼女の息子も交えて三人の旅となることになった。「出会って二度目とはとても思えません」宥海が言った。私も同感である。私の絵は十年前、突然モノクロの世界になり、そこから本当の自分の表現の世界が始まった。彼女もまた、出産後初めて撮りたいと思った写真が沖縄の森で、その時からなぜかモノクロの世界になっていったという。そして初めて一人のフォトグラファーとしての世界がスタートした。カメラもそれまでのデジタルからアナログに変わり、プリントさえも手刷りになってしまったという話を聞いた時、絵と写真の違いはあれ、今に至る行程がどこか似ているような気がした。「now here」アトリエの窓に貼ってある言葉を指差して宥海が言った。「私も部屋にnow hereと貼ってあるんです...」「わぁそうなんだ。ねぇ、知ってた?now hereをつなげると nowhereになるんだよ」

「”今ここ”は”どこでもない”...」私達は顔を見合わせて笑った。



_ 2008.05.05_>>>_新月

「虔十の会」

四月のある日、サヨコオトナラのサヨコから電話がかかってきた。「今、高尾にいるんだけど来れないかなと思って...」

場所は圏央道開通のために高尾山に穴を開けるトンネル工事の現場だった。ここに以前からこのトンネル工事に対して疑問を抱き、一般の人々に高尾山の気持ち良さを知ってもらいながら、山に穴を開けるということがいったい何を意味するのかということを一緒に考えるために「坂本さん」という女性が起こした「エコアクション虔十の会」が作った座り込みをするための場所があったのだ。サヨコも最近坂本さんと出会い、虔十の会のイベントで歌ったりしていたようで、この日、娘のアリワとサヨコオトナラファミリーの梅ちゃんと一緒に初めて現場を訪れて坂本さんと話していたら、私のことが話題に出たので、だったら今呼んでみようとサヨコが電話をしてきたということだった。

虔十の会のことは私も知っていた。裏高尾に彼らが作ったツリーハウスで3月にサヨコオトナラのオトちゃんがライブをやるからと電話してきたのだ。その時は丁度八王子市の市長選挙の真只中で、候補者の一人に長年に渡り高尾の山を愛し、トンネル工事に反対し続けてきた「橋本」さんという方がいて、その人を応援するためのものだった。私は以前からツリーハウスがあるということも聞いてはいたが、訪れたのはその時が初めてだった。夜だったが、山の下から坂道を登ってツリーハウスに辿り着くまでの道のりがローソクの炎で灯されてきれいだった。その日はとても寒い日だったが、思ったよりも人が集まっていた。元気に駆け回る子供たちの姿もちらほら見えた。木の上に作られたツリーハウスはおもしろかった。森の木々に囲まれた特設ライブステージも。前方で坂本さんがみんなに話している。私は遠巻きに眺めながら、代表者が女性でしかもとてもユーモアのある人だったことに驚き、そしてちょっぴり嬉しかった。坂本さんは、まず私達を囲んで立っている木々の名前、高尾の山は昔から修験道として人々に愛されてきた霊山であること。水が豊かで山にある滝では滝行が行われているが、トンネルの工事が始まってから枯れてきていることなどを話していた。「これらのみんなに伝えたいことを、やぶから棒に反対!と言ってがなりたてるのではなく、音楽などを通してこの山で楽しい時間を過してもらうことによって一人一人の中に自然に意識が芽生えていってくれたらいいなーと思ってここにツリーハウスを作りました....」その後にオトちゃんと小池さんの「ムビラトロン」のライブが始まったのだが、一緒に来ていたnociwが山の中で繋がれていることに我慢がならなくなって帰ると言い出したので、オトちゃんに挨拶もせずに帰ってきてしまったのだ。

それからしばらくして、朝、母屋からアトリエまでnociwを連れて向かう途中で、山道を1時間半ほど歩いて一旦、甲州街道に出てきた時、道路の目の前をカフェ・スローのマミーがスタッフの女性と歩いているのに出くわした。「わぁぁー∀KIKOさん。僕いま、高尾に着いてしまってから、そうだ∀KIKOさんに連絡しとけばよかったなーって思ってたとこだったんですよ。滅多にないことなんで...」マミーがいた理由は、3月25日に新たに掘られるトンネル工事に反対するために座り込みに来たということだった。「これからスローの方でも虔十の会と協力しあってこの問題に積極的に関わっていこうとしているところなんです。まずは自分でその現場を見ておきたいと思って...」その時はそこで別れた。そして25日がやってきて、26日。新たな工事が決行されたのである。その同じ日、それ以前に既に工事が始まっていたトンネルに亀裂が走り、崩れ落ちてくるという事故が起こった。怪我人がでなかったことが何よりの幸いだった。それから間もなくしてのサヨコからの電話だったのである。

「はじめまして∀KIKOさん。坂本です。実はここ最近、色んな所で高尾には∀KIKOっていう絵描きがいるでしょ?と聞かれてたんですけど、私もまだ会ってないんですよーって皆さんに言っていて、でも、あぁーやっと会えましたね。やったぁー。嬉しいなー!」坂本さんはあの時感じたとおり、とても気さくで明るい人だった。彼女はもともと三鷹に住んでいて本業は古本屋だと言った。高尾山は昔から大好きでちょくちょく自分自身を癒すために登りにきていたそうだ。そして数年前、トンネル工事の開発が一方的に進んでいるという事実を知り、いてもたってもいられなくなって「このままじゃいけない!誰かがアクションを起こさなければ。よし。自分でやろう!」と意を決して虔十の会を立ち上げたのだった。いざ、始めてみると自分が立ち向かっている存在が如何に巨大なものであるかということを知り、そっちの活動の方で超多忙になってしまったため店鋪を締め、古本屋としては年に数回行われる古本市への出店のみになってしまったという。4年前、住居も高尾に移した。でも八王子に借りてる本屋のための倉庫にコンピューター関係のもろもろが揃っていて、活動に対する全国からの励ましのメールや問い合わせの対応に明け暮れる日々になってしまったのでしばらく家にも帰っていないとのことだった。「でもねー。この活動が苦しいと思ったことはないんですよ。むしろすごく楽しみながらやっていきたくてね。そうじゃないと続けられないし、本当の山の良さみたいなものを伝えられないと思ってるから...。だってね、単純にこうして木々に囲まれた山の中にいるだけで落ち着くじゃない?」実際、現場に建てられた座り込みの場はツリーハウスさながらに宙にあって梯子を登って辿り着くと、そこにはコタツがあり、中に昔懐かしい豆炭を入れて暖をとっていた。簡単な流しやガスコンロもあってちょっとしたキャンプ気分だ。「床が地面についていると建築物とみなされて法に触れるんですけど、こうやって宙に浮いていると適応できないんですよね。それにもともとここは古くには地図にも載っていないようなところで、土地の者の誰の許可もなく勝手に線引きをして強行しているものだから向こうも下手には出られないんですよ」たくましい...。あっぱれである。

山は掘ると水が湧き出してくるという。それだけ山の中は水脈だらけなんだそうだ。溢れ出てくる水をポンプで吸い上げて外に出しながらの山にトンネルを掘る作業というのは、だから海底工事並みの難しさと必要以上の日数と巨額の費用がかかってくるという。そんなにトンネルを作りたければ、山に穴を開けるよりも山を迂回して新たに築く方がよっぽどリスクは少なくて済むという見解がある。それは周知の事実でもあるのにそういう方向に行かないのはいったい何故なのだろう?

山を歩くということは、水の上を歩くということだった。山の水によって、ここに暮す全ての生き物たちと私達人間の命はつながっていたのだ。



_ 2008.03.09_>>>_新月

「ピースボール」

屋久島に住んでいる友達が遊びにきた。

彼の名は「直哉」。もともとはギャラリー「nociw」時代のファンで、そのまたもともとは、nociw時代のファンから今は家族のような間柄になった「ゆういちろう」と直哉がインドを旅している時に出会い、東京で再会した時にゆういちろうの部屋で私の画集を見て直哉がたちまち反応して、ギャラリーまで来てくれたのが彼との最初の出会いだった。その時ちょうどギャラリーでは「wor un nociw」の個展の開催中で、直哉は初めて原画を見るなり「欲しい」と言って、自分だけでは選べないからこの次奥さんを連れてくると言い残して去っていった。そして数日後本当に奥さんの「たかえ」を連れてきた。彼女も絵を描いていたそうで、かなり感じ入ってくれている様子だった。そして時間をかけてじっくり絵を見たあとに二人が選んだ絵は同じだった。「これから二人で屋久島に移住しようと思っているんです。この絵を連れて行きますね」それは森の中で鳥が羽ばたいている絵だった。

その日以来私達は会っていなかったから、なんと5年振りの再会になった。でもその間、直哉は毎年かかさずの年賀状と時折送ってきてくれるメールで屋久島での近況や私の活動に対する励ましの言葉をかけ続けてくれた。だから、たった二度しか会ってなくて会話もそんなにしたわけじゃなかったのに、直哉は屋久島の友として私の中に完全にインプットされていったのである。家に来たいと突然連絡をもらって駅まで迎えに行った時、大きな荷物を背負ってボーッと立ち尽くしている姿の直哉を見て「あれっ。こういう人だったっけ?」と自分の中の記憶を辿っていた。「いや。違う。全然違う」屋久島の森で過した5年という歳月が、直哉をすっかり人間のエゴの世界から引きずり出し、自然体そのままの本来の人間のあるべき姿へと変えていったのだろう。まるで植物のようなエネルギーを発していた。今回東京へ出てきたのは、たかえが二人目の子供を出産するために実家の静岡に帰省していて、直哉も立ち会うべくやってきたのだが、本番まではまだ時間があるので久々に東京の友達の所を点々として遊び歩いていたのである。そのせいか顔は真っ青で目の下にはクマができていた。「あまり寝ていないんです」直哉は儚げに笑った。

まずはご飯を食べさせた。「う、うまい。本当にありがたい。ありがたい」と何度も言いながらゆっくりとそしてもりもりと食べた。「いったい東京に来て何を食べていたの?」と思ってしまうくらい食い付きがいい。食べて少し元気になった彼は、タオルでくるんだ包みを大事そうに抱えおもむろに広げた。すると中からは大小様々な形をした木々が出てきた。屋久杉だ。しかもすべてが丁寧にとてもきれいに磨かれている。「海で拾った屋久杉の流木です。すべて手で削りました」色んな形の木たちに混じって、まん丸の球体のものがいくつかあった。「これはピースボール。僕が命名しました」「か、かわいい...」完全な球ではないところが人肌を感じさせてとても素敵だった。手に持つとすごくしっとりとした感触だ。そして香りが普通の杉と違って更に強くかぐわしい。「屋久杉と呼べるのは樹齢千年以上の木だけ。屋久杉からはとてもおおくの油が出るんです。だからこんなに光沢があって香りがいいんです」「なるほど。そっかぁー」私はその木たちがとても愛おしくなっていつまでも触っていたいと思った。まったく飽きのこない戯れである。特にこのピースボールたち。球というのはなにか人間の深層真理に直接働きかけてくるものがあるようだ。私達はこのピースボールと私の絵を物々交換することにした。「うわぁー。すごーく嬉しい。ありがたい。ありがたい」と直哉は顔をほころばせて喜んでくれた。そして私もじわーっと心が暖まる感覚に浸りながらピースボールとの出会いを喜んだ。ツルツルに磨かれた目玉オヤジのようなピースボールも笑っているような気がした。「木を磨いているんだけど、それは自分の心を磨いているんだと知るようになりました」直哉がポツリと言った。

自分の子供同様だという屋久杉たちを再び大切にタオルにくるんでしまい込むと、今度は大きな布袋から大事そうにある物体を幾つか取り出して床に広げた。「クリスタルボール」だった。私は先月、シャスタ山でクリスタルボールの生の音色を聴いて感動してきたばかりだった。しかも直哉の持っているそれは、伊豆の山奥に住むというクリスタルボール使いから手に入れたものだが、その彼もまた10年間くらいシャスタ山に暮し、クリスタルボールを携えて日本に帰ってきたという人物だった。ここでまたシャスタとつながった。私は不思議な感覚に捕われながら直哉がセッティングする様をボーッと眺めていた。そして「この男との縁は実は相当古いのかもしれないな」と、ふと思った。音が始まった。次々に鳴り響くハーモニー。共振の連鎖。直哉は女性に優しく触れるようにとても繊細に手首を滑らせていった。私はといえば意識は完全にシャスタ山に飛び、その後は自分の内部へと向かっていた。そして「このままいけばすべての細胞が爆発してしまうんじゃないか」と思ったところで音が止んだのである。「本当はもっとやりたかったんだけど、体も疲れてるみたいで...」と直哉。「今日はゆっくり休んだ方がいいよ」布団を敷いてあげると、横になったと思いきやものの3秒くらいで大きないびきをかきながらたちまち眠りに落ちていった。

翌朝、目を覚ました直哉の目からはクマがすっかり消えていた。顔色も赤みを帯びている。「すっごい久々にぐっすり寝た気がします」「よかった。よかった」朝食を食べたあと、アトリエまでの道のりを道路を通らず、あえて山道を通って向かった。屋久島でガイドの仕事をしている直哉は高尾の森を見て、広葉樹の多さに目を見張っていた。「いい森ですね」桜の大木に抱きつき話し掛ける彼。途中で枯葉のベッドに横たわり、しばらく空を仰いだ。嬉しくて飛び跳ねているnociw。「森に入ったのもホント久しぶりです。生き返りました。ありがとう!今度は屋久島の森で、僕が案内しますね」「うん。それ、すっごい楽しみだな」「その時、僕のところにある∀KIKOさんの絵もぜひ見て欲しいな」

あの絵の鳥は今でも屋久島を自由に飛び回っていますよ.....



_ 2008.02.21_>>>_満月

「富士とシャスタ」

サンフランシスコでのアートショウを終えて帰ってきた。まだあの時の余韻は醒めないままだ。

空港に着いた朝、シャトルバスに乗って今回お世話になった「しのぶ」ちゃんの家へ向かった。門を開けて出てきた彼女とハグを交わす。一緒にきた「taba」を紹介する。「ようこそサンフランシスコへ!」しのぶちゃんは笑顔で私達を迎え入れてくれた。ひとまず中へ入ってひと休みしてからアートショウをやることになっていたギャラリー「RED POPPY ART HOUSE」へと向かった。そのギャラリーはしのぶちゃんの家からほとんどまっすぐに坂を15分ほど下りた所にあった。中にいたのは「todd」と「meklit」というスタッフ。toddは画家で絵の先生でミュージシャン。meklitはミュージシャンでtoddから絵を習っているアーティストでもあった。そのギャラリーはART HOUSEというだけあって、そこで様々なライブパフォーマンスやワークショップが行われていて感性の鋭いローカルの人々の間ではおもしろい場所として一目置かれているようだった。初めて会うtoddもmeklitもとてもフレンドリーでナイスガイだった。翌日、セッティングをしにギャラリーへ着くと、今回しのぶちゃんとともに私のアートショウのために尽力してくれた「diane」がいた。彼女の目を見て思わず抱きついてしまった私。彼女も優しく抱きしめてくれた。本当に内側から溢れてくる暖かさ。その瞬間、この人達と出会えてよかったと心の底から思った。この時「glenna」というフォトグラファーのスタッフも手伝ってくれた。彼女もまたとても繊細で穏やかなバイブレーションの持ち主ですぐに大好きになってしまった。セットアップが終わり、ART HOUSEが私の絵で彩られた。「オー!ビューティフル!」daianeとglennaはとても嬉しそうだった。本番は1週間後のレセプション・パーティー。普通はオープニングに行うものだがdianneの提案で今回はクロージングという形になった。そしてここは普通のギャラリーではないので、私の絵がある空間の中でライブやワークショップが行われていった。だから私は毎日ここにいなくてもよかったのだが、どんな連中がやって来るのかに興味があったので、数時間だけでもいようとほぼ毎日坂を下ってギャラリーに通った。ドキドキの初日。RED POPPYに着くとtoddの友人でもあるという1人の黒人女性がいた。その瞳を輝かせて「あなたのアートとても素晴らしいわ!大好きよ」とハグをしてきた。そしてsimple side.の英語版を見て感動してくれ、海外で1番最初の購入者となってくれた。そんな彼女もまたアーティストでヘナタトゥーを描いていて「感動させてくれたお礼に、あなたの手に是非描かせて欲しい!」と言ってくれ「また必ず来るわ」と去って行った。

翌日、私はシャスタ山へと向かった。サンフランシスコへ着いた日の夜、お茶を飲みながらしのぶちゃんに「どこか行きたい所とかあるの?」と聞かれ、とっさに「シャスタ」と言ってしまったのである。この山のことは今はニュージーランドに滞在中の旅人「ゆういちろう」と「みちよ」から聞かされていた。「あそこは本当の聖地らしいですよ」「∀KIKOさん絶対好きだと思うなー」彼らがニュージーに旅立った後も、その言葉がずっと気になっていて、サンフランシスコへ旅立つ直前にも高校の時の地図帳を引っぱり出してきては位置を確認したりしていたのだった。「わぁ。シャスタだったら私も行きたい!1度行ったんだけど物凄くいい所なの。温泉もあるし、せっかくだから1泊したいね」しのぶちゃんは急に興奮した様子になって言った。「Kuも絶対喜ぶよ」kuというのはしのぶちゃんの一人息子で現在8才。すっげー面白くていいヤツ。センスも抜群。ちなみに旦那の「joe」はミュージシャンでもあり映像ディレクターでもあるアーティストで彼もまたとっても優しいナイスガイだった。でもjoeは丁度大事な仕事が決まるかどうかの瀬戸際だったので家で留守番することになった。「あっそうだ。運転手が私だけだったらちょっと不安だからまきこも誘おう!」「まきこ」というのはしのぶちゃんの親友で今回のアートショウのフライヤーをボランティアで作ってくれたデザイナーで、彼女もまたメチャメチャいいヤツなのだった。そんなわけで私とtabaとしのぶちゃんとkuとまきこの5人でシャスタへの旅が始まったのである。

朝、夜明け前にサンフランシスコを出発して約5時間、深い雪に覆われたシャスタ山が見えてきた。「わぁ。きれい...」一見、富士山を仰いだ時のような神聖な感覚に襲われた。標高は富士山よりも高い。赤い土に囲まれた緑色をした美しい湖。クリスタルガイザーの源泉でもある泉から沸き出すおいしい水。麓の町はこじんまりとしていながら、おいしそうなオーガニックフーズやおもしろそうなお店が並ぶ。なんだか昨年の9月に旅したカナダのソルトスプリングス島の山版という感じもした。ここにもしのぶちゃんは知り合いがいると言ってその人のお店を訪ねた。その人は「ハルコ」さんといって石のお店をやっていたが丁度お店が改装中ということもあって忙しそうだった。kuがソリ遊びをしたそうだったのでハルコさんにソリを借りた。そして私はシャスタに来たら是非手に入れたいと思っていたものがあったので、その物のありかも彼女に聞いた。それは「クリスタルボール」といって天の音色を響かせるという楽器。真鍮でできた「シンギングボール」と同様に鉢の周りをを棒で撫でながら音を出すものだ。この情報もゆういちろうからゲットしていたのだ。私は生の音が聞きたくてたまらなくなってハルコさんに聞いてみた。「だったら2件先に置いてるお店があるよ。他にもあるけど私はそこがお気に入りなの」さっそく覗いてみると、店内は私の好きな物だらけでいっぱいだった。同じようなお店は確かにどこの世界にもあるだろうけど、何よりここは居心地が良かった。スタッフもニコニコしているだけでほったらかしだし。私はチャクラに沿って並べられたクリスタルボールを順番に奏でてみた。何とも美しい陶酔してしまいそうな音だった。どのチャクラに対応するものにしようか迷っていたら、ふと、その横にさりげなく置かれていた「メディスンドラム」が目に留まった。その瞬間、私は何の迷いもなくそのドラムを叩いていた。するとkuが横に座ってもうひとつのメディスンドラムを叩き始めた。私達はしばらくセッションに夢中になった。その間誰一人として邪魔する人はいなかった。そして「あー気持ちいいーっ」とkuと顔を見合わせながらジャムを終えた時、私はそのドラムを手に入れることを決めたのだった。ハルコさんは言った。「グッドチョイス!今は大地と繋がる時だったんだね」

「さー。早くソリ滑りしてコテージにチェックインしないと温泉に入れなくなっちゃうよー。確か時間決まってるはずだからさー」しのぶちゃんが言った。コテージは最高だった。ロケーションとその温泉施設が。温泉は一人一人個室があてがわれてバスタブに蛇口をひねると、源泉が出てきた。そこに5分くらい浸かったら別室にあるサウナに入る。そのサウナがまた素敵で中央に大きな薪ストーブがあって、部屋中ハーブの香りが立ち込めていて部屋の灯りはクリスタルを通して漏れてくる光りだけだった。そこに10分くらい入ってから今度は外に流れるきれいな小川の中へ入り心身を浄める。その繰り返しで1時間はたっぷりと満喫できた。これほどまでの浄化をこういった施設で体験するのは初めてだった。最初にバスタブに浸かった時は、涙がとめどもなく溢れてきて驚いた。自分に「お疲れさん」と心から伝えることができた。コテージの中にも立派な薪ストーブがあって、私達は夜中まで火を囲みながらいろんな話しをした。お互いほとんど初対面だというのにそんな感じはみじんもなく、何度も何度も「いやぁー気持ちよかったよねー」と言っては笑いあった。

サンフランシスコに戻ってきてからも、シャスタでの感覚がそのまま残っていて不思議な感じだった。その時にちょうどアートショウのフライヤーも上がってきて、レセプションに向けて動き出す準備がやっとできたというところだった。そのゆるさが何ともサンフランシスコだよなーと思いながら、ここはもう楽しむしかないなと腹を決めた。レセプション当日、私とtabaは早めにRED POPPYに入って場を整えた。前日に2人して中も外もトイレもキッチンもきれいに心を込めて掃除したので気が全然違っていた。だから当日はもう一度簡単に掃除して浄めて、シャスタから連れてきたドラムを叩いて「このパーティーが平和でありますように」とだけ祈った。しのぶちゃんが色んな食べ物を差し入れに持ってきてくれた。まきこもたくさんクッキーを焼いてくれた。dianeとglennaは日本酒とつまみを用意している。「あーいよいよ始まるんだなー」と私はワクワクした。kuも気を感じて興奮気味だった。スタートの6時からお客さんがゾロゾロと入ってきた。カナダでのショーの時も色んな人種の人達がいたが、ここではさらに多くの人種が集まっていた。黒人も多い。「ここはやっぱりアメリカなんだな」と、ちょっと感激した。そしてみんなが本当に心から絵を感じて口々にその感動を表現してくれた。とにかく深く深く絵について聞きたがる人がたくさんいた。そして私が日本でもいつも言ってるように「私の絵は鏡のようなもの。見る人が自由に自分自身の中へと旅をしてくれればいいんです」と伝えると「あぁ。やっぱり!そうだと思った」とみんなが納得してくれた。daianeがお客さんが絵をじっくり見られるようにと部屋の中央に壁に向けて椅子をたくさん配置していたら、その通りに椅子に腰掛けて絵を見たまま最後まで動かない人達もいた。インド人もいた。「あなたは瞑想をしているの?」と聞かれ「私にとっては描くことが瞑想なの」と言うと首を大きく縦に振りハグをしてきた。しのぶちゃんの家で夕食会をした時に来てくれた「やすえ」ちゃんはこの日自慢の手料理を持ってきてくれることになっていたが風邪で寝込んでしまい来られなかった。でも彼女から聞いたと言って来てくれた「tree」という60年代のヒッピーだったアメリカ人の男性があまりにも絵に感動したので、お礼にコレを貰ってくれと言って自分が作った蜂蜜をプレゼントしてくれた。「これは薬になる蜂蜜だよ」と。やすえちゃんとはオーガニックな野菜を作るファームで知り合ったそうである。とにかく彼と彼と一緒に来ていた友達の2人は、あのグッドバイブレーションの人達の中でもひときわピースな輝きを放っていた。そう、あの時あの空間では「ピースフル!」という言葉があちこちで連発していた。「∀KIKO。サンフランシスコへ来てくれてありがとう!そしてアメリカでのスタートおめでとう!」みんなからの心のこもった祝福に「神様ありがとう」と心の中で思い続けていた。

日本へ帰ってきて、NOBUYAにその一部始終を報告すると彼はとても喜んでくれた。そして「オレは何にも心配してなかったよ」と言った。彼は音で場を見守ってくれると言ってパーティーのためにスペシャルなミックスCDを持たせてくれたのだった。その音は間違いなくそこに集まった人々の心に届いていた。ござれ市を終えてやっと時差ぼけも治った頃、約2週間の間、淋しい思いをさせた「nociw」のために富士山の麓の湖でキャンプをした。満月の夜。雪を被った富士山があの時のシャスタ山とダブって見えた。優しく暖かい光に包まれながら私はいつまでもドラムを叩き続けていた。

「これは、ただの楽器じゃないよ。神様の乗り物さ」月がそういって微笑んでいるような気がした。



_ 2008.01.22_>>>_満月

「RED POPPY ART HOUSE」

今回サンフランシスコでアートショウを行うことになったギャラリーの名前である。

私はこの音がとても気に入っている。ポピーが大好きだし。出発が近くなってきた。2月4日だ。現地へ着いたらギャラリーを下見して翌日にセッティングをして2月6日から13日までの開催。11日か12日にはレセプションパーティーも開いてくれることになっているそうだ。オーナーの「ダイアン」は日本人とのハーフでめちゃくちゃいい人とのことである。これは現地で今回のアートショウのために尽力してくれている「しのぶ」さんからの情報。ホントに何から何までお世話になってしまっていて感謝だ。おまけに寝泊まりさせてもらう場所もしのぶさんの家だし。

これとは別に行われるブックフェアーは2月9日10日の開催。こっちには「simpleside.」の英語バージョンを出品するために「taba」が一生懸命に力を尽くしてくれている。そう、今回のサンフランシスコはtabaと2人で行くのだ。今思うと相当不思議な縁である。でも、まーそういうことは、帰ってきてからゆっくりと浸ることにしてまずは準備なのだ。1月の「ござれ市」が終わったら、本格的に準備に入ろうと思っていたのだが、あの日ははんぱじゃないくらい寒くって、終わったあとに久々に高熱を出してしまい、3日間ずっと寝込んでしまった。やることはいっぱいあるのに、成す術がなく朦朧とした意識の中、ただ「あー、サンフランシスコでアートショーかー」と何かひとごとのようにボーッと考えていた。全部が夢のような気さえしてきたりして、体が弱ると頭ってちっとも働かないんだね。

熱がやっと下がってきたと思った日に、今度は生理になって生理痛が始まってしまった。重い時と軽い時があるのだけど、今回はまた、内部で不思議な化学変化が起こったらしく、かつてないほどの貧血状態になって再び意識が遠のいていった。ゆうべのことである。先に寝ていた私がその状態になって、どんどんどんどん体から自分が離れていく気がして怖くなり必死にNOBUYAの名前を呼ぶのだが、彼曰くいつもの寝言のようにしか聞こえず、しばらく放っておいたのだが、ちょっと変だぞと思い覗きこむと顔の半分が赤で半分が青になったていたので「これはヤバい!」と思い、あわてて家にある自然療法の本を急いで調べて薬を作って飲ませてくれ、正気に戻ったのだった。いやはや助かった。NOBUYAには相当インパクトがあったらしく何度もその時の真似をされている。(笑)

とにかく戻ってきたのだ。でもね、何かが前と少し違うのである。体が宙に浮いてるようなフワッと全体が軽くなったようなそんな感じなのである。うまく言えないけど。ともかく、ここから気を引き締めていこうと思う。すべては成るようになるさ。元旦にやった占いのメッセージが「なさずして成る。なぜならすでに天によってそれは成されているからである」だったのだ。私のHPに載っているプロフィールの写真。

あの赤いポピーを握った時の気分に私はいつでも還ることができるのだから。



_ 2008.01.08_>>>_新月

「命」


森には

命のざわめきが 満ちている

木の声 土の声 風の声 水の声


精霊たちが 歌っている

聞く耳を 持つ者たちが

その声を聞く


すべての自然に 私は宿る

言葉は歌

言葉は音


命の音に 私は宿る

命とともに 私は歌う


命の音に 私は宿る

命とともに 私は踊る



_ 2007.12.24_>>>_満月

「縁」

年末という感じがまったくしないまま、もう2007年も終わろうとしている。

現在私は「simple side.」という本の改訂版の制作の真只中だ。この改訂版では初めて日本語バージョンと英語バージョンの2册が同時に出版されることになった。そして、英語バージョンの方は来年2月にサンフランシスコで開催されるブック・フェアに出品される。それに伴って「せっかくなら作品も見てもらった方がいいんじゃない?」ということで、現地に住む「しのぶ」さんという方が動いてくださり、あちこち私の作品の写真やプロフィールを持ってギャラリーを探し回ってくれた。いくつかのギャラリーからいい返事を貰っていたようだが「全てしのぶさんの直感にお任せます」と託した。そして昨日、彼女がいいと思っていたギャラリーからOKの返事があり、会場が決定したとのメールをもらった。

私の母屋の隣に暮す「えいじ」と「まりこ」は4年前サンフランシスコから日本に移住してきた。ちょうど私がギャラリー「nociw」をクローズした年で、友達を介して知り合ったのだ。その時はまだ私達は高尾の住人ではなかった。彼らが高尾を選んだのは「もう、かつてのように都心では絶対に暮らせそうもない」と思ったからだった。私とNOBUYAはその頃ちょうどオオカミ犬「nociw」を貰い受けることになっており「高尾あたりに引っ越そうか?」と言っていた時で、つまりベストタイミングだったわけである。彼らの家にちょくちょく遊びに行くうち、すっかり「ここは、私達の暮らせる場所だね」と確信するようになり、そんな流れで2人のお隣さんが守備よく引っ越して私達が住むことにあいなったのだ。そんな2人がサンフランシスコで大の仲良しだったのが「しのぶ」さんと彼女の息子の「クー」だった。最初は求人情報を見てベビーシッターのためにアルバイトとして彼女の家で住み込みで働くうち、まるでどっちのきっかけが最初でこうなったのかさえわからなくなるほどにお互いに寄り添いあい、打ち解けあえる関係になっていったという。でも私は「しのぶ」さんが帰国した時に2度会っているのだが、ゆっくりと話す時間はほとんどなかったのだ。ただ、絵は「えいじ」と「まりこ」がファンになってくれていたお陰でちゃんと見てくれていて、2度目にカフェ・スローでの個展に来てくれた時、サンフランシスコ行きの話をしたら、ここまで整えてくれたのである。私のことなどまだよくは知らないというのに...。私は「えいじ」と「まりこ」に感謝した。

そして彼らは来年の1月5日に高尾を去る。次の行き先は奈良だ。彼らは出会った時から「もっと、ここよりも自分達らしい場所が見つかったら移りたい」そう言っていた。そして私とNOBUYAもいずれは互いの生地である北海道を目指している。だから「お互い旅の途中だね」とよく話していた。「でも、束の間だとしてもこうして隣同士で生活してるのは楽しいよ」と。もともと料理好きの「まりこ」は日本に帰ってきてからパンを焼き始めた。そして、今までパン屋さんで修行を積み奈良で自分のパン屋さんを開業する。「えいじ」は1年前から空師の仕事を始めて「これはオレの天職だよ」とまで言うようになった。もともと木が大好きだったから、より深い森を求めて奈良で面接を受けたらみごとに受かってしまったのである。着々と自分達の進むべき道を歩いてきたから、ベストのタイミングが訪れたのだ。私達は心から祝福した。2人の喜ぶ顔が見れて本当に嬉しい。隣にいなくなるのはちょっと淋しいけれど。「えいじ」が言っていた。「オレ達の今度の家はさ。古くて趣きがあってすっげえ広いんだ。ここで∀KIKOの個展ができるねって2人で盛り上がったんだよー」涙が出そうだった。結局人間は縁で結ばれているのだ。その縁に感謝して生きなければ罰があたるだろう。11月に行ってきた出雲大社は「すべての縁をつなぐ」といわれる聖地だった。だから私は祈る。

すべての縁がひとつになりますように...。



_ 2007.12.09_>>>_新月

「Harmonic Earth」

9月のござれ市で初めて出会った「けんたろう」と「ももえ」から依頼されたロゴマークが完成した。

彼らが地元の栃木でオープンしたヨガ+ヒーリング+ワークショップのスタジオのためのシンボルマークだ。その名は「Harmonic Earth」地球に、そして人にも優しい世界中の様々なライフスタイルを学び、実践し、楽しむ場所がコンセプト。3つの柱のそれぞれの活動がお互いに影響し合い、倍音(Harmonic)のように共鳴して、私たち地球(Earth)に生きる、生きとし生けるもの全てにとって、より快適な未来を提案できたらという願いのもとに誕生した。プレオープンはすでに11/11から開始されているが、本当のオープンは彼らの中では私のロゴが完成した時だと言っていた。

私はこの仕事を受けるにあたり、2人が実際に始める場所をこの目で見たいということと、2人と色んなことを腹を割って話し合える時間が欲しいと伝えた、そして2人が好きな場所があったらそこにも連れて行って欲しいと。2人は「そこまでしてもらえるのは逆にありがたい。」と言って喜んでくれた。10月の終わり、私はやっとそのための時間が取れたので2泊3日で彼らの元へと旅立った。2人はこの日のためにどういうスケジュールで動くのが一番いいかということを綿密に話し合っていたらしく、着くなり「今日は家でゆっくりしてもらって早めに寝て、明日は早起きして山登りをします。そのあとは温泉に入って疲れを癒してから家に帰って鍋をしましょう。」ということだった。

これから2人が住まい兼スタジオとして暮す場所はまだ、改装したてでクールな印象を受けた。「僕らも∀KIKOさんがやって来たお陰で急ピッチで準備を進めることができました。ここに泊まるのも実は今日が初めてなんです。」まだ家の勝手がつかめず右往左往していた2人だったが、それでもスタジオを始めるための大切な品々はすでに揃っていた。2人がインドで特注したというガネーシャの像や、ヨガの師匠の顔に似せて作ってもらったという像、師匠の写真、浄化のためのベル。そう、2人は2年間世界中を旅して自分達に必要なスキルを学んできたのだった。その旅の途中で私のHPを見て私の存在と絵を知り「日本に帰って自分達のスタジオを開く時は絶対に∀KIKOさんにロゴをお願いしよう!」と心に決めていたそうなのである。自分の知らないところでそんな意志が働いていたとはなんとも嬉しい限りだった。「実はまだお風呂のお湯が出ないんです。何とか今日までに間に合わせたかったんですが駄目でした。」その日私達はスーパー銭湯のような所へ行った。その時、ももえから彼女の生い立ちから現在までのいきさつを全て聞かせてもらった。お風呂につかりながら一生懸命に話すももえ。私も一生懸命に彼女の話に耳を傾けた。「なんてピュアで優しい子なんだろう。」私はそう思っていた。そういえば「ござれ市」で初めて会った時も彼女は涙を流していたっけ。「これで、何かが変わりそうな気がします。」と。

翌日は日の出とともに起きて外に出て洗濯物を干しながら、朝日に向かって合掌した。向かった山は那須にある朝日岳。標高は1800メートルくらいだっただろうか?2人も山登りが好きなようだが、実は私も好きである。ちょうど紅葉が始まってきた頃で山々の美しさといったらなかった。私達はゆっくりと山の景色を楽しみながら登った。この時は逆に余りしゃべらなかったが、その時間がとても愛おしいかった。山に言葉は無用なのである。一息ついた時、私は持ってきたインディアン・フルートを吹いた。たまらなく気持ちがよかった。すると鳥がいっせいに山あいから飛び立っていった。「鳥たちが共鳴していましたね。」けんたろうが静かに言った。降りすがら、けんたろうはターメリックのように黄色いチョークのような石を見つけて、嬉々として岩々に顔を描いていった。ももえが「何だか全部けんちゃんに似ている。」と言った。確かにみんなどこかトボけていてけんたろうに良く似ていた。山を降りると次は温泉が待っていた。2人が大好きな温泉だという。車を降りてしばらく歩きながら坂を下ると、まるで狐につままれたようにその温泉は現れた。本当に古くていい風情を醸し出している。中へ入るとちゃんと神々が祭られていて、それもまた私好みだった。そこにいくつかあるお湯の内、彼らが最も好きだというお湯は混浴だった。2人は私に気を使って別の湯を案内しようとしていたが「私はまったく気にしないよ。」と告げて3人で一緒に入った。出会って2度目で裸の付き合いをしてしまった。2人が心から喜んでいるのが私にも伝わり嬉しかった。そして本当にいい湯だった。

家に帰りみんなで鍋の準備をして夕食を共にした。もう明日は帰るという時間がきたのだ。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、けんたろうは何かもっと色々と説明をしておかなければならないんじゃないかと少々焦っているように見えた。けれども、もうその心配はいらなかった。この2日間で私は十分なほどの2人に関する大切なメッセージを受け取っていたからである。そのことを伝えると、彼はホッとしていた。「そうだった。∀KIKOさんには喋り過ぎる必要はないんでしたね。」「私達が外国の地で∀KIKOさんにこの仕事をお願いしようと決めたけれど、その時は∀KIKOさんはとても遠い存在で、まさか本当に実現するなんて思いもしなかった。それなのに今こうして一緒にお鍋を囲んでいる。不思議だな。願いは叶うものなんですね。」ももえが言った。その通りだと思う。私はちっとも遠い存在なんかではないし、むしろ自分の絵に対して喜んでくれる顔が直接見られることは、このうえない幸せだと思っている。2人にロゴの完成は伝えたが、彼らのリクエストで私が選んだ額に入れて欲しいとのことで、渡すのはまだ先になりそうだ。2人は見たいのは山々だがあえてその時間も楽しみに待っていてくれるという。私は今回の縁も神様から与えられた大切な贈り物だと感じている。そう思えるからこそ、2人のために、2人のことだけを思い全身全霊をかけてクリエイトすることができたのだ。

人々を通して伝わっていくエネルギーを想像すること。それが私の仕事です。



_ 2007.11.24_>>>_満月

「出雲大社」

はじめて出雲大社へ行ってきた。今、このタイミングでというのが不思議でならなかった。

それはギャラリー「nociw」時代からのファンで今では大切な友達となった「大谷悠介」と「亜希」の結婚の儀に招かれたからである。岡山県出身のゆうすけと茨城県出身のあきがどうして出雲大社かというと、ゆうすけがよく子供の頃初詣でで出雲大社を訪れていてゆかりがあったからだというが、何か彼の中でも「ここだ」という直感が働いたのだと私は思う。場所が場所だっただけに参列者も限られていて、ゆうすけとあきの親戚とあきの高校時代からの親友「はる」と「まゆみ」と二人の写真学校時代の親友「ゆうこ」と「たつなり」、たつなりの彼女の「ゆかり」。そして私とNOBUYAだけだった。二人の親友が招かれるのは当然だが、なぜ私達までも招待してくれたのか?「僕らにとって二人との出会いと存在は大きく、夫婦としての理想の姿だとずっと思っていたから、どうしても二人には参列してもらいたかったんだ」とゆうすけは言ってくれた。その二人の気持ちがとても嬉しくてありがたかった。

式の前日、出雲は雨と風で天候が大荒れだったという。でも、当日私達が着いた頃は、ウソのように空が晴れ上がり絶好の結婚式日和となっていた。緊張した面持ちのゆうすけと美しい白無垢姿の花嫁のあきがそこにいた。いつもとは次元の違う二人を見て「あぁ、今日は特別な日なのだな」と感慨深かった。いつもは神社へ参る時、賽銭箱にお金を入れて鈴を鳴らし、礼をして拍手をし、その前に広がる座敷と祭壇を遠巻きに眺めながら祈るのだが、今回はその座敷の中に通され儀式を見守ることになった。当たり前だがそこは非常に浄められていてとても神聖な空間だった。厳かに式が進む中、鈴を鳴らし柏手を打つ音がひっきりなしに聞こえてくる。一心にこちらに向かって祈る人々の姿が見えた。この出来事が同じ場所で同時に起こっていることに気づいた時、不思議な感覚に襲われた。玉串という榊の枝をそれぞれに持ち八の字を描くように交わってから祭壇の前で「誓詞」という誓いの祝詞を新郎が読み上げる番がきた。控え室で「間違わずに、ちゃんと読めるか不安だよー」とこぼしていたゆうすけだが、本番にはびっくりするほど大きな声ではっきりと神様に自分の言葉を告げていたのには感動した。その時ゆうすけの本当の姿を見た気がした。ニ礼四拍手一礼。普通神社では二拍手だが、ここではその様式も違っていた。二人が三三九度を酌み交わし、最後に参列した者全員で一緒に祝いの盃を飲み干した。

出雲大社は国津神系の神社の中心。伊勢神宮は天津神系の神社の中心である。私はこの二社のうちきっと先に伊勢に参るのだろうと思っていたのだが、出雲だった。これにもきっと意味があるのだろう。出雲の祭神は「オオクニヌシノミコト」つまりは大黒様だ。そしてこの日は一年に一度全国から八百万の神々が集まる「神在祭」の最中でもあった。たまたまこの時期に式を挙げることになったそうだが、何というタイミングだろう。まるで二人のために八百万の神々たちが集まってきたように私には思えた。二人の魂は本当にビックリするくらいきれいで曇りがない。今まで付き合ってきて、会う度いつもその純粋さに胸を打たれてきた。そんな二人のことを神様が放っておくはずはないだろう。きっと全員でお祝に駆け付けてくださったに違いない。

式が無事終わり、玉造り温泉という千年以上の歴史を持つ温泉地にある宿に向かった。そこで夕食を兼ねた祝いの宴が始まったのである。参列者を一同に会してまずは全員の紹介を新郎と新婦がそれぞれにおこなった。新郎側の最後に私達が紹介された。きっと親戚の方々も私達がいったい何者であるのかと思っていたであろうし、私達も本当は似つかわしくない場所にいることに少々恐縮していたのだが、ゆうすけがまた大きな声で皆に告げたのだ。「今回僕の友人の代表として招かせてもらった∀KIKOさんとNOBUYAさんの御夫婦です。僕が東京に出て一番影響を受けた人達です。人間が生きて行くうえで本当に大切なものは何なのか?そのことを芸術を通して教えてもらいました。お二人が今日ここに来てくださったことがどんなに嬉しいか計り知れません。」そのあと、ゆうすけの両親や親戚が代わる代わる目の前に現れて「教師やサラリーマンの多い固い家系の中で突然変異のように現れたゆうすけです。どうかこれからもよろしくお願いします」と言ってくださった。ゆうすけは二年後には地元岡山に帰りぶどう農家を始めることになっている。その夢を今年の正月に帰省して初めて両親に話した時は父親と大げんかになったそうだ。でも最終的にはゆうすけが本気であることを理解してくれ、今では応援してくれているのである。私はお父さんに言った「ゆうすけは本当に豊かな感受性を持った人間です。彼は必ず立派な農業家になるでしょう。どうか信じてあげてください」宴の後は温泉に入り、そこであきの親友やお母さんと裸で語り合った。

翌日は宿をチェックアウトして、ゆうすけの車に乗りNOBUYAと三人で再び出雲大社へと向かった。少し歩くとそこはもう海で、もともとの出雲大社があったという浜があり大きな岩の上に鳥居と祠があった。神様は海を通ってそこから現在の大社までやってくるとされていて、今でも大切な神事の時はこの浜から儀式が始められるそうだ。私達はその岩にむかって静かに手を合わせた。「まさか二人とこの場所に立てるとは思いもしなかったよ。ほんとに嬉しいな」ゆうすけが言った。私はぶらぶらと砂浜を歩いていき、とても美しい桜貝を見つけた。二枚の貝が開いて一ケ所で繋がっている。「まるで二人のようだな」と思い、ピアスを入れておくために持っていたフタが透明な小さなケースに蝶々のようなその貝をそっと入れてゆうすけに渡した。「これ、二人に。神様からの贈り物だよ」「うわぁきれいだな。ありがとう」そこからすぐの出雲歴史博物館の前まで送ってもらい私達は固くハグを交わした。ゆうすけがポケットからさっきの貝を取り出した。

二枚の貝はぴったりと重なり合いひとつになっていた。



_ 2007.11.09_>>>_新月

「あわい」

先日、高尾仲間の「さちよ」から読んで欲しいと渡された本「狐笛のかなた」を読み終えた。

この本が私の元へとやってきたきっかけは、先月の「ござれ市」にさちよが来た時、私の絵の中のある一枚を見て「今自分が読んでいる本の中の私のイメージとまったくそっくりなの!」と彼女が驚いたからだった。あまりの嬉しさに、さちよはその絵のコピーを買って「これから毎日家で見ることができると思うとなんて贅沢なんだろう」と言って帰っていった。翌日、アトリエに着いてみると、ポストに茶色い紙袋が入っていた。さちよからだった。「昨日言っていた本です。返さなくていいんで、時間がある時に是非読んでみてください。昨日はあまりにも興奮してしまって...」中には本と一緒に手作りのリンゴジャムとバジルペーストが入っていた。さちよはもともと四国は高松の人で、以前には地元で自分で作ったお菓子を出すお店のオーナーもしていたそうなのだ。息子の「なるき」が生まれたことや、だんなの「とも」がこっちの人でそばの板前をやっている関係で、友達のそば屋で働くためにみんなで出てきたらしい。そして縁あって今、私達はご近所さんとしておつき合いしているのだった。

ただ本を渡されるよりは、さちよの前振りがあったために、私はその本の存在が大いに気になってしまった。実は以前にもギャラリー「nociw」をやっていた時に、初めて入ってきたお客さんが絵を見て「ハッ」と驚き「私が子供の頃、母によく読んでもらっていた大好きなお話があって、その話を聞きながら自分で勝手に想像していた世界の絵がまさにこれとまったく同じなんです!」といきなり言ってきた人がいた。そして、その女性は何の迷いもなくその原画をそのままさらって行ってしまったのだ。それから数日後、再び彼女はやって来た。「あの時の本というのが、これです。お時間があったら是非読んで欲しいなと思い勝手に差し上げるために持ってきてしまいました」それは「銀のほのおの国」という本だった。

私は「狐笛のかなた」に手を触れて読み始めた。とたん、そのままするすると物語りに吸い込まれるようにその世界に入ってしまったのである。その中で一番気に留まったのが「あわい」の存在だった。「あわい」とは間のこと。この物語りでは「この世」と「あの世」の境目のような場所で人間には決して訪れることができないとされている。目で見る実体ではない世界だから、いつでもどこにいても行ってしまえる世界でもある。この「あわい」のような存在を私はいつも意識して過していたということに、この本を読みながら改めて気づかされた。高尾の数駅隣には「はざま」という駅がある。この駅に停車して駅員さんが「はざまー。はざまー」と言う度、私は毎回「はざまか...」と妙に感慨深く思ってしまうし、アトリエから駅に向かう道に川が流れていて、そこに架かる橋は「両界橋」といい、ここを渡る時も「両界か...」と必ず両方の世界ということを思ってしまうのだ。そう考え出すと、生と死、光と闇、男と女など二つの全く別の性質のように見えるものの間にも、「あわい」が存在しているような気がしてくる。物事にも善か悪かなんてきっぱりと割り切れるものなんてありはしないんじゃないかと思えてしまうのだ。ましてや人間が判断してしまえるほど、この世界は愚かではないはずである。

「銀のほのおの国」も「狐笛のかなた」も児童文学だった。子供の頃に読んでハマった本には確かに自分を丸ごとその世界に放り込んで自由に生きていたなと思う。そういう意味では私達はすでに「あわい」を行き交う者たちでもあるのかもしれない。

この本を贈ってくれたさちよに心から感謝します。



_ 2007.10.27_>>>_満月

「アイヌの翼」

台風の来た27日。高尾にあるカフェ「TOUMAI」で高尾仲間のアイヌの唄者「床絵美」のライブがあった。

よりによってこの日に限ってこんな凄い天候に恵まれたことを思うと、何か絵美らしくもあり、カムイの仕業のようにも思えてしまった。当日NOBUYAはスタッフとして早くからライブの準備に出かけて行った。ライブは7時からだったので、6時頃NOBUYAが迎えに来てくれてTOUMAIに辿り着くと、絵美のだんなの「Ague」がドア口に立っていた。顔を見ると緊張していると見え目が心無しか泳いでいる。無理もないだろう。7月に私の個展の中のライブイベントとして絵美に唄ってはもらっているが、絵美のソロライブとして本格的に活動するのはこれが初めてといえるくらい、記念すべき日だったからだ。

ちょうど一年前、TOUMAIの存在を教えてくれたのは、絵美とAgueだった。「∀KIKOの個展をやったらいいのにーって思ったすごく素敵なカフェを見つけたから今度ぜひ連れて行きたいんだ。」ある日二人に連れられてやって来たそのカフェは「えっ、高尾にこんな場所があったの?」と思えるくらい高尾離れしていた。どこかのリゾートっぽい雰囲気を醸し出していて、ゲストハウスを併設するカフェ・レストランのようでもあった。でも、私が感じた一番の印象は「お店で働くスタッフの心がなんてきれいなんだろう。」だった。メインのスタッフは二人、おいしいご飯を創る「タカ」と入口のお店で自らセレクトした雑貨や洋服を置く「ヒカリ」だ。その彼らのバイブレーションが気に入って、別の日にさっそくNOBUYAを連れて行った。すると、その時にめったに高尾には居ないというオーナーの「由紀」ちゃんがいたのである。なんとそこは由紀ちゃんの実家だった。由紀ちゃんのお父さんの夢が昔から「人が楽しく集える場所を創りたい」ということだったらしく、その夢を娘の由紀ちゃんが去年みごとに実現させたのだった。TOUMAIとはアフリカの言葉で「最古の人類」という意味らしい。私達は由紀ちゃんのことも、会うなり大好きになった。彼女は昔、アフリカ大陸横断バスというのを自分でチャーターして旅行者を募り何度もツアーを計画したりしていたかなりぶっ飛んだ女の子で、その後もその経験を生かして本を書いたり、写真を撮ったり、各地へ講演に呼ばれたり、はたまたオヤジ達をモロッコだのブータンだのと連れて行ったりしているのである。

今回のライブで一番骨をおっていたのは「海沼武史」だろう。彼も高尾の一員で写真家として個展などをやりながら、20年間やり続けてきている音楽に並々ならぬ愛と情熱を抱いている人間の一人である。その彼が絵美の唄と出会い感動し、彼女をプロデュースしていくことで自らの才能の新しい表現方法を見い出していったのかもしれない。この一年あまりの間に彼は絵美の中に残された多くのアイヌの唄「ウポポ」をレコーディングすることに力を注いでいた。そして彼の妻である「つくし」も絵描きなので、今回のフライヤーを製作したり会場のデコレーションをしたりと協力を惜しまなかった。この二人には私から言うのも変かもしれないが、絵美やAgueに心からの愛を注いでくれていることに対して感謝の気持ちでいっぱいなのである。

さて、7月の個展のカフェ・スローでのライブの時に絵美が初めて組んだミュージシャンの「千葉伸彦」さんが今回も登場することになっていると聞いて私は嬉しかった。あの時をきっかけに、絵美と千葉さんが繋がっていたのだ。私は何を隠そうあの時以来、千葉さんのトンコリと唄がとても気に入ってしまった。「これから絵美と千葉さん、いい感じで繋がっていくといいなー」と内心ひそかに期待していたのである。まだ、ライブまでは時間があったので、控え室の絵美に会いに行った。絵美はいつになく緊張していた。彼女は今、妊婦でもある。「今日はお腹が張っててね。フーッ。」「大丈夫。お腹の赤ちゃんもきっとこの日を喜んでいる筈、絵美は立派にやり遂げるさ。」心の中で私は何の心配もしていなかった。会場へ入ると、この天気の中本当に来てくれてありがとうと思ってしまうほどお客さんでいっぱいだった。アイヌの音楽に合わせてタカとヒカリが準備したアイヌ料理を皆がおいしそうに食べている。千葉さんのトンコリからライブが静かに幕を開けた。しばらく続いたあと、絵美が登場した。さっき控え室で見た絵美とはまるで別人のように背筋をスッと伸ばし堂々と唄い出した彼女。とてもきれいだった。そして驚いたのは二人の音が、前回とは比べ物にならないほど互いに寄り添っていたことだった。終わったあと千葉さんがこんなことを言っていた。「前回のカフェ・スローで演奏したことが音楽家としての自分にとっても、いい転機になったんです。絵美ちゃんと僕も進化しているでしょ?」まったくその通り。音とは互いに共鳴し合いながら永遠に進化し続けるものなのだろうと思う。ライブは静かな感動を呼び起こしながら、無事に幕を閉じた。最前列にいた中年の女性が何度も目をこすっていた姿が印象的だった。

そして今度は11月15日から12月10日までAgueの初めての個展が彼の中野にあるお店で開催される。彼はシルバーの魅力にとりつかれ、ずっと護符としてのジュエリーを創り続けてきた男だ。その彼の記念すべき日々がこれから待ち構えているのである。私達は嬉しくてしょうがない。だって彼と出会った時からずっとこの日を夢見てきたんだもの。本当に幸せだなと思えることは、自分を取り巻く最も身近な人々が幸せであってくれることだと思う。それは人として当たり前の感情だと私は思うのだ。

だからありがとう、みんな。そして輝いていこうぜ。



_ 2007.10.11_>>>_新月

「ジョセフ」と「ドン」

カナダから帰ってきて、早くも2週間が経つが今だその時の熱は冷めないままだ。

そのひとつには、今でもほぼ毎日のようにバンクーバーから、一通のメールがやってくるからである。その送り主は前回のひとりごとにも書いたアートショウに来たお客さんで、その二日前に親友を亡くしたという紳士「ジョセフ」だ。会った時に彼はひとことも口に出さずに、ただ私の絵を讃えるばかりだったが何と実は彼もアーティストだった。そのことを最初に送られて来たメールで初めて知ったのである。しかも、あの時は喪に服していたからか全身黒ずくめのスーツで、佇まいがあまりにもエレガントだったので、まるでどこかの伯爵かと思ったぐらいだったが、彼のHPにある子供の頃から現在までのPHOTOアルバムを見てみると、本当はすげーファンキーな、ぶっ飛びオヤジだったのである。そして出会った時そのままのとてもナイーブな人間だった。それは彼の作品を見れば全てわかった。絵描き同士なので話しをするよりも一瞬でことが済む。彼はアートショウの時にすぐにそれをキャッチしたのだろう。私達の絵は手法は全然違うのだが、どこかで繋がっていた。ソースが一緒だったのだ。彼もまたこの自然界や宇宙からパワーを貰っていたのである。私は今までにこういう感覚になったことはなかった。同じ地球人の絵描きとしてこれほどまでに「同朋よ!」と感じたことはなかったのである。カナダに暮すイギリス人「ジョセフ」。見つけてくれてありがとう。

そしてもうひとつは「ドン」のことだ。彼はアートショウの会場を貸してくれたオーナー「ジム」の友達で、アートショウの前日に私達がセッティングをしている時に丁度、東京で仕事をして戻ってきたところだった。私は彼を一目見るなりその瞳の澄んだ輝きに吸い込まれそうになった。いつか映画の中で見たことのあるネイティブの酋長の目と同じだった。彼はセッティングの風景を興味深そうに見ながら一眼レフでパシャパシャと写真を撮っていたので「きっと、カメラマンなのだな」と私は思った。その日は私達は話しをするわけでもなくただ互いの目を見ていただけだった。アートショウの当日、オープン早々「ドン」は友達を連れてやってきた。そして私のもとへとやって来て「ビューティフル!」と初めて声を掛けてくれたのだ。私は名前を聞いた。「ドン。DON。」と彼は応えた。そのあとは私が英語を話さず、彼も日本語を話さないので会話が続かなかった。それでもそんなことはどうでもいいという感じがして、ただ彼がこの空間にいることが嬉しいなと私は思った。彼は友達とストーンサークルの周りに腰掛けながら絵をじっと見つめていた。そして時折目が合うとあのすべてを内包したような微笑みを投げかけてくれるのだった。ショウが終わる頃、見回すともうそこに「ドン」はいなかったが、私は彼を忘れないだろうと思った。

そして、翌日。撤収作業に取りかかろうとしたその時、「ドン」が一人の日本人女性を連れてやって来た。「ドン!」と思わず私。ニヤッと笑う「ドン」。その女性は言った。「君にどうしても見せたい絵があるから一緒に来てくれと彼に言われて来たの。」その人は日本から今年の初めに移住してきた「ハラマキコ」さんというキュレーターだった。「ゆうべここでアートショウが行われたんだ。」「こんな危険な場所でどうして?」二人の会話をそれぐらいは聞き取ることができた。「とにかく来てよかった。とても素晴らしい作品ね。実はここから少し歩いた場所に、私がキュレーションを務めるギャラリーがあるの。そこはこの辺のスラム街とはまた違うオープンな場所だから、もし時間があったら是非寄ってみて。」彼女はそう言って名刺をくれた。私は「ドン」にありがとうを言った。そして「あなたはカメラマンなの?」と聞いてみた。彼は言った「いや違う。キュレーターだよ。」

撤収作業が終わって私達は「ジム」にさっきの名刺を見せてギャラリーへと歩いて行った。すると何とそこに現れたのは大きな交差点の角にあるガラス貼りの厳かな建物だったのだ。まるでちょっとした美術館のようなそのギャラリーの中へ入るとさっきの「ハラ」さんが仕事をしていた。「ありがとう。来てくれたのね。嬉しいわ。ここのコンセプトはアジアのアートを紹介していくことなの。あなたのアートをここを使って最大限に生かせる企画ができたらぜひ持ってきて。アートショウでは音楽もあったんでしょ?私もいつか音と一緒にやってみたいと思っていたのよ。ここはもともと鉄道の終着駅だった建物で、この交差点は東と西が交わるエネルギースポットでもあって昔は街の中心地として大いに栄えた場所なのよ。この交差点を挟んだ真向かいはネイティブのギャラリーで、よくうちと合同で企画を立てることもあるの」「ハラ」さんは一気に話してくれた。私はいきなりこんな大きな場所を使えと言われてもすぐには思い付かなかったが、この場所に流れるエネルギーは好きだと思った。そして真向かいがネイティブのギャラリーというのが大いに気になった。NOBUYAを見るとニヤニヤしながら「こりゃーおもしろいことになるぞ」という顔をしている。そして私にもここで個展を開いているビジョンは明らかに想像することができた。

私には今、どうしても描きたいという対象がある。それは私達の大切なパートナーであるオオカミ犬の「nociw」だ。2年間ずっとそばにいて彼女に気付かされたことがどれほどあることか。それは言葉にするよりも、私の場合は絵にする方が伝えやすい。そして何よりこれだけ純粋な命と接していて「どうして描かずにいられよう?」というのが私の素直な気持ちなのだ。しかも彼女の両親は別々にカナダから日本へやって来た。「nociw」は日本で生まれたが、彼女の中の血は100%カナダなのである。カナダのオオカミの血なのである。「ハラ」さんが「ジム」のところへ来た時、私の絵の入ったカードを渡そうと思って見てみたら「nociw」の絵のカードしか残っていなかった。それを彼女に渡しながら「nociw」に流れるカナダのオオカミの血のことを私はどうしても言わずにはいられなかった。彼女がそれを「ドン」に伝えると彼の目が一瞬キラッと輝いたのを私は見逃さなかった。そもそも自分が海外で最初に作品を発表することになったのがカナダだったこと。たまたまだったにしろ出来過ぎているような気がするのだ。まだ自分自身でも分かっていない必然性が潜んでいるような予感がじわじわとやってくるのである。私にとってカナダに「nociw」はかかせないものだ。イメージが形を創るものだとしたら、私はカナダでの個展に「nociw」の絵だけではなくnociw自身を自由に歩かせたいなと、そんなことを夢想してしまうのである。

今でも「ドン」は言葉ではなく、想念によって語りかけてくれている気がする。



_ 2007.09.26_>>>_満月

「Full Moon Art Show」

26日の満月。カナダのバンクーバーでアートショウに参加してきた。
その名は「Full Moon Art Show」

2005年に新潟のツアーで出会った「ヤス」と「キョウコ」。その「キョウコ」が今年の4月からバンクーバーヘワーキング・ホリデーで1年間の予定でカナダへと旅立った。旅立つ前に空港へ見送りに来た「ヤス」とともに我が家へ滞在した時「キョウコが向こうに居る間に三人で訪れることができたら楽しいね」という話になった。「ぜったい来て欲しい!待ってるから」と言って旅立って行った「キョウコ」。この話がやがて現実味をおびだし「ヤス」と日程を決めた頃、そういえばカナダといったらあのカップルも暮しているぞと思い出したのが「ユウイチロウ」と「ミチヨ」だった。彼らは2年間の世界旅行に去年の6月に出発し、10月にカナダに入ってからいまだに滞在していたのだった。「ユウイチロウ」は1999年に国立で開いた個展から、「ミチヨ」は2000年にギャラリー「nociw」をオープンしてからのファンだった。「nociw」をクローズする時に開催した個展「wor un nociw」で二人はそれぞれに同じサイズの原画を購入していた。まだ二人が付き合う前の話だ。その後二人が付き合ったという話を聞いて驚き、そしてとても嬉しかった。旅立つ前、二人は揃って「ござれ市」に顔を出し「行ってきます!」と言って旅立って行った。そして旅に出てからも折に触れ「ユウイチロウ」は度々私にメールをくれた。HPの「ひとりごと」をいつも楽しみに読んでくれていたのだ。そんな彼にバンクーバー行きの話しをしたところ、強烈に喜んでくれ「是非会いたい」と言ってきた。「じゃあ今回は久しぶりの顔に会って、大自然を満喫しながらキャンプでもしよう!」とNOBUYAと盛り上がっていた。ところが出発の2ヶ月ほど前に「ユウイチロウ」からのメールで「こっちでできた仲間に∀KIKOさんが来ることを知らせたら、じゃあせっかくだからこっちでアートショウを開いて作品をみんなに見てもらおう!という話が出ているんですがどうでしょうか?」ということだった。NOBUYAにもDJをやってもらいたいという。彼の周りの仲間達がみなアーティストなので、私の絵とNOBUYAの音を中心に現地のアーティスト達の作品とDJとライブでアート空間を創りたいとのことだった。私達は勿論OKした。それはとてもありがたいことだったし、将来海外で本格的な個展をやっていきたいと思っていた私にとって、海外で初めて作品を発表できる場を提供してもらえるというのはとてもいい機会だった。私のOKの返事をそれはそれは喜んでくれた彼はそれから仲間達と会場探しや、もろもろの準備を整えてくれた。

バンクーバーに着いた日に「キョウコ」が空港まで出迎えに来てくれていた。そのままバスに乗り彼女の暮す家へと向かう。半年ぶりに会う「キョウコ」は日本にいた時よりもやっぱり逞しくなっていて、とてもキラキラとしていた。四人で久々の再会を喜び合い一息ついた頃「ユウイチロウ」が今回一緒にショウをオーガナイズしていた仲間の「ワタル」と車で迎えに来た。1年3ヶ月ぶりに会った「ユウイチロウ」は想像していた通り日本にいた時とは別人のように弾けていてとてもいい顔をしていた。「ワタル」はもう9年カナダで暮していて、日本人なんだけど感覚はカナダ人という絶妙な感性を持ち合わせたアーティストで「ユウイチロウ」が言っていた通りメチャメチャいい奴だった。まずは彼らとアートショウの会場の下見へ行くことになったのだが、なんと途中でタイヤがパンクするというハプニングが起きてしまう。「ワタル」が車のトラブルバスターを電話で呼んだがそこはカナダ、1時間以上は待たされた。でもその間、初めて会う者同士のコミュニケーションが取れて互いの緊張が自然にほぐれ、終止笑顔で過すことができた。誰一人到着の遅さをとがめる者はいなかった。私は美しい夕焼けを眺めながらカナダの洗礼をありがたく受け取った。アートショウの会場としていくつかあった候補のうち最終的に決まったのが「ワタル」の友達のお父さんの「ジム」がオーナーを勤めるイベントスペースだった。そこはスラム街の入口にあって、そこから奥は危険地帯とされる場所だったが、スラム街になる前のこの一帯はバンクーバーの中心地として東と西が出会う鉄道も通っていたほどの活気に満ちあふれるエネルギースポットだったようだ。いかにも古い建物の赤い格子の扉を開けるとそのスペースはあった。アートがそこら中に溢れている倉庫のような場所だった。オーナーの「ジム」も私達の到着をとがめず、パンクしたことに笑って同情してくれた。「ジム」は想像していた人物とは全く違って、繊細でインテリジェンスな雰囲気を醸し出していた。アートと音楽が心底好きらしく、スラム化して安く売りに出されたこの建物を買い取って、アーティスト達に発表の場を与えていた。正直言って、その雑多なカオスのような空間を見た時の第一印象は「うわーっ。こりゃあ大変だぞー」だった。でも、もうやるしかないのだから、与えられた空間を精一杯自分らしくするために、私は想像力を使った。そして漠然と見えてきたのだ。「中心にはストーンサークルを作ってこの空間自体のエネルギーを浄化しよう...」私達は翌々日から4日間バンクーバーから数時間フェリーに乗って辿り着くことのできる「ソルト・スプリング島」へとキャンプに向かった。

フェリー乗り場で「ユウイチロウ」のルームメイトの部屋に滞在していた二人の旅人「ケイ君」と「タッ君」に出会った。彼らは前日ロッキー山脈へと旅立ったはずだったが、コインを投げてロッキーかソルトかを占ったところソルトと出たのでフェリー乗り場まで来たが船がなかったのでそのまま乗り場で野宿をしたのだと言った。仙人のような「ケイ君」は以前にもこの島で何週間かを過していたそうで一泊目は彼に案内してもらい、山の中でキャンプをすることにした。ソルトの港から島の中心地まではヒッチハイクで行くしか方法がない。この島には電車もバスもないのだ。ましてや信号さえもない。以前政府によって島に信号機を付けるという話が持ち上がった時、島の住民達が一斉に反対して瞬く間に中止になってしまったそうだ。住民たちの思いはみな一緒で「景観を壊すから」というものだったらしい。私達を乗せてくれた人はサンフランシスコから短期滞在できているという女性だった。島の中心は「ガンジス」と名付けられていて小高い丘が公園になっていた。多分インド帰りのヒッピーが命名したのだろう。総勢7名になっていた私達は分かれてヒッチをし、ガンジスの公園で落ち合った。スーパーマーケットで買い出しをしていざ山へと登る。その森は素敵だった。木々が全て大きくて日本の森とはスケール感が違う。しかも手付かずのままなので森に精気がみなぎっていた。「ケイ君」を筆頭にどんどん中へ入っていくと、木の枝で作られた住居跡らしきものが現れた。「これオレが作ったんだ。ここでしばらく真っ裸で暮しててさ。最高に気持ち良かったよ」と彼は言った。他にも木の皮で作られたイグルーのようなドーム型の住居にも彼は案内してくれた。そこはシャーマンが儀式を行うために作った神聖な建物だった。そこから少し奥へ入った場所に私達は自由にテントを貼った。ワタリガラスが2羽奇妙な声を上げて飛んで行った。その時、森の中にとても美しい赤い枝が落ちているのを見つけ、瞬間的に私は今回のアートショウの守神にしようと思い立った。夜、一ケ所に集まってみんなで夕食を取っていると、人陰が現れた。「いったいこんな山の中で誰?」と思っていると「ケイ君」の友達で「エドウィン」といってこの森の住人だった。年令は60代くらいだろうか?とてもきれいな目をした思慮深くインテリジェンスでお洒落な紳士だった。「ケイ君」がここで暮していた時に知り合ってから、彼の哲学的でスピリチュアルな話を聞くことをいつも楽しみにしていたようだ。「エドウィンがね。みんなに我が家へ遊びにおいでよと言っているよ」「ケイ君」が言った。私達はお言葉に甘えて「エドウィン」の家を尋ねた。ティピのように貼ったブルーシートのまん中に美しくて大きな赤い木がそびえ立っている。私はハッと気がついた。「さっき拾った枝の木だ」そして彼に木の名前を訪ねると「これは、アビュータスといってとても美しい聖なる木さ。数も少ないから貴重なんだよ」私は「エドウィン」の素敵なセンスに感動して私の絵を見せると、彼はとても喜んでくれ、あくる日彼の絵描きの友達を紹介してくれた。

翌日からは「ワタル」の友達の島の人気者でデッド・ヘッズの「ジェイ」の家の庭でキャンプをすることになった。丁度「ジェイ」の誕生日で彼の地元の友達がぞくぞくとお祝に駆け付けていた。「ジェイ」の家の回りには湖と森に囲まれた雄大な自然が広がっている。私は到着するなりそわそわして「ミチヨ」を誘って森に入った。「ミチヨ」とは今まで、個展の時などに少し話をするぐらいでしかなかったので、こんな風に接したのは初めてだった。しかも彼女も日本にいた時とはまるで別人のように輝いていた。「ファンとして、∀KIKOさんの作品を海外で発表することのお手伝いができて本当に嬉しいです」彼女は言った。私は胸が熱くなった。ここの森は本当にとてつもなく豊かだ。苔が異常に鮮やかでファンタジーの世界にいるような気分になる。私達は夢中でストーンサークルのための石と苔を集めた。「ジェィ」の家へ戻ると納屋に置かれていた木々に目が留まった。それはなんと「アビュータス」だった。私は「ジェイ」にアートショウに使いたいから少し分けてくれないかと聞いた。「どうせ薪にしようと思ってたから構わないさ」と彼は言った。やがて太陽が沈み、庭には火が焚かれた。いつの間にか火を囲んでみんなが集まり、音楽を奏でたり、歌ったりしながら夜が静かにふけていった。満天の星空は信じられないほど輝いて時折流れ星が落ちていった。

アートショウの前日、会場のセッティングが始まった。運び込まれた木々を見て「ジム」は「アビュータス!バンクーバーには生息しない美しい木だよ」と喜んだ。そして出来上がったストーン・サークルに手をかざし「ベリーナイス!ソルトの石は相当古いものなんだ。そのエネルギーはとても神聖で高いんだよ」と言った。やがて絵の位置が全て決まって、あとはライティングが重要だなと思っていると、なんと「ジム」が自ら動いてコードを見えないようにしながら、絶妙のポイントにライトを次々に仕込んでいってくれたのだった。私はその時、彼は全部分かっているのだということを理解した。分かっていながら若者達に自由に表現させてみせているのだ。本来は美意識がもの凄く高い人間だったのである。今回は「ジム」の中に眠っていた何かに火が着いたようで、より美しく見せるために、彼が一番動いてくれたのだった。当日、私達は会場に着いて驚いた。ゆうべとは明らかに違っている一つのことに。それは、ストーンサークルに天井からまっすぐに一筋の光りが降り注いでいたのだ。「ジム」を見ると、彼はいたずらっ子の目をしてただ微笑んでいた。

「ワタル」の友達のジャズミュージシャンのライブでアートショウは幕を開けた。そこにNOBUYAのDJの世界が序々に広がっていく。彼も本当にリラックスしていた。カナダ人の耳が肥えていることに感激していたが、彼らもまたNOBUYAのプレイをDJでありながら完全にオリジナルのスタイルを掴んでいると絶賛していたようだ。私の絵に対する反応も日本では味わったことのないほどストレートで感動してしまった。英語をろくに話せない私と分かっていながら、人々は真剣に自分の心の核にあるものを伝えてくれていた。私は思った。自分がたとえ何も喋らなくても、絵を見せただけでこうして向こうからフレンドリーな笑顔でやってきてくれる。本当にアートには国境がないのだと。様々な世代の様々な人種の人達がいた。みんなは自然にストーンサークルに集まっていった。そしてゆっくりと踊りながら絵を存分に味わい尽くしていたようだ。そして誰もが「バンクーバーに来てくれてありがとう!」と言ってくれた。絵を見せてくれたお礼にどうしても貰って欲しいと言って大切な石をくれた美大生、2日前に親友を亡くしてショックを受けていたが、絵の前に立った時、その友達の魂と完全にシンクロすることができたという老紳士、感動で興奮しきっていると伝えに来た車椅子の人。みんなに「ありがとう」と言われ、私の方がありがとうなのにと涙が込み上げてきた。屋根裏部屋のような天井近くにDJブースを構えていたNOBUYAも上から会場を見下ろした時、人々のあまりにもピースフルなバイブレーションに打たれて何度も泣きそうになったと告白した。ショウが終わる頃、ふと見ると「ジム」が気持ちよさそうに絵を見ながら踊っていた。私も踊った。この場を創ってくれたすべての魂を想いながら私は踊り続けた。

翌日の撤収の日。着いてみると「ジム」はまだゆうべのままのライティングで自分だけの時間を楽しんでいたようだった。別れ際、彼はコップに一杯の水を持ってやって来てこう言った。「ここから4時間くらい行ったところに、ホットスプリングとコールドスプリングが湧き出る聖なる場所があって、これはそのコールドスプリングの水なんだ。太古の昔からこの水はネイティブの人々のパワーの元として、とても大切にされてきたんだよ」自分と同じ価値観で世界を見ている人間にこの地で会えたことに、私は心から感謝してその水を飲み干した。ハグをするとギュッと抱き締めてくれた彼。「また、いつでも戻っておいで。本当に美しい時間をありがとう....」

日本に帰って来てからも、あの時、絵を通して出会った人々といまだに繋がっている感覚が残っている。目には見えなくても確かに存在しているエネルギー。改めてその尊さを知ったカナダへのアートトリップだった。



_ 2007.09.11_>>>_新月

「厄払い」

アトリエから一番近いところに住む「ヤマシン」と「クミちゃん」が遊びに来た。

「クミちゃん」は今年、女の最初の厄年だそうで厄払いに行ってくるのだと言った。「そういえば∀KIKOさんは厄払いとかって行った?」二人に聞かれ、私は「そうだ。そんなこともあったなー」と最初で最後の厄払いの記憶を思い返した。丁度「クミちゃん」と同じ年の時、自分ではまったくそういうのを気にしてはいなかったのだが、同い年の友達がそういう事をすごく気にするタイプで「厄払いしたいから一緒に行こうよ」と誘われ「じゃあ、ついでにしておくか」くらいの気持ちで明治神宮へと足を運んだ。厄よけ祈願というのを申し込む際にお札を選ぶのだが、そのお札は大、中、小と大きさが異なっていて値段もそれに伴っていた。「祈りに値段の差があるのも不思議だなー」と思いつつ、私達は一番小さなお札を選び申し込んだ。「しばらくここでお待ちください」と通された部屋には結構待っている人がいて「へぇーこんなに毎日人々が祈願に訪れているのか」と、ちょっと驚いた。時間がきて「皆様お待たせしました。本殿へお進みください」と促され、神棚の前に座る。ほどなくして、巫女さんたちの舞いが舞われ、本命の厄よけ祈願が始まった。祝詞献上が終わり、一同神妙な面持ちで頭を垂れ神主が振る祓いの草で浄めてもらう。「はい。これで厄払いが終わりました。みなさま出口へお進みになり、お札とお品物をお受け取りください」渡された手提げ袋の中にはお札と神餅といわれる祭壇からおろしたお菓子、そしてお神酒が入っていた。「何かわからないけど、とにかくこれですっきりしたよ。来てよかった」と友達。「うん。そうだねー」と私。「ようは気の持ちようってことだよな」と思いながら帰り道、広い参道を歩いていると、途中に公衆トイレがあったので入ることにした。出てきて最後の鳥居をくぐり、原宿駅で切符を買おうとしてハッと気づいた。手提げ袋がないのだ。

友達はこの後、美容院に予約を入れていたので先に行ってもらって、私は一人もと来た道を戻ることにした。「きっと、あのトイレだ。多分そのままあるよ!」友達も「まったく∀KIKOなんだから」と笑い飛ばしながら去って行った。例のトイレまで戻って使用したドアを開けるとなんとそこには、何もなかった。「あー。きっと見つけた人が親切に社務所まで届けてくれたんだな」社務所へ言って聞いた。「あのー。お札の忘れ物届いていると思うのですが」「何も届いていませんよ」「.......」「ちょっと待ってください。念のため他の場所にも内線で確認してみます」「やはり、どこにも何も届いてはいないとのことです」「ま、まさか...」付き合いで来たとはいえ、さすがの私もいい気がしなかった。なぜかどうしても「このままじゃヤダ!」という自分がいた。とりあえず「わかりました」と言って社務所をあとにして、とぼとぼと歩いていた私の目にお守りやおみくじを売る店に立つ一人の巫女さんが映った。私は何を思ったか、つかつかとそこへ歩いて行き、その巫女さんに「あの、トイレでさっき祈願したお札やお神酒なんかが入っている手提げを忘れてしまったんです。届いてないでしょうか!」と聞いていた。聞いても無駄で勿論そんなものは届いてはいなかったのだが、その巫女さん、じっと私の話に聞き入り「もし、自分だったら超ブルーになります。そんなの絶対イヤです。ちょっと待ってください。私が何とかします!」ときっぱり言い切ったのだ。とたんに光りが天上からパーッと差してきたような気分だった。「私は今大学生で、巫女のバイトをしているんです。こんなことは規則ではやってはいけないことで、バレたら大変な目にあいますから慎重に行動しますね。いいですか20分、そう20分後にあの大きな木の影で落ち合いましょう。私はどうにかここを抜け出して、あなたのためにお札に自分で祈祷をして持ってきます。祈りの仕方はいつも見てますから心得ています。心を込めて祈りますから...」「わ、わかりました。ほんとに、ほんとにありがとう!」私は心が急にそわそわしてきて、すぐにその場を離れた。待っている間、私はずっと思っていた。「本当だ。神様は確かにいる」と。

約束の20分後、待ち合わせの場所に彼女は現れた。急ぎ足でキョロキョロと周囲を気にしながら。「無事終わりましたよ」「どうやって抜けて来たの?」「仮病ですよ。突然起こった腹痛です(笑)」彼女の手にはさっき私が忘れたのと同じ手提げ袋が握られていた。中を見るとお札の他に、さっき見た物よりももっとたくさんの品々が入っている。「ありったけのありがたいものを詰め込んできました。御利益の特別サービスですよ。今年はきっといい年になりそうですね!」私の目には涙が浮かんでいた。人のあたたかさに真直ぐに触れた思いがしたからだ。裸になった人間の心は等しく神様の領域にあることを知った。

その年、私には突然のスポンサーが現れ、ギャラリー「nociw」をオープンすることになり、今の自分へと繋がっていくのである。



_ 2007.08.28_>>>_満月

「皆既月食」

我が家のオオカミ犬「nociw」に新しい姉妹ができた。

この間、北海道への帰省の旅で青森にいる「nociw」の姉妹「セロン」の所へ寄った時「彼女たちに妹ができたって知ってる?」と言われ驚いた。「セロン」の飼い主である「堤家」のパソコンに送られてきた画像を見てビックリ!生まれたばかりの二匹の子犬は黒いボディに所々白い毛がアクセントで入っていて、nociwの生まれた頃にそっくりだった。旅から帰ってきてメールをチェックすると、こっちにもちゃんと届いていて「しばらくは我が家にいますので、よかったら会いにきてください」とのこと。あっという間に子犬は成長してしまうので「やっぱり今のうちに会っておきたいね」とNOBUYAと意見が一致してnociwの親と子犬たちが暮す山梨へと向かった。nociwの両親「ウルフィー」と「ラフカイ」の飼い主「かっちゃん」と「ちえちゃん」は去年、東京の山奥から山梨に引っ越して二人で炭の仕事を始めた。まったくのゼロから出発したというのに今では結構忙しくしているようで、お邪魔にならないように私達はキャンプをすることにした。標高1500メートルにある山荘のキャンプ場にテントをはり、何日間かそこをベースキャンプとして寝泊まりして、温泉に行ったり山登りをしようということになった。滞在中には満月と皆既月食も重なっている。誰もいない山の麓で火を焚きながら眺めるのも最高だろうと思ったのだ。

二人が暮す家は、また二人らしいとてもユニークな所だった。長屋門といって昔、お蚕を育てていた館の門に当たる場所で台所も外だし、トイレも風呂もない。が、そんなことは一向にお構いなしの逞しさなのだ。まるでアジアの屋台という感じ。「トイレはその辺の茂みに行ってね。あ、大の方だったら一応声かけてねー」と笑顔のちえちゃん。「お風呂がないからこの前土砂降りの雨が降った時、今だぁーって二人で裸になって体を洗ったんだー。気持ちよかったよー」といった塩梅だ。さて、例の子犬たちは本当に可愛いかった。仮の名前は二匹の個性を表現して「たわし」と「やんちゃ」と名付けられていた。「たわし」は見た目がまん丸で毛がツンツンしていて確かに「たわし」のよう。愛嬌があって人なつっこい。「やんちゃ」はホントは気が小さいんだけど、やんちゃっぷりを見せつける。二匹でじゃれあう時はいつも決まって「やんちゃ」が上。だから「たわし」は寝技がうまい。nociwを見て「やんちゃ」は逃げ出したけど「たわし」は一緒に遊んでいた。nociwが小さい姉妹と遊ぶ姿が微笑ましかった。二人は姉妹だということが互いにわかるのだろうか?「ウルフィー」と「ラフカイ」もとても元気そう。犬達の家族像。それはそれは素敵な光景だった。

急に雨が降り出した。テントをはりっぱなしにしてきた私達は気掛かりだったが「なるようになれ!」という気持ちで今を楽しむことにする。「かっちゃん」がおいしいカレーを作ってくれた。他にも旅人のような彼らの友達が二人来ていたので、みんなで外でご飯を食べる。灯りは裸電球一個。懐かしい時代へとタイムスリップしたかのような気分を味わった。このまま雨かと思っていたら、しだいに空が晴れてきた。「あっ、月食が始まった!」みんなで空を見上げる。こんなにきれいな月食を見たのは記憶の中でも初めてだ。赤く怪しげに浮かぶ月がすっぽりと闇に包まれた。空には満天の星がきらめいている。「わーっ流れ星だー!」大きくて明るい光が目の前をよぎっていった。キャンプ場にいなくても、彼らの家自体がすでに標高600メートルの地点にあったので、大気も澄み心が踊った。「今回はこういう流れだったんだねー」とNOBUYAと顔を見合わせて笑う。月は新月から満月の状態へとだんだんと満ち始めた。普通は15日間かけて見る光景をたったの何時間かで見ていることが不思議だった。「あの月が満ちたら帰るね」地面に座って、ただただみんなで月を眺めた夜。ベースキャンプへ戻る途中、6頭の鹿の親子が悠々と車の前を横切って行った。

いろんな命の営みを想い、生かされていることに感謝する。



_ 2007.08.12_>>>_新月

「帰郷」

お盆を前に先日ひと足早く田舎に帰ってきた。昨年同様車で北海道を目指す旅。親子三人の珍道中だ。

夜の11時に高尾を出発。行けるところまで行こうと張り切って出たが、仕事をしてきた疲れもあって、NOBUYAもヘロヘロになり途中のサービスエリアで夜を明かすことに。朝、目覚めると気の効いたことにドッグ・ランが設けられていたので、nociwを連れて行く。今までドッグ・ランという所に行ったことがないのでどんな感じなのかなーと期待に胸を膨らませて入ってみたが、結局他に犬がいなくて、いつものように一人で走り回ることに。しかも足首だけ出していた私はブヨ蚊に狙われ四ケ所も刺されてしまい、みるみるゾウの足になってしまった。痒いのなんのって。

岩手の一関博物館で現在アイヌの作品展が開催されていて、そこにAgueのシルバーの作品も展示されていると聞いたので、せっかくだから寄ってみようということになる。久々に見るアイヌの伝統的な工芸品とともに、新しい感覚を持った作家達の作品が並ぶ。ショウケースに飾られたAgueの作品達はとても堂々としていた。未来の大人達が同じようにこれらの品々を驚きと尊敬の念を持って眺めているイメージが浮かび、私はとても嬉しくなった。「今日はここら辺で一泊しよう」車に宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を乗せてきた私達は、いざ花巻温泉へと向かった。ゆうべは車の中で寝て疲れが残っていたので、ちょっと贅沢をして宿をとろうということになった。まだまだ先は長いし。nociwを車に残しておくのは忍びないので、一緒に泊れる宿を探す。すると一軒だけあったのだ。ペット可の宿が。私達は小躍りしてさっそく受け付けを済ませた。仲居さんが「ペットは原則としてお部屋に入るまでは抱いて運んでください」と言った。私達は一瞬ドキッとした。「えっ。21kgのnociwを抱いて運ぶのか」と。しかも通される部屋は三階だった。古い宿なのでエレベーターなんてない。「まー仕方ないかー。泊れるだけありがたいんだから」とNOBUYAがnociwを車から抱きかかえ玄関に連れてくると、担当の仲居さんは明らかに驚きの表情を浮かべ固まっていた。そして次に指を口元に当て「とにかくついてきて下さい。さぁ、早く」と先を促した。私は不思議に思い、もう一度受け付け書を見てみると、なんとそこには「ペット可(ただし小動物)」と書かれているではないか。私達は「ヤバイ!」と感じ、とにかくその仲居さんの後を追った。部屋に無事辿り着き、安堵のため息を漏らす。あとは出る時に細心の注意を払って何ごともなかったように去ればいいのだ。私達は三人で泊まる初めての温泉宿を満喫した。

朝、そのまま青森の大間で函館行きのフェリーに乗るために直行した。が、午前中の便に乗り遅れ夕方にやっと北海道上陸。時間的に余市に着くのが夜遅くなってしまうので、近場のキャンプ場で一泊することになった。あくる日、早朝に出発し、やっとお昼頃に我々の故郷へと到着したのだった。今回の帰省の目的はもちろんお墓参り。お盆の頃に帰ったのは何年振りだろう。お婆ちゃんの家に挨拶に行ったら「お墓のまわりが草ぼうぼうで、もうすぐお盆がやってくるというのにどうしよう」と漏らしていたので「明日はお墓の草刈りと掃除とお参りをすることにしよう!」と決める。考えてみれば、お墓の掃除をしたのも初めてかもしれない。ゴシゴシとお墓を磨く行為は明らかに自分を磨く行為でもあるなと思った。最後に水で洗い浄めた時はお墓が「あー気持ちいいー」と笑っているように見えた。そして私達の心もスッキリしたのだった。札幌の山奥に引っ越した妹夫婦の家にも泊まりに行った。東京から札幌へ行ったというのに山から山へと辿り着き、私達の住んでる環境と変わらないことを笑った。結局、価値観が一緒なのだ。翌日はもう帰路の途へ向かうために北海道を後にしなければならない。帰りは青森の三沢に住むnociwの姉妹「セロン」に会いに行くことになっていた。セロンの飼い主の「たかしさん」と「やよいさん」は「お腹を空かせて来てね」と夕食のごちそうをほのめかす言葉をかけてくれた。函館の市場で彼らへのお土産に朝とれたての新鮮な「つぶ」と「ぼたんえび」を買い、昼食に「塩ラーメン」と「いか刺」を食べて港へと急いだ。と、急にどしゃぶりの雨が降り出した。我が家の中古で買ったポンコツのミニキャブバンは雨にはめっぽう弱かった。NOBUYAが「ヤバイ!」と言ったその時、案の定車がエンストを起こし止まってしまったのだ。交差点の曲がり角を曲がっている途中の出来事だった。雨で視界がどんどん悪くなる「た、頼む。お願いだ。かかってくれ!」NOBUYAの顔が次第に青ざめてきた。私は手を合わせ祈ることにした。「神様。どうかこの状況をお救いください」すると「コンコン」と窓ガラスを叩く音がした。開けると手ぬぐいを頭にまいたメガネのお兄さんが現れ「トラブりましたかね?」とニッコリ笑顔で話しかけてきたのだった。その人と一緒にずぶ濡れになりながら後ろから車を押し安全と思われる所まで運んだ。「二時十分のフェリーに乗るんです」「ひやーっ。ギリギリですねー」「交差点の居酒屋の人ですか?」「いやー郵便配達員です。やっぱり見えないかなーハハハ」配達の途中でその人もバイクを置きっぱなしにしていたので「とにかく仕事に戻ってください。本当に助かりました。ありがとうございました」と言って別れてからエンジンをかけると、車は元どおりに走り出した。フェリー出港まであと十分。とにもかくにもこうして再び青森へと舞い戻ったのだった。

一年振りに会うセロンは逞しく、そしてとってもお茶目になっていた。最初は車からなかなか降りてこなかったnociwもしまいには昨年のように、プロレスをしたり金魚の糞のようにくっついて、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと仲むつまじく遊んでいた。たかしさんとやよいさんの友人の「河田さん」という人もたまたま来ていて、この人は山できのこや山菜をとるマタギをしているのだが、この時期は青森の海に「しじみ」をとりにきて東京の料亭などに送っているそうで、とれたてのしじみをたらふく御馳走になった。臭みがなく色艶のいい今まで食べた中で一番おいしいしじみだった。やよいさんの手料理やケーキもいつもながらにおいしかった。たかしさんの熱血教師ぶりを伺わせる面白いエピソードの数々。この人は本物の教師だ。「教師になってる奴らで俺のようなふざけた奴もいないだろう」という言葉に確かに「そうかもね」と納得する。「職場に仕事を持ち込まない」というのが彼の主義だが、自分が高校生だったら間違い無く大好きになっていただろう。セロンとnociwの戯れに終止笑いが絶えない素敵な時間を過ごさせてもらった。私達がこの家を後にする時、セロンは泣きそうな顔をしていた。本当に人間みたいに豊かな表情を見せる彼ら。ここでしか言えないという親バカぶりを披露する私達。一年に一度、いろんな絆で結ばれた家族にこんなふうに再会できることの幸せを改めてかみしめた今回の旅だった。

ありがとうみんな。また来年も会いましょう!



_ 2007.07.30_>>>_満月

「聖なる島と聖なる山」

先日、登山家の「由美子」と彼女の息子の「そうすけ」と彼女が大学の研究所で出会い友達になった「真衣」とで江の島の「江島神社」へお参りに行って来た。真衣とは2003年、由美子が企画した「白山」登山で一緒になり、その後一度ギャラリー「nociw」へ来てくれて以来4年振りの再会だった。私の江島神社参拝も今年で五回目。おととしまでは一人で来ていたが、去年は由美子のファミリーとそして今年はそうすけと真衣との四人でと、ふとした流れでこうなっているのだろうが、何かとても縁を感じさせる組み合わせだなぁと思った今回の参拝だった。四年前と違うことは由美子には「そうすけ」という息子が、真衣には「ちはや」という娘が、そして私には「nociw」というオオカミ犬がいることだ。ちはやはこの日お婆ちゃんに預けられて来なかった。そうすけはこの前会った時よりも、さらにやんちゃっぷりを増していた。私には真衣があれから結婚をして出産をしているとはとても想像ができなかった。しかも出産は信じられないくらい安産だったらしく「あっ」という間に一人で産んだという話には本当に驚いた。なぜなら白山に登った時は、何度も高度の影響で具合が悪くなり、立ち止まっては「苦しい」と言って、真っ青な顔をしながら儚げに息をしていたからである。「女とは本来、強い生き物なのだ」彼女を見てそう思った。

いつものように、三つのお宮をお参りして海へと降りる。四方を海に囲まれた「江ノ島」は古くから「龍神」と「弁財天」の伝説があり多くの僧侶が修行をした霊場として人々の信仰を集めてきた聖地だ。そんなふうに感じながらこの島を歩いている人は果たしてどれくらいいるのかはわからないが、同じものを見ても見る側の感じ方で幾らでも豊かなものを見つけられるというのは実におもしろいことだと思う。波打ち際の岩の上を歩いていると、突然大きな鳥が頭上を横切って木の枝に留まった。トンビがその周りを旋回している。「何の鳥だろう?」由美子と話していると「鷹かな。たぶんタカ科の鳥だと思います」と真衣が言った。彼女の旧姓は「鷹取」。娘の名は漢字で書くと「千隼」。「千のハヤブサ」だった。

白山の頂上ではご来光は拝めなかった。辺り中霧が立ち込めていたのだ。それでも私達は山小屋を出て頂上に辿り着き、そこに鎮座する「白山神社」の「奥宮」である小さな祠へお参りした。標高2.702メートルの白山は「富士山」「立山」と並んで日本三霊山といわれている山であり、祭神は「ククリ姫」という女神で、懐にはたくさんの川の源流を抱き「龍神」が棲むとされる水の豊かな山である。頂上で参拝を済ませた私達はゆっくりと下山をすることにした。しだいに空が晴れ上がってきた。「白山」は桃源郷のような山だ。あちこちで美しい高山植物が咲き乱れている。下山も中盤に差し掛かった頃、なにげなく空を見上げた私は驚いた。何とそこには、くっきりと見事な虹がかかっていたのだ。みんなに知らせ、さっそくその場で休息を取ることにした。「雨上がりでもないのに不思議だねー」由美子が言った。私はあまりの感動でただじっと虹を見つめていた。すると周りにあった雲がどんどん形を変えていき、さっき山小屋を降りたところにあった「白山神社」で見た絵の中の「ククリ姫」の顔になり、笑いながら「フーッ」と虹に息を吹きかけたのだ。そのことを、なぜか私は黙っていた。というより、かたまっていたのかもしれない。その時、自分の中に浮かんだイメージは「ご来光の代わりに神様がくれた贈り物」だった。そしてさっき、神社で引いたおみくじに書かれていた言葉「あなたが信じ、歩いて来た道は正しい。その行いは将来必ず実を結ぶであろう」というメッセージの具現化だと感じたのだった。ただただ「ありがたい」という気持ちが込み上げ、私は手を合わせていた。

無事下山をして、疲れを癒すために温泉に浸かり、腹ぺこのお腹を満たすために、たらふくご飯を食べて東京へ向かう夜行バスに乗った。早朝、バスは池袋駅に着きJRのホームで始発の電車を待っていた。その時、ホームの端からゆっくりと歩いて来る人陰があった。朝靄の中から現れたその姿はなんと老婆だった。「あんた。白山に登っておったじゃろ?」「は、はい。登っていました」度胆を抜かれたその言葉に私が以上に驚いていると「わしも登っておったんじゃ」なんとそのお婆さんも一人で、決して楽には登れないあの山を登ってきたのだと言った。聞くとお婆さんは以前から「白山信仰」に厚く、家の近くにある「白山神社」へのお参りは毎日かかしたことはないという。だが、自分も年をとった。(その時で八十八歳といっていた)生きてる間に一度でいいから白山に登り本宮へお参りをしたいという強い思いがあったのだという。頂上では私も高山病で頭とお腹をおかしくしていたので「体は大丈夫でしたか?」と思わず聞いた。すると「一歩、一歩、ゆっくりと自分のペースで登っておったら、いつのまにか頂上へと着いていたんじゃよ」とお婆さんは言ったのだった。「それよりあんた、あの虹を見たかい?あの虹は下りることに必死で足下しか見ておらん者には決して見えなかったものだ。あれはククリ姫から空を見上げた者への贈り物じゃよ。いやぁーきれいだったなー」私は最後の最後にその時白山へ登ったことの意味を悟ったのだった。不思議なことにその時、自分の中で「もう一度登りたい」という気持ちが自然に込み上げていた。

焼け付く太陽のもと、潮風が時々頬を撫でる江ノ島を歩きながら真衣がふと言った。「あんな苦しい思いをしておきながら、白山へはなぜかもう一度登りたいと強く思うんです」その時がいつか来るという予感が龍を思うように私の体を熱くさせた。



_ 2007.07.14_>>>_新月

「CRYSTAL」

個展も無事終わってホッとしているところ。

でもすぐに「ござれ市」があるので、これが終わったらやっと少しゆっくりできるかなーと思っている。去年のカフェ・スローでの個展は五日間しかやらなかったので「あっ」という間に過ぎてしまった覚えがあるが、今回は二週にまたがっての開催で、中一日カフェ・スローの定休日もあったので気持ち的にも体的にも随分と楽だった気がする。今回のテーマはズバリ「CRYSTAL」で絵もクリスタルを描いたものオンリーだったので、私の今までの個展とは一風違った展覧会になった。しかも実際のクリスタルとそのクリスタルを描いた絵とを一緒に展示して販売をしたのだ。

そのクリスタルはMARKが私のためにとひとつひとつ丁寧に選んでくれたもので、出所はスイス、インド、そしてチベットだった。約一年前から少しずつ製作に取りかかり、じっくり、どっぷりとクリスタルの世界に入っていった。時々「ハッ」と、自分はどうして今クリスタルを手に絵を描いているんだろう?と不思議に思うことがあった。「いや。でも自然の成りゆきでこうなっているのだから、とにかく天にまかせよう。描くことが私の仕事なのだから」と何も考えずに、ただただ描く日々が続いた。結局この行為自体が自分にとっては必要なものだっだということが今となってはわかる。

私は絵を描いている時に一番の自由を味わうことができ、何処へでも旅をすることができ、誰とでも会うことができる。その最中の時間は無限で広大だ。そう、それは夢を見ている時ともよく似ている。今は夢なのか、現実なのか時々どっちなのかがわからなくなる感覚。結局それはどっちの世界も繋がっているから別々ではないという結論に私は達するのだが、そのことがよりリアルに感じられたのが今回の製作過程だった。言葉ではうまく言えない。だから私は絵を描いている。

お客さんの反応がとてもおもしろかった。胸がいきなりドキドキしたり、体じゅうが急に熱くなりだしたり、自分でも知りえない太古の記憶のようなものが浮上してきたという人も何人かいた。理屈ではなく、ただただ細胞が感応してとめどなく涙を流す人達がいた。そんな人々の奇跡のような表情を目の当たりにして、この世界の神秘に改めて深く感銘を受けた命を知った。

次から次へと美しいものをほんとうにありがとうございます。



_ 2007.06.30_>>>_満月

「オキクルミカムイ」

満月の日に只今「カフェ・スロー」で開催中のEXHIBITION「CRYSTAL」のスペシャルライブイベントをやった。

「NOBUYA」のDJと「EMI」の唄と「千葉さん」のトンコリ。「アイヌのしらべ」だ。実のところ、今回はライブイベントは無しの予定だった。というのもギャラリーを押さえることはできたが、カフェ・スロー側でライブの予定がすでに埋まっていたからである。だから「それもありだなー」と自然に思っていた。ところが一ヶ月前にカフェ・スローの「マミー」こと「間宮くん」からメールが届いて「ライブが急にキャンセルになったので、∀KIKOさんの個展中だし、そちらで何かライブをやりませんか?」と聞いてきた。そして私は「ハッ」と思ったのだ。「そうだ。EMIに唄ってもらおう!」そのまま歩いて彼女の家まで行った。(7分もあれば着くんでね)意外なことに「EMI」は即答した。「うん。いいよ。いつか一緒にやりたいって言ってた夢がもう叶ったねー」そうそう。そんなことを前に私達は話していたのだった。「EMI」のOKを貰い早速「MARK」と「NOBUYA」に伝えた。「NOBUYA」は逆に驚いていた。「えーっ。でもあと一ヶ月しかないのに絵美ちゃん大丈夫なのかなー」とついつい家族を思う気持ちで心配になったようだ。「EMI」は「OKI」のバンドで「マレウレウ」という女性のコーラス隊の一員として、海外での公演の経験もあるし、普段でもアイヌ関連のイベントに呼ばれてしょっ中唄ってはいる。でも、たった一人で「床 絵美のライブ」としてお客さんからお金をもらい、少なくても一時間という枠で聞かせるというのは初めてのことだっだ。「NOBUYA」は「構成はどうするのか?」と問う。「ちょっと待って!まだ浮かばないから」と「EMI」。一ヶ月前にはまだまったくの白紙状態の中で私は一人「いやー楽しみだなー」とほくそ笑んでいた。

「絵美ちゃん。ちゃんと考えてるかなー」とその日から「NOBUYA」は毎日そのことばかりを口にした。そりゃあ自分も関わるライブだから真剣に考えて当たり前だけど「EMI」には逆にそれがプレッシャーとなるので、しばらく放っておくしかなかった。「EMI」を信じていた私は「大丈夫。大丈夫。何とかなるからさ」と「NOBUYA」を励ます日々が続いた。ある日「EMI」が「実は今回一緒にやってみたい人がいるの」と言ってきた。その人はミュージシャンでアイヌ音楽研究者の「千葉伸彦さん」ある頃から憑かれたようにアイヌ音楽の虜になり何十人ものアイヌから伝統的な唄や、弦楽器「トンコリ」を学び「トンコリ」の教本まで出している人だった。「EMI」は何度か会ったことはあるが、ちゃんと話したことはまだないと言った。「いつもOKIとかとはやっているけど、千葉さんはまた別の音色を持っていると思うから自分のためにも、そういう人とぜひ一度やってみたいの」連絡先は阿寒の実家に聞けばわかるとのことだった。数日後、やっと電話が繋がった。彼は今なんと「劇団四季」でギタリストを務め多忙を極めていた。にもかかわらず、引き受けてくれたのだった。しかも引っ越しの真っ最中だというのに。ただすぐには都合がつかず打ち合わせができるのがライブの一週間前くらいだろうとのことだった。

「千葉さん」の快諾を得て「EMI」のやる気もじわじわと高まり、唄とトンコリの練習に励む日々が続いた。長女の「りうか」を保育園に預けてから長男の「かんと」をだんなの「Ague」に見てもらい、「Ague」が仕事にでるお昼頃まで私達の母屋へ来て一人、川の音を聞きながらアイヌのことにいそしんだ。短い時間だけれども「心が癒される」と彼女は言った。私達は「EMI」が「EMI」でいられる時間を提供できたことが嬉しかった。なぜなら唄っている時の「EMI」が一番好きだったから。何かの想いに夢中でいると月日はあっという間に過ぎるもので、ライブの日が迫ってきた頃「EMI」がやっと焦り始めた。(笑)ある時電話がかかってきて「あ、あきこぉ-。あ、あのぉー千葉さんがなかなか捕まらなくてさーだんだん心配になってきたんだよねー。なーんてこんなこと主催者に言うもんでないかー。ははははは」私もつられて「ははははっー。大丈夫大丈夫。自分を信じていればなーんにも問題ないからね!」と励ました。私にはこの日は「とにかくみんなで楽しい時間を共有している!」というビジョンしかなかったので、どんなに心配事を浴びせられても、ちーっとも怖くなかったのである。ライブまであと一週間を切った頃、やっと「千葉さん」と電話が繋がり、母屋で初顔合わせとなった。アイヌの伝統音楽を受け継ぎ、本当に真摯にアイヌと向き合っている一人のミュージシャンの姿がそこにあった。一目で好感が持てる人物だった。あとは残された少ない時間の中で二人がどんな世界を創りあげるのか本番を待つことにした。

当日。緊張した面持ちで現れた二人はでも、とてもいい顔をしていた。六時に「NOBUYA」のDJがスタート。私は二階のギャラリーでお客さんを迎えていた。下から響く心地よい音を聞きながらライブの始まりをワクワクして待った。「ムックリ」が鳴った。「始まった!」「ムックリ」とは竹でできたアイヌの口琴のこと。彼女は「ムックリ」の名手でもある。「そっかぁー。これできたかーっ!」はやる気持ちを押さえ、しばらくしてお客さんがはけた頃、私もやっと下へ降りた。「おおーっ。やってるやってる。いいじゃん!」さすがに幼い頃から舞台慣れしている彼女は、唄えば唄うほど、水をえた魚の様に、どんどんと輝きを増していった。その姿はとても美しかった。初めて聞く「千葉さん」のトンコリと唄も私は大好きになった。「この二人いいかも!」また私の中で楽しい妄想が膨らんでいった。演奏はいたってシンプルだ。今どきこんなシンプルなライブなかなかないんじゃない?というくらい原始的ですらあった。「縄文の時代の宴もきっとこんな感じだったんだろうなー」と私は思った。そして素晴らしかったのは、聞いているお客さん。みんなの手拍子、「立ってください」と言われれば立ちあがり、「唄ってください」と言われれば唄い、「踊ってください」と言われれば踊る。「なんて素敵な人達なんだろう!」私は感動で胸が熱くなった。そして、こんなにも暖かいファンに支えられて生かされていることに感謝した。

アイヌに文化を教えたとされる「オキクルミカムイ」が舞い降りた満月の夜。森羅万象にイヤイライケレ。



_ 2007.06.15_>>>_新月

「水」


精霊の声に導かれ

ちいさな滝にたどりつく 


この水を飲みなさい

この水を飲みなさい


豊かにあふれる水の力が

私のすべてを洗い流す


水は命の源

生まれる前に包まれた場所

水は命の源

この星を青く染める絵の具


おいしい水を ありがとう

おいしい水よ ありがとう



_ 2007.06.01_>>>_満月

「simple side.」

この間、お札を取り替えに神主をしている友人の住む富士吉田まで行ってきた。

朝、急に思い立ち電話をすると「午後一時から来客があるが、その前だったら構わないから一緒に吉田のうどんでも食いましょう!」ということになった。高速に乗って着いたのが十二時ちょい前、NOBUYAと一緒にお祓いを受け、それぞれ参拝を終え、「朝、ちゃんと祈祷を済ませてありますから!」と新しいお札を渡された。時計を見ると十二時三十分。「もうすぐ一時だから今日はこれで」と帰ろうとしたが「ちょっとくらい待っててもらっても平気だからさ。うどん食いに行きましょうよ!」という運びとなった。

彼「泉心さん」と会ったのは五年ほど前。私達は当時、まだ今のように湧き水生活ではなかったので、おいしい水を求めて二週間に一度は富士の裾野まで水を汲みに行っていた。最初はめったに人と出会わなかったのだがいつからか、マスコミで紹介されたとかでだんだんと人が増え、私達は人が来そうもない曜日や時間帯を選ぶようになっていった。そうまでしてもわざわざ行っていたのはその森とそこに立つ小さな小さな神社が好きだったからだ。そしてある日、神社を掃除していた「泉心さん」に出会った。「最近人がやけに増えてゴミも増えました」とぼやいていた彼の側で一緒にゴミ拾いをしていると、彼が話し掛けてきた。「いつも来るんですか?」私達は応えた。そしてその時は丁度、癌末期を迎えていた友達のお母さんに持っていくための水を汲みにきていたのでそのことを伝えると、「玉川温泉って知ってますか?癌にもとても効果があるといわれている。そこの温泉水をたまたま昨日友人からもらったから家に寄ってその友達に持って行ってあげてください」と言ってくれたのだ。そのまま私達は家に呼ばれ、気づいたら祭壇のあるとても清浄な間に座ってゆっくりとお茶をすすっていた。

正直「泉心さん」を見た時はとても神職についているとは思えなかった。髪はボサボサでアースカラーのミリタリージャケットを羽織りハーレーにまたがっていたのだ。「泉心さん」はこうなったいきさつを手短に話してくれた。本当はアーティストになろうと思って高校卒業後すぐに東京へ出た。そして絵を描いたり写真を撮ったりしてそれなりに表現活動をしていたそうだ。ところが、どういうわけかいつも自分が病気になったり事故にあったり、身内に問題が起こったりしてことごとく田舎に引き戻されてしまう。「なんなんだいったい?オレはどうすればいいんだ!」やりきれなくなった彼はいったん田舎に帰り、たった一人で修行を始める。日の出とともに起き湧き水で禊ぎをし、瞑想をする日々が何ヶ月も続いた。そんなある日、富士山のてっぺんから雲がみごとな龍の姿になって晴れ渡る空へとみるみる登っていった。それを見た瞬間、「あぁ自分は神職につくのだ」という覚悟を決めたのだという。「その写真がこれです。いつもカメラを持ち歩いてたから、ここぞという時に撮れました」写真を見ると、本当に優雅にそして力強く龍が天を泳いでいた。

吉田のうどんは固い。固ければ固いほどいいという人もいる。それがNOBUYAだ。この辺りでもとびっきり固いというお店に私達は連れてってもらった。久々に食べる吉田のうどんはやっぱりおいしかった。「つい、この間までね。京都に行ってたんです。お茶屋の伊衛門に招待されて。舞妓さんと芸妓さんに囲まれてお茶を頂いたんだけど、それはそれは贅沢な時間だったなぁー」「泉心さん」は言った。そこでとても印象的なことがあったという。それは芸妓協会の会長を務めているという一番偉い芸妓さんが最後の最後に締めで舞いを舞った時のこと。さっきまで挨拶をしていた会長さんは、とんでもない婆さんだったらしいのだが、いざ舞いを始めるやいなや妖艶な美女に変身して、それはそれはたいそう美しく心から見愡れてしまったのだという。客席からも「ほんま。きれいやなー」「ウソみたいやー」「別人ちゃうかー」とため息のような感嘆の声が上がっていたそうだ。「何を言いたいかというとね、オレはその時、人間の計り知れない力をまざまざと見せつけられたんです。人間ってすげーっと久しぶりに感動した瞬間でした。」

「simple side.」にスポンサーが現れた。人間に感動させられっぱなしの私です。ありがとう。



_ 2007.05.16_>>>_新月

「十年」

最近、友達と会っていると「十年」という言葉がよく出てくる。
十年間が「あっという間」だったと。

私にとって十年前は本当に大きな節目の年だった。表参道に出てアーティストとして表現活動を始めた年。ストリートで自分の絵をさらけ出してみるというやり方が私には一番会っていると思った。これだったら私にもできる。あとは興味を持った人だけが、立ち止まって勝手に作品を見てくれるのだ。「よし!これだ」そう思いついたとたん、いても立ってもいられなくなり、次の日から路上に座って絵を広げていた。その最初の日のことはよく覚えている。京王線で新宿へ向う途中、調布で一人の女の子が乗ってきた。丁度通路を挟んで真向かいに腰を降ろした彼女は、じろじろと私の喉元を凝視していた。あまりにもこっちを見るから私もつられて彼女を見ると、私と同じくらい大きな荷物。「まるで私みたい」と思ったが、たいして気にも止めずに終点新宿で人の波に呑みこまれていった。JRに乗り換え原宿で降りて、ゆっくり表参道を歩きながら「さーて、どこで始めようか」と考えていた時、「あっ、さっきの人だ!」と声を掛けられた。視線を向けるとそこには確かにあの京王線で会った「さっきの人!」が座っていた。あの女の子だ。路上に広げた布の上には旅先で見つけた石や彼氏と作ったアクセサリーが並べられていた。「僕が彼氏です。」とにこやかに挨拶をしてきた男の子。周りで店を広げていた彼らの仲間たちがニコニコと寄ってきた。今日から店を広げるつもりだと言うと「じゃあ、俺達のスペースを少し空けるからここでやるといい!」と言ってそそくさと場所を作ってくれた。彼女たちの隣だった。その子はさっき私の喉元をじろじろと見ていたわけを聞かせてくれた。「そのペンダントがあまりにも素敵だったからじっと見ていたの。いったいこの人は何をやっている人なんだろう?って。みんなにも話したんだ。そしたら何とここにやってきたじゃない!」私は当時お気に入りだった水晶をヘンプの糸でくるんでいつも首に下げていた。

丁度その頃、自分の中で「ハッ」と気づいた事がひとつあった。それは「自信」ということの本当の意味について。「自信」とは自分を信じること。自分は自分を決して裏切らない....。そんな考えが急に沸き上がってきて「そっかぁー。そうなんだ」と私は一人で納得し感動した。そして「これからは自分を信じて生きよう!」そう堅く心に刻んだのだった。それが十年前。そんな生き方を選んだ時から次々に新しい出会いがやってきた。「simple side」を一緒に作った「志岐奈津子」と出会ったのもこの年だった。彼女との出会いは生涯忘れられない出来事のひとつだ。初めて会った瞬間からお互いの詩と絵に心を動かされ、夢中でクリエイトして、たった一ヶ月の間で出来上がってしまった「simple side」。この時二人は「創らされた」という思いに満ちていた。「せっかく形になったんだから、みんなにも見てもらおう」と翌年、自費出版に踏み切り、まずはひとつひとつ手渡しで届けることから始めた。あの時、表参道の路上で足を止めた人達がこの本を買ってくれた最初のお客さんとなった。

あれから十年。「simple side」は自分のために買った人が次は自分の大切な誰かに贈り、贈られた人がまた別の大切な誰かに贈るという形で輪が広がっている。この本も三度の増刷を重ね、今また十冊ほどを残すばかりとなった。今度増刷する時には叶えたいひとつの夢がある。それは日本語と同時に英語を載せること。もっと世界に向けて発信しようと思ったからだ。そう考えると、どんどんイメージが湧いてきた。「今度はもうひと回り小さいサイズにして、バックパッカーが持ち歩けるようにしよう!」「いつかは「ヒンディー語」や「スペイン語」なんかにも訳されちゃって地球の上で世界中の人達が見ていたら素敵だな....」なんて、もう夢は膨らむばかりだ。そんな「simple side」だが、まだ増刷のメドはまったく立っていない。今回も自費にするのか、それとも出版社との出会いがあるのか?実は現在、ファンで元出版社にいた方が直感を頼りに「この人は!」という人物を探してくれている最中だ。私はといえば、今はただ自然にゆだねてみようと思っている。どういう形であれ宇宙の法則にのっとって最も適切な方法が導いてくれるだろうと信じているから。

「自信」それは私にとってかけがえのない「光」である。



_ 2007.05.02_>>>_満月

「人間」

大倉山記念館での「文水」と「MARK」との展覧会「Garelly 002」を終えた。

今回のテーマは「人間」だった。「人間」だったためか、訪れた人々を見て、いつになく「人間」を意識した6日間だった。お腹の中の胎児から90才の長老の方まで幅広い人間層のひとたちが作品に触れてくれた。始まる前に「文水」は苔を、「MARK」は石を見つけるために私の生きる場所、高尾へやって来た。「RED DATA ANIMALS」の動物達の絵の下にひとつずつ、その石は置かれた。何人かのお客さんが聞いてきた。「置いてある石と絵がそれぞれとても良く似ているのはどうしてですか?」なるほど彼らの言う通り石と絵はとても良く似ていた。中庭には「文水」の世界が佇んでいた。消え行く動物達を見た後に辿り着く「人間」へと立ち還る場所として。そこに置かれたテーブルと椅子。テーブルを貫いて立つユーカリの木とそこに這う苔や草花たち。そして道具たち。傍らに置かれた数冊の本。賛美歌集。「文水」の提案で毎日私達はバラの花びらをそこに散らせた。その時間が私はたまらなく好きだった。花びらは自由に風に任せて舞いながら日々の人間の営みを彩っていった。

「久しぶりに公園に散歩に来て、ふとギャラリーを覗いてみたら、そこには素敵な空間が広がっていて、驚きとともにとても幸せな気分になりました。長生きしてよかった。ありがとう。」と言ってくださったご老人がいた。「普段はこういう場所に来たら、ぐずってすぐに泣き出すのに、こんな穏やかな表情をするのは初めてです」とびっくりしていた、赤ちゃんを抱いたお母さん。「この絵はね。走りながら見るとすごいんだよ」と言って回廊をぐるぐる回りながら目は絵を凝視していた子供。入口の水晶を「きれーい」と言って触りながらひたすら見つめていた子供。中庭の椅子でぼんやりと気持ちよさそうに、ただ瞑想にふけっていた大人。

「こんなにリラックスしたのは、ギャラリーnociwへ通っていた以来です」と言っていた古くからのファンの人達。今回懐かしい顔ぶれにたくさん出会えた。カップルでnociwに通っていて、結婚した「さおり」さん。何年ぶりかに会った彼女の中には新しい生命が宿っていた。会うなり涙を流して喜んでくれた彼女。結婚の記念に絵を自分達へ贈った彼らは今度生まれてくる子のために絵を選びたいと言ってくれた。

当たり前だけど時を経て、みんなそれぞれに成長していた。EXHIBITIONは行う度に私自身をも成長させてくれる。一緒に表現をしている「文水」や「MARK」やかけがえのない仲間達から力を貰い、大切な宝物であるファンの人達から大きな力を貰って、また自分に還った時に、再び描き出そうというエネルギーが内側から溢れ出てくるのだ。そこには感謝の気持ちと愛と喜びが伴っている。それが私の原動力。

「人間」は可能性。少なくとも私はそう信じている。



_ 2007.04.17_>>>_新月

「種」

種をまいた。

うちの母屋の大家さんは年期の入ったお百姓さんだ。先日、自分の畑のはしっこに「お前達もここで好きな野菜を育てないか?」と言われ、もちろん「やるとも!」と即答した。先にこっちに移り住んでいた隣人の「えいじ」と「まりこ」も畑をやっていたので「いいなー」と密かに私達は思っていたのである。去年の10月に1年3ヶ月かけて母屋が完成し移り住んできて、この頃やっとこっちの暮しにも慣れてきたところだった。大家さんも頃あいを見計らっていたのだろう。でも、嬉しかった。プロの目で見て私達にも少しは見込みがあると思ってくれたからこそ、声を掛けてくれたに違いなく、その優しさを思うと感謝の気持ちが込み上げてくる。

種から野菜を育てるのは初めての経験。ワクワクした。私達は何の種を播こうかとあれこれ思いを巡らせた。ふと、種について一緒に語り合うってとっても素敵なことだなーと思った。毎日食べる野菜。かつてはスーパーで売られているのを買うのが当たり前だった。山へ越してきてから、農家さんの畑へ行って直接買うことが多くなり、作ってる人の顔が見えるって、こんなにも安心感を覚えるものなのかーと心から感動した。そして、いよいよ今度は自分達で育ててみる番がきたのだ。これは意識が変わる出来事だった。現実の世界では大手の種会社が種の世界を牛耳っていると聞く。「F1の種」を作って自分達の種がどんどん売れる仕組みを作り、必要のない遺伝子組換え作物を世に送り出していると。しかし、その一方で「F1の種」もまた大地に癒されて、いずれはもとの生命エネルギーを取り戻すという話しも聞く。

自然には叶わないはずだ。なぜなら私達が自然に抱かれて生かされているから。そんな当たり前のことを本当に理解していれば、利己的な目的のために、地球や人類にとってなんの得にもならないばかりか、かえって害にしかならないことを、わざわざ膨大なエネルギーを使って成し遂げようなんて思いもつかないだろう。

大倉山でのEXHIBITIONが間もなく始まる。今回のテーマは「人間」だ。会場を一緒に創る仲間達と昨日、雨の音を聞きながら「ミーティング」と称する「飲み食い会」をやった。彼らを見ながら私は思った。「まず自分という平和な世界がここにあって、その最も近い外には彼らとの世界がある。その世界はとても平和だ。じゃあ、もうちょっと外の世界。例えばご近所さん。うん。平和だね。それじゃあ、今日出会う人とは?そうやって関わっていくものたちとの繋がりこそをまず、その度に本当に大切にしていけばどうなるだろう....。」複雑なものの見方の方が主流になっているように思われるこの世界で、私みたいな単細胞人間はまだまだアウトサイダーのようだ。でも私はシンプルにしか考えられないようにできているんだから、仕方がない。

私達はみなひと粒の種である。



_ 2007.04.02_>>>_満月

「まんだら」

山梨の友達の所へ行ってきた。その友達はミュージシャン。

「KURI」という名前で夫婦で活動していて、そこには我が家のオオカミ犬「nociw」の姉妹「ウルル」がいる。最近犬同士で遊んでない「nociw」を思い、たまには姉妹でスキンシップをとらせてあげたいと連れて行った。出迎えてくれたのは夫の「かっちゃん」。妻の「みほちゃん」は1年前からイギリスで音楽の腕を磨くために修行している。

実はこの二人、以前から山梨に暮しているのだが、借家住まいの生活からもっと自由になるために、2年前から自分達の家造りに着手した。まずは見晴しのいい気に入った山を探し、その土地の所有者に掛け合い、「この森を少し切り開いて自分達で家を建てていいか?」と聞いて了解を得て、下草を刈って最低限の木を切り倒し(もちろんその木も利用する)「かっちゃん」と大工の友達のたった2人だけで、脚立とロープとを駆使したとても原始的なやり方にこだわって造ってきた。実はまだ半分くらいしか完成してないが、住んで食べるという最低限の生活はできるようになっている。基礎的なものはできているので、あとは「かっちゃん」1人で完成させていくつもりらしい。その間「みほちゃん」はイギリスの地でライブ演奏をしながら音楽の繋がりを作り、この夏はイギリス最大のオーガニックフェスティバルとフランスでの音楽フェスティバルに「KURI」としての出演を決め、「かっちゃん」も行ってくることになった。日本でも1人であちこちに出向きライブをやりながら、ツアーのない日は家造りに励む。そんな「かっちゃん」がほんとうに偉大に思えた今回の訪問だった。

なにが凄いかってまずは水。水道なんてもちろん通っていないので、山の中をくまなく歩き水脈を発見した。ちょろちょろと岩の隙間から流れる清水に出会った時の嬉しさといったらなかったらしい。「これで生きていける!」と。でも実際にそこから長い長いホースをひっぱって家の蛇口から勢い良く水が出てきた時の感動といったら、それはもうとてつもない喜びだったという。そしてトイレ。これはただの「ぼっとん」にはせずにアメリカからコンポスト式の移動トイレを取り寄せ自分の排泄物をタンクに詰め醗酵を促す有機材を使い、いっぱいになったところで家のまわりに播き、そこを畑にして野菜を育て、その野菜をつんで料理をして食べているのだった。もうここだけで完結している完璧な生活の循環。ゴミがでない。お金がかからない。そしてどんどん健康になっていく。そんな彼らの生きざまにただただ感動しっぱなしの私達だった。

「いずれここが完成したら、この場所でアルバムを作りコンサートをして訪れた人達に自分達の生活を丸ごと味わって欲しいと思ってるんだ。人間こんなにシンプルに生きれるんだってことの一例としてね。社会に対して不平を言ってるだけじゃ何も変わらないけど、やろう!とまず自分自身が本気で思えば自分の生活は変えられるってことさ。お陰で安かった生活費はますます安くなったし、余計なエネルギーを使わなくなった。その分音楽や自分の好きなことに夢中になれる時間が増えるんだ。いつか自分達が死んでも誰かがまたここを使っていけばいい。そうやって人間の営みが自然と調和しながら健康的に循環していくというビジョンを僕らは見てるんだよ。」友達に心の底から尊敬の念を抱いた日。

帰り道、私とnobuyaは将来の夢をずっと語り続けていた。



_ 2007.03.19_>>>_新月

「雌オオカミと神話を孕んだ女」

今回の「ござれ市」。先月に初めて現れたフィンランドマニアの「金子」さんという人が再びやって来て言った。「私ごとでなんですけど、実は最近本を読んで、あぁ∀KIKOさんに一脈通じるところがあるなぁーってすごく思ってね。まぁこういう本なんです。」と差し出されたのは、世界的に活躍するフィンランドの歌手「アルヤ・サイヨンマー」の「サウナ」という本だった。

フィンランドはサウナ発祥の地でもあり、子供からお年寄りまで誰もが日常的に楽しんでいるという。彼女も子供の頃からサウナに慣れ親しみ体と心のバランスを取ってきた。母親からは「サウナはとても神聖な場所だから、入っている時は邪悪な考えを抱かないように。そう教会と一緒なのよ。」と教えられてきたという。

日本ではあまりピンとこない話かもしれないが、ようするにネイティブアメリカンのスウェットロッジのようなものなのだろう。フィンランドの神話「カレワラ」の中でも神々にとって、とても重要な位置を占めるサウナ。自分用に作る「ビィヒタ」という霊力のあるとされる白樺の葉を束ねたもので体のあちこちをピシーッ、ピシーッと叩くことで自分の中に宿る邪気を追い払い、自然の中から選んできた特別な石を熱してその石の下で燃え盛る火を「キウアス」と呼び崇め、その火に熱せられて舞い上がった蒸気は「ロウリュ」といって人間の体に聖なる活力としてしみ込んでいくと信じられてきた。そして体の悪いところが実際に癒えることもあるのだという。つまりサウナは浄化の場であり、神々と交わる場でもあった。これがもともとのサウナの源だったのだ。

彼女が子供の頃は公共のサウナで混浴のところもあったそうで、サウナで他人から「背中を洗ってください。」と言われたなら、それを断るのは失礼にあたり、そのかわり洗ってあげると次は自分も洗ってもらえるというルールがあったのだという。結婚する時には「結婚サウナ」というのがあって花嫁が花婿の家族全員の体を洗い、自分には嫁になる資格があるということを示すというしきたりもあったんだとか。ようするに、肌と肌の触れあいを通してコミュニケーションをとることを非常に大切にしている国なのだ。これは日本の温泉や入浴にかかわる文化とも共通すると思う。サウナの火は薪で作り、そのかまどには精霊が宿るとされる。この本の著者「アルヤ・サイヨンマー」はそんな神聖なサウナの中で「雌オオカミと神話を孕んだ女」に出会い「サウナ」という神話を旅していくというのがこの本の核だった。この「雌オオカミと神話を孕んだ女」というフレーズが、「金子」さんがいうところの私と一脈通じる部分だったそうなのだ。「自分自身のルーツとその背景と、そして自分自身の歴史を活用しなさい。そこにあなたの神話の道があるのだから。」そう、私達はみな一人一人が神話なのである。

奇しくも最近また「nobuya」と一緒にお風呂に入るようになり、「いつか北海道で暮すようになったら自分達のサウナ小屋を作りたいね。」と話していたところだった。かつてのフィンランドの大統領も旧ソビエトの国防大臣がフィンランドとの共同軍事演習を持ちかける度に、その大臣をサウナに誘い、何度も何度もサウナには一緒には入ったけど軍事演習は一度も実現しなかったというエピソードがある。裸の付き合いをしてともに浄化されていけば、意識もぐんぐん上昇し、お互いにとってポジティブな話しか出てこないのは当然だろう。そういう意味でも神々が宿っているというのはうなずける。本物のサウナがもっと広く世界に浸透すればいいなぁと思う。私達といえば、お風呂上がり、ハーブの香りのするオイルでお互いの体をマッサージすることにしている。本当に触れあうことの大切さを最近改めて実感しているのだ。そんな時は決まって我が家の雌オオカミ「nociw」が「ワタシも仲間よ。」と甘えに来る。

そして三人で遠吠えをして「我ら同志なり!」と愛を確かめ合うのだ



_ 2007.03.03_>>>_ 満月

「命」

ギャラリー「nociw」時代からのファンでいてくれている「竜也」と「佳世」の夫婦に新しい命が生まれる。

去年の夏頃、二人がわざわざアトリエまで尋ねてきて、妙にかしこまった顔をして言った。「誕生してくる子供のためにどうしても∀KIKOに絵を依頼したい。それが私達の願いなの。」と。私は勿論快く承諾した。「nociw」のそばにあったお店、当時の「no.boom」で働いていた「佳世」に恋をしてバイト代をすべて「no.boom」でのコーヒー代につぎこむほどに足げく通っていた「竜也」。その恋が見事に実り、結婚する時は私と「nobuya」が保証人として婚姻届に判を押した。二人の愛を見守ってきた者としてはとても深い縁を感じている。秋の個展での「サヨコオトナラ」のライブがお腹の子にとっての初ライブとなったと言ってはしゃいでいた二人。今年の正月の展覧会に現れた時の「佳世」のお腹はビックリするくらい大きくなっていた。年明けから実家である長野で産むために里帰りをすると言った「佳世」に私はひとつのお願いをした。「丸一日お腹の子と一緒に過す時間が欲しい。」と。そうなのだ。生まれて来る子のために描き降ろすのは初めてのことだったので、その子のことをもっとよく知りたい。感じたいという自然な思いが込み上げてきたのである。「佳世」も「竜也」も「そこまでしてもらえるのは逆にありがたい。ぜひ来てほしい。」と言ってくれた。そして2月20日に一泊で「佳世」が生まれ育った家にお邪魔することになった。連れ添いがいた。「nociw」でともに貴重な時間を過した「mio」と「nori」と「モッチー」だ。子供のために買ったばかりのピカピカの「竜也」の新車に乗ってみんなが迎えに来てくれた。このメンバーとこんなにゆっくり過すのは「nociw」をクローズして以来のこと。あれからもう3年も経つなんて信じられないくらい、会うと妙にリラックスするのだった。とんと御無沙汰していても個展には必ず顔を出してくれるかわいい奴ら。彼らにはどれほど感謝しているか計り知れない。

高速に乗りサービスエリアで飯を食いながら笑う。すっかりドライブ気分の私達。「佳世」の家へ到着すると、この日を心待ちにしていてくれた「佳世」とお父さん、お母さんが暖かく迎えてくれた。入る時、まず表札が目に留まった。「下島」と書かれたその表札は陶器でできていて絵心のあったお祖父さんが手作りしたものだという。何とも味があって可愛らしい。そして玄関を入ると目の上に大きな仏陀の顔の像が掛けられていた。こちらを穏やかに見つめている。この像は「佳世」が生まれた時からあったそうだ。お母さんに聞くと玄関に大切にしまわれていたこの像の出所を書いた紙を見せてくれた。昔だったから簡単に貰ってこれたものの今となっては博物館に所蔵されるような代物だった。そして「竜也」はお坊さんだ。まるで「佳世」の行く末を暗示していたかのように私には感じられた。お祖父さんは教育者として国から勲章を貰うほどの立派な人だったようだ。そしてお父さんとお母さんも学校の先生だった。二階にある「佳世」が使っていた部屋。その外の細長い廊下には本棚が設えてあって、優れた日本の児童文学がずらりと並んでいた。みんなで見た「佳世」の幼少時代のアルバム。いつも決まってとびきりの笑顔で幸せそうに映っている「佳世」。その女の子はまるで童話の中の主人公のようだった。私は一人の人間が誕生して育っていくうえで最初の家庭環境がどれほどまでにその後の人生に影響を与えていくのかをこの時しみじみと感じずにはいられなかった。「佳世」の家はお祖父さんの愛に満ちあふれた本当にいい気が流れていた。

「竜也」の提案で一晩お世話になるお礼に、みんなで晩ご飯を作ってお父さんやお母さんにも食べてもらおうということになり近くの地場野菜を売る「およりてファーム」というマーケットに買い出しに行った。簡単でおいしい鍋にすることにして大家族のようにみんなではふはふ言いながら食べた。お父さんも嬉しくていつもよりお酒がすすんだようだった。そのあと近くにある「天空の城」という温泉へ行った。その隣に「長姫神社」という神社があるのだが、なんとそこでは昔「竜也」の曾お祖父さんが神主を務めていたのだという。縁とは不思議なものだ。「竜也」と「佳世」はよく「ご先祖さまが私達を引き合わせてくれた。」と言っていたが「本当にそういうことなのだな。」と思った。翌日改めて神社をお参りした時、ふと足下を見ると黒っぽい石の中で一つだけ白く光っていた石が目に入ったので、その石を拾いあげてそっとポケットに忍ばせた。そして家で待っていた「佳世」にその石を洗面所できれいに洗ってから差し出した。すると「佳世」も「竜也」も驚いて「赤ちゃんが生まれてからの儀式に「お食い初め」といって一生食べ物に困らないように子石を噛ませるというものがあるんだけどまさにそれにぴったりだよ。ありがとう。」と言った。私はそんな儀式があったなんて知りもしなかったから逆にびっくりした。

前の晩、横になりながらまどろんでいる「佳世」のお腹に手を当ててしばらくの間、お腹の子とコミュニケーションをとろうと思った。心の中で話し掛けるとゴロゴロと動いて返してくれる。そのうち私まで気持ち良くなって自然に唄をうたっていた。「佳世」を見るとうっとりとした顔をして目を閉じている。どれくらいの時間が経っただろう。しばらくして「佳世」が口をついた。「今ね。∀KIKOの手がお腹の中に入ってきてこの子に触れていたの。なんだかすっごく気持ちが良くって幸せだったんだ。∀KIKOは何だか私よりこの子に近い気がするな。」今回はるばるここへ来て本当に良かったと思った。別れを惜しみつつも帰路の途につく時間がきた。予定日は三月三日の満月だった。絵はビジョンが来るまで待つことにした。

そして三月三日。美しい月が天に登った。我が家のオオカミ犬「nociw」がいつもの満月よりも異常に興奮状態になっていたので、その気を静めるために夜11時頃、私達は防寒の準備をして森に入った。そこは月明かりに照らされて神秘の空間となっていた。「nobuya」は録音の機材も忘れなかった。「こんなとっておきの時間は音を録るには魅力的だからね。」いつもお参りするお地蔵さんの元へ行き、お水を替え「佳世」と生まれて来る子の無事を祈った。静かなせせらぎが聴こえる川辺に佇みしばらくの間その美しい月に酔いしれた。「nociw」は一人山の方へと登ったり降りたりしいる。その時、私には突然ビジョンが降りてきた。「そうか。そういうことだったのか......。」これでやっと描き出せる。「nobuya」を見るとヘッドホンをしながら満足そうに微笑んでいた。きっといい音が録れたのだろう。こんな贅沢な時間を愛する者達と共有できて私は嬉しかった。あとは「佳世」からの連絡を待つのみだ。あなたが命を生み出すことに尊敬の念を込めて私も作品を生み出したいと思います。待っててね。ありがとう。



_ 2007.02.17_>>>_ 新月

「黒の國の扉」

17才の親友「モモ」の卒業発表を見てきた。

彼女は今、自主学校「遊」の12年生。いわゆる高校3年生だ。自主学校「遊」というのは今の言葉でいうとフリースクールというのかな?有名なところでいうと「シュタイナー学校」のようなエッセンスを持った、既成の学校とはちょっと違ったユニークなカリキュラムで子供たちがもともと持っている感受性をさらに伸ばすための教育に力を入れているところだ。といっても「遊」は今回の卒業式が学校始まってなんと第2回目。とても若い学校なのである。「モモ」の両親である「志郎さん」や「啓さん」が心ある彼らの友人知人らと力を合わせて育ててきた学校なのだ。ようするに親も先生で先生も親というような、両者の境目のない環境で子供と親と先生がひとつにならなければ決して存続できないという状況の中で今日までやってきたのである。そうして迎えた第2回目の卒業式。今回卒業するのは2名。その一人が「モモ」だった。

「遊」では学年末にも、その年で学んできたことを知らせる発表会がある。通信簿なんてものはない。その代わりに「きれいなノート」だったかな?子供たちが自分自身で色づけして作ったノートに各先生方からの愛のあるメッセージが書かれているのだった。「モモ」が10才くらいの頃に一度、学年末の発表会を見に行ったことがあった。その時は学校全部の生徒で演劇を披露してくれた。私は「モモ」の役への没入のしかたを見て驚いた。他の子供たちのあまりにくったくのないおおらかさにも。小学低学年の時に一般の学校から編入してきた「モモ」はここで自分を表現する喜びというものを知ったのだと思う。「モモ」の卒業発表は自ら原作・脚本・衣装・演出・監督・舞台美術・挿入歌・作詞・作曲を手掛ける演劇だった。出演は学校の生徒たちともちろん自分。そして「モモ」が敬愛する「わっち」先生もとてもぴったりなハマリ役で登場した。その演劇のテーマが「黒の國の扉」だった。

ひとは恐怖だという
ひとは無だという
だがここは
何もかもを含み
何もかもを包む國
そして
漆黒にきわまるとき
五彩の美が現れる
すべての色は黒の中に溶け込み
ここですべての色は尽きる

「あるところに全てがまっくろの國がありました。天も地も黒。食べるものも着るものもなにからなにまでまっくろくろです。この國の民はこの中で何不自由なく暮しています。ですがこの國の姫は厳しい家来に高い塔の上に閉じ込められていました。そしてこの國にはお姫さまだけが知らない、あるひとつの扉がありました...。」そんな言葉で始まったこの物語。その扉のむこうには色の秘密が隠されていて、生まれてこのかた色を知らなかったお姫さまが「モモ」演じる門番や唯一その扉を開けることができるピエロや色の精霊たちによって新しい世界を知るというストーリーだった。「モモ」が1年前、卒業発表のテーマを決める時に、一番興味を惹かれたのが色だったそうだ。「色ってなんだろう?」調べれば調べるほどその世界は深くてとても一年じゃあまとめきれるものではないと思ったという。そして「モモ」なりに自分の問いかけを演劇という作品に置き換えて発表することにしたのだ。「モモ」はこの春から文化服装学院という服飾系の専門学校へ進み服作りの勉強を始める。彼女が本気であることは、今回の衣装を見れば一目瞭然だった。様々な色にあふれたその衣装たちには「モモ」の喜びが溢れていたから。ニコニコしながら衣装を作っている「モモ」の幸せそうな顔が浮かんできた。彼女の夢は「プロとして舞台衣装を作ること!」だという。「そんなの叶うにきまってるよ!女優にだって歌手にだってなれるよ!なろうと思えば何にだってなれるよ!」と私は大声で叫びたかった。それくらい、舞台美術も音楽もセリフも歌も本当に素晴らしかったから。昔「モモ」の母親の「啓さん」が言っていた。「この学校を作った私達にもまだこのことが失敗か成功なんてわからない。だってまだ実験中のようなものなんだもの。ここを卒業していった子たちが社会に出てどういう生き方をしていくかによって初めて結果が出ることだから。失敗したらモモちゃんごめんね。って言うしかないわね。ハハハハハ。」

その「モモ」もついに「遊」を卒業する。おめでとう。そしてありがとう。



_ 2007.02.02_>>>_ 満月

「山のしごと」

高尾に「高田さん」という宮大工の棟梁がいる。みんなは彼のことを親しみを込めてただ「棟梁」と呼ぶ。

最近、この「棟梁」が自主的に働いている「山のしごと」をお手伝いさせてもらっている。「棟梁」の仕事を知ったのは高尾仲間の「つくし」と「たけし」からで、彼らが「棟梁」と出会ってその仕事に感銘を受け、一緒に働き始めたのがきっかけだ。彼らは効率だけを追い求めた現代社会がもたらした弊害、それを見直すためにこそ、若者に森に入ってもらいたいと願っている。

「棟梁」は九州の山のてっぺんで暮していた本当の山師の息子で「この木は今後どういう風に育てていけば、いい木材が取れるようになるか?」そういうことが見える人だという。宮大工としては昭和天皇の神社作りの中心人物として頼み込まれたが「大工村を作る!」という壮大な夢のために、あっさりと断ってしまったとか。今、地元の木材のみでその技を揮うべく企画をあたためている最中だそうだ。そんな「棟梁」と一緒に山に入り、彼が一本一本の木を見てそこから何を読み取るのか?木の活かし方を知り、森の育て方を考える。そんな学びの多い「山のしごと」。実際には何をするかというと、下草を刈ったり、木を切ったり、倒木や枝を整理して一ケ所に集めて積み上げていったりという作業だ。そうすることによって杉の木に光が十分に届き成長を促してくれる。登山者にも歩きやすい森ができる。用意するものは、軍手、なた、のこぎり、金鋏み、そしてお弁当。朝10時に「つくし」と「たけし」の家に集合し、そのまま歩いて現場へ。そこで「棟梁」の指示を受けて仕事を開始する。「まずは下草を刈るんだ。それがこの仕事の土台。それから他の木や枝を間伐していく。社長がきちっとしていればその会社は栄え、だらしなければ廃れる。というのと同じなんだよ。」「きれいな仕事をしなさい。美しいというのはすべてにおいていいことだから。」「複数の素人で森の中で刃物を使い作業しているにもかかわらず、怪我人が出ないということがどういうことかわかるかい?それは山の神様が守って下さってるということなんだよ。」作業をしていてふと気づくと側に「棟梁」がいて、そんなことをいきなりズバッと言ってきたりする。私はその言葉を聞くたび「あぁ。彼は本物なのだ。」と思うのだった。

昼食は「棟梁」おすすめの日当たりのいい場所へ移動して食べる。一緒に働いた後のみんなの顔は抜群にいい。始める前よりもずっとリラックスしている。よそん家のお弁当を覗き込んでお裾分けしてもらう。これが実にうまい。「ガハハハ」と大声で笑う。「おかあさーん」と大声で泣く。犬がいて子供がいて大人がいて。みんなが勝手気ままに森の中のランチタイムを満喫している。これってとても贅沢で楽しいことだ。ふと、私は思う。「縁て不思議だな。」と。このメンバーはたまたま近くに住んでいたからこそ出会った仲間たちで、そして「棟梁」の仕事を通して何かを感じているからこそ、こうして集まってきている仲間たちなのだ。でも地球上の同じ場所に同じ時期に居合わせて暮し生きている。そして、自分達にとって一番身近な自然との関わりを共に持ち始めたのだ。

高尾に越してきて、湧き水を飲み、薪ストーブで体を暖め、畑にお邪魔して直接野菜を買わせていただき、ご飯を食べる。というシンプルな生活になった。そしてnociwを連れて散歩する森。絵を描くこと。そのすべてが私の中では一直線上に繋がっている。「山のしごと」はその生活の中にまたひとつ新しい気づきを与えてくれるきっかけだった。「ストン」と心の中に気持ち良く落ちる何かがあったのだ。私はいまだかつて、こんなに生活をエンジョイしたことはない。自然に対して畏怖の念を持てば持つほど向こうから近づいてきてくれているような気がする。そのことが絵にも反映しまた日常にも反映していく。それはすべてが循環しているから。

そして棟梁は今、本気の魂を持った弟子を探している。



_ 2007.01.19_>>>_ 新月

「星」

私は星のかけら

この地球という水の星に

宇宙時間でいえば一瞬の出来事のように

生まれ死んでいく人間です


私は星のかけら

この地球という水の星で

たくさんの命に支えられ生かされながら

喜びや悲しみを味わう人間です


私は星のかけら

この地球という水の星の

美しさや楽しさやはかなさを

伝えるために生まれてきた人間です


私は星のかけら

宇宙はひとつのいのち

私は星のかけら

ありがとう 

水の星



_ 2007.01.03_>>>_ 満月

「お犬さま」

3日は御嶽山に登って神社に参拝してきた。

ここ御嶽神社のお札がnociwにそっくりの黒い狼だったので、今年はそのお札をいただきにいこうと思ったのだ。どうして狼が祭神なのかというと、昔ヤマトタケルノミコトが御嶽山で道に迷った時に狼が現れて、道案内をしてくれたからなのだそうだ。それだけ狼の多い山だったらしい。もちろんここには今でも熊はいる。nobuyaとnociwと3人で登った御嶽山の標高は高尾山よりも少し高い900メートルちょっと。山頂に着いてお参りをしてお札を買うために並んでいたら、巫女さんが宮司さんの耳元で囁いているのが聞こえた。「あそこを見てください。お犬さまが来ていますよ!」nociwのことだった。宮司さんは「おぉっ。」という顔をしてすぐに私達に話し掛けてきた。「その犬は何という犬種です?」「ミックスになるんですけど狼の血が入っているんです。」「あぁ。やっぱり。どうりで似ていると思った。実はその子のご先祖が我が神社のご祭神なんですよ。」「えぇ。知ってます。だから今日お札をいただきに来たんですよ。」.......宮司さんの話を聞いてみると実はその狼というのは黒い狼と白い狼の二対の狼とされていて、なるほど絵馬やポスターには確かに白と黒の狼が並んで描かれていた。またもや去年の10月に死んだnociwの友達のホワイトシェパード「ユタ」とnociwとの関係を考えさせられる。陰陽はどこまでもつながっているのかもしれない....。

山頂にはちらほらと人もいたが、ケーブルカーで帰る人達が多かったので、帰りの山道は人にはほとんど会わなかった。やっとnociwのリードを外して解放してあげると一目散に森の中へと駆けていく。nociwはここが気に入ったらしい。この山には本当に大きな木が多くてびっくりするほどだ。みんな気づいているだろうか?この山の懐の深さに。空はだんだんと濃いブルーに染まっていった。満月が木々の間からうっすらと白く辺りを照らし出している。nociwの黒い体が闇に溶けて区別がつかない。左前の白い靴下をはいたような足だけが時たま浮き上がって見えた。首に付けたチリンチリンと音を奏でる鈴がnociwの音。その時、私の中で何かが弾けて「美しいなぁ。」そう思ったら胸の奥から唄が聴こえてきた。溢れ出るままに口ずさんでいたら「いいねえ。その唄。下に降りるまでずっと唄っていなよ。きっと山が喜んでくれるから。」とnobuyaが言った。

翌日、大倉山記念館で行うMARKと文水とのコラボレーション展の搬入を迎えた。セッティングに1日かけることができたので、初めのうち、みんなが出払ってしばらくの間私だけになった時間があった。セージを焚いて回廊をまわり、今回メインとなる中庭の中心のポイントにそれを置いて風にまかせた。その時ふと「そうだnociwを呼んでこよう!」と思い立ち、回廊をぐるっと回らせ、中庭へと導いた。nociwは不思議そうに空を見上げていた。記念館の外に立っている大きなヒマラヤスギにカラスが飛んできて3度鳴いた。私にはそれが合図のように思えて今回の流れを祈った。そして7時間後。セッティングが終わり私は再び同じ場所に立っていた。

そこには生まれたばかりの庭があった。木々の間から円い月が嬉しそうに微笑んでいた。



_ 2006.12.20_>>>_ 新月

「京都へ」

小旅行に行ってこようと思う。京都に住む叔母に依頼された絵を届けがてら。

私の母の一番下の弟、つまり私の叔父は高校生の修学旅行に北海道から京都へ行った時、京都の地を踏んで「ここが俺の住む場所だ。」と瞬時に感じたという。その思いはずっと色褪せず、高校卒業後すぐに京都の大学へ入りそこで叔母と出会い、大学卒業後結婚した。その結婚式の時、私は病院の中だった。小学校4年から中学校1年までの4年間、腎臓の病気で入院生活を送っていたのだ。親戚がみんな揃って京都で行われる結婚式のために北海道をあとにした。初めての旅行気分に浮かれる妹を羨ましく見送った記憶がある。お祝に駆けつけることができない私はせめて何か心のこもった贈り物をしようと、その時ベッドの上でハマっていたフェルトで作る人形をプレゼントすることにした。2匹の犬が相合い傘の下で笑っていて、その傘から「結婚おめでとう」と書いた紙がたなびいているというもの。二人が病院へお見舞いに来てくれた時にそれを渡すと、とっても喜んでくれた。私が東京へ出てきて学生生活を送っていた時に一度長期でお邪魔させてもらったことがあったが、泊めてもらった部屋にその人形が飾られていた時は、なんだかちょっと照れくさかった。

その時一人娘の真理子ちゃんは、確か3才くらいだったっけ。お爺ちゃんの御葬式で久しぶりに会った彼女は高校生になっていて子供でもなく大人でもなく不思議な感じがした。御葬式のあとしばらくして真理子ちゃんから手紙が届いた。彼女から手紙を貰ったのは初めてだったので私は驚いた。便せん3枚くらいにびっしりと丁寧な文字で書かれたその手紙には、進路について迷っているといったことが書かれていた。親の期待に答えて進学するべきか自分の好きな道を歩むべきか。私は親の期待なんて無視して自分の好きな事をやるべきだと返事を出した。だって自分の人生なんだし、出来なかったことを人のせいにしないためにも、今自分が一番やりたいと思うことを胸をはってやった方が気持ちがいいに決まってる。大切なのは自分を信じてあげることだよって。私がそうやって生きてきて何の悔いもなかったから。辛かったり、苦しかったりしても自分で選んだんだから頑張れるよと。その後、母に真理子ちゃんはパティシエになるためにフランスに留学したと聞いた時は「やった!」と心の中でガッツポーズをした。その彼女も今は京都のマンションで一人暮しをしているとか。どんな女性になっているのか会うのがとても楽しみだ。

叔母が私の絵にとても興味を持っていると聞いたのは今年になってからだった。まさか直接絵を依頼してくることになろうとは夢にも思わなかった。「おばちゃんね、あきちゃんの絵見てるとすごく和むんよ。なんか優しい気持ちになれるんやわ。」嬉しかった。今まで親戚の中で妹や従兄弟を別にしてそんなことを言う人はいなかったから。母は女だから何があっても応援してくれるが、父は私が絵描きになってることも知らずに何年も会わないまま他界しているし、義理の父は私が絵を描いてご飯を食べていることを全く理解できずにいる。そんな中で身内から純粋に絵を感じてくれる人間が現れたことが何よりも嬉しかった。

一人の人の為に絵を描くことができるというのは、とってもありがたいことだ。その人のことだけを思って、その人が幸せになることだけを思って描く時間は私にとってはたまらなく幸せな瞬間である。絵も結局はエネルギー。どんなエネルギーをそこに注ぎ込み、見る人を通してどのように伝わっていくか。画面に留まっているように見えてもそれはひとつの生き物だともいえる。そんな絵描きとしての私にもっとも大切なのは己の魂を磨くことだ。だからまたひとつ新しい自分に出会うために行こうと思う。

京都へ。



_ 2006.12.05_>>>_ 満月

「ゴンとリズ」

アトリエの前のストリートを4軒ほど行った所に秋元さんという女性が一人で住んでいる。彼女は今、2匹の犬を飼っていてその名は「ゴン」と「リズ」という。

「リズ」は今年の春頃から秋元さんの元で暮らし始めた。この近くの小仏川の草むらに捨てられていたのを秋元さんが見つけてからだ。歩くこともままならなかった「リズ」をとりあえず動物病院へ連れていくと、体じゅうに癌による腫瘍が発見された。秋元さんの想像によると、たぶん元の飼い主は最初とてもこの犬をかわいがっていたが、病気であることを知り、どうしていいかわからずに散歩に連れていくのをやめ、ただ寝かせていたが、だんだん悪化していく様を見ていられずに何処からかやってきてそっと草の茂みに置いていったのだろうとのことだった。可愛がられていたとわかるのはとても人慣れしていたからだという。「リズ」という名はエリザベス・テイラーの成れの果てという意味で秋元さんが名付けたものだ。秋元さんはまず、歩くことを忘れてしまった「リズ」に少しずつ散歩の楽しさを教えていった。最初は体がガタガタ震えて一歩が踏み出せなかった「リズ」もだんだんと歩けるようになった。病気の方は腫瘍を全部取り出すとなると大手術となり、ほとんど病院生活になると医者に言われたため、あえてそうはせずに最後まで家で面倒を見ることを彼女は選択した。日に日に元気を取り戻す「リズ」の姿は近所の犬好きの住人にとっては注目の的となった。

「ゴン」は最初から秋元さんが飼っていた犬だとばかり思っていた。それが実は違うということを、つい最近になって初めて秋元さんが語ってくれた。「ゴン」の一番最初の飼い主はそれはそれはこの犬を可愛がり、目に入れても痛くない程の愛情を注いでいたが、ある時自分が癌と宣告され余命がもう幾ばくもないことを知らされる。飼い主は遺書をしたためた。「自分が死んだら、どうかゴンも一緒に火葬して欲しい。この犬は私なしではもはや生きられないだろうから。」しかし、残された親族はそうはしなかった。かといって誰一人自分が引き取ろうと言う者はなかった。それでもしょうがないだろうと、とりあえず親族の一人が引き取ることになったが、飼い方がわからずに次々と親戚中をたらい回しにされる。そうこうするうちに元の飼い主の姪がアメリカからアメリカ人のダンナを連れて帰国した。彼女は唯一自ら進んで「ゴン」を飼いたいと申し出た。ダンナは軍人だったので暮らす場所は横田基地の中だった。ある日。「ゴン」がちょっとした隙にリードなしのまま表へ出てしまった。でもしばらく名前を呼ぶと自分から帰ってきたという。けれどもダンナさんは許さなかった。「このままでは家に置いておけない。どこかよそへやろう。」「ちょっと待って。でもちゃんと帰ってきたじゃない。」二人の会話を「ゴン」はしっかりと聞いていたに違いない。再び踵を返し外へ飛び出して行ったのだ。基地を抜けて国道16号を渡りいつの間にか福生の駅へと歩いていた。基地の中には線路がなかったので「ゴン」は向かってくる電車を不思議そうにじっと眺めていたという。電車の車掌さんが気づいて急ブレーキをかけたが遅かった。その瞬間「ゴン」の足が空中高く飛んでいったのだ。踏切でその一部始終を見ていた人が血まみれになった「ゴン」を抱えて近くの動物病院へと運んだ。普通、動物病院では身寄りのない怪我を負った犬は保健所行きなのだという。けれどもお医者さんが「ゴン」を覗いた時、彼は目で「生きたい。」と、確かに訴えかけてきたのだそうだ。「よし。わかった。」とりあえず、飼い主が現れるまで病院で世話をすることになった。基地の中の姪御さんはその事実を知りながらも、もうどうすることもできなかったのだろう。飼い主が一向に現れないのを見かねて今度はその動物病院は新聞に里親募集の広告を出すことにした。こうなったことのいきさつと「ゴン」の足が一本ないことを添えて。

その新聞の記事をたまたま見たのが秋元さんだった。「ゴン」は秋元さんの元でみるみる元気になっていったそうだ。まるで最初から一緒にいるかのように二人は深い絆で結ばれた。しばらくして彼女の元に若い男女が尋ねてきた。「ゴンが元気でやっているかどうか、それだけ見に来たんです。」そう言ってそそくさと帰ろうとする二人を不審に思って問い正してみると、何とその二人は動物病院の人達だったらしく、規則では患者の動物と関わりを持ってはいけないことになっているので素性を隠していたのだそうだ。「何もいいじゃないの。そんなの気にしなくたって。さ、さ上がって。」話を聞くと「ゴン」は病院のみんなから愛され診療のない時は病院のベッドで横になり患者が来ると場所を空けて患者の様子を伺うという生活をしていたらしい。ほとぼりが冷めた頃、元の飼い主も改めて秋元さんを尋ね「ゴン」の生い立ちを話して言ったんだそうだ。初めて「ゴン」に会った頃、秋元さんはゴンの足のことを、「昔は負けん気が強くてよく電車に向かっていったのよねー。」と話していた。秋元さんの「ゴン」を愛する気持ちがそう語りたかったのだろう。

「ゴン」と「リズ」。ともに最初の飼い主から離れ秋元さんの元で同居することになった縁。人間に裏切られもし、救われもした数奇な犬生。「リズ」は三日前から散歩と食事を拒否している。今日、犬小屋ののれんをめくってそっと中を覗いて見ると、白内障でほとんど見えなくなった目をカッと見開いて「リズ」は静かに呼吸をしていた。まるで僧侶が自分の死期を悟り、自ら食を断ち瞑想に入っていくかのように、その姿はとても威厳に満ちそして美しかった。



_ 2006.11.20_>>>_ 新月

「共存」

18日に青山にあるギャラリー「共存」のウィンドウを「文水」「MARK」とともに飾った。三人でやる三度目の共存。今回の絵も今回のために描いた作品で、私は初夏の頃には絵を仕上げ、二人にその写真を送っていた。しかし一向に文水のサトウさんからの連絡がなく「いまいち乗り気じゃないのかなー?」なんて思っていたら、先月いきなりメールが来て「そうじゃなくて、ただずーっと考えていただけなんだ。遅くなってスマン。近々そっちへ行くからよろしく。」とのこと。その一言で事態は急速に動きだし、実現することとなった。

サトウさんの頭の中では、今回の素材は高尾で探せるかもしれないという思いがあって、まずは一人で下見にやって来た。私達が高尾に越してから彼がやってくるのは何と初めてのこと。去年から散々「来なよ。」と誘っていたのだがやって来ず、自分で「行こう。」と思うや否や向こうからそそくさとやって来た。「サトウマナブ」とはそういう人だ。「∀KIKOの絵もMARKの石も出来上がっているものじゃない?僕の役割っていうのはそこに植物でどうライブ感を出すか?ってことなんだけど、生かすも殺すもその最後のエッセンスにかかってるわけでそれがけっこうプレッシャーなんだぜー。」と彼。「そうそう。責任重大だよ!」とけしかける私。とは言っても文水の仕事に関しては私もMARKも全く心配などしていないし、毎回気持ち良くできるに決まっていると心底そう思っているのだ。事実一回目も二回目も見事に結果オーライだった。

でも三回目の今回は今までとは何かが違う、そう感じさせるものになった。

あの日。サトウさんとnociwと三人でアトリエを出発し森へと歩いた。私とnociwがいたせいで彼は気分がざわざわしてゆっくり落ち着いて物色できなかったかもしれないが、私は彼とnociwと一緒に自分が暮す森を歩いているということがただ嬉しかった。去年、私が頭頂にハチの洗礼を受けた天神さまでお参りをして「いいものがきっと見つかりますように。」と祈った。どんどんどんどん沢に沿って森を歩き、最後にnociwが大好きな湧き水がある広場へと辿り着いた。夕方の日射しがとても優しくて美しくて、私達はしばし山の斜面に腰を降ろして、ただボーッとその淡い光りを見つめていた。この散歩の中でサトウさんはちゃんと見つけていた。使いたいと思うものを。改めてもう一度、今度は素材をピックしに来ることにしてこの時はひとまず引き上げることにした。帰り道を歩いていると森の中からNOBUYAが車でやってきた。完成したばかりの母屋へ招いて薪ストーブの炎で飯を食った。男二人はビールがすすむ。二人ともなんだかとても嬉しそうだった。

私達は丁度十年前にサトウさんがやっていた「文水」という花屋で出会った。あの頃はしょっ中会っていた気がする。一緒に初日の出を拝みに高尾山へ登ったこともあったっけ。正月、雪の中のキャンプにも行った。沢登りをしてサトウさんが川へ落っこちたり....。でもやっぱり焚き火を囲んで過した時間が一番印象に残っている。サトウさんもNOBUYAも火が大好きだから。いつまでも火を魚にビールを飲んでいられるのだ。その後、サトウさんはお店を持つことをやめたり、私がギャラリーをオープンしたり、クローズしたり、それぞれにやるべきことをやり続けて月日が過ぎていった。昔のようにしょっちゅう会うことはなかったが、お互いに自分の信じる道をちゃんと歩いていたことだけは確かだ。だから今回のよなことが起こりえるのだから。「∀KIKOとまさか一緒にやることになるとは思いもしなかったよ。あまりにも近くにいたからさー。」彼は言った。でもね、サトウさん。この間、十年前にあなたから貰った手紙を偶然見つけたんだけどこう書いてあったよ。「いつか君とは一緒にやる時が来る。何かとてつもなく凄いことを。その時はきっと来るから覚悟してて!」

素材を運ぶ日はNOBUYAもMARKも彼の彼女のCHICOも集結した。サトウさんが選んだものたちはどれも本当に彼らしいものだった。大きく二股に別れた倒木。美しい苔で覆われた朽ちた木。そう。この森を最初に訪れた時、私も苔の豊かさに目を奪われた。MARKもしっかり苔のついた石をチョイスしている。「都会のショウウインドウの中でこの苔の美しさは一日しか持たないかもしれないけど...」サトウさんは言った。でもみんなは分かっている。このエネルギーこそが大事だということを。私とNOBUYAには知らされていなかったが、みんなはちゃっかりお弁当を持って来ていた。CHICOとサトウさんの作ったおいしいお弁当をみんなで頬張る。遊んでくれる人間がたくさんいてnociwはおおはしゃぎで広場をぐるぐると走り回っていた。

搬入当日。MARKがウインドウの中をセージで浄めてくれていた。高尾の森をその中へと少しずつ入れていく。いい香り。森の中にいる時よりも際立っているようにさえ感じる。不思議な感覚。サトウさんが必ず用意する丸いガラスの花瓶に水をはっていつものようにMARKが選んだクリスタルがそっと入れられた。覗くとたくさんの虹が見える水入りの水晶。今回はそこに苔のジュータンの上に咲いていた可憐な植物が根っこごと添えられた。土からすくう時「こいつがポイントなんだ。」と言っていたサトウさん。それはまるで水の中で水晶から芽を出した植物のようだった。おおまかな土台が出来上がって倒木に添うように絵を立て掛けていた時「ピキーン」という金属のような鋭く大きな音が鳴った。その時、中にいたのは私とサトウさんの二人。「何?今の音。」「凄かったね。」きょろきょろと辺りを見回していたサトウさんが驚いて言った。「あぁーっ!花瓶にヒビが入ってるよー。」「うわぁーっ!ホントだー。」「今まで散々乱暴に扱ってきてもびくともしなかった分厚い花瓶なのにーっ。」「.........」さっそく表へ出てMARKにそのことを話すと、実はその花瓶の横に置いていた水晶は先月のタイの旅で出会い、家でお水できれいに洗っていた時にも、急に大きな音がして石に亀裂が入り色が二つに分かれたのだという。つまり同じ現象が起こったのだ。いってみればそれは水と石との単なる科学変化なのかもしれない。でも私には何かのサインとしか受け取れなかった。何のサインかって?ふふふ。それはね。

「始まった。」ってことだよ。



_ 2006.11.05_>>>_ 満月

「チャランケ祭り」

中野で行われたチャランケ祭りに行って来た。「チャランケ」とはアイヌの言葉で「とことん話し合う」って意味で、沖縄でも「チャーランケ」って「消えんなよぉ」という意味があるそうで、アイヌ出身と沖縄出身の二人の男の出会いがきっかけで1994年に生まれ、今年で13回目を迎えるという祭りだった。Emi+Agueに誘われて私達も去年に引き続き2度目の参加となった。アイヌの人々や沖縄の人々に先祖から受け継がれてきた唄や踊りを参加者みんなで分かち合う「チャランケ祭り」。「祭りとは人が生きてゆくために、何とかかわってゆくのかを確認する場。そのことを体を動かしながら楽しく体験できたらと思っています。」とパンフレットには書かれていた。今までは1日だけの開催だったのが、今年は2日間になった。1日目はアイヌの祈り、カムイノミと交流で2日目はアイヌと沖縄の唄と踊りの共演。アイヌの祈りの儀式では祈りの後、集まった人々によって酒宴が行われて、唄や踊りが繰り広げられる。今年のチャランケ祭の1日目がカムイノミと交流になったのは、こうしたアイヌの考え方を尊重しようとの考えからだったそうだ。カムイノミでは、ここでチャランケ祭が行われることをこの地のカムイたちに告げ、北海道、樺太などふるさとを遠く離れて死んでいったアイヌ達への先祖供養が行われた。

今年は伝統的なアイヌの唄と踊りに加え、若い世代のアイヌ達で結成されたグループ「AINU REBELS」が登場した。アイヌの伝統文化を学びながら、今を生きるアイヌの新しい文化を表現していきたい。多くのアイヌが「アイヌに生まれてよかった。」と誇れる社会にしたい。そのためには、カッコよく、エネルギッシュに、そして楽しくアイヌを発信していきたい!彼らの熱い熱い思いがビシビシと伝わってきて、私もたくさん元気をもらった。彼らが作ったTシャツには「チェ・ゲバラ」がアイヌの鉢巻き「マタンプシ」をして、そう遠くない未来に起こるであろう価値観の変換を見据えていた。「AINU REBELS」のグッドバイブスにやられて私は帰りの車の中でずっと唄い続けていた。身体が自然に表現したがったのだ。

先日家賃を払いに行った時のこと。大家のおばあさんが言ってきた。「ゆうべね、人間とはいったい何なのか?という考えが浮かんできて急に眠れなくなってしまったの。」今年の正月、御主人を90才で亡くされ残された彼女は88才。65年間夫婦として連れ添ってきた。兵隊として10年間戦地へ赴き軍の上官の地位について生きて戻ってきてからは、警察官として務め、そこでも最高の位について多くの部下達に見送られ旅立っていった御主人の魂。どこも体に悪いとこもなく、前日まで元気に大好きな畑仕事をしていつもと変わらずに布団に入ってそのまま永遠の眠りについた。老衰。徳の高い人だったのだと思う。「主人がいなくなるということを正直いって死ぬまで考えたことがなかったのよ私。まだ病気がちだったり、入・退院をくり返していたりしたらそれなりに覚悟もできたんでしょうけど、本当に突然だったから。今でもテレビを観ながら、ねぇ。お父さん!と思わず話し掛けてしまうの。それでハッ!と気づくのよ。そうだ。もういないんだってね。それで人間っていったい?と考えてしまったのね。不思議よね。この年になるまでそんなこと考えたこともないのにねぇ。」と言って彼女は笑った。そして御主人のことを想う時はいつも、一緒に過した楽しかったことだけが思い出されるのだという。「だからね。経験上これだけは私にも言えるの。夫婦で楽しい時間をうんとたくさん作っとくべきだって。」「はい。わかりました!」私は答えた。御主人が私に言ってくれた言葉を思い出す。「我々軍人のような者よりも、あんたら芸術家達の方がより広く自由な視野で物事を見通しているとわしは思っとる。芸術はすばらしい。」

家に辿り着き、さっそくNOBUYAがお風呂を沸かした。1年3か月かけてほぼ完成した母屋の生活にもやっと慣れてきた今日この頃。我が家の風呂は離れにある。湯舟に浸かってガラッと古い木枠の窓を開けると、ポッカリと丸いお月さんが顔を出した。ふと目線を降ろせば、眼下に流れる川面にもその姿が映っている。ゆらゆらとゆれる月を愛でながら「あぁ。なんて自分は幸せなんだろう。」そうつくづく思った。

ありがとう。



_ 2006.10.22_>>>_ 新月

「レクイエム」

個展4日目の新月の日。ついこの前のござれ市に来てくれた「江里ちゃん」と「千登勢ちゃん」がやってきた。最初2人は廊下に飾っていた額装の絵を気に入って買おうかどうかを迷っていた。その絵は隣同士に仲良く並んでいた。2人でそれぞれに自分なりの絵の解釈をしながら盛り上がっている様子だったので、私はその場を離れて席に着いた。やがてしばらくしてふと気づくと、江里ちゃんがフライヤーにもなった二対のオオカミの絵の前で、まるで教会で礼拝しているような姿になってとめどなく涙を流していた。彼女は「何故?勝手に涙が出てきてしまう。いったい何なのこれは?」と自分でも説明のつかない状態にかなり動揺したようで「ちょっと表へ出て気持ちを落ち着かせてきます。」と言って出ていった。1Fのカフェでランチを食べて冷静になって戻ってきた彼女は言った。「この絵を買います!」と。そして千登勢ちゃんまでが、以前ひとりごとにも書いた不思議な体験で描きあげた蛇の絵を「私はこっちだったようです!」ときっぱりと言った。

実は今回の個展を私とNOBUYAはある魂に捧げていた。それは前回のひとりごとで初めて名前を挙げた犬。ホワイトシェパードの「ユタ」にである。10月7日にトージバのイベントがあり、カフェ・スローでNOBUYAがDJをやることになったのでnociwをユタのもとに預けた2日後の10月9日。激しい雨の去った後の気持ち良く晴れ上がった午後にユタは家の前で通りすがりの車に跳ねられて死んだのだ。オーナーの「つくし」と「たけし」が庭いじりをしていたつかの間のいつもの光景の中での出来事だった。ユタはまだ7才で見るからに健康そのものだったが、まるで「今日が死ぬのにはもってこいの日」だと言わんばかりのあっけない逝き方だった。

本当に深い愛情を注いでいたユタの突然の死に、悲しみ暮れるつくしとたけしにはかける言葉もなかったが、私とNOBUYAもどうしても信じられなくてしばらくの間放心状態が続いた。間もなく始まる個展を目前にしてのこのタイミングはいったい何なのか?私達がユタから受け取るメッセージとは?その時私達の中に「この個展はユタのために捧げよう。」というゆるぎない気持ちが自然に込み上げてきた。奇しくもメインの絵は二対のオオカミだった。nociwとユタがいつもじゃれあって遊んでいた姿。ホワイトシェパードの故郷はカナダ。nociwの中にはカナダのオオカミの血が流れている。2人は本当によく似ていた。ただ体が真っ白と真っ黒だっただけ。そう。あの陰陽のマークのように。

21日。来るかどうかはわからなかったが、つくしとたけしを誘ってみた。NOBUYAのDJの中でオオカミの遠吠えとたけしの作った曲をミックスした8分間があった。私とNOBUYAとつくしとたけしにしかわからない世界。でもたとえ2人が来なかったとしてもこれだけはやろうと決めていたのだとNOBUYAは言った。私は2Fのギャラリーにいてオオカミの絵から発せられるその遠吠えを聞いていた。彼はDJブースでハンチングを目深に被り、泣いていたそうだ。つくしとたけしも泣いていた。「その時、ユタが駆けて行って、もといた場所へと帰っていく姿を確かに見たんだ。ありがとう。」とたけしは言った。パブリックスペースで起こった魂の昇華。あの時いたお客さんにも無意識にそのエネルギーが伝わっていたのだと思う。本当にみんながキラキラと輝いていたから....。

その翌日に起こったオオカミの絵の前での現象。驚いたのは絵を買った江里ちゃんがなんと高尾の人だったことだ。しかも天皇が眠る墓地のそばだった。ユタとnociw は高尾の地で幾度となく走り回った。ユタの体は高尾の森に眠りこの土地の栄養になっていく。そしてその魂はすべての遍在する意識の中へと溶けていき、再び私達とひとつになったのだ。

ありがとう。ユタ。あなたに会えてよかった。



_ 2006.10.07_>>>_ 満月

「full moon magic」

カフェスローで行われたトージバのイベントでNOBUYAがDJをすることになったので、個展の下見がてら私もついて行くことにした。長丁場になるのでnociwをボーイフレンドのホワイトシェパード「ユタ」のもとに預けることにする。突然の申し出にも関わらずユタのオーナーである「つくし」と「たけし」は快く引き受けてくれた。

朝着いてみると、トージバのタカシが前日の嵐の中収穫したという枝豆が山のように積まれていた。この日のイベントのタイトルは「地大豆カフェvol.2」だったので、日本古来からの在来種の豆の本当のおいしさをみんなに知ってもらうべく、自分達で育てた豆をふるまうために用意されたものだった。カフェの中庭でみんなで輪になって座り、枝から豆をひとつひとつもいでいく。豆に着いた泥が雨の中の収穫の苦労を物語っていた。その時にNOBUYAが流していた音がまた牧歌的で、私たちはみなどこかの異国で農作業をしている仲間達のような気分になり楽しくなった。豆はきれいに洗われ茹でられておいしい枝豆になった。一部は砂糖と和えて「ずんだ」というあんになり、恒例のもちつきのあと、「ずんだもち」として配られた。これがたまらなくおいしかった。

大豆を作る農家さんやお豆腐屋さんの興味深い話が続いたあと、ホーミーと馬頭琴の眠気を誘うような心地よいライブがあった。強烈だったゲストはスウェーデンからやって来た日本人「アキコ・フリッド」さんだ。彼女はグリンピースのメンバーで10年前からずっと「遺伝子組み換え大豆」と戦い続けてきた人だった。そして最近グリーンピースから発行された「トゥルーフード」(食べていませんか?遺伝子組み換え食品)というひと目でわかる安心な商品・メーカーリストのガイドブックを引っさげての登場だった。彼女は初めて「遺伝子組み換え」という言葉を耳にした時から心に強い違和感を覚え「これは絶対によくないことだからやめさせなきゃいけない。誰かがやらなければ。じゃあ私がやる!」と決心し、そのまま真直ぐに自分の信じる道を歩き続けてきていた。私はそんな彼女のひたむきで純粋な心に強く打たれてしまった。今までグリンピースには先入観からか、あまりいいイメージを持っていなかったのだが、こうして一人の表現者として目の当たりにしてみると、「彼女もアーティストなのだ」と思えた。自分と同類。表現の仕方こそ違えど目指すところは一緒だっだ。トークのあと「アキコさん」とパートナーの「まいちゃん」と三人でしばらく話をした。初めて会ったのに異常に意気投合してしまう私達。まいちゃんが十代の頃からしているというロケットペンダントに入っている大好きな両親の写真を見せてくれたのだが、どんなに目を凝らしてみてもインドの神様にしか見えなかった。不思議な感覚。三人でハグしてみる。ぶっ跳びそうになった。(笑)

「あのぉー、個展のフライヤーくださーい」と話しかけてきた子がいた。農業と糸つむぎのワークショップをやっている「なよごん」だった。その友達の「なお」もいた。「友達から∀KIKOさんの絵を見せてもらっててずっと気になってました」初めて会う「なよごん」も「なお」も何の違和感もなくスーッと溶け込んできた。「あ、満月だーっ!」私は叫んだ。まん丸で、でっかくて、美しい月だった。「えっ、どこ、どこぉーっ」月を見るために窓辺にどやどやと集まって来た時のみんなの、くったくのない笑顔がとても印象的だった。私はこういうシーンになぜだかいつも、とてつもなく幸せを感じてしまう。「なよごん」と「なお」を誘って外に出た。大きな月はさらに輝いて見えた。突然「なお」が分厚いカバンの中から「ポイ」を取り出して舞い始めた。「何だか月を見てたらやりたくなっちゃった...」「いいよ」「うん。非常にいい」満月とポイ。とても愛おしい光景だった。「最近ちょっと気分がモヤモヤしていて、今日ここにきたらきっと答えが見つかる気がしたの」と「なお」は言った。「つまり、直感は正しいってことだよね。いつだって!」

この日は小川町で、原料となる素材からこだわって地ビールを作ってる方のビールが飲めるビアパーティーが5時からスタートしていた。そこから終了までの2時間はノンストップで音を流せたのでNOBUYAが一番楽しめた時間帯だったようだ。車で帰るから大好きなビールは昼間で終わりだったけど、ビールで気分が良くなってニコニコしているお客さんをさらに音楽の力でもっといい気分にすることができて、彼はとても幸せそうだった。確かに音楽も、枝豆も、ビールも、みんなを酔わせたけれど、あの後半の会場の中のテンションの異常な盛り上がりはぜったいに満月の仕業だったな....。

個展まであともう少し。「お月さん。見守っててね!」



_ 2006.09.22_>>>_ 新月

「キラキラ星」

近所に住むAgue+Emiファミリーと猛男+優子夫婦。そこにMark+Chikoカップルが加わってみんなでキャンプをしてきた。久々のキャンプだった。

当日の朝、今度の個展に出す新作の最後の一枚が完成した。ここのところ、ずーっと描きっぱなしでぜんぜん休んでなかったので、ほんとうに久しぶりに休日を満喫した一日だった。それも大好きな仲間達とともに。NOBUYAたちは朝から張り切って、まず市場へと出かけた。そこで大きくて新鮮な生鮭を二切れ仕入れて帰ってきたNOBUYAはとっても上機嫌だった。彼が作りたかった料理は「ちゃんちゃん焼き」北海道の漁師たちが食う鮭と野菜の味噌ごった焼きだ。「おでん」が食いたいと言ったAgueは珍しい練り物をたくさん仕入れてきた。Markたちとは現地で合流することにして、ご近所メンバー三組はいざ出発!と勢いよくいきたいところだったが、「アレを忘れた」「コレを忘れた」となかなか出発できない始末。やっとこさっとこ出発したものの、途中でみんな腹が減ってコンビニで腹ごしらえをしだしたら、今度は立ち食いしながらあれやこれやと話が盛り上がり、再び出遅れてしまった。みんな嬉しくて気分が昂揚していたのだ。優子はしっかり、普段は飲まない高級なビールを口にしてその「プレミアムな気分」に酔い知れていた。

やっと到着したもうひとつの我が家。それぞれにテントを張りテーブルを組み立て楽しむための準備に真剣に取り組む。私とNobuyaはnociwを連れてさっそく精霊の滝へ挨拶に行った。「一晩みんなが安全に心ゆくまでリラックスできますように」そして「今度の個展で来た人みんなが気持ち良い時間を過ごせますように」と。精霊の岩はにこやかに笑って迎えてくれた。それまでの雨続きで、川の水は豊かに溢れかえっていた。それなのにこの日はまるで神様から私たちへの贈り物のように、久々にすがすがしく晴れ上がった本当に気持ちいい一日になった。夕暮れ、Nobuyaが火を起こし、Agueが火の神に祈りを捧げた。ちょうどその頃Markたちが登場。Markの犬、ベスとnociwは初顔合わせとなった。家の近くよりもさらに深い森の中に来てRiwka+Kantoの子供達の目がとたんに輝きを増した。

腹ごしらえの時間がきた。「ちゃんちゃん焼き」と「おでん」は狙いどおり大盛況。Nobuyaも満足そうだった。たたでさえ外で食う物は旨く感じるものだが、そこに仲間がいて、子供がいて、犬がいる。それだけで旨さが何倍にも増してしまうから不思議だ。ひととおり腹が満たされると、今度は焚き火を囲んで思い思いの時間を過す。自然に色んな楽器が揃って、それぞれが自由に音を奏で始めた。舞台の袖から猛男がギターを持って登場。みんなのリクエストに答えて唄い出す猛男の横でいい塩梅に出来上がった優子が踊り出した。一同笑いの渦。Emiの先導でアイヌの唄「ウコーク」をみんなで唄った。ウコークとは輪唱のことで私はこのウコークが大好きなのだが、順を追って唄っていくことによって生まれるグルーブ感がたまらなく心地良くてトランス気分になる。しかも人数がこれだけ揃ったらどうなるのか?そう考えただけでワクワクしてぜひやってみたかったのだ。私はみんなで唄うことができたことがとても嬉しかった。火の神様も笑っていた。空には満天の星。子供達と寝そべって星を見ながら「キラキラ星」を合唱した。たまらなく幸せな気分になった。「あーっ。オレ今でっかい流れ星見たーっ!」とAgueが子供の顔になって言った。眠るのがもったいない、そんな素敵な夜だった。

翌日も晴天に恵まれた。優子は夕べ話していた通り、川に冷やしていた白ワインを開け朝日とともに口にしていた。「特別な朝」だ。Nobuyaが再び火を起こす。煮詰まった二日目のおでんの味はやはり最高だった。みんな我慢して取っておいた卵を旨そうに頬ばる。フリスビーをするベス。気に入った草の茂みで寝転がるnociw。「大きな栗の木の下で」を振り付きで唄っているRiwkaとKanto。バトミントンに興じるカップル。ギターを手に唄い出す夫婦。みんなてんでバラバラに遊びの続きを楽しんでお開きの時間がやってきた。「道の駅」で昼飯を食べて温泉に入り、湧き水を汲んで解散となった。といっても道の途中で別れて行ったのはMarkたちだけで、あとの三組は最後まで一緒だったのがなんともおかしかった。普通は友達とキャンプに行って帰ってくると、ちょっぴり淋しい気分になるものだが、それがまったくないのだ。「近すぎるよね。うちら」と言いながら最後に猛男と優子と一応ハグを交わし我が家へと戻った。いつもと同じ一日なのにそれ以上に時間がたっぷりと与えられたような、そんな魔法の一日だった。

みんなありがとう。愛してるぜ!



_ 2006.09.07_>>>_ 満月

「dream story」

MARKがアトリエに来て話をしてたら、夢の話しになった。寝ている時の方の。

そう。私は夢を見る。とても不思議な夢を。だから「パッ」と目が覚めた時は、それが何時であっても起きて今見ていた夢をノートに書き留めることにしている。絵と一緒に。朝、起きた時に書けばいいやと思って寝てしまうと、思い出せないことが多いからだ。それが悔しくて、どうせなら記録しとこうと思って始めたのがこの夢日記だった。かれこれちょうど10年になる。普通の日記はこんなに続いたためしはない。毎日書かなきゃとなるとめんどうで三日坊主になってしまうが、夢日記は夢を見た時だけでいいから続けられた。それも「象徴的な夢」を見た時だけと決めているのでもっと楽だ。でもその時は、興奮して一気に書きなぐるのだが、それ以後ノートを見ることはめったにないし、何年も前に見た夢のことなんかはだいたい忘れてしまっている。だから今回たまたまページをめくってみて「へぇーこんな夢見てたんだー。」と、単純に興味をそそられた。まるで初めて知るお話を読んでいるような気分になってとてもおもしろかったのだ。そんな中でも読み返してみてその時の記憶が鮮明に蘇る夢もあった。

1997年6月13日金曜日。nobuyaと夫婦になった日の夜に見た夢。

真っ白な部屋。親戚一同が皆白い衣装を着て私達の結婚パーティーに集まっている。と、nobuyaのお兄さんが突然、部屋のまん中に歩いてきて大の字のまま、うつ伏せに「バタン!」と倒れた。全員が中央に注目する。すると真っ白なスーツの丁度お尻のあたりから真っ赤な鮮血が流れ出し、床に「寿」という見事な大文字を描いた。

私は夢の中で真っ赤な寿がプルプルと躍動している様を見て「あぁ。私達の結婚は天に祝福されている。」と直感し道は正しかったのだと悟った。そして翌朝目覚めると、私達は余市から妹夫婦と車で夕張方面へとあてどもないドライブに出かけた。田舎道を走ってる時、急に喉が渇いてきた。でも自動販売機が見当たらない。コンビニもない。どこかにお店があったらそこで飲み物を買おうと決める。しばらく走るとやっと一軒、商店らしきものが見えてきた。車を止め外に出て店を見上げ仰天した。真っ白に塗られた壁の上に真っ赤な文字ででっかく「寿」と書いてあったのだ。そこは「スーパー寿」だった。私は一人鳥肌を立たせながら「ありがとうございます。」と手を合わせた。そしてこれは余談だが、nobuyaにその夢を話すと「えぇっ!その通りだ!実は今、兄ちゃん痔なんだよ!」と驚いていた。確かに「寿」と「痔」ってよく似ている。だからお兄ちゃんは体を張った大役に抜てきされたにちがいない.......。(笑)

そして私の夢物語りは続く。



_ 2006.08.23_>>>_ 新月

「return to the earth」

まんなかへ どんどんすすむ

そこは そと
そこは なか

それは あなた
それは わたし

まんなかへ どんどんすすむ

そこは うみ
そこは そら

それは あなた
それは わたし

うれしい時も かなしい時も
おだやかな時も はげしい時も

いつだって つながれる場所

自分自身のまんなかへ

母なる地球の まんなかへ



_ 2006.08.09_>>>_ 満月

「beyond the infinity」

蛇を葬った。

蛇を葬ったのはこれが二度目だ。一度目は高尾の森をnociwと二人で散歩していた時。今回は山梨の昔よく通っていた森に通じる道の途中だった。毒のなさそうな縦じまの入った大きな蛇だった。めったに車が通らない道ではあるが、そのまま通り過ぎることがどうしてもできなくて土に埋めようと思ったのだ。まだ死んで間もないようで体温も残っていた。最初しっぽを片手で持つと、くねくねと蛇が生きている時のような動きをした。「なるほどこれが蛇腹の仕組みか。」と妙に関心する。土を掘って埋める準備が整うと、今度は両手で抱きかかえて、しっぽの方からじょじょにとぐろを巻いていき、最後に頭をちょこんとその上にのせると威厳に満ちた蛇の姿になった。「うん。これがふさわしい。」土をかぶせ、塩と米と酒を供えセージを焚き、フルートを奏で、手を合わせた。そうすると気持ちがとてもスーッとした。

この日、久しぶりに昔なじみの森を訪れたのは、私達が「精霊の滝」と呼ぶ場所へ行くためだった。前日にNOBUYAがnociwと森を散歩していた時、いつものように川べりで小石を投げるのをジャンプしてキャッチするというnociwの大好きな遊びをしていて、過って石が目に当り、片方がつぶったままになってしまったのだ。病院へ行くという方法もあったが、それよりもエネルギーの高い場所に身を置いて、自身の自己治癒力で癒すという方が今回の場合は自然だろうということで私達の意見は一致した。nociwに備わる野生の力を信じることにしたのだ。私達は滝の前に自然に設えられた石の祭壇のもとに腰掛け、今日来た理由を述べ祈った。全身すっぽりと滝に入り身を清めると、とてもすがすがしい気分になり心が洗われた。ひょっこり顔を出したこの滝の住人であるヒキガエルにもちゃんと挨拶をした。何度かここを訪れているnociwも気持ちよさそうにもう片方の目もつぶってほとばしる水の力を感じていた。蛇に会ったのはそのあとだった。

蛇は龍と同じく水の神とされている。もともとは田畑や川の神であった弁財天と同一とされることも多い。水は命の源だからそれだけ人々にとっても昔から重要な存在だったのだ。私達の故郷「余市」はアイヌ語で「蛇がたくさん棲むところ」という意味を持つということを知った時、とても納得できたし嬉しかった。今まで自分が経験してきたことが一本の糸で繋がった気がしたからだ。そして今、私は十月の個展に向けて製作の真只中なのだが、今回のことは、まさに次は「蛇」を描こう!と直感で決めていた矢先の出来事だった。私は蛇の屍を抱きかかえながら、不謹慎にもその体をくまなく観察し「ホーッ!」と感動の声を漏らしてしまった。それはあまりにも美しかったから。「ほんとうにこの世界はうまいことできているな。」とつくづく思う今日この頃。人間も動物も自然も姿は違えどみんなひとつ。みんなどこかで互いにつながっているのだ。そしてその安心感が私という一人の人間を幸せにしてくれているというのもまた事実。この感覚を味わったあとには、とにかく「ありがとう。」と言いたくなってしまう。誰に?そう、私を含めたひとつの存在に。

次の日。nociwの目に再び光が戻ってきた。



_ 2006.07.25_>>>_ 新月

「江ノ島弁財天」

登山家の由美子のファミリーとともに江ノ島参りに行ってきた。この場所には2004年以来、毎年参拝に訪れている。初めて行ったきっかけは、ここの裸弁財天が夢にでてきたからで、去年と一昨年は一人で参拝したが今年は初めてNOBUYA+nociwも含めてみんなでお参りする運びとなった。ここはカップルで参拝すると別れるというジンクスがあるので夫婦別々のw参拝にしたのである。いつも「NOBUYAも来たらいいのにな。」と思っていた私は嬉しかった。しかもnociwも一緒なのだ。「今年は今までとはまたひとつ何かが大きく変わる年なんだなぁ。」そんなことを感じながら入口の大きな鳥居をくぐると、すぐ左にある「えびすや旅館」が目に止まった。私はとても懐かしい気分になった。最初にここを訪れた時に味わったあの奇妙な体験を思い出したのだ。

弁財天の夢を見た日。ギャラリーnociwで雑誌の取材を受けてからそのまま江ノ島に向うと、辺りはもう薄暗く初めて来た私にはどっちへ行けばいいのかさっぱりわからなかった。すると、立ち往生している私の前を若いカップルが通り過ぎようとしてこちらをちらっと見て止まり「あのぉ。どちらへ行かれるんですか?」と声を掛けてきた。「江ノ島神社です。」と私。「実は僕たちもこれから向うとこなんです。よかったら一緒にどうです?」カップルの邪魔をするようで悪いなとは思いながらもついて行った私は彼らと一緒に参拝することになった。

江ノ島はこの小さな島自体が御神体で、前、中、奥と弁財天社だけでも三つある。この時は一番手前でお参りした時点ですっかり暗くなってしまった。せっかく来たのにこんな触り程度で帰りたくはないなと思った私は急きょ「今日はどこかの宿で一泊して、明日の朝もう一度出直そう。」そう心に決めた。石段を降りながらカップルにそのことを告げると「実は僕達すぐそこのえびすや旅館に宿を取ってあるんです。どうせだったらそこの旅館で部屋を取ったらどうですか?」と言ってきた。「そうだね。近いしいいや。」と思った私は二人に連れられて旅館の門をくぐった。フロントで一人部屋の空きはあるかと聞いてみると「恐れ入りますが当旅館では当日の受け付けは致しておりませんし、あいにくお部屋も空いておりません。」と丁寧に断わられてしまった。「仕方ないや。他を当たろう。」そう思い「わかりました。」と言って帰ろうとした私を遮って二人は何と「僕達の部屋に彼女を泊めることはできませんか?どうかお願いします。」そう言ったのである。私の頭の中は?でいっぱいになった。「変じゃない?このカップル!」受け付けの女性も心とは裏腹に冷静を装って「そういうことでしたら特別にお泊めしてもいいでしょう。ただし一名様は正規の料金を頂きますし、本日お食事の用意はできません。それでもよろしければ。」と付け加えた。「食事は僕達のを三人で分ければいいよね。二人分でも多分豪華な食事だろうから十分足りるだろうし。」「ぜひぜひ。そうしてください!」仲居さんの後について部屋に通された我ら三人。どういうわけだか初めて会った見ず知らずのまだ名前も聞いていないカップルと一夜を共にすることになってしまったのである。

ひと段落して、まずは彼女と一緒にお風呂に行った。彼は七つ年下で二人ともアパレル業界。デパートのそれぞれ違うショップで働いていて休憩室が一緒なのでそこで知り合い意気投合したというようなことを、彼女はとつとつと私に話して聞かせた。彼はとても優しくて少年のような心を持った人だと。部屋に戻るとテーブルいっぱいに本当に豪華な御馳走が並んでいた。「遠慮なくバクバク食べてくださいね。僕らだけじゃ食べ切れないから。」「そう。私けっこう食べられないもの多いんです。」「なんていい奴らなんだろう!」私は心から感動した。そして初めて会ったとは思えないくらい大笑いしながら家族みたいに食事をつつきあった。私が絵を描いていると言うと、彼の方が特に興味を示し、実は自分もアートが好きで本当はそっちの道に行きたいのだと言った。食事が下げられ、今度は仲居さんが布団を引きにきた。「あのぉ。お布団はどのようにお引きしたらよろしいでしょうか?」「川の字に並べちゃってください。」と彼。布団が引かれた後二人は散歩に行ってくると言って出ていった。私も誘われたのだが断ったのだ。ひとりになって改めて川の字に並んだ布団を見下ろし、不思議な感覚に襲われた。「二人が泊まるためにわざわざ取った宿の部屋で、なんで私が川の字なの?」そして無い智恵を絞ってここはとっとと早く寝るべきだと思い、一枚を端っこに引っ張って壁にくっつけ二人との間隔をあけ布団に潜り込んた。けれども、寝れっこなかった。妙な緊張感が全身を走って全然眠くないのである。布団の中でジタバタする私。

と、そのうちに二人が帰ってきてしまった。「あれっ。もう寝ちゃったみたい。」「そっかぁー。じゃあ飲む?」「う、うん。」冷蔵庫を開けて瓶ビールを取り出す音。「乾杯!」聞きたくなくても聞こえてきてしまう声。その音をざっと整理すると、どうりで二人は訳ありだった。彼女には結婚を控えた同棲中の彼がいて、この日は友達と旅行に行ってくると言って出てきたのだ。彼はそのことに少し後ろめたさを感じていた。本当に自分とのことが本気ならまず同棲中の彼にそのことを伝えるべきで、自分とはその後だと言う彼。同棲中の彼の悪口をいう彼女。「ようするにこれって、あのマリッジブルーってやつ???」布団の中で出るに出られず悶々とする私。かなり酔ってきた彼女。二本目が空く。彼がふと言った。「今日∀KIKOさんに会って思ったんだ。また絵を描きたいなって。」「ギクッ!」「出会えて本当によかったよ。」「クソーッ。泣かせるじゃないかーっ。」そして三本目が空いたころ、「すっかり空も明るくなってきちゃったね。もう寝ようか。」となったのである。「ふーっ。やっと寝るかー。」と胸を撫で下ろしたのもつかの間、今度は彼女が大胆にも彼に迫っている様子なのだ。最初は拒んでいた彼もやはり男。しかも若い。酔っていたということもあり、まんざらでもなさげな状態になってきた。その時、私の心の中には「人間とは何か?」という問いかけの言葉が浮かんだ。そして、ある若者の現実というものをこうして垣間見ている自分の状況を思った。「弁財天は何故、今日夢に現われこの場所へ自分を導いたのだろうか。...」さて、今にも何かが起こりそうな気配は進行している。でも私にはそれを黙って聞いている趣味は毛頭ないし、第一この状態にはもう耐えられないというところまできていた。そこで私のとった策は.....

おもむろにガバッと起き上がり「あーのど渇いたーっ。」と言って堂々と水を飲みに行ったのである。二人はといえば、まるで何ごともなかったかのようにそれぞれの寝床に素早く戻り、「グーグー」といびきまでかいてぐっすり眠っていましたとさ。

おしまい。



_ 2006.07.11_>>>_ 満月

「水行」

暑い。北の旅から戻ってきてみたら東京は真夏だった。それにこの蒸し暑さといったら...。でもここは東京のはずれの山の麓なので都心に比べたらまだましな方だ。現に家にはクーラーも扇風機もない。先日用があって新宿の街を歩いたら、その暑さと息苦しさで胸が詰まりそうになった。頭の中がクラクラして足下がおぼつかない。まるでパニック状態のようになってしまったのである。自分でも驚きだった。東京生活も長いというのに何たること!情けない。たぶん山に引っ越してきて、すっかり体がこっちに馴染んでしまったからなのだろう。それでも山は山なりに暑い。そんな日々の暑さしのぎに今私達がハマっていること。それは水行だ。

水行といっても単に素っ裸になって川に入り身を浄めるだけのことなのだが、これがたまらなく気持ちがいいのである。夏といっても川の水は冷たい。が、その冷たさを我慢してエィッと肩まで入り、更に頭まですっぽりと入って目をあける。するとそこには川底のクールな世界が広がっているのだ。一旦入ってしまえばこっちのもので、あとは体がしびれて我慢できなくなるまでいればよい。流れの急な箇所に頭を突っ込み「あああああああ」と声の出るままに任せるのもいいだろう。そうして陸に上がってみると、もうそこは別天地だ。体が冷えに冷え、あまりの爽快感に笑いが止まらなくなる。吹く風の心地よさに気持ちがどんどん和らいでいく。これを毎日続けていると、どんなことがあっても、この水行ですべてがリセットされることに私達は気づいた。体だけでなく心もクールダウンさせてくれていたのだ。水って不思議だな。

神妙な面持ちで川に入る私達とはいつも距離をおいて、nociwも当たり前のように川に入って水と戯れている。きっと「人間っておもしろい生き物!」と思っているんだろうな。川に入るにも「あーだ。こーだ。」と大袈裟になっちゃって。nociwはいいよな。服も靴も脱がなくていいから面倒がなくてさ。あ、でも毛皮を年中着てるから夏はしんどいんだね。お気の毒に...。だから今日も行くぞ!クールダウン。クールダウン。

すべてを水に流すために。



_ 2006.06.26_>>>_ 新月

「浄化の旅」

富士山での平和の祈りWPPDを終えたあと、そのまま北を目指して旅に出た。NOBUYAとnociwと3人でポンコツ車での3500キロの旅。夏至の日に集まった人々とひとつの輪になり祈りを捧げ、その思いを胸に私達の故郷である「北海道」へと向った。飛行機ではあっという間に着いてしまう、ふるさとの遠さをゆっくり時間をかけて味わってみたい。気になった所でキャンプをして温泉に入り、体と心を癒しながら。何より愛するnociwに私達が生まれ育った大地を見せたいという思いもあった。WPPDに集った仲間たち。MARKとAgue+りうか、たえこ、かっちゃん+ちえちゃん、JUNE+しょうちゃんに別れを告げいざ旅立った。まずは青森へ。青森にはnociwの姉妹「セロン」がいる。5匹生まれた子犬の中で唯一真っ白に生まれたセロン。とても繊細で美しいセロン。3月7日の子犬たちの誕生会に、彼らの故里で初めて会ったセロンの飼い主の「たかしさん」と「やよいちゃん」が北海道へ行く時には、行きも帰りも是非寄ってってね!という言葉をかけてくれたことを間に受けて、まずは彼らのところへと向った。二日前に突然電話したにも関わらず二人は快く私達を迎えてくれた。

久しぶりに再会したセロンとnociwは、最初牽制し合ってたもののすぐに仲良くなり、まだ親元で共にじゃれあって遊んでいた頃に戻っていつまでも夢中になってプロレスをしていた。そんな彼らの姿を微笑ましく見守りながら人間たちも再会を喜び合った。次の日はみんなでキャンプをして、あくる朝船で海を渡ることに。翌日、まずは恐山へ。日本三大霊山のひとつとされる恐山には一度訪れてみたかった。辿り着いたとたん、何ともいえない空気が全身を覆った。それは怖いとかそういうものではなく、お腹のあたりにどっしりとした感覚を味わうものだった。私達は三途の川を渡り、様々な地獄をくぐり抜け、極楽へと辿り着いた。そこは本当に美しく、まるで沖縄かどこかの南の島の白浜のビーチにいるかのようだった。映画「コンタクト」で娘が死んだ父親と宇宙で再会する場面を思い出した。この日のキャンプは恐山から程近い海辺の岩浜だった。地元では海で命を落とした人が亡骸となって辿り着く場所とも言われているらしく、ここでキャンプをする人間はそう多くはいないそうだ。案の定そこは私達だけの貸しきりの海となった。岩の上の森には熊も棲むらしいがセロンとnociwがいることで怖くはなかった。浜辺へ降りる途中、大きな岩を御神体として祭る祠を見つけた。

WPPDの北山耕平さんのトークの中で、神社やお寺以前に古代の人々が信仰していたものは、山や大きな岩であったという話しがあった。私もそうであったろうと思う。美しい山や巨大な岩を見ると理屈抜きで畏敬の念に打たれてしまう。滝もしかり。そして日本でそういった信仰に出会えるのは東北が多いと北山さんは言っていた。その話を聞いた時、私達の北へと向う旅の意味がおぼろげながら見えてきたような気がした。これは「浄化の旅」なのだと。

海に着くと、みんなで薪集めにとりかかった。二匹のオオカミ犬はさっそく試合開始。ある程度の流木が集まってNOBUYAが火を起こす準備を始めた。火が降りてきて器にお酒を注ぎ火の神への祈りを捧げると、それまで遊んでいた二匹が火を挟んで対角線上に座り事の次第を見守り始めた。まるでこま犬のように。白と黒の獣が炎に映えて、気持ちが正しくなる瞬間だった。その夜は落っこちてきそうな満天の星の中、火を囲み「お互いまだ出会って二度目とはとても思えないね」と言って笑い合った。これが縁なんだねと。

翌日。下北半島の先端でいい温泉に入ったあと、北海道へと海を渡った。私達の故郷「余市」へ向う前に途中気になった場所でキャンプをすることに。しばらく道を走っていると「ピリカ」という土地に出くわした。私達はピンときた。なぜならNOBUYAがかつてやっていた美容室の名前が「PIRIKA」だったからである。ピリカはアイヌ語で「美しい」とか「可愛い」という意味。ひとまず温泉に入ってから、テントを張れる場所を探すことにした。言葉のとおりそこには美しい川が流れていたので、私達はその側で一夜を過すことにした。薪になりそうな木が見当たらなかったので、焚き火はせずにセージを焚いて場を清め、塩を供えインディアンフルートを吹き「今晩無事に過させてください」と祈った。すると川の方から唄が聞こえてきた。久しぶりに聞く精霊の唄だった。しかも私の吹くフルートの音色を真似て唄っている。NOBUYAもすぐに感じ取り、再びセージに火をつけ円を描き始めた。だんだんと声が大きくなる。と、nociwがいきなり車に飛び乗り体を丸くした。超敏感な彼女には初めての感覚だったのかもしれない。火のない夜もまたいいものだと思った。近くの岩に「熊の滑り台」と書かれた標識があったことを思い出すまでは...。

家を出発して五日目に故郷に着いた。お互いの先祖の墓参りを済ませ、気持ちがすっきりする。今回の旅のひとつの目的を果たし、私達は安堵感に包まれた。ここが折り返し地点。翌日には再び我が家を目指し旅に出るのだ。途中北海道でもう一泊キャンプをすることにした。私の妹「フミ」とダンナの「ヒロさん」も一緒に行ってくれることになった。キャンプ場へ向かう道すがらヒロさんが「歌才」という土地にあるブナの原生林を案内してくれた。nociwがいきなりはしゃぎ出す。やっぱり野生が好きなんだな。結構雨が降っていたが、雨の森もまた一段と美しく力強かった。私達は初めてブナを見るようにその逞しさに圧倒されてしまった。そして互いに顔を見合わせ思った。「そうだ。白神にいこう」と。キャンプ場に辿り着いた頃には雨も上がっていた。しかも、またもや私達だけの貸し切り。それはnociwにとっても嬉しいこと。思う存分自由に走り回れるから。この時も美しく、シャンティな夜だった。私達はいつまでも火を見つめ続けた。ヒロさんはこの灰をビブーティだと言った。

あくる日。函館を目指し船に乗り気付くと再び私達は青森にいた。四日前、海岸でキャンプをした時にセロンのえさ皿を間違って持ってきてしまい結局、たかしさん+やよいちゃんの家に立ち寄ることになった。「きっとまたセロンとnociwが会えるように神様がえさ皿をそっと忍ばせてくれたんだね」と二人とも喜んで歓迎してくれた。二人がこの地に住んでいてくれたことに心から感謝する。翌日、白神を目指して出発したのだが途中、八甲田山を通った時に、あまりにもいい所だったので温泉に入ることにした。その温泉がまたとっても良かったので本当は白神でキャンプをする予定だったが、ここでキャンプをしよう!ということになった。時間ができたので三内丸山遺跡を見に行くことにした。縄文の頃の生活に思いを馳せながら歩く遺跡は本当に興味深かった。子供たちだけを埋葬する墓から壷に入った骨とともに、握りこぶし大の石が二個から三個出てきたというくだりが何故だかとても気になった。復元された縄文のティピーのような家の中に入るとなんだかとても落ち着いて、時の経つのも忘れてしまいそうだった。一日中でもいたかったが、明るい内に八甲田山に帰ってテントを張らなくちゃと思いその場をあとにした。ここは勝手に張るにはちょっと緊張する場所だったので私達はキャンプ場を探した。中学生の頃、修学旅行で八甲田山の麓の古い宿に泊まった時、渡り廊下を昔の兵隊さんがぞろぞろ歩いていく姿を見たことがあったからだ。キャンプ場の受け付けに行くと「お宅さまが本日、最初で最後のお客様でございます」と言われ、またしても貸しきりだった。nociwを見ると「当然よ!」と言わんばかり我がもの顔をしている。これまた眼下に広がる日本海に黄金色の夕日が沈み、信じられないくらい美しかった。私達は旅も終盤に差し掛かったことを知り、「美しいものをたくさん見せてもらった旅だったね」とその夕日をしみじみと眺めていた。その晩もいい夜で三人で小さな山に登り散歩をした。初々しい新月がひょっこり顔を出し、流れ星が落ちていった。

晴天の朝を迎え白神へと旅立つ。たかしさんが言っていた。「世界遺産に登録される前は白神は大好きな所だったけれど、今はガードが厳しくなっちゃって核心に触れられないから足が向かない」と。確かに行ってみて分かった。いわゆる観光化されている所ではやたらと人が多くてnociwを連れて遊歩道を歩こうとしたら「ダメダメ!犬は立ち入り禁止。動物は自然を荒らすから!」とオヤジに言われたのだ。「ちょっと待った!自然を唯一荒らしているのが人間なんじゃなくて?」と喉元まで出かかったが、そこはぐっと押さえてもっと人のいない場所を探すことにした。私達は人間を見にきたのではなくブナを見に来たのだ。「もっと上に行ってみよう。上なら人間も面倒くさがって多くは登ってこないだろうから」とNOBUYAが言ったので、私達は車で山に登り、途中「林道につき立ち入り禁止」という札の下がった道の前に車を止め、歩いて白神の懐へと入ってみた。するとなんとそこはとても美しく、穏やかでピュアなバイブレーションに満ちていた。nociwが最もそのことを感じていたに違いない。この旅で初めて自ら姿を消したのだ。吸い込まれるように豊かなブナの森の中に。私達も思いっきり息を吸い込んで原生林のエネルギーを味わった。ブナの樹は雨水を多量に貯めるシステムを体内に持っていることから「マザーツリー」と呼ばれているらしい。私達はマザーツリーに抱きついてここまで呼んでくれたことのお礼を言った。どっしりとしていて本当にお母さんのような樹だった。この白神に「黒熊の滝」というのがあることを知り行ってみることにした。でこぼこの山道をドンドン車で走って更に奥へと歩いていったところにその滝は現われた。本当に黒熊が立ち上がって雄叫びを上げている姿をしていて今にも歩き出しそうな滝だった。思わず手を合わせ祈る。当然ここにも熊はいるだろうな。滝の手前に大きな石を三つ祭った祠を見つけた。

11日振りに我が家へと帰ってみるとWPPDのきさらさんからメールが届いていた。あの夏至の日なんと山中湖に熊が来ていたんだそうだ。前日、NOBUYAとMARKと三人でまだ人気のないキャンプ場から歩いて道路を渡って山中湖に行き、しばらく水面を見て佇んでいたことを思い出した。当日やってきたAgueは「イナウ」といってアイヌが使う柳の木を削った御幣のようなものを作って持ってきてくれた。アート展示をすることになっていた私の絵の側に飾ってくれと言って。妻のEmiがOKIとともにフランス公演に行ってしまったので、Emiのいとこのアイヌのたえこが、彼らの娘りうかの子守り役として一緒に来ていた。全てのセレモニーが終わったあと、参加者全員が手渡されたセージを一人一人サークルの中心に降りた聖なる火の中へ祈りとともにくべていった。私達は火起こし人の許可を得てこのイナウを最後にくべさせてもらうことにした。Agueが司るアイヌ式の祈りに乗って火の神とアイヌにとって最も重要とされる熊の神に祈りを捧げたのである



_ 2006.06.11_>>>_ 満月

「WPPD」

夏至に富士山で開催されるイベント「World Peace & Prayer Day」のフライヤーのARTWORKをやった。色んな縁が繋がって実現したことだった。

あれは2003年。ギャラリー「nociw」がまだ溝ノ口にあった時、「きさらさん」という一人の女性がnociwに現われた。会うなり彼女は初対面の私に向って、今度ネイティブの知恵を分かち合うためのイベントが開催されることになって自分はその実行委員に選ばれてしまったのだと言った。それまでネイティブについては、全くというほど知らなかったので急にそんなことになって戸惑っていると。しかしその宣告の時に「あなたにはできる。あなたはネイティブの知恵を広める掛け橋になる人だから...。」と言われ、とても不思議な気分になったのだそうだ。そして彼女は「∀KIKOさん。あなたとお会いしたことも偶然ではないような気がします。いつかご一緒することになるのかもしれませんね。∀KIKOさんの今日の服装もなんだかその事を予期してるみたい。」と言った。自分の姿を見下ろしてみると、全身が「赤・白・黒・黄」の4色でコーディネイトされていた。この日は何故かそんな気分だったのである......。

そんな出来事もすっかり忘れていた2004年の1月31日の私の誕生日。「アリエルダイナー」で開催していた個展の最終日でもあったので、ちょっと早めにアリエルに着いてみると、いつもとは違った凄い熱気で店内がごった返していた。お店の子にいったいなんの騒ぎなのか聞いてみると「WPPDの第1回目のミーティングだそうです。」とのこと。「WPPDって?」「えっと。ワールドピースなんとかっていう...。」話を聞いていると、「∀KIKOさん。お久しぶり!」と背後から声を掛けられた。きさらさんだった。「これがあの時話してたイベントの.....。」「そうなの。私もビックリして。来てみたら∀KIKOさんの絵に迎えられて、まさかこの日に再会できるなんて思ってもみなかったから嬉しい!時間があったら是非来て下さいね。」と言われた。「へぇー。そーだったのかー。」と思い、いったいどんな連中が集まってるんだろうと店内を見回してみると、1人の男と目があった。「candle JUNE」だった。JUNEともかなり久しぶりの再会だった。「せっかくだからご飯でも一緒にどうですか?」と誘われ席に着いた。「2人でこんなにゆっくり話しをするのも出会った頃以来だね。何年ぶりだろう?」「はい。自分も久しぶりに∀KIKOさんの画集3册をまじまじと今日、改めて見直してしまいました。」なんて話しているうちに「今度一緒にコラボレーションしよう!」ということになり、実現したのが2005年の「kunne poru」となったのだった。この時、偶然会っていなければありえなかったことかもしれない。

第1回目のWPPDは物凄い雨だった。私はたまたまこの日は生理で、生理中の女性だけで作る輪「ムーンサークル」の中にいた。ムーンサークルだけは屋内で行われ、その輪の中心にいたネイティブの女性は「私達の輪から外で濡れながら輪を作っている人々にパワーを送ります。そして外で輪を作る人達はさらにその外側へとどんどんどんどん祈りの輪を広げていくのです。」と言った。当たり前だけど、その空間にいたのは全員女性で、私は女性のエネルギーというものを、初めて客観的に感じられた気がした。それはとても「あたたかくて愛に溢れている。」という印象だった。ひとたび外へ出てみると、人々はずぶ濡れになりながら輪となって大地に佇んでいた。もう霧で顔も見えないが個々がひとつの存在としてそこに立っているという感じを受けた。「人間てなんて美しいんだろ。」そう思えた瞬間だった。

あれから2年。きさらさんから今年のWPPDのフライヤーに私の絵を使わせて欲しいとの依頼があった。第1回目の開催では様々な反省点もあったらしく、昨年は身内のみで行い、今年は公にはするが、もっと規模の小さなものにして、その代わり質を高めていこうということになったらしい。テーマは「祈りのかたち」。デザインを担当するドリス(彼女とも縁があって再び繋がったのだが...)からは「今存在する絵の中から∀KIKOにインスピレーションで選んでもらうことが大きな鍵になる気がします。」と言われ、受話器を切ったとたん、すぐに一枚の絵が浮かんできたのでその絵をさっそく送ったのだった。物事が動く時、そこに関わる全ての存在の、どんな微細なエネルギーでさえ、互いに影響を与え合うことになる。「自分に正直であるか?」それは私という人間の生き方の基準。じゃあ私にとっての「祈りのかたち」とは?

それは毎日の生活。ライフスタイルそのものでありたいな。



_ 2006.05.27_>>>_ 新月

「WOLF」

二頭の森林オオカミに会ってきた。動物園での話だが...。

我が家には「nociw」というオオカミ犬がいる。一緒に暮していて彼女の中に流れる野生の血を意識せずにいられる日はない。「オオカミの血が入っている。」と知り、私が意識し過ぎているのかもしれないが、色んな場面でnociwは「オオカミの顔」を垣間見せる。茂みの中に獲物を見つけて両方の前足で同時に飛びかかる仕種。垂直に高く飛ぶ図場抜けたジャンプ力。ついこの間までは土を掘って掘って掘りまくってモグラを引っ張り出す遊びに熱中していた。そしてここにきて最近、森に入っている時に、度々私達の前から姿を消すようになった。初めての時は正直焦った。何者かが森の中で動くのを見つけ、凄い勢いで追い掛けて行ってしまったのだ。今までもキジやテンやサルなどを追って走っていったが、呼べばすぐに戻って来た。なのにいきなり私達のことなど忘れてしまったかのように、どんどんどんどん山の中へと入って行くようになったのである。私は名前を呼び続けた。「ひょっとしてこのままいなくなってしまったらどうしよう?」「まさか!そんなバカな!」泣きそうになりながら名前を呼び続けていたら15分程経ってnociwは自分から戻ってきた。息を以上に切らしながら申し訳なさそうな顔をして...。

「きっと自信がついてきたんだね。」「大人になった証拠だよ。」私達は話し合った。「でも自分から戻ってきてくれて本当に良かった。」「うん。そうだね。」これからもこういうことが起こっていくという前兆だと思ったが、私達はnociwを信じることにした。今日もnobuyaが一人でnociwを連れて散歩に行った時、野ウサギを見つけて後を追い掛けていってしまったそうだ。その時今まで見た事もないくらいおもしろい跳び方をしたらしい。それはウサギと格好もテンポもまったく一緒の跳び方だったという。そのままウサギと一緒にぴょんぴょんと森へ消えたが今回も15分くらいで戻ってきたそうだ。nobuyaはその間倒木に腰掛けてゆっくりとパイプをくゆらしていたんだとか。動物園の二頭のオオカミは体はnociwの3倍くらいあったけど、仕種や顔はとてもnociwによく似ていた。優しくて賢こそうな澄んだ目も。「散歩はしてるのかな?」「二人にこの空間は狭すぎるよなぁ。」「でも今日二人に会えてよかった。」色んな思いが胸をよぎった....。

10月19日から23日まで「カフェ・スロー」にて私の個展「RED DATA ANIMALS 002」をやることが決定した。nociwが来てからというもの私の世界は加速的に変化した。彼女がいることで自然と自分との距離が縮まり、他の生き物に対しても新しい発見をするようになったのだ。「RED DATA ANIMALS」このテーマは私のライフワークの一つでもあるが、前回とはまた違った感覚で絵に集中することができる気がしている。たとえ絶滅危惧種に直接は会いに行けなくても獣としてのnociwの存在が私を強力にサポートしてくれるようだ。そのために彼女が私の元へやってきてくれたことを知り心から感謝する。

雨の動物園は私達以外お客さんは誰もいなかった。ただ獣達の匂いがそこらじゅうに漂っていただけ。檻に入っているのは実は私達の方で向こうからこっちを見られているような気さえした。閉園間近になって突然二頭のオオカミが立ち上がり目の前で遠吠えを始めた。オオカミは群れに遠吠えで自分達の居場所を知らせる。私は誇り高いオオカミの叫び声を聞いた。

「何処にいようとも私達はこの地球上で繋がっている。」



_ 2006.05.13_>>>_ 満月

「インディアンフルート」

ギャラリー「nociw」の最後の個展に初めて訪れたお客さんでフルート吹きの人がいた。彼のカバンの中には友人のナバホインディアンが作ってくれたというインディアンフルートが大切にしまわれていた。以前からインディアンフルートの音色に何故かとても惹かれるものを感じていたと私が言うと、彼は「ちょっと触ってみる?」とそのフルートを持たせてくれた。生まれて初めて触れる「NAVAHO J.T」という彫りが入ったそのインディアンフルートはレッドパインのいい香りがした。「音を出してみれば?」と言われるままにそっと吹いてみると、とても素朴で暖かいそしてどこか懐かしい音がした。先端に木で作られたオブジェのようなものが付いている。「これはバッファローで持つ者に知恵と栄光を授けると言われているんだ。」「素敵ですね。」そう言ってフルートを返そうとした時、彼は「このフルートが君のもとへ来るために作られたことを今知ったからここに置いていくよ。」そうさりげなく言った。「吹き方はその時その時の気持ちをフィーリングで音にするだけでいい。君にピッタリだと思う。」信じられないことが目の前で起こったという感じだった。彼とは出会ってまだ数分しかたっていないのに...。でも私はこの出来事を神様からのギフトだと素直に感謝しありがたく受け取ることにした。神様はサプライズが好きなのだと。しかもその人は初めて私の絵を見たのに絵を購入し、絵からインスピレーションで浮かんできたという詩を残してくれた。

「幸せの薪をくべよう 魂の炎を燃やそう 命の踊りを踊ろう 母なる大地の上で」

その時からこのフルートは私の宝物になり、散歩の時に一緒に森へ行って気のむくままに吹いてきた。インディアンフルートの成り立ちはその昔インディアンが狩りに出た時、この音色を聴きその音がどこから来るのか辿ってみると一本の木の枝が虫に喰われ空洞になっていて、そこに風が通り音を出していたのが始まりだそうだ。だからインディアンフルートは風の声なのである。ある時我が家のオオカミ犬「nociw」のふるさとのお山にかっちゃん、ちえちゃんらと登っていた時、ふと見るとフルートのバッファローが消えていることに気付いた。私はショックだった。山の地面は枯れ葉に覆われどこを見ても同じに見える。しかもどの辺りで落としたのかさっぱり検討がつかない。バッファローも木でできているので全てが保護色だ。いったいどうやって見つけられるのか途方に暮れた。でもかっちゃん、ちえちゃんは「みんなで手分けして来た道を戻りながら探そう!」と言ってくれた。皆バラバラになって探し始めたが私はなかなか見つけられずに泣きそうになっていた。すると「あったーっ!」と下の方でちえちゃんの声がした。「えっ!まさか本当に?」という思いで急いで駆け降りるとちえちゃんの手の平には確かにバッファローが眠っていた。「この葉っぱの下にあったんだよ。」と指さした場所は辺り一面同じような感じだったので、私は信じられないという思いでどうしてここが分かったのか聞いてみるとちえちゃんは一言「風が教えてくれたの。」と言った。

それ以来フルートを持ち歩く度にバッファローの存在を常に気にするようになった私は、このフルートを包む素敵な袋があったらいいなぁーと思うようになった。「肩から下げていつも持ち歩けるようなものでそれは鹿皮でできていて....。」とイメージを膨らませた。そんなことを考えていた一年前。新潟のツアーで知り合ったヤスが彼女のキョウコを連れて遊びに来た時、彼女が手作りしたというカバンを見て私はすぐにピン!ときた。フルートを守る袋の作り手は彼女だと。キョウコにさっそく作ってもらえるかどうか聞いてみると「嬉しい!すごく緊張するけどぜひ作ってみたい。」と言ってくれたので私はお気に入りの鹿皮を一枚と簡単なラフスケッチを描いて彼女に託した。そして先日ヤスから「突然なんだけど今、千葉の親戚の所にいるからこれから会いにいってもいい?キョウコも一緒だよ。」と電話をもらった。次々にお土産を広げる二人。最後に「はい。これは∀KIKOさんに。」と言ってキョウコから緊張した面持ちで渡された可愛らしくラッピングされたその包みを紐とくと、なんとフルートの衣が現われたのである。それはまるでイメージ通りだった。夢が現実になったのだ。本当にカッコ良くてとても気に入ってしまった。キョウコはこれを作るにあたって、ずっと鹿皮にハサミを入れることができなかったという。自分に何かが降りてくるまでは決して切れないと思っていたんだそうだ。そしてようやく今年の二月にその何かが彼女のもとに降りてきて「今日だ!」という日が突然訪れたのだという。それから縫う糸や飾りのビーズやボタンなどに天然素材を使うことにこだわり、試行錯誤しながら一生懸命作ってくれたという。その思いは出来上がったこの作品にすべて詰まっていて、彼女の愛のエネルギーが伝わり涙が湧き上がってきた。翌朝からさっそくその袋にフルートを入れて背負い、nociwと森へ出かけた。もうバッファローも迷子になる心配もなく安心してフルートのそばにいられるだろう。キョウコありがとう。神様ありがとう。私は本当に幸せ者です。

そして今日もまた、気のむくまま心のままに風のメロディーを奏でる私です。



_ 2006.04.27_>>>_ 新月

「Community」

私達の仲間。AgueとEmiのファミリーが引っ越してきた。それも「いきなり」である。もちろん前々から引っ越すとしたら近くに住みたいとは言っていたが、あくせく物件を捜しまわっていたわけではなく、私達も近所の空家を気にしてはいたがなかなか「これっ!」というのは見つけられずに、お互い「まぁ。その内見つかるといいねぇー」ぐらいの呑気さでいたのだ。ところがアトリエの大家さんに家賃を払いに行った時、「そうだ!ここの大家さんに聞いてみよう!」と急に思い立ったので「貸してる家で今空いてるところないですか?」と結構期待して尋ねてみたら「全部埋まっているのよね。」とあっさり言われた。「なんだ。がっくり。....」と思いながら家を出てみると大家さんの家の裏にある2軒長屋が目に留まった。その内の1軒が空いていたのだ。「あれっ?ここ空家だったっけ?今まで全然気づかなかったな...」と思いながらその家に何故か吸い込まれるように近づいていく自分がいた。私は瞬間「ここだ!」と思い、AgueやEmiの家族がここで笑いながら楽しく生活している様をありありと思い描いた。さっそく仕事から帰ってきたNOBUYAにそのことを伝えて「じゃあ。まずは大家さんを探してコンタクトをとらなきゃね。」という話しをしていたら、近所に住む「いくちゃん」が真夜中に、珍しく、本当に3ヵ月ぶりくらいにいきなりやってきた。このいくちゃんは実はアトリエの大家さんと知り合いで共通の友達「かっちゃん、ちえちゃん」を通して私と大家さんを結び付けてくれた重要人物である。「このタイミングは?」と思った私はさっそくいくちゃんにそのことを話してみた。すると「あぁ。ボクそこの大家さん知ってっから貸してるかどうか聞いといてあげんよ。その2軒長屋の隣が大家さんの家なんだ。じゃっ。おやすみっ。」と言って去っていった。「ありがとーいくちゃん!でもいつでもいいからね。無理しないでねーっ。おやすみーっ!」

次の朝。雨戸を激しく叩く音で目が覚めるとそこにいくちゃんが立っていた。「おはよー!ほら!あそこんとこの大家さんに聞いてきたよ。はい。これ。」と言って渡された紙には「住所・電話・氏名・年令・職業」と書かれてあった。展開が早い...。「ありがとう。いくちゃん。さっそく友達に聞いてみるね!」こんな風に物件のことでAgueたちにメールをするのも初めてだったが、いきなりこんなことを言われても彼らも戸惑うかもしれないな。とも思いつつ、どういうわけだかいてもたってもいられずに、すぐにEmiにメールをしてnociwと朝の散歩に出かけた。何となく気になったので再び例の空家を見に行ってみた。昨日よりももっと近くにいって家の周りを一周した。裏庭の正面を氏神様である神明神社が見守っていた。大家さんの家を覗くと表札に「峰尾」と書いてあった。同じ敷地に大家さんと2軒長屋。共通の広い庭には井戸がある。都会のクールな暮しを心地よく感じている人にとっては「絶対に住みたくない!」環境かもしれないが、今の彼らにとってはいいことだと思った。仲間が身近にいることで子育てももっとおおらかにできる筈...。大家さんもお隣さんも絶対いい人に決まってる!」そんなことを思いながらまた想像してしまったが、まずはメールの返事を待とうとその場を立ち去った。やがてしばらく歩いていると向こうから一人のおばさんが歩いて来た。そんな光景は別に珍しくもなんともないのだが、私の中ではひとつの確信のようなものが沸き上がり、すれ違い様に「あのー。2軒長屋の大家さんの峰尾さんですか?」と聞いてみると、「えっ!そうですけど....」と答えが返ってきた。「かくかくしかじかで。」と事情を説明すると「あなたが絵描きさん?」とやっと内容を理解してくれ、思わず「中を見せてもらえませんか?」と聞いてみると大家さんは快くオッケーしてくれた。3月に前の住人が出たばかりでほんとにいいタイミングだったという。私はEmiの目になって、一通り部屋をチェックしたあと縁側に座って中庭に足を降ろした。目の前の山々がサクラ色に染まり、まるで彼らを祝福しているかのようだった。「うん。やっぱりここだ。まちがいない。」アトリエに戻るとますます、いてもたってもいられなくなり今度はAgueに電話してみた。が、留守電だったので「とにかく今一人で盛り上がってるんだけど、どうか前向きに検討してみて!」というようなことを残しておいた。NOBUYAが仕事から帰ってきて、今日のことを話すと「あとはAgue、Emi次第だな。」ということになり私は興奮したまま眠りについた。

そして3日目の朝。電話のベルで起こされた。Emiだった。「おはよう∀KIKOさん。メールや電話をありがとう。ゆうべAgueとそのことでずっと話しあっててさ。実はね、今住んでるアパートの更新をするかしないかを決定しなきゃならない日が今日までだったんだ。それで私達もこのタイミングは何なんだろう?と思ってさ。もしかしてこれは引っ越せ!ということかもしれないから、とにかく今から二人でその家を見に行くね!」「わーい!やったぁーっ!」間もなくして二人は本当に現われNOBUYAも交えて大家さんの話しを聞いていた。私は昨日と同じように縁側に座りながら一人ほくそ笑んでいた...。「うん。いい感じ。いい感じ。」二人をそこに残して私達は先にアトリエに戻った。「あとは二人が決めることだね。」「うん。」しばらく経って二人が帰ってきた。「どうだった?」「引っ越すことにしたよ。」「バンザーイ!!」「ワハハハハ」私達は大喜び。4月7日。吉日。この日はNOBUYAの誕生日だった。

引っ越しは24日に決定した。その日NOBUYAは彼らが住んでいた中野まで車で助っ人にむかい、私はこっちで引っ越し屋さんが着くまで電話で待機をすることになった。が、いつまでたっても電話がこない。日も暮れてきたのでおかしいと思い、nociwを連れて新居へ行ってみると真っ暗だった。きつねにつままれたような気持ちでアトリエに戻るとやっとNOBUYAが電話を掛けてきた。「ごめん。遅くなって。引っ越し屋さんが日にちを間違えていて今日は無しになったんだ。あさってになったよ。」「...............。」Emiは子供達を預けていたAgueの実家へと向かい、AgueはNOBUYAと一緒に帰ってきた。私達はふいに現われたぽっかりと空いた時間の不思議の中に漂っていた。これは本当にこの地に移り住む前に今一度、気持ちの整理をさせるために神様がAgueに与えてくれた貴重な時間だったようだ......。二日後の26日。とうとう彼らは引っ越してきた。まるで夢を見ているようだった。そしてなんだかできすぎているような気もした。NOBUYAと顔を見合わせては何度も大笑いした。翌日、近くに住む優子と猛男も誘って引っ越し祝いのジンギスカンをした。改めてそれぞれを紹介し合い、ご近所さんになったことを喜びあった。子供達はもうすっかりnociwと仲良しだ。犬がいて子供がいて大人がいる。困った時は助け合い、嬉しい時は喜び合う。同じ土地の上で共に学び、共に遊ぶ。私達は今という時を互いに成長し合いながら生きるコミュニティであり、同志である。合い言葉は、

「そうさ。みんなちがってみんないい!」



_ 2006.04.13_>>>_ 満月

「セブンティーン」

17才になったばかりの友達「モモ」にあった。初めて会ったのはモモが9才の時。8年前「ござれ市」を始めてすぐに声をかけてきた業者のオヤジ「志郎さん」がモモのお父さんだった。見た目は普通のちょっとエロそうなオヤジだったが、彼の奥さんを見て彼を見る目が変わった。見た目がアフリカ人でかなりオシャレな人だったからだ。「啓さん」である。志郎さんと啓さんがござれ市でキスをしているのを見たことがある。「ステキだな」と思った。そんな啓さんがオープンしたギャラリー「somoan」で個展「sion」を開催した。空間を造り自分の世界を表現したという点においてはこれがはじめての個展といえるかもしれない。

その個展でモモと出会った。彼女は見るからに風変わりな子供だった。開催中、毎日のように顔を見せるようになり最終日には私の印象の色だと言って「きれいなブルーのコップ」をプレゼントしてくれた。別れ際「富士山の近くの西湖に別荘があるから絶対来て!」と誘われたのでモモが大好きになった私達はさっそくその別荘を訪ねてみた。その別荘はおよそ世間一般の別荘のイメージとは大きくかけ離れていて、啓さんと志郎さんが手作りで仕上げたおもちゃ箱のような遊び場だった。庭に作られた五右衛門風呂に入りながら星空を見上げた時「あぁ。ここは天国だな」と思った。モモはすっぽんぽんになって私達の前を走り抜け風呂へ飛び込む。本当に野生児という言葉がぴったりのサルのようなやつだった。あくる日3人で森の中に秘密基地を作りに行った。この時のことは今でも度々、不思議な記憶として蘇ってくることがある。枝を探してきて骨組みを作り、その上に草をかぶせて屋根を作った。地面には枯れ葉を敷き詰めフカフカにしてその上に寝っ転がって持ってきたおやつを食べた。モモはその時、終始「アァアー」とか「ウゥウー」とか動物のような奇妙な声を発していた。それは今この瞬間が、楽しくて楽しくて思わず体の中から勝手に漏れてしまったというような野生の音だった。私はこれまでに感じたことのないような感覚に包まれた。純粋な存在に触れて胸の奥にあたたかな雫が流れ落ちた。モモは抱きしめるといつも森の匂いがした。

次のござれ市からモモは毎回顔を見せるようになった。志郎さんが業者だったから一緒に乗っかってくるのだが家業の手伝いなんていっさいせず、最初から最後まで私のところに入り浸った。二人で何をしているかといえば、絵を描く、詩を書く、マンガ本を読む、ウォークマンで音楽を聴くなどだった。そんな月いちのデートはモモが14才になるまで続いたが、そのうち同世代の友達と遊ぶ方が楽しくなりござれ市にはぱたりと現れなくなった。思春期というやつである。最後に口癖だった言葉が「あーオトコ欲しー」だったから、相当そっちの方に興味をそそられていたんだろう。ござれ市には来なくなっても毎年私の誕生日には連絡をくれ、プレゼントを用意していてくれた。3月31日のモモの誕生日会には必ず招待され、モモが自分のために焼いたケーキをふるまってくれた。そして1月31日が誕生日だった私に「∀KIKO 誕生日おめでとー」と言ってみんなの前でプレゼントをくれるのだった。

そんな誕生会の知らせも今年はこなかった。でも私の誕生日にはお祝のメールが入っていたので、モモの誕生日には突然電話をしてやろうと思った。その日いろいろとバタバタとしていたら気がつくと3月31日があと7分で終わろうとしていた。「わっ。いけない」と思い電話すると誰も出ない。「そりゃそうだよなー夜中だし」と思って切ろうとしたら「もしもし?」と志郎さんの声がした。「モモいる?」「えっ?いるけど寝てるよ」「じゃ起こして!」「えぇっ?起こすの?あぁっ。そっか....」と言って受話器を持ってモモの部屋に行った。「モモ!モモ!アキコから電話だよ!」「アキコからデ・ン・ワ!」しばらくの沈黙ののちガサゴソと音がして受話器の向こうから「もしもし?」と超寝ぼけているであろうモモの声が聞こえた。「誕生日オメデトウ!」「ア、アリガトウ...」「ごめんね。起こしちゃって」「あ。うん。お父さんが当々頭おかしくなっちゃったのかと思ってビックリしたよ....」「ハハハハ.....」「ねぇ。これって夢?」「ふふっ。夢じゃないよ」

そして先日啓さんに用があって家へ行くとモモがいた。去年の誕生日会以来約1年振りの再会だ。こんなに会わずにいたのは出会ってから初めてのことだった。17才のモモはおっぱいもふくらんで、眉も細くなって、ネイルをしているキュートな女の子になっていた。念願のアルバイトも経験してそこで出会った二つ年上の男の子と恋に落ちたけど2ヶ月で別れたらしい。「どうだった?」「何が?」「初めて男の子と付き合ってみた感想は?」「ふん。べつに....」話題を変えよう!「モモはどんな仕事がしたいの?」「私は縫い物が好きだから何かを作っていたい。でも新しく洋服を作ることには全然興味がなくて、古着を自分らしくリメイクして作り変える方が好きかな?ゴミはなるべく出したくないからさ。」やっぱりモモは変わっていなかった。

昔からモモの口癖は「私らしくなきゃ!」だった。そういうところが「同志よ!」と思わせる大切な部分だったが、そういう人間らしい人間を育てたのは志郎さんと啓さんの深い愛と遊び心満載の家庭環境だったことはいうまでもない。そしてあの森の私達だけの秘密基地は心の中に今でも存在し続けている。私達はいつだってあの時に帰ることができるのだ...。この日突然行ったにもかかわらずモモと目と目が合ったとたん「誕生日おめでとう!」といきなりプレゼントを渡された。小さな包みとバースデイカード。中を開けると可愛いシルバーのカエルのペンダントヘッドが現われた。そう。最近散歩していてよく見かける光景。カエルたちのランデブー。あっちでもこっちでも愛をささやき合う音が風に乗って響いてくる。私はカエルが大好きなのだ。

「ありがとう。モモ!」春だね.....



_ 2006.03.29_>>>_ 新月

今回の新月は

1年でもっともパワーのある新月だったので

願いごとを紙に2個から10個

夜中の3時までに書くと叶うという日だった

その日は山梨に棲む

ミュージシャンのバースディパーティー

どこからともなく

音楽が生まれ踊りが生まれた

ほとんどの人は初対面だったが

そんなことはどうでもよく

誰もがそこいらへんにあった楽器を手にし

思い思いに音を奏でた

宴もたけなわになった頃

願いごとを書く紙が回ってきた

わたしは10個願いごとを書いてみた

ふと隣を見ると

パートナーはぐっすり眠っている

彼になったつもりで彼の分も書いてみた

するとほとんど同じになった

そりゃそうだよね 家族だもん

わたしたちの幸せ

わたしたちの喜び

昨日 今日 明日

本当に好きなことをして生きる

ただそれだけ


ただそれだけのこと



_ 2006.03.15_>>>_ 満月

「ハンニャハラミツ」

長野へ座禅断食をしに行ってきた。

年末に自主的にやった断食は本を見ながらだったので、その本を書いたお坊さんが実際に指導する断食を体験してみたくて行ったのである。それが座禅を取り入れた断食だった。ただ断食を行うよりも座禅を組み合わせることでよりいっそうの効果があり、明けたあとのリバウンドが少ないのだそうだ。それは座禅を組むことで自律神経が整い、精神が安定して断食中の空腹感をあまり感じずにすむということと、明けたあとも自制がききやすく心と体のバランスを取りやすいということだった。「合掌行」という行もやった。これは手をひたいの前に合わせ「般若心経」を20分間声を出して唱えるというもので、日本古来より僧侶の間で秘儀として1300年以上も続けられているものらしい。何処から始まったのかは定かではないが、いつしかその合掌した手で人に触れると病が癒えることがわかり「癒しの手」ができる不思議な行として伝え守られてきた。そして近年その現象が科学的に分析され、合掌した手と手の間に放射線が測定され、このエネルギーが体を癒すのだろうということが解明されたそうだ。

「般若心経」は10年前から毎朝唱えることを日課としてきたが、いつしかその言葉の音だけを覚えて文字の意味をすっかり忘れていた自分がいた。しかし「般若心経」は一文字一文字を心に浮かべながら唱える方が良いのだということを教わった。それができるようになるとある時ある文字がパッと光る瞬間があるそうで、それがその時の自分に必要な部分であり、そしてたまにフッと忘れてしまう文字もあるが、それはその時の自分に足りない部分なのだそうだ。これを聞いた時は目から鱗が落ちた。それほどに奥深いものだったのだ。「般若心経」を改めて調べてみると「この宇宙はすべてのものがバラバラに分かれて存在しながらも同時に深いところでつながっていて、ひとつの大きな生命の大海を形作っているという不思議なあり方で存在している」ということを唱っていたのだった....。

この断食の最大の目標は宿便を出すことだ。「宿便」とは今まで食べてきたものが外に排泄されずに残り腸壁に長い間こびりついている便のカスのことで、そのカスの腐敗が毒素を出し健康な細胞を蝕むのが原因で様々な肉体的・精神的な病気を引き起こすということが医学的にも分かってきているそうだ。どうして腸内に残ったままかというと用は食べ過ぎているということで、消化能力を超える量の食物が流れ込んでくるため腸のパイプが渋滞になり詰まってしまうということらしい。だからせっかく食べた食物の栄養が体内に吸収されずにそのまま押し出されるか途中で詰まってカスとして残るのだ。

また特に腸と脳には密接な関係があるらしく腸の健康が脳の健康に直結しているという。食べ過ぎるとボーッとして頭がよく働かなくなるというのもその一例だ。腸の処理能力を超えてしまい消化されずに残った食べ物がどんどん溜まっていき宿便となる。だから一度リセットさせるために断食なのである。でも断食が明けるとまた以前と同じ食生活に戻ってしまっては意味がないので座禅で自律神経を整え、食べる質と量を見極めて健康でいようということなのだ。予防の医学である。実際、断食明けのあとは胃も委縮しているので少量で満足感が味わえ舌についていた垢も取れて細胞が生まれ変わるので味覚も変化する。今まで丁度いい塩加減だと思っていたものが急にしょっぱく感じてしまうのだ。添加物にも敏感になる。この時に薄味に慣れることができれば体質改善がなされてその後の健康が作られていく。だいたい成人で約2キロKgの宿便があるそうだ。1回ですべてが剥がれるわけではないのであと2回は行くことになりそうだが、それが今から楽しみでならない。断食がライフスタイルの一部になっているという人が言っていた「断食明けのこの爽快感がたまらない。見える景色が今までよりもうんときれいに見えて、食べるものがよりおいしくなって、人と出会うのが楽しくなる。あー私は生きている!って感じるんです。」と。出すものを出し切ったあとは理屈抜きでみんな「ガハハハーッ」と笑っていた。自分自身の力で誰にでもできて幸せになるコツ。私もその場にいて単純に思った。

「うん。これでいーのだ!」



_ 2006.02.28_>>>_ 新月

「First trip」

山形へ行ってきた。

「黒川能」を観るためだった。ギャラリー「nociw」のお客さんであった「想月坊」と「淳」の親子に誘われたのである。この親子は「能」好きで、しょっ中「能」を観にあちこち出かけているが、その中でも「黒川能」は別格なのでぜひ見て欲しいと前から言われていた。「黒川能」とは山形県櫛引にある春日神社の神事として農民である氏子たちの手によって伝えられてきたもので、世阿弥が大成した能の流れを汲みながらも、どんな流儀にも属さずに独自の伝承を続けてきた希有な能だ。少なくとも五百年以上前の室町末期に発祥したものらしい。人々の信仰心と能楽への愛着によって幾多の困難を乗り越えながらも今日に至り国の重要無形文化財に指定された。「黒川能」はもともとは農民が神様に畑の豊作を祈願するために奉納したものだ。だからたんに芸能としてだけではなく神と祭りが一体となって五百年もの間そのままの形で守り伝えられてきた。

能は今までに四度観たことがあったが、今回のように地方でそして神社の中で、祭られている神様と同じ空間で観るのは初めてだった。だからこれまで観てきたものとはまったく異質なものに感じた。「見せるための能ではなく神と一体になるための能...」神域で観ているという緊張感と土地の人々の素朴なあたたかさが妙に心地よかった。「能は幽玄の世界」というが確かに不気味で怪しい...。能面をじっと見ていると面の筈なのに声と動きによって命が吹き込まれ色んな表情を見せ始める。そして音。ひな人形の五人囃子のような楽師たちの演奏がよりいっそう異界へと誘ってくれる。舞台に意識を集中していると、ふと自分が五百年前の人間になって同じ舞台を観ているような不思議な錯覚に襲われた。そして人間とはなんて美しいのだろうと思った。

今回が家族三人の初めての旅。最初の旅が「能」からスタートしたことは意味深だ。

さすがに神社の中には入れなかった我が家のオオカミ犬nociwだが、神社の林に積もっている雪の上をズボズボ埋まりながら歩く感触がおもしろいらしく、はしゃぎ廻って喜んでいた。彼女は彼女で聖域に漂う気配を存分に満喫していたようだ。観終わったあと、三人で誰もいないだだっ広い庄内平野の農道を歩いた。気持ちよかった。見上げると空には満天の星が瞬いていた。あくる日。nociwに海を見せてあげたかったので、ゆっくり新潟経由で帰ることにした。nociwは海を見るのが初めてだった。砂浜に降り立つと鼻をクンクンさせて波打ち際へ駆け出して行った。海辺には色んなものが落ちていて宝の山だ。nociwとnobuyaは先へ先へと行ってしまいついに見えなくなった。私は流木で砂にnociwの絵を描いた。「よし。これで完成!」と思い最後にnociwと砂に書くと遙か彼方からnociwが猛スピードで走ってきた。口には大事そうに何かをくわえている。見るとなんとトゲだらけのフグの死骸だった....。気がつくとどしゃぶりの雨。三人とも海を見てあまりの嬉しさに時間も忘れて楽しんでしまったのだ。びしょ濡れになったし、そのままノンストップで帰るのもドライバーのnobuyaが大変なので群馬に寄って温泉に入ることにした。出るともうすっかり暗くなっていたので道の駅の駐車場で一泊することに。辺りはまっくらで誰もいなそうだったのでnociwのリードを外し遊ばせていたら、同じように車で寝ていた人がいて、その女性がトイレに行きがけにnociwに出くわしてしまい「うっうぎゃぁーっ!!」と尋常でない悲鳴を上げた。隣が警察だったのでひやひやした。まるで暗闇から突然野獣が現れたかのような叫びだった。「驚かせちゃってごめんなさい」とnociwも頭をペコリと下げた。いやそれにしても人間はとっさの時にはもの凄いエネルギーを放出するものなのだと思った...。車の中で寝袋にくるまって三人で川の字になって寝る。そんな小さなことがたまらなく幸せだった。朝、目覚めてすぐに真っ白な川原へ散歩に行き、もう一度温泉に入り最後に出会った神社へみんなでお礼参りをして無事家路へと着いた。

三人で行った初めての旅は導きの旅だった。これからも我らの珍道中は続く.....。



_ 2006.02.13_>>>_ 満月

「地大豆」

先日「カフェスロー」にて開催された「地大豆カフェvol.01」に行ってきた。友達である尚が代表を務めるNPO「トージバ」が主催すると聞いたからである。

このイベントは地大豆がつなげる人と地域。食と農のネットワークを広げる目的を持っている。「地大豆」とは古来よりその地域で育てられてきた大豆のことで「在来大豆」ともいい、日本全国で300種類以上あるといわれている。味噌、醤油、豆腐、納豆、枝豆.....など日本人にとって1年中欠かすことのできない大豆だが現在日本ではその自給率がなんと5%しかないそうだ。昔は100%国産でまかなわれていたのに何故なのか?その影には海外からの遺伝子組み換え大豆の普及があった。海外産の安い遺伝子組み換えの大豆が輸入されるにつれ国産の大豆農家が食べて行けなくなってしまったのである。そもそもなんで遺伝子組み換えの大豆がこれほどまで世にはばかるようになったのか?それは地球の将来の食料不足を危惧して生まれたというのが表向きの概念らしい。が、大豆農家さんは言っていた。「大豆は非常に生命力の強い作物。変な話、土のあるところにパラパラと播くだけでたいていは自力で芽を出してくれる。遺伝子を組み換えなくとも立派に育ち恩恵を与え続けてくれる稀な作物です」と。マウスによる実験もされていた。遺伝子組み換えの作物を餌として与え続けたマウスに起きた体の異変。でもそういうことは一般庶民には決して知らされない。マウスに異常が起きても人間には大丈夫なのか?それは未来にならなければ誰にもわからないことなのである。驚いたのはよく食品のパッケージに「遺伝子組み換えでない」と記されているのを目にするが、5%までなら遺伝子組み換えであっても「組み換えでない」と表示していいことになっているという事実だった。そうなってくるともうわけがわからない。「遺伝子組み換えいらないキャンペーン」を10年間続けてきたという方が言っていた。「この10年の間、国や色んな機関に訴えてきましたが実際は何も変わりませんでした。でも自分の孫やまたその孫たち...と考えるとこの活動を止めるわけにはいきません。それに今ここに集まっている若い人達が地大豆に関心を持っているということが何よりの希望です」と。

そう。この日は実際に地大豆を作っている農家さんとその大豆で豆腐を作っている豆腐屋さんが来て話しを聞かせてくれた。様々な圧力にも負けず信念を曲げずにやり続けてきた50代60代の農業家についで20代30代の若い農業家の顔がそこにはあった。みんなものすごくいい顔をしていた。そしてとても楽しそうだった。彼らを見ているだけで「うん。これからの日本の農業は大丈夫!」そう思えるほどの輝きを放っていた。農業家というアーティスト。その生き方は本当にカッコイイ!と思う。話しの後、彼らの作品である豆腐の試食もあった。様々な地大豆から作った豆腐の食べくらべ。「うまい!」の一言が腹の底から沸き上がってくる味だった。作り手の顔を見て食べたからなおさらだったかもしれない。「食べ物は直球です。宗教よりも説得力があるから」と尚が言っていたが、本当にその通りだと思う。入ってきた食物に対して体は素直に反応する。食後の感覚として答えが返ってくるのだ。感情で物を食べても体は体の仕事をするだけ。健康な食べ物は健康な体を作り健康な精神を宿す。この、いたってシンプルな仕組みは昔も今も変わらない。

私とNOBUYAは年末に体と心をクリアにするために断食をしてみた。「食べない」ことは「食べる」ことを教えてもくれた。「何を食べるべきか」を。断食明けの食事で摂った味付けなしの本当の野菜の味。本当の旨さ。久しぶりに食べ物を口にして体の中からフツフツと喜びのエネルギーが湧いてきた時、命を繋ぐ者として初めて本気で体は本当に大切なんだと思った。魂の住処としても居心地がいいにこしたことはない。快適な環境はいい発想を生み出すからだ。だから食と農は地球の未来にとってとても重要な鍵を握ると思う。物食う者としてはもう無知ではいられなくなってきた。会場でチケットと一緒に渡された地大豆のつぶ。春になったらアトリエの庭にパラパラと播いてみよう。自力で出てくる芽との出会いを楽しみに待ちながら...。



_ 2006.01.29_>>>_ 新月

「再生」

アリエルダイナーで開催していたnaoによるギャラリー「nociw」の写真展での28日のイベントには、たくさんのnociwつながりの人々がいて感激した。そこにはnociwに来たことのある人も来たことのない人も共にいて、あちこちで交流が生まれていた。アリエルダイナー最後のクロージングパーティーも兼ねていたのでアリエルのスタッフも色々な思いを胸にホールで厨房で一生懸命に働いていた。店長の阿部さんの特別の許しを得てフロアに出ていた我が家のオオカミ犬nociwも仲間達が代わる代わる交代で面倒を見てくれていたお陰で、片隅でいい子にしていてくれてとても助かった。みんなのエネルギーが穏やかだったから彼女も安心したのだろう。何だか「nociwの写真展にnociwがいること」がとても不思議でならなかった。

私としてはギャラリー「nociw」はオオカミ犬「nociw」に姿を替えただけだと思っている。「姿は変わってもそのスピリットはずーっと生き続けているんだなぁー」と、みんなを見てそう思った。そして何より輝いている子供たち。個展やイベントの度にこうして成長していく子供たちの姿を見るのは本当に嬉しいことだ。いつものように来ている人たちが口々に言う。「いやーまるで親戚の集まりみたいだね」と。確かにこの日は旧正月の前日だから大晦日にあたる。その特別な日に親戚が一同に会したようだっだ。DJブースのnobuyaもいつものようにとても楽しそうだった。今回の彼の中のテーマは「NEW LIFE」だったが、ニコニコ顔の大人と子供と犬がひとつの空間にいてお互いの表現を交わしあっている光景は確かに未来を予感させた。ひとりひとりがアーティストだった。アリエルが掲げていた「ORGANIC LIFE&STYLE」のスピリットはアリエルがなくなっても、そこに関わった多くの人々によって外の世界へと確実に拡がっていくと思う。ギャラリーnociwがなくなってもこうしてみんなの中で「ARTSPIRIT」が育っているように....。

naoの今回の写真展のテーマ「kanna an」はアイヌ語で「再生」という意味だった。翌日、新月と旧正月が重なったこの日。かつてnociwが存在したフィオーレの森のお茶室「真樹庵」にて、水琴窟がある庭を見ながら仏陀が弟子たちに説いたという講話のテープを聴く機会を得た。そこにはくり返し「この世のすべては縁によって成り立っている」と説かれていた。人も動物も自然も。死と再生も。あらゆるものが網の目のように互いにつながっている...。私は前夜の光景を思い浮かべながら目を閉じてその言葉を噛みしめていた。するとテープの声はさらに最も大切なことは「信じること」だと言った。疑いからは何も生まれない。信じることからすべては生まれると。私は子供の頃から信じることだけは誰にも負けないくらい得意だった。そして20代の半ばに「自信とは自分を信じることだ」と「ハッ」と気づいた時から生き方そのものが変わったのである。今は本当に絵を描く時も、森を歩く時もごはんを作る時も「ワァーッ」と幸せが波のように押し寄せてくる。そして毎日の祈り。太陽や月に思わず手を合わせてしまう時にも等しくその感覚は訪れるのだ。こういう自分でいられることはすべて縁のお陰だと今は素直に思うことができる。そしてこの縁に心から感謝しています。

ありがとう。あなたにもたくさんの幸せが訪れますように!



_ 2006.01.14_>>>_ 満月

「SINGIN IN THE RAIN」

今、登戸のオーガニックカフェ「アリエルダイナー」でギャラリー「nociw」の写真展が行われているので、猛男と優子とnobuyaと4人でランチを食べに行ってきた。壁一面に貼られたnociwの写真たちを眺めていると一気に懐かしさが込み上げてきた。そこに写ってるものは確かに存在したという証しなのに、nociwをやっていた4年間はまるで夢のようで不思議の連続だったから...。この写真を撮ったnaoのコメントを読むと、彼女がどれ程深くnociwを愛してくれていたかが改めて伝わってきた。写真を通して見るnaoの目線は常に暖かな愛に包まれている。今回がnaoにとっても初の個展でもあるが、こうしてnociwをきっかけに自分の表現を解放していることが何より嬉しい。

アリエルダイナーとの縁もnociwのお客さんが「∀KIKOさん是非行ってみて」と教えてくれたのがきっかけだった。行ってみるとそこにはまた別のnociwのお客さんがホールで働いていて....という具合にここは最初から何かを感じさせる場所だった。次第にアリエルのスタッフがみんなnociwに遊びに来るようになって、私も何度かアリエルで個展を開いたりnobuyaもDJパーティーをやったりして、おおいに楽しませてもらった。そんなアリエルダイナーも突然、今月いっぱいでクローズになるという。オーナーの都合らしいが年明けにいきなり告げられたスタッフはとても落ち込んでいた。それでも「アリエル最後の展示がnociwの写真展で終わることが嬉しかった。これは偶然じゃあないと思う」とみんなが口々に言ってくれた。「これもスタッフみんなにとってのタイミングだから前向きに考えて最後まで頑張るよ。nociwの写真を見てると元気が出るから!」と。そう終わりは始まりなのだ。

外に出ると雨が降っていた。最近nobuyaと何度も見ている映画がある。それはジーン・ケリーの「雨に唄えば」この日もまた無償に見たくなって、猛男と優子の家で見ることになった。TVがない我が家はビデオをいつもi Macの小さな画面に食らいつきながら見ているのだが、2人のお陰でたまにこうして大きな画面で見せてもらえるのが何よりの楽しみになっている。この作品は1952年公開のミュージカル映画の集大成ともいえる名作だが、サイレントからトーキーへと移行する映画史にとっても劇的な変化を迎える時代が背景で映画に携わる人々にとっても様々な苦悩や葛藤があるが、それでもやっぱり前向きに今という時を楽しんで生きようとするメッセージが素晴らしい唄とダンスによって繰り広げられていて、人としてアーティストとして自信と勇気を貰える作品だ。映画鑑賞をすっかり満喫して猛男と優子の家を後にした。外はまだ雨が降っていた。心地いい雨だった。私達は思わず「シンギーン〜インザレーイン〜♪」と唄いながら幸せな気分で家に着いた。

雨に濡れながら笑った今年最初の満月の夜だった。



_ 2005.12.31_>>>_ 新月

「DOG STAR」

12月中には母屋に移り住みながら家造りをしている予定だったが、注文していた薪ストーブが品切れでメーカーから届くのが異常に遅れてしまったので結局アトリエで新年を迎えることになった。でも、すべてのタイミングは偶然ではないので「まぁ家造りは焦らずゆっくりやりなさいということだね!」と解釈し、nobuyaとnociwと楽しくのんびり過ごすことにした。

大晦日。アトリエの近くに越して来た優子と猛男もやってきた。もちろん縁側ではいつものように焚き火が始まる。窓を開け放つと焚き火の暖気が部屋じゅうに広がりとても暖かい。中と外がつながっている、ここはいつだってキャンプ場だ。火の神様に一年の感謝の祈りとともにお神酒を捧げ宴が始まった。持ち寄った料理をみんなで頬ばりながら終始笑いの渦。nociwもいつもよりさらにハイテンションな人間たちを見てとても不思議そうだった。2005年から2006年になる瞬間には絵を描いて過した。最初からこれだけは心に決めていたのだ。「一番好きな事をして過ごそう」と。丁度今、オーダーを受けている絵が富士山だったので、新年を迎えるために描く絵としてはまさに打ってつけだった。本当にうまくできているものだ。しかもこの時、引力に持っていかれそうなくらい、かなりの勢いで集中して絵の中に入っていけた。すると富士山の真上からポッカリと珠のようなお日様が登り、龍が雲の姿をしてその光りを抱いて登っていったのだ...。わたしは幸せに包まれた。今がいつなのかさえもわからなくなる程に。

アトリエに吊るしてある「希望の鐘」をみんなが思い思いに鳴らし、新年が明けた。

元旦。nociwが初潮を迎えた。犬の成長は早い。nociwと暮して5ヵ月ちょっと、その間だけでも色々と教えてもらったが、これからの1年を思うと、いったいどんな学びが訪れるのかとてもわくわくする。そして今年はまた、うまい具合に戌年でもあるしnociwを見習ってたくさんたくさん成長しようと思う。合掌!



_ 2005.12.16_>>>_ 満月

「ホロケウ カムイ」

お前はあの洞窟からやってきたんだね

お前の心は恐れを知り 喜びを知っている

お前が放つ どこまでも清らかな愛に

私はすべてを捧げよう

闇の世界からあふれ出た一筋の光が

矢のように 私を貫いた時

体の中に眠る 獣の血が

静かに喜びの声を上げる


お前はあの星空からやってきたんだね

お前の心は悲しみを知り 喜びを知っている

お前が放つ どこまでも安らかな愛に

私はすべてを捧げよう

闇の世界からあふれ出た一筋の光が

矢のように 私を貫いた時

天空にたなびく 無数の星たちが

音を立ててむかってくる



_ 2005.12.02_>>>_ 新月

「kamuy mintar」

「カムイミンタラ」とはアイヌ語で神々の遊ぶ庭のこと。

アイヌの治造エカシ(おじいさん)が千葉に製作中のカムイミンタラへ行って来た。関東で暮らすアイヌが北海道の浦河で活動するアイヌ文化保存会の女性たちを招いて唄と踊りの交流会をしたのである。彼女たちを呼んだ側にEmiのおばさんに当たる「ケイコおばちゃん」がいて、呼ばれた側ののフチ(おばあさん)の代表はEmiのおばあちゃん。体の自由が効かないフチに代わって指導していたのもまたEmiのおばさんに当たる人で、その人の娘でありEmiの従兄弟になる「タエちゃん」も神戸から駆け付けてという具合にまるでEmiの親戚の集いに参加しているようだった。まずは東京駅のそばにあるアイヌ文化交流センターで翌日の本番に備えての予行練習があり、その後マイクロバスに乗って一同千葉へというスケジュール。交流センターでの練習の時、私も誘われ生徒の中に入った。アイヌの唄や踊りは、ただ見ているだけよりも参加した方が絶対に楽しい。アイヌに興味を持ち始めてその想いを胸に絵を描いてきた自分が今、こうしてたくさんのアイヌに囲まれて一緒に唄い、踊っている!そう思うと私はたまらなく嬉しくなった。練習終了後、NobuyaとnociwとAgueは後から車で来ることになったので私一人、部外者としてアイヌまみれのバスに乗り込んだ。(笑)運転手の「タクさん」とガイドの「フトシさん」とEmiの息子「カント」意外は全員メノコ(女)!しかもフチがたくさんいたので平均年令もかなり高い。東京から千葉まで3時間あまりのバスの旅。お菓子があっちから、こっちから次々と回ってきて足りなくなるとジャンケン勝負が始まった。アクアラインを走る途中「海ほたる」で30分の休憩タイム。北海道からきたフチたちは歓声をあげて各自お土産を買いに散っていった。エスカレーターを上り一番上のデッキに辿り着くと丁度、水平線に夕日が沈もうとしていた瞬間だった。晴れ上がった空が茜色に染まり美しかった。久々に出会った海に沈む夕日。あまりにもきれいだったので沈んだあともしばらく海と空を眺めていた。するとまるで自分が大きな船に乗って航海しているような不思議な気分になった。今回は貴重な旅になる予感がした。

カムイミンタラはうわさ通り凄い場所にあった。四方を山で囲まれた土地に治造エカシが自らの手で作り上げていた。全財産をはたいてこの仕事に取りかかっているのだが、お金がなくなるとバイトをしながらでも製作を続けていて、来年の夏を目標に完成させたいと思っているのだそうだ。治造エカシが全てを掛けてでもこの仕事に没頭しているのは、ここをアイヌ文化の交流の場として次世代へ繋げていこうとしているからなのだろう。中へ入ると夕食の準備がされていてテーブルの上に御馳走が運ばれてきた。みんなはお腹も減ったのでまずは御飯だと思っていたのだがフチ(Emiのお婆ちゃん)が「カムイノミをしないと座敷に上がれないよ」と一言。「カムイノミ」とは神様に捧げる祈りのことだ。明日の本番には勿論カムイノミをしようと思っていた人達も到着してすぐにやるとは考えていなかったようであわてていた。「私達が北海道からはるばるやって来たことをまず、神々に報告しなければならないからね」とフチ。アイヌにとって一番大切な神は「火の神」なので早速七輪に炭を入れ火が起こされた。塩と米と供物を供えお神酒と祈りが捧げられた。フチは「このトノト(お神酒)をここに集まっているみんなにも飲ませてあげて」と言った。「今日ここに集まって来た人達はカムイが連れて来た人達だ。アイヌであろうとなかろうとみんな親戚なのだから」と。お酒が飲めない私もこのお神酒だけは断れない。「今日ここに来れたことに感謝します。この交流会がみんなにとって実りのあるものになりますように」と心の中で祈りトノトを回すと、隣に座っていたおばさんはカムイミンタラを手伝いに沖縄から来ている人で「私も部外者でカムイノミも初めて見たけど神様に祈る気持ちは沖縄もアイヌも一緒だね」と言っていた。家の中でカムイノミを終えると次は外へ出て、ここを守ってくれている先祖や動物の霊にも同じように供物やお神酒や祈りが捧げられカムイノミが無事終了した。フチは「あーこれでやっとホッとした」といって顔をほころばせた。フチの言うことは絶対だ。お年寄りが尊敬され、その言葉でみんなが神様とひとつに繋がる世界は、なんて健康で気持ちがいいんだろう。宿泊はオノコ(男)たちがこの場所でメノコ(女)たちは徒歩7分の所に作られた民宿だった。Nobuyaたちの到着は夜中になりそうだったので私達は翌日に備え宿へ向かった。そこは趣きのある古い民家を改造して作られた宿で私達が初めてのお客だ。畳みの部屋に通されると中には囲炉裏があり庭で取れた柿とさつまいもがお茶請けに置かれていた。部屋一面に布団が敷かれ、まるで修学旅行のようだった。治造エカシの娘「マサミちゃん」と一緒にお風呂に入った。マサミちゃんは東京でアイヌの唄や踊りを学んでいるが、さっきセンターで浦河の踊りをやった時、同じ踊りでも東京でやってきたものとは随分違っていたことに感動したと言っていた。浦河のものはもっと土臭い感じがして踊りの原点のようなものを感じたと。きっとケイコおばちゃんはまさにそのことを東京にいるアイヌに感じて欲しかったのではないだろうか?とふと思った。観光客に見せるための踊りではなく生活の中から自然に生まれた命の唄や踊り。それがすべての根源であるということを。

翌日カムイミンタラへ行ってNobuyaに会うとゆうべはオノコどもで案の定、酒盛りが始まってほとんど寝てないと言う。nociwは生まれて初めて馬を見て興奮していた。nociwが興奮するから馬も興奮して、でっかい鼻の穴からブワーッと蒸気を何度も噴射させnociwに浴びせかけていた。獣と獣の関係は見ていてとてもおもしろい。みんなで朝食をとった後、いよいよ本番になった。中で数々の唄が披露されたあと外に出てで踊りが始まった。アイヌの美しい刺繍が施された着物は自然の中が良く似合う。「素敵だな」そう思って見ているとパラパラと雨が降り始め、やがて大降りになってきたので最後の踊りは中でやることになった。輪になって回る輪踊りだ。私はよっぽど羨ましそうな顔をしていたのだろう。一人のフチが回ってきた時、自分の前を指差して「さぁ。入んな!」と声を掛けてくれた。「やったぁーっ!」私は嬉しくてニコニコ笑いながら踊っていると、目の前に同じくニコニコ顔で輪に入って踊っているNobuyaがいた。何だかあんまり楽しくて永遠に回っていたいと思った。演目が終わり「タクさん」と「フトシさん」兄弟のムックリとトンコリの演奏を聴きながら昼食を取ることになった。宴もたけなわの頃、夕べお世話になった民宿で働いていた札幌出身の女性が現われて言った。「仕事サボって来ちゃったの」「あのぉーリクエストしてもいいですか?ピリカという唄を唄って欲しいんですけど」でもフトシさんはその唄を知らず「ごめんなさい。僕知らないんです」と断るとフチがすかさず後ろから「エミ唄えるべ」と一言。婆ちゃんに言われたらやるしかない。Emiが「バスガイドさんが唄うやつでいいんだよね」と言いながら、いそいそとステージに登ってきた。「あのぉーじゃぁピリカを唄います」Emiの唄が始まるやいなや一瞬にして場の空気がピーンと研ぎすまされ、みんなが唄の中へ入っていった。いつの間にか涙が勝手に流れ出していた。リクエストした女性を見ると彼女もハンカチで涙を拭いていた。一曲で去ろうとしたEmiにフチが「もう一曲聴きたいな」と言った。Emiがあと一曲だけと言って唄った唄はカモメの唄で二匹の女性のカモメの会話を唄にしたものだった。「あんたは子供をどうやって食べさせてるの?」「私は盗みをしてでも子供は食べさせていくよ」……二人の子供の母親として日々奮闘中のEmiが久々にみんなの前で聴かせてくれた唄声。後ろでムックリをひいていた「タクさん」が突然、溢れ出る涙を拭いはじめた。終わるとすぐに「タクさんが」フチに何かを告げあわただしく外へと一緒に出ていった。気になったので付いていくと夕べカムイノミをした場所で再び祈りを捧げている。「タクさん」が振り向いて言った。「今、ムックリを引いてたら左肩と右肩にそれぞれ先祖の霊が降りてきて涙が止まらなくなったんだよ。それで感謝の祈りを捧げたんだ。」この言葉を最後に私達がこの場を立ち去る時間がきた。私はEmiの本当の姿を見た気がした。唄や踊りはもともとはこうして神と人をつなぐ架け橋だったのだ。

神々が遊ぶ庭でまたひとつ大切な宝物を見つけました。



_ 2005.11.17_>>>_ 満月

「霜月」

8月に広尾の禅寺「天現寺」で行われた「縁祭り」で出会った「タケオ」と「ユウコ」がアトリエから1分のところに越して来た。聞くと何と「タケオ」はミュージシャン兼カメラマン志望のアーティストだった。母屋の隣に住んでいる友達「エイジ」もミュージシャン。nobuyaもいずれは音楽でご飯を食べて行こうとしている身。志を同じくするものたちが自然と集まってきてしまうというのも何かの縁なのだろう。おもしろいことが起こりそうな予感がする。

こんな風にすぐ近くに仲間がいていつでも気楽に会える環境は、バックパックで旅をしていた時に知り合った友達と近くのゲストハウスに何ヵ月も住みついて、気が向くとバカをやって思いきり遊んでいた頃の感覚を思い出す。長い間一緒にいるとカップル同志が大げんかをしていることもあったり、それぞれに「人間」を出してくるものだ。でも、それもあってみんなお互いを理解し合い絆を深めていってたっけ…。思わず顔がニヤけてくる懐かしいこの感じ。私達は今も旅を続けているのだ。

満月があまりにもきれいだったのでnobuyaとnociwと森へ月を見に行くことにした。近いから「タケオ」と「ユウコ」にも一応声を掛けてみると「行く行く!今、準備するから待ってて」とノリのいい答えが返ってきた。静まりかえった森の中で月は一段と輝きを増していた。木々の間から漏れる月のスポットライトが私達を青く照らし出す。美しい光。しばし4人と1匹でじーっと空を見上げていると、じわじわと月のあたたかさがここまで伝わってきた。月にも熱があるということを私達は改めて知り感動する。「月光浴だね」「うん。まさに」私は地面に座り目を閉じてその熱を全身に浴びてみた。いつの間にか心の中までがポカポカとしてきてとても幸せな時間だった。

ふと目を開けると月がニッコリと笑っていた。



_ 2005.11.02_>>>_ 新月

「u teke an pa」

友達のシルバーアーティスト「Ague」のお店で北海道は阿寒在住のアイヌの木彫りアーティスト「幸次さん」の個展が行われている。私が「Ague」や彼のパートナーでありアイヌの唄い手である「Emi」や「幸次さん」と出会ったのは4年前、2001年12月に原宿のギャラリーで「RED DATA ANIMALS」という絶滅危惧種の動物をテーマにした個展を開催していた時のことだ。ストリートから中が見えるようにドアを全開にしていたギャラリーの前をこの三人が偶然通りかかり「Emi」が絵に目を止めたのがきっかけだった。「Emi」は真直ぐに私のところへやって来て「あなたの絵にアイヌを感じるけどなぜ?」と聞いてきた。私とアイヌが出会った瞬間だった。

北海道にいた頃アイヌに関してほとんど無知だった私は東京へ出て来て逆に興味を持ち始め、アイヌを知れば知るほど彼らの文化や生活に対し深い尊敬の念を抱くようになった。やがて描く絵にも変化が起こり、アイヌ文様のようなものが現われ出した。絵のタイトルにアイヌ語を使い、自分のギャラリーの名前もアイヌ語にした。そして「このギャラリーにいつの日かアイヌが来てくれたらいいな」という夢を抱いていたのである。それまで私にはアイヌの知り合いがいなかった。「知り合いたい!」と思ってはいたが自分から探そうという気にはならず、何故か「絵を描き続けていれば必ず向こうからやって来る」という確信を持っていた。「出会うべきアイヌと私は出会う」という強い思いも。

その時、「本当に来た!」と思った。直感は正しかったのだ。しかも三人とも作品をとても気に入ってくれ、私は胸の奥が熱くなった。あの日のことは今でも鮮明に覚えている。三人は桜の季節に花見がてらギャラリーを訪れてくれた。ギャラリー最後の個展では「Emi」が友達に声をかけてくれ、焚き火を囲んでアイヌの唄や踊りを演じてくれた。夢のようなあの光景を目にした時、私のギャラリーはこの時のために生まれたのだということを知った。イメージが形になる証しだった。そしてあの日以来、私達はずっと家族として付き合っている。「幸次」さんは阿寒にいるので会えるのは年に一度だが、毎年その時が楽しみでならない。しかも今年は新しくなった「Ague」のお店で急きょ個展をやることにもなり、とても待ち遠しかった。

オープニングの日、店へ駆け付けると「何か個展をやってますよってわかるような看板があった方がいいかな?」という話になった。「幸次展とか?」という普通の案も出たが、彼はすかさず「いや。そういうのじゃなくて、もっと違う、ここでみんなが出会っていくという感じのものがいいな。アイヌ語でさ。」と言った。そういうのは「Emi」が得意なんだという「幸次さん」の言葉を受けてしばらく考えていた「Emi」が言った。「そうだ。手と手をつなぐっていう意味のアイヌ語があった気がする」と。「それだ!」ということになりさっそく「Emi」が婆ちゃんに電話をして確認をとった。「u teke an pa-手と手をつなぎ支えあう」看板は私が描くことになった。少しでも力になれることがたまらなく嬉しかった。描き終えると「看板持ってみんなで記念撮影だ!」と「幸次さん」が言った。自動シャッターが切れるのを待つ間、私は幸せな気持ちに包まれていた。「アイヌであろうがなかろうが、私達はみんな同じ人間。今ここに手をつなぎあえる仲間がいる。それだけで勇気を持って生きていけるんだ!」そう心がつぶやいていた。



_ 2005.10.17_>>>_ 満月

「土に還る」

精霊の滝でヒキガエルと遊んだ日々があった。私が行くことがわかっているかのようにいつも待っていてくれた滝の住人。ここでヒキガエルと出会ってから色んな場所で出会うことになる。

先日nociwと友達二人を連れて散歩に出たら、ある家の前のコンクリートの駐車場の上でヒキガエルが息も絶え絶えに口から内蔵を出し地面に張り付いていた。傍らで野良ネコが優雅に座って知らんふりをしている。nociwがこの状況にたまりかねて珍しく吠えた。友達二人も「ここで無惨な死を遂げるのはかわいそう」と泣きそうな顔をしている。「じゃあどうするのが一番いいと思う?」と聞くと「土のあるところに置いてあげるのがいいと思う。でも絶対さわれないけど」と二人。「よし。じゃあここは私がやるしかないね」と思い、カエルをゆっくりと抱き上げた。お腹の皮膚が柔らかくなり手足はだらんと垂れ下がったままで、脈はかすかになっていた。草むらに運び土の上にそっと置くとnociwが「キューン」とひとこと鳴いた。お腹に手を当ててみると、もう息をしていなかった。私達は手を合わせ祈った。この時、数年前のある体験が蘇ってきた。

夕方、自転車での帰り道。道路に車にひかれたばかりのネコが横たわっていた。私はどうしてもそのまま通り過ぎることができず、そのネコをどこか土のあるところに埋めてあげようと思い、抱きかかえ自転車カゴに乗せた。目は閉じたまま体もピクリとも動かなかったが、体温だけはわずかに残っていた。私は急いで家に帰りスコップと浄めのセージを手に取ると野原に行って土を掘った。そしてその中にネコの亡骸を横たえ土をかぶせる前に手を合わせていると、いきなりネコの目がカッと開き私を見て「ニヤーン」とひとこと言い残し再び閉じたのだった。ほんの一瞬の出来事だったが、私には「アリガトウ」と言ってくれたように聞こえた。

nociwをクローズして数日後、家の前でひよ鳥が死んでいた時もあった。目の前が川だったのでその亡骸を川原にある大きなくるみの木の下に埋めた。ネコの時と同じようにセージを焚いて川辺に咲いていた花を一輪そえて手を合わせ祈っていると、同じひよ鳥が一羽飛んできて枝に止まりさえずり始めた。それは今まで聞いたことのないような感情的な鳥のさえずりだった。その鳥はしばらくその場所を立ち去らず、ずーっとさえずり続けていた。後日、ひよ鳥はつがいで行動を共にすることを知り、あれは相棒の死を悲しんで哀悼の唄を捧げていたのだとわかった。

実はここに越してきてすぐに頭のてっぺんをハチに刺された。頭頂にはクラウンチャクラがある。普段あまりこの場所を意識することはないが、この時ばかりは意識せずにはいられなかった。まずハチが止まり、腕に注射を打たれる時のように「ハイ。刺しますよー」という間があって、初めチクッとしたと思うと次にスーッと中に入ってきて冷たいシャワーのようなものを流し込まれた。自分の仕事を終えるとハチはゆっくりと針を抜き、まるで何ごともなかったかのように去っていった。この一部始終を体験した後、急にシビレがきて激痛が頭を襲い、熱が出て首の両側のリンパがゴルフボール大に腫れ上がり三週間程仰向けに寝れないという苦しみを味わったのだが、この時変な言い方だがハチの針を通して自然と交わった気がした。それ以来自分の中で何かが変わったのは確かだ。言葉ではうまく言えないが自然と接する感覚が今までとは明らかに違うのである。

でも自然はいつも同じメッセージを伝えてきてくれている。地球に生きるものたちはみな、いずれは土へと還ってゆく。生きている私が出会う様々な経験もみな、そこに行き着くということを教えてくれているのだ。



_ 2005.10.03_>>>_ 新月

「no music no life」

相変わらず住居を製作中の今日この頃。今のところ床ができていて、まもなくトイレが完成する。次はストーブ部屋だ。そろそろ寒くなってきたので早いとこ作ってしまわなければいけない。このストーブ部屋ができたらとりあえず家に移り住めるだろう。薪ストーブにするから冬を迎える前に森へ薪集めにも行かなくちゃならないな。玄関や土間は住みながら作っていくことにして…。と、そんなこんなでもうしばらくはアトリエ暮らしの生活が続く。

引っ越してから生活の音はずっとラジオだった。ラジオを聴くのは久しぶりでとても新鮮だったが、そろそろいつも聴いていた音が恋しくなり始めていた。そんなある日、nobuyaがエアパッキンで包んだまま家に放置していたDJ回りの機材一式をアトリエに運び込んできた。家ができるまでは我慢しようと思っていたけどもう限界だと言って。私はとても嬉しかった。お陰でまた、かつてのように彼のDJプレイを聴きながら絵を描くことができるから。やっぱりこれが最高!だってライブだもんね。これ以上の贅沢な環境はないなと思う。そういう意味では私の絵はnobuyaと共に描いているともいえる。

DJはアーティストだと思う。やっていることは曲のミックスだが、同じ曲でもDJが創り出す世界の中で絶妙なタイミングで流れてきた時、その曲はまるで違った表情を見せ始め再び生き生きと輝き出す。その音の流れに身を委ねていると、一瞬にしていろんな場所へ自由自在に旅をすることができるのだ。これは意識の旅である。音もまた目に見えない世界だが確かに此処に存在し、私達の心を深く解き放ってくれる。

アトリエでは風や鳥や虫たちの声がいつも響いている。おまけに時折走るローカル線の電車の音は銀河鉄道のようで私を別な次元へと連れ去っていく。そこにnobuyaの音が重なり、渾沌とした、でもとてもおだやかな不思議な感覚を味わう。心地よい音の川の中で私は命の声を聴く。この世界に音楽があって本当によかった。



_ 2005.09.18_>>>_ 満月

「howl」

ござれ市と満月が重なったスペシャルな日。今は山の麓で毎日絵を描いてるから、月に一度のござれ市はいっぺんに多くの人と接する刺激的な日だ。今日もファンの人達が来てくれてあたたかなエネルギーをたくさんくれた。朝5時起床で炎天下の中ずっと外にいて体はたまらなく疲れてるのに精神はとても高揚しハイになっている。おまけに満月、十五夜となれば寝るのがもったいなくて庭で焚き火をした。縁側にすわって空を見上げると、まん丸お月さんがポッカリ浮かんでいる。いつにも増して格別に美しい月だ。寝ていたnociwも起き出して庭で遊び始めた。2度目のござれ市はだいぶ慣れた様子だったがそれでも疲れただろうな。付き合ってくれてありがとう。nobuyaも2週間休み無しで働いてやっとオフになったのに朝早くから起こされて1日私のために費やしてくれてほんとにありがとう。そしてござれ市に足を運んでくれたみんな、ほんとにほんとにありがとう。あなたたちのお陰で私はこうして存在することができています。感謝です。

火と月を交互に眺めていると「自分はなんて幸せ者なんだろう!」と思う。nobuyaを見ると彼も同じ気持ちのようだ。満足そうに煙りをゆっくりとくゆらせている…。そうだ今日は満月。そういえばオオカミ犬であるnociwの遠吠えをまだ聞いてないねということになり、nobuyaが遠吠えを始めた。私もそれに続いた。するとどうだろう最初はきょとんとして首を傾げていたnociwも眠っていたオオカミの血が騒いだのか「私が一番よ!」と言わんばかりの声を張り上げ抑揚をつけてみごとに遠吠えを始めたのだ。私達はなんだか嬉しくなって3人でしばらく遠吠えのハーモニーに酔いしれた。すっごく気持ちが良かった。

こういうコミュニケーションがあったっていいよね。



_ 2005.09.04_>>>_ 新月

「ミルキーウェイ」

先日、登山家の大久保由美子ファミリーとキャンプをした。由美子がだんなの「よっちゃん」と生後7ヵ月の息子「そーすけ」を連れて会いにくる予定だったのだが、できれば「そーすけ」にキャンプデビューをさせてあげたいからどこかない?ということになり、だったら私達の大好きな森でやろうということになったのだった。私達にとってはnociwを連れての記念すべき初キャンプでもある。

久々に会った由美子と「よっちゃん」は父と母の顔になっていて美しかった。「そーすけ」は愛嬌たっぷりの顔で「よっちゃん」にそっくり。最初はパッチリ二重だったらしいが、ある時を境に突然変化を遂げたらしい。二人が「坊さんぽい」という通り、すごーくリラックスした佇まいをしている。なんともかわいいやつ。

森の中の「そーすけ」は川の水の流れや、さやさやと風で揺れる葉っぱにじっと見入っていた。nociwも一日中自然の中で自由にしていられるのが嬉しいのかとてもご機嫌の様子。あっちへ行ったりこっちへ行ったりとウロウロ散策している。外に広げたプールみたいなブルーシートの上でゴロゴロしている「そーすけ」の顔をnociwがペロペロ舐めだした。nociwと「そーすけ」は同い年。誕生日も近い。一方は人間一方はオオカミ犬として同じ時期に地球に生まれてきてそれぞれに成長し、今ここで顔を突き合わせている。なんだか不思議。

「子供と犬は同じだな」と思う。抱いている時に伝わる波動が似ているのだ。彼らは話さない分多くをバイブレーションで語りかけてくる。それはとてもストレートでわかりやすい。我が家に来たばかりの頃は子供に会うとビビッてオシッコを漏らしていたnociw。たぶん得体のしれない生き物に感じていたのだろう。でもAgueとEmiの子供「りうか」と「かんと」が家に来て一晩一緒に過ごしてから、すっかり慣れてしまった。彼らは同類だと分かり安心したのかもしれない。

テントを張り終え火を起こす。大きな瞳をランランと輝かせながら食い入るように炎を見つめる「そーすけ」傍らに寝そべり目を細めるnociw。ピュアな二人(?)と一緒に焚き火を囲んで私達は幸せに包まれた。子育てでてんやわんやの由美子も仕事で多忙を極める「よっちゃん」もとてもリラックスしていた。普段はなかなか話せない心の中の深い話も火の前なら自然に出てくる。「そーすけ」の未来の幸せのために色々と想像をふくらませる二人。それは私達がnociwについて語る時と同じ。愛にあふれていた。

空を見上げると満点の星が瞬いていた。「よっちゃん」が「都会の夏は星なんて見えないからオレ、夏の星座は全然わかんないんだよなぁー」とつぶやいた。由美子が「あ、でもこれは天の川だよぉ−!」と言って指差す方向を見上げると、淡く白い光のつぶが川のように星空に横たわっている。しばらく空を見上げていた。

「人間も動物も星も結局はみんなつながっているんだなー」そう思うと心の中があたたかくなった。



_ 2005.08.20_>>>_ 満月

「藤原さん」

新しいアトリエの隣に藤原さん一家は住んでいる。ここに来てもう34年になるそうだ。3年前一家の大黒柱であるお父さんが脳硬塞で倒れてから家で静養していて、お母さんと娘さん、そして近くに住んでいる二人の息子さんとで支えあって暮らしている。藤原さん一家は本当に仲がいい。「家族ってこういうもんだよなー」としみじみ思わせる家族らしい家族だ。私達がアトリエを作っている時から「一息いれたら」と言ってお茶やお菓子を出してくれたり、越してきてからも晩御飯のおかずを持って来てくれたりする。八百屋でパートを勤めるお母さんは、帰る時分けてもらえるという野菜を私達にも分けてくれる。お陰で食いっぱぐれる心配もなく本当に感謝している。

越して来る前はマンション暮らしで、お隣さんとは廊下で会った時に挨拶を交わす程度だった。東京に出て来た頃はある意味そういうクールな人間関係を求めていた自分がいた。他人と関わることはめんどうくさいと思っていたのだ。でも月日が経ち東京で得た一番の宝物はなんだろうと思った時、それは仲間の存在で大切なのは他人との暖かな人間関係だということに少しずつ気付き始めた。自分が暮らす同じ環境にいるお隣さんとは、他人であっても何だか家族のような気持ちになってくるということが実はごく自然なことだったのだ。そのことを、ただ当たり前に生きている藤原さんが教えてくれた。今までよりも田舎へ来てみて改めて知った感覚だった。お隣さんの元気な顔を見ると、こっちまで元気になってくる。それってとっても気持ちがいい。

思えば子供の頃、泥だらけになって遊び回っていた家の界隈にはたくさんの藤原さんがいた。勝手に家に上がり込んでおやつをパクパク食べてはまた飛び出して行ってたっけ…。ここにいるとその頃の懐かしい記憶が蘇ってくる。「お父さんお母さん」はたくさんいたっていい。この感覚こそ未来へ受け継いでいきたいものだなぁと思う今日この頃です。



_ 2005.08.05_>>>_ 新月

「nociw」

引っ越しがやっと終わった。が、家はまだ完全に出来てないので、とりあえずアトリエに暮らしながら住居を作っていくことにする。オオカミ犬「nociw」も来た。家族が一人増えたことで今までの生活とはガラリと変わり、より私達らしい生活ができるようになった。この出会いに感謝の気持ちでいっぱいだ。

毎日「nociw」と森へ散歩に出かける。早起きをして朝食を取らずにまずは森の中へ。最高に楽しい時間を味わう。今までnobuyaと二人で入っていた森だが「nociw」が加わったことで自然がまた別の顔を見せ始めた。そこには新しい世界が広がっている。

八月からやっと製作も再開できる状態になったので、森で感覚を研ぎ澄ませながら絵に集中していきたいと思う。落ち着いたら私達が長年インスピレーションを貰い続けてきた「あの森」に「nociw」を連れて行こう。

その日を想うと胸がドキドキする。



_ 2005.07.21_>>>_ 満月

「ドゴンの宇宙」

「ユネスコ世界遺産に登録されているバンディアガラの断崖に住むドゴン族。彼らは80種類もの仮面とそれを守る秘技や葬送儀礼によって宇宙の始まりにまつわる伝説や超自然的な世界観を伝承している…。」公演のパンフレットにはこう記されていた。

幸運なことに彼らの聖なる儀式である葬送儀礼と仮面舞踏を観る機会を得た。一緒に居合わせた仲間は8人。(最近8を目にすることが異常に多い。)始まる前にロビーに展示してあった仮面に釘付けになる。私は何故か子供の頃から仮面というものに強く惹かれ続けていた…。ドキドキしながら席に着く。静まりかえった舞台がアフリカの大地に変わっていった…。

精霊があらわれた。ドラムの鼓動。生命のダンス。 ドキドキは止まらない…。

いつの間にか舞台の上の彼らと客席にいる自分との間の境界が消え、共にひとつの時間を生きていることに気づいた。「何なのだろう…この懐かしさは。この胸の熱くなる感覚は…。」そう思い感じていると、まるで一瞬の出来事のように一時間半が過ぎ去っていた。しばらく自分が何処にいるのかがわからなくなった。そして一週間たった今でもあの時の感覚は残ったままだ。ドゴンが私の中の何かを呼び覚ましてしまったようだ。

今でも彼らは此処にいる。ドゴンを想うだけで、いつでもすぐに神話の世界へと入って行けるのだ。



_ 2005.07.06_>>>_ 新月

「ソウルメイト」

先日青山にあるギャラリー「共存」のウィンドウを仲間とともに飾ってきた。
今月18日までの展示である。

「bunsui」の花と「MARK」のクリスタルと私の絵。三人で一緒にやるのは今回が初めてのこと。この機会が与えられたこがとにかく嬉しい。「MARK」とは「nociw」が終わろうとしている頃に何故だか急に仲良くなり、気がつくと「nociw」のストーンサークルを森へ還すための儀式に参列してもらっていた。その後、私のホームページを作り続けてくれているwebマスターであり、これから私のマネージメントも引き受けてくれようとしているプロデューサーでもあり、彼自身クリスタルとともに地球を歩く旅人でもある。

「bunsui」とは10年来の友人。彼もまた花とともに生きてきた旅人であり、花と向き合っている時の真摯な姿勢にはいつも心打たれてきた。私が絵を描く上でも多大な影響を与えてくれた人でもある。そんな彼ともコラボレーションは本当に久しぶりのこと。この5年くらい私はずっと絵に集中してきて、仲間たちとゆっくり会う機会も以前よりは少なくなっていた。でも自分がこうして絵を描いていられるのは彼らのお陰であり、彼らに対する感謝の気持ちは薄れるどころか絵を描くたびに増々強くなっていく毎日なのだ。会えなくてもこの気持ちは絶対に伝わっていると私は信じてきた。そんな中、縁あって出会った「共存」の夏代と「MARK」の粋な計らいでこのコラボレーションは実現した。ディスプレイは終止笑顔の中スムーズに終わった。みな声を揃え「いいね。」の一言。これも信頼し、認め合っているからこそできる仕事だ。

私達人間は何かしら表現をしながら毎日を生きている。歩くことも、食べることも、話すことも、すべてが表現。生活そのものがアートであり、私達はみなアーティストなのだ。そして自分の心もアート。心の中の平和。仲間との信頼という平和。私は本当に素晴らしい仲間たちに囲まれて生かされている。そのことに感謝せずにはいられない。

帰り道。素材で余った笹竹を担いで三人で代々木公園を歩いた。森の木漏れ日とほんのり香る笹竹と仲間の笑い声。会っていない日々など関係ない。今、一緒に歩いているということに、ただただ幸せを感じている自分がいた。



_ 2005.06.22_>>>_ 満月

「ホタルのダンス」

引っ越しが決まった。

8月から住むために今、準備の真っ只中である。アトリエと家の2軒借りることになったのだが、どちらもボロ屋なので、家賃を安くして貰う代わりに改装はすべて自分たちでやることになった。でもあまりにもボロすぎて改装の前にまず解体をしなくてはならないハメに…(笑)。

いざやってみてほとほと思い知らされた。想像以上に大変なのだ。 反面「家ってこういう構造をしてるのかー。」と勉強になることもたくさんある。改めて「大工さんは凄い!」そう思った。それに大変だけど自分たちの住む家を自分たちで作るというのはとっても楽しいしクリエイティブな仕事だ。解体で出た床板や天井などの木材は大家さんの許可を得て家の前で少しずつ焚き火をしながら燃やせることになった。実はその焚き火の時間がたまらなく楽しい。やらなきゃいけないことがたくさんあって「あぁーどーしよー。」と思っていても、どんなに作業で疲れていても、火を見るとたちまち元気になってしまうから不思議だ。家の隣には既に友達が住んでいるので一緒に火を囲みながら笑い合う贅沢なひとときを過ごす。一日の終わりに火のある暮らしはいい。

夏至の日。

友達がアトリエのペンキ塗りを手伝いに来てくれた。一人で塗るのと四人で塗るのとじゃあ大違いで一日でほとんど塗り上がり、部屋も見違えるほど明るくなった。本当にありがたい。持つべきものはやっぱり友達!日が沈みいつものように廃材燃やしの焚き火が始まった。みんながそれぞれに火を味わっていた。笑い声がたえない。ふと家の横を流れる川に目をやると点滅する小さな光が見えた。ホタルだ。「わぁーホタルなんて何年ぶりだろう?」「オレもーっ!」と盛り上がり、散歩しながらもっと森の中へ行ってみよう!ということになった。歩いていくとだんだん人の灯が消えていき本当の夜の世界が訪れた。光がひとつ、ふたつと見え始めた。こっちに向かって飛んできて明らかにサインを送ってくるものもいる。本当に神秘的な光。川辺にしゃがみ込みじっと目を凝らしていると、今まで暗闇だと思っていた葉っぱに止まっていたホタルが、あっちもこっちも一斉にひかり始めた。「きっと心を静かにすれば見ることができるんだね。」とみんなで納得。視線を道に戻すと両側からひとつずつこちらに向かってくる光が見えた。だんだん接近してくるふたつの光を固唾を飲んで見守っていると…。何とふたつは出会い、挨拶を交わした。その後くっついたり離れたりしながらふたつの光は踊りだし、上に行ったり下に行ったり、旋回したり、どう見ても楽しく遊んでいる様子。そう思っているとふたつがひとつに重なりあったまま静止した光になった。「わぁーっ。ひとつになっちゃったよーっ!」と歓声が上がる。私達はまるで森からホタルのショーに招かれた客人のようだった。たまらなく嬉しかった。宮沢賢治の物語のように美しすぎて涙がこぼれた。しばしの包容のあとふたつの光はまたひとつの光となり別々の道へと飛んで行った。片方をずっと目で追っていくとその光はどんどん上へと登っていき木々の間から漏れる月光とひとつになってやがて空へと溶けていった。

忙しい日常の中に訪れた宝石のような時間。いつまでも心に残る夏の輝きです。



_ 2005.06.07_>>>_新月

記憶への旅

私は昔 風でした
海であり 山であり
花であったこともあります

私は昔 蝶でした
鳥であり 蛇であり
魚であったこともあります

私は昔 あなたでした
母であり父であり
兄妹であったこともあります

私は今 あなたといます
喜びや悲しみを分かち合うために
ふたたびこうしてやってきました

何のためらいもなく
何の迷いもなく

あなたに愛を注ぐために
私はここにいるのです

さぁ 魂の話をしましょう



_ 2005.05.24_>>>_満月

魔法がとけて

2月のkunne poruの個展で新潟に行ってイベントをやった際、被災地の川口町の峠にあるゴンペのじいちゃんこと星野寅吉さんと京子さんの住まいを訪れた。自分達の暮らしていた家は全壊したが側にあった倉庫は半壊ですんだので、そこを新たな住居としてじいちゃんが少しずつ修理しながら2人で暮らしていた。その時、京子さんが言った「今は雪で全てが魔法で覆われているけど魔法がとけると緑豊かな宝の山に変わるからその頃にまたおいで。」と。その言葉通り私は再びこの峠を訪れた。この夢が叶ったのは2月にここへ連れてきてくれたイベントの世話役でもあった康宏のお陰だ。康宏が東京で行われたcandle JUNEのイベントで新潟のイベントに参加してくれたアーティスト1人1人に会ってお礼を言いたいといって上京して来た時、彼女の恭子を連れて我が家にも滞在した。その時私が「魔法がとけたあの峠で山菜採りをしてみたいなぁー。」とつぶやいた思いを実現させてくれたのだ。

彼の亡き祖父石松さんと寅吉さんは大の親友だったらしい。石松さん亡きあとも家族ぐるみのつき合いは変わらないという。今回は康宏と恭子そして康宏の姉ちゃんの由香と峠へ泊まりに行くことになった。3ヶ月ぶりに訪れた峠はとても懐かしかった。2月に来た時はまだ床も傾いていたがそれもきれいに直され部屋も片づいていた。今、峠の村には2軒しか人が住んでいない。昔はもっと住んでいたそうだ。学校も廃校になった。深刻な過疎化が進んでいるのである。そこに追い打ちをかけるように震災があった。そして例年にない大雪。魔法がとけた山は所々崩れ落ちたくさんの傷跡を残していた。それでも山は新緑に沸き、みずみずしかった。京子さんに連れられて山に出掛けた。ウド、フキノトウ、木の芽、ワラビ、ゼンマイを夢中になって採った。私はすっかりハマってしまった。山菜採りがこんなに楽しいものだとは知らなかった。遙か彼方に越後連峰の雪をかぶった荘厳な姿が見渡せる。ため息がでるほど美しい。うっそうと緑が茂る深い谷はナウシカがいそうな場所だ。

夜、外で月を見ながら宴が始まった。ゴンペの次男坊の勝治さんも横浜から1ヶ月の休暇を取り震災で崩れた田んぼの再生を手伝いに来ていた。峠下に住む長男や康宏の父さんや兄ちゃんもこの峠で畑を復活させるために働いていた。かれらも集まってみんなで昼間に採ってきた山菜の天ぷらに舌鼓を打ちながら語り合った。カエルの合唱と沢を流れる水の音に包まれて私は夢心地だった。宴も終わりみんなが家の中に入ったあと、私は1人インディアンフルートを吹きながら村を散歩してみた。この村に住む2軒の家というのはここゴンペとすぐ裏にある家だったのでちょっと歩けばもうそこは人の気配がなく自然の気配があるばかりだった。幾つもの壊れた家屋が静かに何かを語りかけているようだった。カエルの合唱とフルートでジャムセッションをした。私は何だか楽しくなってフルートを吹きながらどんどんどんどん夜道を歩いて行った。気づくと、この村に捧げる気持ちで吹いている自分がいた。下手くそな私のフルートに木々たちは優しくそっと耳を傾けてくれているようだった。そう感じたとたん自然に涙が流れてきた。空を見上げるとお月さんが笑っていた。

あくる日、峠の見晴らしのいい丘に登ってじっと朝日が昇るのを待った。由香と恭子と一緒に。二人とも震災のあと精神的にダメージを受け本当に辛く苦しい思いを経験していた。朝日が登ってきた。3人とも思わず「ワァーッ。」と声を上げていた。その光は美しくて暖かかった。私はこの時間を共有できたことが嬉しかった。由香が言った。「私、この感動を忘れていたかもしれない。毎日楽しく明るく生きることが一番大切だって太陽が言ってる気がする。」と。私達は無言のまましばらくこの恩恵に浸っていた。家に戻ってから京子さんと次男の勝治さんと全壊したという家の跡地を見に行った。京子さんは言った。「長い長い冬の魔法がとけるのを心待ちにしていた反面、再び現実を見せられた時、自分がどういう気持ちになるか正直言って怖かったのよぉ。思い出の染みついた我が家がバラバラになっているのを見てまた深い悲しみがこみ上げてくるんじゃないかって。」と。確かにこの場所に立った時、あぁやっぱりこれが現実なんだと落胆したが、見上げるとずっと家を見守り続けてきた梨の老木が斜めに傾きながらも倒れずに立って、いつものように白いきれいな花を咲かせているのを見た時、心から癒されたという。
.「あぁ、これが癒しっていうんだなぁって思った。木もこうして頑張ってるんだ。私も頑張ろうってそう思えたんだよ。この峠で生まれ育って畑をやりながら山とともに生きてきた。他の世界のことは知らんけど山のことなら何でも知っている。ここで生きてることに本当に感謝したんだぁ…。」勝治さんがホウの木の枝と葉で作った風車を見せに来た。「ねぇこれ知ってる?今、家の跡地で古い鎌を見つけたんで作ってみたんだ。子供の頃こんなことをいつもやってたっけ…。」自然からできたその風車は風を受けてクルクル回っていた。「すっごい素敵!!」私は興奮してその風車を手に家に走ってみんなに見せた。すると由香が「ねぇ。私が軽トラ運転するから∀KIKOさん風車を持って荷台に立ってみなよ。」と言った。荷台に立ち左手でしっかり車につかまり右手に風車を持つ。こんなの初めての経験だ。軽トラが朝日に向かって峠を走る。風車はビュンビュン回り私は「ウワァァァーッ!」と叫びながら全身で風を感じた。快感で頭が変になりそうだった。峠で遊んだ子供達のとっておきの遊びだったんだろうな。「オラたちが子供ん時のかくれんぼはこの村を出ちゃ駄目という決まりがあるだけでどこに隠れてもよかったんだ」と勝治さん。遊び場が広いのだ。今はこの村に子供達の姿はない。朝食のためにみんなで餅つきをした。江戸時代以前から使われている臼と杵で餅つきが始まった。そこら中に生えているヨモギを採って潰して草餅にした。つきたての餅はほっぺたが落ちそうなほど美味かった。

私は「こんなに楽しくていいのかな?」と思うくらい春の山を満喫した。京子さんに聴いた話ではゴンペのじいちゃんはこのところずっと機嫌が悪かったそうだ。毎日毎日崩れた畑を再生させるために朝から晩まで休みなしで働いても働いても仕事は終わらない…。でも今回のようなひととき、ひと気のない峠に若い連中が集まってみんなで食って笑う。ただそれだけのことで随分元気になったと言っていたそうだ。私も言葉にできないほどたくさんのパワーを人と自然から貰った。通り過ぎるだけではわからないこと。少しだけどその土地に関わることで見えてきたもの。今回の旅で出会った全ての人に共通するものがあった。美しい瞳の輝き。シャイでとても優しいこと。そのことはこの自然と震災に無関係ではないだろう。帰り際、由香から短い手紙を渡された。「∀KIKOさんと出会えたような意味ある偶然を見逃さないように人との出会いを大切にしていきたいと思います。私、太陽のような人になりたい。笑顔の絶えない生活が私の夢。あの時見た朝日が教えてくれました。震災、大雪という試練の後に神様が私達に与えてくれたごほうびに違いないと思います。お金では買えない大切な時間を本当にありがとう。…」

みんなへ。「こちらこそありがとう。また帰るね。」

新潟に新しい家族が増えた春です。



_ 2005.05.08_>>>_新月

風のささやき

「イアー・コーニング」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

火のついた筒状のイアー・コーン(蜜蝋やハーブが成分)を耳に差し込み耳の中を真空状態にさせ耳孔や鼻孔に滞っている老廃物や毒素を吸い出すという古代から伝わるパワフルなヒーリング法だ。友人に勧められて私はその外なる耳(身体的な耳)と内なる耳(霊的な耳)の両方の耳の機能を向上させるという「イアー・コーニング」を初めて体験することになった…。

ネイティブ・ピープルの世界ではすべては「聴くこと」から始まるという。第3の耳で聴くことから…。彼らに残されていた世界を聴く方法に「風をひらく」という言葉があることを知った。それは世界を認識するため、自然を理解するために最も大切なものとされていた。まず自分のすぐ身の回りにある音に耳をすまし、そして少しずつその半径を外へ外へと広げていけばその音の多様さはやがて地球の音となって聴こえてくる。

風は太古の昔から地球の記憶を宿しながら休むことなく吹き続けている。

人間は子宮の中で受胎した瞬間から細胞すべてで外界のバイブレーションを感受しているそうだ。全身が耳の状態からスタートしているともいえる。そして生まれた瞬間が聴覚のピークでもあるといわれている。新生児が生まれた瞬間に獲得したままの「原始耳」を私達が蘇らせることができたら世界が宙返りするくらいの驚きを耳にするという。自然の中にこれまで聞こえなかった音が聞こえてくるのかもしれない。太陽と月が交わる音。星雲が運動する音。母なる地球の呼吸する音…。大人になり新生児の時ほどの敏感さはなくても生命体であるこの体は命を宿した時から全身で感じていた音のバイブレーションをすべて記憶しているのだ。私達はただその記憶を呼び起こすだけでいいのかもしれない…。

耳に心地良い熱を残したままイアー・コーニングが終わった。右と左それぞれの耳から取り出した老廃物をコーンを割って見せられた。右耳から特におおくの老廃物が出ていた。これは右耳に溜った滞ったエネルギーの固まりだそうだ。人間の耳には聴きたくないことや音に対してカーテンをかける仕組みがあるという。これまでの経験で受けたストレスやトラウマから身を守るため、自己に都合の悪い音声を遮断する特殊な機能だ。(自閉症もこの仕組みから起こると言われている。)私の場合、右耳に老廃物が溜り詰まった状態(自覚症状はまったくなかったが。)にあった。右の耳は左の脳と繋がっていて左脳は現実的な問題を処理するための器官だからその伝達能力がちょっとトロイということかもしれない。(これは実際いえてるかも。)耳にはダイナモ(発電機)のような働きがあり、脳が必要とするエネルギーの大部分(90%)は聴覚器官のエネルギー発生作用からきているという。つまり何を聴いて生きるかが脳や心に多大に影響を及ぼしているということだ。私たちの驚異的な耳のシステムは聴こえてくる音を聴かないこともできれば、聴こえない音を聴くこともできるのだ。耳って本当に凄い!

私はいつでもそっと語りかけてくる風のささやきに心の耳を傾けることができる人間でありたいと思う。



_ 2005.04.24_>>>_満月

三つのセレモニー

この半月の間にどういうわけか立て続けに儀式に参加する機会に恵まれた。

一つ目はアイヌのカムイノミ。

友達のシルバークラフトマンAgueの新しいお店の開店を祝って行われた。カムイノミとは神への祈り。お店の中に火を焚く代わりに火鉢を置いて、アイヌ料理店「レラ・チセ」の店主ひろしさんが祝詞のような節を付けた咽唄を唄い「アイヌの治造」の著者である治造エカシ(翁)が祈りを込めながらトノト(酒)や米や塩を火の神へ捧げていく。火を囲んで最前列に座るのはオノコ(男)たち。そのオノコたちにトノトを注ぐという重大な役をNOBUYAが仰せ使った。この役は人でなく神でない天使のようなものだという。メノコ(女)たちはオノコの後ろでじっと式の次第を見守るのだがトノトを注ぐNOBUYAの手が震えているのが分かり、私も久々にただならぬ緊張感を味わった。トノトを作るのはメノコの仕事でAgueの妻であるEmiが3日前に仕込んでこの日に完成したものだ。麹と米を発酵させたドブロクのようなもので、祝い酒と思い少しだけ飲ませて貰ったが(私は酒が飲めない。)ヨーグルトドリンクのようにフルーティーでとてもおいしい口当たりだった。が、しかしこれは飲み過ぎると後で大変なことになるという代物だとか…。Agueのお店の発展、家族の幸せ、先祖への感謝。一言一言に祈りを込めてトノトを火の神に捧げる度、場がどんどん清まっていくのが分かり何とも気持ちの良いすがすがしさを味わった。祈りの言葉に力が宿り空間を清浄な器に変えていた。(NOBUYAはこの時、完全にイッテしまっていたらしい…。)最後に神聖な柳の木を削って作ったイナウ(お札のようなもの)を部屋の角々に祭り儀式は無事終了した。AgueもEmiもとても晴れ晴れとしたいい顔をしていた。私達にとっても本当に貴重な体験だった。こんな大切なカムイノミに参加させてくれた二人に感謝する。

二つ目は仏式の結婚式。

友達の竜也と佳世の門出の日。仏式だったのは新郎竜也が坊主だったからだが、今までお寺では御葬式にしか参列したことがなかったので、お寺で行われるめでたい式というものがいったいどういうものなのか興味津々だった。桜吹雪の舞う庭から坊主姿の新郎と白無垢姿の新婦が厳かにお寺に入って来た時、ふと黒沢明監督の「夢」を思い出した。簫の音がお堂に響き渡り、お香のかおりが身体に染み入る。寿の波が押し寄せる…。この日初めて三三九度の盃というものが序々に大きくなっているという事を発見しなぜかとても嬉しかった。祝いの言葉としてのお坊さんのお話は命についてのものだった。私達の今在るこの命は父と母から貰ったもので、その父と母の命もそれぞれの父と母から貰ったもので、その父と母もまた…というように連綿と続く命の繋がりとその尊さについてのお話はまさに結婚の儀にふさわしい話だと感動した。たくさん集まっていたお坊さんたちの後に続いて参加者も一緒にくり返し唱えさせて貰ったお経はまるでトランスのように心地良かった。最後に「吉祥。吉祥。大吉祥。」というめでたい言葉で締めくくられた結婚式は、淡々とした中にもこれから始まる二人のそして私達の新たな一歩という地についた重みが心に残る本当に美しい儀式だった。

三つ目は神道の祭りの儀式。

知人が神主を務める富士山麓で行われた春の祭り。今年は山の神で知られる大山祗神の七年に一度の大祭だった。大山祗神は富士山の祭神コノハナサクヤ姫の父神であり山の神の総元締的な存在に当たる非常に荒々しい神とされる。元々山は古来日本においても祖霊が棲む場所であり、水の神、狩猟を司る神、焼き畑を司る神、金属を司る神、樹木を支配する神、また火山なら火の神が棲む聖地であった。これらあらゆる神々、精霊を総称して山の神というのであるが山の神はありとあらゆるものを生み出す産霊(むすび)の神様でもあるということで、生死をも左右する大変な呪力を持っているとされ昔から人間の生活に深く関わってきた。いわゆる自然を恐れ敬うアニミズムの信仰である。祭では部屋の中、祭壇の前にこの儀式のために切り2年間土中に寝かせたヒノキのご神木が立てられ、その木を寄り代として神主が石笛を吹き神を降ろし祝詞を上げ、お供え物を上げ、この世界の幸せを祈り奉り、舞いと唄を奉納し、再び神の国へ還って貰うという儀式が行われた。部屋が立ちどころに浄化されていく心地良さを味わう。参加してみてやっぱり前から感じていたアイヌのカムイノミとの多くの共通点を思った。いや神であれ仏であれこの自然界の不思議さ美しさを讃える祈りの心は世界中みな同じなのだということをつくづく感じ、そう思うとやはり一番に今自分が生かされているということにただただ感謝の気持ちが込み上げてきた。立て続けに儀式に参加することになったのも、きっと全ての宗教が持つ最も大切な部分はひとつに繋がっているんだということを再認識するためだったのではないかと今改めて思っている。

ありがとう。



_ 2005.04.09_>>>_

出会うべくして出会う。

最近親しくしている夫婦にかつさんとちえさんがいる。彼らとはまだ3回しか会っていない。でも一緒にいるとずーっと昔からの知り合いのような家族のような安心感を覚える二人だ。

初めて会ったのが2月2日の個展「kunne poru」の初日。
この日、友達である冒険家の石川直樹が昼間に来ていて「あ、そういえば僕の友人もこの個展に来たがっていたのであとでやって来ると思いますよ。」と言って帰っていった。その友人というのが彼らだった。でも二人が「kunne poru」に来たきっかけは直樹から聞いたからではなくある日ちえさんが眠れない夜に、これまた私の友達である登山家の大久保由美子のホームページをなんとなく覗いてみたらそこに「kunne poru」の紹介記事が出ていてそのフライヤーに描いてあった私の絵を見て直感で「この個展に行かなきゃ。」と思い、初日に訪れるということになったのだそうだ。夜7時くらいに来て閉館の9時まで熱心に作品を見ていた二人。NOBUYAが「なんかこの部屋焚き火臭くない?」と言って入ってきた。するとかつさんが「あ、それ僕らかな。」と言う。近ずいて匂いを嗅ぐと確かにかぐわしい焚き火の匂いがする。私もNOBUYAも大好きな香り。そこでいきなり意気投合して話しを聞いてみると二人は陣馬山の麓の山小屋のようなところに住んでいるという。陣馬山と聞いてハッとする。それは私達が今年の正月に初めて登った山だった…。

ここ10年くらいの間ずっと通っていた森の近くのキャンプ場で過ごすのが私達の正月の恒例行事だったのだが今年はオーナーが突然の事故で入院してしまいキャンプ場が閉鎖となりいつもとは違う流れになって、じゃあ今年はどうしようか?となった時に、なぜだかわからないけど「陣馬山に登って初日の出を拝もう!」ということになったのである。そんないきさつがあったから陣馬山と聞いた瞬間に「あぁきっとこの出会いは私達にとって今年の鍵になるかもしれない。」と直感した。それに二人はカナダから連れ帰ってきたオオカミ犬2匹と暮らしていた。これもなぜかわからないが去年の暮れあたりから「オオカミを描きたい!」と無償に思い始めていた自分がいたのである。その日は「この個展の波が去って落ち着いたら必ず二人の所に遊びに行くからね!」と約束して堅いハグを交わし別れた。個展の初日からこんな運命的な出会いでスタートできたことが本当に嬉しく幸せだった。

そのあと札幌・新潟のツアーを終え東京に戻ってくるとちえさんからのメールに嬉しい知らせが入っていた。ふたりのパートナーであるオオカミ犬ラフカイとウルフィーの間に5匹の子供が誕生したというのだ。しかもその内の1匹の真っ黒な子犬のお腹に私のマークである∀の文字が白く浮き出ているというのである!!そして二人はこの子は私とNOBUYAのもとへ行くような気がしてならないというのだ…。会いに行くとその子を二人は∀KIKOさんと呼んでいた!(そのあと私がやっていたギャラリーnociwの意味がアイヌ語で星だという話しをするとかつさんがじゃあこの子の名はnociwだと宣言する。)「ほっ欲しい!!」家に帰ってNOBUYAと二人でたまらなく可愛いかったねと話し合う。でも今住んでる家はペット禁止でその夢は叶わない…。だったらこのタイミングを機に前から願っていた自然に囲まれた一軒家の暮らしを始めようではないか!と一気にそこまで盛り上がってしまった私達は昨日二人の家からほど近い空家を下見に行ってきた。凄く気に入ったのだがなんと先客がいてキャンセル待ち。でも大丈夫。何ごともイメージすることが一番大切だから…。今年秋には石川直樹とのコラボレーション展が決定している。そのための絵をあの地で描いている自分と傍らにいるnociw、音作りに励むNOBUYAを想像し今二人でにやにやしている。楽しみだなー。うふふ…。



_ 2005.03.26_>>>_満月

友達の家へ行き近所の白山神社へお参りに行った。夕日がきれいで友達の子供と草原を駆け回って遊んだ。夕食をご馳走になった後、生まれて初めてタロットをやってもらった。友達が13才の時に贈られたものらしくエジプト風の絵が施された美しいカードだった。ずっと愛用してきたらしいが3年前に突然姿をくらまし、いくら探しても見つからなかったのがつい最近息子の誕生日が近づいた頃、急に姿を現し彼の誕生日に久々にカードを切り今日は復活してから2度目の出番を迎えた日だった。

カードが話した言葉は私の潜在意識がもっと変わりたいと痛切に思っているというものだった。周りの色んなものに執着していて本当の自分をまだ発揮していないと…。実はツアーから帰ってきてからも色々とバタバタとしていてここ2ヵ月間絵筆を握っていなかったことが無性に悲しくなったりしていたのだが、考えてみればその状況はとてもありがたいことで感謝すべきことだっだ。そんなことでくよくよしてる場合ではなく、もっと自分のキャパを広げるべきなんだよなーと気づかされた。周りではなく自分を変えていくということ…。kunne poruが先日3.21のアフターパーティーで本当の意味で終了し、いよいよ次へ行く時が来た。

家に帰ってみると友人から郵便が届いていて中に一枚の写真が入っていた。部屋の中を撮った写真。空中に白い玉が浮かんでいてその玉の中に私の描くサークルと胎児の絵が写ってるから見てみて!!とのこと…。

写真を見て本当にびっくりした。すごく不思議だった。不思議なんだけど普通でとてもいい感覚になった。

ベランダに出て優しく光る女神のような満月を見ながら「自分自身を解き放とう…」そう思った。

ありがとう…。



_ 2005.03.10_>>>_新月

2005年2月2日東京から始まったEXHIBITION「kunne poru」

新たな旅立ちの意味を込めて「kunne poru ARPA」とし、新潟・札幌をcandleJUNEとともに旅をした。東京展の真っ黒な洞窟の世界から真っ白な雪の世界へ。札幌のオープニングパーティーではNOBUYAがDJをやる中、妹夫婦や従兄弟、高校の同級生。札幌にいる仲間やスタッフとして同行してきた東京の仲間と自分にとってはこれ以上ないというくらい心踊る顔ぶれに、夢かと思うほど幸せ一杯の気分になった。何よりも東京以外で初めて自分の作品を発表できる地が故郷である北海道でできたことは本当に嬉しかったし、私にとってもNOBUYAにとっても感慨深いものがあった。後日、初めて私の個展に来てくれた母と叔母に自分が命をかけているものを形として少しでも感じて貰えたことに心から感謝した。

オープニングパーティーではyogajayaのパトリックによるデモンストレーションがあった。東京からYOGAを携えて飛んできたのだ。JUNEのキャンドルのサークルの中でYOGAをするパトリックを見守る人々と音と空間がひとつのエネルギーとなって、とても平和な時間が流れていった。私はDJブースのNOBUYAの隣でちょっぴり俯瞰からこの光景を見つめていたが、パトリックのピュアなバイブレーションがまっすぐに心に届いて涙があふれてきた。私もNOBUYAも今はまだYOGAをほんのちょっとかじっている程度でしかないが、本当の平和とは人間の内側からやって来るものだと思っているし、その上でYOGAは大きなきっかけを与えてくれるものだということを改めて感じることができた。あの時あの場所ですべてがひとつになった光景は、未来への可能性という強烈にポジティブな思いとともに私は決して忘れないだろう。

新潟では被災地の2つのお宅を訪問させて貰えたことが今でもずっと印象に残っている。ひとつは半壊しかけた家を修理しながらも山に暮らす老夫婦。もうひとつは市で用意された仮設住宅に暮らす家族。同じ経験を持つ人たちでも暮らす環境によって精神的な影響が異なっていた。両者とも最も大切だと言っていたのは「水」。あたりまえのことかもしれないが、私達は水によって生かされているんだということを改めて思い知る。そして何よりも嬉しいと言っていたことは、人とのコミュニケーション。日本各地からボランティアの方々が手伝いに来てくれるそうだが、人の「心」という贈り物がやはり一番人の「心」に響くのだと思った。話をすることで落ち込みそうになる気分が紛れ楽になるそうだ。仮設住宅のおばあちゃんは「こういうことでもなかったら出会わなかったであろうよそから来た人たちとこうして出会えたことに感謝している。別れる時はそれはそれは淋しいものだよ。」と言って泣いた。山のおばあちゃんは「今は雪で山がすっぽりと覆われているが、これは魔法がかかっているんだ。暖かくなってこの魔法が溶けたら、ここは山菜や茸、花や鳥や動物達、たくさんの命が輝く本当に美しい宝の山よ。あんた達にも是非その頃また訪れてもらいたいね。」と言って笑った。

私はこの地で「生きる」とは何なのか?という原初の問いを投げかけられたような気がした。

「私にとって生きることは描くこと。」答えがまっすぐに心の内側から返ってきた。

この旅で本当に多くの人の心に触れた。「こんなにいい人がいるんだ。」というくらい皆優しかった。札幌で力を尽くしてくれたOchoのテラくんとアイリ。会場となったSOSO CAFEのアヤさんとオオグチさん。大好きになったパトリック。新潟で尽力してくれたSnugProtectionの湊くんとさとみちゃん。被災地でのイベントや訪問に力を貸してくれたヤスくんとアキラくん。新潟のプラハと被災地で素晴らしく感動的な歌声を聴かせてくれたタイジくんとYaeちゃん。(雪の中キャンドルの灯りに照らされ歌う姿は寒さを忘れるほど幻想的でただただ美しかった。)個展会場で絵について話し掛けてきてくれたたくさんの人たち。candleJUNEの愛すべきスタッフの面々。東京から一緒に来てくれたsoulmates!そしてそしてJUNE!!

心からありがとう!

今回の旅で貰ったこのエネルギーをまた絵に託していきます。
i yay ray ke re kunne poru ARPA…

p.s「kunne poru」の写真を整理次第ギャラリーにupするのでお楽しみに…。



_ 2005.02.09_>>>_新月

kunne poruが始まって8日目。毎日新しい出会いと喜びを経験している。

会場に来たお客さん達は洞窟に入り息をひそめ、それぞれに自分の世界へ入っているようだ。たまたまその時その場所に居合わせた他人どうしが言葉を交わさずに同じ時間を共有している。その現実にたまらなく感動を覚えてしまう。本当に人間は美しい…。kunne poruに希望を見る日々。このあと札幌、新潟と巡る旅を想うとワクワクしてくる。

聖なる輪が回りだした。ありがとう!

peace.



_ 2005.01.25_>>>_満月

「kunne poru 合宿」

2月2日から始まる「candleJUNE」とのコラボレーション展「kunne poru」の音を担当してくれるダンナ「NOBUYA」のフィールドレコーディングのために、いつもの森へキャンプに行った。

私のホームページを作ってくれていて「kunne poru」では映像も担当してくれる「MARK」と「kunne poru」のプロジェクトを陰から一心に支えてくれている石使い「KAORI」との4人で。

夜10時に現地に到着。辺りは一面真っ白な世界。満月が雪の原を照らし、宝石をちりばめたように雪の結晶がきらきらと輝いて幻想的な夜だった。

焚き火を囲んで4人で創造的な話を幾つもして、眠りに着いたのが朝の4時半。9時半には起床して朝食を取り森に入った。久々に会った森は心よく私達を迎えてくれた。いつものように精霊の滝に挨拶をしてその上の鹿の棲む森へと進んだ。日だまりに焚き火の場所を決めると、さっそく「NOBUYA」は音録りの旅へ出掛け、残る私達は焚き火の周りでそれぞれに自由な時間を過ごした。太陽を浴びて光るつららが雪の上のあちらこちらに落ちていて、まるでクリスタルに囲まれているような幸せな気分になった。

本当に美しい夢のような時間が過ぎた。

しばらくたって「NOBUYA」が戻ってきた。
「小さなクンネポールの音をたくさん録ってきたよ。」そう言って彼は笑った。

この素晴らしい時間も全て「kunne poru」。

出会いと喜びの旅はもう始まっている。

「JUNE」ありがとう。

peace.



_ 2005.01.10_>>>_新月

年明けにダンナと陣馬山へ登った。

まだ真っ暗な闇の中、家を出て麓に着いた頃もまだ薄暗く私達の他に人影も無かった。あたりは一面の雪。真っ白な世界。沈黙の中で私達はそれぞれ子供の頃に還っていた。降り積もったばかりの雪に最初に足跡をつけるなんともいえない感覚。いろんな雪の音。幻想的な光。なんだかタイムスリップしたみたいで、たまらなく懐かしい気分になった。山頂はとてもいい天気で360度クリアに見渡すことができた。景色がまあるく繋がっている。富士山がとても美しくて、南アルプスや江ノ島もはっきりと見える。興奮した。茶屋のおじいちゃんとおばあちゃんは口々に「こんなに富士山が大きく迫って見えるのは今の時期だけなんだ。」「ついさっきまで朝日に照らされた江ノ島と海が真っ赤に染まって、それはそれはきれいだったんだよー。」と何度も何度も言っていた。この老夫婦は本当にこの山とこの景色を愛しているのだなーと思った。「こんなに素晴らしい景色はここでしか見られない。」と心から思っているのだろう。「素敵な人達だね。」とダンナがポツリと言った。

私とダンナも美しいものを見て「きれいだなー。」とか、おいしいものを食べて「うまいなー。」とかそういう普通の感覚をとても愛してるし大切だと思っている。その部分が一緒だからこうして22年間も連れ添って来れたのだ。しかし最近は、それぞれが個であるということを完全に理解し合うということ。お互いが本当の意味で自立しているということも大切なのだと思うようになってきた。

世界の平和を願うのなら、まず自分を取り巻く環境を平和にしなければならない。私の一番身近にいる人は彼。その彼と本当に平和な関係を結んでいるか?そう考えた時、私達の関係はもっと成長できる筈だと確信するようになってきた。ケンカするほど仲がいいともいうが、滅多にはしない私達のケンカも、ほんの些細なことが原因でいつも同じパターンで展開されていく。その度に同じような言葉を吐き、同じような感覚になるということを繰り返してきた。幼なじみということもあるのだろう。「こいつにだけは負けたくない。」という小学生レベルの感情が普通にこみ上げてくるのだ。結局また仲直りをすることにはなるのだが…。でもこのパターンをいつまでも繰り返していて本当にいいのか?と自分に問いかけた時「違う。」という答えが返ってきた。同じエネルギーを使うのなら、もっとお互いにとってプラスになる使い方をした方がいいに決まっている。それは結果的に地球にとってもプラスになることなのだから…。そう思うとやっぱり自分の心と体、思いと行いを一致させることが大切だというとこに行き着いた。

自分がまず地球と繋がり宇宙と繋がって初めて相手と共振することができる。全ては繋がっているのだ。愛という力で…。

正月。山の上に立って思ったことでした。

peace.



_ 2004.12.27_>>>_満月

夢を見た。

弁財天に呼ばれて旅をする夢。

日本のどこか海沿いの町。海にせり出した岩場を歩き洞窟にたどり着く。その中に入り奥へ奥へと進むとそこには小さな祠があって私がその扉を開けると、もの凄く明るい光を放ちながら弁財天が現れた。

4年前nociwのオープンの間際にも弁財天が夢に現れて、その後に開かれたござれ市で夢に現れた弁財天が木彫りの像となって店頭に並んでいたのに驚き、思わずその像を購入してnociwに飾った。

今年の始めには江ノ島の弁財天が夢に現れたので私は迷わずその日、江ノ島へと向かった。訪れたのは初めてだったが、以前から何度も夢に出てきていたので新年ということもあって今日こそは行かなくてはと決心したのだった。晴れた日で、島の頂上にたどり着くと海の向こうに富士山がくっきりと浮かび上がり、あまりの美しさに涙があふれた。弁財天に「やっと来れました。呼んでくれてありがとう。」と挨拶をして祈っていると「おみくじを引いて行きなさい。」と心の中から声が聞こえたのでその通りにすると12番の大吉。「自分の信じる道をただまっすぐに進みなさい。」と書かれていた。

3月にnociwをクローズすることが決まっていた私にとって、その言葉は勇気と希望を与えてくれるものだった。実際、私はその言葉通りにこの一年を過ごしてきた。このシンプルな生き方こそが最も自分らしい生き方なのだとあらためて思う。お陰様で今でもこうして絵を描いていられるから。まわりのあらゆる存在に支えられて毎日が本当に幸せで感謝の日々だった・・・・。

今日の夢に出てきた弁財天は何処に居るのだろう?
きっといつかどこかで出会うんだろうな・・・・。

愛と芸術の女神。弁財天。
いつも見守っていてくれてありがとう。

いつの頃からか見続けてきた「地球が光に包まれるヴィジョン。」
このヴィジョンを信じて、私はこれからもまっすぐに歩いていこうと思います。

peace.



_ 2004.12.12_>>>_新月

先日「nociw」のお客さんだった「将也」の卒業制作発表の映画を下北沢に見に行った。

2000年「nociw」オープン2日目の日曜日、この日は第3日曜日で「ござれ市」と重なってしまい、やむなく「ARATA」に店番を頼んだ日に彼は初めて「nociw」を訪れていた。その日「ARATA」から、こんな男の子が「∀KIKO」さんの絵に見入ってたよと聞かされた。

「将也」は「nociw」から徒歩何分かの近さの所で生まれ育ってきた。だから自分の家のそばに「nociw」ができたことをとても喜んでいた。その時は確か美大に落ちたばかりで、でも「自分も将来は絶対アーティストになるんだ。」と目を輝かせて熱く語っていたのを覚えている。その「将也」が現在は映像学科の4年生になっていて、自分の作品を是非観にきて欲しいと言ってきたのだ。

「物語は夜しか語れない」というその映画は、自分の最も身近な友人達の故郷を訪れて、家族やその土地の今の風景をたんたんと見つめたドキュメンタリーだった。自分が行ったり、あるいはその友人達にカメラを預け、感じるものを自由に撮ってきてもらい、集まった映像をさらに自分の感性でコラージュするという手法をとっていて、色んな人の普通の視点がちりばめられていて興味深かった。北海道のシーンもあったからか、自分の田舎や家族や親戚の顔が浮かんできて、とても懐かしい気持ちになった。子供の頃、周りの景色がこんな風に見えていたような気がした。

「将也」がプライベートで「nociw」の映像を撮りたいと言ってきたのは昨年の今頃。「nociw」での最後の個展の時だった。準備の段階から会期中、度々訪れて懸命にフィルムを回していた「将也」を思い出す。

何も考えずに使っていたそのフィルムが、とても特殊だったらしく、日本では現像ができなくてスイスまで送って依頼したものが最近やっと出来上がってきたそうだ。思ったより暗めだったらしいが、火がダンスをしているようでとても美しいという。これから編集して渡してくれるそうで、フィルムに焼き付いた「nociw」の気配を感じるのをとても楽しみにしている。しかもスイスから届いたなんてワクワクする話だ。

私はアーティストとしては本気でやり続けることこそが最も大切だと思っている。そんな情熱を持つ若い同志たちに出会うことは私にとって喜びだ。お互い頑張ろうゼ!!

peace....



_ 2004.11.27_>>>_満月

生まれて初めて「オイリュトミー」を体験した。

「オイリュトミー」とは、人間は「肉体」「魂」「霊(精神)」の三重構造からなるという認識にもとづいて人間の本質を表す運動芸術として、ルドルフ・シュタイナーにより研究されたもので、語源はギリシャ語で「美しいリズム」という意味である。

ドイツから招かれたオイリュトミスト「ヘルガ」の使命は、人の心に届くようなオイリュトミーをしていくこと。オイリュトミーを通して人々がその人のすべてを感じ取り認識し、その人自身の成長へと導かれていくことだと語る。

今回のワークでは、ピアニストがバッハやショパンの楽曲の小節を弾き、その音に溶けながら自分自身の中心を見つけ自分が今ここに在るという認識を持ち、他との時間と空間を共有するというものだった。色とりどりのシルクのスカーフが用意され(オイリュトミストによってツールは様々)それぞれ好きな色のものを手に取り音楽とともにそのスカーフを泳がせたり、浮かせたり…自由に動く。最初は自分とそのスカーフの関係に夢中になって踊っていたがそのうちに段々と他の人々やスカーフの色の流れが目に入ってきた。ヘルガが「今の状況を客観的に見るために半数に分かれてやってみましょう」と言った。座って観察していると最初はバラバラだった色の動きが次第にひとつのエネルギーとなってダンスしているように見えてきた。初めて出会った個性の違う30人の人間の集まりが調和している。これが300人、3000人、30000人…だったらと想像してみた。ステキなヴィジョンだった。この時は耳の聞こえない人や中学生も参加していた。オイリュトミーには必ずしも音楽が必要なわけではないそうだ。スカーフと同じ入りやすくするためのツールなんだろう。

現在15才になる友達に「モモ」がいる。「モモ」とはもう5年のつき合い(超ナマ意気だけど、とっても感受性の強いイイ奴であることは確か)。彼女が小2から通っている自主学校「遊」でもオイリュトミーの授業がある。子供の時からこのような感覚遊びの授業があったら楽しくてしょうがないだろうナァ〜と思う。そしてその感覚遊びの中から無意識に自分の存在を認識し他との共存のあり方を学ぶ。オイリュトミーの底知れない可能性を感じた。そして何よりも純粋に楽しかった。

先日やっと地球交響曲(ガイアシンフォニー)第5番を観る機会を得た。第1番から4番まで見続けてきて、その根底に共通するテーマ「私達はガイアの子供。地球というひとつの生命体の一部である」ということを5番を観て改めて心に強く思った。このことは私が絵を描く動機でもある。ガイアシンフォニーを観ていると監督を始め出演者達の心がスクリーンを通しても熱く伝わってきていつも私の胸を打つ。3番に出演している星野道夫のシーンが再び現れ彼の瞳を見た時、なぜか涙がこぼれた。

この日はたまたまこの5番に出演している哲学者のラズロー博士が来日していて会場に現れた。現在、科学の世界でわかっているだけでも宇宙の成立ちから現在まで目に見えない小さな小さな波を計ることによって、その時何が起こったのかを解明することができるそうだ。それは地球や人類の歴史。細かくいえば過去にどこそこのどんな人がどんなことを考えていたのかということまでも知ろうと思えば知ることができるということなのである。つまりどんな思想も目に見えてないように見えるだけで、それはエネルギーとしてこの宇宙空間にいつまでも存在しているということだ。だから私達はいにしえの賢人たちの知恵や恩恵を受け続けることができるのだという。目からうろこのような話だった。

普段、自分の心の中で何だかわからないけど強く感じてたり信じてたりすること。言葉で説明しろと言われても感覚的なものなのでうまくしゃべれなくて相手に誤解されてしまったり…。

でも今まで理解されなかったものがこうしてひとつづつ現実的に科学として解明されてくることによって多くの人々の中に新しい常識が広がってゆく…。

とある島に棲む一匹の蝶の羽ばたきが、はるか地球の裏側で台風を起こす風になるとう「バタフライ効果」が人間の思考というエネルギーにもきっと置き替えられるハズ。

今、自分が立っている所が地球の中心だとして、その今にみなさんは何を想いますか?

peace....

p.s. 来年2月2日から12日までギャラリーLABLINE.TV にて「Candle June」とのコラボレーション展「Kunne Poru」が決定しました。詳しくは追ってお知らせしていきます。

「Kunne Poru」・・・アイヌ語で黒い穴。洞窟を意味することば。



_ 2004.10.22_>>>_上弦の月

先日初めて知床へ行った。アイヌ語でシリエトク。“地の果て”を意味する知床は「こんな所が北海道にあったんだ。」と驚かされるくらいの大自然だった。山、川、海、湖、滝。そこで暮らす野生の動物たち。今回知床に行った目的もそんな豊かな本物の自然に触れたかったから。いつも私にインスピレーションを与えてくれる鹿。そんな鹿たちにたくさん会えたことがとても嬉しかった。中でも夕暮れの森の中に堂々とした、とても威厳のある大きな雄鹿が現れた時、私が歌うと首をゆっくりとこちらに向けて目と目が合った瞬間。そこだけ時間が止まったようなとても幸せな気分に満たされた。海岸に海から船で近づいて見上げた岩壁や洞窟や奇岩。そのエネルギーに圧倒し感動した。

昔から知床もアイヌの人々の暮らす土地だが、ある日、アイヌのやっている民宿兼お土産屋さんに入って店を物色していたら、人のよさそうな、でもしっかり者といった風のお母さんが出てきて、何処に泊まっているかと聞いてきた。知床で一番安いゲストハウスに泊まっていると言ったら、どんな食事が出るかと聞いてくる。ひとつひとつ思い出しながら説明すると、なんとお母さんは「そうだ。今夜そこの夕食は断ってうちでご馳走を食べなさいよ。」と誘ってきた。“ご馳走”という言葉に反応してしまい「えっ。いいんですか?」と聞くと、すかさず「はい。じゃ決まりね。その代わり今日調理場のバイトの子が急に休んじゃったから、よろしくね。」と言われたのだ。その夜、夕食時間帯の2時間半ばかりみっちりと働くことになる。泊まり客に「ねえさん、生ビール!」と言われ「はい。只今!」などと言っている自分が本当に不思議だった。しかも私はこういった類の仕事は初めてだったので、あまりの忙しさに目が回りそうだったが、これも社会勉強だと思い、自分なりに一生懸命働いた。お腹がグーグー鳴るのを我慢して…。食堂に客がいなくなりやっとまかないの時間がきた。初めて会った宿の主人やお母さんたちと話していると、何と二人は私のアイヌの友人の両親を結びつけた愛のキューピッドだったことが解りビックリ。友達も知らないだろう色んな話を聞かせてくれた。「長い間民宿やってきたけどこんな話をするのは初めてだよ。」と言って喜んでくれた二人。私が印象に残ったのは、お母さんのお爺さんが昔竜巻に数十メートルも船ごと巻き上げられてそこからいっきに地面に叩きつけられて死んだという話。そのお爺さんがいつも彼女を見守って導いてくれている気がすると言っていた。「だって人に困ってる時、いつもちゃんとこうやって助けてくれる人が現れるんだもの…」と。再びここを訪れる時、立ち寄れる場所があることが幸せだなぁと思った。

知床から故郷の余市へ帰った。余市も西と東の違いはあっても、海岸沿いで海も山も川もあって奇岩があって…スケールはうんと小さいけどなんとなく知床に似てると思った。まだ旅の続きのような感覚で地元の洞窟やストーンサークルを巡った。「北海道へ帰って自分の生まれた土地の自然を改めて感じて絵にしたい。」来年2月2日から12日までお茶の水のギャラリーでキャンドルアーティストの友人JUNEとのコラボレーションの自分のテーマがそれだった。原点に戻り新たな出発をしたいと思う。これからしばらくは描くことだけに没頭していくつもり…。いいエネルギーをいっぱい吸収してきたのでそれを絵に注ぎます。楽しみに待っててください。

イヤイライケレ。PEACE…



_ 2004.09.14_>>>_新月

7月20日から8月31日まで続いた個展「soul mates」にはたくさんのソウルメイトたちがやって来てくれて、とても嬉しかったです。クリスタルやお花やお菓子、あたたかいメッセージ、そして笑顔の贈り物をどうもありがとう。この個展の模様はギャラリーのコーナーで見て下さい。

8月20日に行ったイベント「HOLY MOUNTAIN」を無事終えてから富士山の浅間神社の火祭りに行って御霊を社から御輿に移す時と戻す時の神事の一部始終を見てきました。「soul mates」の期間中はまさに様々な魂を感じて過ごす機会となり、自分の中ではひとつのつながった大切な時間でした。この火祭りは名前の通り大きな松明に火を灯し参道を埋めつくす凄くパワーのある祭りです。この写真は次回のギャラリーコーナーにアップしますね。

今は仕事でフィンランドの神話の挿絵を毎日描いてます。楽しいです。内容も日本神話の「古事記」のようで、改めて世界の神話の共通性を強く感じ、とても興味深いです。

9月11日に登山家の由美子とだんなの伸也と由美子の仲間とともに箱根の明星ヶ岳に登ってきました。色んな種類の木があって楽しくて、鳥の巣や木の実、きのこや花々と出会って、とてもリフレッシュしました。山を登りながら、これからのことを想像していると楽しいヴィジョンが次々に浮かんできて、絵を描いて生かされている自分はつくづく幸せ者だなーと思い、感謝の気持ちが込み上げてきました。頂上に着くと、朽ちかけた鳥居の奥に小さな小さな祠があって、なんともいい表情をした素朴な神様が居ました。塩と酒と途中で拾った赤い実を御供えして、この星の平和を祈りました。peace ・・・



_ 2004.08.08_>>>_下弦の月

先日、開催中の個展「soul mates.」に神主さんが来てくれました。私とダンナはよく湧水を汲みに富士の裾野の森へ行っているのですが、その湧水を守る神社を守っているのがその神主さんで、ある日その森で出会ってから友達になったのです。その人が個展を見てこう言ってくれました。

「私たち人間や動物や植物や鉱物、この地球上で生きとし生けるものすべては、生まれては死に、生まれては死に、様々に形を変えながらエネルギーを循環させている。このエネルギーこそが神道でいう御霊(みたま)であり、ソウルメイトとは御霊そのものである。この個展にもたくさんの御霊が集まって来ていますよ。」

私はなんだかとても嬉しかったです。

この言葉がずっと心に残っていて、嬉しくて、絵を描いています。

p.s. 8月20日(金)に下北沢のBar「Heven & Earth」で、イベント「Holy Mountain」を行いますので、是非遊びに来て下さい。



_ 2004.07.26_>>>_マヤ暦新年

こんにちわ。「CAFE.SO.」での私の個展「soul mates.」が20日からいよいよ始まりました。nociwをオープンする以前に描いていた絵が8点とstone drawingとtree drawingの新作を合わせて45点を展示しています。

「soul mates.」というタイトルにしたのは、今こうして私が絵を描いていられるのも、すべて周りにいる仲間たちのお陰でみんながソウルメイトだということを強く感じるからです。それにお盆の時期は魂が里帰りする為に集まってくる時でもあるし…。この場所にもたくさんの魂が集い楽しい時間を過していってくれたらいいなぁと心から願っています。

8月31日までの長期開催ですので、ぜひ皆さんのソウルメイトとともに遊びに来て下さい。

PEACE…



_ 2004.06.??_>>>_こんにちは

「nociw」がCLOSEしてから後片づけに時間がかかり、やっと5月の上旬にきれいになりました。今は家の片付けに追われ、まだ当分落ち着いて絵を描けそうにもないです。

一番大変だったのは、ストーンサークルを森へ還すことでした。「nociw」がOPENした当初、どうしても中庭にストーンサークルを作りたいという衝動に駆られ、通っていた森から一つづつ自分で石をチョイスしてダンナと一緒に運んできて無我夢中で作り上げてから、虫たちや鳥たちが遊びに来るようになって自然に色んな植物が芽生え育ちました。

そのうち「nociw」を訪れる人達がそれぞれにストーンサークルと触れ合うようになって.....。
皆さんに愛されたストーンサークルでした。4年間本当に感謝しています。ありがとうございました。

片づける前日、小さな火を焚き、今までの感謝を伝えてお祈りをし「nociw」で一泊して、あくる日森へ向かいました。元の場所へ運び一個一個の石たちに「ありがとう」と言って、川の中へ戻すと、皆喜んで転がって行きました。
「あぁ、これで良かったんだ。」と思い、やっとホッとした瞬間でした。

お店としての「nociw」は終わりましたが「nociw」のSPIRITは続いて行きます。これからはこのネット上でOPENしていきます。私自身まだパソコンを持っていないので最初は友達の協力を得てスタートさせることになりました。少しづつ形にしていくつもりなのでどうか気長にお付き合い下さい。

PEACE…